(今日は幸せ…)
とってもいい日だったもの、と小さなブルーが浮かべた笑み。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は朝から会えたハーレイ、今の学校の教師だけれど。
そのハーレイは前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
今は先生と生徒でも。
「俺は子供にキスはしない」と、キスもくれない恋人でも。
それでも会えれば胸が弾むし、今日は朝からツイていた。
学校の門を入ったら直ぐに、柔道着のハーレイに会えたから。
朝一番から柔道部員たちを指導して来たらしいけれども、自分は登校したばかり。
「ハーレイ先生、おはようございます!」と声を掛けたら、ハーレイも「おはよう」と笑顔。
其処で暫く立ち話をして、「今日も元気で頑張れよ?」と言葉も貰えた。
とても幸先が良かった今日は、それから後も幸運だった日。
ハーレイの古典の授業があったし、教室でたっぷり見られた姿。
贔屓などして貰えないけれど、ハーレイの姿を眺めていられるだけで幸せ。
授業を聞けるだけで幸せ、自分は当てて貰えなくても。
(幸せだよね、って思っていたら…)
仕事が早く終わったらしくて、家まで訪ねてくれたハーレイ。
そういう時には、夕食も一緒に食べて貰うのが常だから。
両親もそれを望んでいるから、今日はハーレイもいた夕食の席。
食後のお茶は、この部屋で二人、ゆっくりと飲んだ。
ハーレイは「またな」と帰って行ったけれども、幸せだった日。
朝一番に会えて、授業を受けて、家でもたっぷり話せたから。
恋人と夜まで一緒にいられて、色々な話が出来たから。
学校があった日で、平日なのに。
運が悪ければ、まるで会えないこともあるのに。
いい日だったよ、と今も幸せで温かい胸。
キスもくれない恋人だけれど、二人でいられればそれだけで幸せ。
(今のハーレイ、ケチなんだけどね…)
恋人にキスもくれないなんて、と不満はあっても、好きな人には違いない。
ハーレイを嫌いになりはしないし、「顔も見たくないよ」と思いはしない。
前と同じに恋人だから。…今もやっぱり、誰よりも好きな人だから。
(…ケチでも、好きな所はおんなじ…)
ハーレイを好きな気持ちは同じ、と前の自分を思い出す。
たった一人でメギドへと飛んだソルジャー・ブルー。
前のハーレイと遠く離れて独りぼっちで死んでいったけれど、最後まで忘れはしなかった。
「もう会えない」と思っていても。
右手に持っていたハーレイの温もり、それを失くして「絆が切れた」と泣きじゃくっても。
二度とハーレイに会えはしないと、死よりも悲しい絶望と孤独に囚われていても。
(…でも、ハーレイを好きだったから…)
ハーレイの無事を祈り続けて、涙の中で死んだソルジャー・ブルー。
あの時と同じに、今も変わらずハーレイが好き。
キスをくれなくても、前の生から愛し続けた人だから。
どんな時でも忘れはしないし、ハーレイのことを想っているから。
(今だって、ずっとハーレイのこと…)
こうして考え続けているから、前の生から変わっていない。
世界はすっかり変わったけれども、変わらないものもあるのだろう。
青い地球の上に生まれ変わって、新しい命と新しい身体を貰っても。
前の生とは全く違った、今の時代に生まれて来ても。
(ぼくは、ハーレイが好きなまんまで…)
出会った途端に、ストンと恋に落ちたから。
もうハーレイしか目に入らないし、他の誰かに恋をしたりもしないから。
前の自分とそっくり同じに、ハーレイだけに惹かれる自分。
チビの子供になってしまっても、ハーレイに子供扱いされても。
変わらないものもあるんだよね、と見回した部屋。
前の自分が生きた時代と、今は全く違うのに。
(…地球だって、違うらしいから…)
青い地球など何処にも無かった、前の自分が生きた頃。
前の自分は青い地球があると信じたけれども、其処へ行こうと夢見たけれど。
(地球に着いたら、ハーレイとやりたかったことが一杯…)
沢山の夢を描いて目指した地球。
いつかハーレイと行きたかった星。…寿命が尽きると悟るまでは。
命の残りが少なくなっても、それでも地球を見たかった。
メギドに向かって飛んだ時にも、心残りはあったから。「地球を見たかった」と思ったから。
それほどまでに焦がれていたのに、無かったらしい青い地球。
前のハーレイが目にした地球は、赤茶けた死の星だったから。
白いシャングリラが辿り着いた地球は、何も棲めない毒の海と砂漠の星だったから。
(前のぼく、最後まで知らなくて…)
青い地球を夢見て死んでいったのに、そんな星など無かったという。
歴史の授業で教わることだし、今のハーレイが生き証人。
キャプテン・ハーレイとして生きていた頃に、死に絶えた星を見ているから。
死の星だった地球の姿に、ゼルたちも涙したそうだから。
(だけど今では、地球は青くて…)
今の自分は地球の住人、ハーレイだって。
二人揃って生まれ変わって、青い地球の上で育って来た。
前の自分たちが目指した星で。…夢に見ていた青い星の上で。
(地球はすっかり変わっちゃったし…)
世界の仕組みも今では別物。
人工子宮から子供が生まれた時代は終わって、血の繋がった家族の時代。
今の自分も、今のハーレイも、母のお腹で育った子供。
養父母の代わりに本物の両親、いつまでも家族。
成人検査で引き離されたり、記憶を消されはしないのだから。
地球も世界もすっかり変わって、ミュウの時代になった今。
前の自分が目にしたならば、夢の世界だと思うだろうか。
何もかも違う時代だけれども、変わらないものもちゃんとある。
(…ぼくはハーレイのことが好きだし…)
そういう所は変わらないよ、と幸せな気分。
「変わらないものもあるんだから」と。
まるで全く違う世界でも、ハーレイを好きな気持ちは前のままだから。
ハーレイがケチになったって。…キスもくれない、ケチな恋人になったって。
(いくら頼んでも駄目なんだから…)
ホントにケチだ、と零れる溜息。
甘いお菓子の香りがするのが悪いのだろうか、ハーレイがキスをくれないこと。
「俺は子供にキスはしないと言ったよな?」と睨まれること。
おやつの後には歯磨きをして、甘いお菓子の香りを消しておいたなら…。
(ハーレイ、キスしてくれるかな…?)
