「ねえ、ハーレイ。…シャングリラのお正月、覚えてる?」
そういう言葉も無かったけれど、とブルーが投げ掛けた問い。
訪ねて来てくれたハーレイと向かい合わせで、テーブルを挟んで。
「正月なあ…。そう呼んだりはしなかったよな」
ただの年越しだ、とハーレイは遠く遥かな時の彼方を思う。
白いシャングリラで前のブルーと過ごした頃には、「年が変わる」というだけのこと。
SD体制が始まった年から、数えられて来た年号が。
十二ヶ月ある月が全て終わって、また一月に戻るだけ。
けれども、それは銀河標準時間で数えるから。
何処の星でも「同じ」ではない、「一年の長さ」。
それぞれの星系の中心にあった太陽、いわゆる恒星。
その恒星の周りを一周する公転、それが星ごとの「一年」の筈。
もっとも、誰も「そうとは」思わなかったけれども。
SD体制があった時代も、それよりも前の「人類が宇宙に船出した頃」も。
今の時代も変わらない「暦」。
地球を基準に全てが動いて、年が変わるのも「地球に合わせて」。
ただ、違うのは「今は、本物の地球にいる」こと。
ブルーと二人で生まれ変わって、青く蘇った水の星の上に。
雲海の星、アルテメシアに潜んでいた頃、何度も迎えた「年が変わる」日。
正月などは無かったけれども、それに関する行事なら、あった。
「お正月…。前のぼく、お酒に弱かったから…」
いつもハーレイに頼んでいたよ、とブルーが微笑む。
皆で乾杯したのだけれども、その時に使った赤ワイン。
前のブルーは酒に弱くて、グラスを空けてしまおうものなら…。
「お前、酔っ払っちまって、大変なことになるからな?」
真っ赤な顔のソルジャーなんて、とハーレイが浮かべた苦笑い。
赤い顔だけで済めばいいけれど、確実だったろう、前のブルーの二日酔い。
新年早々、それではマズイ。
いくら「年が変わる」だけであっても、節目の時には違いないから。
「ぼくが酔っ払っちゃったら、大変だしね…。次の日だって、胸やけと頭痛」
そんなソルジャーだと困るものね、と小さなブルーも覚えていること。
乾杯のために配られたグラス、それに注がれた赤ワイン。
シャングリラでは、酒は合成品だった。
白い鯨になる前の船なら、本物の酒もあったのだけれど。
人類の船から奪った物資に、酒が混じっていた時には。
その「酒」が消えた、白いシャングリラ。
自給自足で生きてゆく船で、本物の酒は作れない。…技術はあっても、無かった材料。
農場で育てた葡萄の実たちは、「食べる」ための葡萄だったから。
そのまま食べたり、干しブドウにしたり、果汁を搾ってジュースにしたり。
「酒好きの者しか口にしない」酒は、けして作られはしなかった。
ただ、例外が一つだけ。
新年の時の乾杯用にと、樽で仕込まれた赤ワイン。
船でじっくり熟成させて、新年を迎えた時の祝いに配られた。
楽しみに待つ「酒好き」の仲間も多かったけれど、前のブルーは「そうではなかった」。
グラスに一杯分のワインで、酔ってしまえたソルジャー・ブルー。
本人にも自覚があったものだから、乾杯の時は「形だけ」。
一年を無事に過ごせたことへの感謝と、新しい年も皆が息災であるよう、祈りをこめて。
「乾杯!」とグラスを掲げた後には、ほんの一口。
そして、ハーレイに「頼むよ」と渡した。
ソルジャーの側に控えるキャプテン、「酒には強い」人に任せた「残り」。
「お前が、俺に渡すもんだから…。俺は多めに飲めたんだよな」
一年に一度きりの本物の酒、とハーレイの舌に蘇る味。
いつも「美味い」と思っていた。
合成品の酒とは違って、きちんと樽で仕込まれたもの。本物の葡萄で作ったワイン。
「あれ、美味しかった…?」
前のぼくには、少しも分からなかったけど、とブルーが尋ねる。
「お酒の味なんか、前のぼくには本当に分からなかったから」と。
「美味かったぞ? なんと言っても、本物だしな?」
おまけに一年に一回きりだ、とハーレイは「美酒」を懐かしむ。
「あれはなんとも美味かったんだ」と、「俺には、おかわりもあったしな」と。
前のブルーに譲られたグラス、それを飲み干すのもキャプテンの役目。
「貴重な酒」を無駄にするなど、白いシャングリラでは許されない。
いくらソルジャーが「飲めなくても」。
酒に弱くて酔っ払うのが分かっていても、「口をつけた残り」を捨てられはしない。
だからこそ、「これも俺の役目」と、毎年、空にしていたグラス。
自分のグラスを空けた後には、ブルーの分まで。
「美味しかったんなら、いいんだけどね。いつも押し付けちゃってたから」
前のぼくには美味しくないのを、とブルーは肩を竦めてみせる。
「ハーレイにしか頼めないしね」などと、可笑しそうに。
「まあなあ…。残りの酒は希望者に、って言えば大騒ぎになっちまうしな?」
酒好きのヤツやら、ソルジャーに憧れる女性やらで、と今でも容易に想像がつく。
きっと、そうなっていただろう、と。
皆がブルーの周りに押し掛け、飲み残しのワインを貰おうとして。
それを防ごうと、前のブルーが渡したグラス。
一口飲んだら、「頼むよ」とキャプテン・ハーレイに。
「あのお酒…。今のワインと比べたら、どう?」
どっちの方が美味しいと思う、とブルーが傾げた首。
「地球の赤ワインと、シャングリラの赤ワインなら、どっちが上?」と。
「どっちが美味いかって、そんなのは…」
俺に訊くまでもないだろう、とハーレイは答えたのだけど。
青く蘇った地球の土と水と、降り注ぐ地球の太陽の光。
それが育てた葡萄の実。
たわわに実った葡萄の房たち、それを搾って仕込まれたものが、今の地球のワイン。
赤でも白でも、ロゼであっても。
(当たり年のワインってヤツでなくても…)
とびきりの美酒に決まっている。
銘柄などにこだわらなくても、ごくごく安いワインでも。
どれも「シャングリラの赤ワイン」よりは、遥かに優れた味わいと香り。
船の中だけで育てた葡萄は、「地球の葡萄」に敵わないから。
最初から勝てる筈などはなくて、わざわざブルーに問われなくても…。
(今の赤ワインの勝ちに決まっているだろう…!)
