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(ハーレイ、明日も来てくれるといいな…)
 仕事が早く終わるといいのに、と小さなブルーが思ったこと。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は平日だったけれども、仕事の帰りに訪ねて来てくれたハーレイ。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 二人でお茶を飲んで過ごして、両親も一緒に食べた夕食。
 ハーレイは「またな」と帰ってしまって、今頃はきっと何ブロックも離れた家で…。
(…コーヒーだよね?)
 そんな時間だと思うから。
 いつも夜にはコーヒーらしいし、コーヒーが大好きなハーレイ。
 けれど、この家ではコーヒーは出ない。
 チビの自分が苦手な飲み物、それを知る母は滅多に淹れはしないから。
(ホントにコーヒーが似合う時だけ…)
 そういう夕食を作った時だけ、母が淹れるのが食後のコーヒー。
 ハーレイはとても喜ぶけれども、チビの自分はそうはいかない。
(…コーヒー、ホントに飲めなくて…)
 何度強請っても、挫折してばかり。
 最初の一口、その苦さだけでもう駄目なのが口の中。「なんでこんなに苦いわけ?」と。
 頑張って続きを飲もうとしたって、まるで飲めないのがコーヒー。
 どうしても飲むなら、砂糖たっぷり、ミルクたっぷり。
(それにホイップクリームも…)
 こんもりと入れて、ようやく飲める味になる。「これなら、ぼくも大丈夫」と。
 そうなるのを母も知っているから、いくらハーレイがコーヒー好きでも…。
(うちでは滅多に飲めないんだよ…)
 今日も出ないで終わってしまった食後のコーヒー。
 飲み損なった分を取り戻すように、ハーレイはコーヒーを飲んでいるだろう。
 気に入りの書斎か、リビングか、あるいはダイニングで。


 コーヒーが好きな恋人には少し気の毒だけれど、出来るなら明日も来て欲しい。
 学校の仕事が早く終わったら、この家へ。
(…学校でも顔は見られるけれど…)
 立ち話だって出来るのだけれど、学校ではあくまで教師と教え子。
 ハーレイは「ハーレイ先生」なのだし、敬語で話さなくてはならない。
 恋人同士だと分かる話はもちろん、ハーレイに甘えることも出来ない。
 会えても何処か寂しさが残る、学校でしか顔を見られなかった日。
 明日がそういう日にならないよう、夜には心の中でお祈り。
 「ハーレイが来てくれますように」と。
 次の日が休みでない限り。
 確実にハーレイが来てくれるのだと、分かっている日でない限り。
(…明日も仕事が早く終わって、柔道部の方も何にもなくて…)
 柔道部の生徒が怪我をしたりはしませんように、と祈る目的は自分のため。
 もしも誰かが怪我をしたなら、ハーレイはその子の家に行くから。
 保健室だの病院だので手当てを終えたら、車に乗せて。
 そっちの方へと行ってしまったら、この家に来てはくれないから。
(…ぼくの勝手なお祈りだけど…)
 生徒の無事を祈るのだから、神様もきっと知らない顔はしない筈。
 少しくらいは気にかけてくれて、柔道部が活動している間は…。
(多分、守ってくれるよね?)
 こらしめなければ、と神様が思わない限り。
 よくハーレイが言う「弛んでいる」生徒、そんな生徒への戒めの怪我。
 「もっと酷い怪我をしない間に、気を付けろ」という神様の声。
 捻挫で済んで良かったと思え、と足首を捻挫させるとか。
 ウッカリついた手首がグキッと、そんな感じの怪我だとか。
(柔道、危ないらしいしね…)
 頭を打ったら気絶することもあるという。
 だから神様の警告だってあるだろう。
 「これに懲りたら気を付けなさい」と、「次からきちんと気を引き締めて」と。


 怪我をする生徒も災難とはいえ、チビの自分も蒙る被害。
 来てくれる筈だったハーレイは来なくて、何度も零すのだろう溜息。
 「まだ来ないかな?」とチャイムが鳴るのを待つ間にも、ついに鳴らずに終わった後にも。
 こんな風にお風呂に入った後にも、きっと溜息が幾つも零れる。
(今日はハーレイ、来なかったよ、って…)
 とても寂しくて、ハーレイの家がある方角を眺めてばかり。
 ハーレイは今頃、何をして過ごしているのだろうか、と。
 書斎でコーヒーを飲んでいるのか、それともリビングかダイニングの方か。
 少しでいいから姿を見たいし、声が聞きたくてたまらないのに、と。
(お前、まだ起きているのか、って…)
 呆れた顔で叱られたって、会えないよりはずっとマシ。
 会えなかったら声も聞けないし、叱られることも無いのだから。
 今日は運よく会えたけれども、明日は本当に分からない。
(来てくれないと寂しいんだけど…)
 ぼくはとっても困るんだけど、と思ったら不意に掠めた思い。
 今の自分は、ハーレイが訪ねて来てくれるように、せっせと祈っているけれど。
 柔道部の生徒が怪我をしないよう、柔道部員のためにも祈るのだけれど。
(…柔道部員のためにお祈り…)
 そんなの、前はしていなかった、と気が付いた。
 ハーレイと出会って、前の自分の記憶が戻って来るまでは。
 遠く遥かな時の彼方で、ソルジャー・ブルーと呼ばれた自分。
 チビの自分が大きくなったら、きっとそっくりになる筈の人が、自分なのだと知るまでは。
(…ソルジャー・ブルー…)
 今では「前のぼく」と呼ぶ人。
 白いシャングリラで生きていた人、前のハーレイと恋をした人。
 その人がとても怖かったのだ、と今の今まで忘れていた。
 自分がソルジャー・ブルーだったこと、それをきちんと思い出す前は。
 ただ漠然と「そうかもしれない」、そう告げられてからの自分は。


