「ねえ、ハーレイ」
少し気になっていたんだけど、と小さなブルーが傾げた首。
二人きりで過ごす休日の午後に、ハーレイを見詰めて。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
(…来た、来た、来た…)
いつものヤツが、とハーレイは心で苦笑した。
これからブルーが投げて来るのは、唐突な質問。
休日の午後によくあることで、中身の方も分かっている。
(どうせ、ロクでもないヤツで…)
真面目に聞くだけ無駄ってモンだ、と学習済み。
とはいえ、無視することも出来ないし…。
「気になるって、いったい何が気になるんだ?」
一応、話を聞いてやろう、と微笑み掛けた。
「話して、お前の気が済むならな」と。
そう言ってやれば、答えが返ると思ったのに。
勢い込んで喋り出しそうなのに、そうではなかった。
ブルーは逆に黙ってしまって、おまけに顔も俯き加減。
(…どうなってるんだ?)
もしかして深刻な問題だろうか、と急に心配になって来た。
いったい何処から話せばいいのか、悩むくらいの心配事。
「…おい。そいつは、俺には話し辛いのか?」
どんなことだって聞いてやるが、とブルーの瞳を覗き込む。
「ダテに長生きしちゃいないしな」と。
「今の俺なら、お前より、ずっと年上なんだ」と。
するとブルーは、「怒らない?」と赤い瞳を瞬かせた。
「ハーレイの御機嫌、悪くなるかも」と、真剣な顔で。
「ホントに前から気になってたけど、言えなくって」と。
(…うーむ…)
こいつは判断に迷う所だ、と悩ましい。
ロクでもないことが待っているのか、そうではないのか。
(…しかしだな…)
本当に深刻な悩みだったら、放っておくなど、男が廃る。
これでもブルーの恋人なのだし、おまけに教師。
(よし…!)
正面から受け止めてみるとするか、と腹を括った。
「怒らないから話してみろ」と、笑みを浮かべて。
「俺の心は、そんなに狭くはないからな」と。
「前から気になっていたと言ったな、何なんだ?」
どうやら俺のことらしいが、と尋ねたら、ブルーは頷いた。
「そうなんだけど…。ハーレイ、ぼくが嫌いなんでしょ?」
「はあ?」
「だからね、ぼくが嫌いなんでしょ?」
そうだよね、と俯いてしまったブルー。
「きっとそうだと思ってるから」と、「ぼくが嫌い」と。
「なんだって…?」
どうして、そういうことになるんだ、と驚いたハーレイ。
ブルーを嫌ったことなど無いし、もちろん嫌いな筈が無い。
前の生から愛し続けて、再び巡り会えたのに。
小さなブルーと出会った時から、恋の続きをしているのに。
嫌うことなど有り得ないのに、何故、勘違いされるのか。
けれどブルーは、俯いたまま。
「…ホントのことなんか、言えないよね」と呟いて。
「だって、ハーレイ、守り役だから」と。
「おいおいおい…。俺はお前を嫌っちゃいないぞ」
嫌ったことなど一度も無いが、とブルーに語り掛けた。
「前からだなんて、とんでもない」と。
「でも…。それ、前のぼくがいたからでしょ?」
だからだよね、とブルーは顔を伏せたまま。
「今のぼくとは違うんだもの」と、「何もかも、全部」と。
(…こいつは困った…)
ますます答えに悩んじまう、とハーレイが眉間に寄せた皺。
ブルーには何か魂胆があるのか、本当に勘違いなのか。
勘違いをしているのだったら、急いで誤解を解かなければ。
(しかしだ、何か企んでるなら…)
好きだと答えを返したが最後、ブルーの罠に落っこちる。
(ホントに好きなら、証拠をちょうだい、って…)
言い出すんだぞ、と読めているから、動けない。
下手に動けば罠に落ちるし、もしも罠ではなかった時は…。
(…やっぱり、ぼくが嫌いなんだ、と…)
誤解したままになっちまうし、と眉間の皺が深くなる。
気付いたブルーは、「やっぱりね…」と溜息を零した。
「ハーレイ、答えられないんでしょ?」
嫌いだなんて言えないから、と赤い瞳に滲んだ涙。
「ごめんね」と、「ハーレイを困らせちゃって」と。
「御機嫌、悪くなっちゃったでしょ」と。
「そうじゃないんだ…!」
俺はお前が嫌いじゃない、と思わず腰を浮かせたハーレイ。
「ずっと好きだ」と。
「お前がチビでも大好きなんだ」と、「お前だしな」と。
そうしたら…。
「本当に?」
パッと輝いたブルーの顔。
「それじゃ、キスして」と、「好きな証拠に」と。
「馬鹿野郎!」
いつものヤツか、とブルーの頭に落とした拳。
「悩んだ分だけ損をしたぞ」と、「してやられた」と。
銀色の頭に軽くコツンと、ブルーにお仕置きするために…。
嫌いなんでしょ・了
(今日はハーレイに、一度も会えなかったよね…)
