(あいつと別々だった筈がないんだ…)
きっと一緒にいた筈なんだ、とハーレイが思い浮かべたブルーの顔。
夜の書斎で、淹れたばかりの熱いコーヒーを飲みながら。
愛用のマグカップに満たしたコーヒー、小さなブルーの苦手な飲み物。
それを思って微笑んでいたら、前のブルーもくっついて来た。
前のブルーもコーヒーは苦手だったから。
「この飲み物の何処が美味しいんだい?」と何度も顔を顰めていたから。
ソルジャー・ブルーと呼ばれたブルー。
気高く美しかった恋人。
その恋人は生まれ変わって、今の小さなブルーになった。
十四歳にしかならないブルーに、コーヒーが苦手なチビのブルーに。
遠く遥かな時の彼方で焦がれ続けた、青い地球の上で。
前のブルーは行けずに終わった、母なる青い水の星の上で。
(…あの頃には何処にも無かったんだがな…)
青く輝く水の星は。
前のブルーが焦がれた星は。
遠い昔にこの目で見たから知っている。
あの時代の地球の真の姿を、死の星だったままの姿を。
それを見ないで終わったブルーは、もしかしたら幸せだったのかもしれない。
あんな星だと知っていたなら、悲しみの中で逝っただろうから。
メギドを沈めて白いシャングリラを守り抜いても、夢の星は何処にも無いのだから。
そうはならずに、青い地球はあると信じたままで逝ってしまったブルー。
前の自分の温もりを失くして、右手が冷たく凍えたけれど。
泣きじゃくりながら最期を迎えたけれども、ブルーは青い地球まで来られた。
長い年月を経て蘇った星、今、住んでいる青い地球まで。
(…とんでもない時間が流れちまったが…)
ブルーは自分に巡り会えたし、自分もブルーと再び出会えた。
学校の教師と教え子だけれど、もうキャプテンでも、ソルジャーでもない二人だけれど。
小さなブルーと再会してまだ間もない頃には、お互い、少し不安もあった。
こうして再会するよりも前に、別の人生があったのでは、と。
地球が蘇るほどの長い歳月、それが流れてゆく間。
お互い、何処かの星に生まれて、別の人生を生きたのでは、と。
違う誰かと恋をして、同じ家で暮らして、子供も何人か生まれたりして。
小さなブルーがそれを口にしたことだってあった。
もしかしたら、と。
けれども、今では「違う」と思える。
何を思い出したわけでもないのだけれども、「違う筈だ」と。
ブルーと別々だった筈がないと、きっと離れずに一緒にいたと。
それが何処かは知らないけれど。
何一つ思い出せないけれど。
(はてさて、いったい何処だったんだか…)
自分たちは何処で過ごしていたろう、青い地球の上に来るまでは。
まるで手掛かりさえも無いから、本当に何も分からない。
前の自分は「一日も早くブルーの許へ」と最後まで願い続けたけれども、それさえも…。
(具体的なイメージってヤツが無かったからなあ…)
ブルーを追い掛けて逝こうと思った、それだけのこと。
どんな所へ辿り着くのか、何も考えてはいなかった。
ブルーに会えれば良かったから。
それだけが望みだったから。
(天国だろうが、地獄だろうが…)
もう一度ブルーに巡り会えるなら、最高の場所に決まっているから。
二人で過ごしてゆける場所なら、どんな所でも良かったから。
漆黒の宇宙空間だろうが、神の玉座がある場所だろうが。
たとえ地獄の底であっても、ブルーに会えればそれで良かった。
もっともブルーは地獄などには、けして堕ちてはいないだろうけれど。
白いシャングリラを守ろうとして散った命を、神は見落としたりしないだろうから。
SD体制が始まるよりも遠い昔の童話さながらに、天使を遣わすだろうから。
「あの魂を拾うように」と、「天国へ連れて来るように」と。
前のブルーの魂はきっと、天国に迎えられたと思う。
ブルーにはそれが相応しいから。
天使のように白い衣を纏って、天国に住むのが似合うのだから。
真っ白に輝く衣のブルー。
天使の翼は無いだろうけれど、足首まで届く衣を身に着けたブルー。
(きっと天国でも、最高に目立つ美人だろうなあ…)
誰もがハッと振り返るような。
あの美しい人は誰かと、気高くて、まるで天使のようだと。
神に祝福された聖人、その中の一人に違いないと。
きっと名のある素晴らしい人で、命ある間に数え切れない徳を積み重ねた聖なる人だと。
(…そりゃあ、とてつもない徳ってヤツをだ…)
前のブルーは積んだのだと思う、聖人にはなっていないけれども。
人間が聖人を決めるシステム、それは失われて久しいから。
誰も聖人に選ばれたりはしないから。
(だが、神様には選ばれたかもな…)
前のブルーなら、聖人に。
メギドを沈めてミュウの未来を守ったのがブルー、白いシャングリラを守ったブルー。
あそこでメギドが沈まなかったら、無かったかもしれないミュウたちの未来。
今の平和な時代になるのも、きっと遅れたに違いない。
メギドではなくてシャングリラの方が、宇宙に沈んでいたのなら。
(あいつが未来を守ったんだ…)
命を捨てて、たった一人で。
きっと神には愛されただろう、聖人に選んで貰えるほどに。
白く輝く殉教者たちの衣、それさえも与えて貰えそうなほどに。
純白の衣の前のブルーを思い描いて、零れた笑み。
なんと美しい人だろうかと、この人が自分の恋人なのかと。
誇らしい気持ちになったけれども、ハタと気付いた自分の立場。
前の自分はどうなるのだろう、天国に行っていたならば。
地球の地の底で命尽きた後、ブルーの許へと旅立ったならば。
(…俺だって、きっと真っ直ぐに…)
ブルーを探して飛んで行ったろう、魂が身体を離れた後は。
生きていた間に望み続けた、その時がついに来たのだから。
逝ってしまったブルーの許へと、真っ直ぐに飛んでゆけるのだから。
(…前のあいつほど、徳ってヤツを積んじゃいないが…)
