(ちょっと面白かったよね…)
あの新聞記事、と小さなブルーが浮かべた笑み。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかったハーレイ、前の生から愛した恋人。
それがちょっぴり寂しいけれども、おやつの時間に読んだ新聞。
「お国自慢」という記事の内容、国と言ってもこの地域。
遠い昔は日本だった辺り、其処に新しく出来た島。
地球が滅びて、青い星へと蘇る時に。
古い大地を燃やし尽くして、不死鳥のように蘇った地球。
青い水の星に生まれた陸の中にあるのが今の日本で、けして大陸ではないけれど。
昔の日本と同じくらいに小さいけれども、日本と名乗っている地域。
けれど、日本は広いから。
小さいながらも、南北に長く伸びているから、北と南で全く違う。
冬になったら寒い雪国、それが北の方。
雪の季節でも雪は降らない、暖かい場所が南の方。
此処だと、丁度、真ん中辺り。
四季のバランスが取れている場所で、高い山も聳えていないから…。
(多分、一番、いい所だよね?)
そんな気持ちがするのだけれども、そうでないことも良く分かる。
新聞の「お国自慢」を見たら。
国というのは日本ではなくて、日本の中での様々な場所。
雪がドッサリ積もる所や、雪など全く降らない所。
色々な所で暮らす人たち、誰もが愛する自分が住んでいる所。
「こんなに美味しい料理があります」と誇る場所やら、美しい景色が自慢の所。
何処に住む人も「此処が一番」、そう思うのが故郷で「お国」。
生まれ育った場所となったら、なおのこと。
此処が何処より素敵な場所だと、料理も、それに景色だって、と。
「お国自慢」の記事の中身は、いろんな所の良さを紹介してゆく文章。
インタビューもあったし、写真も沢山。
記者があちこち飛び回って書いた、其処の自慢の郷土料理や名物などや。
(…ぼくが知らないヤツも一杯…)
行ったことのない場所の料理は、殆ど知らないものばかり。
名物のお菓子にしても同じで、美味しそうだと思っても…。
(其処へ行かないと食べられない、って…)
量産しないから、その場所だけで売り切れてしまう名物のお菓子。
朝、店を開けて、「今日はこれだけ」と並べてゆく分、それでおしまい。
よく売れそうな日は多めに作っておくらしいけれど、夕方には全部売り切れて終わり。
だから他所には出荷しないし、食べたかったら買いに出掛けるか…。
(…その町の人にお願いして…)
お土産に買って来て貰うこと。
食べるための方法はその二つだけで、注文しても送って貰えない。
大量生産していないことが、その店の誇りなのだから。
仕入れた材料を新鮮な内に使い切ること、味の秘訣がそれだから。
(…なんだか残念…)
きっと記事になったお菓子の他にも、そういったものがあるのだろう。
この町とは違う町に行ったら、その町が誇る名物のお菓子。
小さな店でも、味は何処にも負けないと。
何処へ土産に提げて行っても、けして恥ずかしくはない味だ、と。
(お菓子、一杯あるんだよね?)
日本だけでも、とても沢山。
「お国自慢」に取り上げられそうな、美味しくて量産していないお菓子。
記事になって評判を呼んだとしたって、きっと山ほど作りはしない。
「今日はおしまい」と出される「売り切れ」の札。
大量生産に向かないお菓子は、ほんの少しの数だからこそ、味を保てるものだから。
いつか色々食べたいけれども、その日はまだまだ遠そうな感じ。
チビの自分は十四歳にしかならない子供で、身体も弱い。
(…旅行、滅多に行けないし…)
この地球でさえも、一度も離れたことが無い。
宇宙から地球を見てはいなくて、地球の上でさえも…。
(遠い地域なんか、殆ど知らない…)
幼かった頃に親戚の所へ行った程度で、長い旅行はしていない。
その上、旅の疲れで熱を出したという有様。
両親も充分に知っているから、旅行自体が珍しいもの。
名物のお菓子を食べにゆく旅など、思い付くわけがない両親。
「行ってもブルーは熱を出すでしょ?」と、言われることもあるだろう。
遠く離れた所なら。
日帰りは無理で、行くだけでも半日かかりそうな場所。
そういう所を希望したなら、「とんでもないわ」と。
(…パパやママだと、そう言うんだから…)
行くとなったら、両親ではなくて、ハーレイに頼むべきだろう。
もっと大きくなってから。
前の自分とそっくり同じ姿に育って、結婚出来る時が来てから。
二人で一緒に暮らし始めたら、旅の約束があるのだから。
ドライブにだって行けるのだから。
(好き嫌い探しの旅をしよう、って…)
前にハーレイと約束したこと。
世界中を回って、色々なものを食べてみる。
「これだけは無理!」と叫びたくなるような不味い料理や、とても美味しい料理を探して。
好き嫌いの無い二人だから。
前の生で食べ物に苦労し過ぎた思い出、それを引き摺っているようだから。
記憶が戻る前から、そう。
ハーレイも自分も同じだったから、好き嫌いを探しに旅をする予定。
二人で暮らすようになったら、色々な場所へ。
(…日本から始めたっていいよね?)
好き嫌い探しの旅の第一歩。
「お国自慢」の記事を読んだら、食べ物だって沢山あるらしいから。
他の場所まで出荷するほど、大規模に栽培していない野菜や、果物などや。
其処だけで全部食べてしまって、流通網には乗らない食材。
(お料理だって、それを使うから…)
旅をしないと食べる機会が無いらしい料理、郷土料理と呼ばれるもの。
きっと幾つも味わってみたら、思いがけないものに出会える筈。
「これ、美味しい!」とパクパク頬張る料理や、「ぼく、無理かも…」と項垂れる料理。
その土地で生まれ育った人なら、誰でも喜ぶ筈の料理が…。
(美味しくないこともありますよ、って…)
書かれていた記事が「お国自慢」。
誇らしげだった、インタビューを受けた人たち。
「自分たちは好きな料理だけれども、他所の人は苦手みたいですね」と。
頼まれて宿で出してみたって、「作って下さったのにすみません」と、お客に謝られる料理。
注文した客は、一口で「駄目だ」と音を上げるから。
頑張って食べようと努力したって、全部食べ切れはしないから。
(好きな人も、たまにいるみたいだけど…)
大抵は投げ出してしまうらしいから、是非とも挑戦してみたい。
ハーレイと二人で宿で頼むか、わざわざ店に出掛けてゆくか。
(…ぼく、大丈夫な気もするけれど…)
あくまで「そういう気がする」だけだし、挑んでみたら結果は違うかもしれない。
「食べられないよ」と泣き顔になって、「ハーレイ、お願い」と押し付けるとか。
自分の料理が盛られた皿を。
とても食べ切れそうにないから、代わりに食べてしまって欲しいと。
(…ハーレイも困っちゃうかもね?)
