(浮気なあ…)
俺とは無縁の言葉だよな、とハーレイがふと思ったこと。
夜の書斎でコーヒー片手に、愛おしい人を心に描いて。
今日は寄れずに終わってしまった、小さなブルーが暮らしている家。
きっとションボリしているのだろう、「ハーレイが来てくれなかったよ」と。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
まだ十四歳の子供だけれども、キスも出来ない恋人だけども。
(俺はブルーしか好きになれなくて…)
これからもずっとブルーだけ。
いくら小さな恋人でも。教師と教え子、そんな関係の今だけれども。
なんと言っても、遠く遥かな時の彼方で恋をしていた人だから。
前の自分が死の瞬間まで想い続けた人なのだから。
(いくらあいつがチビの子供でも…)
浮気なんぞは有り得ないな、と溢れる自信。
ブルー以外を愛しはしないし、他の誰かに恋だってしない。
いつかブルーが大きくなったら、なおのこと。前とそっくり同じ姿に育ったら。
(そしたら、あいつにキスを贈って…)
今のブルーが欲しがるキス。何度「駄目だ」と叱っても。
恋人同士の唇へのキス、それが欲しくてたまらないブルー。
まだまだチビの子供のくせに。本物のキスを贈ろうものなら、驚いて泣き出しかねないのに。
けれどブルーが前と同じに育った時には、本物のキスを贈らなければ。
キスを交わして、デートにも行って、一世一代のプロポーズ。
そうすればブルーと結婚できるし、二人一緒に暮らすのだから…。
(ますます浮気は有り得ないってな)
家に帰れば、あいつが待っているんだから、と幸せな未来へ思いを馳せる。
ブルーと二人で暮らす家へと、「おかえりなさい」とブルーの声が聞こえる未来へと。
誰よりも大切で愛おしい人。前の生から愛したブルー。
他の人など目にも入りはしなくて、ブルーしか好きにならないから…。
(浮気ってヤツとは、一生、無縁で…)
あいつ一筋、と思った所で不意に頭を掠めたもの。
小さなブルーは、見た目通りに中身もチビ。十四歳にしかならない子供。
今の自分が教える学校、其処では一番下の学年。
恋さえ無縁な年の子ばかり、今はそういう学年だけれど。
授業で恋の話をしたって、まるで手応えが無い子ばかりが揃うけれども。
(もっと学年が上になったら…)
同じ話でも食いつきが違う。「先生の場合はどうでしたか?」などと。
十八歳になればできる結婚、今のブルーが通う学校を卒業したら。
大抵の生徒は上の学校に進むとはいえ、中には結婚を選ぶ者だって。
(だからだな…)
結婚までは考えなくても、異性を意識し始める生徒。学年が上がっていったなら。
憧れの先輩が出来る子だとか、同級生と付き合い始める生徒とか。
(…そうなってくると…)
ブルーの周りはどうなるんだ、と未来のブルーに向かった心。
今はチビだし、周りの生徒も恋とは無縁。せいぜい、スターに恋する程度。
とはいえ、ブルーが育っていったら、周りの生徒も育ってゆく。
身体も心も、結婚できる年に向かって。
先輩に恋する女子生徒だとか、気になる同級生にアタックする生徒。
(ちょっと待てよ…?)
今のブルーはチビだけれども、前のブルーがチビだった頃の姿にそっくり。
これから育ち始めたならば、似たような育ち方をする筈。前のブルーと。
背が伸び始めて、まだ幼さの残る顔から大人びた顔へ。
ブルーが育てば育つ分だけ、前のブルーの顔に近付く。
それに身体もほっそりすらりと、前のブルーと同じに華奢に。
誰もが振り返るような姿に、一目で惹き付けられる姿に。
つまり美しく育ち始める、今のブルー。前のブルーと同じ姿になるために。
今の時代も、前のブルーは多くの女性たちの憧れ。王子様のように。
(…写真集が何冊も出てるくらいに…)
ファンが多いのがソルジャー・ブルー。大勢の人の心を捉える、その美貌。
小さなブルーも、いつかそうなる。育ち始めたら、その日が近付く。
「本物のようだ」と皆が驚く、ソルジャー・ブルーに瓜二つの「ブルー」が出来上がる時が。
そうなる前には、生徒たちだって気付くだろう。
毎日のように顔を合わせる学校、きっと誰でも目を留める。
「ソルジャー・ブルー?」と、「ソルジャー・ブルーに、とても似て来た」と。
(今でも似てはいるんだが…)
そっくりなんだが、と思いはしても、チビでは全く話にならない。
周りの生徒も同じに子供で、「似ているよね」と眺めているだけ。チビのブルーを。
けれども、育ち始めたら違う。前のブルーと同じ姿へと、ブルーが歩み始めたら。
(生きたソルジャー・ブルーなんだし…)
憧れるだろう女生徒たち。夢の王子様にそっくりなブルーがいるとなったら。
日に日に育って、ソルジャー・ブルーに似てゆくのなら。
(…放っておく馬鹿はいないよな?)
ソルジャー・ブルーのようなタイプが好みなら。…あの容貌に惹かれるのなら。
きっと学校中の噂で、同学年の女子生徒たちはもちろんのこと…。
(下の学年の生徒たちだって…)
ブルーの周りに群がるだろう。少しでいいから話をしたいと、声が聞けたら素敵だと。
その光景が目に見えるよう。キャーキャーと騒ぐ女子生徒たち。
(あいつ、運動はからっきしだが…)
おまけに見学が多い体育、スポーツ万能とは縁遠いのがブルーだけれど。
そんなブルーでも、きっと顔だけで大勢の女子を惹き付ける。
スポーツが得意な男子生徒の周りを、女子生徒たちが取り巻くように。
クラブ活動をしている場所に出掛けて、声援を送っているように。
それと同じに、育ち始めたブルーの周りに出来る人垣。何人もの女子が群がって。
なんてこった、と気付いた未来。…今のブルーに注目するだろう大勢の女子。
誕生日でなくても、プレゼントを贈る子もいるだろう。
「作ったんです」と手作りの菓子や、「使って下さい」と買った小物やら。
(…うーむ…)
大勢の女子に囲まれたならば、ブルーはいったいどうするのだろう?
