(…つくづく幸せ者だよなあ…)
俺ってヤツは、とハーレイの顔に浮かんだ笑み。
夜の書斎で、コーヒー片手に寛ぎのひと時。
熱いコーヒーを傾けながら、しみじみと思う自分の幸せ。
ブルーの家には寄れなかったけれど、今日も充実していた一日。
帰宅してからも、手際よく夕食を作って、食べて。
炊き立ての御飯を頬張っていたら、ふっと頭に浮かんだ言葉。「幸せだな」と。
何が心の琴線に触れたか、それは全く分からないけれど。
美味しく炊けた新米だったか、それとも味噌汁や焼き魚なども手伝ったのか。
何故だか思った、「幸せだな」と。
一人きりの食卓で、誰を招いたわけでもないのに。
好物の酒もつけてはいなかったのに。
一度気付くと、「幸せ」の数はぐんぐんと増えた。
今日の出来事の中に幾つも、幾つも鏤められた幸せ。
朝一番の柔道部の練習、其処でやっていた走り込み。
普段はそれほど目立たない生徒が、今日は頑張って走っていた。
彼が先頭を走る所など、まだ見たことが無かったのに。
他の生徒を何人も抜いて、颯爽と走り続けた彼。
「ずいぶん調子がいいようだな」と後で褒めたら、照れたように笑っていた生徒。
一度でいいから先頭を、と彼も願っていたらしい。
部活が終わって家に帰ってから、一人で家の近所を走って、鍛えて。
その成果を披露したのが今朝。
「よし、その調子だ」と励ましながら、嬉しくなった。
彼はこれから伸びることだろう、足腰が強くなったのだから。
それが今日の一番最初の「幸せ」。
生徒のやる気を引き出せた上に、才能を伸ばす手伝いが出来る。
思わぬ生徒が伸びてゆくのは、とても嬉しいことだから。
最初から光る才能を持った生徒に出会えば、それは嬉しくて当然のこと。
けれど、努力を積んだ生徒も、柔道の道では強いもの。
心技体を鍛える武道が柔道、強い心は武器になる。
あいつは伸びる、と確信したから、朝から最高に幸せだった。
何処まで伸びてくれるだろうかと、自分が手伝うべきことは、と。
これから磨いてゆける原石、それを見付けた朝の練習。
浮き立つ心で練習を終えて、着替えにゆこうと歩いていたら。
小さなブルーにバッタリ出会った、丁度、登校して来た所。
「ハーレイ先生、おはようございます!」と弾けた笑顔。
元気そうだったから、もうそれだけで幸せな気分。
今のブルーも、前と同じに生まれつき身体が弱いから。
風邪を引いたり、疲れすぎたり、よく体調を崩しがち。
そんなブルーが朝から元気一杯だったら、自分まで嬉しくなってくる。
「今日も一日、元気でいろよ?」と、ポンと頭に置いてやった手。
教え子を励ますように見えても、ちゃんと心は伝わるから。
想いはブルーに届いているから、「はいっ!」と明るい声が返った。
「今日は体育もやるんです!」と。
小さなブルーは、しょっちゅう見学している体育。
何処か具合が悪い時やら、授業がハードすぎる時やら。
けれども、今日は見学しないでいいらしい。
体調がいい証拠だよな、と綻んだ顔。
「頑張れよ!」とブルーに声を掛けてやれたこと、それが二つ目の幸せだった。
他にも幾つも…、と数えた幸せ。
夕食を食べる間に、あれも、これもと。
そんな具合に時が過ぎたから、片付けを終えてコーヒーを淹れて。
書斎でゆったり椅子に座ったら、思ったこと。
「俺はつくづく幸せ者だ」と。
今日も充分に幸せだったけれど、それ以上の幸せを持っているしな、と。
(なんたって、二度目の人生なんだ…)
小さなブルーと初めて出会った、その時に思い出したこと。
実は二度目の人生だったと、前にも確かに生きていたと。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が生きた人生。
それが一度目、今の自分の人生が二度目。
(しかも、最高と来たもんだ)
今、生きている二度目の人生。
やり直すかのように、貰った命。新しい身体。
前の自分とそっくり同じ姿に育った、今の自分の大きな身体。
誰が見たってキャプテン・ハーレイ、伝説の英雄に瓜二つ。
「生まれ変わりか?」と何度も訊かれたけれども、いつも「違う」と答えて来た。
自分でも知らなかったから。
他人の空似で、似ているだけだと思っていたから。
ところが違った、自分の正体。
思い出せずにいたというだけ、自分がキャプテン・ハーレイだったことを。
忘れていたそれを思い出した日、小さなブルーと再会した日。
十四歳の子供の姿になってしまった、愛おしい人と。
前の生で自分が誰よりも愛したソルジャー・ブルー。
蘇った青い地球で出会えた、愛おしい人の生まれ変わりに。
自分はこの人を愛したのだ、と蘇った記憶。
何処までも共にと誓っていたのに、失くしてしまった大切な人。
その恋人にまた出会えたと、愛おしい人を取り戻せたと。
小さなブルーと再会したこと、それだけで最高とも言える人生。
前の自分が失くしたブルーを、もう一度この手に取り戻せたこと。
生きて再び出会うことが出来た、愛おしい人に。
小さなブルーの命の温もり、それを抱き締めて確かめられる。
なんと自分は幸せなのか、二度目の人生を生きられるとは。
前の生で愛し続けていた人、その人と共に新しい命を貰えるとは。
(…今のあいつは、まだチビなんだが…)
いつか大きく育った時には、文字通りブルーを手に入れられる。
伴侶に迎えて、一緒に暮らして。
誰にも邪魔をされることなく、誰にも仲を隠すことなく。
前の自分とブルーとの恋は、誰にも明かせなかったのに。