学校でも会えなくて、家にも寄ってくれなかったし、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイと会えずに終わった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は一度も会えなかったハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
出来ることなら、毎日だって会っていたいし、一緒に暮らしたいくらい。
それなのに、今の自分は十四歳にしかならない子供で、今のハーレイは学校の教師。
(学校で会えても、ハーレイ先生なんだよ、ハーレイ…)
恋人らしい会話は出来ない、学校という場所。
それでも会えないよりはいいから、今日も何度も見回した。
廊下や階段や、校舎の外やら、グラウンドなどで。
「ハーレイ、何処かにいないかな?」と。
遠目であっても、見掛けたら、声を掛けられる。
「ハーレイ先生!」と大きく手を振り、ハーレイが気付いてくれたなら…。
(元気そうだな、って…)
あの好きでたまらない素敵な笑顔で、ハーレイも大きく手を振ってくれる。
「ハーレイ先生」は人気者だし、誰も変には思わない。
(ぼくが見付けて、手を振ってたら…)
他の生徒も「ハーレイ先生!」と大歓声で、たちまち賑やかになる周り。
そんな生徒の中でもいいから、ハーレイの姿を見たかった。
仕事の帰りに、家に寄ってはくれないのなら。
「今日は会えずに終わっちゃったよ」と、夜に溜息をつくよりは。
(…あーあ…)
残念、と思っても、自分には、どうにも出来ない。
ハーレイだって、わざと寄らずに帰ったわけではないのだから。
放課後に長い会議があったか、柔道部の部活が長引いたのか。
何か理由がある筈なのだし、文句を言っても始まらない。
それがハーレイの今の仕事で、ハーレイは「ハーレイ先生」だから。
分かってはいても、寂しい気持ちは消えてくれない。
「会いたかったよ」と思う心も、無くなってくれるわけもない。
ハーレイに会いたくてたまらないけれど、家に行くことなど出来ないし…。
(第一、ハーレイの家には、ぼくが大きく育つまで…)
来てはいけない、とハーレイ自身に言われてしまった。
再会してから暫く経った頃、初めて遊びに出掛けた時に。
ドキドキしながら、「今のハーレイの家」で二人で過ごした日に。
(瞬間移動で、飛んでったことも、一回だけ…)
あるのだけれども、あんな素晴らしい経験なんて、二度と出来ないことだろう。
今の自分のサイオンときたら、どうしようもなく不器用だから。
思念波さえろくに紡げないほどで、タイプ・ブルーだとは誰も思ってくれない。
「ホントに、タイプ・ブルーだってば!」と、懸命に主張してみても。
「嘘じゃないよ」と頑張ってみても、笑いの混じった目で見られるだけ。
「それって、サイオン・タイプだけだろ?」と。
「タイプ・ブルーでも、実際は、何も出来ないんだし」と。
赤ん坊の頃から、母には、それで迷惑をかけた。
人間が全てミュウの今では、赤ん坊だって、形にならない思念を紡ぐ。
「お腹が空いたよ」とか、「眠くなったよ」とか、訴えるように。
なのに、赤ん坊だった自分ときたら…。
(泣きじゃくるだけで、何がしたいのか、ママには全然…)
伝わらなくて、そのせいで、とても苦労した母。
眠いのか、ミルクか、サッパリ分からないのだから。
(…筋金入りの不器用だよね…)
瞬間移動なんて、絶対に無理、と肩を落としてフウと溜息。
ハーレイに会いに行くのは不可能、つまり明日まで会えない恋人。
きっと明日には、学校か、家か、どちらかで会えるとは思うけれども…。
(…それまでは、どう転がっても…)
会えないんだよね、と残念な気持ちが止まらない。
「なんとか、会えればいいのに」と。
「ハーレイの家には行けなくっても、姿だけでも見られないかな?」と。
前の自分なら、そうすることは簡単だった。
ハーレイが船の何処にいようと、サイオンで居場所を探し当てて。
青の間から一歩も動きもしないで、ハーレイの姿を好きなだけ眺めて…。
(誰かと話をしているんなら、その中身だって…)
手に取るように分かっていたのに、今の自分は、それも出来ない。
それが出来たら、ハーレイの家を覗けるのに。
「今の時間は、書斎かな?」と、ベッドに腰を下ろしたままで。
(…だけど、不器用すぎるから…)
無理だし、明日まで会えないんだよ、と嘆くしかない。
ハーレイの姿を見られるのは明日、夜がすっかり明けてからのこと。
これから、長い夜があるのに。
ベッドに潜り込んで寝ないことには、明日という日は来てくれないのに。
(……あーあ……)
まだ早いけど、寝ちゃおうかな、と思ったはずみに、ふと閃いた。
ベッドに入って眠ったならば、別の世界があることに。
(そうだ、夢…!)
