(明日はあいつに会いに行けるな)
もう間違いなく会えるんだ、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー片手に。
(…暫く寄れなかったしなあ…)
上手くいかなかったスケジュール。
学校の帰りに立ち寄れなかったブルーの家。
(立ち寄るどころか、居座るんだがな?)
門扉の横のチャイムを押したら、そのまま夜まで。
最初はブルーの部屋に通され、テーブルを挟んで二人でお茶。
ブルーの母が焼いたケーキや紅茶などで。
食の細いブルーの分は、小さめの菓子になるけれど。
(あいつ、帰ったらおやつを食べているからなあ…)
それが小さなブルーの習慣、学校から家に戻ったら、おやつ。
「食べない」という選択肢は持っていないのがブルー。
(…俺が必ず寄るとは限らないからな?)
「一緒に食べよう」と待っていたなら、食べ損ねる日も多そうなおやつ。
だから一足お先におやつで、その後に自分が訪ねて行ったら…。
(あいつの菓子は小さめなんだ)
そうでなければ量が少なめ、そういった感じ。
ケーキだったら小さく切られて、クッキーなどなら少なめの量。
それでも必ず出て来る菓子。
自分はペロリと平らげるのだから、ブルーの母は「どうぞ」と出す。
来客なのだし、当然のように。
時には「好物でらっしゃいましたわね?」とパウンドケーキを。
もちろんブルーも欲しがるわけだし、ブルーの分は小さめで。
ティータイムをのんびり過ごした後は…。
「今日はこれで」と帰りはしない。
お茶が済んだら、お次は夕食。
ブルーの両親も一緒のテーブル、一階のダイニングに出掛けて行って。
いつの間にやら、出来ていた決まり。
仕事の帰りに寄った時には、夕食を御馳走になるということ。
一家団欒のテーブルに自分も席を貰って、賑やかに食べて。
食事の後には、出て来るお茶。
テーブルでそのままコーヒーだったり、ブルーの部屋で紅茶だったり。
そんな調子でゆったり過ごして、「またな」と家に帰ってゆく。
(まさに居座るって感じなんだ)
一旦、足を踏み入れたら。
門扉の横のチャイムを鳴らして、ブルーの家へと入ったら。
(そいつがあるから、こう、迂闊には…)
寄れないんだ、と思い返した今週のこと。
仕事の帰りに寄ろうとしたのに、急な会議が入るとか。
柔道部の指導に熱が入って、いつもより遅くなったとか。
(…寄るだけだったら、寄れるんだがなあ…)
車を飛ばして、ブルーの家へ。
「今日はお茶だけでいいですから」と、ブルーの母に断って。
文字通りにお茶だけ、そういう時間。
夕食の時間が訪れる前に、「じゃあな」と席を立てばいい。
「俺も帰って飯にするから」と、「また今度な」と。
けれど出来ない、その選択は。
ブルーの母が止めるだろうから。
小さなブルーも「食べて行ってよ」と言うだろうから。
せっかく訪ねて来てくれたのだし、夕食を、と。
簡単なものしか出来ないけれども、是非どうぞ、と。
そうなるのだと分かっている。
ブルーの両親は、もう最初からそのつもり。
小さなブルーと自分が出会って、守り役ということになった時から。
彼らが愛する一人息子が、ソルジャー・ブルーだと知った時から。
(…恋人同士だったってことは、今も知らないままなんだが…)
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、今の時代は伝説の二人。
白いシャングリラで地球を目指した、初代のミュウたち。
彼らを導き続けた長と、右腕だったキャプテンと。
仲がいいのは当然のことで、積もる話も尽きたりはしない。
それを知るのがブルーの両親、語り合うための時間を作ってくれる。
ブルーと二人で過ごせるようにと、気を配って。
(俺たちが話せる時間ってヤツは、長いほどいいに決まってるしな…)
小さなブルーもそれを望むから、一人息子の願いだから。
ブルーの家を訪ねて行ったら、「立ち寄る」だけでは済まない自分。
玄関先で帰れはしないし、通されるのがブルーの部屋。
そうこうする間に出来てしまうのが夕食の支度、「ご一緒にどうぞ」と。
初めの間は、もう本当に御馳走だった。
豪華なメニューではなかったけれども、来客向けなのが明らかな料理。
「お待ちしていました」といった感じで出された料理。
きっと本当に、きちんと用意をしていたのだろう。
いつ訪ねても、それを作れるように。
日持ちする食材を揃えておいたり、下ごしらえをして保存していたり。
自分も料理をするから分かる。
あれはそういう料理だったと、来客に備えていたのだと。
もしも来ない日が続いたとしても、他の料理に使える食材。
それを幾つも常備していたと、自分が行ったら作り始めていたのだと。
客に出すにはピッタリのものを、テーブルの上で映える料理を。
今の自分は、家族の一員といった扱い。
来客向けの料理の代わりに、普段着の料理が出て来るから。
ブルーの家のいつもの夕食、其処に並ぶだろう料理。
(…そうなったのは嬉しい限りだが…)
やはり今でも、「今日はお茶だけで」とはいかない自分。
小さなブルーが望むから。
ブルーの両親も、息子の願いを叶えたがるから。
(…飯の支度には、遅すぎる時間に寄ったって…)
お茶だけで帰らせては貰えない。
ブルーの母なら、きっと支度を始めるから。
食べる人数が一人増えた分だけ、それを補える料理を何か。
一品増やして、「どうぞ」と迎えられるテーブル。
あるいはシチューの具材を増やして、一人前の量を多くする。
そんな工夫をサッと考え、手早く用意するのだろう。
一人息子が喜ぶように。
「ハーレイも一緒に食べて行ってよ」と、笑顔で夕食に誘えるように。
(…そうなっちまうのが分かってるから…)
寄れずに今日になっちまった、と眺める小さなブルーの写真。
夏休みの一番最後に写した、今のブルーとの記念写真。
(前のあいつとは、こういう写真も撮れなかったが…)
