(埋蔵金なあ…)
そんなモンがあるわけなかろうが、とハーレイが浮かべた苦笑い。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
今日の学校、ブルーのクラスでの古典の授業。
生徒が退屈し始めたから、そういう時には雑談に限る。
たちまち瞳を輝かせるのが生徒たち。
居眠りかけていた生徒もガバッと身体を起こす勢い、いつだって。
(まったく現金なヤツらだってな)
起きて来るから良しとするが、と思い返した今日の雑談。
たまたま授業は宝物の話、それがメインではないけれど。
主人公が手に入れる金銀財宝、雑談の種には打ってつけのもの。
だから話した埋蔵金。
遠い昔の地球の伝説、この辺りに日本が在った頃。
黄金の国とも呼ばれた小さな島国、其処で本当に採れた金銀。
それを秘かに埋めたというのが伝説の中身、埋めた人物は実に色々。
滅びてしまった支配者一族、あるいは万一に備えて埋めた者たちもいた埋蔵金。
(そいつを掘るのがトレジャーハンター…)
埋蔵金に挑んだ人々、成功した例は無いらしいけれど。
曖昧すぎる歌や古文書、そういったものを頼りに掘るだけ無駄なのだけれど。
それでも挑んだ人がいるから面白い。
深い山の奥で一人暮らしでせっせと掘ったり、グループを組んで挑んだり。
生徒が好きそうなロマンがたっぷり、特に男子は興味津々。
そして訊かれた、「ミュウが残した埋蔵金は無いんですか?」と。
白いシャングリラで生きた初代のミュウたち、彼らは埋めていないのか、と。
ブルーのクラスのムードメーカー、男子の一人が投げ掛けた問い。
よりにもよってミュウの埋蔵金、それは無いのかと来たものだから…。
「いったい何処に埋めるんだ?」と逆に生徒に尋ねてやった。
シャングリラがいたのはアルテメシアの雲海の中か、そうでなければナスカだが、と。
アルテメシアで埋めるのは無理で、ナスカに埋めていたならばパア。
メギドの炎で星ごと壊れて、何処にも残っていない筈だが、と。
途端にあちこちで零れた溜息、憧れた生徒は多かったらしい。
埋蔵金があるのだったら、掘りたいと。
いつか伝説を解き明かしたいと、ミュウの財宝を掘り当てたいと。
(…どいつもこいつも…)
その前に俺の授業を聞けよ、と呆れ顔で叩いた教室の前にあるボード。
古典の授業も理解出来ないような頭で、埋蔵金が掘れるかと。
謎かけのような歌や古文書、そいつを読めはしないだろうな、と。
「授業に戻る」とクルリと背中を向けたけれども、ふと目が合った小さなブルー。
赤い瞳が笑っていた。
「あるわけないよね」と可笑しそうに。
ブルーは喋っていないのだけれど、思念も飛んでは来なかったけれど。
瞳だけで分かった、小さなブルーが言いたいこと。
「ぼくもハーレイも知っているよね」と、「だって、自分が見たんだものね」と。
埋蔵金など埋めていないということを。
遠く遥かな時の彼方で、共に暮らしたシャングリラ。
あの船でやってはいなかったと。
誰一人として埋めていないし、アルテメシアにもナスカにも無いと。
(…ナスカじゃ、あいつは眠ってたんだが…)
もしも埋めたら、必ず報告していただろう。
ナスカでブルーが目覚めた後に。
大混乱の真っ最中でも、ブルーは確かに初代のソルジャーだったのだから。
(埋蔵金を埋めるも何も…)
シャングリラに財宝なんぞは無いぞ、と自分だからこそ言い切れる。
船を纏めたキャプテン・ハーレイ、それが自分の前世だから。
ブルーと出会って記憶が戻って、今ではすっかり元通りだから。
(忘れちまった記憶も多いが…)
生まれ変わる時に落として来たのか、元々覚えていなかったのか。
あまりに長く生きていたから、忘れ果てたことも多い筈。
けれど大切だったことは忘れていないし、今でも直ぐにポンと出てくる。
埋蔵金を埋めていたのか、埋めなかったか。
そもそも財宝を持っていたのか、そんな代物は無かったのかも。
(あの船は、ミュウの箱舟ってヤツで…)
名前通りにシャングリラ。
ミュウの仲間が暮らす楽園、それがシャングリラの全て。
贅沢な物などありはしないし、もちろん財宝だって無い。
白いシャングリラに「宝物」と呼べる何かが、それがあったと言うのなら…。
(…船の仲間の命だってな)
アルタミラからの脱出組に加えて、アルテメシアで救出された者たち。
誰もが拾った大切な命、本当だったら失くす所を。
