「ハーレイ、両替してくれる?」
小さなブルーに突然言われて、ハーレイは面食らったのだけど。
両替とはいったい何のことかと思ったけども。
「駄目?」と瞳を瞬かせたブルー。
ちょっと小銭が欲しいんだけど、と。
ブルーの部屋での、お茶の最中。いきなり出て来た両替のお願い。
(…両替で、小銭…)
ふむ、と考えてみたハーレイ。
ブルーは小銭が欲しいらしいし、それを踏まえての両替となれば…。
(普通だな?)
裏は無いな、と至った結論。
日頃から何かと策を巡らすのが小さなブルー。前の生から愛した恋人。
あの手この手でキスを強請ったり、誘惑しようとしてみたり。
だから警戒するのだけれども、両替に裏は無さそうだから。
よし、と頷いて取り出した財布。
中の小銭を確認してから、「どれだけだ?」とブルーに尋ねた。
いくら欲しいのか、両替するのはいくらなんだ、と。
「俺も持ち合わせはそんなに無いが…。少しくらいならな」
「ホント!?」
ブルーは急いで紙幣を一枚持って来た。
文庫本なら一冊買っても、充分にお釣りが来る紙幣。
それを「お願い」と渡されたから…。
「細かい方がいいのか、ブルー?」
「うん。細かいほど、ぼくは嬉しいかも…」
「運が良かったな。このくらいなら細かく出来るぞ」
一枚、二枚と順に数えてブルーに渡した。
「ほら」と、「手を出せ」と。
交換にブルーが寄越した紙幣。
そっちは一枚、財布に仕舞おうとしたのだけれど…。
(なんだか妙に嬉しそうだな?)
あいつ、と見詰めたブルーの顔。
小銭を財布に仕舞うでもなく、手のひらの上でつついている。
一枚、二枚と。
「おい、お前。両替は済んだぞ、早く仕舞ってこい」
財布の中へ、と促したら。
「分かってる。でも、これとこれは特別」
やっぱりぼくたちは運命の恋人、と妙な台詞が飛び出した。
ブルーの口から。
「運命の恋人?」
「そうだよ。見てよ、これとこれ。ほら!」
此処、とブルーが指差すコイン。
特に変わった所も無さそうなのに…。
「分からない?」とブルーが示した刻印。
こっちがぼくの生まれた年で…、とコインが製造された年。
もう一枚はハーレイが生まれた年のだよね、と。
コインのカップル、と微笑んだブルー。
ハーレイがこれを持っていたのは、運命の恋人同士だから、と。
「ほほう…。言われてみればそうかもなあ…」
偶然なんだが、と二枚のコインを見ていたら。
「違うよ、きっと偶然じゃないよ。ホントに運命」
だから運命の記念にキス、とブルーがコインを握り締めたから。
「そういう魂胆で両替なのか!」
騙された俺が馬鹿だった、とコツンと叩いたブルーの頭。
もちろんコインは取り上げたけれど、紙幣も返しておいたけれども。
(あいつに透視が出来るわけがないし…)
本当の所は運命かもな、という気がしないでもない。
偶然コインがカップルになるほど、本当に運命の恋人同士。
けれど、ブルーには言ってやらない。
きっと調子に乗るだろうから。
「じゃあ、キスして」と言うに決まっているのだから…。
両替をお願い・了
(当たり前のことになっちゃったんだ…)
蝶が見られるの、とパチパチと瞬きしたブルー。
ハーレイと過ごした休日の後に、お風呂上がりにパジャマ姿で。
今の自分の小さなお城。
両親と一緒に暮らす家の中、自分だけが使う子供部屋。
其処のベッドにチョコンと座って、思い浮かべた昼間の光景。
庭で一番大きな木の下、お気に入りの白いテーブルと椅子。
ハーレイと二人で腰掛けていたら、生垣をひらりと越えて来た蝶。
ごくごく普通の黄色い蝶で、特に珍しい種類でもなくて。
「蝶が来たな」と思う程度の、庭ならよくあることだったけれど。
ハーレイに言われて気が付いた。
蝶がいるのは、今だからこそ。
前の自分が暮らした船には、蝶の姿は無かったのだ、と。
(シャングリラでは、役に立たなかったから…)
自給自足で生きてゆく船、箱舟だった白いシャングリラ。
必要なものしか育てられない、乗せてはおけなかった船。
(青い鳥だって飼えなかったし…)
前の自分が欲しいと願った、幸せを運ぶ青い鳥。
役に立たないから許可は出なくて、船にいた鳥は鶏だけ。
それと同じに、蝶だって飼えはしなかった。
蜜と花粉を運ぶミツバチ、働き者の優秀な虫。
ミツバチがいれば充分な船で、蝶はミツバチのようにはいかない。
蜜を集めてくれはしなくて、蜂蜜が採れはしないから。
その上、蜜を吸う蝶になるよりも前は、植物の葉を食べるから。
(野菜の葉っぱも、公園の葉っぱも…)
食べてしまって、その見返りは寄越さない。
迷惑なだけの生き物が蝶で、シャングリラに蝶はいなかった。
花が咲いたら蝶が来るのは、今では当たり前のこと。
春になったら舞い始める蝶、秋の終わりまで見られる姿。
家の庭でも、公園でも。
その辺りの道を歩いていたって、蝶はひらりと飛んで来る。
翅を広げて、様々な模様を煌めかせて。
(いろんな蝶がいるもんね?)
