(…しまった…)
ウッカリ買うのを忘れちまった、と苦笑した。
今日の夕食は自分の家で。ブルーの家には寄らなかったから。
仕事帰りに食料品店に寄って、あれこれ買い込んで来たけれど。
それで夕食を作ったけれども、さて食べようとテーブルに料理を並べた後で。
これも出さねば、と開けた冷蔵庫。
野菜サラダにかけるドレッシングを取り出そうとしたら、そこで気付いた。
残り少なくなっていたことに、今夜使ったら、明日の朝の分しか残らないことに。
ドレッシングは何種類か揃えてあるから、他のものでもいいのだけれど。
違うドレッシングをかけたっていいし、手作りするのも好きだけれども。
(…こいつの気分なんだよなあ…)
他の選択肢は思い浮かばない、冷蔵庫を開ける前から決めていたから。
野菜サラダを作っていた時から、それのつもりで作っていたから。
他の味でも、野菜サラダは食べられるけれど。
冷蔵庫にあるドレッシングはもちろん、マヨネーズなどで手作りしたって美味しいけども。
これにしようと決めていただけに、イメージが頭に出来ていただけに、変えられなくて。
残り少なくても今夜はこれだ、と取り出した。
明日の朝に使えば空になるけれど、今夜使えば、残りは一回分しか無さそうだけれど。
それでも食べたい気分なんだ、とテーブルに置いたドレッシング。
もう本当に残り少なくて、野菜サラダにたっぷりかけたら、底の方に少し残っただけ。
どう見ても一度使えばおしまい、明日の朝に使えばそれでおしまい。
(でもまあ、買えばいいんだしな?)
明日は忘れずに買って帰ろう、と心のメモに書き込んだ。
家にあるのが定番なのだし、まるで無くなったら落ち着かない。
そんな時に限って「あれで食べたい」と思うものだし、無ければ自分がガッカリする。
買い忘れていたと、てっきりあると思ったのに、と。
(明日は買い物…)
たかがドレッシングのことだけれども、買っておかねば。
冷蔵庫を覗いて「無かったっけな」と溜息をつくのは避けたいから。
そう考えながら頬張る夕食、野菜サラダの他にも色々。
料理は好きだし、一人暮らしでも手抜きはしない。
むしろ作るのが楽しみな方で、今日もあちこち眺めていたのに。
食料品店の中をグルリと回って、何を買おうかと、どう食べようかと考えたのに。
肉か、魚か、同じ肉でもビーフかポークか、チキンにするかと。
魚もいいなと、どんな魚が今日はあるかと端から覗き込んだのに。
なのに忘れたドレッシング。
野菜のコーナーにはもちろん行ったし、あれもこれもと買ったのに。
なまじ買い物を満喫したから、忘れたのかもしれないけれど。
多分そうだと思うけれども、切らしてしまいそうなドレッシング。
明日は買おうと、買いに行かねばと思った所で前の自分の記憶が掠めた。
キャプテン・ハーレイだった頃。
白いシャングリラの中が世界の全てだった頃。
(おいおいおい…)
忘れるだなんてとんでもないぞ、と前の自分が呆れている。
正確には今の自分の心に前の自分の記憶が重なる、有り得ないと。
ドレッシングが切れそうだなどと、明日の朝には空になるから買おうだなどと。
そうだったっけな、と自分の頭をコツンと叩いた。
これがシャングリラなら大変なんだと、あってはならないミスなのだと。
船の中だけが世界の全てだった白いシャングリラ。
やむを得ず物資を補給するにしても、ちょっと其処までというわけにはいかない。
ドレッシングを買いに出掛けるようにはいかない、シャングリラでは。
切らしそうなものが何であっても、そういう事態を招くこと自体が重大なミス。
常に余裕を見ておくべきだし、備蓄が無いなど有り得ない。
明日には切れると、明日の朝にはゼロになるなどと寝言を言ってはいられない。
そうした報告が上がって来たなら、管理部門の責任者を厳しく叱らねば。
どうして早めに気付かないのだと、明日の朝以降はどうするのかと。
(…ちょっと買って来ます、とは言えないからなあ…)
「忘れていました」では済まされない上に、補給も生産もそう簡単にはいかないから。
どんなものでも備蓄は必須で、余裕がゼロなど、あってはならない。
なのに自分はやってしまった、今の自分が。
ついウッカリと買わずに帰った、ドレッシングは明日の朝には切れるというのに。
空っぽの容器だけを残して、綺麗サッパリ。
前の自分がそれをやったら、誰かがやったら、たとえドレッシングでも大変なことで。
(次の会議の議題だな)
まず間違いなく、そうなるだろう。同じ事態を二度と起こさぬよう、繰り返さぬよう。
実に大変な世界だった、と今の幸せに感謝した。
明日の朝でドレッシングが切れても、容器がすっかり空になっても。
店に行ったらいつでも買えるし、切らしてしまったと会議の議題になったりもしない。
要は自分の心の中だけ、明日、買い忘れても困るのは自分一人だけのことで。
(…今だから油断出来るんだよなあ…)
備蓄が無くても買いに行ける世界、ヒョイと簡単に補給できる世界。
ついついウッカリ買い忘れていても、誰にも迷惑をかけない世界。
この幸せを大いに満喫しようと思ったけれど。
(…待てよ?)
いつかブルーと結婚したなら、忘れたら困るかもしれない。
ブルーの気に入りのドレッシングがゼロになるとか、明日の朝で無くなりそうだとか。
それではブルーが可哀相だし、「あると思ったのに…」とションボリされても悲しいから。
やはり気を付けようと自分に誓った、今後に備えて。
たかだか、ドレッシングの問題だけれど。
今の世界では、店に出掛けたらいつでも補給が出来るのだけれど…。
忘れた買い物・了
※ウッカリ買い忘れて切らしてしまっても、お店に行ったら新しいのを直ぐに買える世界。
それが幸せだと気付いたハーレイ先生、明日はドレッシングのお買い物ですねv
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