恋人同士だと誰にも明かせないまま、それきりになってしまったけれど。
遠く遥かな時の彼方に、前の自分たちの恋は消えたのだけれど…。
(その代わり、いつでも会えたってな)
会おうと思えば、それこそ仕事の合間にだって。
「ちょっと出て来る」とブリッジを離れて、ブルーの許へ。
口実は何も要らなかったし、いつでも行けた。
ソルジャーの指示を仰ぐキャプテン、そういう立場だったから。
青の間に入って直ぐに出たって、誰も疑いはしなかったから。
(…そうそう、やっちゃいないんだが…)
勤務の途中で抜けること。
ブルーに会おうと、青の間に出掛けてゆくということ。
けれど望めば可能だったし、もちろん夜はいつでも会えた。
誰にも気兼ねしなくて済んだ。
恋人同士だと明かせなくても、会うのは自由だったから。
今の自分とブルーと違って、遠慮しないといけない誰かはいなかったから。
(其処が大いに問題ってヤツで…)
会い損なったぞ、と見詰めるブルーの写真。
学校では顔を見られたけれども、立ち話だってしたのだけれど。
恋人同士で会っていないと、小さなブルーに会えないままだ、と。
(…お茶だけで、っていうのが出来ればなあ…)
それが出来れば、遠慮しないで会えるのに。
学校を出るのが遅くなった日も、ブルーの家に寄れるのに。
ブルーの母の手を煩わせないで済むのなら。
立てていただろう夕食の段取り、それを狂わせずに帰れるのなら。
(しかし、そいつは出来ないわけで…)
俺が寄ったら、どうしても居座ることになっちまうから、と零れる溜息。
申し訳なくて出来はしないのが、そのコース。
ブルーは「来てよ」と言うけれど。
小さなブルーの両親だって、「いつでもどうぞ」と言ってくれるけれど。
(すまんな、ブルー…)
シャングリラのようにはいかないってな、とブルーに詫びる。
写真の中のブルーに向かって、「ごめんな」と。
寂しい思いをさせちまったと、寄ってやれなくて悪かったと。
けれど明日には会えるから。
土曜日なのだし、一日一緒に過ごせるから。
ブルーの写真に向かって微笑む、「明日は会えるな」と。
だから膨れているんじゃないぞと、もう少しだけの辛抱だしな、と…。
明日は会えるな・了
※ブルー君に会い損なっていたらしい、ハーレイ先生。学校で会えても、それっきりで。
明日は訪ねて行けるようです、ブルー君もきっとお待ち兼ね。幸せな土曜日なんでしょうねv
(…ハーレイ、今日はほんのちょっぴり…)
ちょっとしか会えなかったんだけど、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
仕事の帰りに寄ってくれるかと待っていたのに、来てくれなかった愛おしい人。
前の生から愛したハーレイ。
本当に好きでたまらないから、毎日だって会いたいのに。
休日はもちろん、平日だって。
学校がある日も、仕事の帰りに家を訪ねて来て欲しいのに。
そうすれば二人でゆっくり話せて、夕食だって食べられる。
夕食の時は、二人きりとはいかないけれど。
両親も一緒に食べる夕食、一家団欒の席にハーレイ。
(…それでも、先生じゃないハーレイだしね?)
今日は先生にしか会えていないよ、と残念な気分。
聖痕を持った自分の守り役、古典の教師の「ハーレイ先生」。
そっちにしか会えていないんだけど、と。
恋人のハーレイには会えていなくて、教師の方のハーレイだけ。
学校で後姿を見付けて、「ハーレイ先生!」と呼び止めた。
「元気そうだな」と振り向いたハーレイ、優しい笑顔だったけど。
少し立ち話も出来たけれども、今日はそれだけ。
生徒と教師の会話で終わって、恋人同士の会話は無し。
学校の中では、無理だから。
甘い言葉を交わせはしなくて、ハーレイはただ優しいだけ。
「無理をするなよ?」と、「気を付けろよ」と。
今の自分も、前の自分と全く同じに弱いから。
虚弱な身体に生まれて来たから、ハーレイは気を配ってくれる。
学校の中で会った時にも、「無理はいかんぞ」と。
体育の授業がある日だったら、なおのこと。
今日は無かった体育の授業、弱い自分は苦手な時間。
ハードになると分かっている日は、始まる前から見学組。
そうでない日も、出来ない無理。
少し疲れを感じて来たら、其処で手を挙げて抜けるしかない。
弱い身体は壊れやすくて、すぐに寝込んでしまうから。
「大丈夫だよ」と思っていたって、心と身体は別だから。
(…ハーレイにだって、叱られちゃったし…)
体育の授業で無理をし過ぎて、何回も。
「だから何度も言っているのに…」と、叱りながらも心配する顔。
何度もそういう顔をさせたし、野菜スープも作って貰った。
前の自分が好んだスープ。
何種類もの野菜を細かく刻んで、基本の調味料だけで煮込んだもの。
ハーレイが何度も作ってくれた。
前の自分が寝込んだ時には、何も食べられなかった時は。
(…野菜スープのシャングリラ風…)
今はお洒落な名前になった、あまりにも素朴な野菜のスープ。
地球の太陽と光と水とが育てた野菜で、前よりもグンと美味しくなった。
ハーレイがレシピを変えたのだろうか、と思ったほどに。
(だけど、レシピは変えていなくて…)
変わったものは材料の方。
同じ野菜でも全く違った、地球の恵みで育った野菜。
それを使って作っているから、とても美味しい野菜のスープ。
前の自分が好きだった味を、ハーレイは変えていないのに。
白いシャングリラで作っていたのと、少しも変わらないレシピのまま。
野菜を細かく細かく刻んで、ただコトコトと煮込むだけ。
すっかり柔らかくとろけるまで。
野菜の旨味が溶け出すまで。
今の自分も大好きなものが、ハーレイが作る野菜のスープ。
「シャングリラ風」と名を変えたスープ。
好きだけれども、それをハーレイが作る時には、寝込んでしまっているのが自分。
体育の授業で無理をし過ぎたり、具合が悪いのに登校したり。