翅の模様も、その形も。
大きさだって実に色々、ほんの小さなシジミチョウから、アゲハチョウとかの大きい蝶まで。
今の自分には見慣れた光景、そういった蝶が飛んで来ること。
まるで気付きもしなかった。
前の自分が生きた船には、その光景は無かったのだと。
(…アルテメシアに降りた時には、見てたけど…)
それはソルジャーだった前の自分の特権。
他の仲間には船の中だけが世界の全てで、蝶を見られはしなかった。
白いシャングリラで花が咲いても、蜜を吸うのはミツバチだけ。
ひらひらと舞う蝶は来なくて、花に止まりはしなかった。
花には蝶が似合うのに。
ミツバチなどより、ずっと華やかで絵になる蝶。
けれども、船では蝶は飼えなかったから…。
(いつか地面に降りられたら、って…)
夢を見る者も多かった。
花が咲いたら蝶が来るから、それが見られる世界を、と。
青い地球まで辿り着いたら、広い野原に蝶が飛んでいることだろうと。
その日を夢見て、あの船で生きた仲間たち。
白いシャングリラで、蝶がいない船で。
前の自分は、地球まで辿り着けずに逝った。
シャングリラは地球に着いたけれども、何処にも無かった青い星。
死に絶えたままの星が母なる地球。
蝶は棲めない、どんな生命も生きてゆけない滅びた星が。
(…だけど、今の地球…)
奇跡のように青く蘇った、今の自分が生きている星。
ハーレイと二人で生まれ変わって、また巡り会えた青い地球の上。
其処では当たり前の蝶。
幼い頃から、花が咲いたら蝶が来ていた。
母が育てる庭の花壇に。
遠足やハイキングなどで出掛けた、山や野原にも舞っていた蝶。
(ホントに見慣れちゃってたから…)
今日まで、少しも気付かないまま。
前の自分の記憶を取り戻した後も、「地球に来たんだ」と何度思っても。
花には蝶が来るものだから。
すっかり見慣れた景色だったから。
(でも、シャングリラだと…)
花が咲いてもミツバチだけ、と味気ない船を思い出す。
ミュウの楽園だった箱舟、蝶を飼う余裕は持たなかった船。
青い小鳥も、花から花へと飛んでゆく蝶も、白いシャングリラには余計なもの。
邪魔になるだけ、役に立たない生き物たち。
それは要らない、と切り捨てられた。
楽園という名の船だったのに。
世界の全てでもあった船なのに、無かった余裕。
幸せに生きてゆける船でも、やはり限界はあったから。
皆の暮らしを守るためには、役立つものしか乗せてはゆけなかったから。
あの頃を思えば、今の世界はなんと幸せなのだろう。
当たり前に蝶がいる世界。
「船で飼おう」と育てなくても、蝶は自分の力で育つ。
何処かの木の葉や、野菜に卵を産み付けて。
卵が孵れば、せっせと食べてゆく葉っぱ。
ぐんぐん大きく育った後には、サナギになって眠り続けて…。
(出て来た時には、一人前の蝶…)
翅が乾くまで静かに過ごして、それから空へと飛び立ってゆく。
花の蜜やら、樹液を吸いに。
同じ仲間の蝶を見付けて群れになったり、時には海を越えて行ったり。
そうする間に卵を産み付け、次の世代へと繋がれる命。
また卵から生まれる芋虫、いつか綺麗な蝶になる虫。
(…誰も手なんか貸さなくっても…)
蝶は生まれて、ひらひらと空を飛んでゆく。
花が咲いたら蜜を吸いに来るし、日向ぼっこをしていることも。
前の自分が生きた船では、蝶は見られなかったのに。
花には蝶が似合いそうでも、その蝶は飼えなかったのに。
(…妖精の羽も蝶なんだけどな…)
絵本や挿絵の花の妖精、背中には羽があるけれど。
蝶の翅を持った妖精も多くて、蝶はそのくらい愛された虫。
遠く遥かな昔から。
地球が滅びるよりも前から、蝶は身近な生き物だった。
花には蝶が飛んで来るから、花の妖精にも蝶の翅。
それが一番、似合うから。
花には蝶が似合うのと同じで、花の妖精にも蝶の翅が似合いだったから。
けれど、シャングリラでは飼えなかった蝶。
役に立たない虫を飼うより、ミツバチで充分だった船。
仕方なかったとは、今でも分かる。
青い鳥も蝶も、シャングリラでは飼っていられない。
それよりも前に育てるべきもの、必要なものが幾つも幾つもあったのだから。
(仕方ないよね…)
シャングリラに蝶がいなかったことは。
やっとの思いで辿り着いた地球に、蝶の飛ぶ野原が無かったことは。
そういう時代だったから。
青い地球など無かったのだし、ミュウは生きるのが精一杯。
あれから長い時が流れて、今の自分は地球に生まれた。
当たり前のように蝶を見ていた、それがいなかった船を忘れて。
白いシャングリラで暮らした記憶を取り戻したって、「蝶がいるんだ」と思いもせずに。
(これって、贅沢すぎるかも…)
今の自分が手に入れた世界。
生まれた時から見ていた世界。
此処では蝶が当たり前に飛んで、その地球の上にハーレイと二人。
また巡り会って、恋をしていて、いつかはハーレイと一緒に暮らす。
同じ家に住んで、庭に来る蝶を見るのだろう。
今日の蝶みたいに、庭にふわりと舞い込んだ蝶を。
「蝶が来たよ」と指差したって、きっと自分は忘れている。
