(…夢なあ…)
夢か、とハーレイの心に浮かんだ言葉。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒーを口に含んだら。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、何の変哲もないけれど。
特別なものではないのだけれども、不意に掠めた「夢」というもの。
眠っている間に見る夢とは違って、心に描く夢の方。
子供だったら将来の夢とか、そんな具合に言われる夢。
(俺の場合は、とっくに教師になっちまったし…)
柔道も水泳も「プロの選手にならないか」と誘いが来るほど、腕を磨いた。
教師の道に進んだ後にも、行く先々で頼りにされる。クラブ活動の顧問として。
(好きな古典の教師をやりつつ、柔道も水泳も続けられてだ…)
俺の夢は叶っているわけなんだが、と歩んだ道を振り返ってみる。
「描いた夢なら叶えて来た」と、「諦めなければ夢は必ず叶うものだ」と。
教え子たちにも、何度そう繰り返して来たことか。
「諦めるなよ」と、「諦めたら其処で終わりだからな」と授業で、クラブ活動で。
そういうものだと信じているし、自分でもそれを証明して来た。
自分の夢は掴み取って来たし、掴み損ねた夢などはない。
(人間、夢をしっかりとだな…)
持ち続けていれば叶うもんだ、というのが自分の信条。
そうして夢を幾つも叶えて、これからだって。
(今は我慢の時でだな…)
何年か待ったら、もう最高の夢が叶うんだ、と思い浮かべた小さなブルー。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
今はまだ十四歳にしかならない子供で、キスも出来ない恋人だけれど…。
(あいつが育って、十八歳になったら結婚式だぞ)
それが今の俺の夢だよな、と幸せな気分。
まだまだ夢はこれからなんだと、しっかり掴んでゆかないと、と。
小さなブルーが育たない内は、叶ってくれない自分の夢。
キスさえ交わせはしないわけだし、恋人と言っても見守るだけ。
(それも悪くはないんだが…)
前のブルーが失くしてしまった子供時代。成人検査と人体実験で失くした記憶。
何一つ覚えていなかったブルー、それを自分も覚えているから、今は幸せでいて欲しい。
優しい両親と暮らす暖かな家があるのだし、子供らしく、うんと我儘も言って。
そういうブルーを見守る日々も幸せなもので、何十年でも待てるけれども…。
(しかし、やっぱり…)
夢は結婚することだよな、と改めて自分に確認してみる。
小さなブルーと過ごす時間も好きだけれども、必ず来るのが別れの時間。
一緒に暮らしていないのだから、「またな」と別れを告げるしかない。
軽く手を振って、「また来るから」と乗り込む愛車や、歩き始める道路やら。
ブルーも名残惜しそうだけれど、自分の方でも思いは同じ。
もっと一緒にいられたら、と振り返りながら歩く道やら、名残惜しく思う車の運転席。
(あいつと結婚できない間は…)
別れの時間が訪れるのだから、なんとも寂しい気持ちではある。
ブルーの家族ではない今の自分は、ブルーの側で暮らせはしない。
それはブルーの方も同じで、今の自分が仕事を終えて家に帰っても…。
(迎えてくれる人はいない、ってな)
灯りは自動で点くのだけれども、人の気配がしない家。
前はそれでも平気だったのが、小さなブルーに出会って変わった。
大抵の日は「やっと我が家だ」とホッとするのに、たまに零れてしまう溜息。
ガレージに愛車を停めてみたって、中から開きはしない玄関。
庭を横切って歩く間も、カーテンさえも開かない家。
帰りを待っていてくれる人はいないから。
「おかえりなさい!」と玄関を開けて、愛おしい人が顔を覗かせはしないから。
それに気付くと少し寂しい。「独りだよな」と。
一人暮らしは長いわけだし、まるで感じはしない不自由。
料理は得意で趣味と呼べるほど、他の家事だって苦にならない。
掃除や洗濯、そういったことも叩き込まれた学生時代。運動部員だったから。
(先輩たちが厳しく躾けるからなあ…)
元から料理が好きでなくても、誰だって出来るようになる。そういう世界で育った自分。
お蔭で、教師の道を選んで、この町で暮らし始めた時にも…。
(何処にどういう店があるのか、ザッと確認さえしたら…)
何も困りはしなかった。
仕事が終われば帰りに買い出し、その日の気分で色々な料理。
一人の食卓も充分満足、「美味い!」と自分で自分の料理を褒めたりもして。
(次はこういう工夫をしよう、とか…)
考えることは幾つもあったし、夕食の後はコーヒーを淹れて寛ぎの時間。
書斎だったりリビングだったり、これまたその日の気分で決めて。
(…その辺は今も、まるで変わっちゃいないんだが…)
基本の所は同じなんだ、と思ってはいても、たまに覚えてしまう寂しさ。
「此処にあいつがいてくれたら」と。
今は無理だと分かっていても。
小さなブルーが前と同じに育たない内は、キスも出来ないと分かっていても。
(あいつが此処にいてくれたらなあ…)
もう何もかもが違うんだ、と何度も夢を描いて来た。
まだこの家には来ない恋人、来られない小さなブルーを想って。
今のブルーは、この家を訪ねて来るのも禁止。自分が「来るな」と言い渡したから。
(自業自得だと思いはしないが…)
あれは必要な決まり事だ、と理解していても、寂しくなるのはまた別の話。
「ブルーが此処にいてくれたら」と、「まだまだ来てはくれないんだが」と。
家に帰ってもブルーはいなくて、玄関の鍵も扉も自分で開けて入るしかない。
「おかえりなさい!」という声も聞けずに、人の気配が無い家に。
前はこうではなかったんだが、と思ってみても始まらない。
自分はブルーに出会ってしまって、前と同じに恋をしたから。
それも前よりずっと小さくなったブルーに、まだ十四歳にしかならない人に。
(いったい何処で間違えたんだか…)
今のあいつとの出会い方、と苦笑したくなる神の悪戯。本当は奇跡なのだけれども。
小さなブルーに現れた聖痕、あれで取り戻した前の生の記憶。
だから奇跡で、神の悪戯ではないと知っている。
今のブルーが子供時代を楽しめるように、神が選んで決めた出会いの時なのだけれど…。
(待ち時間ってヤツがたっぷりでだな…)
まだまだブルーは来やしないんだ、と見回してみる自分の周り。
本がズラリと並んだ書斎にブルーはいなくて、他の部屋へ捜しに行っても無駄。
小さなブルーは両親と一緒に、何ブロックも離れた家にいるのだから。
(あいつと結婚できない間は、俺は一人で…)
寂しい独身人生ってヤツだ、と心の中で思う「今」。
これが当分続くわけだと、「あいつが育って十八歳にならないと」と。
ブルーが結婚できる年になったら、もう早速にプロポーズ。
もちろんブルーは断らないから、後はブルーの両親次第。
(可愛い一人息子が、男の俺と結婚するってことになったら…)
腰を抜かすと思うんだが、と今から未来が見えるよう。驚き慌てるブルーの両親。
「息子さんを下さい」と頼みに行ったら叩き出されて、門前払いの日々かもしれないけれど。
結婚までには苦労が山ほど、茨の道が待っているかもしれないけれど。
(そうなった時は、頑張って乗り越えていかんとな?)