どうなんだろう、と思うけれども、きっと叱られるのだろう。
「歯磨きしたって無駄だからな」と、「お前の心は丸見えなんだ」と。
チビのくせに、と額をピンと弾かれそう。
頑張って歯磨きしてみても。…おやつの甘い香りを消そうと努力してみても。
(歯磨き、きっと効かないよね…)
だってハーレイはケチなんだから、と思ったはずみに掠めた記憶。
「歯ブラシも変わっていないよね」と。
前の自分が見ていた歯ブラシ、青の間で使っていた歯ブラシ。
今も歯ブラシは同じものだと、何処も変わっていないんだけど、と。
(…歯ブラシ、二本、並んでいたけど…)
違う所はそれくらい。
前のハーレイが泊まりに来たら使えるように、とハーレイの分もあった歯ブラシ。
サイオンで隠しておいたけれども、青の間には歯ブラシが二人分。
キャプテンの部屋にも、ぼくの歯ブラシがあったっけ、と。
仲良く並んでいた歯ブラシ。前の自分のと、ハーレイの分と。
青の間だったら部屋付きの係が、キャプテンの部屋なら当番の者が来る掃除。
彼らに歯ブラシが見付からないよう、いつもサイオンで隠してあった。
歯ブラシが二本並んでいるのがバレないように。
(…あの歯ブラシと、今の時代の歯ブラシ…)
おんなじだよね、と考えなくても分かること。
前の自分が今の時代にやって来たって、歯ブラシくらいは眺めれば分かる。
「これがそうだ」と直ぐに分かるし、きっと買い物にも行ける。
歯ブラシを買って来て欲しい、と頼まれたなら。…店の場所を教えて貰ったら。
(後はお財布…)
もうそれだけで行けるお使い、買って来られるだろう歯ブラシ。
店で歯ブラシのコーナーに立って、「頼まれたものは…」と毛の硬さなどを確かめて。
歯ブラシは今も変わっていなくて、誰が見たって歯ブラシだから。
(…前のぼくが生きてた頃と、おんなじ…)
変わらないものもあるじゃない、と思った歯ブラシ。
歯を磨かないと虫歯になるから、今の時代も歯磨きと歯ブラシはちゃんと健在。
他にも何かあるのかな、と考えてみたら、ポンと頭に浮かんだ注射。
(痛いトコまで、おんなじだってば…!)
前のぼくも嫌いだったのに、と思うけれども、歯ブラシと同じに今もある注射。
そういう所は変わってくれてもかまわないのに。
変わらないものも歓迎だけれど、注射は変わって欲しかったのに。
(…注射まで変わっていないんだから…)
歯ブラシならともかく、大嫌いな注射も変わらないまま、今の時代もあるようだから。
変わらないものも色々あるから、ハーレイのことを好きなのも…。
(…ケチでも、やっぱり大好きなこと…)
当然だよね、と思わないではいられない。
世界はすっかり変わったけれども、変わらないものもあるのだから。
歯ブラシも注射も変わらないなら、もっと大事な恋は決して変わらないから…。
変わらないものも・了
※前の自分が生きた時代と、今の時代はすっかり違うよね、と思うブルー君。
けれど変わらないものも色々、歯ブラシや注射も昔と同じ。恋が変わらないのも当然ですv
(今日も一日終わったってな)
ついでにツイてる日だったぞ、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
夜の書斎でコーヒー片手に、今日の出来事を思い返して。
今日は平日だったのだけれど、朝一番にブルーに会えた。
もっとも、「朝一番」なのはブルーにとってで、自分にとっては…。
(朝二番とか、三番だとか…)
少なくとも一番じゃなかったよな、ということだけは間違いない。
朝から出掛けて行った学校、柔道部員たちとの朝練。
走り込みから付き合ったりして、一仕事終えた後でのこと。
(指導の時は柔道着だから…)
教師としての服に着替えよう、と歩いていたらブルーに会った。
「ハーレイ先生、おはようございます!」と弾けた笑顔。
其処で暫く立ち話をして、「今日も元気に頑張れよ?」と見送ったブルー。
次に会ったのはブルーの教室、古典の授業の日だったから。
ブルーだけを贔屓はしないけれども、同じ教室にいてくれるだけで嬉しくなる。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
姿がチラリと見えれば幸せ、声が聞けたらもっと幸せ。
(今日は朝からツイていて…)
仕事の後にもツイてたんだ、とブルーとの時間を思い出す。
今日は仕事が早く終わったから、帰りに寄れたブルーの家。
其処で夕食を御馳走になって、食後のお茶もブルーの部屋でゆっくりと。
(あいつと、たっぷり話せたしな?)