シャングリラという船が無ければ、たちどころに消えるミュウたちの命。
あの時代には、ミュウは追われる者だったから。
人類の中から生まれる異分子、人ではないとされていたから。
発見されたら処分されるか、研究施設に送られるか。
どちらにしたって失くすのが命、虫けらのように撃ち殺されて。
繰り返される人体実験、その末に命が尽きてしまって。
そうならないよう、皆を守った白い船。
ミュウの箱舟、シャングリラ。
金銀財宝を乗せる代わりに、かけがえのない命を幾つも乗せて飛んでいた船、空を、宇宙を。
前の自分が舵を握って、前のブルーが守り続けて。
あれはああいう船だったんだ、と懐かしく思い出すけれど。
宝物は皆の命だったと思うけれども、中でも一番大切だった宝物。
どんな財宝にも代え難いもの、それを自分は持っていた。
赤く煌めく二つの宝玉、前のブルーの澄み切った瞳。
気高く美しかった前のブルーがそっくりそのまま、前の自分の宝物。
何よりも大事で守りたいもの、命に代えても守ると誓ったブルーの命。
けれど自分は失くしてしまった、前のブルーを。
宝物だったブルーを失くして、独りぼっちになってしまった。
(…他のヤツらじゃ駄目だったんだ…)
シャングリラに幾つ宝があっても、大勢の仲間の命を守って地球への道を進んでいても。
ミュウの未来が開けてゆくのを、自分自身の目で見ていても。
大切だったブルーを失くして、宝物も失くしてしまったから。
行く先々の星で、宇宙で、多くのミュウを解放したって、ブルーは戻って来ないから。
(俺の宝は、前のあいつで…)
それ以外の宝は、あっても無いのと同じこと。
金銀宝玉を山と積まれても、シャングリラで暮らすミュウの命には代えられない。
そのミュウたちの命が幾つあっても、前のブルーには敵わない。
愛した人はブルーだから。
ブルーと一緒に生きていたから、満ち足りていたのが自分の人生。
いつまでも、何処までもブルーと共に。
そう誓ったのに、手から零れた宝物。
前のブルーは腕の中からすり抜けて行った、死へと向かって。
二度と戻れない死が待つメギドへ、別れの言葉もキスの一つも残さないままで。
(前の俺は、あいつを失くしちまって…)
消えてしまった宝物。
失くした宝は取り戻せなくて、ただ死ぬ日だけを夢見て生きた。
死ねばブルーを追ってゆけると、いつか地球まで行けたらきっと、と。
(でもって、俺は死んだわけだが…)
地球の地の底、降って来た瓦礫。
これで終わりだと軽くなった心、ブルーの許へと飛んでゆこうと。
なのに気付けば青い地球の上、小さなブルーが目の前にいた。
失くした筈の宝物が。
とうに命は無い筈のブルー、けれども生きているブルー。
子供になってしまったけれど。
初めて出会った頃と同じに、少年のブルーなのだけど。
(…それでも、あいつは俺の宝物で…)
今度は失くしはしないからな、と教室で会ったブルーを想う。
ブルーの家には寄れなかったけれど、宝物のブルーは生きているから。
今度こそ守って生きてゆくから、ブルーが自分の宝物。
前と同じに、今の生でも。
どんな財宝を積み上げられても、ブルーという名の宝物には、けして敵いはしないのだから…。
宝物のあいつ・了
※財宝なんかは持っていなかったシャングリラのミュウたち、ハーレイの宝物は前のブルー。
そして今でもハーレイ先生の宝物はチビのブルー君。きっと大切にするのでしょうねv
(ハーレイのケチ!)
今日もやっぱり断られたし、と小さなブルーが尖らせた唇。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日はハーレイに会えたのだけれど、家を訪ねて来てくれたけれど。
(キスは駄目だ、って…)
お決まりの文句を貰ってしまった。
唇にキスを貰う代わりに、「駄目だ」と叱られて小突かれた額。
「俺は子供にキスはしないと言ったよな?」と睨まれて。
前と同じ背丈に育たない内は、キスは額と頬にだけだ、と。
(ハーレイ、ホントにケチなんだから…)
キスをしたって、唇が減りはしないのに。
幸せな気持ちになれる筈なのに、いつも断られてばかり。
今日もプウッと膨れたけれども、ハーレイは知らん顔だった。
「勝手に膨れていろ」とばかりに、のんびり紅茶を飲んでいただけ。
プンスカ怒ってやったのに。
恋人がプウッと膨れているのに、まるで知らない顔のハーレイ。
(お詫びのキスも無いんだから…!)