夢は諦めたら終わりなんだぞ、と自分自身を叱咤する。
ブルーと結婚するのが今の自分の夢なら、しっかり掴み取らないと、と。
思いがけない壁に阻まれて、そう簡単には進めなくても。
夢に見ているデートさえもが、あっさりと叶いはしなくても。
ブルーを迎えに出掛けてみたって、「お帰り下さい」と門前払い。
二階のブルーの部屋の窓から、悲しい瞳の恋人がこちらを見ているだとか。
(何が起こっても、負けてたまるか…!)
其処で諦めたらおしまいなんだ、と改めて思う「夢」のこと。
夢は自分で掴むものだし、諦めなければいつか必ず叶うもの。
生徒たちにもそう教えて来て、自分だってそう歩んで来た。子供時代から今に至るまで。
(だからだな…)
今の俺の夢がそれなら叶えるまでだ、と思う結婚。
小さなブルーが育った時には、夢を叶えてブルーと二人。
この家で暮らして、別れの時間は来はしない。「またな」と別れなくてもいい。
(あいつを嫁さんに貰うってことが…)
夢だからな、と自分に誓う。
今度こそブルーと幸せに生きてゆきたいのだから、夢は必ず叶えねば。
ブルーの両親に叩き出されて、門前払いの試練が続いても。
玄関先で追い払われては、デートも出来ない日々ばかりでも。
(それでも、俺が諦めなければ…)
夢が叶って結婚なんだ、と夢見る未来。
いつかはあいつと結婚式だと、ブルーと二人で暮らすんだから、と…。
今の俺の夢・了
※幾つもの夢を叶えて来たのがハーレイ先生。そして今の夢はブルー君との結婚ですけど。
もしかしたら門前払いの日々になるかも、けれど諦めたら其処でおしまい。夢は掴むものv
(今日はハーレイ、盗られちゃった…)
柔道部員の生徒たちに、と小さなブルーが思ったこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は学校でしか会えなかったハーレイ。
挨拶をして、ほんの少しの立ち話。
それでも充分、嬉しいけれど。会えないよりはマシなのだけれど、ちょっぴり寂しい。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
時間が許す限り一緒にいたいし、出来れば二人きりがいい。
(学校だったら、先生と生徒になっちゃうし…)
それに人目もあるものだから、恋人同士の会話は無理。
恋人のハーレイに会いたかったら、この部屋で。
仕事帰りや、週末などに家を訪ねて来てくれるハーレイ。
その時だけが恋人同士の時間で、この部屋の中でないといけない。
両親は何も知らないのだから、父と母の目が届かない場所でだけ恋人同士になれる。
もっとも、キスも出来ないけれど。
キスを強請っても、「俺は子供にキスはしない」とハーレイは叱るのだけれど。
(それでも恋人同士だしね?)
こんなチビでも「俺のブルーだ」と、優しく抱き締めてくれるハーレイ。
膝の上に座って甘えてもいいし、キスは駄目でも幸せな時間。
けれども、今日は駄目だった。
「来てくれるかな?」とチャイムが鳴るのを待っていたのに、日が暮れて。
ハーレイが来るには遅すぎる時間、そういう時刻になってしまって。
(…会議か、仕事だったんだろうけど…)
でも、と頭に浮かんでくるのが柔道部員。
彼らは放課後、ハーレイに会った筈だから。
会議がある日も、仕事がある日も、ハーレイは指導に行くのだから。
まるで詳しくない柔道。
けれど分かっていることが一つ、ハーレイが学校に来ている日なら…。
(放課後は絶対、柔道部の方に行くんだよ)
自分が指導する時間は無くても、その日のクラブ活動について、部員に伝えに。
どういう練習内容にするか、何時まで練習を続けるのか。
(それを伝えないと駄目だ、って…)
前にハーレイから聞いた。「そいつが俺の役目だからな」と。
お飾りではない、「柔道部の顧問」という立場。
学生時代はプロの選手に誘われたほどの、柔道の腕を持っているのがハーレイ。
柔道部員の力を伸ばしてやるにはどうすればいいか、よく分かっているものだから…。
(必ず指導で、柔道部員の体調とかも確かめて…)
それから会議や仕事にゆく。どんな時でも、顔を合わせる柔道部員たち。
ハーレイはとても真面目なのだし、全員に声を掛けながら。
自分が指導できない日ならば、普段以上に心を配って。
一人ずつ順に名前を呼んでは、「調子はどうだ?」と訊いたりもする。
(ハーレイ、凄く優しいから…)
それに勘だって鋭いのだし、柔道部員の僅かな変化にも気付く筈。