地獄に落とされるようなこともしていないのだし、天国には入れて貰えただろう。
ブルーを追い掛けて飛んで行ったら、天国の門に辿り着いたら。
きっと開けては貰えたと思う、其処の扉を。
「どうぞ」と、「入っていいですよ」と。
そうして目出度く天国の住人、ブルーにもきっと会えそうだけれど。
間違いなく会えたと思うけれども、なんとも違いすぎそうな立場。
(あいつは聖人になっちまっていて…)
輝くような純白の衣、それは美しくて気高い姿。
ところが自分は、そうはいかない。
どう考えても、ブルーのようには気高くも神々しくもない。
聖人などには選ばれそうもないし、おまけに持って生まれた姿も地味だから。
足首まで届く白い衣を貰って纏ったとしても…。
(……仮装パーティー……)
それしか浮かんでこなかった。
何処から見たってそれでしかないと、ブルーとは月とスッポンなのだと。
(…月とスッポン…)
仮装パーティーも酷いけれども、月とスッポン。
自分で思い浮かべた言葉に、自分の心を抉られたよう。
(…それで間違いないんだが…)
ブルーが月なら俺はスッポン、と自覚するほどに情けなくなった天国での出会い。
前のブルーが自分を迎えに現れたならば、きっと大勢、見物人たちがいることだろう。
誰もが振り返るほどの聖人、その人が再会を待っていた人は誰だろうと。
どんなに素晴らしい人が来るのかと、それは期待に満ちた瞳で。
(…其処へスッポンの俺がノコノコと…)
想像するだに恐ろしくなった、どれほどの溜息が零れるのかと。
なんと似合わない人が来たのかと、あれではまるで絵にならないと。
(…ブルーは気にもしないんだろうが…)
前の自分も再会の喜びに酔ってしまって、きっと気付きもしないだろうけれど。
再会した後は、ブルーと二人で仲良く暮らしていそうだけれど。
(…傍から見たなら、月とスッポン…)
何処へ行っても悪目立ちしそうな、ブルーの隣にいる自分。
光り輝く衣を纏った気高いブルーと、白い衣の地味な自分と。
(しかも、身体は俺の方がずっと…)
大きいだけに、きっと余計に目立つのだろう。
広い天国の何処へ行っても、「またスッポンがやって来た」と。
幸せなことに、自分はきっと気付きもしないで、ブルーの隣に居ただろうけれど。
ブルーと二人でいられる幸せ、それに満たされていただろうけど。
これは酷いと、自分でもついてしまった溜息。
ブルーと二人で天国にいたなら、恥を晒していそうな自分。
(…天国の住人の良心ってヤツに…)
賭けておくしかないだろう。
月とスッポンな恋人同士で歩いていたって、笑ったりはしない住人たち。
(ブルーの名誉のためにもだな…)
笑われていないと思いたい。
二人一緒にいた筈の場所が、もしも天国だったなら。
前のブルーが真っ白に輝く衣を纏って、神に選ばれた場所だったならば…。
一緒にいた場所・了
※前のブルーとハーレイが二人で過ごしていた場所。本編では明らかになってますけど…。
御存知ないのがハーレイ先生、月とスッポンだとお悩み中。二人一緒なら幸せですよねv
(んーと…)
もうちょっと、とブルーが一杯に伸ばしてみた手。
勉強机の前に座ったままで、無精して。
立ち上がらないで、そのまま横の棚の方へと。
学校から帰って宿題を終えて、白いシャングリラの姿を見ようと。
ハーレイとお揃いの写真集。
それを取りたくて、精一杯に手を伸ばしてみて…。
(うん、届いた!)
やった、と棚から取った途端に崩したバランス。
写真集は大きくて重かったから。
豪華版だけにズシリと重くて、片手で取るには不向きだった本。
(ぼくの本…!)
駄目になっちゃう、と懸命に掴んで本を守って、自分が床に落っこちた。
バランスを崩して椅子から床へ。
見事にドスンと転がったけれど、写真集の方は無事だった。
(…失敗しちゃった…)
ちゃんと取れると思ったのに、と床に転がったままでついた溜息。
次からは無精しないでおこうと、ぼくの大事な本なんだから、と。
お小遣いでは買えない値段の豪華版。
ハーレイに教えて貰ったその日に、父に「買ってよ」と強請った本。
自分の不注意で傷んだりしたら、きっと悲しくなるだろうから。
少しへこんだだけであっても、表紙に微かな傷がついても。
無事で良かった、と床の上で本を確かめていたら、ノックの音。
「ブルー? どうしたの、倒れちゃったの?」
音がしたわ、と母が扉の向こうで訊くから、ドキンと跳ね上がってしまった心臓。
無精して椅子から落っこちたなんて、みっともなくて言えないから…。
「…平気。足を引っかけて転んじゃった…」
怪我はしてないから大丈夫、と誤魔化した。
扉を開けたら嘘がバレそうだから、開けないままで。「ぼくは平気」と。
「それならいいけど…。あまりビックリさせないでね」
ブルーは身体が弱いんだから、と声を残して、階段を下りてゆく母の足音。
それが消えても、まだドキドキと激しく打っている鼓動。
(…椅子から落ちて、ママでビックリして…)
驚きの連続、こうならない方がおかしいだろう。
ゆっくり写真を眺めるつもりが、落ち着いてくれない心臓の音。
起き上がって椅子に戻っても。
白いシャングリラの写真集を見ようと腰掛けても。
(…全然ダメ…)
止まってくれないドキドキの音。
これじゃ駄目だ、とスウッと大きく吸い込んだ息。
こんな時には深呼吸、と。
椅子に座って、胸一杯に空気を吸い込んでみて。
吐き出したけれど、まだドキドキが止まらないから、もっとゆっくり。
(…吸って、吐いて…)
落ち着かなくちゃ、と心臓にせっせと言い聞かせながら深呼吸。
胸一杯に吸って、ゆっくりと吐いて。
またゆっくりと吸い込んで吐いて、何度もそれの繰り返し。
(…やっと止まった…?)