 思い出す前には怖かったんだ、と蘇って来た、自分が感じていた恐怖。
 聖痕が身体に現れる前、右目からの出血を起こした時。
(パパたちの前で、血が出ちゃって…)
 連れて行かれてしまった病院。
 診察結果は「異常なし」だったけれど、恐ろしいことを聞かされた。
(怪我か何かだと思っていたのに…)
 だから両親にも出血のことを隠していたのに、診てくれた医師はこう告げた。
 「もしかしたら」と、「あなたはソルジャー・ブルーの生まれ変わりかもしれませんね」と。
 「生まれ変わりという現象を、私は信じていませんが…」とも、言ったけれども。
(…そんな怖いこと…)
 言われても困る。
 今日まで「ぼくだ」と思って来た自分、それが本当は違うだなんて。
 歴史の授業で教わる英雄、ソルジャー・ブルーが自分だなんて。
(…先生の従兄弟に、キャプテン・ハーレイにそっくりな人がいて…)
 教師をしていて、近い間に自分が通う学校に赴任して来るという。
 その人に会った途端に記憶が戻るかも、と口にした医師。
 「もしも本当にソルジャー・ブルーなら、そうなるのかもしれませんね」と。
 それを聞いて以来、怖かった。
 本当にソルジャー・ブルーだったなら、自分はどうなってしまうのかと。
 今の自分は消えてしまって、違う自分になるのだろうか?
 遠い昔の英雄だったソルジャー・ブルーが復活したら。
 彼の記憶が戻って来たなら、チビの自分は何処かに消えて。
 両親と暮らす幸せな日々も、今の記憶も消えてしまって。
(そうなっちゃったら、どうしよう、って…)
 ただ怯えながら過ごしたけれども、止んだ出血。
 もう大丈夫、と思っていた頃、ハーレイに会った。
 学校の自分の教室で。
 忘れもしない五月の三日に、ハーレイが其処に入って来て。


 ハーレイの姿を目にした途端に、右の目から、肩から溢れた鮮血。
 脇腹からも出血したから、激しい痛みで気絶したけれど。
(…気絶する前に、全部思い出して…)
 ハーレイなのだ、と分かった恋人。
 ずっと愛していた人だったと、やっと会えたと。
 それきり意識を失くしたけれども、もう忘れたりはしなかった。
 自分が本当は誰だったのかも、ハーレイを愛していたことも。
 気が遠くなるほどの時を飛び越えて、ようやく地球で巡り会えたということも。
(…あの時からずっと、ハーレイに夢中…)
 チビの自分は、消えてしまいはしなかった。
 思い出す前には恐れていたのに、ソルジャー・ブルーの記憶が運んで来たものは…。
(前のぼくが行きたかった、地球で暮らしているぼく…)
 青い地球の上で、優しい両親と暮らす幸せな自分。
 それに再び会うことが出来た、愛おしい人。
 今は古典の教師をしている、前はキャプテン・ハーレイだった恋人。
(…ハーレイに会えてしまったから…)
 会えなかった日にはとても寂しくて、悲しい気持ちに包まれる。
 夜にポツンと独りぼっちで、「ハーレイ、どうしているのかな?」と。
 そうならないよう、毎晩、祈っている自分。
 「明日はハーレイが来ますように」と、「柔道部の生徒が怪我をしたりはしませんように」と。
 自分が誰かを思い出す前には、柔道部員の生徒なんかは、目にも入っていなかったのに。
 朝のグラウンドで走っていようが、放課後の彼らの活動場所が何処であろうが。
(だけど、今だと…)
 朝に彼らが走っていたなら、ハーレイの姿を探してしまう。
 放課後になったら、気になる場所は体育館。
(…なんだか、色々変わっちゃったよ…)
 思い出す前には、怖かったりもしたのにね、と思うけれども、今は幸せ。
 クラブの時間に怪我をする生徒がいませんように、と柔道部員の分までお祈り。
 コーヒーが大好きな愛おしい人、ハーレイに明日も会えますように、と…。

 

         思い出す前には・了


※ハーレイ先生に来て欲しいから、と柔道部員の安全まで祈るブルー君。怪我しないように。
 けれど、ソルジャー・ブルーの記憶が戻る前には、怖かった日々も。今は幸せ一杯ですv







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(明日も会えるといいんだがな?)
 あいつの家で、とハーレイが思い浮かべた恋人。
 夜の書斎でコーヒー片手に、それが苦手なブルーを想う。
 今日は仕事が終わった後でゆっくり会えた。
 ブルーの家まで出掛けて行って、お茶と、ブルーの両親も一緒の夕食。
 それから帰って、のんびりと淹れたカップのコーヒー。
 この一杯が好きだけれども、ブルーの家では…。
(滅多に出ては来ないってわけで…)
 だから余計に美味いんだ、と味わう苦味。
 小さなブルーが飲めないお蔭で、お目にかかれる機会が少ない、ブルーの母が淹れるもの。
 とても美味しく淹れてくれるのに、なんとも惜しい。
(あいつがコーヒー、飲めるようになってくれればなあ…)
 そうすりゃ飲める、と考えたけれど、そのブルー。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 遠く遥かな時の彼方で、ソルジャー・ブルーと呼ばれた人は…。
(…やっぱり苦手だったんだ…)
 コーヒーってヤツが、と苦笑い。
 本物のコーヒー豆で淹れたコーヒーも、代用品だったキャロブのも。
 どちらにしたってブルーは苦手で、「こんな飲み物の何処がいいんだい?」と言ったほど。
 飲むとなったら砂糖たっぷり、ミルクたっぷり。
(ホイップクリームも、こんもりと乗せて…)
 アレはコーヒーとは言い難いよな、と思う飲み方。
 今のブルーも、「ぼくも飲む!」と強請った挙句に、そうなるから…。
(コーヒーは滅多に出ないんだ…)
 あいつの家じゃ、と諦めの境地。
 きっとこれからも出ないだろうし、ブルーはコーヒー嫌いのまま、と。