断然、こっちが美味いんだから、と軍配を上げて、其処で気付いた。
「本当にそうか?」と、「今の赤ワインの勝ちなのか」と、シャングリラの赤いワインの味に。
地球のワインとは比較にならない、白いシャングリラで作られたワイン。
本物の葡萄を使っていようと、葡萄の味で既に負けていたから。
けれど、あの船の「唯一の本物」。
年に一度しか味わえなかった、グラスに一杯分だけのワイン。
(俺の場合は、ブルーの飲み残しがあって…)
二杯分ほどを飲めたけれども、あれも最高に美味ではあった。
一年を無事に過ごせたことを祝うワインで、新しい年を迎えるワイン。
あの「特別なワイン」と比べてみたなら、今のワインに、どれほどの価値があるのだろう…?
まるで無いな、と思わされた「それ」。
どれほど名高いワインであろうと、シャングリラのワインに敵いはしない。
「ミュウの箱舟」、其処で作られた「本物」には。
皆の命が懸かっていた船、その船の「祝いのワイン」の味には。
「…すまん、ワインの味なんだが…。シャングリラの方が美味かったようだ」
あっちが上だ、と訂正した。
小さなブルーに、「間違いない」と。
「えっ、だけど…。本当に?」
今の方が美味しい筈なんだけど、とブルーが言うのも、また正しい。
同じ条件で「味比べ」したら、シャングリラのワインに勝ち目は無い。
地球のワインを白いシャングリラに運んで、皆に飲み比べをさせたなら。
「どっちが美味い?」と注いでやったら、ゼルもブラウも、ヒルマンも、エラも…。
(迷いもしないで、地球のワインを選ぶんだろうな…)
その光景が見えるようだけれど、流れ去った時は遡れない。
「安いものでも最高に美味い」地球のワインを、白いシャングリラに運べはしない。
だから、ブルーに微笑み掛ける。
「あの船だったからこそ、美味かったのさ」と。
「同じワインを此処に持って来たら、地球のワインに負けちまう。だがな…」
あそこで飲むから美味かったんだ、と小さなブルーに教えてやった。
「酒を飲むには、時と場所ってヤツも大切なんだ」と。
白いシャングリラで飲んだ「新年のワイン」、あの場はどんなパーティーにも勝る。
「あれを越える酒は、まず飲めんだろう」と。
「…そうなんだ…。じゃあ、ぼくたちの結婚式で飲んでも負けちゃう?」
あの赤ワインに負けてしまうの、と心配そうな顔になるブルー。「負けちゃうよね」と瞬いて。
「いや、俺たちの結婚式なら、正月よりもめでたいからな?」
あれよりも美味いワインになるさ、とハーレイは「その日」を思い浮かべる。
きっとブルーは「頼むよ」と、また乾杯のグラスを寄越すのだろう。
純白の花嫁衣裳を纏って、そのたおやかな白い手で。
「ハーレイが飲んで」と、「花嫁さんが酔っ払ったら、大変だもの」と、最高の美酒を…。
最高の美酒・了
※シャングリラで新年を迎えた時に、乾杯していた「本物の」赤ワイン。遠い昔に。
地球のワインには敵わなくても、そちらの方が美味だった酒。そしていつかは最高の美酒を。
2017年の元旦用です、pixiv のハレブル更新日と重なったんで…。ゆえに単品v
(ハーレイのケチ…!)
ちっとも分かってくれないんだから、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は休日、午前中からハーレイが訪ねて来てくれたけれど。
この部屋で二人で過ごしたけれども、なんとも残念な結果に終わった。
(ぼくにキスして、って頼んだのに…)
即座に「駄目だ」と返したハーレイ。「俺は子供にキスはしない」と。
「前のお前と同じ背丈になるまでは駄目だ」が、ケチな恋人の言い分で、決まり。
ハーレイが勝手に決めてしまって、自分は従わされるだけ。その決まりに。
今の自分はチビだから。…ハーレイよりもずっと年下だから。
(…前のぼくなら、負けないんだけどな…)
年でも、それに立場でも。
アルタミラの檻で心も身体も長く成長を止めていたから、出会った時にはチビだった。
前のハーレイと、燃えるアルタミラの炎の地獄を走った時は。
だからアルタミラを脱出した後も、何かと気に掛けてくれたハーレイ。
本当の年を知った後にも、「それでも、お前は子供だしな?」と。
前の自分の心も身体も、育ててくれたのはハーレイたち。
食が細くても「しっかり食べろ」と励まされたり、散歩という名の軽い運動を勧められたり。
もっとも散歩は、主にブラウやエラたちと。
前のハーレイは走っていたから、とてもついてはいけなかった。今と同じに弱かったから。
(だけど、そうやって育ち始めたら…)
自然と身についていった知識や考え方。
船の仲間たちの命を繋ぐためには、人類の船から食料や物資を奪うしかない。
それが出来るのは自分一人で、責任感だって生まれるもの。
いつしか「リーダー」と呼ばれ始めて、ついには「ソルジャー」。
船の頂点に立つのがソルジャー、前のハーレイだって従うしかない。命令とあれば。
そんな権力を使いはしなかったけれど。振りかざしてさえも、いないけれども。
やってはいないというだけのことで、前の自分なら「勝てた」ハーレイ。
「ぼくの方がずっと年上だから」と言いさえしたなら、年長者として上に立つことが出来る。
ソルジャーとしての立場だったら、誰が見たってハーレイより上。
船を纏めるキャプテンとはいえ、ソルジャーに敵いはしないから。
シャングリラが白い鯨に改造されても、其処は変わりはしなかった。
自給自足の船になっても、タイプ・ブルーは一人しかいない。
万一の時に白いシャングリラを守れ抜けるのは、ソルジャーの自分だけだったから。
キャプテンが懸命に舵を切っても、どうにもならない局面はある。
その時はソルジャーの出番なのだし、キャプテンといえども前の自分には…。
(頭を下げるしかなかったんだよ)
下げさせたことは無いけれど。
船が危ういような場面は、ジョミーが来るまでただの一度も無かったから。
それに権力を振りかざすことも、前の自分はまるで好みはしなかった。
どちらかと言えば、「権力などは要らない」人間。
ソルジャーとして崇め敬われるより、皆と同じでいたかった。同じ服を着て、同じ所で。
(なのに、青の間を作られちゃって…)
其処に押し込められたようなもので、些か不本意でもあった。「どうして、ぼくが」と。
皆と同じに暮らしたいのに、大袈裟な衣装に立派すぎる部屋。
どうしてこういうことになるのかと、「みんなと同じで良かったのに」と。
誰もが敬うソルジャー・ブルー。
前の自分はそうだったのだし、ハーレイにだって勝てた筈。その気になれば。
サイオンでも決して負けはしないし、年も立場も負けてはいない。
けれども、今のチビの自分はどうだろう…?
