「ねえ、ハーレイ…。今も好物、変わってないよね?」
前の時と、と小さなブルーが傾げた首。
二人きりで過ごす休日の午後に、向かい合わせで腰掛けて。
ブルーの部屋にある、いつものテーブルと椅子。
其処で出て来た、そういう質問。
「好物って…。変わっていないということは無いぞ」
前の俺とは違う部分も大いにあるな、と答えたハーレイ。
何故なら、本当にそうだったから。
「変わっちゃったの?」
なんで、とブルーは目を丸くする。
今のハーレイも前と同じで、好き嫌いというものが無いから。
そうだと何度も聞いているから、解せなくて。
「変わった理由か? それはだな…」
まずは地球だな、と立てた人差し指。
今のブルーも、今のハーレイも、住んでいる場所は青い地球。
遠く遥かな時の彼方で、前のブルーが焦がれた星。
蘇った母なる水の星の上では、何もかもが前と違っている。
其処にある物も、地球で暮らしている人々も。
だから自然と異なるものだ、とハーレイはブルーに話した。
今のハーレイの大好物は、母が作ったパウンドケーキ。
幼い頃から馴染んだ味で、その母は血が繋がった母。
SD体制の時代には何処にも無かった、本物の「おふくろ」。
「おふくろの味」が出来てしまえば、何もかも変わる。
前のハーレイは、「おふくろ」を知らなかったから。
育ててくれた養父母でさえも、まるで覚えていなかったから。
そんなこんなで、変わった好物。
前のハーレイなら、どうでも良かったパウンドケーキ。
きっとブルーもそうだろうから、「分かるだろう?」と。
「そっか…。それなら、ぼくも同じかも…」
「ほらな。変わらない方がおかしいんだ」
時代に合わせて変わっちまう、と浮かべた笑み。
「見た目はともかく、前の俺とは違うもんだ」と。
「うーん…。だけど、お酒は好きなんじゃないの?」
ぼくのパパとも飲んでるものね、と返したブルー。
「前のハーレイも好きだったでしょ」と、赤い瞳を瞬かせて。
「酒か…。あれなら今でも好きだな、うん」
「ほら、変わってない」
「いやいや、今は地球の水で仕込んだ美味い酒があるし…」
酒の好みは変わったかもな、と笑顔で返す。
同じ酒でも、あの頃とは違うものだから。
白いシャングリラで飲んだ酒とも、改造前の船にあった酒とも。
「お酒の好みも変わっちゃったの? でも…」
飲み方は変わっていないでしょ、とブルーは興味津々。
酒を入れる器の種類などは増えても、酒には違いないから、と。
「それはまあ…。熱燗だとか、そういうのはあるが…」
「無礼講だって、今もあるでしょ?」
「あるな」
なかなかに愉快な酒の席だ、と緩んだ頬。
そうしたら…。
「次はお酒を用意しておくね。無礼講なら、いいんでしょ?」
「はあ?」
「酒の上なら、ハーレイがぼくにキスしちゃっても…」
「馬鹿野郎!」
この部屋で酒は決して飲まん、とブルーの頭を軽く小突いた。
小さなブルーに、キスはしないと決めているから。
無礼講でも酒の上でも、ブルーの罠には掛からないから…。
酒の上なら・了
(時間旅行かあ…)
そういうモノもあるらしいよね、と小さなブルーの頭に浮かんだこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(タイムマシンが有名だけど…)
小説の世界ではお馴染みだけれど、生憎と、まだ出来てはいない。
地球が滅びてしまう前から、人間は夢を見ていたのに。
自由自在に時を飛べたらと、本の世界や、映画なんかで。
(だけど、一応…)
時間旅行をしたと言われる人物は、存在していたらしい。
それが本当かどうかはともかく、タイムトラベラーだと名高かった人。
(サンジェルマン伯爵…)
十八世紀のヨーロッパ社交界で活躍した人物。
社交界で名を上げた頃には、もう七十歳近かった彼。
ところが見た目は、四十代でしかなかったという。
そんな昔は、人が老けるのは、今よりもずっと早かったのに。
六十代なら立派な老人、四十代に見える筈もないのに。
(その上、それから何年経っても…)
伯爵は年を取らなかった。