本当にいい日だったんだ、と家に帰った後も幸せ一杯。
コーヒーを淹れる時にも何度も考えたこと。「いい日だった」と。
苦いコーヒーは苦手な恋人、小さなブルーを想いながら。
ブルーはコーヒーが苦手だけれども、それは幼いからではなくて。
前のブルーも、同じに苦手で。
(まるで飲めないままだったっけな)
苦いから、と顔を顰めたソルジャー・ブルー。「こんな飲み物の何処がいいんだい?」と。
それでもたまに欲しがってみては、とんでもない飲み方をしていたブルー。
(砂糖たっぷり、ミルクたっぷり、ホイップクリームこんもりなんだ…)
でないと苦くて飲めないから。ブルーの舌には美味しくないから。
今のブルーも「ぼくもコーヒー!」と強請った挙句に、同じ飲み方になっていた。
変わらないものは変わらないらしい、生まれ変わって別の人生でも。
前の自分たちが生きた時代とは、ガラリと変わった世界でも。
(何が違うって、地球からして別の星だから…)
同じ地球には見えないよな、と思うのが自分が住んでいる星。
前の自分が眺めた地球は、青く輝いてはいなかった。
青い地球など何処にも無くて、赤茶けた死の星があっただけ。
どれほど皆が打ちひしがれたか、前の自分も悲しかったか。
「とてもブルーには見せられない」と思った地球。
青い地球がブルーの夢だったから。最期まできっと焦がれたろうから。
(その地球が今じゃすっかり青くて、おまけに俺たちが住んでるってな)
前の生では、懸命に地球を目指したのに。
白いシャングリラでブルーと共に、ブルーがいなくなった後にも、ただひたすらに。
ブルーを失くして、生ける屍のようになっていたって、それがブルーの最後の望み。
ジョミーを支えて地球に行くこと、シャングリラを地球まで運んでゆくこと。
これが自分の役目なのだ、と歯を食いしばって辿り着いた地球、ブルーが焦がれ続けた星。
本当だったら、ブルーと行きたかったのに。
ブルーと青い地球を眺めて、「やっと来られた」と夢を叶えたかったのに。
前のブルーと、幾つもの夢を描いたから。
地球に着いたらあれをしようと、これもしようと。
前の自分の夢は何一つ叶わなかった地球。
ブルーと二人で行けはしなくて、青い星でさえなかった地球。
それが今では青く蘇って、自分とブルーが暮らす星。
二人とも地球の上に生まれて、生粋の地球育ちだから。
(そいつも凄いが、生まれ方だって違うんだ…)
人工子宮から生まれた子供が、前の生での自分たち。
記憶は失くしてしまったけれども、養父母に育てられていた。実の親などいなかったから。
なのに今だと、血が繋がった両親がいる。自分にも、もちろんブルーにも。
(でもって、成人検査も無いから…)
親はいつまでも自分の親だし、引き離されることはない。
そして人間は誰もがミュウで、もう戦いなど無い世界。広い宇宙の何処を探しても。
(何もかも、変わっちまったが…)
変わらないのがブルーの姿で、ちょっぴりチビになっただけ。
コーヒーが苦手な所も変わらないまま、ミルクたっぷり、砂糖たっぷり。
(あんなに甘くして、どうするんだか…)
しっかり歯磨きしないとな、と思うブルーが好むコーヒー。
自分にとっては、まるでチョコレートのようだから。
(ホットココアなら、まだ分かるんだが…)
あれは元から甘いんだから、と零れる苦笑。
ホットチョコレートも飲んだことがあるし、甘い飲み物を否定はしない。
けれどコーヒーは苦味が身上、其処が美味しいわけだから…。
(あいつの飲み方だと、どう考えてもチョコレート並みの甘さだぞ?)
元のコーヒーの味を思ったら、そのくらいの甘さになるだろう。
それほど甘い物を飲んだら、歯磨きの方もしっかりと。
チビの子供になってしまった今のブルーなら、より念入りに。
歯だってこれから育ってゆくから、甘い物で虫歯にならないように。
眠る前にはきちんと歯磨き、甘すぎるコーヒーを飲んだ夜には、特に。
そうでなくちゃな、と思い浮かべたブルーの顔。
「今日もきちんと歯磨きしたか?」と。
甘いコーヒーは飲んでいなかったけれど、ブルーは母が作るお菓子が大好き。
毎日おやつを食べているようだし、歯磨きを忘れて貰っては困る。
寝込んで動けないならともかく、今日のように元気一杯の日は。
(虫歯はいかんぞ、虫歯はな)
そう言う俺も後で歯磨きだが、とコーヒーのカップを傾ける。
この一杯で寛いだ後は、歯磨きしたり風呂に入ったり。
それから明日に備えてグッスリ…、と思った所でふと気が付いた。
「変わらないものは、今も変わらんな」と。
前の自分が生きた時代から、何もかもがガラリと変わったけれど。
地球からして別の星になったし、世界の仕組みも違うけれども、変わらないもの。
(…歯ブラシは今も歯ブラシじゃないか)
別の何かに変わっちゃいない、と白いシャングリラを思い出す。
ブルーと恋人同士になった後には、お互いの部屋に二本の歯ブラシ。
泊まりに行ったら、其処で歯磨き出来るよう。
(あいつがサイオンで細工をしてて…)
分からないよう隠していたから、誰も気付きはしなかった。
青の間の奥の洗面台に、余分な歯ブラシがあったこと。
キャプテン・ハーレイが使う歯ブラシ、ブルーのものとは違うのが。
(俺の部屋には、あいつの歯ブラシ…)
ソルジャー・ブルーの歯ブラシがあった。
これまた、誰も気付かないまま。
キャプテンの部屋の掃除当番、彼らも全く知らないままで。
(青の間の俺の歯ブラシも…)
部屋付きの係に見付かりもせずに、いつでも二本並べてあった。
前のブルーの歯ブラシの隣、其処に仲良く、泊まった時には使えるように。
(歯ブラシなあ…)
今も歯ブラシは歯ブラシだぞ、と生まれ変わった自分だからこそ言えること。
何処も少しも変わっちゃいないと、「歯ブラシは今も歯ブラシだ」と。
前の自分は買い物などには行かなかったけれど、行く機会すらも無かったけれど。
今の世界に連れて来られて、「歯ブラシを買って来て欲しい」と頼まれたなら…。
(店の場所さえ分かったら…)
迷わずに買って来られるだろう。「こいつだな」と店で手に取って。
注文の品はどういう歯ブラシだったか、毛の硬さなどを確かめてみて。
(前の俺が買い物に出掛けて行っても、何の違和感も無いってか…)
歯ブラシってヤツはまさにそうだな、と可笑しくなる。
変わらないものは今も変わらないのかと、そんな所まで前の俺たちの頃と同じか、と。
(あいつのコーヒーの飲み方だけじゃないんだよなあ、変わらないものは…)
そう思ったら、ポンと浮かんだ今のブルーも嫌いな注射。
あれだって今も変わっていないし、注射は注射で、ソルジャー・ブルーが嫌ったもの。
(うん、なかなかに楽しいじゃないか)
これだけの時が流れた後にも、世界がすっかり変わった後にも、変わらないこと。
変わらないものは幾つもあるから、そういったものがあるのなら…。
(俺とあいつの恋だって…)
今も同じに恋しているのも当然だよな、と思ってしまう。
たかが歯ブラシでも変わらないなら、それよりもずっと大切な恋も同じだから。
生まれ変わってもブルーに恋して、今度こそ共に生きてゆこうと思って当然なのだから…。
変わらないものは・了
※前の自分が生きた時代と変わらないものはあるんだな、と思ったハーレイ先生。
歯ブラシでさえも変わらないなら、生まれ変わってもブルー君に恋して当然ですよねv
(ハーレイのケチ!)