(年は負けてるし、今のハーレイ、先生だし…)
ハーレイが勤める学校に通うチビの自分は、生徒で教え子。
学校の中でハーレイに会えば、「ハーレイ先生」と「先生」をつけて、おまけに敬語。
前の生なら、ハーレイが敬語だったのに。
ソルジャーには敬語で話すべきだと、二人きりの時も敬語を崩さなかったのに。
本当の所は、二人きりの時も敬語だったのは「用心のため」。
友達同士だった頃はともかく、恋人同士になった後には、隠さなくてはならない仲。
ソルジャーとキャプテンの恋が知れたら、大混乱だろうシャングリラ。
船を纏める立場の二人が恋仲だなんて、歓迎する者は誰一人としていない筈。
背を向ける者は多くても。
「船を私物化していたのか」と、裏切り者のように扱われることはあったとしても。
(だからハーレイ、ずっと敬語で…)
二人きりで愛を交わす時にも、頑なに敬語を貫き通した。
出会った頃には、気さくに話してくれていたのに。「俺はな…」と、いつも砕けた口調で。
あの口調が懐かしかったけれども、ハーレイに無理を言えはしない。
皆の前で敬語が崩れたならば、たちまち誰もが疑い始める。「何かあるのか?」と。
それでは駄目だ、と諦めていた。「普通の言葉遣い」に戻して貰うことは。
前のハーレイが使った敬語はそういう敬語で、今の自分が使う敬語と…。
(似ているんだよね、恋人同士なのがバレないように、って所だけは…)
そうは思っても、相手は「先生」。
学校の中では「ハーレイ先生」、生徒は必ず敬語で話さなくてはならない。
いくらハーレイが、聖痕を持った自分の「守り役」でも。
家に来てくれた時は「ハーレイ」と呼んで、敬語は抜きで話していても。
(年も立場も、サイオンも全部…)
今のぼくだと負けちゃってるよ、と情けない限り。今のハーレイには惨敗な自分。
勝てたとしたって、権力や立場を振りかざすつもりは無いけれど。
そういったことは嫌いだけれども、負けているのがなんとも悔しい。
これでは勝てはしないから。
「ハーレイのケチ!」とプンスカ怒って、膨れっ面が精一杯。
キスは駄目だと断られたって、「何故、駄目なのか」と理詰めで論破するのは無理。
今の自分は本当にチビで、立場も力も何も持たない。
ハーレイの方が何もかも上で、「俺が決めた」と決まりも作れる。
それだけの力を持っているから、言える立場にいるのだから。
ハーレイが作ってしまった決まり。
ソルジャー・ブルーと同じ背丈に育たない内は、唇へのキスは貰えない。
恋人同士のそれが欲しくても、「駄目だ」とすげなく断られる。今日みたいに。
(…ハーレイ、分かってくれないんだから…)
どれほどキスが欲しいのか。
両親もくれる頬や額へのキスとは違った、唇へのキス。
恋人同士はキスを交わすもの、前の生でも何度も交わした。
青の間でも、それにキャプテンの部屋でも、船の通路に誰もいなければ通路でだって。
(恋人同士なら、キスは挨拶みたいなもので…)
愛してるよ、と心をこめて交わすもの。
会った時には重ねる唇、もちろんベッドの中でだって。
(…ベッドに行くのは、今は無理だし…)
その分だけでもキスが欲しい、と余計にキスが欲しくなる。
愛を交わして「本物の恋人同士」になってみたくても、無理だから。
両親の目があるこの部屋のベッドでそれは無理だし、ハーレイの家に行くのは禁止。
だから、そっちは諦めた。「駄目でも仕方ないよね」と。
けれどキスなら此処でも充分。
母の足音にさえ気を付けていれば、幾らでもキスを交わせる場所。
なのにハーレイは「駄目だ」と言うだけ、「俺は子供にキスはしない」と。
子供なのは「姿だけ」だと思うし、中身は前の自分と同じ。
きちんと記憶を受け継いだから、キスをしたことも覚えている。
どんなにハーレイを愛していたかも、別れがどんなに辛かったかも。
(生まれ変わって、また会えたのに…)
再会のキスも出来ないだなんて、いったい誰が思うだろう?
前の自分が耳にしたなら、「ハーレイ?」と青の間に呼び付けていそう。
「君はどういうつもりなんだい?」と、「再会のキスもしないだなんて」と。
それでも本当に恋人なのかい、と呆れた口調で。
「まさかね?」と、「君が未来のぼくに向かって、そんな仕打ちをするだなんてね」と。
前の自分がそう言ったならば、ハーレイはどうするだろう?