前のハーレイなら、ちゃんとキスしてくれたのに。
膨れっ面なんかしなくても。
「すまん」と唇にくれていたキス、お詫びのキス。
ブリッジでの仕事が忙しすぎて、青の間に来るのが遅れた日とか。
ゼルやヒルマンと酒を飲みながら話し込んでいて、すっかり遅刻した日とか。
いつも貰えた、お詫びのキス。
けれど今では、それもくれない。
自分がプウッと膨れても。
恋人の機嫌を損ねてしまって、「ケチ!」と睨み付けられても。
本当にケチな今のハーレイ。
キスをしたって、減らない唇。
なのに、お詫びのキスさえしない。
なんとも酷くてケチな恋人、こんな夜には、ほんのちょっぴり…。
(猫になりたくなっちゃうよ…)
ハーレイの家で飼って貰える猫に。
前にハーレイに、「猫になりたい」と本気で言ったことがあったほど。
自分が猫なら、キスだってして貰えるから。
ハーレイと同じベッドで眠って、一緒に暮らしてゆけるから。
生まれたばかりのチビの子猫でも、ハーレイに見付けて貰えたら。
「俺のブルーだ」と、ハーレイが気付いてくれたなら。
もう早速に連れて帰って、飼って貰えるだろう猫。
キスを貰って、おやつも貰えて、眠る時にもハーレイと一緒。
(…猫は駄目だ、って言われちゃったけど…)
いくら幸せに暮らしていたって、猫の寿命は長くない。
長生きしたって、二十年ほどでお別れだから。
またハーレイを置いてゆくから、猫は駄目だと分かったけれど。
猫になっていたら、前の自分と全く同じに、ハーレイを泣かせてしまうけれども…。
(ハーレイが猫のぼくを失くしちゃっても…)
次のぼくを見付ければいいじゃない、と我儘なことを思ってしまう。
キスもくれないケチな恋人、だったらハーレイも頑張ればいい。
猫の自分を失くしてしまって、次の生まれ変わりを探し回って。
(…猫のぼくなら、キスは山ほど…)
子猫の時から貰えるだろうし、ちょっぴり猫になりたい気分。
駄目だと分かっているけれど。
またハーレイを置いてゆくから、きっと悲しませてしまうから。
そうは思っても、魅力的な猫。
自分が猫に生まれていたなら、キスを貰えて、一緒に暮らして、一緒に眠って。
(ぼくが猫なら、とっくの昔に…)
ハーレイとキスして、ハーレイのペット。
そっちがいいな、と欲張りな我儘、ケチのハーレイも猫には甘そうだから。
仕事が済んだらいそいそ帰って、せっせと世話してくれそうだから。
(猫だと、お喋り出来ないけれど…)
それでも気持ちは通じるだろうし、きっと幸せな恋人同士。
ハーレイに毛皮を撫でて貰って、「食べるか?」と美味しいおやつも貰って。
膝の上で丸くなって眠って、夜はハーレイのベッドに入って。
(幸せだよね…)
猫だったなら、と考える。
何処かでハーレイに見付けて貰って、記憶が戻って、恋人同士。
(猫のお母さんが、「まだチビだから」って止めたって…)
まるで気にしないで、ハーレイと一緒に行くのだろう。
兄弟猫にも、お母さん猫にも、「さよなら」と元気にミャーミャー鳴いて。
「ぼくはハーレイと暮らすんだから」と、本当に幸せ一杯で。
ハーレイの家に着いた時には、眠っているかもしれないけれど。
次の日の朝に目が覚めた時は、「誰もいないよ」と泣いてしまうかもしれないけれど。
ママもいないし、お兄ちゃんたちも、と。
(でも、ハーレイが撫でてくれたら…)
直ぐに泣き止んで、きっと幸せ。
うんと甘えて、ハーレイに身体をすり寄せて。
ハーレイの手や顔をペロペロと舐めて、「キスをちょうだい」とお強請りして。
そうしたら、チュッと貰えるキス。
チビの子猫でも、唇に。
「俺のブルーだ」と抱き締めて貰って、唇にキス。
幾つも、幾つも、幸せなキス。
甘くて優しい、ハーレイのキスを貰い放題、自分がチビの猫だったなら。
そっちの方が幸せだよね、と欲張ってしまう我儘な自分。
ケチなハーレイに「キスは駄目だ」と言われたから。
チビの自分は、チビの子猫でも貰えそうなキスが貰えないから。
(猫のぼくでも、ハーレイは見付けてくれるんだから…)
そして一緒に暮らすんだから、と思ったけれど。
猫でもいいや、と考えたけれど、不意に頭を掠めたこと。
自分が猫なら幸せだけれど、逆だったならば、どうしよう…?
(…ぼくが猫とは限らないよね…?)
前にハーレイが言ってくれたこと。
「どんな姿でも、俺はお前を好きになる」と。
猫でも、小鳥でも、人間の姿をしていなくても。
ハーレイはきっと見付けてくれるし、自分に恋をしてくれるけれど…。
(…ぼくが人間で、ハーレイが猫ならどうするの?)
学校の帰りにバッタリ出会った子猫のハーレイ。
何処かの家で生まれた子猫で、飼い主募集で、家の前に小さな籠が置かれて…。
(お母さん猫と、猫のハーレイと、兄弟猫と…)
全部が揃って自分を見上げて、ミャーミャー鳴いていたならば。
其処で記憶が戻って来たなら、猫のハーレイをどうしよう…?
(…ハーレイなんだ、って分かるだろうけど…)
迷わずに抱き上げられるだろうか、「一緒においで」と。
「ぼくと帰ろう」と、「今日から一緒」と。
側で見ているだろう飼い主、その人に「飼います」と名乗りを上げて。
しっかり抱き締めて帰れるだろうか、チビの子猫のハーレイを…?