今日もキスしてくれなかったよ、と小さなブルーが膨らませた頬。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は休日、午前中からハーレイが訪ねて来てくれたけれど。
この部屋で二人で過ごしたけれども、その時のこと。
「ぼくにキスして」と強請ってみた。
いい雰囲気だと言っていいのか、前の生での思い出話になったから。
前の自分たちが生きていた頃、白いシャングリラで暮らした時代の話だったから。
遠く遥かな時の彼方で「ソルジャー・ブルー」と呼ばれた自分。
前のハーレイと恋をしていた、「キャプテン・ハーレイ」と呼ばれた人と。
けれど、ミュウたちを導くソルジャー、シャングリラという船を預かるキャプテン。
そんな二人が恋に落ちたと皆に知れたら、誰もついては来てくれない。
だから最期まで隠し通した、自分たちの恋を。
前の自分はメギドで散るまで、ハーレイは地球の地の底で命尽きるまで。
(誰にも言えなかったんだから…)
恋してたこと、と思い出しても悲しくなる。
青い地球の上に生まれ変わって、またハーレイと巡り会えたけれど。
前の自分たちの恋の続きを生きているけれど、あまりにも悲しすぎた恋。…前の自分たちの。
暗い宇宙に消えてしまって、それきりになった悲しい恋。
(またハーレイに会えたのにね…)
それでも時々、悲しい気持ちに囚われる。前の自分たちの恋を思うと、今みたいに。
こうなったのもハーレイのせいなんだから、と思い浮かべるケチな恋人。
「ぼくにキスして」と強請っているのに、「駄目だ」と睨み付けたハーレイ。
「俺は子供にキスはしない」と、「前のお前と同じ背丈になるまでは駄目と言ったがな?」と。
もう聞き飽きたお決まりの台詞、怒ってプウッと膨れてやった。
「ハーレイのケチ!」と、プンスカと。
今と同じに膨らませた頬、唇も尖らせてやったのに。
不平と不満を顔に出したのに、ハーレイがやったことと言ったら…。
(キスの代わりに、ぼくの頬っぺた…)
それをペシャンと潰された。大きな両手で挟むようにして。
おまけにこうも言ったハーレイ、「今日も見事なハコフグだよな」と。
プウッと膨れた顔はフグだし、頬っぺたを潰された顔はハコフグ。
恋人に向かって「フグ」呼ばわりで、キスもくれないケチなハーレイ。
(ホントのホントに、酷いんだから…)
それにケチだよ、と思い出しても悔しい気分。
確かに自分はチビだけれども、ちゃんとハーレイの恋人なのに。
ソルジャー・ブルーの生まれ変わりで、前の自分が生きた時代の記憶も持っているというのに。
とても悲しい恋だったのだ、と今でも涙が溢れそうになる。
前の自分がどういう思いで死んでいったか、ハーレイとの別れはどうだったのかを考えると。
(さよならのキスも出来なかったよ…)
別れの場所はブリッジだったし、キスなど出来る筈もない。
もちろん抱き合うことも出来ない、恋人らしい別れの言葉を告げてもいない。
「頼んだよ、ハーレイ」と口にしただけ、声にしたのは、たったそれだけ。
他の言葉は思念を滑り込ませたけれども、「さよなら」の言葉は言えないまま。
もしも言ったら、心が挫けてしまうから。
「ソルジャー」としては振舞えなくて、ただの「ブルー」に戻ってしまう。
そうなったならば、白いシャングリラを守ることなど出来ないから。
ハーレイの側を離れ難くて、時を逃してしまうから。
(…前のぼく、ホントに頑張ったのに…)
最後の最後まで恋を隠して、ソルジャーとして凛と立ち続けて。
メギドでキースに撃たれた時にも、皆のことだけを考え続けて。
そうして気付けば何処にも無かった、持っていた筈の「ハーレイの温もり」。
右手が凍えて冷たいと泣いて、独りぼっちで迎えた最期。
ハーレイとの絆は切れてしまって、二度と会えないだろうから。
なのに長い長い時を飛び越え、ハーレイと辿り着いた地球。
前の自分たちが生きた頃には、地球は死の星だったのに。…青い地球は幻だったのに。
けれども青く蘇った地球、其処に自分は生まれて来た。
前の自分とそっくり同じに育つ姿で、きっとそうなる筈の姿で。
ハーレイはもっと早く生まれて、とうに「キャプテン・ハーレイ」の姿。
もうキャプテンではないけれど。
今の自分が通う学校、其処の古典の教師だけれど。
(やっと会えたのに、ケチなんだから…)
絶対にキスしてくれないんだから、と不満たらたら、頬っぺたを膨らませたくもなる。
ハーレイが此処で見ていたならば、「おっ?」と出てくるかもしれない両手。
大きな褐色の手が伸びて来て、ペシャンと頬を潰される。
「ハコフグだな」と、今日みたいに。
キスもくれないケチな恋人、その上、恋人の自分を「フグ」呼ばわり。
前の自分たちの恋の続きを生きているのに、この有様。
なんとも酷くてケチなハーレイ、恋人にキスもくれないなんて。
フグ呼ばわりで、頬っぺたをペシャンと両手で潰して「ハコフグ」だなんて。
(…なんで、ああなっちゃうんだろう…)