きっと慌てて「いいえ」と叫ぶに違いない。
「未来のあなたも大切です」と、「きっと何かの間違いでしょう」と。
本当にきっと、心の底から。「未来のブルーに、キスをしないなんて有り得ない」と。
何かのはずみで引き離されることになったら、再会した時は贈るキス。
「会いたかった」と砕けた口調になるのか、「お会い出来て良かった」と敬語なのか。
どちらにしたって、再会のキスは貰えたと思う。
前の自分とハーレイならば。…前の自分が今の状況を問い詰めたなら。
(…うーん…)
やっぱりキスはするものだよね、と考える。
強請っては叱られてばかりだけれども、今のハーレイが悪いのだろう。
チビの自分よりも立場が上で、年上だから。
「俺は子供にキスはしない」と言える立場で、学校の中では「ハーレイ先生」。
前の自分たちのように立場が逆なら、「駄目だ」と断れはしないと思う。
いくら自分がチビの子供でも、十四歳にしかなっていなくても。
(…ハーレイ、ちっとも分かってくれない…)
恋人同士のキスがどんなに大切なものか、どれほど欲しいと願っているか。
唇を重ねる本物のキスが、恋人同士で交わし合うキスが。
ホントに分かってくれないんだから、と悲しいけれども、今のハーレイでは仕方ない。
今の自分は「ハーレイ?」と、青の間に呼び付けたりは出来ないから。
「キスは駄目だ」と叱られるだけで、膨れっ面をするのが精一杯だから…。
分かってくれない・了
※「ハーレイはキスの大切さを分かってくれない」と、不満一杯のブルー君。叱られた、と。
今のハーレイの立場が悪い、と結論を出したみたいですけど…。子供ならではv
(まったく、あいつは…)
いつになったら分かるんだか、とハーレイの口から零れた溜息。
ブルーの家へと出掛けた休日の夜に、書斎で熱いコーヒー片手に。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れたコーヒー、それが苦手な小さな恋人。
前の生から愛し続けて、生まれ変わってまた巡り合えた愛おしい人。
ブルーは戻って来てくれたけれど、今日も二人でゆっくり過ごしていたのだけれど。
(アレだけは、どうにもならないってな)
いくら恋人でもチビなんだから、と思い浮かべる恋人の顔。
前の生では、それは気高く美しかったソルジャー・ブルー。
死の星だった地球が青く蘇るほどの時が流れても、大勢のファンがいる美貌。
本屋に行ったら、写真集が幾つも出ているくらいに。
(前の俺と恋人同士だった頃のあいつは…)
とっくにああいう姿だった、とハッキリ言える。
燃えるアルタミラで出会った時にはチビだったけれど、それから育ったのだから。
シャングリラと名前をつけていた船、その船が改造された後に、お互い、恋だと気付いた。
「一番古い友達同士」から「恋人同士」に変わっていった。
ブルーはといえば、改造前の船だった頃に既にソルジャー。
今でも称えられる美貌と、すらりと華奢な身体の持ち主。
(ソルジャーの衣装が良く似合ってて…)
本当に綺麗だったんだ、と今も鮮やかに思い出せる。かの人のことを。
ところが遥かな時を飛び越え、青い地球の上で出会ったブルーは…。
(俺の教え子で、思いっ切りチビ…)
十四歳のチビときたもんだ、と嘆いてみたって始まらない。
今のブルーは前と違って、今の自分よりも「ずっと年下」。
再会したのも今の自分が勤める学校、其処の一番下の学年のクラス。
下の学校から入学したての子供ばかりが集まるクラスに、今のブルーがいたのだから。
愛おしい人がチビだったことは、今は全く苦にならない。
最初の間は、「何故だ」と思いもしたけれど。
小さなブルーが見せる表情、それに昔のブルーが重なって見えもしたけれど。
(…あの頃は、正直、危なかったが…)
ブルーの中に前のブルーを求めて、ともすれば外れそうな気がした心の箍。
何かのはずみに外れたならば、もはや自分でも止められはしない。
たとえブルーが泣き叫ぼうが、「嫌だ」と暴れて抵抗しようが、力任せに組み伏せて…。
(強引に俺のものにしちまうってことも…)
まるで無かったとは言い切れない。
それを恐れて、ブルーを家から遠ざけた。「大きくなるまで此処には来るな」と。
ションボリと肩を落として帰ったブルー。
まさかそうなるとは思いもしないで、遊びに来てはしゃいでいたのだから。
けれど、あの時は「ああするのが正しかった」と思う。
ブルーが何度も家に来ていたら、何が起きたか分からない。
なにしろ一人暮らしの家だし、止めに入る者は誰もいないから。
泣き叫ぶブルーの悲鳴を聞き付け、何事なのかと飛び込んで来る者だって。
(あいつを家から遠ざけてなけりゃ、本当に危なかったんだ…)
俺だって男なんだから、と分かっているのが自分の本能。
自制心は強いつもりだけれども、恋人となれば話は別。
前の生では心も身体も、強く結ばれていた愛おしい人。
それがブルーで、なのに最後は引き裂かれるように死に別れた。
前のブルーには、何度も誓っていたというのに。
死の世界までも共に行くからと、けして離れはしないからと。
けれども、それを禁じたブルー。
「ジョミーを支えてやってくれ」と思念を残して、前の自分を船に縛って。
一人残された前の自分は、深い悲しみと孤独の中で地球までの道を歩み続けた。
ブルーは何処にもいないのに。…愛おしい人を失ったのに。
抱き締めたくても、もう戻っては来なかったブルー。ただ一人きりで逝ってしまって。
前の自分が失くした恋人、死の瞬間まで想い続けた愛おしい人。
ブルーの許へ、と夢見るように命尽きたことを覚えている。
崩れゆく地球の地の底深くで、落ちてくる瓦礫に押し潰されてゆく中で。
「これでブルーの所へ行ける」と、「やっと終わった」と。
其処で自分の記憶は途切れて、気付いたら青い地球の上。
その上、戻って来てくれたブルー。新しい命と身体とを得て。
(いくらチビでも、やっぱり重なっちまうよなあ…?)