(…凄くヘンテコな模様の猫でも…)
ハーレイなのだし、気にしないけれど。
素敵な毛皮の兄弟猫より、断然、ハーレイがいいのだけれど。
(…ママに訊かなきゃ…)
連れて帰れない子猫のハーレイ。
勝手に貰って帰ったならば、母だって、きっと困るだろうから。
(この子、残しておいて下さい、って…)
猫のハーレイを連れて帰るには、飼い主に頼む所から。
急いで家に走って帰って、「飼ってもいい?」と母に尋ねて、お許しが出たら…。
(ハーレイを貰いに戻って行って…)
抱っこして家に帰るのだけれど、そのハーレイ。
前の自分が恋をした人で、また巡り会えた愛おしい人。
ヘンテコな模様をしている猫でも、まだまだ小さいチビの猫でも。
(キスは出来るけど…)
猫のハーレイは「キスは駄目だ」と叱りはしないし、一緒のベッドで眠れるけれど。
家にいる時はいつでも一緒で、好きなだけ撫でてあげられるけれど。
(…猫のハーレイは、猫だから…)
ギュッと抱き締めては貰えない。
自分がハーレイを抱き締める方で、ハーレイに甘えられる方。
ハーレイがチビの子猫の間は、どう考えても自分が保護者。
立派に育って大人になっても、やっぱりハーレイは猫のまま。
広い背中も、逞しい胸も、大きな手だって、猫のハーレイは持ってはいない。
どんなに抱き締めて欲しい時にも、ハーレイは舐めてくれるだけ。
「大丈夫か?」と声で、思念で訊いてくれる代わりに、「側にいるから」とペロペロと。
元気のない自分の手を舐めてくれて、「元気出せよ」と。
(…そんなの、悲しい…)
ハーレイは側にいるというのに、あの優しい手が無いなんて。
広くて暖かい胸の代わりに、しなやかな毛皮があるなんて。
「寂しいよ」とギュッと抱き締めても、抱き締め返してくれないハーレイ。
ただペロペロと舐めてくれるだけで、心配そうに見詰めてくれるだけ。
人間ではなくて猫だから。
どんなに心が通い合っても、恋人同士でも、ハーレイは猫。
広い背中も、逞しい胸も、大きな手も持っていない猫。
ハーレイのことが好きなのに。
誰よりも愛して、愛し続けて、もう一度巡り会えたのに。
どんなハーレイでも好きになるけれど、きっと自分は恋するけれど。
ヘンテコな模様の猫になっていても、やっぱり恋をするけれど。
(…ハーレイみたいに、自信たっぷりには言えないかも…)
どんな姿でも好きになる、とは。
現に自分は困っているから、「ハーレイが猫なら、どうしよう」と。
好きになっても、ハーレイが猫なら、きっと寂しくなってしまうから。
(前のハーレイと同じだったら、って…)
どうしてハーレイは猫なのだろうと、人間の姿で会えなかったのだろうと、何度も悲しむ。
あの強い腕があればいいのにと、広い背中が欲しかったと。
(…ぼくって、駄目かも…)
ケチのハーレイに敵わないかも、と零れる溜息。
「どんな君でも好きになるよ」と、言ってみたって駄目らしいから。
キスもくれないケチのハーレイでも、抱き締めてくれる強い腕。
それから広くて逞しい胸、広い背中も、大きな手だって、揃っていないと駄目らしいから…。
どんな君でも・了
※自分が猫になるのは良くても、ハーレイ先生が猫になったら困ってしまうブルー君。
「どんな君でも好きになるよ」と自信たっぷりに言えない所が、正直で可愛い所ですv
(今日も見事に膨れてたってな)
そりゃあ見事に、とハーレイがクッと漏らした笑い。
ブルーの家へと出掛けて来た日の夜、いつもの書斎で。
マグカップに淹れたコーヒー片手に、クックッと。
(何度言ったら分かるんだか…)
あのチビは、と小さなブルーを思い出す。
キスを強請って来たブルー。
何度も「駄目だ」と叱っているのに、唇へのキスを。
(子供のくせに…)
十四歳にしかならないブルーは、まだ子供。
恋人同士のキスを交わすには早すぎるから、唇にキスは贈らない。
頬と額だけ、そう決めたのに。
前のブルーと同じ背丈に育つまでは、と何度も言って聞かせているのに…。
(懲りないってトコが子供なんだ)
それに、断られたら「ケチ!」と怒り出すことも。
プウッと膨れてしまうのも。
きちんと育った大人だったら、あんな風には膨れない。
同じようにキスを断られたって、膨れる代わりに大粒の涙。
いったい何がいけなかったかと、嫌われるようなことをしたのかと。
(そっちだったら、俺だって…)
懸命に慰めにかかるだろう。
キスが出来ない理由を話して、零れる涙を拭ってやって。
(…俺が風邪でも引いているとか、そういうのだな)
育ったブルーとキスをしないなら、理由は多分、その程度。
風邪は滅多に引かないけれども、引いたとしたって軽いけれども。
前と同じに育ったブルーにキスをしないなら、風邪くらい。
うつしてしまうと大変だから、と。
けれどブルーは知らずに強請って、勝手に泣き出しそうだから。
「ぼくを嫌いになってしまった?」と大粒の涙を零しそうだから、愛おしい。
きっと抱き締めてしまうだろう。
「すまん」と、「俺が悪かったよな」と。
育ったブルーに泣かれたら。赤い瞳から、真珠の涙が零れたら。
(…あいつが一人前の恋人だったら、そうなるんだが…)
生憎と小さなブルーは子供。
真珠の涙を零す代わりに、プウッと膨らませてしまう頬っぺた。
「ハーレイのケチ!」とプンスカと。
唇を尖らせて、プンプンと。
(まるでフグみたいになっちまうんだ)
そういや、前に…、とプッと吹き出す。
キスを狙って悪だくみをしたブルーの頬を、両手で潰してやった時。
(…ハコフグって呼んでやったんだっけな)
その日は一日、小さなブルーをハコフグと呼んだ。
膨れた頬っぺたをギュッと潰したら、ハコフグになったものだから。
海の中で出会ったハコフグの姿、それが重なったものだから。
(今日のあいつも、見事なフグだぞ)
フグと呼ぶのを忘れちまったが、と膨れっ面のブルーを想う。
そう呼んだならば、もっと膨れてしまいそうだけれど。
「酷い!」と怒って、唇をもっと尖らせて。
ますますフグに似てしまうのに。
膨れっ面になればなるほど、フグそっくりの顔になるのに。
(今のあいつは、フグでハコフグ…)
そんなトコだ、と本物のフグとブルーの顔を重ねてみる。
フグにしては可愛すぎるだろうかと、赤い瞳のフグもいないな、と。
(でもまあ、あいつにはフグが似合いで…)
次に膨れたら「フグ」と呼ぶか、と考えていたら、ヒョイと頭に浮かんだ水槽。
本物のフグが泳ぐ水槽、水族館などで何度も目にした。
あの中にブルーが泳いでいたなら、自分はブルーに気付くだろうか?