けして誰にも知られないよう、懸命に隠し続けていたのに。
(今度は結婚出来るんだ…)
結婚式を挙げて、手に入れるブルー。
自分の所へ来てくれるブルー。
前の自分には出来なかったことで、夢にも思いはしなかったこと。
ブルーに結婚を申し込むなど、二人きりで暮らしてゆくことなどは。
(…地球に着いたら、と思ってた頃もあったんだが…)
互いの役目から解き放たれたら、共に生きようという夢ならば見た。
ブルーと二人で何度も描いた、幸せに生きてゆける未来を。
けれど、いつしか諦めた夢。
諦めざるを得なかった夢。
前のブルーの寿命が尽きると分かったから。
とても地球まで行けはしなくて、その前にブルーは逝ってしまうから。
前の自分は夢を諦め、それでもブルーと生きようとした。
ブルーの寿命が尽きる時まで、側にいようと。
そしてブルーが命尽きたら追ってゆこうと、彼の魂を追って逝こうと。
なのに、叶わなかった夢。
ブルーの最期を看取る代わりに、前の自分は失くしてしまった。
いつとも、何処とも分からない内に、愛おしい人を。
ただ漠然と、「もう戻らない」と悟っただけ。
メギドの炎を防ぐためにと、前のブルーは飛び去ったから。
命を捨ててしまったから。
二人で暮らした白い船から、遠く離れた暗い宇宙で。
何処に在ったのか、場所さえ定かではなかったメギド。
それを沈めて、ブルーは逝ってしまったから。
(…あいつが死んだ時間も場所も…)
前の自分には分からないまま。
ブルーを追って死ぬことさえも、許されなかった前の自分。
それをブルーが禁じたから。
「ジョミーを支えてやってくれ」と、愛おしい人が遺した言葉。
そうするためには生きるしかない、どんなにブルーを追いたくても。
愛おしい人の許にゆきたくても、生きてゆかねばならなかった自分。
ブルーは何処にもいないのに。
どんなに呼んでも、声は返って来ないのに…。
何度も涙し、深い孤独と絶望の中で前の自分は生き続けた。
死の星だった地球の地の底で、息絶えるまで。
それが一度目の人生の最後。
前のブルーと幸せになれず、悲しみに覆い尽くされた人生の終わり。
(…あいつの所へ、やっと行けると…)
そう思ったのを覚えている。
これで行けると、ブルーの魂を追ってゆけると。
けれど、命は終わらなかった。
終わったけれども、二度目の人生に続いた命。
自分は幸せな今を生きていて、今度こそブルーと共に生きてゆける。
前のブルーと夢に見ていた、青い地球の上で。
小さなブルーが、前と同じに育ったら。
結婚出来る年になったら。
(…本当に俺は幸せ者だ…)
失くした筈の命もブルーも、二つとも手に入れたから。
ブルーと学校でしか会えなかった日でも、幸せが幾つも降ってくる今。
平和な時代に、幾つもの幸せに彩られた日々。
幸せすぎる今に生まれて、いつかはブルーと生きてゆく日々。
もう最高だと、幸せ者だと、そう思わずにはいられない。
前の生から愛し続けた、ブルーと生きてゆけるのだから。
そういう未来が待っている地球に、幸せな今に、自分は生きているのだから…。
幸せな今・了
※ハーレイ先生、今の自分は幸せ者だとしみじみ思っているようです。前に比べて。
その上、いつかはブルー君と結婚。本当に幸せな人生なのです、最高の幸せ者ですよねv
「ねえ、ハーレイ。…一番幸せなことって、何?」
何が幸せ、と首を傾げた小さなブルー。
二人でのんびり過ごす休日、いつものテーブルを間に挟んで。
「幸せって…。俺の幸せか?」
そういう意味か、と問い返したら。
「うん。ハーレイは何が一番幸せ?」
ぼくに教えて、と瞬く赤い宝石。ブルーの顔に輝く二つの宝石、命の色の。
「そうだな…。俺はいつでも幸せなんだが…」
幸せ探しは得意だからな、とハーレイがパチンと瞑った片目。
どんな時にだって幸せはあると、探してやれば見付かるもんだ、と。
「ホント?」
疑わしそうな顔をしているブルー。本当にいつでもあるものなの、と。
「もちろんだ。たとえば、今はお前に疑われてるが…」
俺の言葉を信じて貰えていないわけだが、そいつを俺がどう受け取るか。
信じて貰えない俺は不幸だと考えたならば、失敗だ。
それじゃ幸せは見付からん。
こう考えるのさ、「お前に信じさせてみせるぞ」と。
そうすりゃ目標が一つ出来てだ、それに向かって走り出すわけだ。
お前が信じてくれなくっても、もっと、もっとと、努力を重ねてゆくんだな。
これでどうだと、まだ信じないかと、俺の力の限りを尽くして。
大変そうに聞こえるだろうが、そうじゃない。努力した分だけ、俺は何かを手に入れる。
「そんなの嘘だ」と膨れっ面のお前の顔とか、「騙されないよ」と笑うお前の顔だとか。
色々なお前の顔が見られて、「もっと頑張ろう」って気持ちになれる。
そしてお前が信じてくれたら、見事ゴールというヤツだ。
長くて辛いコースを走って、ゴールした時の達成感は凄いんだぞ?
もう最高に幸せな気分で、それまでの疲れも吹っ飛んじまう。…そういうモンだ。
だから幸せは探さないとな、と微笑むハーレイ。
諦めてしまったらそれで終わりで、見付かるものも見付からないと。
「お前、信じていないようだが…。そいつは、幸せすぎるからだな」
いつも幸せで、幸せ一杯。
今はそういう時代なんだし、幸せってヤツを誰もが持ってる。どんな時でも。
当たり前に幸せを持っているから、そのせいで気付かないんだな。
自分が幸せだということに。…今もそうだろ?
俺と二人で此処にいるだけで、お前は幸せな筈なんだが…?