魂は同じブルーなのだし、気高く美しかったブルーが。身体も心も溶け合った人が。
子供に手を出す気など無くても、「ブルー」だったら事情は変わる。
遠く遥かな時の彼方で、毎夜のように愛を交わした人。
その人なのだと分かっているから、小さなブルーに前のブルーが重なるから。
これは危ない、と考えたからこそ退けた。
ウッカリ間違いを起こさないよう、今のブルーを傷付けないよう。
(あいつ、中身もチビだから…)
姿と同じにチビなんだよな、と見抜くまでには、さほど時間はかからなかった。
最初こそ錯覚したけれど。
今の小さなブルーの身体に、「前のブルー」が戻ったのだと。
「ただいま、ハーレイ」と言われた時には、「帰って来たよ」と聞いた時には。
姿こそ小さな子供だけれども、中身は「前のブルー」だと。
ソルジャー・ブルーだった頃そのままに、凛としたブルーが戻って来たと。
(しかし、そいつは違ったわけで…)
ブルーの中身は、見た目通りに十四歳にしからならない子供。
恋の記憶は残っていたって、年相応にぼやけたもの。
「ハーレイが好き」と口にしていても、前のブルーの頃とは違う。
好きな気持ちは同じでも。…恋した気持ちは本物でも。
(チビはチビでしかないってな)
今度は結婚できると喜び、夢を描いているブルー。
夢は叶えてやれるのだけれど、いつか必ず叶えるけれど…。
それよりも前が問題なんだ、と今の状況に溜息が出る。
今のブルーは、まるで自覚が無いものだから。
(チビのくせして、前のあいつと同じつもりで…)
恋人同士の時が欲しくて、何かといえば強請られるキス。「ぼくにキスして」と。
今日もやられて、「俺は子供にキスはしない」と断った。
決まり文句で、小さなブルーが前のブルーと同じ背丈にならない間は、キスは額と頬にだけ。
そう言ったならば、プウッと膨れるのがブルー。
「ハーレイのケチ!」とプンスカ怒って、「ぼくはハーレイの恋人なのに」と。
どうしてキスをしないと言うのか、それでも本当に恋人なのかと。
今日もプンプン怒って膨れて、フグのようだった小さなブルー。
「分からず屋!」と書いてあった顔。「なんというケチな恋人だろう」と。
(ああして膨れる辺りがな…)
立派に子供な証拠なんだが、とクックッと笑う。
そういうブルーを見慣れた今では、もう揺らぎさえもしないのが心。
「ブルーを襲ってしまうかも」という恐れは消え去り、ただゆったりと見守るだけ。
大人ならではの余裕でもって。
前のブルーは子供時代の記憶を全て失ったのだし、「子供時代を楽しめばいい」と。
優しい両親も暖かな家も、今のブルーは持っている。
それを存分に満喫すべきで、ゆっくり育ってくれればいいと。
(何十年でも待ってやれるんだがな…)
ブルーが幸せに生きてゆけるなら、幸せな子供でいられるのなら。
結婚までの日がどんなに延びても、きっと辛いとは思わない。
小さなブルーが笑顔だったら、幸せ一杯だったなら。
(しかしだ、それを全く分かってないのが今のあいつで…)
キスを断ったら「ハーレイのケチ!」で、フグみたいにプウッと膨らませる頬。
顔にも「ケチ」と書かれている上、「分からず屋」とも書いてある。
今日もやっぱり怒って膨れて、お決まりのパターン。
じきに機嫌は直るのだけれど、プンスカ膨れる小さなブルー。
(分からず屋なあ…)
分かってないのは、実はあいつの方なんだが、と思ってもブルーに通じはしない。
一人前の恋人気取りで、前の自分と同じつもりでいるのだから。
本当にキスをされたとしたなら、チビのブルーは竦み上がってしまうだろうに。
夢を見ていた「甘いキス」とは違うキス。
それに怯えて動けなくなって、涙もポロポロ零すだろうに。
「何をするの」と、「怖いからやめて」と。
けれど気付いていないのがブルー、だから自分は「分からず屋」でいい。
いつかブルーが大きくなるまで、キスを交わせる時が来るまで。
(それまでは、分かってやらないんだ…)
俺は決して分かってやらない、と傾ける少し冷めたコーヒー。
それがブルーのためだから。
愛おしい人をとても大切に思っているから、子供のブルーは子供らしいのが一番だから…。
分かってやらない・了
※ブルー君に「ハーレイのケチ!」とやられたハーレイ先生。「分からず屋だ」という顔も。
けれど、分からず屋でいいそうです。ブルー君が大きく育つ日までは、分からず屋v
(…ハーレイ、来てくれなかったよ…)
来てくれるかと思ってたのに、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は訪ねて来てくれなかったハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
今は生徒と教師だけれど。
十四歳にしかならない自分は、ハーレイが勤める学校に通う生徒だけれど。
(会議が長引いちゃったのかな?)
ハーレイの帰りが遅くなった理由。仕事帰りに此処を訪ねてくれなかった原因。
会議だろうと思うけれども、もしかしたら柔道部だろうか。
部員の一人が怪我をしたなら、とても大変で気の毒だけれど。
(そうじゃなくって、特別に指導…)
いつもより長く、一人一人に目を配って。「今日は調子が良さそうだな?」と。
そんな日だってあるかもしれない、ハーレイの気分が乗ったなら。
部員たちの方もやる気満々、「先生、よろしくお願いします!」と揃って頭を下げたなら。
(…柔道部員に盗られちゃった?)