それの結果が欠席なわけで、ハーレイの心配そうな顔。
「大丈夫か?」と、「明日は学校に来られそうか?」と。
何度もやってしまっているから、学校でハーレイに会った時には…。
(元気そうだな、って…)
言われることが多くなる。まるで挨拶代わりのように。
今日も同じで、穏やかな笑顔だったハーレイ。
学校では「ハーレイ先生」だけれど、恋人のハーレイには会えないけれど。
それでも気遣ってくれるのは分かるし、ハーレイの気持ちも伝わるから。
元気な姿を見られて良かった、と細められた目だけで分かるから…。
(…ちゃんとハーレイには会えるんだけど…)
恋人だからこそ、大切に思われていると。
「ブルー君」と呼んでいたって、それは「ハーレイ先生」だから。
学校の中では教師と生徒で、その関係は崩せない。
いくらハーレイが守り役でも。
平日でも家に来てくれるほどに、親しい存在だとしても。
(…誰にも秘密で、誰にも内緒…)
恋人同士だとは誰も知らなくて、これから先も、当分は秘密。
学校もそうだし、両親にだって。
ハーレイとの恋は秘密にしないと、きっと引き離されるから。
今のように自由に会えなくなって、寂しい思いをすることになってしまうから。
(…ハーレイ先生にだって、会えなくなっちゃう…)
もしも学校に知れたなら。
教師と生徒が恋仲だなんて、学校も困るだろうから。
ハーレイは学校を追われなくても、授業の担当から外される。
チビの自分のクラスで教えられないように。
きっとそうなる、と分かっているから、言えない我儘。
学校でも恋人扱いして、とは。
自分の方でも、ハーレイを恋人扱いはしない。
呼び掛ける時には「ハーレイ先生」、そして敬語で話すこと。
恋人同士だと知られないよう、誰も「変だ」と思わないように。
(…なんだか、似てる…)
ちょっぴり似てる、と気付いた時の彼方の二人。
前の自分と前のハーレイ、白いシャングリラで生きた恋人同士。
常に心は寄り添っていても、想い想われて生きてはいても…。
(…誰にも言えなかったっけ…)
恋をしているということを。
ソルジャーとキャプテン、そういう二人だったから。
白いシャングリラを導くソルジャー、船の舵を握っていたキャプテン。
船の未来を左右するから、どちらの立場もそうだったから…。
最後まで言えはしなかった。
ハーレイに恋をしていたことを。
誰よりも大切な人だったことも、ハーレイと共に生きていたことも。
(…ホントに、最後の最後まで…)
誰にも明かせずに終わった恋。
前のハーレイも、死の瞬間まで隠し続けて、地球の地の底で逝ってしまった。
(だから今でも、誰も知らない…)
気が遠くなるような時が流れて、青い水の星が蘇っても。
ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイ、その名が語り継がれていても。
あくまで初代のソルジャーとしてで、それを補佐していたキャプテン。
たったそれだけ、伝わらなかった本当のこと。
最後まで隠し続けたから。
二人とも、誰にも何も語りはしなかったから。
(…消えちゃった…)
前のぼくたちの恋は今でも秘密、と思い浮かべたシャングリラ。
ハーレイと暮らした白い船。恋をして共に生きていた船。
恋人同士になれた時間は、一日の仕事が終わってから。
ブリッジで勤務を終えたキャプテン、ハーレイが青の間を訪れてから。
まずはキャプテンとしての報告、それをソルジャーとして聞き終えること。
場合によっては質問もしたし、指示を下したことだって。
恋人同士なのだから、と甘えたりはせずに、判断を甘くすることも無く。
必要とあらば厳しい意見も口にしていた、「その件は、改めて皆で検討しよう」とか。
ハーレイが良しと考えていても、船の仲間たちに図るべきなら。
その方がいいと思ったら。
(…だって、ソルジャーだったもの…)
それにキャプテンだったんだもの、と前の自分たちの立場を思う。
恋人同士の感情は抜きで、船の仲間たちが、ミュウの未来が何よりも優先すべきこと。
ハーレイの意見を否定することになろうとも。
逆に自分が口にした言葉、それをハーレイに否定されようとも。
(でも、そういうのが終わったら…)
後は恋人同士の時間で、キスを交わして、愛を交わした。
チビの自分には持てない時間で、とても幸せだったのだけれど。
二人溶け合って、今よりもずっと、満たされた夜を過ごしたけれど…。
(…朝になったら、それでおしまい…)
戻らねばならない、互いの立場。
ソルジャーとキャプテン、誰にも言えない恋人同士。
そういう二人に戻ってしまって、夜が来るまで恋人同士の時間は持てなかったから…。
(いつだって、夜が来るのを待ってて…)
夜が来たなら、一秒さえも惜しかった。
ほんの僅かも無駄にしたくはなかった時間。
次の夜があるとは限らないから。
もしもシャングリラが沈んだならば、次の夜など来ないのだから。
どれほど大事に思っただろうか、あの船で二人で過ごした夜を。
他愛ない話をしていた時にも、それを噛み締めて生きていた。
今はハーレイと二人なのだと、恋人同士でいられるのだと。
明日は無いかもしれないのだから、この夜が少しでも長いように、と。
(…ホントに、何度もそう思ってた…)
この夜がずっと続けばいいと。
溶け合えたままでいられたならばと、いつまでも共にいられたなら、と。
けれど、叶わなかった夢。
夜はいつでも明けてしまって、離れるしかなかった恋人同士。
だから一秒さえも惜しくて、大切な時間だった夜。
常に意識はしていなくても。…忘れていることが多かったとしても。
(だけど、今でも覚えてるんだし…)
そう思った夜が、数え切れないほどにあったのだろう。
何度も繰り返し思ったのだろう、この一秒さえ無駄にしたくないと。
それを思えば、今の自分は…。
(…ハーレイのことは考えてたけど、中身は色々…)
学校のことに、野菜スープに、ハーレイ先生の方のハーレイ。