チビでもぼくは恋人なのに、とハーレイに向かって言うだけ無駄。
「前のお前と同じ背丈に育ったら、ちゃんとお前にも分かるだろうさ」と言うハーレイ。
どうしてキスが貰えないのか、それが分からないのもチビの証拠、と。
姿と同じに中身も子供で、チビだからプウッと膨れるんだ、と。
(ぼくの中身は、前のぼくなのに…)
だから悲しくなったりするのに、と宇宙に散った悲しい恋を思い出すのもハーレイのせい。
キスを貰えなくて膨れていたから、お風呂上がりに考えごとをしていたから。
「せっかくハーレイに会えたのに」と。
また巡り会えて恋しているのに、キスも貰えないチビの自分。
それが悔しくて膨れていたら、前の自分の恋まで思い出したから。
暗い宇宙に消えてしまった、悲しい恋に胸を覆われたから。
何もかも全部ハーレイのせいだ、と膨れるけれど。
こうしてプンスカ怒っていたって、褐色の手が伸びては来ない。
ハーレイは家に帰ってしまって、今頃はきっとコーヒーでも飲んでいるのだろう。
チビの恋人のことなど忘れて、「この一杯が美味いんだ」と。
(…ホントに忘れてそうだよね…)
そのくらいなら、まだ頬っぺたをペシャンとやられた方がいい。
「ハコフグだな」と笑われたって、ハーレイが側にいる方がいい。
けれど叶わない、夜も一緒にいるということ。
チビの自分はハーレイの家に行けはしないし、まだ結婚も出来ないから。
(ぼくだけ膨れて、馬鹿みたいだよ…)
もうハーレイは忘れちゃってる、とケチな恋人の姿を思う。
いったい何をしていることやら、熱いコーヒーを飲みながら。
書斎にいるのか、リビングにいるか、それともダイニングで寛いでいるか。
(ぼくのことなんか、綺麗に忘れて…)
柔道部のことでも考えていそう、と零れた溜息。
もしも柔道部員だったら、ハーレイの家に行けるのに。…他の部員と一緒でも。
庭で賑やかにバーベキューとか、宅配ピザにワイワイ群がるだとか。
お菓子は徳用袋のクッキー、割れたり欠けたりしたクッキーが詰まった袋。
とても美味しいクッキーの店の、不良品ばかり詰めたもの。
(…柔道部員なら、いくらでも…)
ハーレイの家に行き放題、と思った所で気が付いた。
柔道部員たちの憧れ、それが「ハーレイ先生」だった、と。
(今のハーレイ、柔道も水泳も…)
プロの選手にならないか、と誘いが来ていたほどの腕前。
今でも腕は落ちていないし、柔道部員たちにとってはヒーロー。
「誰よりも強い」ハーレイ先生、本当ならプロで通る人。
柔道をやっていない生徒も、「古典のハーレイ先生」が好き。
気さくで陽気で、どの生徒とも気軽に話してくれるから。「どうしたんだ?」などと。
(…ハーレイ、みんなに人気だっけ…)
男子生徒にも女子生徒にも、好かれているのが今のハーレイ。
きっとこれからも「ハーレイ先生」のファンは増えるし、減ることはない。
ハーレイの教え子が増えてゆくほど、増えてゆくだろう「ハーレイ先生」のファン。
それが自分の今の恋人、いつか結婚するハーレイ。
(…ぼくがハーレイと結婚したら…)
男子はともかく、女子は羨望の眼差しで見てくれるのだろう。
嫉妬する子もいるかもしれない、「ハーレイ先生が結婚なんて!」と。
ずっと独身でいて欲しかったと、そうでなければ「どうして私と結婚してくれないの?」と。
(…そういうの、凄くありそうだよね?)
みんなの憧れの「ハーレイ先生」、そのハーレイを一人占めだから。
ハーレイと結婚するのは自分で、他の誰かではないのだから。
(…ハーレイ、今はケチだけど…)
ケチでなくなった時のハーレイ、今の自分の未来の結婚相手は他の生徒の憧れ。
それを思うと、ちょっぴり誇らしい気持ち。
(ぼくの恋人はハーレイだよ、って…)
誰もに言える時が来たなら、きっと羨ましがられるから。
今度は恋を明かしていいから、ちゃんと結婚出来るのだから。
当分はケチなハーレイだけれど、みんなの憧れの「ハーレイ先生」。
その人が自分の恋人だなんて、とても素敵な気分だから…。
ぼくの恋人・了
※「ハーレイのケチ!」と膨れているブルー君ですけれど。八つ当たりまでしてますけれど。
今のハーレイは、生徒に人気の「ハーレイ先生」。気付いたら機嫌が直る所も子供かもv
(ハーレイのケチ、なあ…)
またまた言われちまったぞ、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
夜の書斎でコーヒー片手に、チビの恋人を思い返して。
今日は休日、朝からのんびり歩いて出掛けたブルーの家。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
その名前までが、前と同じに「ブルー」だけれど…。
(すっかり縮んでしまいやがって…)
今じゃチビだ、と思うのがブルー。
十四歳にしかならない恋人、今のブルーは自分の教え子。
前の生で初めて出会った時にも、やはりブルーはチビだった。