今日のハーレイ、と悲しい気分。
そうと決まったわけでもないのに、「ひょっとしたら」と塞がる胸。
家でハーレイを待っていたのに、そのハーレイは柔道部員たちといたのだろうか、と。
指導の後には「腹が減ったろ?」と、何か御馳走しただとか。
(ハーレイが、浮気…)
いきなりポンと浮かんだ言葉。
「今日はハーレイ、浮気したかも」と、「ぼくを放って行っちゃったよ」と。
この部屋でお茶とお菓子の代わりに、柔道部員たちとジュースとか。
「頑張ったな」と近くの店に出掛けて、アイスクリームや、軽い食事や。
まるで無いとは言えないから。…クラブによっては、そういう話も耳にするから。
運動の後にはお腹がすっかり減ってしまうクラブ、陸上部だとか他にも色々。
顧問の先生たちが、たまに御馳走するという。
クラブ活動を終えた後には、みんなで店に出掛けて行って。
(…ハーレイの噂は聞かないけれど…)
聖痕を持った自分の守り役、そういう役目があるハーレイ。
そのせいなのか、いつも優先して貰えるのがチビの自分。
柔道部員の生徒たちより、彼らを連れて食事や遊びに出掛けるよりも。
(でも、お休みの日に家に呼んだり…)
していることは確かなのだし、自分の耳には入らないだけで、例外だってあるかもしれない。
「今日は御馳走してやるからな」と、柔道部員たちと繰り出す放課後。
クラブ活動が終わった後で。
この家を訪ねて来てくれる代わりに、柔道部員たちを引き連れて。
(浮気しちゃったかな…?)
ぼくを放って、と悲しいけれども、仕方ない。
もしも自分が丈夫だったら、きっと入った柔道部。…ハーレイと一緒にいたいから。
学校では「ハーレイ先生」でも。
礼儀作法に厳しい柔道、ハーレイに学校の中で会ったら、深々とお辞儀が必要でも。
そうなっていても、柔道部に入ったことだろう。
入れていたなら、ハーレイの家にも遊びに行けた。他の部員たちと一緒でも。
チビの自分が大きくなるまで、二度と呼んでは貰えない家。
其処へワイワイ出掛けて行っては、賑やかに騒げた筈だった。
柔道部員の御用達だという、徳用袋の美味しいクッキーを食べて。
夏には庭でバーベキューもして、ハーレイの家で楽しめた。
身体が丈夫だったなら。柔道部に入ることが出来たら。
けれど、無理なのが柔道部。
前と同じに弱く生まれてしまった自分は、体育の授業も見学のことが多いほど。
柔道などとても出来はしないし、入部させても貰えない。
朝の走り込みだけで倒れてしまって、柔道どころではないのだから。
仕方ないよね、と諦めるしかない浮気。
柔道部に入部出来ていたなら、ハーレイは浮気しないから。
他の部員たちと少しも変わらず、ハーレイと一緒に出掛けてゆける。
何処かで軽く食事にしたって、アイスクリームか何かを御馳走になるにしたって。
(…ぼくが弱いのが悪いんだから…)
浮気されたって仕方ないよ、と考えた所で気が付いた。
アイスクリームを食べに行くとか、食事を御馳走するとかだったら、いいけれど。
大勢の柔道部員が一緒で、浮気の相手はドッサリだけれど。
(……本物の浮気……)
そっちだったらどうしよう、と。
ハーレイが他の誰かに惹かれて、本当に浮気してしまうこと。
チビの自分のことは放って、デートに行ったり、ドライブしたり。
そんなライバルが登場したなら、どうすればいいというのだろう…?
(…前のハーレイなら、安心だけど…)
多分、安心だったと思う。
白いシャングリラにいた女性たちは、ハーレイに興味が無かったから。
それだけだったらまだマシだけれど、船で流れていた噂。
「キャプテンには、薔薇の花びらで作ったジャムは似合わない」と。
一部の女性が薔薇の花びらで作っていたジャム。
沢山の量は作れないから、出来上がる度にクジ引きだった。希望者たちが引いたクジ。
そのクジの箱は、ブリッジにも運ばれて行ったのに。
「如何ですか?」とクジの箱が来たら、ゼルまでが引いていたというのに…。
(…ハーレイの前は、箱が素通り…)
一度もクジを引けずに終わった、前のハーレイ。薔薇の花のジャムは似合わないから。
それがキャプテン・ハーレイへの女性たちの評価で、まるで無かった浮気の心配。
ところが今では、すっかり変わってしまった事情。
生徒たちには、「憧れのハーレイ先生」だから。
柔道をやらない女子たちにだって、うんと人気があるものだから。
学校でさえもそういう有様、ハーレイを「かっこいい」と思う生徒が大勢。
ついでに学生時代のハーレイ、そちらはモテていたという。
柔道も水泳も「プロの選手にならないか」と誘いが来たほど、試合に出れば負け知らず。
応援に来ていた女性は多かったと聞いた。
(…プロの選手にならなかったから、みんな消えちゃったんだけど…)
学生時代の話なのだし、女性たちだって若かった筈。
ハーレイを応援しなくなったら、他に移っただろう関心。楽しいことは多いのだから。
けれども、それから流れた時。
ハーレイが年を重ねたみたいに、女性たちだって十年以上も歩んだ時。
色々なことがあった筈だし、出会いも別れもありそうな感じ。
(結婚しちゃった人ならいいけど、まだ独身なら…)
何処かでハーレイとバッタリ出会って、「久しぶりね」と挨拶をして…。
ハーレイはとても人がいいから、「飯でも食うか?」と気軽に声を掛けそう。
「近くに美味い店があるから」とか、「ゆっくり昔話はどうだ?」と。
まるで下心は無くっても。…本当に懐かしかっただけでも。
(それで一緒に食事とか、お茶…)
ハーレイは軽い気持ちで誘って、あれこれ楽しく話をして。
女性の方もコロコロ笑って、相槌を打ったりしている内に…。
(…ハーレイの魅力を再発見…)
そういうことも無いとは言えない、「やっぱり素敵な人なんだわ」と。
魅力に気付けば、まだ独身の今のハーレイは、きっと輝いて見えるだろう。
誰かのものではないのだから。
ハーレイがその気になってくれたら、結婚だって出来るのだから。
(…また会いましょう、って約束しちゃって…)
最初は時々、その内に増えてゆく逢瀬。
ハーレイの方でも、「素敵な人だ」と思い始めて。
キスも出来ないチビの恋人、デートも出来ないチビよりはずっと…。
いいに決まっている女性。会えば楽しいし、食事もドライブも出来るのだから。
(…ハーレイが浮気しちゃうわけ?)