久しぶりに再会した人たちが、「変わっていない」と驚いたほどに。
まるで伯爵の上でだけ、時間が止まっているかのように。
(…不老不死だ、って…)
そういう噂が流れたくらいに、不思議な現象。
老けない人など、有り得ないから。
人間が全てミュウになった今なら当たり前でも、十八世紀には無理だから。
(それだけじゃなくて…)
サンジェルマン伯爵は、途方もない量の知識を持っていた。
何千年も生きてきた人であるかのように。
遥かな過去の時代の話を、その目で見たかのように語って。
(シバの女王とか、ソロモン王とか…)
伝説に等しい王たちと親しく、アレクサンダー大王とも杯を交わした彼。
十字軍にも出掛けたというし、カナの婚礼にも出席した。
(社交界で活躍してから、ずっと後になって…)
それこそ何十年と月日が流れ去った後に、サンジェルマン伯爵に出会った人たちがいる。
寿命が短かった時代に、百歳は越えているだろう彼に。
けれども伯爵は全く変わらず、四十代にしか見えないまま。
伯爵と再会した人の方は、もう老人になっていたのに。
すっかりと老いて顔には皺が刻まれ、髪の毛は白くなっていたのに。
(…伯爵は、タイムトラベラー…)
サンジェルマン伯爵を知っていた人は、そうは考えなかったけれど。
十八世紀に生きた人には、時間旅行の概念など無い。
だから伯爵が語った通りに、「不老不死だ」と思い込んだ。
錬金術で不死の薬を手に入れ、それを飲んで生きているのだと。
ソロモン王の時代よりも遠い昔に生まれて、何千年も世界を見て来たのだと。
(年を取らないのも、不老不死だから…)
それできちんと説明がつく。
人々は伯爵の正体を錬金術師と考え、不老不死だと信じたけれど…。
(もっと時代が後になったら…)
時間旅行というアイデアが生まれ、小説などが登場した。
そうなってくると、サンジェルマン伯爵の記録が脚光を浴びる。
「本当は、タイムトラベラーだったのでは」と、大勢の人に注目されて。
伯爵がタイムトラベラーなら、沢山の謎が解けるから。
錬金術など使わなくても、何千年も生きていなくてもいい。
四十代のサンジェルマン伯爵は、タイムマシンを好きに使うだけ。
「今度は、あそこへ行ってみよう」と、シバの女王の所まで。
アレクサンダー大王に会いに行くのも簡単、十字軍に参加するのも自由。
彼の好奇心が趣くままに。
思い付いた時にタイムマシンを使って、軽々と時を飛び越えていって。
十八世紀のヨーロッパは、きっと、「お気に入りの時代」だったのだろう。
拠点を定めて暮らしてゆくには、とても楽しくて活気があって。
(お屋敷を持って、社交界に出て…)
気に入った人たちに、時間旅行の体験談を披露した。
「ほら話」にしては出来すぎているから、誰もが喜んで聞き入ってくれる。
何千年も生きているのだと言ったって。
自分の生まれは遥かな昔で、広い世界を旅して来たと語っても。
(…本当は、どうだったんだろう…?)
今も分からない、サンジェルマン伯爵の正体のこと。
タイムマシンは出来ていなくて、「サンジェルマン伯爵」も出来ようがない。
「我こそは」と勇み立つ人がいたって、肝心のマシンが無いのでは。
瞬間移動が可能なミュウでも、時間跳躍は出来ないから。
(今でも、謎だよ…)
ルーマニア王家の関係者なのだ、と話していたサンジェルマン伯爵のことは。
伯爵がそう語った時代に、ルーマニアに「その名の王家」は無かった。
後に王家は、本当に出現するのだけれど。
彼らの子孫も、後世まで生きていたのだけれど…。
(……SD体制に入っちゃったら……)
人間は誰の子孫でもなく、同時に誰の子孫でもあった。
機械が統治していた時代は、そういう時代だったから。
人工子宮から生まれた子供に、実の親などいる筈もない。
養父母が育て、精子と卵子の提供者が誰かも分からない世界。
「ルーマニア王家の関係者」などは、もういなかった。
広い宇宙の何処を探しても。
育英都市にも、首都惑星にも、あちこちに散らばる星を探しても。
(…やっぱり、作り話なのかな?)