前のブルーは「ソルジャー」だったし、憧れる仲間がいくら多くても、安全圏。
アタックしようと思う勇者は誰もいなくて、フィシスを船に迎えた後ではなおのこと。
だから「ソルジャー・ブルー」は知らない。大勢の女性に囲まれることも、恋の告白も。
(おいおいおい…)
マズイかもな、と心配になった今のブルーの行く末。
前のブルーに似れば似るほど、取り巻きの女子も増えてゆく。同級生も、後輩だって。
ワイワイと周りを囲む女子たち、ブルーが歩けば一緒に移動してゆく人垣。
黄色い声をキャーキャーと上げて、プレゼントを渡す子などもいて。
(あいつ、ついつい…)
誰かに惹かれてしまわないだろうか、まるで免疫が無いのだから。
「恋する女性」に接した経験、それを「ソルジャー・ブルー」は持たなかったのだから。
ある日、ストンと落っこちる恋。取り巻きの女子の中の一人に。
健気にプレゼントを贈り続けて頑張った子だとか、心打たれる手紙を書いた生徒とか。
「この子は本当に真剣なんだ」と思った途端に、ほだされて。
少し付き合ってみるのもいいかと、たまには一緒に下校しようかと。
(…でもって、その子と意気投合して…)
ふと気が付いたら、週末は「その子と」出掛けるブルー。
家で「ハーレイ」を待っている代わりに、待ち合わせ場所の約束をして。
その子と一緒に出掛けるのだから、「今度の土曜日は、ぼくは留守だよ?」と言ったりして。
(…あいつが浮気するってか!?)
俺じゃなくて、と愕然とさせられた未来の光景。
週末の自分は独りぼっちで、ジョギングに行くとか、ジムや道場に出掛けるだとか。
なにしろブルーはいないわけだし、女子の誰かとデートの真っ最中だから。
(俺は浮気をしないのに…)
あいつが浮気しちまうのか、とショックだけれど。
女子の誰かにブルーを攫われそうだけれども、きっとブルーのことだから…。
(いつか俺のことを、思い出してくれる日が来るんだよな?)
きっとそうだ、と思いたい。
本当に好きな人は誰かに気付けば、ブルーは「帰って来てくれる」と。
「ハーレイを放っておいてごめんね」と、「今でも、ぼくのことが好き?」と。
そう言われたなら、余裕たっぷりで迎えるのだろう。「もちろんだとも」と。
ショックだった自分の心は隠して、欠片も顔に出さないで。
浮気されても、ブルーのことが好きだから。
前の生から愛し続けて、ブルー以外は見えないのが自分なのだから…。
浮気されても・了
※自分は浮気なんかはしない、と自信たっぷりのハーレイ先生。ブルーだけだ、と。
ところが、お相手のブルー君の方。もしかしたら浮気するかもですけど、大丈夫ですよねv
(うわあ…!)
凄い、とブルーが心で上げた歓声。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
友達に貸して貰った本。その中にあった素敵な写真。
(今の地球だと、こうなるよね…)
それは綺麗なサンゴ礁。南の方の海に行ったら、幾つも幾つも並んだサンゴ。
色々な形のサンゴの中を泳ぐ綺麗な魚たち。
(此処で見るなら、水族館とか、熱帯魚がいるお店とか…)
そういう所に行かないといない、鮮やかな色を纏った魚。
けれどもサンゴ礁だと普通で、魚たちはどれも宝石のよう。
(…んーと…)
説明もある、と覗き込んだページ。魚たちの名前が書いてある。
色と模様で区別がつくよう、興味のある人は写真と照らし合わせるように。
(熱帯魚、いっぱい…)
青いのはこれで、赤と白のは…、と夢中で追った魚たちの名前。
南の海に行ったら出会える、生きて泳いでいる宝石。
とっても素敵、とページを繰ったら、今度は空から映した写真。
サンゴ礁を泳ぐ大きな魚の影が幾つも、イルカの群れだと書いてあるから…。
(きっとジャンプもするんだよね?)
この青い海で、サンゴ礁の中を好きに泳いで。
気が向いた時は空に舞い上がって、其処からザブンと海に戻って。
なんて素敵な海なんだろう、と見詰める命に溢れた海。
燦々と輝く南国の太陽、それが育てたサンゴ礁。其処に暮らしている魚たち。
(イルカは魚じゃなかったかも…)
哺乳類だから、と思うけれども、見た目は魚。
宝石みたいな熱帯魚だとか、イルカたちが暮らす南の海。
蘇った青い地球ならではの景色、本当に胸がドキドキしてくる。
なんて素敵な星なんだろうと、地球に来られて良かったと。
南に行ったらサンゴ礁があって、北に行ったら氷の海。
流氷に乗って旅するアザラシ、それにホッキョクグマだって。
(地球って、凄い…)
ホントに素敵、と本のページをめくってみては心で歓声。
生き物が好きな友達が貸してくれた本だし、写真があったら命が幾つも。
様々な場所に命の輝き、海にも、それに森の中にも。
(ホントに生き物、一杯なんだ…)
こうしている今も、南の海ではイルカたちが跳ねているだろう。
サンゴ礁の中には鮮やかな色の、生きた宝石たちが沢山。
(この辺りだって、森の中なら…)
夜行性の動物たちが、せっせと活動している筈。
木から木へと飛んでゆくムササビたちとか、似たような姿のモモンガとか。
きっと何処にも命が一杯、地球の恵みを味わいながら。
(今のぼくだと、ムササビにだって負けちゃうね)
飛べないんだもの、と不器用すぎるサイオンを思って苦笑する。
タイプ・ブルーに生まれたのなら、空を飛ぶ力を持っているのが普通なのに、と。
どうしたわけだか、不器用なのが自分のサイオン。
ムササビだったら軽々と飛んでゆける距離でも、一緒に飛んだら落っこちる。
地面の上へと、それは無様に。
(うーん…)
イルカにだって敵わないよね、とパタンと閉じた生き物の本。「続きは明日」と。
本を勉強机に置いて、またベッドへと腰掛ける。
(イルカだったら、うんと高く飛べて…)