ホントのホントに本物の浮気、とズキンと痛くなった胸。
チビの恋人の自分を放って、デートに出掛けてゆくハーレイ。
「すまん」と、「今度の土曜日は用があってな」と、言い訳をして。
本当は女性とデートにゆくのに、そうは言わずに用があるふり。
(…そうされたって、今のぼくには…)
見破れもしない、ハーレイの嘘。
不器用になってしまったサイオン、ハーレイの心の中は読めない。
「すまん」と顔を曇らせるくせに、本当は心が弾んでたって。
次の週末はデートなんだと、土曜日は何処へ出掛けようかと計画を幾つも立てていたって。
(…今のハーレイなら、そうなっちゃっても…)
ちっとも不思議じゃないんだよ、と自分にも分かるハーレイの魅力。
白いシャングリラの頃と違って、今のハーレイは大勢の人を惹き付けるから。
生徒に人気で、学生時代は女性のファンが沢山。
もちろん今でも魅力たっぷり、そんなハーレイの心を掴む女性が現れたなら…。
(ハーレイが、浮気…)
ぼくを放って誰かとデート、と受けた衝撃。
今のハーレイなら、有り得るから。…まるで無いとは言えないから。
(……ぼくの家に来てくれる代わりに……)
誰かとデートで浮気だなんて、と考えただけで泣きそうだけれど。
本当に浮気をされてしまったら、きっと涙がポロポロ零れるだろうけれども…。
(でもハーレイなら、ぼくのこと…)
いつか必ず、また思い出してくれるだろう。
チビの自分が大きくなったら、前とそっくり同じ姿になったなら。
そしたら戻ってくれるだろうし、いくら悲しくても、この家でじっと待てばいい。
浮気されても、ハーレイのことが好きだから。
他の人など好きになれなくて、ハーレイだけしか見えないから。
だから浮気も我慢するよ、と浮かべた笑み。
「浮気されたって、大好きだもの」と、「ぼくには、ハーレイだけなんだもの」と…。
浮気されたって・了
※ハーレイ先生が浮気するかも、と気になって来たブルー君。本物の浮気で、女性と浮気。
けれど健気に我慢する気で、「浮気されたって大好きだもの」。心配なさそうですけどねv
(浮気なあ…)
俺とは無縁の言葉だよな、とハーレイがふと思ったこと。
夜の書斎でコーヒー片手に、愛おしい人を心に描いて。
今日は寄れずに終わってしまった、小さなブルーが暮らしている家。
きっとションボリしているのだろう、「ハーレイが来てくれなかったよ」と。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
まだ十四歳の子供だけれども、キスも出来ない恋人だけども。
(俺はブルーしか好きになれなくて…)
これからもずっとブルーだけ。
いくら小さな恋人でも。教師と教え子、そんな関係の今だけれども。
なんと言っても、遠く遥かな時の彼方で恋をしていた人だから。
前の自分が死の瞬間まで想い続けた人なのだから。
(いくらあいつがチビの子供でも…)
浮気なんぞは有り得ないな、と溢れる自信。
ブルー以外を愛しはしないし、他の誰かに恋だってしない。
いつかブルーが大きくなったら、なおのこと。前とそっくり同じ姿に育ったら。
(そしたら、あいつにキスを贈って…)
今のブルーが欲しがるキス。何度「駄目だ」と叱っても。
恋人同士の唇へのキス、それが欲しくてたまらないブルー。
まだまだチビの子供のくせに。本物のキスを贈ろうものなら、驚いて泣き出しかねないのに。
けれどブルーが前と同じに育った時には、本物のキスを贈らなければ。
キスを交わして、デートにも行って、一世一代のプロポーズ。
そうすればブルーと結婚できるし、二人一緒に暮らすのだから…。
(ますます浮気は有り得ないってな)
家に帰れば、あいつが待っているんだから、と幸せな未来へ思いを馳せる。
ブルーと二人で暮らす家へと、「おかえりなさい」とブルーの声が聞こえる未来へと。
誰よりも大切で愛おしい人。前の生から愛したブルー。
他の人など目にも入りはしなくて、ブルーしか好きにならないから…。
(浮気ってヤツとは、一生、無縁で…)
あいつ一筋、と思った所で不意に頭を掠めたもの。
小さなブルーは、見た目通りに中身もチビ。十四歳にしかならない子供。
今の自分が教える学校、其処では一番下の学年。
恋さえ無縁な年の子ばかり、今はそういう学年だけれど。
授業で恋の話をしたって、まるで手応えが無い子ばかりが揃うけれども。
(もっと学年が上になったら…)
同じ話でも食いつきが違う。「先生の場合はどうでしたか?」などと。
十八歳になればできる結婚、今のブルーが通う学校を卒業したら。
大抵の生徒は上の学校に進むとはいえ、中には結婚を選ぶ者だって。
(だからだな…)
結婚までは考えなくても、異性を意識し始める生徒。学年が上がっていったなら。
憧れの先輩が出来る子だとか、同級生と付き合い始める生徒とか。
(…そうなってくると…)
ブルーの周りはどうなるんだ、と未来のブルーに向かった心。
今はチビだし、周りの生徒も恋とは無縁。せいぜい、スターに恋する程度。
とはいえ、ブルーが育っていったら、周りの生徒も育ってゆく。
身体も心も、結婚できる年に向かって。
先輩に恋する女子生徒だとか、気になる同級生にアタックする生徒。
(ちょっと待てよ…?)