蝶がいなかった世界のことを。
前の自分とハーレイが暮らした、白いシャングリラで描いた夢を。
いつかは地球で蝶を見ようと、花には蝶が来るものだから、と。
今では蝶は当たり前すぎて、今日まで気付かなかったから。
思い出しさえしなかったのだし、きっと忘れてしまうのだろう。
蝶がいる世界は素晴らしいのだということを。
地球の恵みで、今だからこそ蝶たちが舞っていることを。
(ハーレイが言ってた、イノシカチョウも…)
忘れちゃうよね、と残念な気持ち。
今日、ハーレイから教わった言葉が「イノシカチョウ」。
花札というゲームで遊ぶ時のことで、それで揃える三枚の札。
イノシシが描かれた札を一枚、それから鹿が描かれた札も。
蝶を描いた札も合わせて揃えば、「イノシカチョウ」の出来上がり。
「今の地球なら揃えられるな」と、ハーレイが笑ったイノシカチョウ。
イノシシも鹿も、山に行ったらいるのだから。
もちろん蝶も飛んでいるから、運が良ければ揃うのだろう。
本物のイノシシと鹿と蝶とで、イノシカチョウが。
(ぼくの家だと、大変なことになっちゃうけれど…)
芝生を掘り起こすらしいイノシシ、木の葉を食べてしまう鹿。
母の自慢の庭はメチャクチャ、父が手入れをしている芝生も。
(…でも、ちょっとだけ…)
見たい気もする、と欲張ってしまうイノシカチョウ。
蝶は当たり前になっているから、地球ならではのイノシカチョウ。
それを見たいと、ハーレイと一緒なら見られそうだと。
(ハーレイ、タイプ・グリーンだもの…)
もしもイノシシが突っ込んで来ても、守って貰えそうだから。
鹿に体当たりをされたとしたって、シールドで守ってくれそうだから。
(…忘れなかったら、見たいんだけどな…)
いつかハーレイと山に出掛けて、と夢を見る。
蝶は今では当たり前だから、イノシカチョウの本物を、と。
イノシシと鹿と蝶の本物がいいと、今の地球なら見られるものね、と…。
蝶が来る今・了
※蝶がいるのは当たり前だ、と思い込んでいたブルー君。忘れ去っていた前の自分のこと。
今の素晴らしさに気付いたついでに、夢見ているのがイノシカチョウ。見たいんでしょうねv
(今では当たり前なんだがなあ…)
気付かなかったな、とハーレイが唇に浮かべた笑み。
ブルーの家へと出掛けて来た日に、夜の書斎で。
愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それも今では当たり前のもの。
コーヒー豆で出来ているのが当然と思っているけれど。
それがコーヒーだと思うけれども…。
(こいつも、昔は違ったんだ…)
前の自分が飲んだコーヒー。
白いシャングリラが出来上がってからは、コーヒー豆はもう無かった。
代わりにキャロブで作ったコーヒー、合成ではなくて代用品。
今ではヘルシー食品のキャロブ、イナゴ豆の実から出来たコーヒー。
(コーヒーの方は気付いたんだが…)
あっちは思いもしなかった、と思い返した今日の光景。
ブルーの家の庭で見た蝶、ひらりと其処に舞い込んで来た。
特に珍しい景色でもなくて、花があったら蝶が来るのは当たり前。
それに、見慣れた黄色い蝶。
今の季節にはよく飛んでいるし、渡りをするような蝶でもない。
海を飛び越えて長い旅をする、アサギマダラならば目を引くけれど。
大きな翅と鮮やかな模様、それに見入ってしまうけれども、何処にでもいる黄色い蝶。
飛んでいるな、と思う程度で、庭の景色の一部分。
道をゆく時に横切られたって、「蝶か」と眺めてそれでおしまい。
わざわざ視線で追いはしないし、飛んで行った先を見詰めもしない。
生垣を越えて庭に入ったなら、「行っちまったな」と思うだけ。
覗き込んでまで見はしない。
ただの黄色い蝶なのだから。
とても珍しい蝶に出会ったと、喜ぶものでもないのだから。
花の季節は蝶がいるのが当たり前。
冬越しをする蝶もいるから、秋の終わりまで飛んでいるもの。
冬の足音が聞こえて来たって、季節外れの暖かな日なら、蝶が舞う。
日差しが明るい場所を選んで、ひらひらと。
咲き残っている花を探して、あるいは日向ぼっこをして。
春が来る時もそれは同じで、まだ雪が積もるような頃。
「今日は冷えるな」と目を覚ましたら、辺り一面が白いような日も…。
(雪が一気に融けちまったら、蝶が飛ぶんだ)
高く昇った太陽が地面を温めたなら。
空気もすっかり暖かくなって、早咲きの花が香り始めたら。
誘われるように舞い始める蝶、温まった翅でふうわりと。
何処かに甘い蜜は無いかと、そろそろ春が来たようだから、と。
(すっかり春になったらだな…)
サナギが孵って、生まれたての蝶が空に飛び立つ。
真新しい翅で、ひらひらと。
花から花へと飛び移りながら、仲間同士で戯れながら。
(そいつがどんどん増えていって、だ…)
夏ともなれば、色とりどりの蝶たちが舞う。
町の中でも、山や林でも。
大きな蝶から目立たないほどの小さな蝶まで、それは沢山。
自然があったら蝶に出会えるし、町の中でも幾らでも。
蝶が喜ぶ花があるなら、吸いたがる蜜があるのなら。