恋人だけを想っていたとは、言い難いのが現実だから…。
(凄く贅沢…)
同じ夜だけど全然違う、と気付かされたチビの自分の夜。
ハーレイとキスは出来ないけれども、夜を懸命に掴まなくてもいい。
つらつら考え事で潰して、時間が経ってしまってもいい。
今は秘密の恋人同士の二人だけれども、いつか二人で暮らせるから。
その時はいつも一緒なのだし、夜しか恋が出来ないわけでもないのだから。
惜しまなくてもいい時間だから、夜を贅沢に過ごしてもいい。
考える中身がコロコロ移り変わっても、今の自分は何も困りはしないのだから…。
同じ夜だけど・了
※夜につらつら考え事なブルー君。恋人のハーレイに会えなかったとか、他にも色々。
そういう夜は贅沢なのだ、と気付いてしまうと幸せかも。キスが出来ないチビのままでもv
(今日はあいつに会えなかったな…)
本当の意味じゃ、とハーレイが思い浮かべた小さな恋人。
ブルーの家には寄れなかった日、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、夕食の後の寛ぎの時間。
小さな恋人は苦手なコーヒー、「飲むか?」と差し出してやったなら…。
(嫌そうな顔をするんだぞ、きっと)
それとも逆に喜ぶだろうか、「いいの?」と顔を輝かせて。
「ホントにいいの?」と、「ハーレイのだよ?」と。
貰っていいの、と大きなカップを持つかもしれない。
コーヒーはとても苦手なくせに。
こんなに大きなカップに一杯、飲めるわけなどないくせに。
(だが、あいつだしな?)
本当に喜びそうな気もする、「ハーレイのカップ」というだけで。
それにたっぷり満たされたものが、大の苦手のコーヒーでも。
飲んだ途端に顔を顰めて、「苦いよ…」と嘆く羽目になっても。
カップの持ち主が「ハーレイ」だから。
前の生から愛し続けて、今も恋する相手だから。
(チビのくせして、一人前の恋人気取りで…)
何かといったら「キスしてもいいよ?」と言うのが小さなブルー。
唇へのキスを強請るのがブルー。
キスは駄目だと言ってあるのに、何度も叱っているというのに。
「前のお前と同じ背丈に育つまでは駄目だ」と、何度も、何度も。
けれど懲りない小さな恋人、側にいたがる小さなブルー。
だから「飲むか?」と尋ねてやったら、コクリと頷くかもしれない。
まるで飲めなくても、「ハーレイのカップ」を持てるから。
恋人の「お気に入り」に触れる絶好のチャンス、たとえ中身がコーヒーでも。
そういうヤツだ、と唇に浮かべた苦笑い。
十四歳にしかならない小さな恋人、生まれ変わって来たブルー。
今日は学校で顔を合わせただけ、少し言葉を交わしただけ。
「ハーレイ先生!」と呼び止められて。
「元気そうだな」と振り返って。
授業の合間の休み時間に、立ち話だけで終わってしまった。
誰が聞いても「教師と生徒」、そういう二人の会話だけ。
いくらブルーの守り役とはいえ、学校の中では教師だから。
恋人の顔など出来るわけがなくて、「ハーレイ先生」と「ブルー君」。
今日のような日はブルーに会えない、本当の意味で会ってはいない。
(会えたのは、教え子のブルーの方で…)
俺のブルーじゃないんだよな、と寂しい気持ちに囚われもする。
ブルーに会えたのは確かだけれども、恋人のブルーではなかったから。
恋人同士なことを隠して、二人で話していただけだから。
(…なんだか昔を思い出すよな…)
そういう二人がいたんだっけな、と遥かな時の彼方を思う。
遠くに流れ去って行った日々、今は歴史の中の出来事。
青い水の星が蘇る前に、暗い宇宙をブルーと旅した。
いつか地球へと、地球へ行こうと。
白いシャングリラで、ミュウの仲間たちを乗せていた船で。
(…あそこじゃ、誰にも言えやしなくて…)
最後まで明かせなかった恋。
ブルーも自分も、死の瞬間まで隠し通した。
愛おしい人がいることを。
その人と共に生きていることを、その人が世界の全てなことを。
…それが知れたら、おしまいだから。
船の秩序は崩れてしまって、地球を目指せはしないから。
白いシャングリラを導くソルジャー、船の舵を握り続けるキャプテン。
前の自分たちはそういう立場で、シャングリラの命運を左右する者。
恋に落ちたと皆が知ったら、きっとバラバラになるだろう船。
何を言っても、もはや聞いては貰えないから。
「恋人同士で決めたんだろう」と、「自分たちの恋を最優先で」と。
船の進路も、これからのことも。
どんなに真面目に考えてみても、全てを会議で決めていたって。
(…俺やブルーの意見ってだけで…)
きっと色眼鏡で見られてしまって、纏まりはしない仲間たちの心。
ただのソルジャーとキャプテンだったら、皆、従ってくれるだろうに。
船の暮らしに、多少の我慢が要ったとしても。
「すまないが、少し不自由をかける」と言ったとしたって、「いいですよ」と。
それが必要なことならば、と皆が笑顔で応えただろう。
我慢することが未来に繋がるならば。
暫くは不便な日々が続いても、いずれ結果が出るのなら。
(…ジョミーのことでも…)
とんでもない事態になったというのに、誰も怒りはしなかった。
ジョミーを船に迎えたばかりに、戦闘に巻き込まれたのに。
前のブルーは瀕死の状態、船もあちこち壊れたのに。
(…ジョミーに文句を言ったヤツらは多かったんだが…)
ブルーに文句が行きはしなくて、前の自分にも来なかった。
どちらも船を必死に守って、皆の命を守ったから。
シャングリラは沈められたりはせずに、修理を終えて飛び続けたから。
前の自分も、前のブルーも、必要なことをしようとしただけ。
次の時代を担うソルジャー、それを船へと呼び寄せただけ。
ブルーの命が尽きてしまったら、導く者がいなくなるから。
船を地球まで運ぶためには、次のソルジャーが欠かせないから。
(…物凄い暴れ馬だったんだが…)
ジョミーという名の、次のソルジャー。