自分と同じに「不味い」と思っていたならば。
ハーレイのお皿に盛られた分さえ、食べ切れる自信が無かったなら。
そんな料理に出会えるかも、と広がる夢。
「お国自慢」の記事のお蔭で、ハーレイと二人で旅をする夢。
名物料理やお菓子を探して、いろんな場所へ。
最初の一歩は日本から始めて、旅に慣れたら世界中へと。
(きっとホントに、お料理、色々…)
地球はとっても広いのだから、地域によって文化も料理も違うのだから。
旅の間中、其処の料理を端から試し続けていたら…。
(日本のお料理、食べたくなるかも…)
ある日突然、恋しくなって。
白い御飯とお味噌汁とか、卵焼きとか、そういったもの。
食べたくなったら探すのだろうか、日本の料理が食べられる店を?
それともハーレイに頼むのだろうか、「食べたいよ」と。
日本の料理の店が無いなら、厨房を借りて作って欲しいと。
(ハーレイだったら、きっと、なんとか…)
卵焼きくらいは作れるだろう。
白い御飯やお味噌汁は無理でも、卵焼きなら。
(…お味噌汁は、お味噌が無いと無理だし…)
白い御飯も、お米を食べない地域だと肝心の米が手に入らない。
用心のために、持って出掛けるべきなのだろうか、米と、保存が出来る味噌。
(長い旅行に出掛けるんなら…)
いつもの食事も必要だよね、と考えてハタと気付いたこと。
地球のあちこちに旅に出掛けて、日本の料理が恋しくなってしまいそうな自分。
(…ぼくの「お国」って、日本だよね?)
旅先で誰かに尋ねられたら、「日本から来ました」と答えるけれど。
「地球の、日本です」と答えたら、もっと正確だけれど。
(…ぼくって、地球が「お国」みたいだよ…?)
広い宇宙に散らばる星たち、その中の地球で、その地球の日本。
其処が自分の「お国」で故郷。
前の自分は地球に焦がれて、辿り着けずに、途中で命尽きたのに。
夢に見ていた地球を見ないで死んだのに。
(…その地球が、ぼくの「お国」で、故郷…)
いつの間にやら、そういうことになっていた。
青い水の星が自分の故郷。地球の日本が自分の「お国」。
なんだか凄い、と見開いた瞳、そして見詰めた自分の両手。
「地球生まれの、地球育ちだよ」と。
今の自分は地球で生まれて、地球で今日まで育ったから。
これからも地球で育ってゆくから、もう幸せでたまらない。
今の自分の故郷は地球。前の自分が夢に見た星、その地球が故郷なのだから…。
ぼくの故郷・了
※ブルー君の故郷は地球の上の日本。生まれも育ちも青い地球。これから育ってゆく場所も。
前のブルーが目指した星。其処が自分の故郷だなんて、もう最高に幸せですよねv
(うん、なかなかに面白かったな)
あの記事は…、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
夕食の後に読んだ新聞、それに載っていた「お国自慢」。
遥かな昔は日本という小さな島国があった、この地域。
日本はとうに消えてしまって、地形も変わってしまったけれど。
龍の形に見えたと伝わる島たちは消えてしまったけれど。
(秋津島、大和の国に大八洲か…)
失われた島国、日本の名前。
それも古典の世界で呼ぶ時の名前。
今では単に「日本」と言うだけ、かつて日本があった地域を。
この辺りだった、と特定できる場所に生まれた新しい島を。
地球は滅びて、不死鳥のように蘇ったから。
何も棲めない死に絶えた星から、青い水の星に戻ったから。
(でもって、日本も広いもんだから…)
昔と同じで、大陸などではないけれど。
地球全体の広さからすれば、猫の額ほどしか無いのだけれど。
それでも、やはり日本は広い。
南北に長く伸びているから、北は雪国、南は南国。
真ん中辺りにある所だって、地形や標高で違いが出るもの。
海沿いだったら温暖になるし、高い山際なら冬はドッサリ積もる雪。
(どんなトコでも、住めば都で…)
其処に住む人たちには最高の場所で、他の場所より「いい所」。
だからこそ「お国自慢」になる。
こんなに綺麗な景色があるとか、美味しい料理では負けないだとか。
記者が出掛けて行った所で、色々と取材して来た記事。
インタビューやら、あちこち回って写真撮影。
同じ日本でも違うもんだ、と興味深く読んだ「お国自慢」。
前から知っていた内容もあれば、初めて目にした代物だって。
景色も、数々の郷土料理も。
(…行かなきゃ食えないモノもあるしな…)
輸送手段が発達したって、流通しない食材もある。
「わざわざ出荷することもない」と、其処だけで消費されるもの。
大して美味しくないだろうから、こんな魚を店に出しても、といった具合に。
(ところが、これが美味いんだ…)
釣り好きの父に連れて行かれた、海釣りの旅。
朝早くから釣りもするけれど、漁港にだって出掛けて行った。
暗い内から船を出した漁師、彼らの漁船が港に帰って来る頃合いに。
水揚げされる沢山の魚、競りが済んでも残った魚。
「売るほどでもない」と港に残された魚、それが漁師たちの朝食になる。
船の上でも食べているけれど、陸に上がって競りが済んだら、ゆっくり食事。
残った魚を豪快に入れて、その場で作る鍋料理。
(魚の名前が、また酷いんだ…)
これじゃ売れまい、と呆れるようなネーミング。
本当の名前は他にあるのに、昔の日本で使われたらしい酷すぎる名前。
明らかに楽しんで名付けたと分かる、遠い昔に日本だった頃の、郷土色豊かな名前の魚。
(美味いんだろうか、と疑っちまうわけだが…)
酷い名前だし、おまけに競りの売れ残り。
正確に言えば、競りに出されずに放っておかれた魚たち。
それをグツグツ鍋で煮込んで、「どうぞ」と盛ってくれた椀。
熱々の汁を口に含んで驚いた。
なんと素晴らしい味がするのかと、いい出汁が出る魚らしいと。
魚の身だって、なんとも味わい深いもの。
誰が食べても美味しいだろうに、売れ残るなど信じられない魚。
(…あれは鮮度が命らしいしな?)