膨れっ面のブルーではなくて、本物のフグの姿のブルー。
目の前をスイスイ泳いでゆくだけ、赤い瞳もしていないブルー。
(…分かるのか、俺は?)
ガラスで隔てられた向こうにブルーがいると。
前の生から愛した恋人、愛おしい人が其処にいるのだと。
(…フグになっても…)
分かるのだろうか、ブルーを見分けられるだろうか。
フグに聖痕がありはしないし、第一、フグは喋らない。
思念波だって持ってはいなくて、水槽の中を黙って泳いでいるだけで…。
(それでも、俺は…)
きっと分かる、という気がした。
ブルーの方でも、きっと気付いてくれるだろう。
水槽の前に張り付いていたら、泳ぐブルーを見詰めていたら。
(ガラスをコツンと叩かなくても…)
こちらに泳いで来てくれる。
フグの瞳は、赤い瞳ではないけれど。
前のブルーとフグは少しも似ていないけれど、それでもブルー。
きっと自分は捕まるのだろう、水槽の中を泳ぐブルーに。
本物のフグに生まれ変わったブルーでも。
違いないな、と自分でも分かる。
ブルーがどんな姿になっても、きっと出会えるだろうから。
見付けて、記憶を全て取り戻して、ブルーに恋をする筈だから。
たとえブルーがフグになっても、水族館の水槽越しに出会っても。
(はてさて、ブルーがフグの場合は…)
どうしたもんか、と想像してみるブルーとの恋。
いくらブルーが気付いてくれても、人間とフグの恋となったら…。
(障害ってヤツが山ほどで…)
チビのブルーとは比較にならん、と簡単に分かってしまうこと。
住んでいる世界が違うから。
ブルーは水の世界の住人、自分は水の中では息が全く出来ない人間。
ほんの短い逢瀬だったら、水の世界で会えるけれども…。
(…俺が潜っていられる間だけしか…)
ブルーの側にはいられない。
シールドを使えば長く潜っていられるとしても、それではブルーに触れられない。
自分の周りに閉じ込めた空気、それが間に挟まるから。
(それに、シールドが無かったとしても…)
フグのブルーに触れられる時間は僅かなもの。
人間と魚の体温は違って、長い間、抱き締めていたならば…。
(…ブルーが火傷をしちまうんだ…)
そして弱って、きっと長くは生きられない。
迂闊にキスも贈れはしないし、触れ合うことも難しいブルー。
(水槽の中に潜るのだって…)
許可が出るのか、それも怪しい。
ただの客だし、職員などではないわけだから。
(ブルーを貰って帰るのも…)
難しいだろうし、貰えたとしても上手に世話が出来るのかどうか。
金魚だったらマシだけれども、フグなのだから。
フグを飼うのは、素人の自分には無理だろう。
海水を入れた水槽は用意出来たとしたって、その後のこと。
水族館の職員のようにフグの飼育のプロではないから、日に日に弱ってゆきそうなブルー。
(それでも、あいつは…)
きっと文句を言いもしないで、幸せそうに泳ぐのだろう。
水族館でしか会えなかった頃より、ずっと嬉しそうに、幸せそうに。
やっと一緒に暮らせるのだと、もう離れなくて済むのだからと。
(…どんなに弱っちまっても…)
ろくに泳げなくなってしまっても、ブルーはきっと水族館には帰らない。
「お前にはあそこの方がいいんだ」と言い聞かせたって、連れて行こうと用意したって。
フグは言葉を喋れないけれど、それでもブルーの気持ちは分かる。
「ぼくはこのまま、此処にいたいよ」と、「水族館には戻りたくない」と。
弱り切って命が尽きる時にも、静かに眠りに就きそうなブルー。
「幸せだったよ」と言うように。
「水族館にいた時より、ずっと幸せ」と、「ハーレイに会えて嬉しかった」と。
水族館から連れ出したのは、弱らせたのは自分なのに。
あのまま水槽で泳いでいたなら、もっと寿命があっただろうに。
(…それでも、あいつは満足なんだ…)
それに自分も、悔やみながらも、涙を幾つも零しながらも、何処かで満足しているのだろう。
ブルーに巡り会えたから。
ほんの短い間だけでも、ブルーと一緒に暮らせたから。
水の世界と、水の外の世界に隔てられても。
フグのブルーが暮らす世界と、自分の世界が重ならなくても。
(…会えただけでも、幸せなんだ…)
もう一度ブルーと恋が出来たら、それだけで。
フグのブルーの命が尽きても、その日が来るまでに重ねた思い出。
また会えたのだと弾んだ心や、一緒に暮らそうとブルーを連れて帰った日やら。
幸せな恋の日々を生きたし、ブルーも幸せだったのだから。
(…うん、フグのあいつでも恋は出来るな)
どんなあいつでも恋は出来る、と揺らがないブルーへの想い。
たとえフグでも、二人の世界が重ならなくても、恋は出来ると。
きっと出会って恋をするのだと、何処までもブルーを追ってゆけると。