タイムマシンも無いままなんだし…、と思うけれども、ふと気が付いた。
本物の「ルーマニア王家の関係者」である必要など、何処にも全く無いと。
どうせ十八世紀に生きた人には、事実かどうかは意味が無い。
確かめようがないことなのだし、当時は「ほら」だと思われたこと。
不老不死の伯爵が、周りを煙に巻こうとして語った「ほら話」。
(それなら、誰がサンジェルマン伯爵でもかまわないよね?)
タイムマシンを持ってさえいれば。
十八世紀まで時を旅して、その時代に拠点を定めさえすれば。
(…その気になったら、ぼくだって…!)
なれちゃうんだよ、と思った時代の寵児。
ソロモン王やシバの女王の宮廷に出掛けて、アレクサンダー大王とも宴。
カナの結婚式に出席してみたり、十字軍にも加わってみたり。
(うん、最高…!)
十八世紀の人たちの前では、「ルーマニア王家の関係者」だと名乗ればいい。
「サンジェルマン伯爵」という名前で、屋敷を借りて。
社交界にもツテを作って、楽しく遊び暮らしていったらいい。
合間には、時間旅行をして。
自分の行きたい時代へと飛んで、様々なことを見聞して。
(……ちょっぴり、年が違うんだけど……)
四十代じゃないんだけどね、と其処が難点。
その外見に見せかけるのなら、特殊メイクが必要だろう。
(それから、チビ…)
十四歳の子供の背丈は、社交界に出るには足りなさすぎる。
前の自分の背丈だったら、きっと充分だっただろうに。
(…髪の毛の色と、目の色も…)
サイオニック・ドリームで、どうとでもなった。
不器用な今の自分と違って、伝説のタイプ・ブルーだから。
最強のミュウで、特殊メイクが無くても、四十代の姿になれそうだから。
なかなか上手くいかないよね、と零れた溜息。
今の自分はどう頑張っても、特殊メイクが必要だろう。
タイムマシンを手に入れる頃には、ちゃんと背丈が伸びていたって。
髪と瞳の色も、見た目の年も、サンジェルマン伯爵からは程遠いから。
(…前のぼくなら、簡単なのにな…)
ちょっと残念、と肩を落として、其処で引き戻された現実。
正確に言うなら、タイムマシンを手に入れた時に、どうするべきか。
(……時を飛べたなら、サンジェルマン伯爵になるよりも……)
もっと大切な、「するべきこと」。
十八世紀の社交界で楽しく遊んでいるより、SD体制の時代へ出掛けて…。
(…ミュウの歴史を変えなくちゃ…)
ミュウを排除するシステム自体は変えられなくても、一人でも多く、生きられるよう。
まずはアルタミラの虐殺を止める所から。
(……メギドが狙いを定める前に……)
アルタミラに降りて、閉じ込められていたミュウたちを逃がす。
牢獄だったシェルターを開けて、自由の身にしてやることが出来たら…。
(宙港には船が沢山あったし、全員、それに乗り込んで…)
宇宙へと逃げて、そこから始まる新しい歴史。
大勢のミュウが宇宙に船出したなら、その先も変わることだろう。
「シャングリラ」という船は誕生しないで、ミュウの艦隊が出来るだろうか。
何隻もで宇宙を旅する仲間に、「ソルジャー」は必要ないかもしれない。
全ては会議で決めてゆくことで、リーダーだって…。
(任期があって交代するとか、そんなのかもね?)