美味いだろう、と笑顔だった漁師が教えてくれた。
水揚げされて直ぐに鍋にするから、とても美味しく食べられるのだと。
柔らかすぎる魚だとかで、競りに出して町に送り出しても…。
(店に並ぶまでなら、なんとかなっても…)
買って帰った人が食べる頃には、すっかり味が落ちるもの。
何処かの店で名物料理に、と考えたって理屈は同じ。
仕入れて直ぐに客は来ないし、どうにもならない魚の味。
(ただの魚の鍋になるなら、まだマシなんだが…)
食べられたものではないらしいのが、鮮度が落ちてしまった魚。
だから漁港で漁師たちが食べる。
獲って来て直ぐに、美味しい間に。
(ああいう魚は、きっと多いぞ)
魚でなくても、果物や野菜。
今の時代は「お国自慢」が記事になるほど、何処もこだわっているものだから。
遠い昔の日本で栽培された野菜や果物たち。
それを作って、まずは地元で美味しく食べて、沢山出来たら出荷する。
(キャベツやトマトなんかだったら…)
何処でも、いつでも売れるものだし、どんどん店に出るけれど。
毎日の食卓に並ぶ食材は、豊富に流通しているけれど…。
(隠れた名物は多いってな)
食材にしても、料理にしても。
其処へ出掛けて、初めて口に入れられるもの。
「こんなに美味いものがあるのか」と、「今まで全く知らなかった」と。
あるいは、噂に聞いていたって、食べる機会が無いだとか。
ドライブするには遠すぎる距離で、日帰り旅行が出来ない所。
「いつか行きたい」と思う場所なら、本当に山ほどあるのだから。
お国自慢の記事のお蔭で、ついつい笑みが零れてしまう。
小さなブルーが大きくなったら、結婚したら旅行だっけな、と。
(好き嫌い探しの旅をしようと約束したが…)
前世の記憶が影響したのか、自分もブルーも、まるで無いのが好き嫌い。
それもなんだか寂しいものだし、旅をしようと約束した。
「これは流石に不味くて食えん」と音を上げるものや、とびきり美味しいものを探しに。
世界中を旅するつもりだけれども、この地域からでも出来そうな感じ。
郷土料理を食べに出掛けて、二人揃って降参するとか。
(不味い、ってのもあるらしいしな?)
友人や同僚たちが揃って、「あれは駄目だ」と嘆く料理を幾つも聞いた。
「地元のヤツらは好きなんだろうが、どうにも駄目だ」と。
けれど、その料理を食べて育った人には美味しい料理。
他の場所や地域に引越しをしても、生まれ故郷に帰った時には…。
(一目散に食いに出掛ける料理で…)
まさしく郷土料理というヤツ、それが無ければ始まらないのが故郷での食事。
遠い星へと引越しをしても、地球に来た時は食べるのだろう。
「あれを食わねば」と故郷に急いで、「来て良かった」と笑顔になって。
きっと、そのために余裕を持たせてある日程。
地球での用事は一日くらいで済むにしたって、故郷の懐かしい料理を食べにもう一日。
人によっては二日とか。
もっと欲張って、三日とか、一週間だとか。
(飯だけじゃなくて、景色ってヤツも…)
たっぷり楽しみたいだろう。
遠い星へと引越したならば、余計に素敵だろう故郷。
「此処で遊んだ」と野原を歩いて、川遊びや山登りなんかもして。
生まれ育った土地の料理や、菓子などを思う存分食べて。
帰る時には、山ほど買っていそうな土産。
「これなら充分、日持ちするから」と、故郷の味を鞄に詰めて。
そんなトコだな、と考える郷土料理の豊かさ、それに「お国自慢」。
自分だったらどうだろうかと、真っ先に何を食べるだろうかと。
(…まずは、宇宙から地球を眺めてだ…)
あそこが故郷(くに)だ、と見詰める日本。
ぐんぐん近付く青い水の星、着陸態勢に入ってゆく船。
その中で胸を弾ませるのだろう、いったい何を食べようかと。
一番最初は何にしようかと、それを食べたら、あれもこれも、と。
(鍋も食いたいし、他にも色々…)
季節によっても変わるもんだし、と幾つも料理を挙げてゆく内にハタと気付いた。
今の自分の故郷は地球で、日本と名乗っている地域。
日本の中でも、四季のバランスが取れた所で、雪国でもなくて、南国でもない。
(丁度、真ん中といった辺りで…)
高すぎる山も聳えていないし、まさしく「住めば都」だけれど。
「ご出身は?」と尋ねられたら、「日本です。…地球の」と当然のように答えるけれど…。
(俺の故郷は、地球だってか!?)