成人検査を受けた時のまま、成長を止めていたブルー。身体も、その身に宿る心も。
(檻の中じゃあ、育っても何もいいことなんか…)
無かったのだから、そうなったのも無理はないだろう。
未来も見えない檻で成長してゆくよりかは、「育たない」方へ行ったのも。…無意識の内に。
だから前の自分も知っている。「チビのブルー」を。
けれど、アルタミラから逃げ出した後は、ちゃんと育っていったブルー。
気付けば、気高く美しい人になっていた。
皆でシャングリラと名付けていた船、あの箱舟にいた誰よりも。
(おまけにソルジャーと来たもんだ)
ミュウの仲間を導くソルジャー、それが育った後のブルーの立ち位置。
前の自分はキャプテンだったし、ブルーと恋に落ちた後には、障害だらけ。
誰にも恋を話せはしなくて、二人、最期まで隠し続けた。
ブルーはメギドで命尽きるまで、前の自分も地球の地の底で死を迎えるまで。
(しかし、またまた会えたってわけで…)
青い地球の上で生きて出会えたけれども、子供になってしまったブルー。
いったい何度言われたことやら、「ハーレイのケチ!」と。
チビのブルーは、一人前の恋人気取り。
前のブルーの記憶をそのまま持っているから、そうなっても仕方ないのだけれど。
また巡り会えた恋の相手に、キスを強請るのも分かるけれども…。
(子供にキスしてどうするんだ、おい)
今のあいつは中身も子供だ、と知っているから苦笑い。
縮んでしまったチビに相応しく、今のブルーの心も子供。
前のブルーが最初の頃にはそうだったように、まるで育っていないのがブルー。
身体も、其処に宿る心も。
年相応にチビの子供で、前のブルーの記憶があるだけ。
なのに分かっていないのがブルー、今の自分がいったいどういう状態なのか。
子供の自分と前の自分は「すっかり同じ」だと思っているから、何度もキスを強請られる。
「ぼくにキスして」と言ってくるとか、誘うような目で「キスしてもいいよ?」と言うだとか。
もちろん、どちらもお断りだし、チビのブルーにキスなどはしない。
キスをするなら頬と額だけ、そういう約束。
唇へのキスは、チビのブルーが「前のブルーと同じ背丈に育ってから」。
それまでは駄目だ、と言い渡した上、何度も何度も叱るのに…。
(ハーレイのケチ、と膨れるからなあ…)
今日も見事な膨れっ面だ、とブルーの顔を思い出す。
「ぼくにキスして」と強請って来たから、「俺は子供にキスはしない」と睨んでやった。
ついでに額をピンと弾いて、「何度言ったら分かるんだ?」とも。
そうしたら、プウッと膨れたブルー。
「ハーレイのケチ!」と尖らせた唇、不満そうに膨らませた頬っぺた。
まるでフグだ、と可笑しくなる顔、愛らしい顔立ちが台無しだけれど。
プウッと膨れた両の頬っぺた、それをこの手でペシャンと潰してやったなら…。
(そりゃあ素敵にハコフグだってな)
今の自分が海で出会った、地球の海に棲んでいるハコフグ。
それを思わせる顔になるのがチビのブルーで、誰が見たって吹き出しそうな顔なのだけれど。
今日も「ハコフグ」を見たのだけれど…。
あの顔だって可愛いんだ、と思えるのは恋をしているから。
膨れっ面でフグなブルーも、膨れっ面を潰された後のハコフグだって。
(あんな顔でも、あいつはあいつで…)
俺の大事な恋人だから、と言えば誰もが笑うだろう。
フグでハコフグなブルーなら。…その顔だけを見せられたなら。
もっとも、膨れる前にしたって、ブルーは子供。
結婚さえも出来ない年だし、何処から見たって立派に子供。
「俺の恋人だ」と紹介したなら、大笑いしそうな友人たち。親友も悪友も、飲み友達も。
きっと涙が出るほど笑って、「なんの冗談だ?」と言われるのだろう。
いくらブルーが「可愛らしい子」で、「小さなソルジャー・ブルー」でも。
(男なことを抜きにしてもだな…)
誰も信じちゃくれないだろうさ、と自分でも思うチビの恋人。
デートなどに連れて行きはしないし、友人たちに紹介する機会はまるで無いのだけれど…。
(紹介したら、大爆笑だぞ)
冗談なのだと思われて。
「いずれ結婚するんだが」と言ってみたって、止まらない笑い。
彼らの言葉が聞こえる気がする、「とんでもない青田買いだよな」と。
「子供の間に決めちまったら、後で後悔するんじゃないか?」と。
確かにブルーは「ソルジャー・ブルー」の子供時代にそっくりだけれど、分からない未来。
まさか「本物」だとは誰も思わないから、きっと心配してくれる。
「ソルジャー・ブルーを期待するなよ?」と、「子供なんてモンは分からんからな」と。
今はそっくり同じ姿でも、育ったらまるで別物だとか。
ソルジャー・ブルーとは似ても似つかない、違う姿に育つだとか。
(俺が、あいつらの立場でもだ…)
同じに心配するだろう。「大丈夫か?」と。
ソルジャー・ブルーの子供時代に瓜二つの子に、恋をしている友人のこと。
今は良くても未来はどうかと、後で後悔しなければいいが、と。
(その心配だけは無いんだがな?)