(森に棲むような蝶だって…)
広い公園なら、いたりするもの。
樹液に集まる蝶の類で、それがひらりと飛んでゆく。
今の季節も、蝶は舞うもの。
暑い夏が過ぎて、穏やかな秋。
蝶はいくらでも飛んでいるから、今日だって何の気なしに眺めた。
「蝶が来たな」と。
けれども、不意に掠めた記憶。
前の自分は知らなかったと、こんな景色を見てはいない、と。
(シャングリラに蝶はいなかったんだ…)
コーヒー豆が無かったように、あの船に蝶はいなかった。
ミュウの楽園だった船には、それは必要なかったから。
自給自足で生きてゆく船、白いシャングリラに蝶は要らない。
何の役にも立たないから。
花から花へと蜜を集めに飛び回る虫は、ミツバチがいれば充分だから。
(ミツバチだったら、蜜だけなんだが…)
必要な食べ物は花の蜜だけ、後は巣箱があればいい。
ミツバチが集めた蜜は食べられるし、働き者で役に立つ虫。
けれども、蝶はそうはいかない。
蜜を吸ったら、自分が食べてしまうだけ。
巣箱に運んでゆきはしないし、花粉を運ぶだけの虫。
翅や身体についた花粉を、次の花へと持ってゆくだけ。
(ミツバチとはまるで違うんだ…)
蜜を集めてくれはしなくて、自分の餌にするだけの虫。
おまけに、花から花へと飛んでゆく蝶が出来上がる前は…。
(俺たちも食べる野菜の葉っぱを…)
食っちまうんだ、と顔を顰めた。
芋虫の間は、蝶は葉っぱを食べるから。
野菜を食べない種類の蝶でも、木の葉を食べてしまうから。
役に立たないどころではなくて、迷惑でしかないのが蝶。
翅を手に入れて舞い始めたなら、人の心を和ませるけれど。
とても綺麗だと喜ぶ仲間もいただろうけれど…。
(芋虫の間は、歓迎されんぞ)
野菜を育てる仲間たちには嫌われるだろうし、女性たちも好みそうにない。
歓迎する者がいたとしたなら、ヒルマンくらい。
(子供たちの教材に丁度いい、とな)
芋虫を捕まえてケースで飼育。
「これが育ったら蝶になるから」と、子供たちに書かせる観察日記。
餌の葉っぱも採って来させて、立派な蝶になる日まで。
サナギの間も、きっと見守ることだろう。
「今、動いたのを見ていたかね?」と。
「サナギの間も動くのだよ」と、「よく注意して見ていなさい」と。
白いシャングリラで蝶が役立つなら、子供たちの教材が精一杯。
それ以外では全く役に立たない、大飯食らいの嫌われ者。
野菜の葉っぱを食べてしまうと、公園の木の葉が食べられたと。
あの芋虫を駆除して欲しいと、苦情が来たっておかしくはない。
シャングリラで蝶が増えたなら。
あちこちに卵を産んでいったら、葉っぱがどんどん食べられたなら。
(ミツバチだったら、いくら増えても…)
誰も困りはしないのに。
働き者の虫が増えれば、蜂蜜だって増えるから。
巣箱を開ければ金色の蜜で、それを好きなだけ食べられる。
だから、ミツバチだけが飼われた。
白いシャングリラの役に立つから、働き者の虫だったから。
蝶がいなかったシャングリラ。
公園にどんな花が咲こうが、蝶が舞ってはいなかった。
今では当たり前なのに。
花が咲いたら蝶が来るのに、前の自分は見なかった景色。
白いシャングリラに蝶はいなくて、ブルーと見てはいなかった。
(すっかり忘れちまってた…)
今の自分に慣れてしまって、なんとも思っていなかった景色。
普通だとばかり思っていた蝶、それは自然の恵みだったのに。
青く蘇った地球だからこそ、自分は蝶に出会えるのに。
(…前の俺だって、見てはいたんだ…)
小さなブルーに訊かれたこと。
「前のハーレイは蝶を見たの?」と。
シャングリラに蝶はいなかったけれど、ナスカでは蝶を見たのかと。
「いや」と返した自分だけれども、その他の星。
前のブルーがいなくなった後、地球を目指す途中で降りた星々。
アルテメシアやノアでは見たと答えた。飛んでいるのを見てはいたな、と。
(…確かに蝶には出会ったんだが…)
蝶がいるな、と思っただけ。
此処にはそういう虫がいるのかと、シャングリラとは違うのだな、と。
蝶を美しいと思う心は、とうに持ってはいなかったから。
前のブルーを失くしてしまって、死んでしまっていた魂。
ただ生きていたというだけのことで、蝶がいようが、どうでもいいこと。
もしもブルーが生きていたなら、二人で蝶を眺めたろうに。
「蝶がいますよ」と指差してみせて、「本当だね」とブルーが笑んで。
これが当たり前になったらいいと、二人でミュウの未来を夢見て。
けれど、ブルーはいなかった。
前の自分が蝶を見た時、愛おしい人はもう、何処を探しても…。
(…いなかったんだ…)
蝶と同じで、と胸を過ってゆく痛み。
まるであの日に戻ったかのように。
前のブルーを失くしてしまって、抜け殻になって生きていた日々に。
(…だが、俺は…)
俺はあいつを取り戻したんだ、と今の自分に言い聞かせる。
ブルーと二人で蝶を見たろうと、楽しい話もして来ただろう、と。
(…そうだ、あいつとお茶を飲んでて…)
小さなブルーと蝶を眺めて、思い出話をして来たから。