それにブルーも、と見開いた瞳。
前の生では、懸命に地球を目指したのに。
ブルーが途中で命尽きた後も、地球へ行かねばと、それだけを思って生きたのに。
(なんてこった…)
今じゃ地球生まれの、地球育ちってヤツじゃないか、と見詰めてしまった自分の手。
地球で生まれて育ったのだし、生粋の地球の人間な自分。
(…古典の世界じゃ、地球で産湯を使ったってヤツで…)
俺もブルーも、と驚かされた今の現実。
いつの間にやら、地球が故郷になっていたから。
自分もブルーも地球育ちだから、地球で生まれた人間だから。
(大いに誇って良さそうだな、これは…)
今の俺たちは地球育ちだぞ、と。
俺もブルーも故郷は地球だし、青い地球で生まれて育ったんだ、と…。
俺の故郷・了
※自分の故郷は地球だった、とハタと気付いたハーレイ先生。日本以前に、地球なのです。
前の生では辿り着こうとしていた星。其処が今では故郷というのが凄いですよねv
(今日は、ちょっぴり足りないんだけど…)
ぼくの紅茶、と小さなブルーがついた溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
仕事の帰りに寄ってくれるかと思った恋人、ハーレイが来てくれなかった日に。
とっくに夜で外は真っ暗、後は眠るしかない時間に。
(水分は足りてるんだけど…)
喉が渇いたとも思わないから、水差しを持っては来なかったけれど。
でも足りないよ、と思うのが紅茶。
香り高い熱い紅茶が足りない。
(…冷めちゃってる時もあるけれど…)
ハーレイとの話に夢中になる間に、カップの中で冷めてしまって。
ポットから注ぎ入れた時には、火傷するほどに熱くったって。
けれど冷めても美味しいのが紅茶、向かいにハーレイさえいれば。
「おい、冷めてるぞ?」と鳶色の瞳が笑っていれば。
慌ててコクリと飲んだ紅茶が冷たくても、まるで気にならない。
熱かったらもっと美味しいのに、と後悔することも無いのが紅茶。
ハーレイと一緒だったなら。
この部屋の窓辺に置かれた椅子とテーブル、其処で二人で飲んでいたなら。
(紅茶、とっても美味しいのに…)
それに満ち足りた気分になるのに、今日は来てくれなかった恋人。
だから足りない、好きな紅茶が。
ハーレイと二人で飲める紅茶が、いつも二人で飲む飲み物が。
母が運んで来てくれる紅茶、ポットにたっぷり、おかわりの分も。
熱い間も、冷めてしまっても、とても美味しく飲めるのが紅茶。
ハーレイはコーヒー党だけれども、ちゃんと紅茶に付き合ってくれる。
チビの自分はコーヒーが苦手で飲めないから。
ハーレイもそれを知っているから、部屋で二人で飲むなら紅茶。
それが足りない、今日の自分。
喉は乾いていないけれども、紅茶がちょっぴり足りない気分。
ハーレイが来てくれなかった分だけ、二人で飲み損なった分だけ。
(…カップに二杯は足りないよ…)
もっと足りない気もするけれど、と数えるいつものティータイムの紅茶。
仕事の帰りにハーレイがチャイムを鳴らしてくれたら、母が運んで来る紅茶。
ポットにたっぷり、「ごゆっくりどうぞ」と。
熱い紅茶をカップに一杯、最初のは母がポットから注いでゆくけれど。
(ママが部屋から出てった後は…)
おかわりの紅茶を淹れるかどうかは、ハーレイと自分の気分次第。
その日の話の弾み具合で、まるで要らない日もあるし…。
(おかわり気分の時だって…)
冷めちゃった、と慌てて飲んで、代わりにポットから熱いのを。
「ハーレイも飲む?」と注ぐ日もあるし、ハーレイに「飲むか?」と尋ねられる日も。
おかわりの紅茶をカップに淹れたら、暫くの間は湯気を立てるカップ。
ポットの紅茶は冷めていないし、まだ充分に熱いから。
(火傷しそうなほどじゃないけど…)
それでも熱い、と言えるおかわり。
二杯目をカップに注いだ日ならば、其処で紅茶は二杯になる。
ハーレイと二人で飲む紅茶。
あれこれ話して、時には笑い合ったりもして。
二杯、と指を折ったのが紅茶。
今日は二杯目も無かったよ、と。
二杯目どころか一杯目だって、ハーレイと飲んでいないんだけど、と。
(…後は食後で…)
たまにコーヒーの日もあるけれども、夕食の後も大抵は紅茶。
それもハーレイと二人で部屋で飲めるから、食事の前に二杯飲んでいたなら、三杯目。
やっぱり足りない、今日の紅茶は。
二人でゆっくり飲んだ時には、三杯目だって飲めるのに。
今日の紅茶は足りてないよ、と零れる溜息。
こうして数を数えてみたなら、本当に足りていないから。
ハーレイと二人で飲める筈の紅茶、いつも幸せ一杯の紅茶。
それが足りない、三杯分も。
少なめに数えて二杯分でも、飲めなかったハーレイとの紅茶。
もしもチャイムが鳴っていたなら、それだけの紅茶が飲めたのに。
ハーレイと二人で幸せ一杯、熱い紅茶でも冷めた紅茶でも、もう最高の飲み物なのに。
(…うんと幸せな味なんだよ…)
喉を滑ってゆく紅茶。
冷めていたって、向かいに座ったハーレイの笑顔。
それだけで美味しくなる紅茶。
すっかり冷めた紅茶を飲んだら、カップが空になったなら…。
「ハーレイも飲む?」とポットを手にして、熱い紅茶のおかわりを。
そうでなければ、ハーレイが「飲むか?」と尋ねてくれる紅茶のおかわり。
「紅茶、すっかり冷めちまったぞ?」と、「飲むなら、俺が淹れてやろう」と。
ハーレイがポットに手を伸ばしたなら、コクリと頷いて飲む紅茶。
冷めて冷たくなった紅茶を、カップが空になるように。
熱い紅茶を、ハーレイが注ぎ入れられるように。
(ハーレイ、紅茶のポットだって…)
とても上手に扱って注ぐ。
チビの自分は母のようにはいかないけれども、ハーレイの方は母に負けない。
コーヒー党だと聞いているのに、家ではコーヒーを飲む筈なのに。
(きっと、ハーレイのお母さん…)
紅茶のポットの扱い方を、ハーレイに教えた先生は。
「こう淹れるのよ」と、茶葉の扱いだって。
何処から見たって、ハーレイの手は慣れているから。
紅茶のおかわりがたっぷり入ったポットを持つのも、そのポットから注ぐのも。
いつでも慣れた手つきだから。
紅茶を好んで飲む人のように、滑らかに手が動くから。
ホントに凄い、と思うハーレイ。
コーヒー党なのに、好きな飲み物はコーヒーなのに、紅茶も上手に淹れるハーレイ。
茶葉が入った缶を渡したなら、鮮やかに淹れてしまうのだろう。
「ふむ…」と淹れ方を確認して。
茶葉によって変わる、蒸らすための時間。
その茶葉だったらどのくらいなのか、茶葉の種類を確かめて。
(スプーンで掬って…)
ポットに入れたら、沸かしたばかりの熱いお湯。
それを注いで、見極める時間。
頃合いになったら、「よし」と紅茶を、温めてある別のポットへと。
そうでなければ、紅茶がそれ以上濃くならないよう、引き上げてしまって捨てる茶葉。
(淹れ方、色々あるみたいだけど…)
濃くなって来たら差し湯をするとか、色々と。
この部屋でハーレイと紅茶を飲む時は、差し湯が要らない紅茶が届く。
テーブルの上が狭くならないよう、差し湯用のジャグやポットが要らないように。
母がどういう淹れ方をするか、いつも自分は見ていないけれど。
(…ハーレイだったら、分かっちゃうよね?)