前の自分は「まだ子供だから」と出番は来ないで、ハーレイも厨房の係のまま。
そうやって長く旅を続けて、大勢のミュウを救い続けて…。
(ナスカの悲劇も起こらないまま、いつか地球まで…)
ミュウたちは辿り着くかもしれない。
タイムマシンで時間を旅して、上手く歴史を変えていったら。
社交界には出られなくても、誰も気付いてくれなくても。
(そうやって、歴史を変えちゃっても…)
ハーレイとは、きっと出会えるよね、と浮かべた笑み。
大英雄になる「ソルジャー・ブルー」は、ついに歴史に現れなくても。
名高い「キャプテン・ハーレイ」だって、現れないままになったとしても。
(……ぼくとハーレイだったら、きっと……)
出会えて、今の時代も一緒、と心がじんわり温かくなる。
名も無いミュウでも、たとえヒトではなかったとしても、二人の絆は変わらないから。
どれほどの時が流れようとも、離れずに、いつも一緒なのだと思えるから…。
時を飛べたなら・了
※タイムマシンがあったらいいな、とブルー君が描いた夢。サンジェルマン伯爵の世界。
けれど、本当にタイムマシンを手に入れたなら…。社交界より、ミュウの歴史なのですv
(タイムスリップなあ…)
そういう現象があるらしいよな、とハーレイの頭を掠めたこと。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
タイムスリップ、時間をヒョイと飛び越えること。
遠い昔から、ヒトが憧れた時間旅行。
自由自在に時を越えるには、タイムマシンが欠かせないもの。
それは未だに出来ていなくて、時間旅行は今でも「夢」。
時間旅行は無理だけれども、タイムスリップらしき現象は何度か起こっている。
今までのヒトの歴史というものの中で、「それであろう」と言われるものが。
(……昔から有名な所だと……)
フランス革命で処刑された王妃、名高いマリー・アントワネット。
彼女がギロチンの露と消えてから、長い歳月が流れた後に…。
(…ベルサイユ宮殿の庭を散歩していて、マリー・アントワネットらしき人物に…)
出会ったという女性がいた。
侍女たちを連れて歩みを進める、昔風のドレスを纏った王妃を見た女性。
もちろん彼女は「今の出来事だ」と考えた。
誰かがそういう格好をして、ベルサイユを散歩しているのだと。
ところが王妃は瞬く間に消え、見回しても、何処にも無かった姿。
ついさっき「其処を歩いていた」のに、誰かと見間違える筈も無いのに。
(時代がかったドレスでなければ、紛れちまうこともあるんだろうが…)
そうではないから、「目撃者」の話はアッと言う間に広がった。
友人知人に、更に知り合い、人から人へと。
そうして導き出された一つの結論が「タイムスリップ」。
目撃者の女性に聞けば聞くほど、何もかもが「王妃がいた時代」だったものだから。
王妃と侍女のドレスだけではなくて、その時の庭の佇まいも。
ベルサイユを散歩していた女性は、何かのはずみで時の流れを飛び越えた。
マリー・アントワネットが「いた」時代まで。
自分でも全く気付かない内に、ほんの短い間だけ、時間旅行をして。
今も出来ていないタイムマシン。
ヒトの憧れの時間旅行。
(…時間旅行は、今でも無理なモンだから…)
それを題材にした本などが人気を集めもする。
行ってみたい時代へ旅をする人や、タイムスリップしてしまう人が主人公。
(ちょっと捻った所だと…)
タイムリープも、昔からよく扱われる。
時間旅行ではなくて時間跳躍、タイムマシンは無しで時間を飛び越えるもの。
ちょっとした切っ掛けで時を越えるとか、専用のアイテムがあるだとか。
(…そうやって、時を越えてった先で…)
主人公が出会う歴史の一コマ、それを書き換えたりもする。
死ぬ筈だった人を救い出したり、負け戦を勝ち戦に変えてしまったり。
(過去に行ったら、自分の時代じゃ歴史の授業で教わることが…)
これから起こる出来事なのだし、知識さえあれば変えられる流れ。
窮地に陥りそうな人には、「そうしては駄目だ」と別のルートを示して。
大きな戦で負けるというなら、敗因を先に取り除いて。
(一度で全部やり切れないなら、少しずつ…)