無理をして出て来た生徒がいたなら、「お前、具合が悪いんじゃないか?」と。
何処かを傷めた生徒がいたって、直ぐに指摘して。
(その足じゃ、今日の練習は無理だ、って叱ったり…)
体調が悪い生徒に気付けば、「お前は今日は見学だ」とか。
きっとハーレイなら見落とさない。
いつも見ている部員たちだけに、彼らが嘘をついたって見抜く。
「大丈夫です」とやせ我慢をするとか、怪我をしていないふりだとか。
生徒の顔をじっと見詰めて、「本当か?」と。
「俺にはそうは思えないがな」と、「その足、ちょっと動かしてみろ」と。
それで嘘をついたことがバレても、ハーレイならば叱らない。
決して、頭ごなしには。…彼らが無理をしようとしたこと、それにも理由があるのだから。
練習を休めば、柔道の腕は落ちるという。
体育さえも見学ばかりの自分にはよく分からないけれど、「なまっちまう」と聞かされた。
毎日きちんと練習すること、その積み重ねで上達してゆく。
(今日は出来なかったことが、明日になったら出来るとか…)
そんな具合に伸びてゆくけれど、休んでしまえば伸びてくれない。
練習を休めば、たちまち身体が忘れてしまう。
どう動くのがいいか、対戦相手にどう向き合うか。
せっかく練習を重ねて来たのに、忘れるのはとても早いらしい。
(一日くらいなら、忘れなくても…)
まるで練習しないでいたなら、三日もすれば、もう動けない。
そうなる前に、サッと動けていたようには。
考えなくても身体が動いて、技をかけたり、かけられた技を躱したようには。
(そうなっちゃったら、置いていかれちゃうから…)
他の部員は先へと進んで、取り残されてしまう「休んだ」部員。
「それは嫌だ」と、無理をしたくもなるだろう。
ほんのちょっぴり頭痛がするとか、熱っぽいとかいうだけならば。
足が痛いと思っていたって、歩く分には問題が無いようならば。
(…ぼくなら休んで見学だけど…)
体育の授業を休むけれども、休みたくないのが柔道部員。毎日の放課後の練習を。
朝の練習が終わった後に、何処か具合が悪くなっても。
休み時間に歩いた廊下や階段、其処でウッカリ足を捻ったりしていても。
(…休んじゃったら、その分、腕が落ちちゃうから…)
無理をしてでも練習を、と思うのが柔道部員たち。
けれども、それは間違いらしい。
ハーレイがそう言っていた。
無理をした分、回復が遅くなってゆくから、大きな故障に繋がりかねない。
ほんの一日休んでいたなら、治った筈の体調不良。それで一週間寝込むとか。
何日か休めば引いた筈の痛みが取れなくなって、一ヶ月ほど見学する羽目に陥るだとか。
まだまだ未熟な生徒だからこそ、見極められない自分の体調。
無理をしていいか、しては駄目なのか、その判断も出来ないくらいに。
(だからハーレイが見に行って…)
一人一人の様子を確かめ、それから決める練習内容。自分が指導できない日でも。
今日はそういう日だっただろうか、それとも柔道部を指導した後で…。
(会議だったとか、他の先生たちと食事とか…)
ハーレイがどう過ごしたのかは分からないけれど、間違いないことが一つだけ。
柔道部員の生徒たちとは、放課後に顔を合わせたこと。
全員と幾つか言葉を交わして、適切な指示をしたということ。
ハーレイが指導をする時にだって、健康チェックは欠かさないから。
朝の練習では元気だった生徒、それが放課後には体調不良になっていることもあるのだから。
(…柔道部員は、ちゃんと放課後にハーレイに会って…)
一人ずつ言葉も掛けて貰って、もしかしたら一緒に練習だって。…いつものように。
けれど自分は家に一人で、ハーレイは来てくれなくて…。
(…柔道部員に盗られちゃったよ…)
身体のことを心配してくれるハーレイを、と悔しい気持ち。
ハーレイだったら、身体ばかりか心にも気を配るだろう。
悩み事を抱えた生徒がいたなら、きっと見抜いてしまうから。「どうしたんだ?」と。
心に悩みを抱えたままだと、練習中に起こりかねない怪我。
上の空では技を躱せはしないし、かけたつもりの技に失敗したりもする。
(ハーレイ、前に言ってたもんね…)
心技体を鍛える武道が柔道、心も強くなければ、と。
強い心を作るためには、自分に打ち克つことも大切。
悩みがあるならきちんと整理し、自分自身が克服すること。
「その手伝いも俺の役目だからな」と、「気付いたら無視は出来んだろうが」と。
今日も誰かが悩みを聞いて貰っただろうか、ハーレイに…?