 好きなコーヒーに出会えない場所がブルーの家。
 寄らずに家に帰った時には、夕食の支度をする間にも…。
(コーヒーを淹れて飲みながら、って時もあるしだ…)
 夕食の後はもちろんコーヒー、それが似合いの料理なら。
 それほど愛するコーヒーだけれど、まるで飲めなくてもかまわない。
 小さなブルーと過ごせるのならば、愛おしい人に会えるなら。
(休みの日だったら、朝飯の時に飲んだきり…)
 それがお別れになるコーヒー。
 後はまるっきり出会えないまま、運が良くても夕食の後。
 其処で出ないで終わってしまえば、家に帰るまで飲めないコーヒー。
(仕事の帰りに寄った時にも、だ…)
 今日と同じに飲めないんだ、とカップの中身を傾ける。
 ブルーはコーヒー嫌いなのだし、そうそう出ては来ないから。
 明日も仕事が早く終わったら、ブルーの家に寄るつもりだから…。
(飲めないんだ、コレが)
 学校では飲めるコーヒーだけれど、何処でお別れになるだろう?
 放課後に同僚たちと飲めればラッキー、それが無ければ…。
(午後の授業の空き時間か…)
 其処でお別れになるんだな、と眺めたカップの中の液体。
 こよなく愛するコーヒーだけれど、もっと愛するブルーに会えるとなったなら…。
(オサラバでも、俺はかまわんぞ)
 学校で上手く時間が空かずに、一杯も飲めずに終わっても。
 同僚たちが「お茶にしませんか?」と誘ってくれたら、緑茶だったというオチでも。
 緑茶が似合いの菓子があったら、そういう時もあるものだから。
 自分で淹れる時間も取れずに、昼食の時も…。
(柔道部のヤツらと飯になっちまって、オレンジジュース…)
 そんな日だって少なくないから、朝のコーヒーを最後にお別れ。
 家に帰るまで飲めないコーヒー、そうなったってかまわない。
 ブルーに会いにゆけるのだったら、愛おしい人と過ごせるのなら。


 コーヒーくらいは諦めるさ、と思ったけれど。
 家に帰ればこうして飲めるし、明日も仕事が早く終わるようにと願ったけれど。
(…待てよ…?)
 前はこうではなかったぞ、と掠めた思い。
 ずっと前には違ったんだと、好きにコーヒーを飲めたんだ、と。
 こうして家に帰って来るまで、飲めずに終わりはしなかった。
 帰りが遅くなった時でも、何処かでコーヒー。
(ちょいと車で出掛けて行って…)
 本屋を覗いたり、ジムで泳いだり、充実していた仕事の後。
 気ままにドライブする日もあったし、そうした合間に飲むコーヒー。
 食事も外で、と食べたら食後に出て来たものだし…。
(行きつけの店も…)
 あったんだった、と思い出した美味いコーヒーの店。
 此処まで来たなら寄って行こう、と何度も足を運んでいた。
(店主と馴染みになるってほどじゃあ…)
 なかったけれども、きっと覚えていてくれただろう。
 たまにフラリと立ち寄る客でも、大柄な上に、顔立ちが…。
(……キャプテン・ハーレイ……)
 知らない人など、誰一人いない有名人に瓜二つ。
 キャプテン・ハーレイの顔を知らないのは、幼い子供くらいだろう。
 歴史に名前が残る英雄、記念墓地に立派な墓碑があるほど。
 そんな人物とそっくりだったら、まず忘れたりはしないから。
(…しかしだな…)
 あの店も御無沙汰になっちまった、と懐かしむ店の佇まい。
 今でも其処にあるのだけれども、コーヒー目当てにはもう行けない。
(…行くのは俺の勝手なんだが…)
 膨れちまうヤツがいるからな、とコーヒー嫌いの恋人の顔が頭に浮かぶ。
 あいつを放って行けやしないと、あいつの家が最優先だ、と。