前のお前はどうだったんだ、と問い掛けられた。
ソルジャー・ブルーだったお前は何処に消えたと、どうなってしまったんだった、と。
「…前のぼく…。メギドで独りぼっち…」
ハーレイの温もりも失くしちゃった、とブルーがキュッと握った右手。
前の生の最後に冷たく凍えて、それきりになってしまった右の手。
「ほら見ろ。…寄越せ、右の手」
温めてやるから、とハーレイはブルーの右手を包んだ。褐色の肌の大きな両手で。
ブルーの手は冷えていないけれども、体温を優しく移すように。
そうしてブルーの手を包みながら、尋ねてやる。
「今のお前は幸せなのか?」と。
「うん、幸せ…。だって、ハーレイと一緒だから」
独りぼっちじゃないんだもの。
ぼくの右手は凍えていないし、ハーレイも側にいてくれるから…。
手も温めて貰えるから。
「さっきまで忘れていただろうが。…その幸せを」
ちゃんと幸せを持っているのに、気が付かない。
それほど今は幸せってことだ、当たり前すぎて見落とすほどに。
だから幸せを探していないと、気付かないままになっちまうんだな。
大切なんだぞ、とハーレイが語る「幸せ探し」。
どんな時にも幸せはあるから、探して見付けてゆかないと、と。
「いいか、前の俺たちの人生ってヤツ。俺もお前も、幸せに生きたが…」
今に比べりゃ、ほんの小さな幸せだったろ?
シャングリラの中が世界の全てで、何処にも行けやしなかった。
ちょっと息抜きに外へ出ることも、買い物に出掛けてゆくことも。
…前のお前は外に出られたが、今のお前とは全然違う。
学校なんかには行けなかったし、友達の家に行くのも無理だったろうが。
今の俺たちには当たり前のことが、前の俺たちには夢の世界だ。
シャングリラどころか、今の俺たちは地球の上に住んでいるんだから。
「そっか…。そうだよね、いつも幸せ…」
ぼくはチビだけど、記憶は一つも失くしていないし、パパもママもいるし。
前と同じで弱い身体だけど、檻に閉じ込められたりしてないし…。
うんと幸せだね、普通のことが。
前のぼくたちが生きた時代に比べたら…。
「そういうこった。だから、ついつい忘れるんだな」
幸せはいつでもあるってことを。
ほんの少しだけ視点を変えたら、何処からか降って来るってことを。
さっきも言ったろ、辛いコースを走っていたって、得られるものは幾つもあるんだ。
本物の道を走ってる時も、走った分だけ何かを得られる。
根性だとか、我慢強さとか。
それは必ず役に立つんだし、言わば幸せの貯金だな。
「あの時、頑張っておいて良かった」と思う時がいつかは来るもんだ。
幸せの貯金が幸せになって現れるわけだ、何処からかヒョイと。
どんなことでも、幸せに繋がっていくんだな、うん。
それでだ…、とハーレイが浮かべた笑み。
「お前は俺の言葉を信じたようだし、これで俺にも幸せが一つ」と。
「どうだ、手に入れたぞ、幸せを一つ。俺は諦めなかったからな」
疑われちまった俺は不幸だ、と思っていたなら、この幸せは無しだった…、と。
幸せ探しの名人だろうが、こうやって見付けていくんだが…。
一番の幸せは何かと訊かれたら、そいつはお前に決まってる。
もう一度、お前に出会えたこと。…今はチビでも、いつか大きく育つお前に。
それが一番の幸せだな、と言われたから。
その答えが欲しくて投げた問いだから、ブルーの胸に溢れた幸せ。「ぼくは幸せ」と。
だから想いが溢れるままに、キュッと握った褐色の手。
右手を包んでくれている手を、左手と右手で外と内側から。
「ぼくも…。ぼくも一番幸せなんだよ、ハーレイとまた出会えたことが」
それに今度は、いつまでも一緒。
今は先生と生徒だけれども、いつか二人で暮らせるでしょ?
誰にも内緒にしなくても良くて、何処に行くのも、いつも二人で。
「ああ。…今度こそ、俺はお前を離しやしない。それも幸せの一つだな」
今度は離さなくてもいいんだ、お前の手を。
前の俺だと、黙ってお前を見送ることしか出来なかったが…。
今なら、追い掛けて捕まえられる。
お前がいなくなっちまう前に。…さよならも言わずに消えちまう前に。
「ごめんね、前のぼくのこと…。ハーレイを独りぼっちにしちゃった…」
いくらハーレイでも、あの後、幸せ探しなんかはしていないよね…。
していたんなら、そっちの話をしてくれるもんね。
こんな楽しいことがあったとか、「あれから面白いことがあったぞ」とか。
「…すまん。一本取られちまったな」
前の俺だと、俺に説教されちまうのか…。
ちゃんと探せよと、どんな時でも幸せは周りにあるもんだから、と。
それから二人で考えたけれど、幸せはやっぱり何処かにあるもの。
前のハーレイは見付け損なったけれど、数えてみたら、幾つも幸せ。
「前のぼくたちは追い出されたのに、アルテメシアに帰れたんでしょ?」
戦いに勝って、テラズ・ナンバー・ファイブも倒して…。
地球の座標も手に入ったんだよね、アルテメシアで?
「うむ。それを使って地球を目指して…。色々と苦労もしたんだが…」
地球には着けたな、青い地球ではなかったが。
あれが青かったら、幸せってヤツに気付いていたかもしれないが…。
「地球に行くことが、前のぼくたちの夢だったもんね…」
青い星だったら、ハーレイもきっと幸せになれていたよね。此処まで来た、って。
「どうだかなあ…。俺の隣に前のお前はいなかったからな」
前のお前の夢だったからこそ、俺にとっても地球は大切な星だった。
お前がいなけりゃ、青い地球でも駄目だったかもな。
幸せ探しを続けていたって、肝心のお前がいないんじゃなあ…。
「え…?」
「一人より、二人。そっちの方が断然いいだろ?」
幸せってヤツは、一人占めするより、分け合う人がいる方がいい。
自分が幸せな気持ちになったら、お裾分けをしたくなるもんだ。「どうぞ」とな。
とびきりの幸せを見付けたんなら、なおのことだ。
青い地球まで辿り着いたら、みんなでワイワイ分けたいじゃないか。
そして大切な人がいるなら、その人に特別大きな一切れ。
それを渡したい前のお前がいなかったんでは、駄目だったような気がするなあ…。
青い地球に出会えていたとしても…、とハーレイに両手を包み込まれた。
左手も一緒に、大きな褐色の手の中に。
「幸せ探しも大切なんだが、一人占めより、お裾分けだ。それは分かるな?」
今の時代じゃ、ガレット・デ・ロワって菓子があるんだが…。
お前、知ってるか、そいつのこと?