夢の世界なら、ハーレイにだって会えるんだよね、と弾んだ心。
なにしろ夢の世界と言ったら、現実の世界とは違うから。
実際には出来ない色々なことも、夢の中なら、魔法みたいに出来るのだから。
(夢で会えれば、ツイてるんだけど…)
どうなんだろう、と考えてみる。
夢の世界は、思い通りにならないことも多いから。
こんなに幸せに暮らしていたって、怖い夢を見る夜だってある。
(……メギドの夢……)
あれが一番怖いんだよね、と肩をブルッと震わせた。
前の自分が死んでゆく夢、前の生の終わりに泣きじゃくる夢。
右手に持っていたハーレイの温もり、それを失くして。
「もうハーレイには、二度と会えない」と、「絆が切れてしまったから」と。
幸せな夢も見られるけれども、夢の中身は選べない。
思い通りの夢を見るなど、前の自分にも出来はしなかった。
サイオニック・ドリームを操ることは出来ても、自分にはかけられなかったから。
(…うーん…)
前のぼくでも絶望的、と分かってはいても、夢の世界に憧れる。
「夢でハーレイに会えたらいいな」と。
運良く、神様が聞いてくれたら、願いは叶うかもしれない。
ベッドに入って眠った世界で、ハーレイに会えて。
(…どうせだったら…)
うんと素敵な夢がいいな、と欲張りな心がムクムクと頭をもたげてくる。
夢の世界だと、魔法みたいに、色々なことが出来るから。
一足飛びに大きく育って、ハーレイとデートをすることだって。
(…ハーレイの車で、デートにドライブ…)
素敵だよね、とウットリしそう。
ハーレイの車で出掛けてゆくなら、いったい何処がいいだろう。
沢山交わしたドライブの約束、行き先は山とあるけれど…。
(海とか山とか、地球の自然を楽しめる場所…)
そういう所が最高だろうか、ハーレイの車で行くのだから。
今のハーレイの、「シャングリラ」で。
白い鯨ではないのだけれども、二人だけのために走ってくれるシャングリラ。
(ハーレイ、そう言っていたもんね)
今のハーレイの愛車は、シャングリラだ、と。
濃い緑色の車だとはいえ、それは「白いのを選べなかった」から。
(白もいいな、と思ったらしいけど…)
ハーレイが選んだ車の色は、前のハーレイのマントの色。
「そちらの方がいい」気がして。
「白は駄目だ」と、何故か、思って。
(ぼくとは、出会っていなかったけど…)
今のハーレイは、「ソルジャー・ブルー」を覚えていた。
記憶は戻っていなかったけれど、心の底で。
「白いシャングリラは、ブルーと一緒に乗るものだ」と。
なのに「ブルー」がいないものだから、濃い緑色の車を選んだ。
いつか買い換える時が来るまで、そのシャングリラに二人で乗ってゆく。
海へも山へも、約束している沢山の場所へ、ハーレイがシャングリラを運転して。
今のハーレイの、濃い緑色のシャングリラ。
それでドライブする夢がいい、と考える内に、「そうだ!」と、ポンと手を打った。
夢の世界は、色々なことが出来る場所。
思い通りの夢は見られなくても、現実では出来ないことだって出来る。
そういう素敵な、夢の世界で会うのなら…。
(…前のハーレイ!)
夢に見るんなら、前のハーレイに会うのもいいかも、と思い付いたこと。
なにしろ夢の世界なのだし、前のハーレイが今の時代の地球に現れたって…。
(ちっとも不思議じゃないものね?)
前のハーレイに見せてあげたいな、と夢が大きく膨らんでゆく。
遠く遥かな時の彼方で、前のハーレイと「一緒に行こう」と約束した地球。
其処に二人で来たのだけれども、お互い、生まれ変わってしまった。
今のハーレイに、前のハーレイの記憶はあっても…。
(…ぼくと会うまで、三十年以上も…)
ハーレイは普通に暮らして来たから、すっかり地球に馴染んでいる。
地球は青くて当たり前だし、豊かな自然も見慣れたもの。
前の生での記憶と比べて、改めて驚くことはあっても、たったそれだけ。
新鮮な驚きを感じたとしても、前のハーレイのようにはいかない。
今のハーレイが経験して来た様々なことが、新鮮さを削いでしまうから。
当たり前になってしまった暮らしが、オブラートのように、感動を包んでしまって。
(…夢に見るんなら、前のハーレイ!)
そっちに会いたい、と広がる夢。
前のハーレイが今の地球に来たら、どんなに驚くことだろう。
「地球は本当に青いのですね」と言うのだろうか、青い海を見て。
そう、宇宙から見るわけではないから、水平線を眺めながら。
(前のハーレイでも、車を運転できるかな?)