蝶がいるのが当たり前の世界、其処に二人で生まれ変わったから…。
(いくらでも蝶を見られるってな)
いつかは同じ家で暮らして、庭に来る蝶も、出掛けた先で眺める蝶も。
(前の分まで、たっぷり見ないと…)
蝶がいなかった船で生きていた分、と思うけれども、きっと明日には…。
(忘れちまうんだな)
その有難さを、蝶がいる世界が素晴らしいことを。
今ではそれが当たり前だから。
暖かい季節は、いくらでも蝶を見られるのだから…。
蝶がいる今・了
※今は当たり前に飛んでいる蝶。けれど、シャングリラに蝶はいなかったのです。
ブルー君と二人で蝶を眺めていた庭。幸せな時代になりましたよねv
(宿題、やるの忘れてた…)
忘れちゃってた、と小さなブルーが慌てて出した鞄の中身。
お風呂上がりにパジャマ姿で、アタフタと。
今日、学校で出された宿題。
提出が明日の宿題プリント、数学の分。
(ハーレイが寄ってくれたから…)
話に夢中で、宿題のことは頭から綺麗に消えていた。
部屋で二人でゆっくり話して、その後は両親も一緒の夕食。
食後のお茶も部屋でのんびり、「またな」と帰って行ったハーレイ。
見送った後も幸せ一杯、ゆったり浸かった温かなお風呂。
それから自分の部屋に戻って、「やっていたよね?」と眺めた鞄。
明日の時間割に合わせた中身は、きちんと入れてた筈だったっけ、と。
けれど、何処かが怪しい記憶。
学校から帰って、おやつを食べて、母とダイニングで楽しくお喋り。
たっぷり話して、足取りも軽く戻った部屋。
「これだったっけ」と本棚から出した、母とのお喋りの中で出て来た本。
小さな頃から繰り返し読んだ、お気に入りの一冊だったから。
(机の所に持ってって…)
何度もページをめくり直して、じっくりと読んでいた記憶。
読み直す度に、新鮮な発見があるものだから。
その時々の気分に合わせて、本の見え方も変わってくるから、お気に入り。
せっせと読んで読み返す内に、ハーレイがやって来たわけで…。
(教科書、入れ替えていなかった?)
もしかしたら、と開けた通学鞄の中には、今日の授業で使った教科書。
やっていなかった明日の用意と、数学のノートに挟んだプリント。
(宿題、出てた…!)
明日に出さなきゃいけないのに、と引っ張り出した宿題プリント。
大変だよ、と。
宿題プリントも問題だけれど、明日の授業の用意も必要。
教科書もノートも入れ替えなければ、明日に合わせて。
(えーっと…)
時間割を眺めて、ドキリと跳ねた心臓。
二時間目にあるハーレイの古典、それはとっても嬉しいけれど。
(…教科書、忘れていくトコだった…)
それにノートも、鞄に入れずに。
鞄の中身を確かめようと思わなかったら、そうなっていた。
学校に着いて鞄を開けても、入っていない古典の教科書。
授業の度に張り切って書く、ハーレイの言葉やボードの文字を纏めたノートも。
(教科書は誰かに借りられるけど…)
古典の授業があるだろうクラス、其処へ行ったら手に入る教科書。
誰の教科書も見た目は全く同じなのだし、忘れたことはバレないけれど。
(ノートが問題…)
他の教科のノートを広げて、持っているふりは出来る筈。
けれど、ハーレイが「この前の授業で言ったよな?」とボードをコンと叩いたら。
「ノートに書けと言った筈だぞ」と見回したならば、たちまちピンチ。
誰かに書いて貰うとするかな、と当てる生徒を探すハーレイ。
(他の誰かが当たればいいけど…)
きっとそういう時に限って、呼ばれるのだろう、「ブルー君」と。
(何を書くかは分かるだろうけど…)
思い出せると思うのだけれど、ノートは持って行かねばならない。
それを見ながら、ノートの通りにボードに書くのが、当たった生徒の役目だから。
当然、ハーレイは覗き込むだろう、自分のノートを。
他の教科のノートなのだとバレてしまって、赤っ恥。
「よろしい」と言って貰えても。
よく出来たな、とボードに書いた答えを褒めて貰っても。
とんでもないことになるトコだった、と急いで入れた古典の教科書。
ノートも鞄にしっかりと入れて、「大丈夫だよね」と何度も確認。
危うく、忘れる所だったから。
教科書もノートも持たずに出掛けて、大恥をかく所だったから。
(ハーレイの授業で忘れるだなんて…)
恥ずかしい上に、いたたまれない。
ウッカリ当たって前のボードに書くことになったら、穴があったら入りたいほど。
自分はノートを持っていなくて、別の教科のノートだから。
それを広げて、持っているふりをしていたのだから。
(いろんな意味で、ドキドキすぎるよ…)
明日の用意を忘れてたなんて、と他の教科書も入れ替えてゆく。
それにノートも、必要な分を。
数学の教科書は明日も使うから、そのまま入っているけれど。
(こっちは宿題…)
忘れて行ったらホントに大変、とプリントを掴んで向かった机。
宿題を忘れたことなど無いから、数学の時間に赤っ恥になる所だったよ、と。
(クラスのみんなに笑われちゃって…)
先生には叱られてしまうのだろうか、それとも「次は気を付けて」という注意だろうか。
けれども、きっとそれでは済まない。