船の仲間たちが背を向けたほどに、陰口が長く続いたほどに。
金色の髪に緑の瞳の、ブルーが決めた後継者。
彼を責める者たちは多かったけれど、ブルーと自分は責められなかった。
正しい選択をしたのだろうし、悪かったのはジョミーの方。
勝手に船から出て行った上に、好き放題をした結果が船まで巻き込んだ騒ぎ。
それを乗り越えて船を進めたのが、前のブルーと自分だから。
ソルジャー候補を船に迎えて、皆の未来を繋いでゆこうと懸命に努力したのだから。
(…もしも、俺たちが恋人同士だと知れていたなら…)
きっと自分たちも責められただろう。
よくもジョミーを後継者に決めてくれたな、と。
もっと他にもいなかったのかと、どうせ二人で決めたのだろうと。
長老たちにさえ、ろくに相談しもせずに。
彼らが「否」と唱えたとしても、「これでいいのだ」と押し切って。
ジョミーという名のソルジャー候補は、恋を守るのに都合がいいから。
他の者だと「それは…」と眉を顰める所を、大らかな心で「いいと思う」と言いそうだから。
それでジョミーを選んだだろう、と責められたのに違いない。
いつもそうだと、何もかも二人で決めるのだから、と。
実際はまるで違っても。
恋人同士の二人だからこそ、何かと自重していても。
(…だから、最後まで言えないままで…)
秘密のままで終わっちまった、と前の自分たちを思い出す。
恋人同士で会える時間は、いつも夜しか無かったんだ、と。
キャプテンとしての任務を終えたら、一日の報告に出掛けた青の間。
ブルーは其処で待っていた。
いつも、自分が訪れるまで。
ソルジャーの貌を崩しはしないで、キャプテンの報告を聞き終えるまで。
それから後が二人の逢瀬で、恋人同士で過ごせた時間。
引き離されていた昼間の分まで取り返すように、キスを交わして、愛を交わして。
ほんの僅かな時間も惜しくて、抱き締め合っては、溶け合ったのに。
ようやく二人きりになれたと、もう離れないと互いに求め合ったのに…。
(…いつの間にやら、眠っちまって…)
二人きりの夜は終わってしまって、次の日の朝がやって来た。
離れ難いと思っていたって、夜が明けたら、戻らねばならない互いの立場。
恋人同士なことを隠して、ソルジャーに、それにキャプテンに。
どんなに互いを想っていたって、離れねばならなかった朝。
だから、夜だけが大切な時。
互いのことだけを想える時間で、一秒も無駄にしたくない時。
他愛ない会話を交わしていたって、「これは苦いよ」と、ブルーがコーヒーで困っていても。
一瞬、一瞬を噛み締めて生きて、愛おしい人と味わった時間。
こんな夜をまた持てればいいと、明日も一日、無事に終わってくれればいいと。
そうすれば夜が再び巡って来るから、恋人同士で過ごせるから。
(…いつだって、そういう夜だったんだ…)
たとえ自覚は無かったとしても、毎日思いはしなかったとしても。
それでも何度も思ったからこそ、今でも思い出せること。
夜だけが二人の時間だったと、一秒だって惜しかったと。
ほんの僅かな時間でさえも、無駄にしたくはなかったのだと。
(…それが今だと、コーヒーなわけで…)
のんびり一人で飲んでるわけで、と眺めたカップ。
これが寛ぎのひと時なんだ、と自分が淹れた熱いコーヒー。
ブルーの許へと急ぐ代わりに、夕食の後で。
しかも書斎に運んで来た上、自分一人で考え事で。
(…考えてたのは、あいつのことだが…)
それにしたって贅沢だよな、と零れた笑み。
同じ夜でもこうも違うかと、シャングリラの頃とは大違いだな、と。
一秒を惜しんで過ごさなくても、ブルーとの恋は消えてしまいはしないから。
こうして大切に想い続けて、いつか一緒に暮らせる未来を夢見て待てばいいのだから…。
同じ夜でも・了
※ハーレイ先生の寛ぎの時間、夜の書斎でのコーヒータイム。いつもの一杯。
けれど、のんびり一人で過ごせる夜は贅沢、シャングリラの時代に比べたら。驚きですよねv
(ハーレイ、来てくれなかったよ…)
ちょっと残念、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかった恋人、前の生から愛したハーレイ。
会って話をしたかったのに。
大きな身体に抱き付いて甘えて、温もりに酔いたかったのに。
そういう気分だったから。
甘えん坊になりたい気分で、甘やかして貰いたかったのに…。
(来てくれなくって、独りぼっち…)
パパもママもいるけど独りぼっち、と見回した部屋。
両親の部屋は別にあるから、本当に自分一人だけ。
これから夜が更けてゆくのに、もうすぐ灯りも消すというのに。
常夜灯だけを残して、全部。
机の上のも、天井のも。
(ベッドに入っても、独りぼっちで…)
ハーレイは側にいてくれないよ、と悲しい気持ち。
前の生なら、けして一人ではなかったのに。
いつもハーレイが側にいてくれて、眠る時は温かな腕の中。
逞しい胸に身体を預けて、幸せな温もりに包まれていた。
そして降って来た「おやすみなさい」という言葉。
おやすみのキスと一緒に、いつも。
「おやすみなさい、ブルー」と、穏やかな笑みも。
恐ろしい夢を見ないようにと、側で守ってくれたハーレイ。
恋人同士になってからは、ずっと。
前の自分が深い眠りに就いてしまうまで、夜はいつでもハーレイと二人。
青の間に置かれた大きなベッドで、キスを交わして、愛を交わして。
眠る前には「おやすみ」の言葉、「おやすみなさい」と言ったハーレイ。
ソルジャーには敬語で話していたから、「おやすみなさい」と。
今のハーレイが言うのだったら、「おやすみなさい」ではないだろう。
年下のチビに敬語を使いはしないし、「おやすみ」という言葉に変わるのだろう。
前の自分がチビだった頃に、ハーレイがそうしていたように。
部屋に遊びに来てくれた時は、「おやすみ」と告げて帰ったように。
(今のハーレイでも「おやすみ」だよね?)