でないと、ドライブ出来ないんだけど、と首を傾げて、「大丈夫!」と大きく頷いた。
元は厨房にいたというのに、キャプテンに転身したのがハーレイ。
宇宙船を動かすことに比べたら、車なんかは…。
(きっと朝飯前なんだよ)
無免許運転になってしまっても、かまわない。
前のハーレイも、そうだったから。
パイロットの免許は持っていなくて、無免許運転だったのだから。
(…よーし、今夜は…)
神様が叶えてくれるんだったら、前のハーレイとドライブだよ、と夢は膨らむ。
自分はチビのままでいいから。
ハーレイは驚くだろうけれども、その方が…。
(ちゃんと本物の地球なんだよ、って…)
説得力があるものね、と右手をキュッと握って、開いた。
どうせだったら、「ソルジャー・ブルー」を失くした後のハーレイがいい。
魂はとうに死んでしまって、生ける屍だったと聞くから。
白いシャングリラを地球まで運んでゆくためにだけ、ハーレイは生きていたというから。
(ぼくはこんなに幸せなんだし、大丈夫だよ、って言ってあげたいな)
夢の世界のハーレイでもね、と浮かべた笑み。
「夢に見るんなら、前のハーレイ」と。
「ぼくを失くした後のハーレイ」と、「そのハーレイと、地球でドライブ」と。
同じ会うなら、ハーレイにだって、幸せになって欲しいから。
夢の世界で会うのだったら、特別な出会いが最高だから…。
夢に見るんなら・了
※ハーレイ先生に会えなかった日に、夢で会いたいと思ったブルー君。前のハーレイと。
夢の世界で前のハーレイとドライブ、チビのままでもいいのです。ハーレイが幸せならv
(…夢で会えればいいんだがなあ…)
今日は会えずに終わっちまったし、とハーレイが、ふと考えたこと。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
今日は会えずに終わったブルー。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
十四歳にしかならないブルーは、今の自分の教え子の一人。
学校に行けば会えるけれども、今日は運悪く、一度も会えずに終わってしまった。
仕事の帰りにブルーの家に出掛けてゆくのも、長引いた会議が邪魔をして…。
(行けずに終わって、あいつの顔を見てないし…)
せめて夢で、と考えた。
夢の中なら会えるだろうし、それが出来たら素敵なんだが、と。
(…しかしだな…)
思い通りの夢というのは、そう簡単には見られないもの。
前のブルーも得意としていた、サイオニック・ドリームのようにはいかない。
自分自身に暗示をかけても、他人の夢を操るのとは全く違うから。
(思い通りになるんだったら、前のあいつも…)
きっと何度も、地球に行く夢を見ていただろう。
前のブルーが焦がれ続けた、青い星の夢を。
(…出来たとしたって、あいつのことだし…)
自分に厳しい決まりを作って、夢を見る日を決めただろうか。
毎日、地球の夢ばかり見続けたならば、夢から覚めたくなくなるから。
目を覚ましたなら、過酷な現実が待つだけの世界に嫌気がさして。
「嫌な現実は目にしたくない」と、夢の世界に閉じ籠って。
(…前のあいつなら、出来たんだ…)
誰にも起こすことが出来ない、深い夢の底に沈み込むこと。
船も仲間も何もかも捨てて、ひたすらに眠り続けること。
いつか寿命が尽きる時まで、何も知らずに、ただ幸せな夢の世界で暮らしてゆく。
茨に埋もれて忘れられた城で、眠り続けた姫君のように。
けれど、ブルーは、そうしなかった。
青い地球の夢に溺れはしないで、真っ直ぐに捉え続けた現実。
意のままに夢を紡いでゆくこと、それが出来たか、出来なかったかは…。
(…あいつ自身も、考えたこともなかったかもなあ…)
そういう話を交わした記憶は全く無いから、そうかもしれない。
なにしろ前のブルーはソルジャー、夢を追うだけでは生きてゆけない。
どれほど地球に焦がれようとも、まず現実を見なければ。
地球という星は何処に在るのか、どうすれば其処へ辿り着けるか、そういったこと。
そうした日々を過ごしていたから、夢の世界を「思い通りに」するなどは…。
(きっと考えちゃいないな、うん)
もし、仮に思い付いたとしたって、即座に否定していただろう。
「それは駄目だ」と。
「夢に溺れて、二度と起きたくなくなるから」と、その危険性に気が付いて。
青い地球の夢は、まるで麻薬で、溺れてしまえば、おしまいだから。
(……でもって、今の時代でも……)
夢が意のままになるとは聞いていないし、今の自分も、当然、出来ない。
恐らく、思い通りの夢など、今も昔も、誰にも見られないのだろう。
前のブルーくらいのサイオンがあれば、あるいは可能かもしれないけれど。
(そうは言っても、そんな話も聞かんしなあ…)
出来ないんだろうな、とコーヒーのカップを傾ける。
「出来ないからこそ、夢は夢だ」と、「だからこそ、夢があるってもんだ」と。
夢が思いのままになるなら、人間は努力を忘れてしまう。
眠りさえすれば、思い通りの世界が全て手に入るから。
起きてコツコツ努力しなくても、何もかも、夢の世界で得られる。
そうなれば、ヒトは「夢」を忘れて…。
(人生の夢を忘れちまって、眠り姫だな)
ただひたすらに眠り続けて、目覚めようとしなくなるだろう。
寝ている間に、身体が衰弱しようとも。
そのまま弱って死んでしまっても、死んだことにも気付かないままで。
「そいつは御免蒙りたいな」と、肩を竦めてしまった世界。
思い通りの夢が見られれば、そうなる恐れがある、とは思う。
だから今でも、夢は意のままにならないのだろう。