 もしも時間が空いたなら。
 仕事が早く終わってくれたら、もちろんブルーの家に直行。
 そう出来なければ、街に出掛けて本屋などにも行くのだけれど…。
(…そういう時しか、俺がコーヒーを飲める機会は…)
 まるで無いから、とフウと溜息。
 愛おしい人が待っているのに、放って街には出掛けられない。
 気ままにドライブすることだって、「あの店に行こう」とコーヒーを飲みにゆくことだって。
(…すっかり忘れちまっていたなあ…)
 あいつと出会う前のこと、と今更ながらに驚かされた。
 小さなブルーと出会った途端に、変わってしまった自分の世界。
(…キャプテン・ハーレイは、俺だったんだ…)
 似ているも何も、生まれ変わりで同じ魂。
 それはそっくりにもなるだろう。
 「生まれ変わりか?」と訊かれるくらいに、誰もが顔を覚えるほどに。
 前の自分が誰だったのかを思い出したら、恋人までがついて来た。
 今はまだチビで子供だけれども、いつか美しく育つ人。
 ソルジャー・ブルーとそっくり同じになるだろう人、小さなブルー。
 その恋人にすっかり夢中で、今や大好きなコーヒーでさえも…。
(朝に飲んだら、それっきりで…)
 こうして夜まで飲めないままでも、気にも留めない自分がいる。
 前の自分の記憶が戻って来る前だったら、きっと気にしたのだろうに。
 全てを思い出す前の頃なら、コーヒーの店にも行ったのに。
(…今日は美味いのを飲みに行くぞ、と…)
 仕事の帰りに握ったハンドル。
 まずは本屋で、次があの店、といった具合に。
 コーヒーの店を目指さない時も、ドライブの途中で目に付いた店。
(此処で飲むか、と車を停めて…)
 入って傾けていたコーヒー。
 軽い食事も頼んだりして、のんびりと。


(コーヒーなあ…)
 今じゃすっかり御無沙汰だぞ、と苦笑するしかないコーヒー。
 ブルーの家ではもちろんのことで、コーヒーを飲ませる店だって。
 わざわざ行こうと思いはしないし、出掛けてゆくような暇があるのなら…。
(…あいつの家に行っちまうわけで…)
 行くには遅すぎる時間だった日、そのくらいしか街には行かない。
 それも用事がある時くらいで、思い立ったからといってフラリと出掛けはしない。
 街にも、前は気ままに走ったドライブにも。
 「美味いコーヒーを飲みに行こう」と、行きつけだった、あの店にさえも。
(あいつ、ガッカリしてるだろうから…)
 「ハーレイが来てくれなかったよ」と萎れているだろう、小さなブルー。
 愛おしい人のことを思うと、自分一人では楽しめない。
 ドライブも、街に行くことも。
 気に入りだったコーヒーの店で、ゆったりとカップを傾けることも。
(あいつがコーヒー嫌いでなくても…)
 前のようには寛げない。
 ブルーは今頃どうしているか、と愛おしい人が気にかかるから。
(俺だけ、好きにしてるだなんて…)
 小さなブルーに申し訳なくて、前のようにはいかない自分。
 思い出す前は、仕事が終わった後の時間は好きに過ごしていたものなのに。
 休日ともなれば、もっと自由にコーヒー三昧だったのに。
(柔道の指導に行った時でも、道場のヤツらが淹れてくれたし…)
 ジムでも休憩時間にコーヒー、街にいる時やドライブだったら、もっと気ままに。
 思い立ったら「此処にしよう」と店に入って。
 行きつけの店があったくらいに、好きに飲んでいたのが苦いコーヒー。
(それも、あいつに出会ったお蔭で…)
 何処かに吹っ飛んじまったんだな、と思うけれども、満足だからそれでいい。
 愛おしい人に会えるなら。
 コーヒーが苦手なブルーと過ごせるのならば、夜までコーヒー無しのままでも…。

 

         思い出す前は・了


※コーヒーが好きなハーレイ先生。今も大好きなコーヒーですけど、今よりも前は…。
 前世の記憶が戻る前には、もっと楽しんでいたようです。今はコーヒーが無くても幸せv






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「ねえ、ハーレイ…。訊きたいんだけど…」
 ちょっと質問、と小さなブルーが見詰めた恋人。
 休日だから、ブルーの部屋で。
 お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで向かい合わせで。
「なんだ、古典の授業のことか?」
 何か分からないことでもあったか、とハーレイが浮かべた優しい笑み。
 遠慮しないで訊いてくれ、と。
 休みの日だって質問はきちんと受け付けているし、いくらでも、と。
「そう? 古典と言うのか分かんないけど…」
 昔の言葉で有名な言葉、と赤い瞳が瞬いたから。
「ほほう…。どんな言葉だ?」
 お前も勉強熱心だよな、とハーレイは先を促した。
 質問したい言葉を聞かないことには、何も教えてやれないから。
「えっとね…。喧嘩上等ってヤツ…」
 喧嘩の時の決め台詞でしょ、と予想外の言葉が飛び出した。
 桜色をした唇から。
 およそ喧嘩が似合いそうもない、愛おしいチビのブルーの口から。


(おいおいおい…)
 何事なんだ、と目を丸くするしかなかったハーレイ。
 喧嘩上等という物騒な台詞、それを使うとは思えないのが小さな恋人。
 それともブルーは使いたいのだろうか、この台詞を…?
(とにかく、訊かんと…)
 今度は俺が質問なのか、とブルーの瞳を覗き込んだ。
「喧嘩上等とは、確かに言うが…。そいつの何を知りたいんだ?」
 お前には向かん言葉だぞ、とも注意した。
 今のブルーも身体が弱いし、おまけにサイオンが不器用と来た。
 どう頑張っても、喧嘩なんかに勝てる見込みは無さそう。
 誰かに向かって言い放ったなら、ほぼ間違いなく…。
(こいつの方が泣きを見るんだ)
 取っ組み合いの喧嘩はもちろん、口喧嘩でも負けそうなブルー。
 なのに何故、と謎でしかないブルーの真意。
「それなんだけど…」
 ハーレイはどっち、と訊き返された。
 喧嘩上等と受けて立つのか、逃げる方か、と。