おまけに曲芸だってする。
ジャンプしてボールにタッチするとか、輪っかをくぐり抜けるとか。
ムササビよりも凄いのがイルカ、魚みたいに見えるのに。
住んでいるのは海の中だし、空とは縁が無さそうなのに。
けれども高く飛ぶのがイルカで、ムササビだって空を飛ぶ。…モモンガだって。
今の地球には、まるで敵わない生き物たちがいるらしい。
空を飛べないタイプ・ブルーの自分なんかより、軽々と空を飛ぶ生き物たち。
(イルカにムササビ、それにモモンガ…)
飛べるようには見えないんだけど、と思ってみたって、空を飛ぶ彼ら。
今の時間も、きっと何処かで飛んでいるのに違いない。
森や林の中に行ったら、真っ暗な中でムササビたちが飛んでゆく。
音も立てずに滑空する空、木の上から飛んで、別の木へと。
太陽が照らす南の海なら、イルカたちが飛んでいるのだろう。
青い海から高くジャンプして、真っ青な空へ飛び出していって。
(…いいな…)
それにとっても楽しそうだよ、と思うイルカやムササビたち。
蘇った地球の自然を満喫しながら、自分のスタイルで飛んでゆく空。
(…海とか、森の中とかを飛んで…)
友達に会いに行くのかな、と夢を広げていたら、掠めた思い。
「今日のぼく、一人だったっけ」と。
夕食を食べてお風呂に入って、いつの間にやら心から消えていたけれど。
すっかり忘れていたのだけれども、今日は来てくれなかったハーレイ。
仕事の帰りに寄ってくれるかと、何度も窓を眺めたのに。…チャイムが鳴るのを待ったのに。
(待っていたけど、来てくれなくて…)
今日は駄目だ、と溜息をついた夕方の時間。
もうハーレイは来てくれない、と時計が指した時間で分かった。
遅くなったら迷惑だから、とハーレイが「来るのをやめる」時間。
それを過ぎたら、もう来ない。
両親が何度も「ご遠慮なくどうぞ」と言っているのに、絶対に。
(…来ない日だって多いから…)
今日はそっち、と切り替えた気分。
幸いなことに本も借りたし、今日は楽しめそうだから。
夕食までの時間にしたって、キッチンに行けば母が相手をしてくれるから。
そうやって今日という日を過ごして、お風呂の後に広げた本。
思った通りに素敵な本で、何度も心で上げた歓声。「地球って、凄い」と。
けれど、気付いてしまったこと。
「地球って、凄い」と思う自分は、普通の子供とは少し違った。
前世の記憶を持った子供で、正確に言えば「前世の記憶を取り戻した」子供。
この春までは、何も知らずに生きていたから。
弱いながらも普通に育って、不器用なサイオンにも特に困りはしなかったから。
(でも、前のぼくは凄くって…)
本を読みながらもチラと考えていたというのに、忘れ去っていた「一人」ということ。
前の生で同じ船で暮らした、大切な人が来なかった今日。
つまり自分は独りぼっちで、両親はいてもポツンと部屋で一人きり。
愛おしい人はいないから。ハーレイは来てくれなかったから。
(…イルカやムササビや、モモンガだったら…)
今の時間も仲間と一緒か、仲間の所に向かっているか。
恋人と一緒のイルカやムササビ、モモンガだっているだろう。
(イルカだったら、家は無いけど…)
ムササビやモモンガは家がある筈。木の幹の中に作った家。
其処で恋人が待っているから、せっせと飛んでいるかもしれない。
「早く行こう」と、木から木へと。
もしかしたら、お土産まで持って。美味しい木の実を咥えて飛ぶとか。
(…イルカだって、一緒に餌を探して…)
恋人と泳いでいるかもしれない。美味しい餌がある場所を目指して。
其処へと一緒に泳ぐ途中で、仲良くジャンプしたりもして。
(…今日のぼく、独りぼっちなのに…)
同じ地球には、恋を楽しむイルカやムササビ。それにモモンガ。
飛べそうもないのに空を飛んでゆく、彼らが語らっていそうな恋。
タイプ・ブルーなのに飛べない自分は、独りぼっちで家にいるのに。
ポツンと一人で座っていたって、恋人は来てくれないのに。
そう思ったら、とても寂しい気持ち。「独りぼっちだ」と。
地球の上には命が溢れて、イルカやムササビやモモンガたちが飛んでゆく。
恋人の所に会いにゆくとか、恋人と一緒に海の中から高くジャンプで舞い上がるとか。
(…せっかく、ぼくも地球に来たのに…)
今日は一人、と捕まった「独りぼっち」の寂しさ。
部屋の中をどんなに見回してみても、愛おしい人はいないから。
こんな時間に待っていたって、ハーレイは来てくれないから。
(……寂しいよ……)
なんでいないの、と涙がじんわり溢れてきそう。
さっきまでは楽しかったのに。「地球って、凄い」と夢中で本を読んでいたのに。
(ハーレイだって、今頃は書斎…)
きっとそうだよ、と愛おしい人を思い浮かべて、ハタと気付いた。
あんなに楽しく読んでいた本、何度も感動していたのに。心の中で歓声だって。
けれど、本の世界に溢れる命の輝きに酔っていた自分は…。
(…ハーレイと一緒に見られたら、って…)
一度も思いはしなかった。
ハーレイと二人で地球に来たのに、二人で生まれ変わったのに。
いつかは二人で旅をしようと、何度も約束しているのに。
(…ハーレイとサンゴ礁を見に行きたいな、って…)
思いもしないでいたのが自分で、ムササビやモモンガの森だって同じ。
ハーレイを「行こうよ」と誘ったならば、もちろん許してくれるだろうに。
「今は駄目だが、お前が大きくなったらな」と。
結婚したら二人で行こうと、イルカが泳ぐサンゴ礁にも、ムササビやモモンガが住む森にも。
(…ハーレイのこと、忘れちゃってたから…)
罰が当たったのかな、と思う今の寂しさ。「俺を忘れていただろう?」と。
そういう声が聞こえた気がする、何処からか。
「本に夢中で忘れていたな?」と、「そんなチビには、お仕置きだってな」と。
(…お仕置きなの?)