タイムリープを繰り返しながら、過去の出来事を修正する。
頑なに考えを変えない人でも、少しずつなら譲歩したりもする。
「それなら右へ行ってみようか」とか、「右へ行くのも悪くないかも」だとか。
右へ曲がって直進したなら、同じように破滅するのだとしても…。
(そうなった歴史の過去へ戻って、右折の次は左折したなら…)
ほんの少しだけ、変わる状況。
左折した次に直進しないで迂回したなら、免れる破滅。
(歴史がそっちへ進むようにと、タイムリープを繰り返して…)
右折の次は左折、次は直進しないで迂回。
その結果、歴史は大きく変わって、死ぬ筈の人が生き残る。
たった一人の人のお蔭で。
せっせと時間を飛び越え続けて、努力を重ねた人の力で。
(夢物語ってヤツなんだがな…)
今の所は、と考える人の技術の限界。
タイムマシンは出来ていないし、タイムリープ用のアイテムも無い。
人間が全てミュウの今なら、サイオンの力で時間を飛び越えられそうなのに。
瞬間移動が当たり前になってしまったみたいに、タイプ・ブルーの中の誰かが…。
(タイムリープを可能にしたって、かまわないように思うんだがなあ…)
空間を瞬時に飛び越えてゆくか、時間を越えてゆくかの違い。
たったそれだけ、サイオンのベクトルを時間の方に振り向けたなら…。
(一瞬の内に、望む時代へ…)
飛んでゆけそうな気がするというのに、一人もいない時間旅行者。
夢見る人は多いけれども、やっぱり今でも夢物語。
タイムリープをする人の話は、読み物として人気を博していても。
「自分もタイムリープをしたい」と、夢を描く人が大勢いても。
(…俺には、夢の夢ってヤツで…)
どう考えても無理なんだよな、と零れる苦笑。
残念なことに、タイプ・ブルーではないものだから。
青い地球の上に生まれ変わっても、前と同じにタイプ・グリーン。
いくらサイオンを持っていたって、瞬間移動さえ難しい。
(…タイプ・グリーンが、瞬間移動をしたって話は…)
今の時代でも珍しいケース。
前の自分が生きた時代は、たった一つしか無かった例。
しかも目撃者は、ミュウの中には「いなかった」。
瞬間移動をやってのけたのは、人類の中にいたミュウだったから。
キース・アニアンの側近になった、マツカがキースを抱えて飛んだ。
前のブルーが、自分の命を捨ててまで…。
(沈めたメギドから、キースの野郎を…)
マツカは救って、旗艦まで飛んで行ったという。
タイプ・グリーンのミュウだったのに。
瞬間移動などしたことも無くて、初めての挑戦だったのに。
あの時、マツカが「飛ばなかったら」、歴史は変わっていただろう。
キースはメギドで死んでしまって、人類軍は指揮官を失くす。
もっとも、あそこでキースが戻らず終いでも…。
(エンデュミオンの指揮は、スタージョン中尉が任されていたんだし…)
旗艦も艦隊も無事に宙域を離れ、ソレイドに戻ったことだろう。
「残党狩り」を命じたキースはいないし、グレイブが率いる艦隊と共に。
(ジルベスター星域での演習だと言ってたらしいしな?)
人類軍の公式発表では、そういうことだった。
メギドまで持ち出したミュウの殲滅作戦、その存在は伏せられていた。
だからキースが戻らなくても、人類たちは気付きはしない。
自分たちが「誰を」失ったのか。
ミュウの反撃が開始されても、シャングリラがノアに迫って来ても。
聖地の地球にまで、ミュウの艦隊が降下してゆこうとも。
(右往左往するだけで、アッと言う間に…)
人類はミュウに敗れただろう。
機械が無から作った指導者、キース・アニアンが「いなかった」なら。
ミュウのマツカの瞬間移動が、失敗に終わっていたならば。
(…そうなると、だ…)
俺が夢物語を描くなら…、と思案してみる。
もしも自分が時を飛べたら、何処を目指して飛べばいいのかと。
ミュウの未来を楽に切り開くのなら、まずは「キースを消す」ことだろう。
E-1077へと飛んで、まだ水槽の中のキースを…。
(…コントロールユニットを、ちょいと弄って…)
水槽の中で窒息させればいい。
「キース」が死ねば、「代わりのモノ」が用意されるのだろうけれども…。
(それも端から窒息させれば済むことだよな?)