 俺か、と唖然と指差した顔。
 いささか間抜けな顔だったけれど、「俺のことか?」と。
「そうだよ、ハーレイは逃げちゃう方?」
 それとも喧嘩上等な方、と尋ねられたら、答えるしかない。
 子供の頃には悪ガキだったし、喧嘩上等だった日々。
 ブルーにはとても真似の出来ない、輝かしかった喧嘩での勝利。
「逃げる方だと思うのか? 失礼なヤツだな」
 売られた喧嘩は受けて立つモンだ、でなきゃ負けだし…。
 尻尾を巻いて逃げるなんぞは、俺は決してしなかったな、うん。
 まあ、この年で喧嘩はしないが、と大人の余裕。
 「ガキの頃には、負けなかったな」と。
「そうなんだ…。だったら、今も?」
 喧嘩を売られたら逃げずに買うの、と好奇心に満ちたブルーの瞳。
 大人は喧嘩をしないと言っても、もしも喧嘩を売られたら、と。
「ふうむ…。喧嘩なあ…」
 売られたからには、買うんだろう。
 出来れば買わずに済ませたいがな、いい年の大人なんだから。


 喧嘩はガキのすることだ、と笑ったら。
 「お前くらいの年までだよな」と言ってやったら…。
「それじゃ、売るから!」
 買って、とブルーは立ち上がった。ガタンと椅子から。
「なんだって!?」
「子供は喧嘩していいんでしょ? それにハーレイ…」
 喧嘩上等だし、売られたら買わなきゃ負けなんだよね…?
 ぼくにキスして、とブルーは真剣な顔。
 「出来ないんだったら、ハーレイの負け」と。
「どうして俺の負けになるんだ?」
「キスは駄目だ、ってケチなんだもの!」
 これでもキスをしないんだったら、うんとドケチ、と言われたけれど。
 売られた喧嘩は買うんでしょ、とも言われたけれど。
「…喧嘩上等なあ…」
 その逆でいい、と広げた両手。
 尻尾を巻いて退散するから、お前の一人勝ちでい、と。
 「俺の負けだ」と、「喧嘩は買わずに逃げることにする」と…。



             喧嘩上等・了






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(楽しかったけど、今日はおしまい…)
 ハーレイ、帰って行っちゃったしね、と小さなブルーが零した溜息。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は平日だったけれども、ハーレイと食べられた夕食。
 仕事の帰りに寄ってくれたから、この部屋でお茶とお菓子まで。
(うんと幸せだったんだけど…)
 幸せな時間は直ぐに経つもの、楽しい時間ほど早く流れ去るもの。
 ハーレイは「またな」と帰ってしまって、もうこんな時間。
 お風呂に入って後は寝るだけ、とっぷりと更けてしまった夜。
(せっかくハーレイが来てくれたのに…)
 必ず来るのが、お別れの時間。
 チビの自分は置いてゆかれて、ハーレイだけが帰ってゆく。
 何ブロックも離れた所にある家へ。「またな」と軽く手を振って。
 十四歳にしかならない自分は、まだハーレイと一緒に暮らせはしない。
 どんなに好きでも結婚は無理で、十八歳までは出来ない結婚。
 前の生から愛し続けて、また巡り会えた恋人なのに。
 青い地球の上に生まれ変わって、前の自分たちの恋の続きを生きているのに。
(…ホントに残念…)
 一緒に暮らせないなんて、と思うけれども、仕方ない。
 出会えただけでも幸運なのだし、とびきりの奇跡なのだから。
(…それは分かってるんだけど…)
 もっとハーレイの側にいたいし、少しでも長く一緒にいたい。
 キスさえ許して貰えなくても、「キスは駄目だ」と叱り付けるケチな恋人でも。
 恋する気持ちは本物だから。
 ハーレイが好きでたまらないから、明日だって家に来て欲しい。
 学校の仕事が終わったら。
 遅くならずに、ハーレイが校門を出られたならば。


 そうなるといいな、と頭に描く明日のこと。
 今日のようにチャイムが鳴ったらいいな、と窓のカーテンの方を見る。
 もう夜だからと閉めたカーテン、その向こうにはガラス窓。
(…窓の向こう、今は真っ暗だけど…)
 庭園灯が照らすだけなのだけれど、暗い庭と道路を隔てる生垣。
 其処にある門扉、脇にはチャイム。
 もしもハーレイが明日も来てくれたならば、チャイムを鳴らしてくれる筈。
(…来て欲しいな…)
 ハーレイが来ても、二人で話してお茶を飲むだけ。
 両親も交えた夕食の席も、和やかな会話が弾むだけ。
 これをせねば、という予定も無ければ、デートに出掛けてもゆけないけれど。
 「ドライブするか?」と誘っても貰えないけれど。
(でも、会えるだけで…)
 幸せなのだし、もう嬉しくてたまらない。
 キスを断られて膨れていたって、ハーレイの姿があれば幸せ。
 「ハーレイのケチ!」とプンスカ怒って膨れっ面でも、やっぱり幸せな心の中身。
 其処にハーレイがいなかったならば、キスを断られはしないから。
 膨れっ面になっていたって、見て貰うことは無理だから。
(…ハーレイが家に来てくれるから…)
 二人で過ごせて、キスを強請って、叱られたりも出来る自分。
 来てくれない日は、どんなに膨れてみたって…。
(ハーレイ、見てもくれないもんね?)
 きっと、自分の膨れっ面さえ、想像してはくれないだろう。
 「あいつ、今頃、どうしてるやら…」と思ってくれたら、まだマシな方。
 チビの自分をすっかり忘れて、のんびり書斎でコーヒーだとか。
(…ありそうだよね…)
 「今日も一日、いい日だった」と、思っていそうな鈍い恋人。
 頭の中身は仕事のこととか、柔道部のことで一杯で。
 空いた部分も、今日のニュースや読んだ本などで埋め尽くされて。