まだ少し鼓動が速いけれども、胸から心臓が飛び出しそうではなくなった。
このくらいならば、もうその内に落ち着くだろう。
深呼吸はもう充分だよ、と本を開いた。
ぼくが守ったシャングリラ、と。
前の自分が守った船。ハーレイが舵を握っていた船。
白いシャングリラの写真が沢山、この写真集は懐かしい気持ちがこみ上げる本。
前の自分は命まで捨てて、この白い船を守り抜いた。
たった一人でメギドを沈めて、とても悲しい思いまでして。
(…ハーレイの温もり、失くしちゃった…)
メギドで冷たく凍えた右手。
もうハーレイには二度と会えないと、独りぼっちだと泣きじゃくりながら。
それでも自分は船を守った、ミュウの未来を乗せていた船を。
楽園という名の白いシャングリラ、ミュウの箱舟だったあの船を。
(…前のぼくだと、本物の船で…)
今の自分は写真集の中の船を守った、椅子から落ちてしまったけれど。
元はと言えば自分が悪くて、無精したのが原因だけれど。
(でも、守ったしね?)
傷もつけずに、角も表紙もへこまずに。
写真集になった白いシャングリラを、懐かしい船を。
今の自分の精一杯。
サイオンもすっかり不器用になって、本を宙では止められないから。
身体ごと落っこちて本を守った、本の中身のシャングリラを。
今のぼくでも頑張ったんだ、と思ったけれど。
ぼくのシャングリラは守ったから、と誇らしい気持ちになったのだけれど。
(…さっきのドキドキ…)
情けないかも、と肩を落とした。
前のぼくだとドキドキは無し、と。
椅子から床へと落っこちただけで、もうビックリして激しく脈を打った心臓。
そこへ母までやって来たから、もっと驚いて止まらなくなってしまったドキドキ。
これでは本も読めやしない、と何度もしていた深呼吸。
吸って、吐いて、と、ゆっくり、ゆっくり。
落ち着けと自分に言い聞かせながら、何度も息を吸っては吐いて。
(…前のぼくだと、あんなのは…)
やっていない、と情けなくなった。
椅子から落ちたくらいでは。
母に不意打ちされたくらいでは。
(…椅子から落ちてはいないだろうけど…)
あんな無精はしていないから。
手を一杯に伸ばさなくても、サイオンでヒョイと取れただろうから。
(ママも来ないし…)
不意打ちする母もいなかった。
ソルジャー・ブルーに母はいなくて、仲間たちだって不意打ちはしない。
前の自分はソルジャーなのだし、そんな無礼な真似などは。
自分は気にしなかったけれども、仲間たちは礼儀を気にしていたから。
(だけど、不意打ちなら、もっと凄いのが…)
キースに何度もやられちゃったし、と零れた溜息。
メギドはともかく、シャングリラからのキースの逃亡騒ぎ。
前の自分は察知して目覚め、先回りをして待っていた。
ドキドキもせずに、平然と。
キースがトォニィを投げた時にも、咄嗟に飛び出して受け止めた。
さっきの自分と全く同じに床に落っこちてしまったけれど。
其処で動けなくなったけれども、ドキドキどころか落ち着いたもの。
ナキネズミに力を貸して貰って、連絡までして。
(…なんで、ぼくだとこうなるわけ?)
同じシャングリラを守っても。
本物と本の違いはあっても、今の自分の精一杯。
全力を尽くして守った結果は酷いドキドキ、前の自分とは比較にならない。
(…敵わないのは分かっているけど…)
今の自分はただの子供で、ソルジャー・ブルーではないのだから。
サイオンだって不器用になって、まるで敵いはしないのだから。
それでも悔しい、床に落ちただけでドキドキの自分。
前の自分はそうはならなくて、深呼吸などしていないのに。
キースに不意打ちされた時にも、悠然と座っていたほどなのに。
(…身体、ボロボロだったのに…)
格納庫まで先回りしようと歩く間に、何度倒れたことだろう。
息は荒くて、心臓も激しく脈打っていたのに、前の自分はそれを鎮めた。
ソルジャーとしての意志の強さで、深呼吸もせずに。
ほんの数回、フウと長い息を吐き出しただけで、それでおしまい。
ビックリしたせいでドキドキなどはしなかったから。
身体が辛くてドキドキしただけ、時間が経ったら収まるから。
それに引き替え、今のちっぽけな自分ときたら。
椅子から落ちたと言ってドキドキ、母に不意打ちされてドキドキ。
これでは本も読めやしない、と深呼吸までしていた始末。
前の自分は、深呼吸などしなくても平気だったのに。
(…前のぼくが凄すぎるんだってば…!)
深呼吸とか以前の問題、と写真集の向こうを睨み付けた。
宇宙空間を飛ぶシャングリラ。
写真を撮ったカメラマンは宇宙船の中だろうけれど、前の自分は…
(宇宙船なんか、要らなかったし…!)
いつでもシャングリラの外に出られた、生身のままで。
宇宙服など着けもしないで、ヒョイとそのまま。
メギドまで飛んだ時も同じで、宇宙船など使ってはいない。
今の自分には出来ない芸当、酸素も無い所に出てはゆけない。
(息が出来なくて死んじゃうってば…!)