神々がそれを禁じているのか、ヒトの本能かは謎だけれども。
(…もっとも、そうは思ってもだ…)
たまには、そういう夢もいいよな、と最初の地点へ戻った思考。
今日は会えずに終わったブルーに、夢で会えればいいんだが、と。
(そうすりゃ、うんとツイてるわけで…)
起きた時にも御機嫌なんだ、と小さなブルーを思い浮かべる。
学校で会う夢もいいのだけれども、同じ会うなら、やっぱりブルーの家がいい。
庭で一番大きな木の下、其処に据えられた白いテーブルと椅子。
二人でゆっくりお茶を楽しむ、幸せな時間。
(…そいつもいいし、あいつの部屋でお茶でもいいよな)
とにかく、二人きりがいい、と見てみたい夢を描き始めて、ハタと気付いた。
「おいおい、夢の世界なんだぞ?」と。
「律義に現実をなぞらなくても」と、「好きなようになるのが夢じゃないか」と。
(あいつが、チビでなくてもいいんだ)
一足飛びに育ったブルーと、ドライブに出掛ける夢だっていい。
お茶の時間の夢にしたって、ブルーの家にこだわらなくても…。
(…デートの途中で、見付けた喫茶店に入って…)
ゆっくり楽しむ、うんと幸せなティータイム。
それが出来るのが夢の世界で、そっちの方が素晴らしいぞ、と。
(…育ったあいつと、ドライブもいいな)
デートに行くのも楽しそうだ、と夢を広げてゆく内、浮かんで来た、もっと素敵な夢。
今のブルーが育った姿も、夢に見る価値があるのだけれど…。
(…前のあいつの夢っていうのも…)
いいじゃないか、とポンと手を打つ。
「前のあいつと、今の世界でデートに、ドライブ」と。
前のブルーが焦がれ続けた、青い地球が此処にあるのだから。
(同じ夢なら、前のあいつと地球でデートだ)
俺の方は今の俺のままでな、と見てみたい夢を描いてみることにした。
せっかくなのだし、あくまで自分は「今の自分」で。
(とはいえ、やっぱり敬語だろうなあ…)
前のあいつに出会っちまったら、と苦笑する。
遠く遥かな時の彼方で、すっかり身についてしまった敬語。
前のブルーと二人きりの時も、敬語を使って話し続けた。
シャングリラの頂点に立つソルジャーとキャプテン、そうした立場に相応しく。
ブルーとの仲を、船の仲間に気付かれないよう、細心の注意を払い続けて。
(夢の世界で、前のあいつと再会しても…)
きっと敬語になっちまうんだ、と可笑しいけれども、仕方ない。
夢の世界では「前のブルー」は、「本物」だから。
机の引き出しに大切に仕舞ってある、写真集の表紙の「ブルー」とは違う。
そちらのブルーに話す時には、普段の言葉遣いだけれど…。
(…それは、思い出の中のあいつだからで…)
本物のブルーとは違うからな、と自分の意識の違いを思う。
思い出の世界に存在しているブルーと、「正真正銘、本物のブルー」。
自然と自分の姿勢も変わる、と夢の世界に思いを馳せて。
(どんな具合に出会うんだろうな、前のあいつと)
いきなり、ヒョイと現れるのかも、と想像してみる出会いのシーン。
何処で出会うのがドラマチックか、あるいは効果的なのか。
(…どうせだったら、メギドに飛んで行っちまった、あいつ…)
それきり戻らなかったけれども、その後のブルーにも、夢なら会える。
夢の世界だし、傷一つ無い、美しい姿のままで。
とびきりの奇跡が起こったという、シチュエーションで。
(…どうして、ぼくは生きているんだ、って…)
驚くブルーに会いたいもんだ、と夢は広がる。
そういうブルーを出迎えるのなら、「俺の家だな」と。
「リビングもいいが、キッチンもいい」と、「今の俺の生活の場がいいな」と。
ブルーの瞳が、大きく見開かれそうだから。
「どうして君が?」とビックリ仰天、そんな顔が見られそうだから。
(……デートにドライブ、と思っていたが……)
それよりも前に、まずは手料理を御馳走するか、と傾けるコーヒーのカップ。
キョロキョロ周りを見回すブルーに、「まず、落ち着け」と、紅茶を淹れる所からだ、と。
(…おっと、そこは、だ…)
「落ち着いて下さい、ブルー」だっけな、と自分の言葉遣いを直したけれど。
そうなる筈だと思うけれども、普通に喋ってしまうのだろうか。
「まず、落ち着け」と、メギドから来た「前のブルー」に。
「美味いぞ、地球の紅茶だからな」と。
(…そうかもしれんな…)
そしてブルーが落ち着いたならば、色々なことをブルーに話してやりながら…。
(今の俺の飯も、美味いんだぞ、と…)
あいつが知らない、和食ってヤツを御馳走するんだ、と描いてゆく夢。
きっと料理をしている間も、ブルーは興味津々だろう、と。
「こんな料理は、ぼくは知らない」と、「これは、何という食材なんだい?」と。
(…そうだな、あいつと飯が食えるだけで…)
とびきり幸せな夢になるさ、と思うものだから、今夜の夢に期待しようか。
「夢に見るなら、前のあいつだ」と。
「メギドから俺の家まで飛んで来てくれた、前のあいつ」と。
(…今のブルーが知ったら、膨れっ面になるんだろうが…)
夢は思い通りにならないんだし、いいだろうさ、とクスリと笑う。
「もしも見られたら、ツイているぞ」と。
「夢に見るなら、今夜は、前のあいつなんだ」と…。
夢に見るなら・了
※夢の世界で会うのだったら、前のブルーの方が素敵だ、と考え付いたハーレイ先生。
とてもいい夢になりそうですけど、思い通りに見られないのが夢。見られるといいですねv
「ねえ、ハーレイ…」
ちょっとお願いがあるんだけれど、とブルーが傾げた首。
二人きりで過ごす休日の午後に、愛らしく。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
(…お願いだって?)