紅茶も上手に淹れられるのだ、と慣れた手つきで分かるから。
とても大きな褐色の手は、紅茶のポットの扱いにも慣れているのだから。
(…ハーレイ、ホントに凄すぎるよ…)
料理の腕もプロ級だしね、と思い浮かべたお弁当。
財布を忘れて登校した日に、御馳走になったハーレイの手作り豪華弁当。
「クラシックスタイルなんだぞ」と自慢していた、日本風。
(あんなのも、作れちゃうんだし…)
おまけに紅茶も上手に淹れる。
ハーレイの母が仕込んだのだろう、料理の腕はそうだから。
お菓子作りも、そうらしいから。
「パウンドケーキだけは上手くいかん」と、ハーレイは言っているけれど。
「おふくろと同じ味には焼けん」と、何度も聞いているけれど。
そのハーレイと飲めなかった紅茶、今日は二人で飲み損ねたお茶。
チャイムが鳴らなかったから。
仕事の帰りに寄ってくれずに、そのまま帰ってしまったから。
(紅茶、三杯分も足りない…)
二杯分かもしれないけれど、と思い浮かべる恋人の顔。
来てくれていたら、二人で紅茶が飲めたのに。
幸せを溶かし込んだ飲み物、冷めていたって美味しい紅茶。
ハーレイの笑顔があるだけで。
二人で紅茶を飲んでいられるというだけで。
(…足りないよ、紅茶…)
おやつの時間に飲んだけれども、それでは足りない。
ハーレイと飲む幸せな紅茶が足りない、二杯も、もしかしたら三杯分も。
(いつもハーレイと飲んでるのに…)
今日は足りない、と悲しい気分。
喉は乾いていないけれども、足りない紅茶。
いつもの紅茶が足りていないと、ハーレイと飲めなかったから、と。
(…どんな紅茶でも、気にしないのに…)
冷めていたって、気にしないどころか美味しい紅茶。
ハーレイと二人で飲んでいたなら、テーブルを挟んで向かい合わせに座っていたら。
「飲むか?」と注いで貰ったりして。
「ハーレイも飲む?」と、ポットから注いでみたりして。
その幸せな時間が無かった、いつもの紅茶が足りない今日。
三杯分も足りていないよ、と溜息を零したのだけど…。
(…三杯分…?)
一杯分でも多すぎるくらい、と気付いた紅茶。
今の自分には「いつものこと」でも、それは奇跡の一杯なのだと。
ハーレイも自分も生まれ変わりで、時の彼方で失くした命。
しかも自分は独りぼっちで、ハーレイの温もりさえも失くして。
(…紅茶なんかは、もう飲めなくて…)
会える筈もなかった、愛おしい人。
もうハーレイには二度と会えないと、泣きながら死んだソルジャー・ブルー。
それが自分で、其処で失くしてしまった命。
なのに再びハーレイに会えた、この地球の上で。
また巡り会えて、二人で飲んでいる紅茶。
ハーレイが訪ねて来てくれた日には、平日にだって、二杯、三杯と。
(…一杯分でも、夢みたいな奇跡…)
足りないなんて言っちゃ駄目だ、と分かったから。
いつもの紅茶は奇跡なのだ、と気付かされたから、もう溜息はつかないでおこう。
今日は二杯も足りなくても。
三杯分も足りなかったとしたって、一杯でさえも奇跡の紅茶なのだから…。
いつもの紅茶・了
※今日は足りない、とブルー君が溜息を零した紅茶。ハーレイと二人で飲んでいないよ、と。
けれども、二人で紅茶を飲めることが奇跡。それに気付いたら、溜息はもうつけませんよねv
(うん、この一杯が美味いってな)
落ち着くんだ、とハーレイが傾けた熱いコーヒー。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
いつものように淹れたコーヒー、愛用しているマグカップに。
こうして書斎で飲むこともあれば、ダイニングで飲むことだって。
気分次第で変わる場所。
けれど落ち着く、コーヒーの味。
何処で飲んでも、ふわりとほどけてゆく心。
いつもの習慣、リラックスするための夜の一杯。
(コーヒーってヤツは、少数派なのかもしれないが…)
普通は酒か、と浮かべた苦笑。
自分くらいの年の男性なら、夜はコーヒーよりも酒かも、と。
もちろん、酒も好きだけど。
酒を飲む夜もあるのだけれども、これが性分。
夜の一杯、いつも飲むなら酒よりコーヒー、そういった主義。
(…酒も美味いんだが…)
職業柄ってヤツだよなあ、と思うのが酒。
夜も頑張って勉強する生徒、この時間ならばいてもおかしくはない。
(俺の授業の方じゃなくても…)
古典で宿題を出していなくても、テストの予定がまるで無くても、科目は色々。
明日にテストを控えた生徒や、宿題の山と戦う生徒。