もっと他にも色々と問題がありそうだけれど、一番は空気。
宇宙空間では息が出来ない、今の自分はアッと言う間に死んでしまうのに違いない。
だって酸素が無いんだから、と思った所で気が付いた。
今の自分が何度もしていた深呼吸。
それで補給をしていた酸素。
(…全部、地球のだよ…)
なんとも思わずに吸っていたけれど、何度も吸っては吐き出したけれど。
前の自分が吸った酸素や空気とは違ったそれ。
白いシャングリラの中の空気は、あった酸素は人工的に作られたもの。
船の中だけで全てを賄う宇宙船だから、当然のこと。
アルテメシアに降りた時には外の空気を吸ったけれども、雲海の星と地球とは違う。
その上、前の自分が生身で宇宙を駆けていた時。
身体の周りに集めた空気は、多分、サイオンで循環させたのだろう。
吸って酸素が無くなった分は、サイオンを使って酸素へと変えて。
難しい仕組みは考えもせずに、自分の身体を生かすためだけに。
(…深呼吸、要らなかったのかも…)
そんな気までがしてくるほど。
わざわざ息を吸い込まなくても、必要な酸素を取り込めたのかと。
前の自分は凄かったのだし、もしかしたら、と。
けれども、そんな前の自分が胸一杯に息を吸い込んでいても…。
(…地球の空気は吸えないんだよ…)
地球は何処にも無かったから。
辿り着けずに終わってしまって、深呼吸だって出来なかったから。
それを思えば、今の自分はきっと幸せなのだろう。
前の自分には敵わないけれど、椅子から落ちたらドキドキだけれど。
(…深呼吸したら、地球の空気で…)
前の自分が焦がれ続けた青い水の星の空気が一杯。
いくら吸っても消えはしないし、それがドキドキを鎮めてくれる。
胸一杯に吸い込んだならば、ゆっくりと吸って吐いたなら。
何度も何度も繰り返していたら、ドキドキは自然に収まってくれる。
(…椅子から落ちてもドキドキだけど…)
きっと幸せ、と深呼吸した。
前のぼくには出来なかったと、地球の空気は無かったから、と。
今は好きなだけ吸ってもいい。
地球の空気を、地球の酸素を胸一杯に。
ハーレイと二人で地球に来たから、夢だった星に来られたから…。
深呼吸したら・了
※ソルジャー・ブルーだった頃と違って、椅子から落ちたらドキドキなのがブルー君。
せっせと深呼吸していた空気が地球のだった、と気付いて幸せらしいですv
いい天気だな、とハーレイが眺めた窓の外。
ブルーの家へと出掛ける日の朝、いつも通りに早く覚めた目。
(その辺を軽く走ってくるかな)
ご近所一周、そういうジョギング。
二十分もあれば五キロは軽いし、ちょっと走るのに丁度いい距離。
自分にとっては運動とも言えない距離だけれども。
ウォーミングアップ程度で、準備運動。
そういう距離になるのだけれど。
(…あまり遠くへ行き過ぎてもなあ…)
ジョギングは好きで、走り始めたらついつい遠くへ行きたくなる。
今日はあっちへ、と走り出したら、その先へ行ってみたくなる。
長く暮らしている町だから。
すっかり頭に入っているから、「この先に行くと…」と足を伸ばしたくなる。
公園までのつもりで走っていたのに、公園を抜けてもっと先まで。
学校の方へと走って行ったら、通り越してその向こうまで。
(悪い癖だな)
ついつい走り過ぎるのは。
身体の方は平気だけれども、思わぬ時間を走り続けてしまうのは。
いつかブルーと結婚したなら、改めないといけないだろう。
家で帰りを待っているブルーが、すっかり膨れていそうだから。
(今でも充分、あいつのために改めてるが…)
走る時間を調整中だ、と始めた着替え。
パジャマからジョギング用の服へと、顔を洗ったらジュースを一本。
こういう朝に備えて買ってあるジュース、作っていたのでは遅くなるから。
バランスが取れた野菜ジュースで喉を潤し、玄関を出たら準備完了。
日頃から鍛えてある身体。
此処までの間にしっかり目覚めて、動く用意はもう整った。
長いジョギングならばともかく、ご近所一周、ほんの五キロほど。
朝食も準備運動も要らない、ストレッチだって。
庭を突っ切り、表の通りに出たら少しずつ上げるスピード。
それだけで充分ついてくる身体、楽々と走れるご近所一周ジョギングの旅。
(…この程度だったら、ブルーも文句は言わんだろうさ)
二十分もあれば戻れるのだから、「遅いよ!」と文句は言わないだろう。
いつか結婚した時も。
ブルーが顔を洗ったりしている間に五分以上はかかる筈。
新聞でも広げて読み始めたなら、直ぐに経つだろう二十分。
このくらいは許して欲しいものだな、と庭を突っ切り、門扉を開けた。
さあ、走るぞ、と。
ご近所一周、直ぐに戻って、お次はブルーの家へと出掛ける支度、と。
小さなブルーに出会う前には、たっぷり時間があった週末。
ジョギングだって朝食を済ませて走って行った。
それこそ気まぐれ、足の向くまま。
コースも決めずに走り出したり、コースを外れてどんどん遠くへ向かったり。
足には自信があるのだから。
「それを一日で走るんですか?」と驚かれそうな距離であっても、自分には普通。
疲れもしないし、楽しいくらい。
「今日はあそこまで行って来たぞ」と愉快な気分になったほど。
ところが今ではそうはいかない、小さなブルーが待っているから。
ご近所一周コースを外れて走って行こうものなら、もう膨れるに決まっているから。
「今日は遅いよ!」と、「用事があるとは聞いてないけど?」と。
プウッと膨れて、唇を尖らせて、プンスカと怒ることだろう。
(…あいつ、サイオンはサッパリなんだが…)
心を読み取ることも出来ない不器用な今のブルーだけれど。
きっと勘だけはいいに違いない、普段は駄目でもそういう時だけ。
「ハーレイ、もしかしてジムに行ってた?」だの、「ジョギングだった?」だのと。
ズバリ見抜かれて慌てる自分が目に浮かぶよう。
「すまん」と、「ついつい夢中になって…」と。
「お前を忘れたわけじゃないんだ」と、「悪いのは俺の身体でだな…」と。
足をピシャリと叩くような羽目になるのだろう。
この足が俺を連れてったんだ、と。
損ねたくないブルーの御機嫌、だからジョギングは控えめに。
ご近所一周、それだけで戻る朝の小さな運動。
(…運動ですらもないんだが…)
気分転換程度なんだが、とタッタッと軽く走ってゆく。
周りの景色を眺めながら。
すれ違った人や、庭にいる人と挨拶しながらリズミカルに。
もっと遠くへ行けるけれども、行きたい衝動に駆られるけれど。
(…チビが優先…)
チビと呼んだら怒るんだがな、と小さなブルーが最優先。
この道を行けば公園の方へ続くんだが、と行きたくなった道は曲がって避けた。
次に現れた別のコースも、グイと曲がって諦めた。
今朝はあくまでご近所一周、二十分で戻って、それからシャワー。
朝食を食べて新聞を読んで、いい頃合いで家を出る。
天気がいいから、ブルーの家まで歩いてゆく日。
そのための時間も必要なのだし、ジョギングはご近所一周だけ。
もっと遠くへと、もっと走ろうと弾む足。
まだまだ行けると、もっと遠くへと。
それを宥めて、走りたくなる自分も叱って、予定通りに家へと繋がるコースに入った。
真っ直ぐ走れば見えてきた家、いつもの見慣れた家の生垣。
(ちゃんと戻って来たってな…!)
