(間違いなく俺の部屋なんだが…)
そうなんだが、と改めて見回した書斎。
本棚に机、寝室とはまた趣が異なった部屋で、ハーレイの気に入りなのだけど。
夕食の後には直行することも珍しくなくて、寛ぎの空間なのだけれども。
こうして見てみれば、自分の部屋にも、前の自分の部屋にも見える。
重なる所は殆ど無いのに、机と本くらいなものなのに。
前の自分が、キャプテン・ハーレイが暮らしたシャングリラ。
白い鯨のキャプテンの部屋は、今の書斎とはまるで違った。
なにしろ宇宙船の中。
地面に建っている家とは違うし、もうドアからして異なっていた。
防音性に気密性。そういったことが最優先だった宇宙船の中、ドアも然りで。
外に明かりが漏れはしなくて、開け放すようなことも無かった。
書斎には風を通すのに。
天気の良い日は本の虫干しとばかりに、ドアを開け放っておくこともあるのに。
違いは壁にも天井にも及び、もちろん床も。
宇宙船と家では素材が異なる、構造だって違ってくる。
照明も違うし、部屋の広さも、造りも全く違うというのに、何故だか重なって見える部屋。
キャプテン・ハーレイだった自分に見せても、「ふむ」と頷きそうな部屋。
自分の部屋だと腰を落ち着け、本を引っ張り出しそうな部屋。
どれにしようかと棚の前に立って、気まぐれに一冊、これにしようと。
(その本からして違うんだがなあ…)
同じ本でも中身が違った、タイトルも本文も、著者の名前も。
今の自分の本棚に詰まった、小さな島国、日本の古典。
名作、伝説、他にも色々、好きで集めた本の数々。
前の自分の蔵書の中には無かったと思う、そういった本は。
まるで嫌いではなかったけれども、日本の古典を持っていなかったと言うべきか。
他にも読むべき本はあったし、日本にこだわる理由も無かった。
地球で書かれた本なら古典で、どれでも興味深かったから。
ついでに、前の自分の職業。
シャングリラだけが全ての世界で職業と呼んでいいかはともかく、キャプテンなる職務。
そのために必要な本も多くて、航宙学やら、宇宙の構造に関する本やら。
今の自分でも、読めないことはないだろうけれど。
理解出来ないこともないだろうけれど、出来ればお目にかかりたくはない。
寛ぎの場所に来てまでそういった本は御免だと思う、もっと気ままに気軽に読みたい。
今日はこれだと、この本がいいと引っ張り出して。
コーヒー片手に読める一冊、そういう本との出会いがいい。
前の自分が読んでいたような、生きるか死ぬかの局面に関わる本ではなくて。
明日の航路をどうするべきかと、開いたような本ではなくて。
好きに一冊選んでいい本、何を読んでもかまわない本。
それに囲まれたこの部屋が好きで、とても落ち着くのだけれど。
今の自分の職業柄かと、古典の教師になったくらいの人間だからと、頭から信じていたけれど。
(…前の俺かもな?)
こうして部屋を見回すと思う、そうだったのかもしれないと。
前の自分の記憶は無くても、取り戻す前でも、心の何処かでこの部屋を選んでいたのかも、と。
家を持つなら、書斎も一つ。
それが欲しいと、本に囲まれて寛いだ時間を過ごしたいと。
(前の俺の本とは別物なんだが…)
この部屋に並んだ本を読んでもシャングリラは動かせないんだが、と笑いが漏れる。
古典の教師になれる程度で、キャプテンはとても務まらないと。
それでも前の自分が見たなら…。
(きっと一冊、ワクワクしながら選ぶんだ)
そんな気がする、一冊選んで腰を落ち着け、ゆっくりと読むに違いないと。
ページをめくってコーヒーを一口、いつしか冷めるのも忘れるくらいに。
部屋の雰囲気と本とに捕まり、時間を忘れて過ごすのだろうと。
違うようでも、似ている部屋。
前の自分がゆったりと座りそうな部屋。
本は違っても、部屋の造りがまるで違っても、何の違和感も覚えずに。
自分の部屋だと椅子に腰掛け、気まぐれに選んだ本を広げて。
(…前の俺が欲しかったのかもなあ…)
こういう部屋が、という気がした。
自分のためだけにある本に囲まれた時間、そうした本たちと過ごす空間。
船の航路も、仲間の命も、まるで関係無い本の数々。
それを広げてコーヒーを飲んで、冷めてしまっても気にすることなく。
きっとそうだな、と思ったけれど。
前の自分が欲しがった部屋で、それゆえに何処か重なるのだろうと考えたけれど。
(…一つ足りんな)
大切なものが一つ足りない、と零れた笑み。
この部屋には欠かせない筈の一つが、それがまだ足りていないのだと。
本でも家具でもなくて、もちろん壁紙などでもなくて。
(…俺の部屋には、あいつがいないと…)
銀色の髪に赤い瞳の、前の生から愛したブルー。愛し続けて来た恋人。
ブルーが来たなら、本の出番は無くなるけれど。
本をゆっくり読む暇は無くて、ブルーに心を奪われるけれど。
それでも、自分が過ごす部屋には…。
(…あいつが要るんだ)
本が読めなくても、時間の全てをブルーに持ってゆかれても。
ブルーが揃って初めて完成品だと思う。
前の自分と同じ部屋を持つなら、何処か似ている部屋を持つなら…。
気に入りの書斎・了
※ハーレイ先生のお気に入りの書斎、古典の他にも色々な本が揃っているのでしょう。
キャプテン・ハーレイが見たら何を選ぶか、ちょっと知りたい気もしますよねv