けしていないとは言い切れないから、自分が酒を飲むというのは…。
(ちょっぴり後ろめたいってな)
毎日、飲むとなったなら。
たとえ一日に一杯限りと決めていたって、毎晩ならば。
生徒は勉強中だというのに、自分は酒。
申し訳ない気分がするから、毎晩飲むならコーヒーの方。
コーヒーだったら、眠気覚ましに飲む人だって多いもの。
朝食の時にコーヒーを一杯、それでシャキッと目を覚ます人も多い飲み物。
夜遅くまで仕事や勉強となれば、其処でも登場するコーヒー。
眠くなったら眠気覚ましに、「コーヒーでも飲んで頑張ろう」と。
(そういうヤツらも多いわけだし…)
コーヒーだったら問題無し、と傾けるのが夜の一杯。
酒の方なら、人によっては訪れる眠気。
そうならなくても、気が大きくなる人もいる。
(俺だったら、そうはならないんだが…)
グラスに一杯飲んだ程度では、全く酔いはしないから。
二杯、三杯と重ねてみたって、どちらかと言えば至って正気。
よほどでなければ酔いはしないし、損なタイプと言うかもしれない。
友人や同僚、彼らと一緒に飲みに出掛けたら…。
(…俺だけ、しっかり正気だってな)
あれはつまらん、と零れる溜息。
皆が陽気に歌い出しても、其処で一人だけ置き去りだから。
肩を組んでの懐かしの歌も、自分だけが帰れない過ぎ去った昔。
他の友人は、学生時代に戻っているのに。
同僚だったら青春気分で、心は時間を遡ってその頃に戻っているのに。
(…酒はそういう飲み物だしなあ…)
だから生徒に申し訳ない気分になるのが、酒というもの。
「俺は酔わない」と分かっていたって、同じ量で酔う人はいるから。
酒というものに弱い人なら、僅かでも酔ってしまうから。
(気が大きくなる方に行ったら…)
何の根拠もなく「大丈夫だ」と思いがち。
早めに準備を始めた方が、と酒を飲む前には分かっていたって…。
(準備なんぞはしなくてもいい、と思っちまうのが酒らしいしな?)
そして後から困ることになる、準備など出来ていないから。
酒を飲む前にやっておいたら、そういうことにはならないのに。
眠くなったり、大きな気分になってしまったり、生徒には勧められない酒。
年齢的にも無理だけれども、生徒たちは酒を飲めないけれど。
(二十歳までは禁止だ、禁止)
酒の入った菓子がせいぜい、というのが自分の教え子たち。
一番上の学年だって、卒業の時は十八歳。
酒が飲める生徒はいない学校、義務教育の最終段階。
生徒たちは酒を飲めないけれども、飲むような者もいないけれども。
(…あいつらが酒を飲んじまったら…)
宿題は出来はしないだろう。
明日のテストに向けての勉強、それだって。
眠ってしまうか、気が大きくなって「大丈夫だ」と宿題を放り出すか。
陽気な気分になってしまって、勉強の代わりに歌い出すとか。
(…でもって、次の日に思い切り後悔するってな)
昨夜はどうして飲んだのだろうと、一杯の酒を。
あれさえ無ければ、きっとテストの点数はもっとマシだろうに、と。
宿題の方も、「出来ていません」と項垂れるしかない。
提出を求められたなら。
あるいは名指しで「これの答えは?」と訊かれたなら。
(とんでもないことになるのが、酒ってヤツで…)
その辺もあってコーヒーなんだ、と大きなマグカップを傾ける。
こっちだったら眠気覚ましで、生徒が飲んでも大丈夫だから。
宿題や勉強を放り出さずに、頑張って続けられるから。
(…まさに今頃、飲んでる生徒もいそうだってな)
明日が提出期限の宿題、それが全く出来ていない、とコーヒーを飲んで遅くまで。
テストに向けての勉強の方も、やっている子もいるだろう。
(昼間にウッカリ遊びほうけて、ピンチなヤツだ)
計画的に出来る子だったら、とうに仕上げて眠っているから。
宿題にしても、テスト勉強にしても、出来る生徒は早めにしておくものだから。
(…あいつも、そういうタイプだよなあ…)
寝てはいなくても、コーヒーなんぞに頼っちゃいない、と思い浮かべた恋人の顔。
前の生から愛したブルー。
十四歳にしかならないブルーは、生まれ変わって帰って来た。
前のブルーが焦がれた地球に、今の自分が住んでいるのと同じ町へと。
五月の三日に再会するまで、互いに気付いていなかったけれど。
この町に恋人が住んでいることも、前の自分がどういう名前だったのかも。
そうして出会った小さなブルーは優等生。
成績はトップクラスなのだし、宿題やテスト勉強などには…。
(追われちゃいないな、コーヒーに頼るほどにはな?)