フグのブルーがいなくなったら、次のブルーを見付け出す。
何処かに生まれ変わったブルーを、前の生から愛し続けてやまない人を。
(…小鳥だろうが、またフグだろうが…)
ブルーを見付けて恋をするけれど、幸せに過ごしてゆけそうだけれど。
(今のあいつが一番だってな)
前と同じに恋が出来るし、何の障害も無いわけだし…、と浮かべる笑み。
膨れっ面のフグだけれども、小さなブルーは人間だから。
どんなブルーでも恋をするけれど、人間同士の恋が一番、幸せになれる筈だから…。
どんなあいつでも・了
※ブルー君がフグだとしたって、恋をするのがハーレイ先生。水族館のガラス越しでも。
どんな姿でも恋して大切にするでしょうけど、今のブルー君が一番ですよねv
(えーっと…)
目が覚めちゃった、と小さなブルーが見上げた天井。
部屋の明かりは常夜灯だけ、もちろん窓の外も真っ暗。
けれど、ぽっかり目が覚めた。
何かのはずみに、夜更けの部屋で。
(怖い夢は見てないんだけれど…)
メギドの悪夢を見てはいないし、何かに追われる夢だって。
多分、夢など見ずに眠っていた筈なのに…。
(起きちゃった…)
今は何時、と伸ばした手。
枕元に置いた目覚まし時計を手に取ってみたら、本当に夜中。
夜が明けるには早すぎる時間、まだまだ続く真っ暗な夜。
(お月様や星は、あるだろうけど…)
窓のカーテンを開けてみたなら、庭園灯や街灯も見えるだろうけれど。
そういう光も全部闇の中、周りをぼうっと照らすだけ。
まるで漆黒の宇宙空間、そんな感じがするのだろう。
宇宙に庭は無いけれど。
表の通りも、向かい側の家も、宇宙には存在しないのだけれど。
(地球も宇宙の一部なんだし…)
宇宙にも庭はあるのかも、と考え方を変えてみる。
庭も表の通りも宇宙、と。
向かい側の家も、この町だって、と。
そう考えたら面白い。
何も無い筈の宇宙に沢山、色々なもの。
庭があったり、道路があったり、街灯が幾つも並んでいたり。
暗い間に家を抜け出して散歩している、猫がトコトコ歩いていたり。
そんな宇宙も素敵だよね、と広がる夢。
何処までも広がる漆黒の宇宙、其処に家やら道路やら。
庭も幾つも、それに街灯。
勝手気ままに歩く猫たち、しなやかな尻尾を誇らしげに立てて。
(…宇宙船が来たら、よけるんだよね?)
暗い宇宙を散歩する猫。
ぶつからないよう、大急ぎで。
宇宙船のライトが見えて来たなら、邪魔にならない方向へ。
(通りすぎたら、また戻って来て…)
散歩の続き、と想像してみる。
宇宙船は行ってしまったから、と我が物顔で。
もう大丈夫と、ツンと澄ました顔で。
(今の時代なら、ホントにありそう…)
漆黒の宇宙を散歩する猫も、宇宙に並ぶ街灯も。
庭も道路も、人が住んでいる家だって。
(今の宇宙は、夢が一杯…)
どんな夢を見るのも、夢を描くのも。
技術的に可能かどうかはともかく、夢を見るのは本当に自由。
誰もが好きな夢を見られる、そういう時代。
猫がトコトコ横切る宇宙も、家や街灯が並ぶ宇宙も。
(みんな、好きなように夢が見られて…)
それを実現させたくなって、頑張るのもまた自由な時代。
宇宙に家を建ててみようとか、庭を作ってみようとか。
街灯を幾つも並べたいとか、宇宙を散歩できる猫が欲しいとか。
(…宇宙をトコトコ歩ける猫って…)
猫の世界のタイプ・ブルーかも、とクスッと笑う。
そういう猫なら平気だよねと、宇宙だってきっと歩ける筈、と。
今は幾らでも見られる夢。
想像の翼を広げて飛ぶのも、実現に向かって努力するのも。
誰も咎めに来たりしないし、却って褒めて貰えるくらい。
夢は大きい方がいいから、その方が楽しい毎日だから。
「それ、無理だろ?」と友達が呆れるような夢でも、笑われそうな夢を抱えていても。
呆れられて、笑われて、たったそれだけ。
猫が散歩をしている宇宙も、庭や街灯が散らばる宇宙も。
(…でも、今だから…)
今の時代から、夢を自由に描けるだけ。
実現しようと努力したって叱られないのも、今だから。
前は違った、と前の自分が生きた時代を思い出す。
機械が支配していた世界。
何もかも機械が決めてしまった、あの忌まわしい時代のことを。
(生まれた時から、全部、機械が…)
決めて育てていた人間。
生まれる前からと言ってもいいかもしれない、機械が選んでいたのだから。
どう組み合わせるか、命が生まれる前の時点で。
細胞分裂が始まる前から、交配して命が芽生える前から。
(みんな、人工子宮で育って…)
育った後には、選ばれた養父母。
この子供は此処、と機械が決めて配った。
そうして育って自我が芽生えたら、今度は教育。
夢を持つのは自由だけれども、あまりにも自由に描きすぎたら…。