ブルーに文句は言わせないぞ、とラストスパート、上げたスピード。
ジョギングは同じ速さで走り続けて、最後はゆっくりゴールするのが本当だけれど。
身体に負担をかけないためには、それが一番なのだけど。
(ご近所一周には、これが似合いなんだ)
ゴール直前のマラソン選手よろしく、ここが最後の追い込み気分。
残りは全力疾走なんだ、とフルスピードで門扉の前を通過した。
ゴールは家だし、門扉の辺りがゴール地点。
行き過ぎた分をタッタッと戻って、門扉を開けて入った庭。
息は少しも上がっていないし、全く疲れていないのだけれど。
(まずは深呼吸…)
こいつが大事、と大きく息を吸い込んだ。
もっと走りたいと騒ぐ身体を鎮めるために。
今日はここまで、と深呼吸して一区切り。
気分をきちんと切り替えられるし、酸素もたっぷり取り込めるから。
胸一杯に吸い込んだ空気、早い時間だから清々しい。
庭の緑と朝露の匂い、それまでが身体に染み透る気分。
(朝はこいつに限るんだ)
深呼吸だ、と大きく吸って、ゆっくりと吐いて、また吸い込んで。
これで良し、と歩き出そうとして気が付いた。
たった今、自分が吸っていた空気。
とても贅沢で、凄いものだということに。
当たり前のように吸ったけれども、吸って吐き出したのだけど。
(おいおいおい…)
前の俺だと考えられんぞ、とグルリと見回した自分の周り。
走り終えた身体を包み込む空気、今、たっぷりと吸って吐き出した分はどれなのか。
すっかり他のと混じってしまって、まるで区別がつかない空気。
直ぐに新しく補充されるから、澄んだ空気が満たされるから。
もう一度息を吸い込んでみても…。
(…さっきと何処が違うんだ?)
同じ味だが、と繰り返してみた深呼吸。
朝の空気の味は落ちない、どんなに欲張って吸い込んでみても。
胸一杯に吸って吐き出してみても、次に吸った空気は同じに爽やか。
庭の緑と朝露の匂い、それを含んで酸素もたっぷり。
息が苦しくなったりはしない、深呼吸を何度繰り返しても。
(…贅沢すぎる話だぞ、これは…!)
いくら吸っても、次から次へと補充されてくる新しい酸素。
それだけでも凄い、前の自分が生きていた頃に比べれば。
白いシャングリラでは、酸素は作るものだったから。
閉ざされた船の中の世界は、そういうもの。
アルテメシアに潜んだ頃にも、外の酸素に頼ってはいない。
(…いつだって気を配ってたんだ…)
酸素不足に陥らないよう、どんな時でも。
赤いナスカに辿り着いても、酸素は今ほど多くなかった。
懸命に目指した地球に至っては、呼吸をしたら終わりの世界。
毒の大気を吸い込んでしまい、一瞬で死に至ったろうから。
(…その酸素が今じゃ、吐いて捨てるほど…)
「掃いて捨てる」を「吐いて捨てる」と言い換えたくなった、今の状況。
一度吸ったら、人の身体は空気の中から酸素を奪ってしまうのに。
吐き出した空気をまた吸い直して呼吸していれば、いずれ窒息してしまうのに。
けれども、そうはならないのが今。
いくら大きく吸って吐き出しても、何処からかやって来る酸素。
少しも減ってはいないどころか、さっきと同じに美味しい空気を胸一杯に吸い込める世界。
なんとも凄い、と深呼吸をした、何度も、何度も。
こんなに吸っても減りはしないと、それも本物の地球の空気だ、と。
(実に美味いな…)
疲れちゃいないが生き返るようだ、と庭を眺めては繰り返していた深呼吸。
地球の空気だと、おまけに少しも減りもしなくて美味いままだ、と。
あまりに感動してしまったから、ついつい庭で過ごした時間。
空気が美味いと、何の苦労もしないで好きなだけ吸える世界なんだぞ、と。
ハタと気付けば、五分どころでは済まない時間。
深呼吸しながら経った時間はどれほどなのか、と慌てて家へ駆け込んだ。
遅刻しちまうと、ブルーがプウッと膨れちまう、と。
(でもまあ、地球の空気だしな…?)