全員が元気だったとしたって、ハーレイはそれを確かめに出掛けたのだから…。
いいな、と零れてしまう溜息。
自分は家で独りぼっちで過ごしていたのに、柔道部員はハーレイと一緒。
ほんの少しの間だけでも、一人一人に配られる視線。それから言葉。
(…ハーレイは、ぼくのハーレイなのに…)
柔道部の顧問の先生だけれど、前のぼくだった時から恋人、と悲しい気分。
「今日はハーレイを盗られちゃった」と、「ハーレイ、来てくれなかったから」と。
もしも自分がチビの子供でなければ、ハーレイは側にいてくれるのに。
結婚して一緒に暮らしていたなら、「ただいま」と帰って来てくれるのに。
(柔道部の生徒と会った後には、ぼくが待ってる家に帰って…)
それからゆっくり二人で過ごして、眠る時にも同じベッドで。
ハーレイの帰りが遅くなっても、先にベッドで眠っていたら…。
(遅くなってすまん、って…)
声が聞こえて、ふわりと抱き締められるのだろう。温かな腕で、広い胸の中に。
ハーレイは自分の恋人だから。…前の生から恋人同士で、生まれ変わっても出会えたから。
(…今は柔道部員に盗られちゃうけど…)
結婚したら、ハーレイは誰にもあげないんだから、と眺めたハーレイの家の方角。
何ブロックも離れているから、ハーレイの姿は見えないけれど。
窓から覗いても家の屋根さえ見えないけれども、其処で暮らしているハーレイは…。
(絶対、誰にもあげないからね)
ぼくと結婚した後は、と思う自分の未来のこと。
ハーレイが柔道部員をどんなに気にしていたって、家に帰れば自分のもの。
「おかえりなさい」と抱き付いて迎えて、キスを交わして、二人きり。
後は朝まで誰にもあげない、とハーレイの顔を思い浮かべる。
「ハーレイは、ぼくのハーレイだもの」と。
結婚したら二人で暮らすんだからと、ハーレイはぼくだけのハーレイだよ、と…。
誰にもあげない・了
※ハーレイ先生を「柔道部員に盗られちゃった」と思うブルー君。自分の家で会えなくて。
けれども、いつか結婚したなら、家に帰って来たハーレイ先生をしっかり一人占めv
(まだ何年もかかるんだよなあ…)
少なくとも四年近くはかかる、とハーレイがふと考えたこと。
夜の書斎でコーヒー片手に、小さなブルーを思い浮かべて。
今日はブルーの家には寄らずに帰って来たから、学校で言葉を交わしただけ。
挨拶の後に、ほんの少しの立ち話。
それだけでおしまいだったけれども、会えただけでも充分、嬉しい。
前の生から愛し続けた恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
ブルーと一緒に青い地球の上にいられるだけでも、今の自分は幸せ者だと思うから。
それにいつかは結婚できるし、今度こそブルーといつまでも一緒。
同じ家で暮らして、二人で食事。もちろん眠る時だって…、と未来への夢は尽きないけれど。
その日が来るのはまだ先のことで、四年近くはかかる現実。
十四歳にしかならないブルーは、結婚できる年を迎えてさえいない。
今の学校を卒業してから、やっと迎える十八歳の誕生日。三月の一番最後の日に。
其処でようやく結婚できる年になるわけで、「まだまだ先」と言ってもいい。
おまけにチビの子供のブルー。
前の生で初めて出会った頃と全く同じに、細っこい手足をした子供。
(小さなあいつも可愛いんだが…)
幼さの残るブルーの顔立ち、声変わりしていない声。
前のブルーが失くしてしまった子供時代の記憶の一切、それをもう一度手に入れたブルー。
今もせっせと幸せな記憶を増やしているから、見守る自分も幸せな気分。
前の分まで楽しんで欲しい子供時代。ゆっくり育って、存分に。
(そう思って、あいつを見てるわけだが…)
先は長いな、と改めて気付かされたこと。
小さなブルーが子供の間は、一向に来ない結婚できる日。
ブルーと二人で暮らせる日までは、まだまだ時間がかかるのだな、と。
とはいえ、とうに覚悟の上。何年も待つということは。
いつもブルーに「ゆっくり育てよ」と言い聞かせるのも、心の底から思うこと。
急いで育って前のブルーと同じ姿にならなくても…。
(子供時代は二度と戻って来ないしな?)
せっかくだから、うんと楽しめ、とブルーにも何度も言ってある。
小さなブルーは渋々といった顔だけど。…不満そうではあるけれど。
なにしろブルーの望みときたら、前のブルーと同じ背丈になるまで育つこと。
そうすればキスが出来るから。
「それまで俺はキスはしない」と叱り付けたり、睨んだりする日々だから。
キスを断ったら、たちまちプウッと膨れるブルー。フグみたいに。
そんな姿も可愛く思う自分がいるから、何年だって待つけれど。
何十年でも待てるけれども、ブルーが育ち始めたら…。
(…そりゃあ幸せな気分だろうな?)
もうすぐだよな、と心の中で指折り数えて待つハッピーエンド。
今のブルーを手に入れられる日。
(プロポーズはともかく、難関は色々あるんだが…)
何も知らないブルーの両親、教師で守り役の自分が「息子さんを下さい」と申し込んだら…。
いったい何が起こるやら、と心配の種は山のよう。
男同士の結婚だけでも、途惑うだろうブルーの両親。
その上、いつも家に出入りしていた「ハーレイ先生」が、一人息子を欲しがるのだから。
(まあ、その時になればだな…)
案外、上手くいくかもしれない、と楽観的な自分もいる。
前の生から恋人同士で、こうして生まれ変わった二人。
もう間違いなく運命の恋人同士なのだし、「上手くいくさ」と。
壁にぶつかっても、それもいつかは「いい思い出」。
神様が手を貸して下さるだろうし、ブルーと越えてゆける筈、と。
ハッピーエンドのウェディングベルを、幸せ一杯で鳴らせるだろうと。
いつか迎えるハッピーエンド。
小さなブルーが育ち始めたら、ぐんぐん近付く結婚式の日。
(前のあいつとそっくり同じに育ったら…)
一番に贈りたいのがキス。恋人同士の唇へのキス、それをブルーに。
小さなブルーが欲しくて欲しくて、あの手この手で強請り続ける「本物のキス」を。
キスを交わせるようになったら、デートも解禁。
ブルーと二人で出掛けてゆけるし、車に乗せてドライブだって。
(結婚に向けて、準備もしないといけないが…)
その前にまずは楽しまないと、と思うブルーとのデートやドライブ。
前の生では誰にも言えない恋だったのだし、デートなど出来るわけがない。
そうでなくても白いシャングリラが世界の全てで、デートもドライブも無理だった二人。
(前の俺たちの分までデートだ)
それにドライブ、と顔が綻ぶ。
結婚までにも素晴らしい日々がやって来るのが、小さなブルーが前と同じに育った時。
「その日が来るのが楽しみだよな」と、「あいつが育ってくれたなら」と。
きっとブルーが育ち始めたら、胸が躍るような毎日だろう。
学校で、ブルーの家で会う度、「昨日よりも育った」ブルーの姿。
自分との背丈の差が少しずつ縮み始めて、顔立ちも大人びてゆくブルー。
(声変わりもして、チビは卒業で…)
どんどん美人になっていくんだ、と誇らしい気持ち。
今の時代も、前のブルーは絶大な人気。写真集が幾つも出るほどに。
気高く美しかった恋人、ソルジャー・ブルーに日毎に似てゆく今のブルー。
(そのブルーが俺の恋人で…)
俺は最高の美人を手に入れるんだ、と思った所で気が付いた。
小さなブルーが育ち始めたら、誰もが目にする「美しく育ってゆく」ブルー。
すらりと伸びた華奢な手足に、非の打ち所がない美貌。
前のブルーと瓜二つの美人、それが日に日に育つのだから…。
(…見てりゃ、誰でも分かるよな?)