ヤツさえいなければ済むんだから、と考えたものの、少し心許ない。
何人ものキースを処分するより、完成品を消した方が確実。
(とはいえ、あいつはメンバーズで…)
戦闘技術に長けているから、そう簡単には殺せないだろう。
殺すチャンスがあるとするなら、ナスカで彼を捕虜にした後。
(トォニィは失敗しちまったんだが、俺なら出来る)
キースを押し込めたドームの中へと、毒ガスを注入してやればいい。
酸素の供給を断ってしまって、じわじわと窒息させてもいい。
(歴史の転換点で言ったら、マツカを消せば解決なんだが…)
それでキースは逃げ場を失うわけなんだが…、と思うけれども、その方法は使えない。
ナスカが燃えてしまった後では、大勢のミュウの犠牲が出るから。
何よりもメギドを沈めたブルーを、愛おしい人を救えないから。
(時を飛べたら、歴史を変えられるんだがなあ…)
変えるポイントが難しいよな、と傾けるカップ。
「だから未だに、その能力は誰も持たんのかもな」と考えながら。
誰もがサイオンを持つ時代でも、時を越えられるミュウはいないから。
時間旅行は今も夢物語で、時の流れを司る神しか、歴史を紡いでゆけないから…。
時を飛べたら・了
※今の時代でも出来ていないのが、タイムマシン。未だに不可能なタイムリープ。
夢物語に思いを馳せたハーレイですけど、歴史を変えるのは、時を越えても難しそうですv
「ねえ、ハーレイ…。ちょっと質問なんだけど」
ブルーが切り出したのは、日が暮れてから。
いつもの部屋で、テーブルを挟んで向かい合わせで。
学校で授業があった日のことで、ハーレイは夕方に訪れた。
柔道部の部活を指導した後、濃い緑色の愛車に乗り込んで。
車を駐車スペースに停めると、窓から手を振ったブルー。
それは嬉しそうに、笑顔が弾けるように。
「待ってたよ!」という声まで、耳に届いてくるかのように。
ブルーの部屋へと通された後は、のんびり、お茶の時間。
夕食の支度が出来るまでの間、二人でゆっくり過ごせるけれど。
「質問だって…?」
珍しいな、とハーレイは目を丸くした。
小さなブルーは成績優秀、質問などは殆ど必要としない。
自分の力で答えを見付けて、見事に解決してしまうのが常。
「うん、それが…。そこが問題」
「はあ?」
どういう意味だ、と掴みかねた意味。
質問自体が珍しいことが、どう問題だというのだろう。
(…分からんな…)
だが放ってもおけないし…、と首を捻ったら、瞬いたブルー。
「えっとね…。抜き打ちテスト、したでしょ?」
「ああ、アレか」
たまには不意打ちも必要だろう、と苦笑した。
予告してからのテストばかりでは、手を抜く生徒も多くなる。
すっかりと気を緩めてしまって、勉強を疎かにする生徒が。
そういう理由で、抜き打ちテスト。
あちこちで悲鳴が上がったけれども、きっとブルーは満点の筈。
「酷い点数を取ったヤツらは、補習だ」と脅したのだけど。
普通の授業が終わった放課後に、居残りをさせて。
(ブルーは、そこにはいないんだがな…)
だからサッサと切り上げないと、と考える補習。
出来れば仕事を早く終わらせ、ブルーの家に寄りたいから。
今日のように二人で、テーブルを挟んで座れるように。
他愛ない話を交わす時間も、宝石のようなものなのだから。
そうしたら…。
「…ぼくが零点だったら、補習?」
ブルーの口から、信じられない言葉が飛び出した。
よほど遊んでいない限りは、零点を取るなど、有り得ないのに。
真面目に勉強している子ならば、満点を取れる筈なのに。
「お前、解答欄、間違えたのか?」
それでも1点くらいは入るぞ、と返したものの、動揺した。
まさかブルーが補習だなんて、夢にも思わなかったから。
放課後の学校に居残りをさせて、指導だなんて。
「ううん、そうじゃなくて…。ちゃんと書いたけど…」
「なら、満点の筈だろう?」
「だから問題なんだってば! 補習、受けたいから!」
少しでもハーレイと一緒にいたいよ、というブルーの言い分。
貴重なチャンスを逃したくないと、なのに逃してしまった、と。
「…おいおいおい…」
そう焦るな、と銀色の頭をポンと叩いてやった。
「補習なんかより、此処で会う方がいいだろう?」と。
「何より、二人きりでお得だ」と、笑みを浮かべて。
「……そうなのかな?」
「そうだとも」
お得な方を選んでおけよ、と釘を刺す。
でないと、ブルーは「やりそう」だから。
次の抜き打ちテストがあったら、零点を目指しかねないから…。
零点だったら・了
(ホントに分からず屋なんだから…!)