きっとそうだ、と考える。
その挨拶を耳にしたことはないけれど。
「おやすみ」という言葉でさえも。
たまに病気で休んだりしたら、ハーレイがベッドの側にいてくれて…。
(ゆっくり眠れよ、って…)
額を、髪を、そっと撫でたりしてくれるけれど、大きな手が気持ちいいけれど。
「おやすみ」の言葉を貰えはしない。
見舞いにと寄ってくれたのが仕事の帰りでも。
とうに日が暮れて夜になっていても、「おやすみ」と言ってくれたりはしない。
帰る時には「またな」だから。
それがハーレイの挨拶なのだし、「おやすみ」の代わりに「またな」と出てゆく。
ベッドの住人になった自分に、「またな」と、「ぐっすり眠るんだぞ」と。
しっかり眠って早く治せ、と優しい心は伝わるけれど。
温かな想いに包まれるけれど、「おやすみ」の言葉は貰えない。
ハーレイは自分の家に帰るから、「またな」が相応しい挨拶だから。
「また来るから」という意味の言葉が「またな」。
その「また」が次はいつになるかも、本当の所は分からない。
いくら病気で欠席したって、ハーレイには仕事があるのだから。
毎日見舞いに来られるかどうか、それはハーレイにも分からないから。
「また明日な」という意味で「またな」と言っても、仕事が入れば来てくれない。
会議だったり、顧問をしている柔道部の用事だったりと。
だから「またな」も曖昧な言葉、次がいつかは分からない。
「またな」しか言って貰えないのに。
「おやすみ」とは言ってくれないのに。
その上、自分は独りぼっちで、「またな」も貰えなかった今日。
「おやすみ」の言葉があるわけがなくて、一人、ベッドに入るしかない。
誰も言ってはくれないから。
ハーレイは此処にいてくれないから、側で抱き締めてはくれないから。
(パパとママには言ったんだけどな…)
お風呂から上がって、部屋に戻る前に。
リビングにいた二人を覗いて、「おやすみなさい」と寝る前の挨拶。
「ああ、おやすみ」と返したのが父で、母も笑顔で「おやすみなさい」。
「暖かくして寝るのよ」と。
「夜更かししたら駄目よ?」とも。
(…えーっと…)
こうしてベッドの端に座っていること、それも夜更かしになるのだろうか?
上着も着ないでベッドにチョコンと、そしてつらつら考え事。
「おやすみの言葉が貰えないよ」と、「ハーレイは言ってくれないよ」と。
どうなんだろう、と時計の方に目を遣ってみたら…。
(嘘…!)
いつの間に、と驚くくらいに経っていた時間。
さっきお風呂から戻った時には、時間はもっと早かったのに。
時計の針が指していた時刻、確か自分の記憶では…。
(一時間以上も前だったよ?)
まさか読み間違えはしないし、そんな時間なら、多分、両親に急かされた筈。
「もう遅いから、早くお風呂に入りなさい」と。
お風呂に行くよう促される上、「おやすみなさい」と挨拶をしたら…。
(早く寝なさい、って…)
夜更かしは駄目という注意の代わりに、「早く寝なさい」。
遅い時間だから、直ぐ、ベッドにと。
灯りも消してと、明日も学校があるのだからと。
両親はそうは言わなかったから、要は自分が一人で夜更かし。
上着も着ないでベッドに座って、ハーレイのことばかり考えていて。
(大変…!)