それで寂しい気持ちになるの、とハーレイに訊けるわけがない。
思念波を上手く紡げはしないし、第一、マナー違反だから。
(…でも、ハーレイなら…)
本当に自分を苛めたりはしないことだろう。「お仕置きだ」などと、意地悪に。
「俺を忘れていただろう?」と言った後には、きっと額をピンと弾いて…。
(…子供らしくて、いいことだ、って…)
チビはチビらしく過ごすことだな、と優しい声が聞こえてきそう。
「恋人気取りでキスを強請るより、忘れてるくらいが断然、いいな」と。
きっとハーレイならそうだよね、と思ったら紛れた今の寂しさ。
ハーレイの声が、また何処からか届いたようで。
「俺がいるだろ?」と、「いつも一緒だ」と。「お前と一緒に地球に来たしな?」と。
(…うん、今だって、ハーレイは…)
同じ地球の上にいてくれるのだし、寂しがっていないで甘えてみよう。
寂しい時だって、心はきっと繋がっている筈だから。
ハーレイのことを想っていたなら、心がふうわり軽くなるのが自分だから…。
寂しい時だって・了
※生き物たちの本に夢中で、ハーレイ先生のことを忘れていたのがブルー君。一人なことも。
けれど気付いてしまった寂しさ、それでも繋がっていそうな心。いつでも心は一緒ですよねv
(すっかり遅くなっちまったよな…)
こんな時間か、とハーレイが眺めた腕時計。
家のガレージに車を停めて、ドアを開けて外に出た後で。暗い外へと。
車の中にも時刻は表示されるけれども、そちらを見てはいなかった。
(遅いってことは分かってたしな?)
とうの昔に、車を運転し始める前に。
今日は会議が長引いたから、ブルーの家には寄れずに終わった。
早めに済んでくれていたなら、寄れたかもしれなかったのに。
思った以上にかかった時間。何度も時計を眺める内に。
これは駄目だと分かった時には、残念に思ったのだけど。
「今日は行けないな」と考えたけれど、同時に頭を掠めたこと。
こんな時こそ絶好のチャンス、書斎の友を増やしにゆこうと。
つまりは書店に出掛けてゆくこと、そしてあれこれ探して買うこと。
(ゆっくり時間が取れる日でないと…)
掘り出し物には出会えない。目当ての本を買って出るだけ、それで終わるから。
だから会議が済んだ後には、もう早速に乗り込んだ愛車。
街へ向かって走らせてやって、いつもの書店に出掛けて行って…。
(収穫の方は山ほどなんだ)
この頑丈な身体でなければ、きっと書店で訊かれただろう。
買った本を家まで送るサービス、それを使って送りましょうか、と。
それはドッサリ買った本たち、どれから読もうか迷うくらいに。
あちこちの棚を端から巡って、目に付いた本はどれも手に取っていたものだから…。
(本屋で過ごした時間だけでも…)
充分に長くて、出た時に腕の時計を眺めた。「こんな時間になっちまったぞ」と。
其処から車に戻って運転、家に着いたらこの時間にもなるだろう。
自分でも承知の遅い帰宅で、けれど収穫は袋に山ほど。何冊もの本。
書斎の友が増えてゆくのは楽しいもの。
読み終えるまでは机に積んで、読み終わったら棚に入れてゆく。
お仲間の本がいる辺りを選んで、「此処だな」と決める新入りの居場所。
本のサイズも色々だから、時には移動も必要になる。「これをこっちに」という引っ越し。
今日の収穫を全て収めるなら、きっと引っ越しもあるだろう。
(はてさて、どういう風になるやら…)
一気に入れるわけじゃないしな、と心が躍る。
読み終えた本から入れてゆくから、全部を棚に収めた時には引っ越す本が何冊あるか。
新入りの隣に並ぶ本たちはどれになるのか、それを考えるのもまた楽しい。
「いい日だった」と庭を横切り、玄関に着いて取り出した鍵。
玄関の灯りは自動で点いているから、扉を開けて中に入っても暗くはない。
けれど廊下は暗いわけだし、パチンと灯りを点けた途端に…。
(…俺一人だよな)
この家には誰もいないんだ、と何故だか思った。
一人暮らしだから、当たり前なのに。いつも一人で戻る家なのに。
どうして「一人だ」と考えたのか、自分でもまるで分からない。
(ふうむ…?)