先生同士は仲がいいから、ハーレイの耳に入るのだろう。
宿題を忘れて行ったこと。
普段からやっていたのだったら、先生も「またか」と思う程度でおしまいだけれど。
わざわざ話題にしないけれども、宿題を忘れない自分。
それが忘れたら、格好の話題。
ハーレイと何処かでバッタリ会ったら、笑って話してしまうのだろう。
「ブルー君が宿題を忘れましたよ」と、「珍しいこともあるものですね」と。
なにしろ、ハーレイは聖痕を持つ自分の守り役だから。
どの先生でも知っているから、数学の先生がハーレイにバッタリ会ったら、宿題の話。
大恥な上に大ピンチだよ、と机に向かって必死に宿題。
数学のプリントくらいだったら、急げば直ぐに出来るから。
問題を解いて答えを書くだけ、悩まなくても簡単だから。
(古典の宿題じゃなくて良かった…)
そっちだったら、解いてゆくだけでは済まないことも多い宿題。
感想を書いて添えるものとか、生徒の数だけ答えの種類がありそうなタイプ。
ハーレイに「頑張ったんだな」と思って欲しいから、きっと色々考える。
「こう書こうかな?」だとか、「こっちがいい?」とか。
なまじ教師がハーレイなだけに、時間がかかってしまう宿題。
数学のプリントのようにはいかない、サラサラと解いて終わりだなんて。
(これで良し、っと…!)
出来た、と眺めた宿題プリント。
計算間違いをしてはいないかと順に確かめて、無事に完成。
恥をかくのは免れた、と数学のノートにしっかり挟んだ。
明日の授業で「集めます」と言われた時には、サッと素早く取り出せる。
忘れていたなら、真っ青になっていただろうけれど。
数学の時間は一時間目だし、もしも鞄を調べないままで登校したら…。
(授業でノートを出そうとしたら、宿題プリント…)
其処で気付いても、もう遅い。
書き込んでいる時間はまるで無いから、白紙か、せいぜい一つか二つ解いてあるだけ。
(忘れて行くのも恥ずかしいけど…)
そっちも酷い、と情けない気分。
宿題をやるのを忘れていたとバレるだろうし、やっぱりハーレイの耳に入りそう。
「今日のブルー君は…」と、会った途端に話題にされて。
調べて良かった、とパタンと閉じた通学鞄。
普段だったら、用意なんかは早めにやってしまうのに。
ハーレイが寄ってくれた時には、宿題も明日の授業の準備も、すっかり出来ているものなのに。
(学校の生徒は、それが大切…)
宿題も教科書も忘れないこと。
もちろん勉強も大切だけれど、学校に行くなら教科書にノート、宿題だって。
それが生徒の仕事なんだし、と「危なかった」と腰掛けたベッド。
もう少しで忘れる所だったと、大恥をかいて酷い目に、と。
(やっちゃっても、ぼくの責任だけど…)
通学鞄を開けないままで放っておいた自分の責任。
宿題を忘れて出掛けたことも、必要な教科書やノートを忘れて来たことも。
誰にも文句を言えはしなくて、大恥をかいて、笑われて。
(ママのせいでも、ハーレイのせいでも…)
ないんだよね、と零れた溜息。
母と話が弾んだせいで、本に夢中になったのは自分。
其処へハーレイがやって来たから、そのまま忘れていたのも自分。
(ぼくの責任なんだから…)
赤っ恥でも仕方ないよ、とピシャリと叩いた自分の頬っぺた。
「うっかり者め」と、「これに懲りたら、次からはちゃんと」と。
どんなに楽しいことがあっても、まずは学校の生徒の仕事。
明日の授業の用意をすること、宿題もきちんとやっておくこと。
それが済んだら、思い切り楽しいことをする。
本を読むにしても、考え事でも、自分のお城で、好きなだけ。
忘れちゃ駄目、と自分自身に言い聞かせていて気が付いた。
今の自分がすべき仕事は、学校の生徒で…。
(授業の用意をしていくことと、宿題と…)
責任があるのはそれくらい、と見詰めた自分の通学鞄。
あれの中身にさえ責任を持てば、それが全部のようなもの。
学校で授業を受けるためには、鞄の中身が必要だから。
生徒の仕事は学校で勉強、家に帰って宿題と次の日の授業の準備をすることで…。
(…前のぼくのと全然違う…)
責任の中身が違い過ぎるよ、と見開いた瞳。
ミュウの未来は背負っていないし、白いシャングリラを守ってもいない。
通学鞄の中身が全部で、それの責任を背負っているだけ。
なのに自分は忘れかけたから。
ほんのちっぽけな責任というのを、危うく忘れる所だったから。
(前のぼくにも、今のハーレイにも笑われちゃうよ…)
気を付けなくちゃ、と改めて自分に誓ったこと。
「ぼくの責任はしっかりと」と。
前よりもずっと軽いのだから、通学鞄の責任はしっかり、忘れないよう背負うこと、と…。
ぼくの責任・了
※宿題も、古典の教科書とノートも忘れそうになったブルー君。危うく大恥をかく所。
でも、そのお蔭で気付いたようです、今のブルー君が背負う責任。通学鞄の分だけですv
(明日はだな…)
やるべき仕事があれとこれと…、とハーレイが確認してゆく内容。
夜の書斎で、コーヒー片手に。
ブルーの家には寄って来たけれど、今日は平日。