自分のペースで早めに仕上げて、夜はぐっすり眠る筈。
無理に目を覚まして頑張らなくても、ブルーだったら充分に出来る。
コーヒーなんかを飲まなくても。
眠気覚ましに熱いコーヒー、それで頭をシャッキリと、と宿題の山に向かわなくても。
(余裕だ、余裕)
酒を飲んでも大丈夫だぞ、と今のブルーに重ねてみる酒。
まだまだ飲めない年だけれども、それを飲んでも問題無し、と。
眠くなっても、宿題は出来ているのだから。
陽気な気分で歌い出しても、テストに向けての勉強はとうに済んでいるから。
(…そういう生徒ばかりだったら、俺だって苦労しないのに…)
ブルーみたいなのが例外なんだ、と分かっているのが教師生活。
生徒は宿題を嫌がるものだし、忘れて来るのもありがちなこと。
テスト勉強の方にしたって、何日も前から予告したって…。
(ヤツらにとっては、抜き打ちテストと同じだってな)
どうせ前日まで、勉強しないでいるのだから。
明日はテストだ、と気付いてようやく始める勉強。
生徒によってはコーヒーを飲んで、「今からやって間に合うだろうか」と。
もう一時間ばかり頑張ったならば、マシな点数が取れるかも、と。
コーヒーを飲んで戦う生徒。
自業自得な結果とはいえ、宿題の山やテスト勉強に立ち向かってゆく戦士たち。
きっと今夜もいるだろうから、自分も酒は飲まずにコーヒー。
(…もっとも、俺はコーヒーくらいじゃ…)
眠気覚ましになりやしないが、とクックッと笑う。
リラックスした夜のひと時、それのお供がコーヒーなだけ。
眠れなくなったら本末転倒、ぐっすり眠るための一杯。
心がほぐれてゆくのがコーヒー、いつもの一杯、気に入りの場所で。
書斎だったり、ダイニングだったり、その日の気分で決めて、ゆったり座って。
(…こいつが実に…)
美味いんだよなあ、と味わう内に気付いたこと。
途端に噴き出しそうになったコーヒー、一気に笑いがこみ上げたから。
今の自分の勘違いなるもの、それがとんでもなく可笑しかったから。
(おいおいおい…)
コーヒーを飲んで頑張るも何も、と浮かんだ小さなブルーの顔。
あいつはコーヒーが駄目だったんだと、前のあいつも苦手だった、と。
(…今のあいつも、欲しいと強請りはするんだが…)
飲んでみようと頑張ってみては、敗退するのが苦いコーヒー。
前のブルーも全く同じで、コーヒーには砂糖をたっぷりと入れて、甘いホイップクリームまで。
(それに、酒だって…)
全く飲めなかったっけな、と止まってくれそうもない笑い。
とても優秀な生徒のブルーは、コーヒーどころじゃなかったんだ、と。
前のブルーも、コーヒーも酒も駄目だったよな、と。
(どっちも忘れていられるくらいに…)
今は新しい人生ってこった、と笑いながらも気分は乾杯。
青い地球の上、ブルーと生きてゆく人生に。
酒ではなくてコーヒーだけれど、乾杯の相手もいないのだけれど、「今の人生に乾杯だ」と…。
いつもの一杯・了
※ハーレイ先生のお気に入りのコーヒー、夜の一杯。お酒ではなくてコーヒーな主義。
ブルー君のことを想っていたのに、勘違い。ブルー君、お酒もコーヒーもまるで駄目なのにv
(目が覚めちゃった…)
こんな時間に、と小さなブルーが瞬かせた瞳。
枕元にある目覚まし時計が指している時間、それを眺めて。
薄暗いとは思ったけれども、もう少し遅いような気がしていたのに。
曇った日ならば、そういう朝もあるものだから。
(…ワクワクし過ぎちゃってたの?)
今日は土曜日、ハーレイが来てくれると分かっている日。
弾む心で目覚ましをかけた昨日の夜。
学校は休みでも、寝坊しないで早めに起きて、と。
部屋をきちんと掃除して待とうと、ハーレイがやって来るのを窓から見ようと。
(だけど、早すぎ…)
よく見回したら、薄暗いどころか暗いと言ってもいいほどの部屋。
カーテンがほんのり明るいだけで、窓の外はきっと、太陽さえも昇っていない。
夜が明ける前の薄明り。
まだ地平線の下に隠れた太陽、それが届ける朝の先触れ。
時計の針も、そういう時間を指していたから。
夜明けが早い夏ならともかく、今の季節は日の出も遅くなりつつあるから。
(ママだって起きていないよ、まだ…)
こんなに早い時間では。
それに土曜日、父も仕事に行かない日では。
(起きて行っても…)
きっとガランとしたダイニング。
トーストが焼ける匂いもしなくて、卵料理を作る匂いも。
父の朝食にと母が添えている、ソーセージやベーコンを焼く匂いだって。
人影も無くて、テーブルだけ。
カーテンだってまだ閉めたままで、新聞だって…。
誰も取りには行っていないから、テーブルの上は空っぽの筈。
庭で咲いた花を生けた小さな花瓶が、真ん中にポツンとあるだけで。
起きて行ったら、何かあるならいいけれど。
沢山食べられはしない朝食、それがあるならいいのだけれど。
(…トースト、ぼくが下手に焼いたら…)
焦げちゃうんだよ、と無い自信。
普段、自分で焼いていないから、「このくらい」と分からない加減。
ほんの少しだけ目を離した隙、その間にすっかり焦げそうなパン。
(それに、ホットケーキ…)
もしかしたら今朝は、母はホットケーキな気分になるかもしれない。
休日なのだし、せっかくだから、と。
チビの自分の胃袋に合わせて、小さめに焼いてくれるそれ。
「一枚だけより、この方がいいでしょ?」と、小さいのを二枚、お皿に重ねて。
焼き立てのホットケーキにポンと乗っけるバター。
それにたっぷりのメイプルシロップ、焦げたトーストより、断然、そっち。
(ぼくがトースト、焦がしちゃってたら…)
母は焼き直してくれるだろう。
「ママを起こせば良かったのに」と言いながら。
トーストを食べたいみたいだから、とホットケーキな気分も消えて。
そうなったとしたら、とても残念。
(ホットケーキな気分かどうかは、分からないけど…)
残しておきたい可能性。
自分で下手にトーストを焼いて、焦がして消してしまうよりかは。
まだカーテンさえ開いていない時間、そんな時間に一人で出掛けて失敗よりは。
(…ホットケーキ…)
それが駄目でも、こんがりキツネ色のトースト。
いつもの母の朝食がいい。
父も揃ったテーブルがいい。
薄明るいだけの、カーテンも閉まったダイニング。
其処へ一人で下りてゆくより。
このままベッドにいよう、と決めた。
眠気は戻って来ないけれども、顔を洗っても着替えても…。
(すること、何も無いもんね?)