 如何にもありそう、と振ってみた首。
 チビの恋人のことなど忘れて、寛いで過ごしていそうなハーレイ。
(来てくれない日は、そうなっちゃいそう…)
 思い出してくれる日もあるだろうけれど、忘れ去られている日も多そう。
 その日の過ごし方によっては、ハーレイが時間を何に使ったか、それによっては。
(…学校の会議が長引いたんなら…)
 終わる時間が遅くなったせいで、この家に来られなかったなら。
 そういう時なら、ハーレイも覚えていてくれるだろう。
 「今日は行けなくなっちまったな」と、腕の時計を見るだろうから。
 車で家に帰った後にも、「もう少し早く終わっていたら…」と、きっと何度か思ってくれる。
 けれど、会議とは違った理由。
 仕事で遅くなったわけではなかった時なら、チビの恋人のことなどは…。
(…ハーレイ、忘れていそうだよ…)
 他の先生たちと一緒に、食事に出掛けて行ったなら。
 ワイワイ賑やかに食事した後は、車ではない先生たちを送って行ったなら。
(…そういう日だって、あるもんね?)
 何度か、ハーレイから聞いた。
 「昨日はすまん」だとか、「この前はすまん」と謝られて。
 他の先生たちと食事に行っていたから、此処には来られなかったのだ、と。
(ちゃんと謝ってはくれるんだけど…)
 それは後から、次の日とか、何日か後だとか。
 「実は来られる日があったんだが…」と後で明かされる、ハーレイが楽しく過ごしていた日。
 きっと仕事で来られないのだ、と思って我慢していたのに。
(ハーレイだって忙しいんだから、って…)
 今日は我慢、と自分自身に言い聞かせたのに、そのハーレイは、同じ頃には…。
(他の先生たちと食事で…)
 美味しい料理に、はずむ会話に、弾ける笑い。
 そうやって過ごして、食事が終わって、家に帰った後だって…。


 ぼくのことなんか忘れているよ、とプウッと膨れそうな頬っぺた。
 きっと忘れているんだからと、「忘れてコーヒーなんだから」と。
 「今日は有意義な日だったよな」と、コーヒーを淹れていそうなハーレイ。
 やっと家まで帰って来たから、一息入れてのんびりするか、と。
(…コーヒーを淹れて飲んでる時に…)
 ようやく思い出してくれたら、マシな方。
 放っておいたチビの恋人のことを、「あいつ、どうしているんだか…」と。
 もう眠っている時間にしたって、思い出してくれたら嬉しいけれど。
(そのまま忘れて、寝ちゃうってことも…)
 まるで無いとは言い切れないから、悔しい気分。
 「どうせチビだよ」と、「キスも出来ないチビの子供で、一緒に暮らせないんだよ」と。
 もしも一緒に暮らしていたなら、忘れられたりしないのに。
 どんなに仕事で遅くなっても、他の先生と食事に出掛けた時だって。
(家に帰れば、ぼくがいるんだから…)
 待ちくたびれて先に眠っていたって、ハーレイはキスを贈ってくれる。
 起こさないよう、頬っぺたか、額にでも、そっと。
(だけど、チビだと…)
 忘れ去られてしまっておしまい、コーヒーを飲んだら寝そうなハーレイ。
 お風呂に入って、「いい日だった」と大満足で。
(それは嫌だし…)
 明日のハーレイに、そんな予定が来ませんように、と祈るような気持ち。
 仕事だったら諦めるけれど、ハーレイが楽しく出掛ける食事。
 他の先生に誘われて。
 私が車を出しますから、と他の先生も車に乗っけて、出掛けて行ってしまうハーレイ。
 チビの自分のことなど忘れて、いそいそと。
(最初は覚えているだろうけど…)
 途中で忘れ去られるだろうし、家に帰っても、それっきり。
 コーヒーを淹れて「いい日だった」と、チビの恋人は忘れたままで。


 そんなの嫌だ、と思うけれども、ハーレイの予定は分からない。
 ハーレイにだって急な誘いは分かりはしないし、明日になるまで本当に謎。
(明日になっても、放課後までは…)
 答えは出ないのかもしれない。
 ハーレイが訪ねて来てくれるのか、来られない日になってしまうか。
 そうなる理由は仕事のせいか、楽しい食事の誘いのせいか、それさえも。
(…ホントのホントに読めないんだから…)
 未来のことなんか分からないよね、と思ったはずみに掠めたこと。
 前の自分もそうだった、と。
(…フィシス、未来を占ってたけど…)
 それは漠然としていたものだし、フィシスが来たって明日のことなど分からないまま。
 ミュウの未来がどうなってゆくか、白いシャングリラがどうなるのか。
 誰にも未来は見えはしなくて、いつも不安を抱えていた。
 夜が来たなら、この夜は明けてくれるのかと。
 夜が明けたら、今日という日は無事に終わってくれるのかと。
(…ホントに誰にも見えなかったよ…)
 ミュウという種族がこれから先も生きてゆけるか、シャングリラは地球に着けるのか。
 いつだって未来は見えもしないまま、前の自分は生き続けて…。
(…未来、見ないで死んじゃった…)
 焦がれ続けた地球さえも見ずに、ミュウの未来を守るためだけに。
 守った未来も、本当にそれを守れたかどうか、答えを得られもしないままで。
(…それでも、前のぼく、頑張って生きて…)
 白いシャングリラを守って死んだ、と気付いて、今の自分を思う。
 同じ見えない未来にしたって、なんて平凡なのだろう、と。
(…ハーレイが来るか、来ないかだけで…)
 来られない理由が、食事でなければいいなんて。
 ハーレイがチビの自分を忘れて、楽しく過ごす日にならなければ充分だなんて。
 前の自分は、未来も見ずに死んだのに。
 命を懸けて守った未来があるかどうかも、確かめられずに終わったのに。