週の半ばで、今週の仕事はまだまだこれから。
明日も仕事で、明後日も仕事。
如何に効率よく進めてゆくかが肝心なことで、しかも仕事が教師なだけに…。
(俺一人の責任だけでは済まないってな)
予定通りに授業が進んでゆかなかったら、生徒が困る。
後から補習という手はあっても、使いたくない教師の奥の手。
(生徒ってヤツは休みたいもんだ)
余計な授業を受けるよりかは、一時間も早く帰りたいもの。
あるいは部活に出掛けるだとか。
本来だったら授業が無い筈の放課後の時間、其処で補習は喜ばない。
(喜ぶヤツがいるとしたなら…)
あいつくらいなものなんだ、と思い浮かべた小さな恋人。
前の生から愛したブルー。
「お前のクラスは今週、補習だ」と言おうものなら、きっと喜ぶ。
いくら「ハーレイ先生」でも。
恋人ではなくて教師の顔でも、会えることには違いないから。
授業を余分に受けられるのだから、大喜びをしそうなブルー。
「今週はハーレイの授業が多い」と。
ただし、自分のクラスでなければ、膨れっ面になるだろうけれど。
「補習があるからハーレイが家に寄ってくれない」と、プンスカ怒っていそうだけれど。
なんとも我儘な小さな恋人、自分のクラス以外の補習は喜ばない。
ついでに自分のクラスの生徒の迷惑だって…。
(少しも考えていないってな)
自分以外は、誰も喜んではいないだなどと。
「ハーレイの授業」で頭が一杯、補習の時間を得した気分で、きっと御機嫌。
他の生徒は「早く帰りたい」と思っているのに。
補習なんかは無くていいから、放課後の自由を寄越してくれと。
(あいつだけしか得をしないのが、補習ってヤツで…)
誰も喜ばないと分かっているから、そういう手段は使わない。
だから授業はきちんと進めて、生徒に迷惑をかけないように。
「俺の都合で遅れちまった」と、「この分は補習で教えるから」と謝らなくて済むように。
それが教師の仕事というもの、他にも色々あるけれど。
学校のことや、会議や研修、柔道部の顧問も、もちろん仕事。
どれだってミスは許されないから、確認することを忘れない。
明日の予定はと、仕事の中身はどうだったかと。
生徒や学校や教師仲間に、迷惑をかけてはならないから。
責任をもって仕事をしてこそ、一人前の教師だから。
(俺の都合でやる補習もマズイし…)
生徒の都合でやる補習。
テストしてみたら酷い成績、そういう生徒は補習の対象。
「お前は残れ」と名指しで残して、放課後に教えるパターンの補習。
それも出来ればやりたくないから、授業のやり方に気を付けて。
居残りで補習を受けた所で、生徒の力は大して伸びない。
「何故、自分だけ」と膨れるだけだし、頭に入りはしないから。
時間を削って教えてやっても、お互い、損をするだけだから。
(俺はブルーの家に寄れる時間が無くなって…)
生徒の方でも放課後の自由が無くなるわけだし、お互いに損。
だから駄目だな、と漏らした苦笑。
遅れていそうな生徒の目星はついているから、授業の時に徹底的に。
「此処が分からないヤツはいるか?」と、自分から問いを投げ掛けて。
分からないなら、もう一度やる、と。
生徒はきっと反応するから、「もう一度だな」と教える内容。
今週の俺の課題はそれだ、と思い浮かべた追加で指導をするクラス。
(でもって、柔道部の方が…)
一つ上のことを教えるべき時期に来ている生徒が、何人か。
技のレベルに合わせて指導をしているけれども、レベルアップをしなければ。
「お前は今日から、こっちの方だ」と練習相手の変更を。
変更するなら、暫くはその子を集中的に指導するべき。
上のレベルでやっていけるか、元のレベルに戻す方がいいか。
(無理をさせてもいかんしなあ…)
生徒は上を目指したがるけれど、無理をしたって伸びない柔道。
身体に合った指導が必要、個性に合わせた練習を。
それが上達するための早道、だからこそ目が離せない。
どの子の何処を伸ばすべきかと、そういう時期に来たかどうかと。
(あいつと、あいつ…)
それから、あいつ、と数えた教え子。
今週の間に決めてやらないとと、週明けに練習相手を変えるとするか、と。
そんなトコだな、と確認を終えた今週の仕事。
週も半ばになっているから、取りこぼしが出て来ないようにと。
うっかりミスでは済まない責任、生徒や学校にかける迷惑。
それでは教師失格だから。
教師でなくても、責任は果たすべきだから。
(どんな仕事でも、同じだってな)
農家だったら、畑の手入れや水やりなどや。
収穫の時期を見極めて世話で、失敗したなら自分も困るし、買う人だって。
海が相手の漁師にしたって、まるで責任無しとはいかない。
「海が荒れたから漁に出られない」というのは良くても、その時に漁をしなかった分。
何処かできちんと取り戻さないと、店から魚が消えて無くなる。
養殖の魚は出回っていても、根強い人気の天然ものが。
「地球の魚はやっぱり違う」と、他の星からの観光客だって喜ぶ魚が。
他の仕事にも責任はつきもの、放り出したら仕事にならない。
(責任を取れる範囲で仕事をしなくちゃな?)