チビのブルーが違う姿に育つこと。
前のブルーとはまるで似ていない顔になるとか、背格好からして違うとか。
それだけは無い、と分かっているから、ただのんびりと待つのだけれど。
いつかブルーが大きく育って、「俺の恋人だ」と紹介できる日を待っているけれど。
(…ブルーの方には、その発想は無いからなあ…)
前とそっくり同じつもりで、一人前の恋人気取り。
何かといったら「ぼくにキスして」で、「キスしてもいいよ?」と誘いもして。
キスを断ったら、お決まりの言葉が「ハーレイのケチ!」。
もうプンプンと膨れてしまって、フグになるのが小さなブルー。
その頬っぺたを両手で潰してやったら、今度はハコフグ。
(つまりだ、俺の恋人はだな…)
今の時点ではフグなわけか、とクックッと肩を震わせて笑う。
「確かに誰にも紹介できんな」と、「フグではなあ…」と。
チビの子供を紹介したって笑われるけれど、フグならばもっと笑われる。
「気は確かか?」と瞳を覗き込まれたり、「お前、水族館に勤めてたっけ?」と訊かれたり。
フグの恋人を紹介したなら、「俺の恋人だ」と言ったなら。
(本物のフグなら、そうなっちまうが…)
幸いなことに、チビのブルーは「フグになる」だけ。
「ハーレイのケチ!」と膨れた途端に、愛らしいフグの顔になるだけ。
プンスカと怒るブルーの姿も可愛いけれども、あのフグやハコフグになったブルーは…。
(…誰にも見せてはやらないってな)
紹介するとか、それ以前にな…、とこみ上げてくるのが独占欲。
チビの子供でも、ブルーは自分の恋人だから。
キスさえ出来ないチビにしたって、前の生から愛し続けた人だから。
(フグのあいつを眺めていいのは、俺だけなんだ)
ハコフグの方のブルーもな、と宝物のように思うブルー。
「誰にも見せてやらないんだ」と、「あいつは俺の恋人だから」と。
いつかブルーが大きくなったら、皆に紹介するけれど。
結婚式にも呼ぶのだけれども、今のブルーは誰にも見せない。
「ハーレイのケチ!」と膨れる姿は、フグやハコフグなブルーの顔は。
前の生では見られなかった、子供らしくて我儘な顔は。
(…前のあいつは、あんな顔なんか…)
してる余裕さえ無かったんだ、と分かっているから、今しか見られない膨れっ面。
フグもハコフグも「今だけ」なのだし、誰にも見せずに宝箱に仕舞っておきたい気分。
前のブルーが焦がれ続けた青い地球の上で、幸せに生きる小さなブルー。
子供時代を満喫して欲しいから、キスはしないで見守るだけ。
「ハーレイのケチ!」と言われても。…プンスカ怒って、フグのブルーが出来上がっても。
(うん、俺の大事な宝物だな)
フグもハコフグも、俺の大切な恋人だから、と零れる笑み。
「あいつに出会えて良かったよな」と。
いつかあいつが大きくなったら、今度は結婚出来るんだから、と…。
俺の恋人・了
※「ハーレイのケチ!」と言われてしまった、ハーレイ先生。おまけに膨れっ面のブルー。
けれど「誰にも見せてやらない」と思う膨れっ面。宝物のような恋人、フグの顔でもv
(ハーレイ、来てくれなかったよ…)
来てくれるかと思ってたのに、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は学校で少し話しただけの、前の生から愛した恋人。
生まれ変わってまた巡り会えた、愛おしい人。
(ほんのちょっぴり、喋っただけ…)
学校の廊下でバッタリ出会って、二言、三言といった程度の会話。
立ち話にさえもなっていなくて、それで別れてしまったハーレイ。
(ハーレイ、「じゃあな」って行っちゃったから…)
もしかしたら、と弾んだ胸。「今日は帰りに寄ってくれるかも」と。
あまりにアッサリ行ってしまったハーレイだから。…急ぎの用事も無さそうなのに。
そんな日も珍しくないのだけれども、期待を抱いてしまった今日。
学校が終わって家に帰ったら、首を長くして待っていた。
早く恋人が来てくれないかと、ハーレイが鳴らすチャイムの音が聞こえないかと。
(だけど、ハーレイ、来てくれなくて…)
とても残念、と悲しい気分。
なまじ期待して待っていたから、余計に寂しい気持ちになる。
「今日はちょっぴり話をしただけ」と、「もっとゆっくり話せば良かった」と。
ハーレイが「じゃあな」と行こうとしたって、「待って下さい!」と呼び止めて。
急がないならもう少し、と立ち話の話題をぶつけたりして。
(質問でもなんでもいいんだから…)
切っ掛けさえ作れば、始まる会話。ハーレイが足を止めてくれたら。
最初は本当に、古典の授業についての質問だとしても…。
(そういえばだな、って…)
別の話をしてくれるのがハーレイだから。きっと分かってくれるから。
「もっと話したい」という気持ち。「もっと一緒にいたいんだから」と願う心を。
大失敗、と思う昼間のこと。
学校の廊下でハーレイと話せば良かったのに、と。
ほんの少しの立ち話だって、二言、三言で終わってしまった今日よりはマシ。
相手は「ハーレイ先生」でも。
恋人同士の会話は無理でも、敬語を使って話すしかない場面でも。
(…ハーレイとお喋りしたかったよ…)
来てくれないって分かっていたら、と後悔しきりで、けれどとっくに手遅れなこと。
時計の針を戻せはしないし、学校の廊下に戻れもしないよ、と思っていたら。
「明日になったら会えるだろう?」と聞こえた声。
心の中で声が聞こえた、誰かの思念ではない声が。…とても聞き覚えのある声が。
前のぼくだ、と考えなくても分かること。
自分の中には、前の自分がいるのだから。
遠く遥かな時の彼方で、ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。
今の言葉は、前の自分が紡いだもの。…自分に向けて。
もっとも、前の自分は今の自分と同じ魂なのだし、これは一種の独り言。
何かのはずみにヒョイと出てくる、前の自分が紡ぐ声。
(…明日になったら会えるけど…)
会えるんだけど、と尖らせた唇。
偉そうに出て来た前の自分は、恋敵のようなものだから。
チビの自分と全く違って、前のハーレイと本物の恋人同士だったのがソルジャー・ブルー。
(ぼくと違って、余裕たっぷり…)
ハーレイの恋人なんだものね、と面白くないのが前の自分が出て来たこと。
「どうせチビだよ」と、「ハーレイと一緒に暮らしてないよ」と。
前の自分は、夜は必ずハーレイと一緒だったから。
昼間は別々に過ごしていたって、夜になったら恋人同士。
ハーレイが青の間を訪ねて来たり、前の自分がキャプテンの部屋に出掛けたり。
離れ離れで過ごす夜など無かったのだし、腹が立つ。
「どうせ明日まで会えないよ」と。「ぼくはチビだから、明日まで無理!」と。
もしも自分がチビでなければ、今頃はきっとハーレイと一緒。
同じベッドに入っているか、ベッドに行く前の時間を二人で過ごしているか。
(…前のぼくなら、そうなんだから…)
夜はハーレイと一緒なんだし、ホントに余裕たっぷりだよね、と膨らませる頬。
ハーレイが側にいてくれるのなら、「明日」など直ぐにやって来るから。
愛を交わして、寄り添い合って眠った後には、もう次の日が来るのだから。
(…偉そうなことを言ってるけれど…)
独りぼっちで眠ってみたら、と前の自分に向かって文句。
「ハーレイのいないベッドで寝たら?」と、「それでも直ぐに明日になるわけ?」と。
前の自分は、偉そうに言ってくれたから。
自分がすっかりしょげているのに、「明日になったら会えるだろう?」と。
(独りぼっちのベッドで寝てたら、そんなこと、言えやしないんだから…!)