風邪を引いちゃうよ、と入ったベッド。
部屋の灯りも常夜灯だけ、もう眠らないと駄目だから。
いつもだったら眠る時刻で、それよりもまだ遅いくらいの時間。
それに明日もまた学校なのだし、寝不足で欠伸していたら…。
(きっとハーレイに叱られちゃうよ…)
もし見付かったら、欠伸の現場を見られていたら。
「ブルー君」と廊下で呼び止められて。
「さっき、欠伸をしていただろう」と、「俺の授業は退屈なのか?」と。
そういう風に叱られないなら、咎められるのは寝不足の方。
「良くないな」と。
「夜更かしは身体に悪いもんだ」と、「本を読むのも、ほどほどにしとけ」と。
どっちにしたって叱られるわけで、シュンと項垂れるしかないのだろう。
学校の中では「ハーレイ先生」、恋人の「ハーレイ」は何処にもいない。
叱られて肩を落としていたって、けして慰めては貰えない。
「分かったか」と念を押される始末で、「反省しろ」とも言われるだろう。
「何故、叱られたか分かっているな?」と、「分かっているなら、二度とするな」と。
そうなることが分かっているから、上掛けの下で丸まった。
急いで寝なきゃと、寝不足は駄目、と。
(…ホントのホントに、叱られちゃう…)
優しい響きの「おやすみ」の言葉、それの代わりにお説教。
学校で「ハーレイ先生」に叱られた後も、もしかしたら、家でお説教の続き。
ハーレイが仕事の帰りに寄って、「今日のお前の欠伸だがな」と。
「俺の授業で欠伸をするとは、いい度胸だな」と、腕組みまでしてジロリと視線。
そう言わないなら、「健康管理が出来ていないな」と叱られる。
ただでも弱い身体なのだし、気を付けろと。
「夜はしっかり眠ることだ」と、「俺は何度も言った筈だが?」と。
叱られるのも、睨まれるのも、どちらも嫌で悲しいから。
「おやすみ」の言葉が欲しかっただけで、夜更かしのつもりは無かったから。
(…早く寝ないと…)
眠くなって、と自分に向かって頼むのに。
瞼が重くなりますようにと、欠伸も眠気も、と祈るような気持ちでいるというのに…。
(…おやすみ、って言ってくれないから…)
眠れないよ、と恨みたくなる、前の生から愛した人。
此処にいてくれはしないハーレイ、「おやすみ」と言ってくれない恋人。
今の自分には、いつも「またな」で、「おやすみ」は無し。
きっと、大きく育つ時まで。
前の自分と同じに育って、ハーレイとキスが出来る時まで。
(…大きくなっても、ハーレイと一緒に眠る時しか…)
貰えないだろうか、「おやすみ」の言葉。
前の自分が「おやすみなさい」と貰っていたキス、それから言葉。
今度は「おやすみ」になるだろう言葉、眠る前に貰える挨拶とキス。
いつかハーレイと暮らす日までは、貰えないままになるのだろうか…?
(…ありそうだよね…)
別々の家で暮らす間は、婚約したって「またな」とお別れ。
ハーレイは帰って行ってしまって、「おやすみ」の言葉は貰えない。
そうなのかも、と思うけれども、貰える日はきっと来る筈だから。
「おやすみ」の言葉も、おやすみのキスも、ハーレイがくれる筈なのだから…。
(…それまでの我慢…)
独りぼっちで寝るのと同じ、と思い浮かべた恋人の顔。
この時間だと起きているのか、それとも眠ってしまったのか。
まるで全く分からないけれど、いつか二人で暮らし始めたら…。
(…おやすみなさい、って…)
きっと自分も言うだろうから、そうっと小声で呟いてみる。
「おやすみ、ハーレイ」と、此処にはいない恋人に。
ちゃんと寝るよと、だから「おやすみ」と。
ハーレイも多分、もう寝てるよねと、だからハーレイもおやすみなさい、と…。
おやすみの言葉・了
※ブルー君が欲しい「おやすみ」の言葉。眠る前に、ハーレイの口から聞きたい言葉。
けれど当分貰えそうにないのが「おやすみ」の言葉。だからハーレイに「おやすみなさい」v
(さて、と…)
すっかり遅くなっちまった、とハーレイが座った机の前。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それをお供に。
(思った以上に遅くなったな…)
まあ、楽しくはあったんだが、と思う同僚たちとの夕食の席。
仕事の帰りに誘われたから、断り切れずに出掛けた次第。
ブルーの家へと出掛けてゆくには、もう遅すぎる時間だったから。
(あの時間から行くと、迷惑かけちまうからな…)
自分も料理をするから分かる。
夕食の支度に間に合わせるには、何時頃までに着くべきかは。
人数に見合った量の料理を、きちんと作り上げられる時間。
それを過ぎたら、予定外の何かを作るしかない。
一人増えた分を補える料理、家にある食材で手早く作れるだろう料理を。
(いくら「御遠慮なく」と言われてたってなあ…)
寄るとブルーが喜ぶから、と「いらして下さい」と何度も言われる。
一人息子のブルーを愛する両親に。
遅い時間でも大丈夫だから、毎日でもお越し下さい、と。
けれど、やっぱり寄りにくい。
自分はブルーの家族ではないし、親戚ですらもないのだから。
(いつかあいつと結婚したなら、俺も家族になるんだが…)
その日までは、と遠慮している遅い時間に訪れること。
せめてブルーと婚約するまで、それまでは早い時間だけだ、と。
そうしようと固く決めているから、今日も寄らずに帰って来た。
真っ直ぐに家へ帰るつもりが、少々、予定が狂ったけれど。
「ハーレイ先生も如何ですか?」と誘われた食事、それに出掛けてしまったけれど。
たまには、同僚たちとの食事。
楽しい時間を過ごせる上に、色々な話も聞けるから。
思った通りに有意義だった、ワイワイ賑やかにやった席。
生徒の思いがけない話や、他の学校での愉快な事件。
同僚たちの数だけネットワークがあるから、いくら話しても尽きない話題。
夕食だけで、と入った店で、弾む話題に合わせるように追加で注文。
あれもこれもと、皆の好みや、「面白そうだ」と思うものやら。
どんどん増えていった注文、お蔭でドッサリ食べて来た。
「酒は飲まない」と決めていたから、代わりに料理。
同僚たちもそれは同じで、酒が入らない分、料理をたらふく。
(美味かったんだが…)
本当に遅くなっちまった、と眺める時計。
いつもだったら、この時間には、コーヒーは淹れ立てではなくて…。
(飲んじまった後か、冷めちまってるか…)
そんな時間だ、と零れる苦笑。
ブルーはとうに寝ているだろうか、もう遅いから。
それとも自分がそうだったように…。
(すっかり遅くなっちゃった、とだな…)
大慌てで眠る支度だろうか、本にでも夢中で時間が過ぎて。
まだお風呂にも入っていなくて、大慌てで飛んで行ったとか。
そうでなければ、パジャマ姿で「クシャン!」とクシャミをしているか。
「身体、ウッカリ冷やすんじゃないぞ?」と何度も注意しているけれど…。
(…俺が見張っているわけじゃないし…)
ブルーがきちんと何か羽織ったか、忘れているかは分からない。
「ちょっとだけだよ」と読み始めた本、それに捕まって羽織り忘れてしまった上着。
その結果として「クシャン!」とクシャミで、気が付く時計。
指している時間は何時なのかと、今の時間はこんなに遅い、と。
如何にもブルーがやりそうなことで、やっているかもしれないから…。
「おい、早く寝ろよ?」
風邪引いちまうぞ、と呼び掛けたブルー。
もちろん思念波などではなくて、肉体の声で。
直接、通信を入れるのでもなくて、机に飾ったブルーの写真に。
夏休みの最後の日に二人で写した、一枚きりの記念写真。
弾けるような笑顔のブルー。
それは嬉しそうに、両腕でギュッと、左腕に抱き付いて来たブルー。
幸せだった時間を切り取り、こうして形になっている写真。
小さなブルーは其処にいるから、話し掛けてやった。
「もう遅いしな?」と、「そろそろ寝ろよ」と。
「早くベッドに入らないと」と、「明日も学校、あるだろうが」と。
ブルーは応えはしないけれども、届くような気がするものだから。
声が届いているのでは、と温かな気持ちになれるから…。
「おやすみ、ブルー」
いい夢をな、と写真のブルーに微笑み掛けた。
「怖い夢なんか見るんじゃないぞ」と。
ブルーが恐れるメギドの悪夢。
それがブルーを襲わないよう、「いい夢を」と。
ブルーがぐっすり眠れるように、「おやすみ」と。
(…ちゃんと早めに寝るんだぞ?)