出来もしないのに「やれます」などは言語道断、必ず誰かに迷惑がかかる。
そういうタイプも、特に珍しくはないけれど。
同じ古典の教師にしたって、何人も見ては来たのだけれど。
(普段は人気者なんだがなあ…)
授業の途中で脱線するから、生徒に人気の楽しい教師。
けれども、何処かで補習が必要、そういう時には嫌われる。
「補習は嫌です」と。
もっとも、補習が済んでしまったら、またまた復活する人気。
脱線ばかりの授業は楽しいものだから。
授業と言うより、愉快な話を聞く時間だから。
(俺も幸い、人気はあるが…)
補習をやったら嫌われるな、という自覚はあるから、避けたい補習。
生徒のためにも、自分の時間を作るためにも。
(ブルーしか喜ばない補習じゃなあ…)
話にならん、と果たすべき責任を思ったけれど。
(…待てよ?)
ブルーか、と心に引っ掛かったこと。
前の生から愛した恋人、今は教え子の小さなブルー。
遠く遥かな時の彼方で、ブルーと暮らしたシャングリラ。
あの船でキャプテンだった自分は、今よりもずっと忙しかった。
来る日も来る日もブリッジに行って、舵を握ったり、指示を出したり。
(…今の俺とはまるで違うぞ?)
仕事の中身も違うけれども、責任だって。
もしもキャプテンがミスをしたなら、船の未来が消えかねない。
判断ミスで事故を招いたら、シャングリラは沈むだろうから。
いくらブルーが守ったとしても、自力で飛べなくなったなら。
(船もそうだし…)
乗っていた仲間の生活までが、前の自分にかかっていた。
船の物資は足りているかと、気を配ることもキャプテンの仕事。
食料が充分にあるかどうかも、他の様々な物資にしても。
船の仲間たちが生きてゆくために必要な全て、それを自分が担っていた。
データをチェックし、何か欠けてはいたりしないかと調べたり。
気象に合わせて船の進路を選んだり。
一つ間違えたら、重大な危機を招きかねなかったキャプテンの仕事。
責任の重さがまるで違うと、今の俺とは違い過ぎる、と。
今の自分が失敗したって、生徒に嫌われるだけのこと。
授業の進み具合を読み誤って、補習になって。
理解出来ていない生徒を作ってしまって、その子に補習を言い渡して。
(生徒も損だが、俺も大損…)
ブルーの家に寄る時間が取れずに、ガッカリだろう補習をする日。
両成敗とも言える結末、今の自分は失敗したってその程度。
学校の仕事も、柔道部の指導も、やり損なっても…。
(やり直せるし、謝ってきちんと俺の仕事をしたら…)
何処からも文句は来ないわけだし、いつもの日々が続いてゆく。
船ごと沈んで、それで終わりにはならないから。
仲間たちが飢えに苦しむわけでもないのだから。
(…仕事が変わると、こうも変わるか…)
俺の責任、軽くなっちまった、と肩を竦めた。
こんな程度で責任も何もと、前の俺なら責任と呼びもしないだろうな、と。
(しかしだ、これが今の俺だし…)
あいつにも文句は言わせないぞ、と前の自分を思い浮かべる。
俺には俺の責任ってヤツがあるんだから、と。
仕事をきちんとしないと補習で、ブルーが膨れてしまうんだしな、と。
ブルーだけは今も変わらないから。
誰よりも愛おしい大切な人で、今もブルーが一番だから…。
俺の責任・了
※ハーレイ先生の責任は、古典の教師の仕事の範囲。キャプテンだった頃とは違うのです。
責任とも呼べない代物ですけど、ブルー君と過ごす時間のためには、きちんと仕事v