「えっと…。お正月に食べるお菓子だっけ?」
「正月ではあるが、一月六日だ。公現節の菓子だから。あれの中には…」
フェーヴってヤツが入っていて、だ…。陶器の小さな人形みたいなの。
みんなで賑やかに切り分けて食べて、自分の菓子にフェーヴが入っていれば王様。
王冠の飾りを被せて貰って、一年間の幸運が約束されるというんだが…。
もしもそいつを俺が引き当てたら、幸運、お前にやりたいな。
幸せが一杯の今の時代でも、もっと幸せになって欲しいし。
「ぼくもハーレイに譲りたいよ、それ」
一人で幸せになるよりも、二人。一年分の幸せが半年分になっちゃっても。
「やっぱりなあ…。俺たちの場合は、食わない方がいいのかもなあ…」
ガレット・デ・ロワ。当たっちまったら、譲りたくなってしまうんだから。
お裾分けしたくて、半分ずつとか、そんな感じで。
「そうかもね…。一人占めするより、幸せ、二人で分けたいもんね」
お菓子が連れて来る幸せもいいけど、ハーレイと二人で幸せ探し。
その方がずっと楽しそうだし、きっと困りもしないと思う。
当たっちゃったけどどうしよう、ってお菓子を見ながら困らないから。
「そうだな、俺たちはやめておくか」
お前のお母さんたちが用意しちまったら、その時は仕方ないんだが…。
お互い、ウッカリ引き当てないよう、気を付けんとな。
譲り合おうにも、お母さんたちがいちゃ出来ないし…。
幸せ、一人占めになっちまうからな。
二人で「やめておこう」と指切りをした、ガレット・デ・ロワ。
一月六日に食べるお菓子は、二人きりなら買わないこと。
幸せを運ぶフェーヴは一つだけしか入っていなくて、一人だけにしか当たらないから。
一年分の幸せを一人占めするより、二人で分けて味わいたいから。
お菓子で貰える幸せよりかは、二人で幸せを探してゆこう。
どんな時でも、幸せはきっと見付かるから。
諦めないで探していたなら、幸せはやって来るものだから…。
幸せの見付け方・了
※幸せ探しの名人なのがハーレイ先生。どんな時でも、幸せは見付かるみたいですけど…。
ガレット・デ・ロワに入っていた時には、困るようです。お裾分け、難しそうですものねv
(スズランの花束…)
ハーレイに貰い損なっちゃった、と小さなブルーがついた溜息。
恋人と二人で過ごした日の夜、自分の部屋で。
両親も一緒の夕食を食べて、「またな」と帰って行ったハーレイ。
その恋人から貰い損ねた、可憐なスズランを束ねた花束。
…スズランの季節は、とうに終わっているのだけれど。
花束を貰える筈だった日さえ、とっくに過ぎてしまったけれど。
(…だって、会ってもいなかったから…)
ハーレイと会った日は五月の三日、と零れる溜息。
それじゃ二日も遅くなっちゃう、と。
スズランの花束に意味があるのは、五月一日なのだから。
その日に恋人同士で贈り合うのが、スズランの花束なのだから。
もっとも、今の自分が暮らす地域に、そんな習慣は無いけれど。
遠い昔にはフランスと呼ばれた国があった辺り、其処の習慣なのだけれども。
(恋人同士だったら、五月一日はスズランの花束…)
幸運が来るよう、祈りをこめて贈る花束。
恋人同士で、想いをこめて。夫から妻へ、妻から夫へ。
地球が滅びるよりも遥かな昔の、フランスに伝わっていた習慣。
SD体制の時代には消えた習慣だったけれども、それがあったのがシャングリラ。
前の自分が暮らしていた船、白い鯨にはあった習慣。
ヒルマンがそれを教えたから。
白いシャングリラにも、スズランの花が咲いたから。
毎年、五月一日が来ると恋人たちが摘んだスズラン。
シャングリラの公園に咲いているのを、小さな花束にするために。
恋人同士で贈り合うために。
けれども、前の自分は一度もスズランを摘めはしなかった。
前のハーレイもそれは同じで、二人とも、ただ見守っていただけ。
スズランを摘む恋人たちを。
彼らが花束を贈り合うのを。
(…ぼくたちが花を摘んでたら…)
恋の相手が何処かにいるのだと、知らせるようなものだから。
シャングリラを導くソルジャーとキャプテン、恋人同士だと決して知られてはいけない二人。
知れてしまったら、皆の心が離れるから。
どんなに重要なことを決めても、「恋人同士で決めたことだろう」と従ってくれはしないから。
そうなることが分かっていたから、摘めなかった花。
ハーレイにスズランの花束を贈りたくても、ハーレイから贈って欲しくても。
(部屋で育ててみようとしたって…)
どちらの部屋にも、掃除係などが足を踏み入れるもの。
もしもスズランを育てていたなら、彼らは不思議に思うだろう。
何のためにこれがあるのだろうと。
一度目につけば、その後にも気が付きやすいもの。
スズランの花がそっくり消えたら、その日が五月一日だったら…。
(絶対、ピンと来るんだよ…)
恋人のためのスズランだったと、誰かに花束を贈ったのだと。
そうなったら次は恋人探しで、正解に辿り着きかねない。
キャプテンの部屋で花束を見たとか、キャプテンもスズランを育てていたとか。
恋人同士の二人なのではと、男同士の二人だけれど、と。
だから贈れなかったスズラン。…貰えなかったスズランの花束。
けれど、恋人同士だから。
いつか地球まで辿り着いたら、贈り合おうと約束をした。
青い水の星に咲いているだろう花を、摘んで小さな花束にして。