この家じゃそれで普通だろうが、と靴を脱いで奥へ進んだけれど。
鞄や買った本の袋をドサリと置いて、楽な普段着に着替えたけれども、消えない思い。
「一人だよな」と、心の中から。
一度そうだと気付いてしまえば、「一人」なことがよく分かる。
行く先々で点けてゆく灯り、リビングでも、それに洗面所なども。
この家に他に人がいるなら、とっくに点いているだろう灯り。
点けないと何処も暗いのだから。
真っ暗な中で手を洗えはしないし、暗いリビングではソファも見えない。
ダイニングやキッチンもそれは同じで、サイオンを使って見ない限りは…。
(何一つ見えやしないんだ…)
暗いままでは、灯りをつけていない部屋では。
灯りを幾つも点ける間に、何度「一人だ」と思ったことか。
着替える時にもやはり思った、スーツを脱いでも「お疲れ様」とは言って貰えない。
(まあ、仕事だけではなかったんだが…)
本屋でたっぷり本探しもだ、とは思うけれども、仕事帰りには違いない。
この家に他に住人がいたら、掛けて貰える筈の声。「お疲れ様」と。
そうでなくても、玄関の扉を開けた途端に「おかえりなさい」と迎えられる筈。
誰かが家にいるのなら。…一緒に暮らしているのだったら。
(本当に、俺一人だよな…)
何処を見たって一人暮らしだ、とキッチンで作ってゆく夕食。
手早く作れて美味しいものを、と冷蔵庫などの中を覗いて作る時間も好きなのだけれど。
(これだって、一人分なんだ…)
量は多くても、一人分。自分の身体が大きい分だけ、食事の量も多いから。
それを器に盛り付けてみたら、「一人なのだ」と一目で分かる。
同じ料理が入った器は一つも無くて、どの器にも違った中身。
他に誰かがいるのだったら、「誰か」の分だけ、料理の器が増えるのに。
炒め物なら炒め物の器が、煮物だったら煮物の分が。
(味噌汁も、それに飯だって…)
一人分ずつあるもんだよな、とテーブルの上を眺めてみたって、どちらも一つ。
この家には自分だけだから。
一人暮らしのテーブルの上に、同居人の分が載りはしないから。
(…なんともはや…)
とんだ所に気付いちまった、と着いた食卓。「いただきます」と。
誰もいなくても「いただきます」と挨拶するのは、若かった時代に叩き込まれたこと。
家でも厳しく躾けられたけれど、柔道や水泳の先輩たちにも何度も言われた。
「誰もいなくても「いただきます」だ」と、「食事に感謝の気持ちをこめて」と。
作って貰った食事はもちろんのことで、自分で作った料理も同じ。
感謝する相手は「作り手」だけれど、料理を作った人よりも前に…。
(食材を作ってくれた人がだな…)
大勢いるし、神様もだ、と「いただきます」。感謝をこめて。
そうして一人で食べ始めてみても、やはり「一人だ」と拭えない気持ち。
テーブルの向かいには誰もいなくて、他の部屋から物音もしない。
誰かこの家で暮らしているなら、人の気配があるのだろうに。
此処で一人で食べていたって、何処かでドアを開ける音がするとか…。
(階段を上がる足音だとか、キッチンで水の音だとか…)
そういう音さえ聞こえやしない、と寂しくなる。「一人だよな」と心で繰り返して。
家に帰ってくる時までは、収穫に胸が躍っていたのに。
「今日は山ほど買い込んだぞ」と、本たちの置き場を考えたりもしていたのに。
(…一人ってヤツに捕まっちまった…)
なんてこった、と見回す辺り。同居人などいない家。
ダイニングには自分一人きりだし、他の部屋にも人影はない。
一人で食事をしている間に、遅れて帰ってくる人も。「遅くなってごめん」と。
(…遅くなってごめん?)
聞こえた気がする、ブルーの声。
今のブルーの声とは違って、時の彼方のブルーの声で。
(…前のあいつは、そんな言葉は…)
言っていないぞ、と思ったけれども、あるいは聞いていたのだろうか。
いつもは自分がブルーの部屋を訪ねて行った。あの広かった青の間へと。
けれど、ブルーが来る時もあった。…キャプテンの部屋へ。
(…そういう時に、聞いていたかもしれんな)
約束の時間よりも遅れて来たとか、色々な時に。「遅くなってごめん」と、あの声で。
今のブルーは「遅くなってごめん」と言いはしないし、いつでも家で待っている方。
恋人の自分が訪ねてゆくのを、首を長くして。
(…あいつの所に寄れなかったのに、楽しく本屋で過ごしたから…)
罰が当たったというヤツかもな、と首を竦める「一人」な呪い。
普段は少しも気にならないのに、今日は何度も思うから。
寂しい気持ちがしてくるくらいに、「一人なのだ」と次から次へ。
其処へ聞こえたように思ったブルーの声。「遅くなってごめん」と、前のブルーの声で。
(…そうか、お前がいてくれるのか…)
今ではチビになっちまったが、と思い浮かべる恋人の顔。
「此処にいるよ」と、「ぼくがいつでもいるじゃない」と、得意そうな顔。
さっき聞こえたブルーの声とは、まるで違った子供の声で。
「ハーレイは一人なんかじゃないでしょ」と、「ぼくは帰って来たんだから」と。
(…うん、そういえばそうだよなあ…)
俺は確かに一人じゃないな、と前の自分の孤独を思う。
前のブルーがいなくなった後、独りぼっちで生きた白いシャングリラ。
どんなに仲間が大勢いたって、心は一人きりだった。
愛おしい人を失くしたから。もう戻っては来てくれないから。
(…あの時の俺に比べれば…)
今は最高に幸せだよな、と浮上した気分。「今はあいつがいるんだしな?」と。
寂しい時でも、同じ世界にいるブルー。声が聞こえたと思うくらいに。
(よし、それじゃ飯が終わったら…)
二人で一緒に今日の収穫を見てみような、と小さなブルーに心で掛けてやる声。
色々な本を二人で見ようと、「いつか本物をお前が見られる日が来るからな」と。
この家で二人で暮らし始めたら、ブルーも目にする棚の本たち。
いつか一人ではなくなるのだから、それを思えば幸せな今。
一人暮らしは今だけだから。寂しい時でもブルーを思えば、心がふわりと軽くなるから…。
寂しい時でも・了
※ハーレイ先生が捕まってしまった「一人」の呪い。気付かされる「一人だよな」ということ。
けれど本当は、「一人きり」ではない世界。寂しい時でも、同じ世界にブルー君v
(ハーレイ、来てくれなかったよ…)
それに当ててもくれなかった、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
来てくれるかと待っていたのに、鳴らないままで終わったチャイム。
訪ねて来てはくれなかったハーレイ、何度も窓を眺めたのに。チャイムの音を待ったのに。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