せいぜい本を読むくらい。
何度も時計の針を眺めて、「まだ早すぎ」と考えながら。
「ママだって、まだ起きて来ないよ」と、「パパもぐっすり寝てる筈だよ」と。
母が起きたら、階段を下りる音がするから。
トントンと下りる軽い足音、それが聞こえて来る筈だから。
(…ホントに早く起きすぎちゃった…)
きっと心が弾んでいたせい。
今日は土曜日、ハーレイと一日過ごせる日だ、と。
「早く明日にならないかな」と、胸を高鳴らせて寝たものだから。
夢の中できっと、目覚まし時計が鳴ったのだろう。
全く覚えていないけれども、そういう幸せな朝が来た夢。
(だからパッチリ目が覚めちゃって…)
身体もシャキッと起きてしまって、ハーレイを待つ準備は万全。
もちろん、心と身体だけが。
着ているものはパジャマのままだし、顔だって洗っていないまま。
今、ハーレイがやって来たって、迎える準備は出来ていないも同然の自分。
病気でもないのに、パジャマだなんて。
顔も洗わずに寝ているだなんて、何処から見たって無精者。
けれども心と身体はシャッキリ起きているから、少し悲しい。
せっかく早く起きたというのに、時間を無駄にする自分。
ハーレイが来てくれる日なのに。
それに備えて何かしたいのに、一人ではトーストも焼けないから。
たとえトーストが焼けたとしたって、時間が早く流れはしない。
ハーレイは早くやっては来ないし、何処かでぽっかり空いてしまう時間。
本を読むとか、新聞だとか、そういった時間つぶしだけ。
無駄になっちゃった、と思う早起き。
ベッドから出ても時間つぶしに本を読むだけ、たったそれだけ。
ハーレイの家が隣だったら、「もう起きたよ」と合図出来るのに。
部屋の窓から手を振って。
きっと早起きだろうハーレイ、朝一番にはジョギングをしたり、ジムに行ったり…。
(してる日だって、あるんだよね?)
そう聞いているから、隣同士なら、そのハーレイに手を振れる。
「ぼくは起きてるから、早く帰って家に来てね」と。
ジョギングに行こうとしているのならば、「頑張ってね」と応援だって。
(走って行くのも見送れるのに…)
どうして隣じゃないんだろう、と零れてしまった小さな溜息。
ハーレイの家が隣だったら、こんな朝には便利なのに、と。
(お隣さんなら、いつだって…)
合図出来るよ、と考えていたら、不意に掠めた自分の記憶。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が生きていた頃。
(お目覚めですか、って…)
優しく聞こえたハーレイの声。
目覚ましよりも早く起きたら、いつだって。
気配で気付いて起きてくれたのか、尋ねてくれた優しいハーレイ。
「もうお目覚めになったのですか?」と、「お身体の具合は如何ですか」と。
具合が悪くて目覚めることもあったから。
熱があるとか、喉がちょっぴり痛かったとか。
(だから、ハーレイ…)
大丈夫かどうか、いつも覗き込んで確かめてくれた。
ただぽっかりと目が覚めたのか、そうではなくて病気なのかと。
(平気だよ、って返事したら…)
穏やかな笑みが返って来た。
「良かったです」と、「まだお休みになられますか?」と。
そうやって二人、早く目覚めてしまった日。
青の間にあった目覚まし時計が鳴るよりも早く、二人揃って起きた朝には…。
(時間、無駄にはならなかったよ…)
眠り直しはしなかった。
ハーレイはそれを勧めたけれども、「起きていたいよ」と強請った自分。
「このまま君と起きていたい」と、たまには二人で朝もゆっくり、と。
普段だったら、そういう時間は持てないから。
目覚ましの音で起きた後には、戻るしかなかったお互いの立場。
前の自分は、皆を導くソルジャーに。
ハーレイの方は、シャングリラの舵を握って立つキャプテンに。
起きたらシャワーを浴びて着替えて、すっかりソルジャーとキャプテンの姿。
朝食は二人で食べられたけれど、恋人同士の会話も充分出来たけれども…。
(でも、ソルジャーとキャプテンなんだよ…)
二人きりで過ごすベッドと違って、同じに二人きりでも違う。
瞳に映る互いの姿は、ソルジャーで、それにキャプテンだから。
ただのブルーと、ただのハーレイ。
そういう姿は見えはしなくて、ソルジャーとキャプテンがいたのだから。
(…起きてしまったら、そうなっちゃうから…)
ベッドから出ずに二人で過ごした。
愛を交わしはしなかったけれど、「おはよう」のキス。
それから目覚まし時計が鳴るまで、他愛ない話や、色々な話。
「地球を見たいな…」と夢を語ったり、「いつかね…」と未来の夢を描いたり。
白いシャングリラが地球に着いたら、あれもしたいと、これもしようと。
二人一緒に色々なことを、誰にも遠慮は要らないからと。
(地球に着いたら、恋人同士なことだって…)
もう知られてもかまわない。
ソルジャーもキャプテンも要らなくなるから、二人の仲を明かしてもいい。
そして二人で旅に出るとか、山ほどの夢を話した時間。
早く目覚めてしまったら。
目覚まし時計よりも、早く起きたら。
(…ハーレイ、いつも側にいてくれたのに…)
こんな朝には、時間のオマケがついて来たのに、と零れる溜息。
どうして今は駄目なんだろうと、ハーレイの家は隣に建ってはいないのだろうと。
とても残念でたまらないけれど、そのハーレイ。
今日は土曜日で、来てくれるから。
二人きりで一日過ごせるのだから、思い切り甘えてしまおうか。
「やっと会えたよ」と、「うんと沢山待ったんだよ」と。
大きな身体に飛び付くように抱き付いて。
(君に会える日なんだもの…)
ちょっぴり早く起きすぎたけど、と眺める時計。
待った分だけ、今日はハーレイに甘えたい。
まだまだ会えはしないから。
前の生なら得をした分の時間なのだし、その分、たっぷり甘えてみたい気分だから…。
君に会える・了
※早すぎる時間に目覚めてしまったブルー君。朝御飯も自分で作れないのに。
ベッドにいる間に思い出したのが前の生。ハーレイ先生に甘えたくなったようですねv