今のブルーが凄い美人に育つこと。
チビの子供の今は全く気付かれなくても、背が伸びて育ち始めたら。
(…そうなってくると…)
きっと誰もが目を向ける。
ソルジャー・ブルーとそっくり同じに育ちそうなブルーに、育つ途中の今のブルーに。
「凄い美人になりそうだ」と。
その片鱗が見え始めたなら、もう早速に…。
(学校の女子が目を付けそうだぞ、なんたってソルジャー・ブルーだからな)
恋に恋するような年頃の子でも、放っておきはしないだろう。
夢の王子様に恋をするように、群がるだろうブルーの周り。
(…あいつが困っちまっていても…)
気にもしないでキャーキャー騒いで、手渡しそうなプレゼント。
手作りの菓子だの、頑張って作った小物だの。
学校でさえも、そういう有様。…ブルーの周りに群がる女子たち。
(でもって、あいつが街にでも出たら…)
上の学校に通う生徒や、大人たちだって気付くだろう。
「凄い美人が歩いている」と、「声を掛けたら、話くらいは出来るかも」と。
小さなブルーが育ち始めても、人柄は今と同じだから…。
(知らんぷりして行きやしないぞ…)
何の用かと振り返りそうな、今よりも育った小さなブルー。
もう小さくはないけれど。前のブルーとそっくり同じに育つ途中の姿だけれど。
(まさか、一緒にお茶を飲んだり…)
飯を食ったりはしないと思うが、と分かっていたって、気掛かりなこと。
何人がブルーに目を付けるだろうと、呼び止めて話そうとするだろうかと。
(運が良ければ、ちょっぴり話すくらいはな…?)
出来るわけだし、それが出来たら充分、ラッキー。
そんな気持ちでブルーを呼び止め、話す輩が出て来そうだが、と。
なんてこった、と見開いた瞳。
育ってゆくブルーを自分が見守る間に、一足お先にブルーに声を掛ける人間。
学校だったら女子生徒たちで、それは賑やかに騒ぐのだろう。
ブルーに振り向いて貰いたいから、菓子などのプレゼントを用意して。
学校ではなくて街角だったら、「駄目で元々」とブルーを呼び止めそうな連中。
(あいつ、絶対、止まって話を聞くんだから…)
興味を引かれる話題だったら、熱心に聞いていそうなブルー。
相槌を打って、「それで?」と先を促しもして。
「何処かでゆっくり座って話そう」と誘われたって、断りそうにないブルー。
今の時代は「よからぬ輩」はいない時代で、とても平和な時代だから。
見知らぬ誰かとお茶を飲もうが、食事をしようが、要らない心配。
(…それで気が合えば、また待ち合わせで…)
どんどん仲良くなったりするから、ブルーにも掛けられそうな声。
運が良ければ凄い美人と付き合えるのだし、「いいな」と思った男性たちから。
(…それは大いに困るんだが…!)
ブルーは俺のブルーなんだ、と思うけれども、育つ途中は出来ないデート。
自分がそういう決まりを作って、ブルーと約束したのだから。
(…あの約束はマズかったか?)
もっと柔軟にすべきだろうか、と今から心配する未来。
「ブルーは俺のブルーだからな」と。
けして誰にも譲りはしないし、自分よりも先にデートされてはたまらない。
誰にもやらない、と思う恋人。
いつか決まりを変えてでも。前と同じに育つ前から、デートすることになったとしても…。
誰にもやらない・了
※ブルー君との未来を夢見るハーレイ先生。いつか必ずハッピーエンド、と。
けれどブルー君が育ち始めたら、誰かに先を越される恐れがあるデート。譲れませんよねv
(ハーレイのケチ…!)
もう本当にケチなんだから、と小さなブルーが尖らせた唇。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
今は学校の教師のハーレイ、その恋人が今日は訪ねて来てくれたけれど。
この部屋で二人、ゆっくり時間を過ごせたけれども、過ごした時間の中身が問題。
(ぼくにキスして、って頼んだのに…)
キスをくれなかったケチな恋人。
「俺は子供にキスはしない」と、お決まりの台詞で断って。
そんな決まりは要らないのに。ハーレイが勝手に決めた決まりで、酷すぎる決まり。
前の自分と同じ背丈に育たない限りは、キスは額と頬にだけ。
恋人同士のキスは贈って貰えない。
欲しくてたまらない唇へのキス、唇と唇を重ねるキスは。
(いつ頼んでも、断られちゃって…)
ついでに叱りもするハーレイ。時には腕組みして睨んだりも。
「何度言ったら分かるんだ?」と。
キスを贈ってくれる代わりに、苦い顔。唇だって、綻ぶ代わりに引き結んで。
だからプウッと膨れてやる。
不満な気持ちをぶつけてやるなら、それが一番だと思うから。
俯いてションボリしょげているより、「怒ってるんだ」と顔に出すこと。
今日もプンスカ怒って膨れた、「ハーレイのケチ!」とキッと睨んで。
キスを断って叱った恋人、ハーレイに向かって仕返しとばかり。
(ぼくが怒っているんだってこと…)
顔を見れば一目で分かるだろうに、ハーレイときたら、謝りさえもしなかった。
謝るどころか、放っておいて知らんぷり。
涼しい顔で紅茶のカップを傾け、ケーキも「美味いぞ」と頬張って。
負けてたまるか、と膨らませた頬。
こんな意地悪な恋人なんかに、ぼくは絶対負けないんだから、と。
(ずっと膨れてたら、根負けしてキス…)
そういうことも起こりそうだ、と思って頬っぺたを膨らませるのに。
紅茶もケーキも我慢でプンプン怒っているのに、ハーレイも負けていなかった。
暫くそのまま放っておかれて、それから伸びて来た両手。
とても大きな褐色の両手、それがペシャンと潰した頬っぺた。…顔の両側から。
「それじゃ紅茶も飲めんしな?」と、言葉だけは親切なのだけど。
紅茶が冷めてしまう前にと、美味しいケーキも食べられるようにと、心遣いは優しいけれど。
(言ってることと、態度が全く違うってば…!)