今は自分が通う学校、其処で古典の教師をしているハーレイ。
(頑張って手を挙げたのに…)
古典の授業がある日だったから、胸を弾ませて登校した今日。
もう確実に会える恋人、学校では「ハーレイ先生」だけれど。
授業中には「古典の先生」、「ハーレイ先生」以上に距離が開くのだけれど。
それでも顔が見られる時間。
好きでたまらない声も聞けるし、どの授業よりも待ち遠しいのが古典の時間。
今日もドキドキ胸を高鳴らせて、ハーレイが入ってくるのを待った。
授業の始まりを告げるチャイムが聞こえたら。…教科書やノートを机に置いて。
直ぐに入って来たハーレイ。
「今日は此処から」と広げた教科書、「この前の授業は覚えているな?」と。
そして授業が始まったけれど、残念なことに…。
(ぼくには当ててくれない日…)
今日はそうだ、と何回か手を挙げたら分かった。
ハーレイが生徒に投げる質問、それに応えて「はいっ!」と右手を挙げている内に。
(…いつも当たるとは限らないけど…)
同じ生徒ばかりが指されはしないし、そう簡単には当てて貰えない。
けれど難しい問題だったら、格段に上がる「当てて貰える」確率。
他に手を挙げている生徒が減るほど、当たりやすくなる「手を挙げた生徒」。
それで運よく当たった時には、張り切って「はいっ!」と立ち上がる。
ハーレイと二人で向き合えるから。
教師と教え子、そんな二人でも、その時は「二人きり」だから。
授業中に誰かを名指ししたなら、ハーレイはけして余所見をしない。
当てた生徒を真っ直ぐ眺めて、「答えは?」と鳶色の瞳で促す。
もちろん、温かな声までついて。
(ぼくが当たったら、「ブルー君」って…)
それで始まる二人きりの時間、他の生徒は割り込めない。
当てられたのは自分なのだし、答えを期待されるのも自分。
(他に答えられる生徒がいたって…)
横から勝手に正解を言えば、私語と同じで叱られるだけ。それは余計なことだから。
当たった生徒が答えられなくて、詰まっていたなら別だけど。
何も言えずに俯いたままで、ハーレイが「誰か、答えが分かるヤツ!」と言ったなら。
その場合でも、やはり「手を挙げる」ということが大切。
ハーレイが誰かを指さない限りは、自分の席から叫べはしない。どの生徒だって。
教師と生徒の真剣勝負が「質問に答えている」間。
いわば試合で、一対一で勝負する時。
其処に横から割り込むなどは言語道断、ハーレイが許さない限り。
割り込む時にも必要な作法、手を挙げて当てて貰うこと。
だから自分が当たった時には、暫く独占できるハーレイ。
「ブルー君!」と当てて貰って、「はいっ!」と椅子から立ち上がったら。
質問の答えをスラスラ答えて、「よし」とハーレイが頷くまで。
とても難しい質問だったら、「しっかり勉強しているな」と褒めて貰える時だって。
(先生と教え子なんだけど…)
その間だけは二人きりだよ、と思えるハーレイとの時間。
私的な会話はまるで無しでも、質問に答えるだけのことでも。
ハーレイは余所見をしないから。
自分の方でも、ハーレイだけを真っ直ぐ見詰めていられるから。
誰も変だと思いはしないし、「それで当然」なのが「当てられた」時。
どの生徒でも同じになるから、みんな一対一だから。
教室に立つハーレイと。質問を投げて、当てた「ハーレイ先生」と。
ハーレイと二人きりの時間が欲しくて、いつも懸命に手を挙げる。
質問の度に「はいっ!」と、前の生の最後に凍えた手を。
ハーレイの温もりを失くしてしまって、メギドで冷たく凍えた右手を。
(…授業中は、そんなの忘れてるけど…)
少しも意識はしていないけれど、挙げている手はいつでも右手。
ただの偶然、元から右手が利き手だから。
下の学校でも、幼稚園でも、いつも右手を挙げていたから。
(でも、ハーレイなら気付いてるよね?)
とうの昔に、「あの右手だ」と。
何度も大きな褐色の手で、包んで温もりを移してくれるハーレイ。
「温めてよ」と右手を差し出す度に、「これでいいか?」と、「温まったか?」と。
だからハーレイも知っている筈。自分が「はいっ!」と挙げる右手を。
それがどんなに悲しい記憶を秘めているのか、どれほど冷たく凍えたのか。
(分かっているんだろうけれど…)
授業の時には「ハーレイ先生」、前の生のことは無関係。
挙げている手が右手だろうが、左手だろうが、「手を挙げている」というだけのこと。
「あいつもだな」と気付いてくれれば、当てて貰える時だってある。
今日も期待に胸を弾ませ、「はいっ!」と何度も手を挙げたのに…。
(…当てて貰えない日だったんだよ…)
途中で「そうだ」と気が付いた。
手を挙げる生徒が少なかった質問、「ぼくが当たるかも!」と思った途端に指された生徒。
名前を呼ばれて慌てた生徒は、手などは挙げていなかった。
なのにハーレイは名指しで当てて、「答えは?」と訊いたものだから。
立ち上がった生徒が答えられなくても、「よく考えろよ?」とヒントを出したから…。
(……今日は駄目な日……)
自分は当てて貰えない日だ、と分かってしまった。
今日のハーレイは「答えられる生徒」を求めていない、と。
質問に答えられない生徒を指導する日で、授業を理解できる生徒は「聞いているだけ」。
そっちの方だ、と気付いたけれども、諦められない二人きりの時間。
ハーレイが当ててくれないとしても、手を挙げずにはいられない。
「此処にいるよ」と、「ぼくも当ててよ」と、何度でも。
他の生徒ばかりが当てられていても、優等生の出番は無い日でも。
(…だって、手を挙げるのをやめちゃったら…)
もう気付いてさえくれないハーレイ。
自分が教室にいることに。…この瞬間にもハーレイを見詰め続けていることに。
手を挙げたならば、「いるな」と思ってくれるだろうに。
「今日はお前は当てられないんだ」と、チラと意識してくれるだろうに。
当たらないから、と手を挙げるのをやめてしまえば、埋もれてしまう自分の存在。
他の生徒の間に紛れて、「クラスの一人」になってしまって。
頑張って右手を挙げ続けたなら、「あそこにいる」と目を引けるのに。
一度も当てては貰えなくても、ハーレイの目には入るのに。
(…だから、頑張ったんだけど…)
最後まで手を挙げ続けたけれど、やはり当てては貰えなかった。
二人きりの時間は貰えないまま、「今日は此処まで」と教科書をパタンと閉じたハーレイ。
授業の終わりを知らせるチャイムが響いたら。
前のボードに書いていた字を、最後まで書き終わったら。
(…後は、「質問は無いか?」って…)
ぐるりと教室の生徒を見回し、ハーレイは去って行ってしまった。