ぼくと同じで寂しくなってしまうくせに、とプンスカ怒ってみたけれど。
「文句があるの?」と前の自分に言い放ったけれど、返った沈黙。
それから感じた深い悲しみ、まるで泣き出しそうな心も。
(えーっと…?)
なんで、と傾げてしまった首。
前の自分も味わったろうか、ハーレイが来ない夜というのを。
独りぼっちで眠らなければいけない夜は、そんなに寂しいものだったろうか…?
泣き出しそうになったくらいに、前の自分は悲しい気持ちでベッドで丸くなっただろうか?
(…前のぼく、そんなに泣き虫だっけ…?)
ソルジャー・ブルーだったんだけど、と前の自分を思い出す。
ハーレイの前では何度も泣いていたのだけれども、心は強い筈なんだけど、と。
なにしろ今の時代になっても、称えられるほどの英雄だから。
ミュウの初代の長だったというだけではなくて、前の自分が全ての始まり。
平和になった今の時代も、この青い地球も、何もかもが前の自分の功績。
だから泣き虫は、ハーレイの前だけの筈なのに。
強い心を持っていたのがソルジャー・ブルー、と本当に不思議なのだけど…。
大英雄のソルジャー・ブルーが、独りぼっちで眠るくらいで、何故、泣くのだろう?
悲しい気持ちになるのだろう、と思った所で気が付いた。
(…前のぼく、ホントに独りぼっち…)
ハーレイは何処にもいなかったっけ、と見詰めた自分の小さな右手。
前の自分の右手は凍えたのだった。
最後まで持っていたいと願った、ハーレイの温もりを落として失くして。
メギドでキースに撃たれた痛みで、温もりがすっかり消えてしまって。
(…ハーレイとの絆が切れちゃった、って…)
絆が切れてしまったから、もうハーレイには二度と会えない、と泣きじゃくっていた前の自分。
シャングリラからは遠く離れたメギドで、独りぼっちで。
死よりも恐ろしい孤独と絶望、それに包まれて死んでいったのがソルジャー・ブルー。
ハーレイには二度と会えない場所で。
…永遠に明日など来ない所で、たった一人で。
今の自分には、きちんと明日がやって来るのに。
明日になったらハーレイに会えて、家には来てくれなかったとしても…。
(学校ではちゃんと姿が見られて、運が良かったら立ち話だって…)
出来るんだっけ、と気付かされた今の自分の幸せ。
さっきまで膨れていたけれど。
前の自分の偉そうな言葉に、プンスカ怒っていたのだけれど。
(…ごめんなさい…)
ホントにごめん、と前の自分に謝った。
「独りぼっちで寝てみたら?」などと、心無い言葉をぶつけたから。
前の自分は独りぼっちで、永遠の眠りに落ちてゆくしかなかったのに。
生まれ変わって幸せな未来が訪れるとは、夢にも思っていなかったのに。
(…ぼくって、我儘…)
おまけに考え無しのチビ、と反省するしかない状況。
前の自分は、泣きながら死んでいったのに。
ハーレイも仲間もいない所で、独りぼっちの死を迎えたのに。
ごめんなさい、と自分を相手に謝るというのも変だけど。
前の自分も自分だけれども、酷い言葉を投げたのは事実。
だから心に流れた悲しみ、泣き出しそうな思いまで。
前の自分がそれを感じたから、その中で死んでいったから。
深い悲しみと孤独の記憶が、今の自分の中にあるから。
…普段は忘れているけれど。今の幸せに慣れてしまって、前の自分に嫉妬したりもするけれど。
(前のぼく、ハーレイと本物の恋人同士だったから…)
とても羨ましくて妬ましいから、語り合おうとも思わない。
ウッカリ語り合おうものなら、今の自分はチビだと思い知らされるから。
「どうせチビだよ」と、「ハーレイとキスも出来ないよ!」と膨れる羽目になるのだから。
それは嫌だから、背を向けている自分の中の恋敵。
前のハーレイと本物の恋人同士で、今のハーレイに会ったとしたって…。
(前のぼくなら、直ぐにキスして貰えるんだよ…)
ちゃんと育った大人だから。…チビの自分とは違うから。
向き合うと自分が惨めになるから、ついつい背中を向けるのだけれど。
「あんな風には生きられないよ」と、白旗を掲げるのだけれど…。
(…大失敗…)
前のぼくの方が、ずっと悲しくて可哀想だっけ、と思い出した「独りぼっち」のこと。
それに比べたらチビの自分の、今日の寂しい気分なんかは…。
(うんとちっぽけで、比べることも出来なくて…)
だから文句は言えないよね、と思うけれども、やっぱり悲しい。
明日はハーレイに会えるけれども、今の自分はチビだから。
前の自分ほどに強くはないチビ、何かといったら膨れてしまう子供だから。
(…前のぼく、許してくれるよね…?)
返事は返って来ないけれども、前の自分も自分だから。同じ一つの魂だから…。
(ぼくの中には、前のぼくがいるし…)
ぼくが幸せなら、前のぼくだって幸せだよね、と浮かべた笑み。
明日はハーレイに会える筈だし、前の自分も楽しみな筈。
今の自分は、独りぼっちではないのだから。
ハーレイと離れることは無いから、いつまでも二人一緒だから。
チビの自分が大きくなったら結婚できるし、もう離れない。
それが出来るのは、チビの自分が生まれ変わってハーレイに会えたお蔭だから…。
ぼくの中には・了
※ブルー君が向き合う羽目になってしまった、ソルジャー・ブルー。恋敵だと思っている相手。
同じ自分なのに嫉妬した挙句、謝るブルー君ですけれど…。それも幸せな今だからこそv