なあ、とブルーの写真を見詰めて、もう一度「おやすみ」と繰り返して。
本当はキスを落としたいけれど、相手は小さな写真なだけに…。
(額や頬にキスのつもりが…)
唇にもキスをしちまうからな、と指先でチョンと触れてやったブルー。
フォトフレームのガラス越しに。
写真が汚れてしまわないよう、指先でそっと。
「おやすみ」とキスの代わりに、指。
ぐっすり眠れと、いい夢をと。
これで良し、と唇に浮かべた笑み。
ブルーはぐっすり眠れるだろうと、悪い夢だって来ないだろうと。
(俺が守ってやるからな)
お前の側にはいてやれないが、と見詰める写真。
それでも此処から見ているからと、「おやすみ」の挨拶もしてやったしな、と。
キスは無理でも、代わりに指先。
そうっとブルーの写真に触れて、「いい夢をな」と、「おやすみ」と。
きっとブルーを守れるだろう、と思いたい。
こうして言葉をかけておいたら、写真に触れてやったなら。
心だけでも、ブルーの側へと寄り添って。
小さなブルーが眠る時まで、ベッドの隣で見守ってやって。
(…あいつの右手を握るみたいに…)
前の生の終わりに、冷たく凍えたブルーの右手。
最後まで持っていたいと願った、前の自分の温もりを失くしてしまったせいで。
その手を握ってやりたいけれども、側にいられるのは心だけ。
ブルーの家は遠いから。
まだ家族でもないのだから。
(…俺に言えるのは、「おやすみ」っていう挨拶だけで…)
そいつが俺の精一杯だ、と思うけれども、愛おしい。
何ブロックも離れた所で、ベッドに入っただろうブルーが。
もしかしたら、もう眠っているかもしれないブルーが。
「ぐっすり眠れよ?」
おやすみ、と繰り返す言葉。
この挨拶を側で言えたらと、今の自分はまだ出来ないが、と。
(…前の俺なら…)
何度ブルーに言っただろうか、「おやすみ」と。
まだチビだった頃のブルーに。
今のブルーとまるで変わらない、少年の姿だったブルーに。
アルタミラから脱出した後、ブルーとはずっと友達だった。
お互いに一番仲のいい友達、だから何度も「おやすみ」の言葉。
ブルーの部屋で遅くまで語り合ったら、「おやすみ」と挨拶して帰って行った。
逆にブルーが訪ねて来たなら、「おやすみ」と手を振って扉の向こうの通路へと。
恋人同士になった後には、「おやすみなさい」と落としたキス。
額に、唇に、時には頬に。
「おやすみなさい」と、「良い夢を」と。
そうやって挨拶を贈った後には、ブルーが眠りに落ちてゆくまで…。
(抱き締めてやって…)
ブルーの眠りを守っていた。
遠い昔の恐ろしい夢が、ブルーを襲わないように。
アルタミラが滅びた時の地獄や、惨たらしい人体実験の記憶。
それをブルーが見ないようにと、いつも、いつだって、祈りをこめて。
「おやすみなさい」の挨拶の後は、ただ大切に抱き締めていた。
愛おしい人を、前のブルーを。
気高く美しかった恋人、ソルジャー・ブルーと呼ばれた人を。
(なのに、今では…)
まだ写真にしか言ってやれん、と指先で触れるブルーの写真。
それでも、「いい夢を見てくれ」と。
俺がこうしてついているから、悪い夢など見るんじゃないぞ、と。
(いつか、お前が大きくなったら…)
おやすみのキスも、挨拶だって、とブルーの写真に心で語り掛けてやる。
もう何年か経った頃には、本当に側にいるからと。
眠る時はいつも「おやすみ」のキスと、挨拶を贈ってやるから、と。
(今はまだ、贈ってやれない分まで…)
必ず贈ってやるからな、と瞑った片目。
楽しみに待っているんだぞ、と。
「おやすみ、ブルー」と、「今夜もいい夢を見てくれよ」と…。
おやすみの挨拶・了
※ハーレイ先生がブルー君に贈る、「おやすみ」の挨拶。今はまだ写真のブルー君に。
いつかブルー君が大きくなったら、毎晩、「おやすみ」の挨拶もキスも贈れますよねv