五月一日がやって来たなら、想いをこめてハーレイに。
ハーレイからも贈って貰って、二人で幸運を手に入れようと。
スズランの花束は、そのために贈るものだから。
沢山の幸運が訪れるようにと、恋人同士で。
(…前のぼくは、森のスズランを探して…)
ハーレイに贈ろうと決めていた。
栽培されているスズランではなくて、森の中に咲いているスズラン。
野生のそれは香り高いと、ヒルマンの話で知っていたから。
地球にフランスがあった頃には、高値で売られた森のスズラン。
子供たちが森へ採りに出掛けて、花屋のものより高い値段で売っていた。
香りの高さと希少価値とで、買い手は必ず現れるから。
(同じ贈るんなら、そっちの方が…)
断然いい、と前の自分は考えた。
前の自分の強いサイオン、それを使えば森のスズランが手に入るから。
ハーレイに贈るなら、その花束を、と。
…なのに、叶わなかった夢。
前の自分は地球に行けずに死んでしまって、地球も死の星のままだった。
スズランが育つ森などは無くて、生命の欠片も無かった星。
仮に地球まで辿り着けても、夢は夢のままで終わっていただろう。
スズランの花が咲いている森は、何処にも無かったのだから。
…時の彼方に消えた約束。
前の自分が命尽きた時に、約束も潰えてしまったけれど。
それを今日、ハーレイと思い出した。
五月一日には、スズランの花束を贈る約束をしていたと。
二人で青い地球に来たから、スズランの花束を贈れたのに、と。
(…もうちょっと早く出会えていたら…)
ハーレイは思い出したかもしれない、五月一日が来る前に。
その日はスズランを贈る日だったと、スズランを買いに行かなければと。
もしも早めに出会えていたなら、ハーレイが思い出したなら。
(…スズランの花束、貰えたのに…)
この地域には無い習慣だから、きっと両親も怪しみはしない。
ハーレイがそれを持って来たって、自分に贈ってくれたって。
「五月一日にスズランの花束を貰うと、幸運が訪れるそうでしてね」と持って来たって。
そういうものか、と微笑ましく見守ってくれたろう両親。
今のフランスの習慣を知っていたって、「勘違いしたな」と笑っておしまい。
「それは恋人同士なのでは…」と、「古典の先生だから、あまり詳しくないのだろう」と。
スズランの花束を貰っていたなら、きっと自分も気付いた筈。
「あの約束だ」と、「ハーレイは覚えていてくれたんだ」と。
花束を飾って、きっと御機嫌だっただろう。
来年は自分も贈らなくてはと、スズランの花束を買わなければと。
ところが、出会い損ねたハーレイ。
五月一日には、お互い、他人だったから。
前世の記憶も持っていなくて、出会ってさえもいなかった。
そのせいで貰い損ねた花束。
前の生から約束していた、地球で貰える筈だった花束。
それがなんとも悔しいけれども、代わりに新しい約束が出来た。
いつかハーレイと二人で出掛けられる時が来たなら、五月一日には、スズランを摘みに。
花屋でスズランを買うのではなくて、二人で探す森のスズラン。
(前のぼくたちだと、ぼくしか探せなかったんだけど…)
今度はハーレイも一緒に探せる。
ヒルマンが言っていた、香り高い森のスズランを。
今の自分はサイオンがとことん不器用になって、ハーレイを出し抜けはしないから。
下手をしたなら、ハーレイの方が沢山見付けそうだから。
希少価値の高いスズランを。
前の自分がハーレイに贈ろうと計画していた、森に咲いているスズランを。
咲いていると評判の場所へ、それを探しに行ったなら。
二人で摘みに出掛けたなら。
途中までは車で行けたとしたって、スズランが咲く森の中では使えない車。
降りて歩いてゆくしかないから、それだけで遅れを取りそうな自分。
それに、ハーレイは大きな身体をしているくせに、敏捷だから。
大股で森を歩きながらも、「おっ!」と素早く屈み込みそう。
「此処にあったぞ」と、「向こうにも咲いているみたいだな」と。
アッと言う間に花束が出来て、「ほら」と渡されていそうな自分。
ハーレイに贈るためのスズランを、まだ一本も見付けない内に。
花束どころかゼロの間に、「お前のだぞ」と貰いそうな花束。
きっとそうだ、という気がしてくる。
柔道と水泳が得意な今のハーレイ、運動神経はプロの選手並み。
注意力だって凄いのだろうし、きっと自分は敵いはしない。
香り高い森のスズランを採りに、二人で森に分け入っても。
ハーレイのためにと、懸命にスズランを摘もうとしても。
(…ぼくが一つ目の花束を作っている間に…)
次から次へと、ハーレイが渡してくれそうな花束。
「約束しただろ?」と、「地球に着いたら、今日はスズランの花束だよな」と。
今の自分とも約束をしたと、だから今日は二人で出掛けて来たと。
(…ぼくがあげる分、残っているかな…?)
ハーレイがせっせと摘んでしまって、スズランは殆ど自分のための花束になって。
幾つも幾つも貰っているのに、お返しの花束を作れるだけのスズランが残っていないとか…。
(…そうなっちゃったら、どうしよう…)
ハーレイは「俺のは一本あればいいぞ」と、一本だけのスズランでも喜んでくれそうだけれど。
「お前が幸せにならないとな?」と、花束をドッサリくれそうだけど。
それだとハーレイに申し訳ないから、ハーレイにも花束を贈りたいから。
(…貰った分、半分ずつにしちゃっていいよね?)