「質問のあるヤツは、いつでも来いよ」と穏やかな笑顔を投げ掛けて。
それでおしまい、何人かの生徒が追い掛けて行った。「ハーレイ先生!」と早足で。
古典の教科書やノートを手にして、何処から見たって質問が目当て。
きっとハーレイは、廊下に出るなり捕まっただろう。
彼らに囲まれ、質問に丁寧に答えていたのか、「ついて来い」と纏めて連れて行ったか。
どちらにしたって、其処に混じれはしない自分。
…質問などは無かったから。
授業について訊きたい生徒がいたなら、とても立ち話は出来ないから。
(…今日は、それっきり…)
ハーレイが訪ねて来てくれていたら、色々と話が出来たのに。
学校では出来ない恋人同士の話が出来て、甘えることも出来た筈なのに。
(…来てくれたらいいな、って待っていたのに…)
何度も何度も窓を眺めて、耳を澄ませたチャイムの音。ハーレイが鳴らしてくれないかと。
けれどチャイムは鳴らずに終わって、もうじき今日という日も終わる。
日付が変わるのはまだ先だけれど、自分がベッドに入ったら。
眠りの淵へと落ちて行ったら、終わってしまうのが今日で、無かったハーレイとの時間。
二人きりの時間は、ほんの少しも。
当てられて質問に答えるだけの、教師と教え子の時間でさえも。
(…ハーレイ、分かってくれてるよね…?)
今の寂しい自分の気持ち。「来てくれなかったよ」と零れる溜息。
この時間ならば書斎だろうか、夜は書斎でコーヒーを飲むことが多いと聞いているから。
書斎でなくても一杯のコーヒー、それが憩いの時らしいから。
(ぼくのこと、ちゃんと思い出してよ…?)
頑張って手を挙げたんだから、と愛おしい人に心の中で呼び掛ける。
思念波は上手く紡げないから、ハーレイに届きはしないけど。
届けられるほど器用ではないし、想うことしか出来ないけれど。
(学校じゃ教え子なんだけど…)
でも、ハーレイの恋人だよね、と念を押したくなる恋人。
忘れられたリしてはいないと分かっていても。
ハーレイはけして忘れはしないと、きっと想っていてくれるのだと分かっていても。
…今日は当てては貰えないまま、授業が終わってしまったから。
帰りに訪ねて来てもくれなくて、二人きりの時間は無しの一日だったから…。
教え子なんだけど・了
※ハーレイ先生に当てて貰えなかったブルー君。おまけに家にも来てくれなくて…。
夜になっても零れる溜息、「教え子だけど、恋人だよね?」と。寂しがり屋のブルー君ですv
(当てて欲しかったのは分かるんだがな…)
しかし俺にも都合があって、とハーレイが浮かべた苦笑い。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
遠く遥かな時の彼方で「ソルジャー・ブルー」と呼ばれていた人、その生まれ変わり。
気高く美しかった人は帰って来てくれたけれど、子供の姿になってしまった。
十四歳にしかならない子供に、今の自分が勤める学校の生徒になって戻ったブルー。
今日はブルーのクラスで教えて、生徒たちに向かって投げた質問。
「これが分かるか?」と、「分かったヤツは手を挙げろ」と。
質問の答えが簡単だったら、「ハイッ!」と幾つも手が挙がるけれど。
答えが難しくなればなるほど、まるで挙がらなくなってゆく。
(そういう時でも、挙げるのがあいつで…)
今日も必死に挙げてたっけな、と小さなブルーを思い出す。
体育はまるで駄目らしいけれど、運動以外は成績優秀なのがブルー。
どの科目でもトップの成績、もちろん古典も文句なし。
(あいつに当てれば、もう間違いなく正解なんだが…)
それでは俺が困るんだ、と教師の立場で考えること。
挙がる手の数が少ないのならば、理解している生徒も少ない。
其処で「理解できている」生徒に当てれば、スラスラと答えが返るけれども…。
(それが刺激になる時もあるし、逆になる時もあってだな…)
他の生徒が「どうせ駄目だ」と思ってしまえば逆効果。
正解を聞いて「そうか!」と理解し、次のステップへ進んでくれれば「いい刺激」。
今日の質問は逆の効果が出そうな内容、だからブルーは当ててやれない。
「分かる人しか無理なんだ」と他の生徒が思うから。
やれば自分も出来るのだ、と生徒に自信を持たせてやるのも教師の仕事。
あえて「手を挙げなかった」生徒を選んで、名指しで訊いた。「これの答えは?」と。
自分の授業ではよくあること。
当てられた生徒は慌てるけれども、「よく考えろよ?」と与えるヒント。
教室のボードに書くこともある。正解に辿り着くための道順。
「これの場合は、こうなって、こう」と。「それなら、こいつはどうなるんだ?」と。
今日もそうやって、生徒に自分で考えさせた。「間違えてもいいから答えてみろ」と促して。
少し時間はかかったけれども、きちんと返って来た正解。
何度かミスを繰り返した末に。「本当にそうか?」と訊き返されながら。
(ああいう時には、あいつは当ててやれないんだ…)
どんなに頑張って手を挙げてもな、と心で謝る愛おしい人。
ブルーは「当てて欲しかった」のに。
質問の度に手を挙げ続けて、「ぼくも当ててよ」と赤い瞳が見詰めていたのに。
(どうして俺が当てなかったか、分かってくれてはいるんだろうが…)
それでも諦めないブルー。「もしかしたら」と挙げ続ける手。
「答えはきちんと分かっています」と主張するのではなく、ただ「当たりたい」だけ。
質問に答える間のひと時、独占できる「古典の教師」。
ブルーにだけ向けられる声と瞳と、それが欲しいから「当たりたい」。
その時間だけは、教室の他の生徒たちとは違う扱いになれるから。
「ブルー君」と当てられたならば、教師の自分と一対一で向き合えるから。
(…あいつの気持ちは分かるんだがな…)
そういう時間を欲しがる気持ち。
当てられて答えるだけのことでも、ほんの束の間、二人きりの時間。
大勢のクラスメイトが周りにいたって、一対一の教師と教え子。
他の生徒は割り込めはしない真剣勝負で、ブルーと自分の戦いの場で…。
(あいつが正解を答えて来たなら、俺が負けるというわけだ)
ブルーの答えが間違っていたら、余裕たっぷりに「そうなのか?」と返すのだけれど。
「答える前に、きちんと確かめるんだな」と笑いも出来るけれども、そうはならない正解の時。
よし、としか答えられないから。「よく分かったな」と褒めるだとか。
生徒のブルーを褒めた場合は、教師の自分の負けになる。
それが難問であればあるほど、「してやられる」のが教師というもの。
実際の所は、少しも負けてはいないのだけれど。「負けたふり」のようなものだけど。
(なんたって、こっちはプロなんだしな?)