ブルーが「遅いよ!」と怒った時には、「まあ、落ち着け」と微笑んでやろう。
深呼吸でもしてみるといいと、そうすればお前も分かるだろうと。
いくら吸っても、吐いて捨てても、地球の酸素は減らないから。
前のブルーが焦がれ続けた、青い地球の空気。
それをたっぷり味わってみろと、俺の遅刻はその有難味を満喫していたせいなんだから、と…。
深呼吸の味・了
※「吐いて捨てるほど」の酸素があるのが、今のハーレイ先生の世界。贅沢すぎる世界です。
ゆっくりのんびり深呼吸。遅刻しちゃったら、ブルー君にもお勧めするのが一番ですねv
(ぼくの家にも、ハーレイの家の庭にも四つ葉…)
ちゃんとあった、と微笑むブルー。
四つ葉のクローバーが生えてるんだよ、とパジャマ姿でベッドにチョコンと腰掛けて。
今日は日曜日で、一日はもう終わった後で。
ハーレイは「またな」と軽く手を振って帰って行った。
昨日の土曜日と日曜日の今日と、ハーレイを独占していた週末。
それはすっかり終わってしまって、明日からはまた学校だけれど。
昼間にハーレイに会えたとしたって、「ハーレイ先生」になるのだけれど。
(だけど、今度はハッピーエンド…)
いつかハーレイを、「先生」と呼ばなくてもいい日が来たら。
教師と教え子の時代が終わって、恋人同士になれる時が来たら。
(前とおんなじ背丈になったら、キスが出来るし…)
十八歳になったら結婚式も挙げられるのだから、ハッピーエンド。
前の自分たちのような悲しい恋には、なるわけがない。
誰にも言えない恋人同士で、おまけに最後は離れ離れで終わった恋。
互いの顔さえ見られない場所で、前の自分の命は終わった。
ハーレイの温もりさえも失くして、独りぼっちで泣きじゃくりながら。
後に残されたハーレイの方も、独りぼっちで長い時を生きた。
前の自分が頼んだ通りに、地球までの道を。
ジョミーを支えて、支え続けて、白いシャングリラを運んで行って。
キャプテンだからと、悲しみも孤独も自分一人の心だけに秘めて。
前の自分を追うことも出来ずに、一人きりで。
本物の恋人同士だったというのに、ハッピーエンドを迎えられなかった自分たち。
ソルジャー・ブルーだった自分と、キャプテン・ハーレイの悲しい恋。
まさかそういう恋になるとは、夢にも思っていなかった。
白いシャングリラで生きた頃には、二人で暮らした遠い昔には。
恋をして、同じ船で暮らして、秘密の恋でも心は幸せに満ちていたから。
ハーレイと二人で過ごす時には、いつも幸せだったから。
(…きっと最後まで、幸せなんだ、って…)
前の自分はそう信じていた。
明日さえ知れない船の中でも、きっと離れずにいられるだろうと。
もしもシャングリラが沈んだとしても、一緒に命が尽きるのだから。
青の間とブリッジ、離れた所で命尽きても、直ぐに合流出来そうだから。
いくらシャングリラが巨大な船でも、放り出された魂が迷子になってしまうほど大きくはない。
自分はハーレイを見付けるだろうし、ハーレイも自分を見付けてくれる。
互いに身体は失くしたとしても、魂になって何処までも一緒。
二人一緒なら幸せだろうと、きっと幸せに違いないと。
命は尽きてしまっても。
最後まで自分は幸せだろう、と。
けれど、無かったハッピーエンド。
前の自分たちの恋は悲しい恋に終わって、最後は離れ離れになった。
自分はメギドで独りぼっちで死んでしまって、それっきり。
ハーレイはシャングリラに一人残され、遠い地球まで行くしかなかった。
二人の道は離れてしまって、引き裂かれたまま。
魂になって出会えもしないで、死んだ場所さえも遠すぎた。
(…ハーレイはぼくを探せたのかもしれないけれど…)
シャングリラを地球まで運んだのだし、道は分かっていただろう。
前のハーレイが死んだ地球から、前の自分が死んだジルベスター星系へと渡れる航路。
こう飛んだならば辿り着けると、この方向に赤いナスカが在ったのだと。
だからハーレイなら探せたかもしれない、独りぼっちになってしまった前の自分を。
地球の座標も分からないまま、迷子になっていた魂を。
それとも魂には迷子など無くて、一瞬で越えてゆけるのだろうか。
自分が行きたいと願う場所へと、心から想う人の許へと。
(…きっと、会えたとは思うんだけど…)
今の自分に生まれてくる前は、ハーレイと一緒にいたのだろうと思うから。
二人で長い時を飛び越え、地球に来たのだと思うから。
そういう風に過ごしていたなら、幸せだったろうとは思うけれども…。
(…ハッピーエンドとは言わないよね?)
前の自分たちの悲しい恋は。
引き裂かれた二人が出会えたとしても、それまでが悲しすぎるから。
お伽話のような恋とは、まるで違った恋だったから。
ハッピーエンドになりはしなかった、前の自分とハーレイとの恋。
そうとも知らずに、前の自分は生きていた。
ハーレイと二人で白い鯨で、楽園という名の白いシャングリラで。
互いの部屋から外へ出たなら、出来ない恋人同士の顔。
キスは交わせず、抱き合うことさえ叶わない二人。
それでも幸せに生きていた自分。
ハーレイがいれば充分だからと、同じ船で暮らしているのだからと。
そのハーレイと二人で、何度も探したクローバー。
幸運の印の四つ葉を探した、あの船にあった公園で。
子供たちからクローバーの花冠を貰った時やら、ふと思い付いた時などに。
ハーレイが暇そうにしていた時には、「キャプテンは公園も把握すべきだ」と引っ張り出して。
二人がかりで何度も何度も、クローバーの茂みで探していた。
今日こそは四つ葉を見付けてみせると、二人がかりならきっと一つは、と。
「この辺りには無さそうですよ」とハーレイが言ったら、「ぼくが探す」と入れ替わって。
逆だってあった、「君も探してみてくれるかい?」と自分が探した場所を任せて。
しらみ潰しに探していたのに、一つも見付からなかった四つ葉。
「無かったね…」と引き揚げた場所で、次の日に子供が見付ける四つ葉。
一日で育つには大きすぎるのを、「あった!」と得意げに高く掲げて。
どういうわけだか、子供たちなら同じ場所でも探せた四つ葉。
前の自分たちは、何度挑んでも駄目だったのに。
とうとう一つも見付からないまま、前の自分の命は終わってしまったのに。
あの頃に自分が考えたことは、「子供たちには未来があるから」。
いつか幸せな未来を掴むだろう子たち、だから四つ葉を探せるのだと。