もしもスズランが足りなくなったら、貰った花束を束ね直そう。
ハーレイのために、心をこめて。
元はハーレイが摘んだ花でも、五月一日のスズランの花は特別だから。
貰えば幸運が訪れるというから、想いをこめて、ハーレイのために作る花束。
束ね直して、綺麗に纏めて。
「ハーレイのだよ」と、「約束のスズランの花束だよ」と。
そして二人で抱えて帰ろう、沢山の森のスズランを。
両手は花束で塞がってしまって、手を繋いでは歩けないけれど。
幸運を運んでくれる花束、それを贈り合えた幸せな気持ちを一杯に抱えて、二人一緒に…。
スズランの花を・了
※ハーレイにスズランの花束を貰い損なっちゃった、と溜息をついたブルー君。
いつかは二人で摘みに出掛けて、きっと山ほど貰うのです。幸せだって山ほどですよねv
(スズランなあ…)
この辺りでは何処に咲くんだったか、とハーレイが思い浮かべた花。
小さなブルーと会って来た日に、夜の書斎で。
白く可憐な花を咲かせるスズラン、花の季節は終わったけれど。
思い出すのが遅すぎたよな、と零れた溜息。
小さなブルーと出会った頃なら、まだスズランは咲いていたのだろうに。
(…しかしだ、あいつと出会った日には…)
とっくに過ぎてしまっていたんだ、と悔しい気持ちになってくる。
前の生から愛し続けた、愛おしい人。
再会した日は五月三日で、二日も過ぎてしまっていた。
五月一日という特別な日を。
今の自分や、今のブルーが暮らす地域では特別でも何でもないけれど。
(だが、フランスだと…)
遠い昔にフランスと呼ばれた国があった地域、その辺りに新しく生まれた大地。
其処では特別な五月の一日、スズランの花束を贈り合う日。
贈られた人に幸運が訪れるようにと、恋人同士で。夫から妻へ、妻から夫へ。
…前の自分が生きた時代に、その習慣は無かったけれど。
SD体制が敷かれた人類の社会、其処では失われていたのだけれど。
白いシャングリラでは別だった。
船の公園で咲いたスズラン、それで小さな花束を作った恋人たち。
かつてそういう習慣があった、とヒルマンが話したものだから。
シャングリラで五月一日と言えば、スズランの花束を贈る日だった。
恋人同士で、スズランを摘んで。
愛する人へと、想いをこめて。
その人に幸運が来るように。…沢山の幸せが訪れるように。
けれども、前の自分とブルーはスズランを贈り合えなかった。
誰にも言えない恋人同士で、スズランの花を摘みにゆくことは出来なかったから。
部屋でこっそり育てようにも、ソルジャーとキャプテン。
どちらの部屋にも掃除係などが出入りするから、スズランを育てれば直ぐに知られる。
五月一日に花がそっくり消えたことまで。
(…そうなっちまったら、何処かに恋人がいるってわけで…)
恋人は誰かと詮索し始める者も、きっと現れることだろう。
それを切っ掛けに、ブルーとの仲を知られかねない。
「青の間にも、キャプテンの部屋にも、スズランがあった」と噂が広がったなら。
どちらのスズランも、五月一日に花が消えたと広まったならば。
誰かが「怪しい」と思い始めたら、噂は船を駆け巡る。
そして明るみに出るかもしれない、ブルーとの恋が。
シャングリラを導く立場にいるから、懸命に隠し続けているのに。
ただの親しい友達同士を装い続けて、生きているのに。
(…たかがスズランの花束くらいで…)
知られるわけにはいかなかった恋。
皆を導き、纏めてゆくには、ソルジャーとキャプテンが恋人同士では上手くいかない。
だから懸命に隠し続けて、スズランの花束も贈れなかった。
五月一日が何度巡って来ても。
恋人たちがスズランを摘んでは、幸運を祈って贈り合っていても。
シャングリラという船で暮らす限りは、贈り合えなかったスズランの花束。
ソルジャーとキャプテンでいる間は無理。
(…いつか、地球まで辿り着いたら…)
平和な時代が訪れたならば、もう要らなくなるソルジャーとキャプテン。
ただのブルーと、ただのハーレイ。
恋人同士だと明かしても良くて、二人で出掛けても誰も咎めはしないから。
(…五月一日を地球で迎えたら…)
贈り合おうと思ったのだった、可憐なスズランの花束を。
自分はブルーに、ブルーは自分に。
そういう約束をしたのだった、と小さなブルーと思い出した今日。
青く蘇った地球の上で出会った、愛おしい人と。
前の生から愛し続けて、今も愛してやまない人と。
…それなのに、過ぎてしまっていた日。
五月一日はとっくに過ぎたし、第一、ブルーと再会した日。
それが五月の三日なのだし、まるで話にならない約束。
今頃になって思い出しても。
「地球に来たなら、五月一日にはスズランの花だ」と、遠い記憶が蘇っても。
その日はとうに過ぎてしまって、今年のスズランは終わったから。
五月一日には、まだ出会えてさえいなかったから。
そんなわけだから、五月一日のことを覚えていたなら贈ろうと決めた。
いつかブルーが大きくなったら、前と同じに育ったら。
二人でスズランを贈り合おうと、それも野生のスズランがいいと。
(…ヒルマンが言ってた話では、だ…)
栽培品種のスズランよりも、森に咲くスズランが好まれたという。
香り高くて、希少価値だって高いから。
その日のためにと、子供たちが森まで採りに出掛けて売っていたほど。
花屋の店先に並ぶスズラン、それよりもずっと高い値段で。
自分もブルーも、その話まで思い出したから。
今の地球でスズランを贈り合うなら、それにしようと弾んだ話。
野生のスズランを摘みに出掛けて、競って作る香り高い花束。
より多く摘もうと探しては摘んで、互いの幸せを祈ろうと。
沢山の幸運が来ますようにと、想いをこめて贈り合おうと。
小さなブルーと交わした約束。
今は書き留めたりしないけれども、忘れてしまっていいのだけれど。
二人で一緒に暮らす未来に思い出したら、五月一日は森へスズランを摘みに。
前の生からの夢だったことを、スズランの花束を贈り合う夢を二人で叶えるために。
(…そいつのためには、スズランってヤツを…)
調べておかねばならないだろう。
もちろん花屋にはあるのだけれども、野生のスズラン。
それが咲く場所は何処にあるのか、何処へブルーと行けばいいのか。
(途中までは車で行けるんだろうが…)
残りは二人で歩くのだろう。森か、林か、そういった場所を。
けれども、心当たりが無いスズラン。
生憎と森で出会ってはいない、ただの一度も。
花が咲く季節に行かなかったか、咲いている場所に行かなかったのか。
(…とりあえず、下調べはしておくとするか…)
今はまだ覚えているんだしな、とデータベースにアクセスしてみた。
この辺りにも咲くのだろうかと、それとも遠い北の方かと。
スズランが咲く場所は、北の方だというイメージ。
そちらの方まで旅をしないと、あの白い花は摘めないのかと。
そうしたら…。
(ほほう…)
北の方の花ではなかったのか、と綻んだ顔。
生育に適した環境があれば、この辺りでも咲くという。
もっと南の方に行っても、ちゃんと咲くらしいスズランの花。
けれど、データベースに幾つも載せられた写真。
前の自分が見ていた花とは、違う印象を受けるスズラン。
(はて…?)