ブルーがどんなに優秀だろうが、プロの教師には敵わない。
他の生徒も当然同じで、成績が悪い生徒となったら、もっと敵いはしないから…。
(そっちに当てて、頑張りを…)
引き出さないと、と考えた時は「当てない」ブルー。
二人きりの時間を欲しがられても、真剣勝負を挑まれても。
懸命に手を挙げていたって、けしてブルーを当てはしない。
「ぼくに当ててよ」と赤い瞳が訴えていても、「此処にいるよ」と見詰めていても。
(優秀な生徒だからこそ、当てないんだぞ?)
意地悪しているわけじゃないんだ、と愛おしい人を思い浮かべる。
当てて欲しくて手を挙げ続けた人を、それでも一度も当ててやらずに終わった人を。
(…あいつが欲しがる、俺と一対一の時間ってヤツが…)
ブルーにとってはどれほど大事か、自分だってちゃんと分かっている。
「他の生徒は割り込めない」時間、傍から見たなら教師と生徒の真剣勝負。
もちろん中身もそうだけれども、ブルーが欲しがるものは別。
(俺と真剣勝負をしてる間は…)
独占できる、教師の自分。
「ブルー君」と当てた時には、「よし、正解だ」と座らせるまで、ブルーと一対一。
他の生徒に視線を移しはしないし、ブルーと向き合うことになる。
スラスラと正解を口にするブルーと、ほんの少しの間だけでも。
(それが、あいつが欲しい時間で…)
教師の俺でもいいんだよな、と零れる苦笑。
それも「ハーレイ先生」どころか、授業の真っ最中の教師の自分。
休み時間なら立ち話なども出来るけれども、授業は別。
質問ともなれば真剣勝負で、大抵の生徒は「当てられないように」身を潜めるのに。
今日もブルーが欲しがった時間。
当てて貰って、立って答えたくて、何度も何度も挙げていた右手。
質問の度に「はいっ!」と、直ぐに。
「ぼくは此処だよ」と、「ぼくに当てて」と挙げ続けた手。
(…当ててやれなくて済まなかった、って気になっちまうぞ)
あいつが分かってくれていたって、と小さなブルーの胸の中を思う。
きっとブルーなら気付いた筈の、「当てなかった」理由。
今日までにも何度もあったことだし、当てられた他の生徒を見れば分かること。
どうして自分が名指しされずに、他の生徒が当てられたのか。
(分かってくれてる筈なんだが…)
一度もブルーから聞かされていない恨み言。「どうして当ててくれなかったの?」と。
だから気付いている筈なのだし、気付かないほど愚かでもない。
今の自分の教え子は。…教え子になってしまったブルーは。
(しかし、それでも当てて欲しいわけで…)
当たらないのだと分かっていたって、ブルーが挙げずにいられない右手。
「はいっ!」と何度も、諦めないで。
前の生の終わりに冷たく凍えた、悲しい記憶を秘めた右手を何度でも。
「此処にいるよ」と赤い瞳で見詰めて。
「ぼくも当ててよ」と、無理だと分かっていても。
(…俺の教え子なんだがなあ…)
本当は俺の恋人だから、とブルーの気持ちを考えずにはいられない。
授業の間のほんのひと時、恋人の声を、視線を独占したくて挙げられる右手。
「はいっ!」と、いつまでも諦めないで。
今日は自分は当たりそうにない、と気付いていたって、何度でも「はいっ!」と。
当たりさえすれば、恋人を独占できるから。
「ハーレイ先生」よりも更に私的な会話が出来ない、「授業中のハーレイ先生」でも。
恋人には違いないのだから。
声も瞳も、別人になりはしないから。
そんなブルーを当ててやれずに終わった今日。
埋め合わせに帰りに訪ねることさえ、出来ないままで帰ってしまった。自分の家に。
(…あいつ、どうしているんだか…)
寂しがっていないといいんだが、と愛おしい人を想わないではいられない。
今日は話せずに終わったブルーを、当ててさえもやれなかったブルーを。
(教え子なんだが、あいつは俺の大切な…)
恋人だしな、と傾ける愛用のマグカップ。
明日はブルーの家に行けるといいんだが、と。
誰よりもブルーが大切だから。
授業中でも「此処にいるよ」と手を挙げてくれる、小さなブルー。
また巡り会えた愛おしい人の側にいたいと、溢れる想いは止まらない。
今日のブルーがそうだったように。
授業中でも手を挙げ続けて、「ぼくも当てて」と懸命に恋人の視線を求め続けたように…。
教え子なんだが・了
※ハーレイ先生が当ててあげられなかったブルー君。懸命に手を挙げていたのに。
教え子になってしまった恋人、それでも誰よりも大切な人。明日は会えるといいですよねv