それにドケチ、と小さなブルーがついた悪態。
ハーレイと過ごした休日の夜に、一人きりの部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日はハーレイが午前中から来てくれた。
この部屋で二人、テーブルを挟んで向かい合わせ。
お茶を飲むのも昼食もずっと、ハーレイと一緒だった。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
幸せ一杯の休日だけれど、今日はイラッとさせられた。
ハーレイのことは好きだけれども、許せないことは「ある」ものだから。
(ちっとも、ぼくにキスしてくれない…!)
どんなに強請っても、誘っても。
あの手この手で頼み込んでも、どう頑張っても。
そう、今日だって「そう」だった。
「ねえ、キスしたいと思わない?」と投げ掛けた問い。
「今だったら、ママも来ないものね」と、ちゃんと状況を確かめた上で。
それなのに、つれなかった恋人。
「俺は子供にキスはしない」と、お決まりの台詞。
おまけに頭も小突かれた。
痛くないよう、軽めに拳を落とされて。
「キスは駄目だ」と、鳶色の瞳で睨まれもして。
いつも、いつだって「こうなる」けれども、こうして腹が立つ夜もある。
チビの子供には違いなくても、恋人なのに。
遠く遥かな時の彼方では、何度もキスを交わしたのに。
青い地球の上に生まれ変わって、また会うことが出来たハーレイ。
失くした筈の身体を貰って、前とそっくり同じ姿で。
(でも、そっくりなのは…)
今の時点では、ハーレイだけ。
自分の方は残念なことに、前とそっくり同じ姿でも…。
(…チビだった頃の姿なんだよ!)
前のハーレイに出会った頃と、全く同じ。
メギドの炎で燃えるアルタミラで、若かった頃のハーレイに初めて会った。
まだ青年と呼べる姿で、実年齢もそれに見合ったもの。
一方、前の自分はと言えば、年だけは取っていたくせに…。
(…心も身体も、成長を止めてしまってて…)
成人検査を受けた時から少しも変わらず、チビの子供のままだった。
だから「子供だ」と皆に思われ、事実が知れても変わらなかった。
なにしろ、中身が子供だから。
年だけは皆より遥かに上でも、見た目と同じに中身は子供。
(もっと食べろよ、って…)
前のハーレイは何度も言ったし、他の仲間もよく口にした。
「子供はしっかり食べないと」だとか、「これも食べろ」と寄越すだとか。
その頃の姿を貰っても困る。
ハーレイの瞳に映る姿は、その頃と同じ「チビ」だから。
恋人だった頃の「ブルー」は、何処を探しても「いない」のだから。
(……神様の意地悪……)
酷い、と愚痴を零してみたって、どうにもならない。
今の自分が「いる」だけでも奇跡、贅沢を言えば叱られる。
「要らないのならば、返して貰おう」と、神様が言ったら全ておしまい。
せっかく来られた青い地球から、遠い天国へと連れ戻される。
魂が身体から抜けてしまって。
「今の自分」は死んでしまって、優しい両親が泣くことになって。
(……ハーレイだって、泣くだろうけど……)
案外、早いかもしれない切り替え。
「死んじまったものは、仕方ないな」と、歩み始める「ブルーのいない人生」。
もしも再会しなかったならば、歩んでいたかもしれない道。
(…好きな人が出来て、結婚して…)
子供も生まれて、あの家で幸せに暮らしてゆく。
生まれた子供が男の子ならば、「ブルー」と名付けるかもしれない。
死んでしまった「ブルー」の代わりに、うんと幸せにしてやろう、と。
恋人ではなく、父親として。
休日はドライブに連れて行ったり、旅行やキャンプや、魚釣りにだって。
(…ぼくだと、連れてってくれないけれど…)
ハーレイ自身の子供だったら、まるで全く無い問題。
隣町に住むハーレイの両親の家にも、何度でも行くことだろう。
釣りの名人だというハーレイの父と、海や川へと釣りに行ったりも。
(…ホントに、そうかも…)
ハーレイだしね、と尖らせた唇。
分からず屋でケチなハーレイなのだし、そのくらいのことはやりかねない。
「ブルー」がいなくなったなら。
チビのまんまで死んでしまって、ハーレイだけが地球に残ったならば。
なんという酷い話だろう。
チビの姿を貰ったばかりに、損をしている今の人生。
あと少しばかり育っていたなら、きっと全ては違っていた。
ほんの数年分、大きくなっていたならば。
前の自分が成長を止めた頃の姿を、今の自分が持っていたならば。
(そしたら、すぐにハーレイとキス…)
再会した時にキスを交わして、もう早速にデートの約束。
アッと言う間に話が進んで、プロポーズだってされていただろう。
(再会したのが五月の三日で…)
今は秋だから、そろそろ結婚式かもしれない。
人を大勢招待するには、いい季節だから。
(結婚式、もう済んでるかもね…?)