何故だ、と写真を眺めたけれども、スズランの花は同じに白い。
花の形もそっくりそのまま、強いて言うなら一つの茎についた花の数が少ない程度。
野生なのだし、栽培品種のようにはいかないだろう、と思ったけれど。
それにしても地味だと、シャングリラのスズランの花はもっと…、と手繰った記憶。
これよりも目立つ花だった。
白い鯨にあったスズランは、時の彼方で何度も何度も目にした花は。
(…妙に葉っぱが目立つんだが…)
どの写真を見ても、花茎を覆い隠すように被さっている葉。
スズランの花を影に隠すように、まるで傘でも被せるかのように。
(こんな花ではなかった筈だが…)
花が隠れてはいなかったんだが、とデータベースのスズランの情報を追い続けていたら。
(君影草…)
そう呼んだのだという、スズランの花を。
地球が滅びてしまうよりも前、この辺りにあった日本では。
古い歌たちが編まれた万葉集の中にも出てくる名前。
君影草の名を持つスズラン。
由来は、花の姿から。
葉の影に隠れるようにして花が咲くから、君影草。
逞しい男性の影に寄り添う、楚々とした可憐な女性のようだ、と。
(…そうか、種類が違うのか…)
シャングリラにあったスズランとは、と解けた謎。
あちらは花が葉の上に突き出すように咲くから、君影草にはならないらしい。
今の自分が暮らす地域では、スズランは君影草だけれども。
(なるほどなあ…)
遠い昔には、男尊女卑の国だった日本。
花の方が目立つスズランが咲いていた辺りは、レディーファースト。
それぞれのお国柄が表れた花だ、と語られた時代もあるらしいけれど。
(…男尊女卑ではなくてだな…)
今度は守ってやりたいブルー。
君影草の大きな葉のようになって、どんな悲しみもブルーに近付けないように。
前の自分はそれが出来ずに、ブルーを失くしてしまったから。
今の自分なら、ブルーを守ってやれるから。
(…覚えていたら…)
スズランの花を摘みにゆく時に、ブルーにこれを話してやろう。
「君影草と言う花らしいぞ?」と、「今度は俺が、この葉になるから」と。
前のブルーがそうだったように、葉陰から出て強く一人で立たなくてもいいと。
俺に寄り添って生きればいいと、俺は今度こそ、お前を守って生きるんだから、と…。
スズランの名前・了
※いつかブルー君とスズランを摘みに行けたなら、と夢見るハーレイ先生。
君影草という名前に今のブルーを重ねたようです。今度は守ってあげられますものねv
(奇跡って起こるものなんだよね…)
ホントに不思議、と小さなブルーが眺めた写真。
今日はハーレイは家に来てくれなかったけれども、写真の中に笑顔の恋人。
好きでたまらない恋人のハーレイ、その左腕に両腕でギュッと抱き付いた自分。
夏休みの一番最後の日に写した記念写真。
庭で一番大きな木の下、母にシャッターを切って貰って。
写真を眺めれば会えるハーレイ、学校でも会って来たけれど。
「ハーレイ先生!」と挨拶をして、少し立ち話も出来たのだけど。
残念なことに、仕事の帰りに来てはくれなかったから、今日はそれだけ。
いつもだったら寂しいけれども、今夜は少し違った気分。
今がどれだけ幸せなのか、そのことを思い出したから。
普段はすっかり忘れてしまって、当たり前になってしまっていること。
(…こんな写真が撮れるってこと…)
それに、同じ町にハーレイが暮らしているということ。
何ブロックも離れていたって、同じ町に住んでいるハーレイ。
おまけに青い地球の上で。
前の自分が焦がれ続けた水の星。母なる地球。
いつか行きたいと願い続けて、幾つもの夢を描いていた星。
前のハーレイと共に辿り着いたら、あれをしようと、これもしたいと。
気付けばその地球に来ていた自分。
前の自分が夢に見た星、そのままの地球ではないけれど。
(あの頃の地球は、死の星だったって…)
ハーレイからそう聞かされた。歴史の授業でも教わること。
けれども、青く蘇った地球。
其処に自分は生まれて来た。新しい身体と命を貰って。
ハーレイも同じに生まれ変わって、また巡り会えて恋人同士。
自分は少しチビだけれども、キスさえ出来ない子供だけれど。
記念写真の中の自分は、本当にチビ。
十四歳にしかならない子供で、ハーレイとデートにも行けない有様。
それでも二人で同じ地球の上に、同じ時代に生まれられたこと。
これが奇跡でないと言うなら、なんだろう。
(…聖痕だって、本当に奇跡…)
ハーレイと再び巡り会えた日に、右の瞳から、肩から、溢れ出した血。
肌には傷さえ無いというのに、まるで大怪我をしたかのように。
前の自分がメギドでキースに撃たれた傷痕、それの通りに。
あまりの痛みに、チビの自分は気絶したけれど。
その聖痕が連れて来てくれた、前の自分のものだった記憶。
ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。
ハーレイと恋をしていた自分。
またハーレイと巡り会えた、と直ぐに気付いたし、ハーレイも同じ。
絡み合い、交差した膨大な記憶。
前の自分が持っていた分と、今のハーレイが思い出した分と。
そうして始まった奇跡の日々。
聖痕は二度と出ないけれども、考えてみれば毎日が奇跡。
当たり前すぎて忘れているだけ、奇跡が日常になったというだけ。
ハーレイと同じ町で暮らして、何度も会っては、話をして。
甘えて、強く抱き締めて貰って、二人で記念写真まで撮れた。
(…恋人同士で撮ったんです、ってパパやママには言えないけれど…)
あくまで前の生での友達同士の写真だけれども、特別な写真。
白いシャングリラで暮らした頃には、こんな写真は撮れなかったから。
ハーレイとは秘密の恋人同士で、誰にも明かせなかった仲。
こんな写真を撮れはしなくて、飾っておくことも出来なくて。
…そのまま終わってしまった恋。
前の自分は、最後までソルジャーだったから。
ハーレイも同じにキャプテンのままで、自由にはなれなかったから。
(…ソルジャーとキャプテンが、恋人同士だなんてバレたら…)
シャングリラの秩序は崩れてしまって、失いかねないミュウたちの未来。