こいつはロクなことではないぞ、と内心、思ったハーレイ。
小さなブルーの「お願い」とくれば、まず間違いなく…。
(ぼくにキスして、というヤツなんだ!)
その手に乗るか、とハーレイは腕組みをして問い返した。
「ほほう…。今日は、どういうお願いなんだ?」
中身によっては聞いてやろう、と先に釘を刺す。
「聞けるお願いと、そうでないのがあるからな」と。
するとブルーは、「分かってるよ」と素直に頷いた。
「だって、ハーレイのお腹にも、都合があるもんね」と。
「はあ?」
あまりにも予想外の返事に、ハーレイがポカンと開けた口。
腹具合とは、いったい何のことだろう、と。
(昼飯だったら、さっき食ったし、今はケーキで…)
今日のケーキも美味いんだが、と眺めるベリーのケーキ。
もちろん、ブルーの母の手作り、当然、美味しい。
(…だが、俺の腹具合とブルーに、何の関係が…?)
分からんぞ、と首を捻っていたら、ブルーが重ねて言った。
「ぼくが欲しいの、ハーレイのケーキなんだけど」と。
「ケーキだって?」
お願いというのはソレなのか、とハーレイの目が丸くなる。
そんな「お願い」は、考えさえもしなかったから。
けれどブルーは、ハーレイの皿を指差して…。
「あのね、そこのベリーが挟まってるトコ…」
美味しそうだよ、と無邪気に微笑む。
「ぼくのケーキも美味しいんだけど、ハーレイのがね」と。
(……ふうむ……)
言われてみれば、と改めてブルーのと比べたケーキ。
どちらもベリーをサンドしたもので、切り分けた一切れ。
(確かに、同じケーキからカットしたって…)
見た目は、ちょいと変わってくるよな、と納得した。
ブルーの皿のケーキに比べて、ベリーが少し多めな印象。
(こいつは、ブルーが欲しくなるのも…)
無理はないかもしれないな、と可笑しくなった。
「なるほど、それで腹具合か」と。
ブルーにケーキを分けてやったら、その分、取り分が減る。
たかがケーキを少しとはいえ、ブルーにすれば…。
(食が細いから、うんと大きな量ってわけだ)
俺が腹ペコになる可能性、と想像がつくブルーの思考。
「ぼくがケーキを分けて貰ったら、お腹が減るかも」と。
「ハーレイは、身体が大きいものね」などと。
(可愛いじゃないか)
たまにはマトモなことも言うな、と嬉しくなった。
「今日の「お願い」は普通だったか」と。
しかもケーキが欲しいだなんて、子供らしくて可愛いから。
そういうことなら、とハーレイは大きく頷いた。
「よしきた、俺のケーキだな?」
お前は、どのくらい食えるんだ、とケーキを指差す。
「欲しい分だけ切ってやるから」と、「一口分か?」と。
「えっとね…。食べ過ぎちゃうと駄目だから…」
一口分で、とブルーが言うから、フォークで切った。
欲しいと言われたベリーの部分を、「これでいいか?」と、
ベリーが多めに入るようにと、加減して。
「ほら、ご注文のケーキだぞ」
皿を寄越せ、とケーキをフォークに刺そうとしたら…。
「それじゃ駄目だよ!」
フォークじゃ駄目、と抗議の声を上げたブルー。
「お皿に移すっていうのも駄目」と、「それは違うよ」と。
「なんだって?」
じゃあ、どうやって食うと言うんだ、と首を捻った。
フォークも駄目で、皿に移すのも駄目だなんて、と。
そうしたら…。
「決まってるでしょ、口移しだよ!」
まず、ハーレイの口に入れてね、と赤い瞳が煌めいた。
「それから、ぼくの口に入れてよ」と、笑みを浮かべて。
「小鳥みたいで、ちょっといいでしょ」と。
「そうやって餌を持って来るよね」と、得意そうに。
(口移しだと…!?)
つまりキスってことじゃないか、と分かったから。
ブルーの魂胆が判明したから、軽く握った右手の拳。
「馬鹿野郎!」
その手に乗るか、とブルーの頭をコツンとやった。
口移しでケーキを食べようだなんて、早すぎるから。
「お前にキスは早すぎるんだ」と、「口移しもな」と…。
一口ちょうだい・了
(今日は、ハーレイに会えなかったよね…)
一度も会えないままだったよ、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は会えずに終わったハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
毎日でも会っていたいというのに、こうして会えない日だってある。
ハーレイが教える古典の授業は、今日は無かった。
学校の廊下でも出くわさないまま、遠目に姿を見てさえもいない。
(ツイていないよ…)
だけど、と明日へと気持ちを向ける。
あと半日も経たない内に、次の日の朝がやって来る。
日付だけなら、数時間もすれば、明日という日が来る勘定。
(きっと明日には、来てくれるよね?)