頬っぺたを見事に潰した後には、しげしげと眺められたから。
不満たらたらの、自分の顔を。
しかも頬っぺたを押し潰されて、きっとヘンテコになった筈の顔を。
鳶色の瞳にまじまじ見られて、「ハコフグだな」と酷い言葉で評された。
そのハコフグは、ハーレイの恋人の顔なのに。
ハーレイが自分で頬っぺたを潰して、ハコフグにしてくれたのに。
(最初から、そのつもりなんだから…!)
頬っぺたを潰しにかかる前から、ハーレイは「ハコフグ」を見るつもり。
そうでなくても膨れた時には、「フグだ」と言ってくれるから。
頬っぺたを潰したらハコフグなことも、ハーレイは知っているのだから。
(ぼくはホントに怒ってるのに…!)
キスを断られて膨れているのに、ハーレイは意にも介さない。
いつも「駄目だ」と断られるキス、チビの自分は膨れっ面が精一杯。
その顔だって、今日みたいにペシャンと潰される。
甘くて優しいキスの代わりに、大きな両手で潰される顔。
それを眺めて笑うハーレイ、「ハコフグだよな」と。
怒って唇を尖らせていても、気にせずに。
どんなにプンスカ怒ってみたって、少しも謝らないハーレイ。
酷すぎるよ、と思うけれども、今日もペシャンとやられた頬っぺた。
ハーレイに観察されて「ハコフグ」呼ばわり、貰えなかった唇へのキス。
前の生から恋人同士で、奇跡みたいに会えたのに。
ずっと遥かな時の彼方で、二人で行こうと夢見た地球。
あの頃には無かった青い地球の上に、生まれ変わって来られたのに。
(ちゃんと今でも恋人同士で…)
ハーレイは自分を抱き締めてくれて、「俺のブルーだ」と言ってはくれる。
結婚できる年になったら、結婚しようと約束だって。
(ハーレイのお父さんとお母さんには…)
いつか結婚する相手だから、と話してくれたのがハーレイ。
お蔭で貰えた、夏ミカンの実のマーマレード。
(パパとママは何も知らないから…)
美味しく食べているのだけれども、金色をしたマーマレードは自分のもの。
まだ会ったことがないハーレイの両親、その人たちからの贈り物。
「新しい家族が増えた」と喜んでくれた優しい人たち。
結婚式も挙げない内から、会いに行ってもいない内から。
(…ちゃんと話をしてくれたんなら、ぼくにだって…)
もっと恋人らしくしてよ、と頼んでみたって、駄目らしい。
ハーレイが勝手に決めた約束、それが小さな自分をキュッと縛るから。
前の自分と同じ背丈に育たない内は、キスは貰えない決まりだから。
(だけど、例外…)
どんな決まりにも例外はあるし、約束だって似たようなもの。
その時々で変わるものだし、場面に合わせて変わりもする。
キスの決まりもそれと同じで、ちょっと変わっても良さそうなのに。
普段は駄目でも、たまにはキスを贈ってくれても…。
(駄目ってことはない筈だよね?)
そう思うから、頑張る自分。
何度頬っぺたを押し潰されても、フグやハコフグだと笑われても。
けれど失敗続きの日々。
今日もやっぱりフグでハコフグ、貰えなかったハーレイのキス。
優しいキスをくれる筈の唇、それは笑いを湛えていただけ。
頬っぺたを潰されて怒る自分を観察していた、恋人の顔の定位置で。
「唇は此処」と神様が決めている場所、其処でニヤニヤ、それは可笑しそうに。
(…前のぼくは膨れてないけれど…)
膨れっ面をした覚えは無いのだけれども、もしも膨れていたならば。
前のハーレイに向かって「ケチ!」と怒っていたなら、きっと笑いはしない唇。
ハーレイはとても酷く慌てて、「すみません」と詫びてくれただろう。
いったい何が気に障ったかと、平謝りで。
(前のハーレイなら、きっとそうだよ…)
恋人の頬っぺたを潰しはしないし、ニヤニヤ笑って観察もしない。
大急ぎで詫びて、言葉だけでは済まなくて…。
(もう絶対に、お詫びのキス…)
それを贈ってくれた筈。強い両腕でギュッと抱き締めたりもして。
膨れっ面になった恋人、前の自分の機嫌が元に戻るまで。
「もういいから」と、笑みを浮かべてハーレイのことを許すまで。
(…前のぼくだと、そうなるってば…)
分かっているから、もう悔しくてたまらない。
同じ唇は其処にあるのに、チビだから貰えない唇へのキス。
ハーレイの唇がキスをくれるのは、いつでも頬と額だけ。
前の自分なら、いくらでもキスを貰えたのに。
「ハーレイのケチ!」と膨れてやったら、膨れっ面をやめるまでキスを幾つも。
きっと困った顔のハーレイ、「申し訳ありませんでした」と。
「どうか機嫌を直して下さい」と、「キスで駄目なら、お菓子を貰って来ましょうか?」とか。
前の自分も、甘いお菓子が好きだったから。
甘いお菓子は幸せな気持ちを連れて来るから、幸せな気分で食べていたお菓子。
前のハーレイも知っていたから、キスで駄目ならお菓子の出番。
そんな具合にキスを貰えたのが前の自分。
キスで機嫌が直らないなら、きっとお菓子もつけて貰えた。
けれどもチビの自分の場合は、お菓子を理由に潰される頬。…ハーレイの手で。
「そのままじゃ菓子が食えんだろう」と、親切に。
大きな両手でペシャンとやられて、可笑しそうに笑うハーレイの顔。
キスをくれない唇だって、一緒になって笑っている。
ハーレイの顔にくっついて。
神様が決めた唇の居場所、其処でニヤニヤ、悪戯っぽい笑みを浮かべて。
(…なんで、あんなに意地悪なわけ?)