ミュウの未来を担ってゆくから、幸せの四つ葉を手に出来るのだと。
(…でも、違ったかも…)
ハッピーエンドにはならない恋をしていた二人。
いつか引き裂かれる二人。
クローバーは知っていたかもしれない、そういう風に終わる恋だと。
悲しい未来が待っているのだと、今は幸せに暮らしていても、と。
もしもクローバーが気付いていたなら、四つ葉をくれはしなかっただろう。
幸運の印の四つ葉を与える意味が無いから、幸せになれはしないのだから。
だから見付からなかっただろうか、ハーレイと何度探しても。
四つ葉のクローバーが運ぶ幸運、それに与れない二人だったから。
幸運の四つ葉を手にしたとしても、不幸な未来は避けられないから。
それならば分かる、あれだけ探しても一度も見付からなかった幸運の四つ葉のクローバー。
前の自分たちの恋の最後を知っていたなら、クローバーが知っていたのなら。
まるでフィシスの予言のように。
それよりも、もっと正確に。
クローバーは告げた、悲しい未来を。
四つ葉を一つも与えないことで、幸運が待っていない未来を教えた。
前の自分たちは、それと気付きもしなかったけれど。
四つ葉のクローバーは子供たちのものだと、未来のある子に相応しいのだと思い込んで。
ついに四つ葉は見付からないまま、終わってしまった悲しい恋。
前の自分とハーレイの恋は、文字通り宇宙に散ってしまった。
誰にも知られないままで。
恋人同士だったことさえ、誰一人として知らないままで。
けれども、今度はそうはならない。
ただの教師と教え子なのだし、時が来たなら恋は明かせる。
結婚だって出来る二人で、いつまでも二人で暮らしてゆける。
ハッピーエンドが待っているのが、生まれ変わって来た自分たち。
(だから、四つ葉のクローバーだって…)
今の自分は庭で見付けた。
クローバーだらけの庭でもないのに、たまたま芝生にあるだけなのに。
両親が庭のアクセントにと、抜かずに置いているクローバー。
増えすぎた分は引っこ抜いたり、刈り込んだりしているクローバー。
其処へ出掛けて、四つ葉があるかと探してみたら見付かった。
白いシャングリラで子供たちが「あった!」と叫んだものより、立派なものが。
大きな四つ葉が紛れ込んでいた、庭のクローバーの茂みの中に。
それは嬉しくて、採らずにそうっと残しておいた。
幸運の印が生えているなら、そのままでいて欲しいから。
摘んでしまうより、庭に残して「あそこにあった」と心に刻んでおきたいから。
今度は見付かった幸運の印、幸せの四つ葉のクローバー。
ハーレイの家にもクローバーが生えているというから、「探してみてよ」と頼んでおいた。
「きっと今度は見付かるから」と。
そして案の定、ハーレイの家の庭にもあった。
今のハーレイが初めて見付けた、朝露を纏った綺麗な四つ葉。
思念で見せて貰ったイメージ、幸せで一杯になった胸。
ハーレイも自分も、今は四つ葉を見付けられると。
わざわざ探しに出掛けなくても、自分の家の庭でヒョッコリ見付かるのだと。
(もう、絶対にハッピーエンド…)
間違いないよ、と夢が大きく広がってゆく。
前の自分たちの悲しい恋を予言していたクローバー。
それが約束してくれたから。
今度は幸せになれる二人だと、四つ葉を庭にくれたから。
きっといつかはハッピーエンド。
「ハーレイ先生」と呼ばなくてもいい時が来たなら、前の自分と同じ背丈に育ったら…。
見付かった四つ葉・了
※ブルー君の家の庭にも、ハーレイ先生の家の庭にも、ちゃんと四つ葉のクローバー。
ハッピーエンドを迎えられる世界に、二人で生まれて来られたことが幸せv
(四つ葉のクローバーなあ…)
探したことも無かったな、とハーレイが開けた玄関の扉。
庭に出ようと、まだ朝食も食べない内に。
休日の朝も目が覚めるのは早いから。
苦にもならない、まだ朝露が光る時間に庭に出ること。
顔を洗って着替えを済ませて、足にはサンダル。
ジョギングに出掛けるわけではなくて、行き先は家の庭だから。
昨日、ブルーと交わした約束。
(俺の家の庭にも、あるだろうから、って…)
小さなブルーに言われたのだった、「四つ葉のクローバーを探してみてよ」と。
庭にクローバーが生えているなら、きっと見付かるだろうから、と。
幸せの四つ葉のクローバー。
見付けた人には幸運が訪れると伝わるクローバー。
それこそ遠い昔から。
SD体制が始まるよりも遥かな遠い遠い昔、人間が地球しか知らなかった頃から幸運の証。
本当だったら三枚の筈のクローバーの葉っぱ、それが四枚。
一枚多いと幸運の印、古い古い地球の言い伝え。
さてと、と向かった庭の一角。
芝生が植えてあるのだけれども、クローバーだって生えている。
何処からか種が飛んで来たものか、芝生を植えて貰った時から混ざっていたか。
(俺にとっては当たり前のヤツで…)
この家で暮らし始めた頃から、クローバーは庭の住人だった。
気付けば白い花を咲かせて、濃い緑色の葉を広げていた。
雑草だからと引っこ抜くには、もったいないように思えたから。
均一な色で広がる芝生の、いいアクセントにも見えたから。
(そのままにしておいたんだよなあ…)
同居人だ、と庭に許した居場所。
ただし、広がりすぎないようにと刈り込むことは忘れなかった。
愛らしい花を咲かせるとはいえ、繁殖力が旺盛だから。
放っておいたら芝を駆逐しかねないことは、重々承知していたから。
増えすぎたな、と思った時には刈ったり、時には一部を引っこ抜いたり。
そんな具合で長い付き合い、庭に生えているクローバーの茂み。
目的の場所へと庭を突っ切り、クローバーの側にしゃがみ込んだ。
まさかこいつと手入れ以外で向き合うことになろうとは、と。
(幸運の四つ葉か…)
あちらこちらでお目にかかるのが四つ葉のマーク。
今も昔も幸運のシンボル、様々な所にあしらわれているものだから。
店の看板やら、包装紙やら。
文具売り場でも見掛けたりする、四つ葉の模様の便箋などを。
(本物のクローバーの姿よりも目立っているんじゃないか?)
もしかしたら、と零れてしまった苦笑い。
三つ葉の方のクローバーには殆どお目にかからないんだが、と。
模様でも、店のマークでも。
クローバーをあしらってあるな、と気付く時には四つ葉が多い。
四つ葉だからこそ、クローバーだと思っているような節さえもある。
(クローバーは三つ葉のモンなんだがな?)