(…危険思想だ、って…)
そう見做されたら、待っているのは深層心理検査など。
危険とされない夢にしたって、実現しようと思ったら…。
(それが出来るコースに行かないと…)
研究させても貰えないまま。
一般市民に振り分けられたり、違う分野が向いているからと回されたり。
夢も見られない時代だっけ、と零れる溜息。
前の自分は其処から外れて、転げ落ちたから描けた夢。
子供時代の記憶をすっかり失くしてしまって、生きる権利も失くしたけれど。
ミュウと判断された途端に、全部失くしてしまったけれども…。
(…機械は追い掛けて来なかったんだよ…)
社会から弾き出された後は。
繰り返された人体実験の末に、星ごと滅ぼされそうになった後には。
燃えるアルタミラから逃げ出した船を、機械は追って来なかった。
ミュウが逃げるとは、機械は思っていなかったから。
星ごと消えたと信じていたから、船と一緒に自由になれた。
制約付きの生活でも。
船の中だけが世界の全てで、踏みしめる地面を持たなくても。
(地球に行きたい、って考えるのも…)
自由だったし、ミュウの未来を思い描くのも自由。
もしも人類がそれをしたなら、たちまち機械の餌食だったろうに。
不適切な夢は、記憶と一緒に処理されて。
相応しくないと思われた夢は、無かったことにされてしまって。
(人類は記憶を、消したり、植えたり…)
機械の意のままに翻弄されていた時代。
子供はもちろん、大人だって。
機械にとっては、人間はただの道具だから。
世界を構成するコマの一つで、いくらでも取り替えられたから。
個人の記憶も、持っている夢も。
場合によってはコマの置き場所も、どういう具合に配置するかも。
(…サムも、スウェナも…)
ジョミーの友達だというだけのことで、その後の進路が決まってしまった。
機械が勝手に選んで、決めて。
彼らの夢など、まるで考えないままで。
そういう時代に、前の自分は自由に生きた。
好きなように夢を描いていられた、社会から弾き出されたから。
失くした生きる権利の代わりに、夢を描ける世界を貰った。
(…きっと、幸せだったんだ…)
前の自分が思った以上に、幸せな時を生きたのだろう。
機械に人生を支配されずに、幾つもの大きな夢を描いて。
今の時代は、それが普通の世界だけれど。
宇宙をトコトコ歩いてゆく猫、それを夢見るのも自由だけれど。
(前のぼくも、幸せだったけど…)
今度のぼくは、もっと幸せ、と振り返った自分が描いていた夢。
漆黒の宇宙に庭が幾つも、街灯が並んで、散歩する猫も。
素敵だと思った宇宙の光景、今の時代なら本当に何処かにあるかもしれない。
今の自分が生きる世界は、お伽話の世界だから。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が夢に見た世界。
きっといつかはミュウの時代をと、平和な青い地球が欲しいと。
(前のぼくの夢…)
それをそっくり叶えた世界が、今の自分がいる世界。
ハーレイとの恋も、今度は誰にも隠さなくていい。
結婚出来る年になったら、二人で暮らせる時が来たなら。
(ホントのホントに、夢の世界で…)
血の繋がった両親までがついて来た。
其処までの夢は、前の自分は思い描いていなかったのに。
思い付きさえしなかったのに。
(夢よりも、ずっと素敵な世界で…)
けれど、本物の青い地球。
今の自分が生きている世界、お伽話よりも素晴らしい世界。
其処に自分は来られたのだから、宇宙を歩く猫だって。
漆黒の宇宙に並ぶ街灯、それだって、今なら、今の世界なら…。
(ホントに何処かにあるのかもね?)
でなければ、これから出来るとか。
前の自分の夢が叶って、今の時代があるように。
夢見た以上に素敵な世界が、お伽話の世界が自分を待っていたように。
(…宇宙をトコトコ歩いていく猫…)
いつかハーレイと見られるだろうか、そんなのんびりした光景を。
漆黒の宇宙に散らばる庭やら、幾つも並んだ街灯やらを。
(…見られるといいな…)
見てみたいよね、と考えていたら、小さな欠伸。
それに眠気と、重くなった瞼。
(宇宙を散歩してる猫…)
今は本物の夢でいいから、ハーレイと二人で眺めてみたい。
これから再び落ちてゆく眠り、その夢の中で、ハーレイと二人。
夢の世界なら、どんなことでも叶うから。
前の自分も色々な夢を描いていたから、今の時代はもっと素敵な夢が見られる世界だから…。
夜中に目覚めたら・了
※夜中に目が覚めたブルー君。暗い外の景色を考える内に、宇宙を散歩する猫まで浮かぶ有様。
今の時代ならではの夢なんだ、と気付いたら見たくなったようです。猫の夢、見てねv
(ん…?)