学校では会えずに終わっちゃっても、仕事の後で、と切り替えた思考。
そうそう毎日、用事は続かないだろう。
連日のように会議は無いし、柔道部だって、長引くことは少ないから。
(うん、明日までの我慢…)
ちょっぴり寂しくなるのは今日だけ、と気分がフワリと軽くなってゆく。
明日の今頃には、すっかり満足している自分がいることだろう。
「今日はとってもいい日だったよ」と、御機嫌でベッドに腰を下ろして。
ハーレイと一緒に過ごした時間を思い返して、幸せになって。
(…だって、来てくれたら…)
まずは二人きりのティータイムから。
窓辺に置かれた椅子とテーブル、其処で、ゆっくり。
母が運んで来てくれたお茶と、母が作った美味しいお菓子で。
(……ママのお菓子、明日は何だろう?)
パウンドケーキの日だといいな、と我儘なことを考えた。
どのお菓子でも美味しいけれども、パウンドケーキは特別なケーキ。
(材料は、とっても単純だけど…)
バナナもオレンジも入ってはいない、プレーンなパウンドケーキがいい。
砂糖とバターと小麦粉と卵、それだけを使ったパウンドケーキ。
どれも、それぞれ1ポンドずつ、使って焼くから「パウンド」ケーキと呼ぶらしい。
(…ママが焼くのと、ハーレイのお母さんが焼くのと…)
何故だか、不思議に、そっくり同じな味のケーキになるという。
ハーレイが初めて口にした時、「おふくろの味だ」と笑顔になった。
「おふくろが焼いて、コッソリ届けに来たのかと思ったぞ」と言ったくらいに同じ味。
だからハーレイの大好物で、食べる時にも、とびきりの笑顔。
(なんでも美味しそうに食べるんだけど…)
それに好き嫌いも無いんだけれど、と可笑しいけれども、本当にパウンドケーキは特別。
毎日だって、母にリクエストをしたいくらいに。
「今日のおやつも、普通のパウンドケーキがいいな」と、朝から強請って。
(…だけど、絶対、飽きちゃうし…)
いくらハーレイの好物でもね、と分かってはいる。
どんなに美味しいお菓子も料理も、同じものが続けば飽きるもの。
「たまには別のものが食べたい」と言いたくもなるし、不満も募ってしまいそう。
「なんて無能な料理人だ」と、美味しいことは棚上げで。
贅沢な食材を使ってあっても、「安くていいから、別のものを」と。
(…パウンドケーキも、それとおんなじ…)
毎回、毎回、出し続けていたら、ハーレイは困ってしまうだろう。
来客の身では、面と向かって「別のケーキに出来ませんか」と言えるわけがない。
「たまには、バナナを入れて下さっても…」と、遠回しに言うことだって。
(パウンドケーキ地獄になっちゃう…)
ふふっ、と時の彼方を思った。
いろんな地獄があったっけね、と。
前の自分が暮らした船。
最初はコンスティテューション号だった、シャングリラ。
燃えるアルタミラから脱出した後、その船で旅が始まった。
船には豊富な食材が載っていたのだけれども、皆で食べれば、じきに無くなる。
(…このままじゃ、みんな飢え死にしちゃう、って…)
前の自分は、たった一人で、生身の身体で宇宙を駆けた。
人類を乗せた宇宙船へと、食材を奪いにゆくために。
(ちゃんと奪って帰って来たけど…)
前のハーレイは酷く心配して、次から奪いに出てゆく時には…。
(コンテナの中身は、何でもいいから、って…)
いちいち選んで探して来るな、と釘を刺された。
「とにかく、サッサと帰って来い」と。
見付からないから大丈夫だ、と何度言っても、「絶対に駄目だ」と睨み付けて。
お蔭で、選べなかった食材。
船の倉庫に運び込んだら、コンテナの中身が偏っていたのは、よくあったこと。
(…ジャガイモだらけだとか、キャベツだらけとか…)
そんな話はしょっちゅうのことで、その度に、船は地獄になった。
来る日も来る日も、ジャガイモ料理が続いてゆくのが、ジャガイモ地獄。
キャベツだったらキャベツ地獄で、何処まで行っても、キャベツ料理が並ぶだけ。
船の中だけが全ての世界では、食事も楽しみの内なのに。
「今日の食事は、何が出るかな」と、皆が食堂にやって来るのに。
(…ジャガイモもキャベツも、美味しいんだけどね?)