こいつみたいに、と戯れにチョンとつついた葉っぱ。
普通の三つ葉のクローバー。
これが本物のクローバーなのに。
四つ葉の方が珍しいのに。
(まあ、四つ葉だらけなら、幸運も何も…)
滅多に見付けられないからこそ、四つ葉のクローバーは幸運のシンボルになったのだろう。
本来の三つ葉のクローバーよりも、幅をきかせている四つ葉。
模様になったり、マークになったり、色々な場所で。
(…しかしだ、三つ葉の方もだな…)
捨てたものではないんだがな、とチョンチョンと指でつついてみる。
「お前はお前で有難いモノの筈なんだが」と。
何処かでチラと聞いたことがある、三つ葉のクローバーの意味。
神を表すシンボルなのだと、三枚の葉を持っているから、と。
三位一体、父と子と精霊を指している言葉。
クローバーは三枚の葉を持っていながら、柄は一本になっているもの。
三位一体を表した姿、そう説いた聖パトリック。
人間が地球しか知らなかった時代に、アイルランドと呼ばれた島で。
聖パトリックを記念する祭り、それの主役は緑の三つ葉のクローバー。
その日だけは警察のバッジにあしらったという地域もあったほど。
クローバーにちなんで皆が緑の衣装を身に着け、ビールまでが緑色だったほど。
あくまで三つ葉のクローバー。
その日にはまるで出番が無かった、幸運の四つ葉のクローバー。
面白いもんだ、と葉っぱをつついて、それから仕事に取り掛かった。
この年まで生きて来たのだけれども、一度もやってはいないこと。
クローバーの茂みの中を探って、幸運の四つ葉を見付け出すこと。
(…普通、男は探さないしな?)
幸運の四つ葉のクローバーなどは。
どちらかと言えば女性がすること、それも幼い女の子など。
そういう年頃に女の子と一緒に遊んでいたなら、探すことだってあるけれど。
公園などでクローバーの茂みに子供が何人もいたりするけれど、自分は違った。
柔道と水泳が好きだった子供、やんちゃな子供ばかりが友達。
四つ葉のクローバーを探すよりかは、野原を突っ切る方だったから。
此処が近道だとクローバーの茂みを踏んで走るとか、補虫網を振り回しているだとか。
とんと興味が無かったのが四つ葉、探そうとも思っていなかった。
この年になるまで、小さなブルーに「探してみてよ」と言われるまでは。
(俺としては、なんとも思っていなくてだな…)
今日まで探しもしなかったこと。
四つ葉のクローバーを探してみようと、茂みにしゃがみ込まなかったこと。
男の子ならばよくあることだし、友人たちだって今も殆どがそうだろう。
娘が生まれて「パパ、探そうよ」と連れて行かれたりしない限りは。
あるいはデートの途中で誘われ、恋人と二人で探すだとか。
(…大抵のヤツらは、そんな感じで…)
四つ葉探しとは縁が無いのが大半だろう、という環境。
だから不思議に思いもしなくて、庭のクローバーを刈り込む時にも見ていなかった。
増えた分の根っこを引っこ抜いた時も、調べずにポイと打ち捨てておいた。
四つ葉のクローバーが混ざっているかは、別にどうでも良かったから。
自分にとっては単なる雑草、クローバーがあるというだけだから。
(…そうだとばかり思ってたんだが…)
違ったらしい、と昨日、ブルーから聞いて気付いた。
前の自分と、ブルーの思い出。
白いシャングリラで何度も探した、幸運の四つ葉のクローバー。
それは一度も見付からなかった、二人で何度探しても。
子供たちなら、簡単に見付けられるのに。
ブルーと二人で散々探した後の筈の場所で、「あったよ!」と声を上げるのに。
前のブルーも自分も首を傾げた、見付けられない幸運の印。
どんなに探しても見付け出せずに、子供たちばかりが「あった」と手にする幸運の四つ葉。
(子供たちには未来が待っているからなんだ、と思ったっけなあ…)
きっとそうだ、と考えた。
幸せな未来を掴む子たちには、きっと四つ葉が似合いなのだと。
その記憶が今の自分の心の底にも、刻まれたままになっていたから。
探しても四つ葉は見付けられないと、前の自分が思っていたから。
(…今の俺も探さなかったんだ…)
庭にクローバーが生えていたって、それの手入れをする時だって。
「引っこ抜いた中に混じってないよな?」と、チラリと眺めもしなかった。
もしも一本混じっていたなら、使い道はちゃんとあったのに。
押し葉にして栞に仕立てておいたら、学校で生徒に渡してやれた。
「一つしか無いから、ジャンケンだぞ?」と。
喜ばれたのに違いない。
幸運の四つ葉のクローバーだから、栞になっているのだから。
けれども、探しもしなかった自分。
前の自分の連戦連敗、ブルーと二人で負け続け。
とうとう一度も見付からなかった、幸せの四つ葉のクローバー。
今にしてみれば、予言だったのかと思えるほどに。
幸せな未来を持たない二人だったから。
運命に引き裂かれてしまう恋人同士で、ハッピーエンドは無かったから。
ところが、今の小さなブルー。
四つ葉を探そうと挑んだブルーは、自分の家の庭でそれを見付けた。
挑んだその日に、立派な四つ葉に。
顔を輝かせていたブルー。
「きっとハーレイも見付けられるよ」と、「家にあるなら探してみてよ」と。
そう言われたから、朝一番から一仕事。
(俺も四つ葉を見付けないとな?)
今の自分なら、探し出せるというのなら。
いつかブルーとハッピーエンドが待っている今の自分なら。
(…この辺に…)
あればいいが、とガサガサと探し始めた途端。
まさか、と驚いた幸運の四つ葉、朝露を纏った緑の四つ葉。
前の自分は何度探しても、ついに出会えはしなかったのに。
それが誇らしげに顔を出してくれた、茂みの中から。
(…そうか、今度はハッピーエンドか…)
ブルーに教えてやらなければ、と見詰めて頭に焼き付ける。
「摘んじゃ駄目だよ」とブルーが言っていたから。
そのまま庭に置いてあげてと、幸せのクローバーなんだから、と。
前の自分たちには無かった四つ葉。
それが今度はちゃんとある。
自分の家にも、ブルーの家にも、幸運の印のクローバー。
いつか幸せになれるから。ハッピーエンドが待っているから、幸運の四つ葉のクローバーが…。
見付けた四つ葉・了
※ハーレイが見付けた四つ葉のクローバー。前のハーレイは一度も出会えなかったのに。
今度はブルーとハッピーエンド。そういう印が庭にきちんとあるのですv