(今のぼくって…)
 同じ未来でも、読めない中身が平凡だよね、と瞬かせた瞳。
 ミュウの未来や、白いシャングリラの行く末ではなくて、恋人のこと。
 それで頬っぺたを膨らませたり、「そんなの嫌だ」と思ったり。
(…チビになっちゃっただけじゃなくって…)
 中身も小さくなっちゃった、と比べたソルジャー・ブルーだった頃。
 まるで違うし、あちらはとても偉いのだけれど…。
(今のぼく、うんと幸せだから…)
 平凡だよね、と思う中身でいいのだろう。
 今は「ケチだ」と思ったりもする、キスもくれない愛おしい人。
 そのハーレイと地球に来られて、また巡り会うことが出来たから。
 チビの間は無理だけれども、いつか大きくなった時には、ちゃんと結婚出来るのだから…。

 

         平凡だよね・了


※ブルー君が気になる、ハーレイ先生の明日の予定。家に来てくれればいいのに、と。
 けれど未来は見えないもの。前の自分の頃に比べたら、今は…。平凡なのが幸せですv






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(さて、と…)
 今日も一日終わったってな、とハーレイが傾けたコーヒー。
 愛用のマグカップにたっぷりと淹れて、夜の書斎で。
(あいつの家にも、帰りに寄れたし…)
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 十四歳にしかならないブルーは、今は自分の教え子だから…。
(晩飯を一緒に食えたら上等、そんなトコだな)
 休日はともかく、平日は。
 仕事の帰りにブルーの家に寄れた時には、ブルーの両親も交えて夕食。
 それまでの時間はブルーの部屋で、お茶とお菓子でのんびり過ごす。
(今日はそういう日だったが…)
 はてさて、明日はどうなるのやら、と考える。
 遅くなりそうな会議の予定は無いのだけれども、柔道部の方が大いに問題。
(最近、これっていうほどの怪我も無いから…)
 そろそろ弛んで来てやがる、と分かっているのがクラブの生徒。
 注意したって、こればっかりは本人次第。
 気が緩んでいれば怪我しかねないし、そうなった時は…。
(俺の予定も狂っちまうぞ)
 怪我した生徒が保健室だけで済むとは限らないから、病院へ連れてゆくだとか。
 保健室で済んでも足の怪我なら、家まで車で送るとか。
(どっちのコースも…)
 帰りが遅くなるんだよなあ、と経験からとうに出ている答え。
 怪我をした生徒を送って行ったら、平謝りなのが生徒の家族。
 「うちの息子がご迷惑を…」と、生徒にも何度も謝らせた上に…。
(どうぞお茶でも、と家にだな…)
 招き入れられて、それっきり。
 お茶だけで済まないことも多くて、ブルーの家よろしく夕食も食べることになるとか。


 そのこと自体はいいんだが…、と思うし、有難いとも思う。
 息子の怪我はお前のせいだ、と責めるような親はいないから。
 監督不行き届きと言われるどころか、「私たちの躾が悪いんです」と詫びる親たち。
 息子の頭をコツンと小突いて、「ハーレイ先生に謝りなさい!」と。
 とうに学校は終わっているのに、こんな時間までご迷惑を、と。
(それから「どうぞ、お茶でも」だから…)
 断ったら却って申し訳ないし、「では、少しだけ…」と入る家。
 けれど、言葉通りに「お茶だけ」の家は、お目にかかったことが無い。
 必ず添えられる、ちょっとした菓子。
(こんな物しか無いんですが、って…)
 息子のおやつに、と買ったのだろう、スナック菓子が出たことだって。
 心遣いだけで嬉しいものだし、「いただきます」と食べるスナック菓子。
 そんな具合だから、「夕食もどうぞ」と誘われたなら…。
(有難く御馳走になるってモンで…)
 怪我をして叱られた生徒の方も、夕食の席では笑顔が弾ける。
 生徒たちにとっては「憧れのハーレイ先生」なのだし、ヒーローと一緒の夕食だから。
 「プロの選手にならないか」と誘われたほどの、ちょっと知られた有名人。
(まあ、ヒーローにもなるってこった)
 生徒はもちろん、家族もあれこれ聞きたがるのが学生時代の試合の話。
 アッと言う間に経ってゆく時間、家に帰ると…。
(今日と同じで、もうすっかりと…)
 夜なんだよな、と苦笑い。
 前はそれでも良かったけれども、この春からは変わった事情。
(あいつが膨れちまうんだ…)
 帰りに寄ってやれなかったら、ガッカリするのが小さなブルー。
 毎日は無理だ、とブルーも充分、知っているけれど…。
(それでも寂しがっちまうから…)
 出来れば避けたい、他の生徒の家での歓談。
 ブルーの家とは違う所で、のんびりお茶だの、夕食だの。