そのまま食卓に乗るのではないし、きちんと調理してあった。
前のハーレイが腕を揮って、せっせと作った、様々な料理。
それでもやっぱり、皆の不満は募ってゆくから、ジャガイモ地獄が誕生する。
キャベツばかりならキャベツ地獄で、新しい食材が来るまで、地獄。
改造する前のシャングリラでは、食べられるだけでも、とても幸せだったのに。
飢えて死ぬことを考えたならば、不満を言える筈も無いのに。
けれど「地獄だ」と言っていたのが船の仲間で、それを思うと…。
(パウンドケーキばかり出してたら…)
いくらハーレイの大好物でも、パウンドケーキ地獄になることだろう。
「たまにはバナナでも入れて下さい」とは、言えないで。
「他のケーキがいいのですが」とは、逆立ちしたって言えなくて。
それではハーレイに申し訳ないし、パウンドケーキは、やっぱり、たまに。
母が作ろうと思った時に、焼いてくれるのが一番いい。
(ママなら、何のお菓子を作ったのかは…)
決して忘れる筈が無いから、いいタイミングで出て来るだろう。
その日までに作ったお菓子の数々、それらとバランスのいい時に。
「そろそろ、パウンドケーキの出番ね」と、母が思ってくれた日に。
(…ハーレイが、ママのパウンドケーキが大好きだ、ってこと…)
もちろん母も知っているから、以前よりも増えた登場する日。
そう、ハーレイが来るようになってから。
前の生での記憶が戻って、今の自分が「ソルジャー・ブルー」だったと知った頃から。
(パウンドケーキは、今のハーレイのお母さんのだけれど…)
おふくろの味は最高らしくて、自分でも焼こうと何度も試みたらしい。
なのに一度も成功しなくて、この家に来て…。
(ママのケーキで、とってもビックリしたんだよ)
だからホントに特別なケーキ、とパウンドケーキを思い浮かべる。
明日、出て来るかは謎だけれども、それがお皿に載っていたなら…。
(…ハーレイの幸せそうな顔…)
見られることは確実だから、ちょっぴり我儘を言いたくなる。
明日の朝、母に「パウンドケーキを作ってよ」と。
「今日はハーレイが来ると思うから、パウンドケーキ」と。
会えずに終わった今日の分まで、うんと幸せなティータイム。
窓辺に置かれたテーブルと椅子で、二人、ゆっくりと向かい合って。
いいよね、と夢見る明日の幸せ。
パウンドケーキがあっても無くても、本当に幸せなことだろう。
そしてハーレイが帰った後にも、満ち足りた心で、ベッドの端に腰を下ろして…。
(ホントにいい日だったよね、って…)
交わした話を思い返して、頬を緩めているのだと思う。
話の中身は、ごく他愛ないものだって。
前の生の記憶の欠片なんかは、まるで絡んでいなくても。
(柔道部の生徒の話とかでも、うんと幸せ…)
ハーレイと二人で過ごせるだけで、充分だから。
学校の話ばかりで終わってしまっても、それで全然、かまわない。
ハーレイに会えれば、幸せだから。
仕事の帰りに寄ってくれれば、幸せな時間が持てるのだから。
(…早く、明日になったらいいのに…)
日付が変わるのも、まだ先だよね、と壁の時計に目を遣った。
そんな時間まで夜更かししたなら、今の生でも弱い身体が悲鳴を上げてしまうだろう。
体調を崩してしまったら最後、ハーレイと幸せな時間は持てない。
だからその前に、潜り込まねばならないベッド。
(…そしたら、じきに眠くなるから…)
寝ている間に夜を飛び越え、明日という日がやって来る。
目を覚ましたら、部屋に朝日が差し込んで。
もしも曇りや雨の日だって、部屋が明るくなっていて。
(お日様は、ちゃんと昇るんだから…)
雨の日でもね、と思った所で気が付いた。
今ではすっかり当たり前の「明日」、それが無かった時代のことに。
前の自分が生きた頃には、来るとは限らなかった「明日」。
白い鯨に改造された後の時代でも、シャングリラという船に「明日」が来るかは…。
(……誰にも分からなかったんだよ……)
夜の間に沈められたら終わりだから、と身を震わせた。
今でこそ「明日」は当然のように来るのだけれども、違ったのだ、と。
(…今だと、夜になったって…)
さっきまでのように、明日を夢見ていられる。
明日という日が、どんな日になるか、あれこれ楽しく想像して。
母に我儘を言ってみようか、と、ちょっぴり企んだりもして。
けれども、前の自分は違った。
夜が来る度、次の日のことを恐れないではいられなかった。
「明日という日は、来るのだろうか」と。
太陽など昇らない暗い宇宙を、長く旅していた時も。
アルテメシアに落ち着いた後も、夜には、やはり不安になった。
「この船に、明日は来てくれるのか」と。
それを思えば、今の自分は…。
(ホントのホントに、うんと幸せ…)
なんて幸せなのだろうか、と浮かんだ笑み。
「夜になったって、少しも不安にならないものね」と。
明日という日を夢見ていられて、我儘にだってなれるんだもの、と…。
夜になったって・了
※ハーレイ先生に会えなかった日の夜、明日を夢見るブルー君。ちょっぴり我儘なことも。
けれど前の生では、明日が来るとは限らなかったのです。今はとっても幸せですよねv