同じハーレイの唇なのに、と悔しい気分。
優しいキスをくれる唇、それはハーレイの顔にあるのに。
前の自分の記憶そのまま、愛おしい人が顔に持っているのに。
(…ハーレイもケチだけど、唇もケチ…)
ハーレイと一緒になってケチだよ、と唇までケチに思えてしまう。
自分にキスをくれる代わりに、笑うから。
ハーレイの顔にくっついたままで、「ハコフグだよな」などと言うから。
(あの唇も、ケチで意地悪…)
前ならもっと優しかったよ、と膨れてみたって、無駄なこと。
此処にハーレイがいたとしたなら、きっと両手が伸びて来るから。
「そんな顔だと、寝られないだろう」と、言葉だけはとても親切に。
ゆっくりぐっすり眠れるようにと、ペシャンと潰してくれる頬っぺた。
(これでぐっすり寝られるな、って…)
あの唇が言うのだろう。さも可笑しそうに、笑いをたっぷり含んだ声で。
「ハコフグはもう寝る時間だぞ」と、「しっかり寝ろよ」と、子供扱いして。
(…ハーレイも唇も、とってもケチ…)
それに意地悪、と悔しいけれども、決まりは決まり。チビの自分は貰えないキス。
だからプンスカ怒って膨れて、ハーレイの唇にも怒ってやる。
「君の唇も、うんとケチだよ」と、「前よりもケチになったってば」と…。
君の唇・了
※ブルー君が貰い損なったキス。膨れても、頬っぺたを潰されただけ。「ハコフグだな」と。
唇までケチになっちゃった、とケチな恋人に膨れっ面。キスはまだまだ貰えませんねv
(またまた今日もケチ呼ばわりってな)
もう何回目になるんだか、とハーレイが浮かべた苦笑い。
ブルーの家へと出掛けて来た日に、夜の書斎でコーヒー片手に。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
それが小さなブルーだけれども、生憎と本当に「小さな」ブルー。
遠く遥かな時の彼方で失くした時には、ブルーは大人だったのに。
「ソルジャー・ブルー」と呼ばれた頃には、どんなに華奢で細くても…。
(どう見ても子供じゃなかったからな)
前のあいつは立派に大人だったんだ、と美しかった人を思い出す。
今でも写真集が人気を博するくらいに、気高かった前のブルーの美貌。
子供だったら、其処まで人気は出ないだろう。
「可愛らしい」と皆に愛されても、写真集を買って手元に置こうとまでは…。
(そうそう誰も考えないよな?)
たまに何処かで写真を見られればそれで充分、そんな程度に留まったろう。
道端で可愛い動物に会えば、頭を撫でたりするみたいに。
(ところが、今のあいつときたら…)
すっかりチビになっちまった、と今のブルーの姿を思う。
愛おしい人は生きて戻って来てくれたけれど、育った自分を何処かに置いて来たらしい。
十四歳にしかならないチビの子供が今のブルー。
自分が教える学校に通う、正真正銘、本物の子供。
(前のあいつも、出会った時にはチビだったんだが…)
あれと似たようなものなんだがな、と思いはしても、前のブルーの本当の年は遥かに年上。
アルタミラでの過酷な日々に苛まれ、心も身体も成長を止めていただけだから。
一番最初に発見されたミュウだったのだし、前の自分よりも年だけは上。
姿も中身も、見た目通りの子供でも。
細っこい手足の、チビの姿でも。
前のブルーはそうだったから、同じように子供の姿で出会った割には強かった。
燃えるアルタミラで、他の仲間を助け出そうと頑張ったほどに。
炎の中を前の自分と一緒に、懸命に走って行ったくらいに。
(…そんなあいつが、今ではだな…)
ハーレイのケチと来たもんだ、と小さなブルーの言葉が頭に蘇る。
それは鮮やかに、たった今、耳にしたかのように。
あまりに何度も聞かされたせいで、それを言い放った時の顔までが目に浮かぶほど。
「ハーレイのケチ!」とプンスカ怒って、膨れっ面になったブルーが。
(まったく、少しも懲りもしないで…)
俺は子供にキスはしないと言った筈だが、と思っても無駄。
ブルーの方では、その決まりに不満たらたらだから。
無理やり約束させられたことで、ブルーが自分で「これでどう?」と出した案ではないから。
前のブルーと同じ背丈に育つまでは、キスはしないこと。
それが決まりで、小さなブルーに「分かったな?」と告げたのだけれど。
ブルーも渋々頷いたけれど、それで収まるわけがない。
何かと言ったら「ぼくにキスして」と強請って来るのが小さなブルー。
そうかと思えば少し捻って、「キスしてもいいよ?」と誘うとか。
(どれも、チビには早すぎるんだ)
キスは額と頬だけなんだ、と決めているのに、小さなブルーは諦めない。
今日もやっぱりキスを強請って、「駄目だ」と叱れば膨れっ面。
「ハーレイのケチ!」とキッと睨んで。
頬っぺたをプウッと膨らませた上に、不満そうに尖らせた唇。
(いつ見てもフグにそっくりでだな…)
それをからかったら、ますます膨れる。
本物のフグが膨れるように。
膨れた頬っぺたを両手でペシャンと潰してやったら、まるでハコフグ。
尖った唇の辺りがそっくり、海に棲んでいるハコフグに。
(ハコフグってヤツは、あの唇がだ…)
うんと特徴的だしな、と海で出会ったハコフグを頭に描いてみる。
小さなブルーと再会する前、キャプテン・ハーレイの記憶が戻っていなかった頃。
得意の素潜りで潜っていた海、大きな岩を回り込んだら…。
其処にいたのがハコフグだった。
あちらの方でもビックリ仰天、お互い、まじまじ見詰め合ったから覚えている顔。
ハコフグも、ツンと突き出していた唇も。
(あのハコフグに似てるんだよなあ…)
頬っぺたを潰してやったブルーの顔は、と頭の中で重ねた二つ。
ハコフグの顔と、ブルーの顔と。
思わず吹き出すくらいに似ている、その二つ。
ハコフグは魚で、小さなブルーは人なのに。
ついでにブルーは、今は可愛くて、育った時には凄い美人になる筈なのに。
(どう転がったらハコフグなんだか…)
しかし似てる、とクックッと笑いが止まらない。
見事に重なるブルーとハコフグ、特に似ているのが唇の部分。
小さなブルーが尖らせるのと、ハコフグのツンと突き出している唇と。
(あの唇のせいだな、うん)
フグからハコフグになっちまうのは、と考察してみるブルーの顔。
頬っぺたをプウッと膨らませただけなら、ただのフグ。
けれど頬っぺたを押し潰されたら、膨れた部分はペシャンと潰れてしまうから…。
(唇だけが残るってわけだ)
膨れた名残の頬とセットで、尖らせている唇が。
まるでハコフグみたいな唇、突き出して不満を湛えたヤツが。
(頬っぺたを潰すと、あいつ、余計に怒るしな?)