 まるで読めない、明日の放課後。
 会議の予定の方にしたって、今は入っていないだけで…。
(急な会議もあるからなあ…)
 これまた読めん、とコーヒーのカップを傾ける。
 急な会議だと、始まる時間も終わる時間も全くの謎。
 長引いたならば、やはり行けないブルーの家。
(早く終わる会議もあるんだが…)
 始めてみないと分からないよな、と仕事だからこそ、よく分かる。
 予定通りに進む会議と、そうでない会議。
 どちらも会議で、そういった会議が入らなくても…。
(帰りに何処かで食事でも、っていうヤツも…)
 そろそろ来そうな頃合いなんだ、と思う同僚たちからの誘い。
 たまには一緒に食事しよう、と誘われたならば、それも嬉しいお誘いだから…。
(あいつの家に出掛ける代わりに…)
 行っちまうんだ、と出ている自分の答え。
 「ハーレイが来てくれなかったよ」と膨れっ面になるだろう恋人、そちらよりも同僚。
 ブルーの家なら、次の機会は幾つもあるから困らない。
 けれど、同僚たちの方だと、そうはいかない、それぞれの予定。
 「今日は空いている」と皆の都合が合った時しか、食事の誘いは来ないのだから。
(…どれも来ないかもしれんがな…)
 食事の誘いも、急な会議も、生徒の怪我も。
 ごくごく平凡に終わる一日、そう、今日のように。
 そういった日の方が遥かに多いし、多分、明日だって平凡だろう。
 とはいえ、一応、心の準備は…。
(しておかないとな?)
 思った通りに進まなかった時に、「こんな筈では…」と焦らないように。
 ブルーの家に寄れずに帰ることになっても、「こんなモンさ」と思えるように。


 何事も心の準備というのが肝心で…、と思うこと。
 それが自分の信条でもあるし、何があっても焦らない。
 急な会議でも、生徒の怪我でも、直ぐに対応出来てこそ。
(それも出来ないようでは、だ…)
 柔道なんぞ、やっていられるか、とコクリと飲んだカップのコーヒー。
 一瞬の焦りが命取りだし、試合は常に真剣勝負。
 試合の時だけ、焦らない自分を作ろうとしても無理なこと。
(普段からの心構えってヤツが…)
 大切なんだ、と生徒たちにも指導する。
 どんな時にも焦らないこと、「焦れば自滅しちまうぞ」と。
 水泳の方にしても同じで、焦れば自分自身に負ける。
 実力を発揮出来もしないで、どんどん狂ってゆくペース。
 思い通りに動かない身体が足を引っ張り、無残に負けてしまう試合。
(だからだな…)
 日頃からきちんと先を読んで…、と思った所で掠めたこと。
 「前の俺だって、そうじゃないか」と。
 遠く遥かな時の彼方で、キャプテン・ハーレイと呼ばれた自分。
 白いシャングリラの舵を握って、船を纏めていたけれど…。
(あの頃だって、焦れば終わりで…)
 常に自分を戒めていた。
 「落ち着け」と、「いつも、先の先まで読んでおけ」と。
 シャングリラの航路を決める時にも、船の舵を握っている時も。
 勤務時間が終わった後にも、やはり何処かにあった緊張。
(どうなっちまうか分からないしな?)
 明日の予定というものが。
 そもそも、その明日が来るかどうかも…。
(あの船じゃ、分からなかったんだ…)
 夜の間に人類軍に発見されたら、全て終わるかもしれないから。
 白いシャングリラは沈んでしまって、明日は来ないかもしれないから。


(…そうだったっけな…)
 前の俺だって読んでいたんだ、と気付いた「先の先まで読む」こと。
 会議にしても、あの船で共に暮らした仲間たちのことも、何もかもを。
(…俺が読み誤ったなら…)
 終わりかもしれないシャングリラ。
 航路設定を間違えたならば、出くわすかもしれない人類軍の船。
 本格的な戦闘状態に入った後には、もう毎日が緊張の連続だった筈。
 地球に着くまで、前のブルーに頼まれたことを果たすまで。
(ジョミーを支えてやってくれ、って…)
 そう言い残して、メギドに向かって飛び去ったブルー。
 愛おしい人を失った後も、前の自分は生き続けた。
 シャングリラを地球まで運ぶためだけに、先の先まで読み続けて。
 魂はとうに死んでいたのに、生ける屍だったのに。
(あんな芸当が出来たのも…)
 それまでに長く培った日々のお蔭だったし、やはり日頃の心構えが大切らしい。
 前の自分はブルーと過ごした長い年月をかけて、「焦らない」自分を作ったけれど。
 愛おしい人を失ってさえも、きちんと務めを果たしたけれど…。
(今じゃ、同じに心構えをしてたって…)
 生徒の怪我に、学校の会議に…、と折ってゆく指。
 おまけに同僚と出掛ける食事で、その結果、駄目になるものは…。
(あいつの家で、晩飯を一緒に食うってことで…)
 なんてこった、と可笑しくなった。
 前とは全く違うじゃないかと、誰の命もミュウの未来も懸かってないぞ、と。
 明日への心構えをしたって、この程度か、と。
(うんと平凡になっちまったなあ…)
 俺の人生、平凡だよな、と思うけれども、それが幸せ。
 もうキャプテンではなくなった上に、ブルーも一緒なのだから。
 二人で青い地球に来た上、今度は恋を明かして結婚出来るのだから…。

 

        平凡だよな・了


※先のことを読んでおかないと、というのが信条のハーレイ先生。焦らないように。
 同じだったのが前の自分で、けれど全く違った責任。平凡なのも、きっと幸せv






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