今のブルーはチビだけれども、前のブルーがチビだった頃の姿にそっくり。
これから育ち始めたならば、似たような育ち方をする筈。前のブルーと。
背が伸び始めて、まだ幼さの残る顔から大人びた顔へ。
ブルーが育てば育つ分だけ、前のブルーの顔に近付く。
それに身体もほっそりすらりと、前のブルーと同じに華奢に。
誰もが振り返るような姿に、一目で惹き付けられる姿に。
つまり美しく育ち始める、今のブルー。前のブルーと同じ姿になるために。
今の時代も、前のブルーは多くの女性たちの憧れ。王子様のように。
(…写真集が何冊も出てるくらいに…)
ファンが多いのがソルジャー・ブルー。大勢の人の心を捉える、その美貌。
小さなブルーも、いつかそうなる。育ち始めたら、その日が近付く。
「本物のようだ」と皆が驚く、ソルジャー・ブルーに瓜二つの「ブルー」が出来上がる時が。
そうなる前には、生徒たちだって気付くだろう。
毎日のように顔を合わせる学校、きっと誰でも目を留める。
「ソルジャー・ブルー?」と、「ソルジャー・ブルーに、とても似て来た」と。
(今でも似てはいるんだが…)
そっくりなんだが、と思いはしても、チビでは全く話にならない。
周りの生徒も同じに子供で、「似ているよね」と眺めているだけ。チビのブルーを。
けれども、育ち始めたら違う。前のブルーと同じ姿へと、ブルーが歩み始めたら。
(生きたソルジャー・ブルーなんだし…)
憧れるだろう女生徒たち。夢の王子様にそっくりなブルーがいるとなったら。
日に日に育って、ソルジャー・ブルーに似てゆくのなら。
(…放っておく馬鹿はいないよな?)
ソルジャー・ブルーのようなタイプが好みなら。…あの容貌に惹かれるのなら。
きっと学校中の噂で、同学年の女子生徒たちはもちろんのこと…。
(下の学年の生徒たちだって…)
ブルーの周りに群がるだろう。少しでいいから話をしたいと、声が聞けたら素敵だと。
その光景が目に見えるよう。キャーキャーと騒ぐ女子生徒たち。
(あいつ、運動はからっきしだが…)
おまけに見学が多い体育、スポーツ万能とは縁遠いのがブルーだけれど。
そんなブルーでも、きっと顔だけで大勢の女子を惹き付ける。
スポーツが得意な男子生徒の周りを、女子生徒たちが取り巻くように。
クラブ活動をしている場所に出掛けて、声援を送っているように。
それと同じに、育ち始めたブルーの周りに出来る人垣。何人もの女子が群がって。
なんてこった、と気付いた未来。…今のブルーに注目するだろう大勢の女子。
誕生日でなくても、プレゼントを贈る子もいるだろう。
「作ったんです」と手作りの菓子や、「使って下さい」と買った小物やら。
(…うーむ…)
大勢の女子に囲まれたならば、ブルーはいったいどうするのだろう?
前のブルーは「ソルジャー」だったし、憧れる仲間がいくら多くても、安全圏。
アタックしようと思う勇者は誰もいなくて、フィシスを船に迎えた後ではなおのこと。
だから「ソルジャー・ブルー」は知らない。大勢の女性に囲まれることも、恋の告白も。
(おいおいおい…)
マズイかもな、と心配になった今のブルーの行く末。
前のブルーに似れば似るほど、取り巻きの女子も増えてゆく。同級生も、後輩だって。
ワイワイと周りを囲む女子たち、ブルーが歩けば一緒に移動してゆく人垣。
黄色い声をキャーキャーと上げて、プレゼントを渡す子などもいて。
(あいつ、ついつい…)
誰かに惹かれてしまわないだろうか、まるで免疫が無いのだから。
「恋する女性」に接した経験、それを「ソルジャー・ブルー」は持たなかったのだから。
ある日、ストンと落っこちる恋。取り巻きの女子の中の一人に。
健気にプレゼントを贈り続けて頑張った子だとか、心打たれる手紙を書いた生徒とか。
「この子は本当に真剣なんだ」と思った途端に、ほだされて。
少し付き合ってみるのもいいかと、たまには一緒に下校しようかと。
(…でもって、その子と意気投合して…)
ふと気が付いたら、週末は「その子と」出掛けるブルー。
家で「ハーレイ」を待っている代わりに、待ち合わせ場所の約束をして。
その子と一緒に出掛けるのだから、「今度の土曜日は、ぼくは留守だよ?」と言ったりして。
(…あいつが浮気するってか!?)
俺じゃなくて、と愕然とさせられた未来の光景。
週末の自分は独りぼっちで、ジョギングに行くとか、ジムや道場に出掛けるだとか。
なにしろブルーはいないわけだし、女子の誰かとデートの真っ最中だから。
(俺は浮気をしないのに…)
あいつが浮気しちまうのか、とショックだけれど。
女子の誰かにブルーを攫われそうだけれども、きっとブルーのことだから…。
(いつか俺のことを、思い出してくれる日が来るんだよな?)
きっとそうだ、と思いたい。
本当に好きな人は誰かに気付けば、ブルーは「帰って来てくれる」と。
「ハーレイを放っておいてごめんね」と、「今でも、ぼくのことが好き?」と。
そう言われたなら、余裕たっぷりで迎えるのだろう。「もちろんだとも」と。
ショックだった自分の心は隠して、欠片も顔に出さないで。
浮気されても、ブルーのことが好きだから。
前の生から愛し続けて、ブルー以外は見えないのが自分なのだから…。
浮気されても・了
※自分は浮気なんかはしない、と自信たっぷりのハーレイ先生。ブルーだけだ、と。
ところが、お相手のブルー君の方。もしかしたら浮気するかもですけど、大丈夫ですよねv