酷い、とプンスカ怒るのがブルー。
「恋人の顔を潰すだなんて」と、「ぼくはハーレイの恋人なのに」と。
ツンと唇を突き出して。…ますますハコフグそっくりになって。
今日のブルーもそうだった。
キスを断ったら「ハーレイのケチ!」と膨れっ面で、もうプンプンと怒ったブルー。
面白いから放っておいたら、膨れっ放しでいたものだから…。
(そのままじゃ、お茶も飲めないぞ、とだ…)
親切に潰してやった頬っぺた。
小さなブルーの前にはケーキのお皿があったし、紅茶のカップもあったから。
いつまでもプンプン膨れていたなら、紅茶が冷めてしまうから。
「膨れていないで、早く食べろよ」と親切心が半分くらい。
残り半分は悪戯心で、ちょっぴり、からかいたいブルー。
(頬っぺたを潰せばハコフグだしな?)
あの顔を見たくもなるじゃないか、と頬っぺたを潰してやって眺めた恋人の顔。
「ハコフグだな」と。
フグからハコフグになっちまったと、「海じゃないのにハコフグだぞ」と。
それを聞くなり、小さなブルーが尖らせた唇。
頬っぺたはもう膨らまないから、大きな両手に押し潰されたままなのだから…。
(その分、唇に回っちまって…)
余計に似て来てしまうってな、とハコフグのブルーを楽しんだ。
ブルーは怒っているのだけれども、なんとも可愛らしいから。
ハコフグになった恋人の顔も、見ていて嬉しくなるものだから。
(…前のあいつは、あんな顔などしなかったから…)
不平不満をぶつけるブルーは見たことが無い。…前の生では。
今のブルーと同じにチビでも、前のブルーは生きねばならなかったから。
アルタミラから脱出した船、其処で多くの仲間たちと。
仲間たちの命を繋ぐためにと、生身で宇宙に飛び出して行っては、物資を奪って。
(膨れっ面をするどころか…)
いつも健気で、頑張り続けた前のブルー。
今のブルーと同じにチビの姿でも。
心も身体も子供のままで、長く成長を止めた後でも。
(それが今だと、ハコフグでだな…)
キスを断ったらフグでハコフグ、と可笑しくなるのがブルーの顔。
膨れっ面のフグも面白いけれど、ハコフグはもっと面白い。
(あの唇を見ちまうとだ…)
キスなんて消し飛んじまうんだが、と思うけれども、ブルーは知りもしないだろう。
ハコフグになった自分の顔が、恋人の瞳にどう映るのか。
「特徴的な唇だよな」と観察されて、ハコフグと見事に重ね合わせられていることだって。
何処から見たってハコフグなのに。
誰に見せても「似てますねえ…」と、クスクス笑ってくれそうなのに。
(あいつがハコフグをやってる間は、キスなんぞはだ…)
雰囲気からしてブチ壊しだぞ、と教えてやりたい気もするけれど。
「お前の顔を鏡で見てみろ」と、「ほら、この通りにハコフグだしな?」と笑いたいけれど。
それをやったら、ブルーは態度を改めるかもしれないから。
「キスを貰うには、この顔は駄目」と、策を練ることも起こり得るから…。
(…教えないってな、ハコフグのことは)
今のあいつにはアレが似合いだ、と思う尖ったハコフグの唇。
子供のブルーにキスは早すぎるし、まだまだ当分、ハコフグでいい。
(俺がキスしたくなるような姿になった頃には、だ…)
あの唇も卒業だろうさ、と分かっているのがハコフグみたいに尖った唇。
前と同じに育ったブルーが唇を尖らせた時は、頬っぺたを潰しはしないから。
優しいキスを唇に贈って、元の顔に戻すだけだから。
(同じあいつの唇なんだが…)
姿に合わせて変わるもんだ、と傾ける熱いコーヒーのカップ。
「今はハコフグで充分だ」と。
あいつの唇にはそれが似合いで、俺だって見てて楽しいからな、と…。
あいつの唇・了
※ハーレイ先生が楽しんでいるらしい、ブルー君が尖らせる唇。「ハーレイのケチ!」と。
今のブルー君にお似合いなのが、ハコフグの唇。ハーレイ先生、余裕たっぷりですv