前の自分が守り続けた白い船。
ハーレイが舵を握っていた船。
船を導く二人だったから、決して言えはしなかった。
本当は恋人同士なのだと知れてしまったら、誰もついては来ないから。
シャングリラを私物化しているのだろうと、皆がそっぽを向くだろうから。
(…地球に着いたら…)
自由になれると夢を見ていた。
ソルジャーとキャプテンの役目は終わって、恋人同士の二人になれると。
けれど、その日は訪れないまま、宇宙に消えてしまった恋。
前の自分は死んでしまって、それっきり。
誰よりも愛したハーレイの許へ、戻ることさえ出来ないままで。
…いつか命が尽きる時には、ハーレイがいると信じていた。
どうやら地球まで行けはしないと悟った時に、それを思った。
その日が来たなら、前の自分のベッドの側に。
キャプテンとしての立場であっても、ソルジャー・ブルーの右腕だったハーレイだから。
死にゆくソルジャーの手を握り締めていても、誰も不思議に思わないから。
(…だって、友達で、おまけにキャプテン…)
ソルジャーが船の仲間に届けるだろう、最後の思念。
それを伝える手伝いをするとか、言い訳はいくらでもあったから。
キャプテンだけに伝えておかねばならないことも、あるかもしれないだろうから。
(…みんなを頼む、って…)
誰かに頼んで逝くとしたなら、それはキャプテン。
長老の四人も大切だけれど、船を纏めてゆくキャプテンに頼むべきこと。
これからの船をよろしく頼むと、皆を地球まで連れて行ってくれと。
(…ホントはそうじゃなかったけれど…)
皆はそうだと信じただろう。
ソルジャーからキャプテンへの遺言なのだと、とても大切な内容だろうと。
他の者には聞き取れなくても、キャプテンは聞いておくべきこと。
そのためにソルジャーの手を握るのだと、最後まで握っていたのだと。
ソルジャー・ブルーの魂が彼方へ飛び去るまで。
身体を離れて、別の世界へ旅立つまで。
(…きっとハーレイがいてくれる、って…)
そう信じていた、自分の最期。
ハーレイに手を握って貰って、「さよなら」を言って。
他の誰にも聞かれないよう、恋人同士の別れの言葉をハーレイに告げて。
なのに、叶わなかったこと。
それすら出来ずに、前の自分はたった一人で死んでしまった。
白いシャングリラを守るためにと、メギドを沈めに飛び立ったから。
ハーレイと離れて、二度と戻って来られない場所へ。
手など握って貰えない場所へ。
(でも、ハーレイとは一緒なんだ、って…)
最後に触れた、ハーレイの腕にあった温もり。
「ジョミーを支えてやってくれ」と思念を伝えて、腕の温もりを貰って行った。
触れた右手に、愛した人の温もりを。
誰よりも愛し続けた恋人、そのハーレイの温もりを。
右手に温もりを持っていたなら、心はハーレイと共にいるから。
シャングリラから遠く離れた所で命尽きようとも、手には温もりがあるのだから。
その手を握って貰えなくても。
ハーレイが隣にいてくれなくても、きっと一人ではない筈だから。
(…だけど、失くした…)
キースに撃たれた傷の痛みで、恋人の優しい温もりを。
最後まで右手に残る筈だった、愛おしい人に貰ったそれを。
メギドの制御室を壊して、ジョミーに皆を託した後。
「みんなを頼む」と願った後に、温もりを失くしたことに気付いた。
それが何処にも無いことに。
ハーレイが消えてしまったことに。
自分はメギドにたった一人で、切れてしまったハーレイとの絆。
二度とハーレイに会えはしないと、泣きじゃくりながら死ぬしかなかった。
冷たく凍えてしまった右手。
ハーレイの温もりを失くした右手が、凍えて冷たくて、とても悲しくて。
もうハーレイには会えないから。
…二度と側には戻れないから。
それが覚えている自分の最期。
ソルジャー・ブルーだった前の自分の最後の記憶。
悲しみと絶望、それから孤独。
独りぼっちになってしまったと、泣きながら死んでいったのが自分。
けれど、その後に起こった奇跡。
どうしたわけだか、自分は地球にやって来た。
ハーレイと二人で生まれ変わって、青い星の上に。
今はどうしようもなくチビだけれども、いつか大きく育ったら。
前の自分とそっくり同じ姿になったら、ハーレイが許してくれるキス。
それに二人でデートにも行ける、好きな所へ。
ハーレイの車でドライブをしたり、二人で食事に出掛けて行ったり。
そういう幸せな日々が流れて、その後に迎えるハッピーエンド。
(…今度は結婚出来るんだよ…)
誰にも恋を隠さなくてもいいのだから。
教師と教え子で、自分がチビな今の間だけ、隠しておけばいいのだから。
いつか自分が大きくなったら、ハーレイからのプロポーズ。
そして結婚式を迎えて、ハーレイと二人で暮らしてゆける。
この地球の上で、二人一緒に。
いつまでも、何処までも、手を握り合って。
前の自分が温もりを失くして凍えた右手。
その手は二度と凍えはしなくて、ハーレイの大きな手と一緒。
ハーレイと二人で暮らすのだから。
手を繋ぎ合って、キスを交わして、幸せな日々を生きるのだから。
…今の自分に起こった奇跡。
前の自分の悲しい最期は、今の奇跡に繋がったから。
幸せな日々がやって来たから、出来ることなら前の自分に伝えたい。
メギドで泣きじゃくる前の自分に、「大丈夫だよ」と。
「今はとっても悲しいけれども、またハーレイに会えるから」と。
青い地球の上でハーレイに会って、結婚出来ると前の自分に教えたい。
そうすれば悲しみの涙は止まって、安らかな最期だったろうから。
次の生への旅立ちなのだと、幸せな眠りに就いたろうから。
…それを伝えたいと思うけれども、叶わないこと。
けれど奇跡はやって来たから、ハーレイと二人で歩いてゆける。
いつまでも、何処までも、手を握り合って。
今度は恋を隠すことなく、前の自分が焦がれ続けた青い星の上で…。
前のぼくへ・了
※「またハーレイに会えるから」と、前の自分に伝えたいブルー。幸せだから、と。
それが出来ないのが残念ですけれど、今度はハーレイと幸せに生きてゆけるのですv