秋は秋でも、季節は晩秋。
朝晩、冷え込む時もあるから、それよりも前に結婚式。
もしもガーデンウェディングだったら、暖かい季節の方がいい。
肌寒い日になってしまえば、招待客だって困ってしまう。
(…ウェディングドレスの、ぼくも寒いけど…)
おめかしして来る女性も寒い。
男性よりかは女性が薄着で、お洒落するほど薄くなりがち。
寒さでカタカタ震えないよう、結婚式は秋の初めの方に。
(うん、そうかも…)
とっくに式を挙げた後かも、という気もする。
自分がチビでなかったら。
ハーレイと再会を遂げたその日に、抱き合ってキスを交わせていたら。
(…ハーレイは、そんなの、考えないわけ?)
いつも怒ってばかりだもんね、と思い出すハーレイの眉間の皺。
「俺は子供にキスはしない」と、眉間の皺も深めになる。
拳をコツンと落とされる時は。
鳶色の瞳で睨み付けられて、「何度言ったら分かるんだ?」と叱られる時も。
(……ホントにケチで、分からず屋だよ……)
ぼくのことなんか少しも分かってくれない、と恨みたくなる。
ハーレイのことは好きだけれども、それとこれとは別問題。
こんなにハーレイを愛しているのに、ハーレイの目から見たならば…。
(…ぼくなんかチビで、キスをするだけの値打ちも無くて…)
ただの子供で叱られるだけ、と尽きない文句。
愛していたって、腹が立つ時はあるものだから。
分からず屋でケチな恋人のことを、詰りたくなる夜もあるから。
(いつだって、ぼくは我慢するだけ…)
「キスは駄目だ」と言われる度に。
「俺は子供にキスはしない」と、お決まりの言葉が飛び出す度に。
ただの一度も例外は無くて、本当に、なんとも損な人生。
前とそっくり同じ姿が、数年分、ズレていたせいで。
ほんの数年足りていなくて、チビの子供の姿で再会したせいで。
けれど文句を重ねていたなら、神様が怒ることだろう。
「要らない身体なら、返して貰おう」と、連れ戻されてしまう天国。
ハーレイだけが地球に残って、人生を謳歌してゆく結末。
「ブルーの分まで、幸せにしてやらんとな」と、自分の子供を可愛がって。
よりにもよって「ブルー」と名付けた子供を、死んでしまった「ブルー」の代わりに。
(……ハーレイ、ホントにやりかねないから……)
文句を言うならハーレイの方にしておこう、と考える。
いつかは育つ予定の身体を、神様に取り上げられないように。
それでも文句は言いたくなるから、全部ハーレイに向かってぶつける。
腹が立ったら、今夜みたいに心の中で。
「分からず屋のケチ!」と、前の生から愛した人に。
どんなに深く愛していたって、許せないことはあるものだから。
チビの子供の心は狭くて、そうそう広くはないものだから。
(……ハーレイのケチ……!)
それに分からず屋、と文句は尽きない。
キスをくれないケチな恋人に、今日もプンスカ腹が立つから。
まだまだこういう日々が続いて、結婚式だって、何年も先のことなのだから。
(…ハーレイのことは、好きなんだけど…)
でも本当に腹が立つよ、と「此処にはいない」恋人を恨み続ける。
愛していたって、全てを許せはしない気持ちになる時だって、あるものだから。
チビの子供になっている分、心もそれに見合ったサイズ。
だから許せはしないんだよね、とベッドに腰掛けて並べる苦情。
「ハーレイのケチ!」と、「分からず屋だよ」と。
キスの一つも許してくれないと、「今日も叱られただけだったよ」と…。
愛していたって・了
※「キスは駄目だ」と叱られてしまったブルー君。今夜は腹を立てているんですけど…。
チビの身体に文句を言ったら、神様に回収されるかも。だから文句はハーレイにv