まだ夜中か、とハーレイが見上げた暗い天井。
ベッドで目覚めて、瞼を開けて。
何のはずみか浮上した意識、ぽっかりと覚めてしまった目。
時計を見れば本当に夜中、真夜中と言っていい時間。
(こいつは流石に…)
起きるにはかなり早すぎだ、と思う時間で、明かりを点けるにも不向きな時間。
下手に明かりを点けてしまったら、そのまま朝になりそうだから。
身体が朝だと勘違いして、眠り直すことは多分出来ない。
やりたいことが次から次へと湧いて出て。
(本でも読むか、って方に行ったら…)
次はコーヒーが欲しくなる。
淹れに行ったら、コーヒーの香りで目覚める身体。
カフェインは抜きで、その香りだけで。
(コーヒーを淹れたら、ちょっと飯でも食いたくなって…)
きっと胃袋が騒ぎ始める。
何か食べようと、トースト一枚でかまわないからと。
(トーストを焼こうって方に行ったら…)
もう間違いなく、朝の始まり。
カーテンを引いた窓の向こうは、真っ暗でも。
空には星が瞬いていても、始まるだろう自分の一日。
(本格的に作っちまうんだ…)
普段通りの朝食を。
まだ新聞も来ない時間から、卵料理も、サラダもつけて。
今日はずいぶん早く起きたと、何をしようかと考えながら。
それもたまにはいいけれど。
出勤の前にジョギング出来るし、ジムにだって行けるのだけれど。
今日はそういう気分ではなくて、眠り直したい気分の方。
(サボろうってわけじゃないんだが…)
気が乗らない時は、自分の気持ちに従うのが吉。
知らない所で、無理をしたかもしれないから。
自分では全く自覚が無くても、頭や身体を使いすぎたということもある。
なにしろ仕事だけではない日々。
以前だったら、仕事と運動、それに趣味だけで良かったけれど…。
(あいつに割いてる時間ってヤツが…)
増えた分だけ、忙しくなったことだろう。
前の生から愛した恋人、今は教え子の小さなブルー。
聖痕を持ったブルーの守り役、そういう立場。
それを生かして、仕事のある日も訪ねてゆくのがブルーの家。
仕事が早く終わったら。
ブルーの両親も一緒の夕食、それの支度に間に合いそうな時間なら。
(俺にとっては楽しい時間で、充実してて…)
晩飯も作らなくてもいいし、と思うけれども、心配してくれる同僚たち。
「今日も行くのか」と、「お疲れ様」と。
あんまり無理をしないように、と誰もが声を掛けるからには…。
(傍目には大変そうだってことだ)
そう見えるのなら、使っているだろうエネルギー。
ブルーのために割く時間の他にも、それを捻出するためのあれこれ。
仕事を効率よく終わらせるとか、急ぎ足で歩いているだとか。
(走ってることもあるからなあ…)
柔道部の指導を終えた直後に、「まだ間に合う」と。
此処で走れば、と体育館から職員室へと、職員室から駐車場へと。
日々の疲れが溜まっていたって、けして不思議ではない生活。
ブルーに会えたら幸せでも。
来られて良かった、と胸が弾んでも、それと身体の疲れとは別。
(しっかり休んでいるつもりだが…)
こうして気になる自分がいるなら、何処かで無理をしたのだろう。
起きちゃ駄目だな、とベッドで過ごすことにした。
その内に眠くなる筈だから。
身体が眠りを欲しているなら、いずれ眠気が訪れるから。
(…あいつのためなら、無理をしたって苦にならないがな)
今度は俺が守るんだから、と小さなブルーを思い浮かべる。
前の生でも何度も「守る」と誓い続けて、約束したのに果たせなかった。
ブルーと自分の力が違い過ぎたから。
前の自分は守られる方で、ブルーは守る方だったから。
(あいつの心の方はともかく…)
守ってやれなかったブルーの身体。
ただ一人きりのタイプ・ブルーで、ソルジャーだった前のブルー。
ソルジャーという肩書き通りに、前のブルーは本当に戦士。
たった一人で船を守って、船の仲間を守り続けた。
白いシャングリラを、ミュウたちを乗せた箱舟を。
(俺はあの船を動かしただけで…)
ブルーのようには守っていない。
キャプテンとして出来る範囲で守っていただけ、舵を握って立っていただけ。
丸ごと守れはしなかった。
前のブルーがやったようには。
命まで捨てて、メギドを沈めたブルーのようには。
そんな力は持たなかったから。
いくら望んでも、持っていない力を使うことなど出来ないから。
(そのせいで、俺は失くしちまった…)
守りたかった前のブルーを。
何度も「守る」と誓い続けた、自分の命よりも大切な人を。
前のブルーがいなくなった後に、何度涙を流したことか。
追えば良かったと、どうしてブルーを止めなかったと、幾度も溢れた後悔の涙。
もう帰らない人を想って、一人残された悲しみの中で。
(いつか、あいつを追ってゆこうと…)
それだけを思い続けて生きた。
戦いの日々を、地球までの道を。
そして自分の命は終わって、ブルーを追った筈だったのに…。
(どうしたわけだか、地球にいたんだ)
青く蘇った水の星の上に。
今のブルーよりも先に生まれて、三十年以上も自由に生きて。
ブルーを思い出しもしないで、好き勝手に。
今の自分が思うままに。
(…散々、勝手をしちまったんだし…)
こいつはしっかり埋め合わせないと、と考えるのが筋だろう。
今度こそブルーを守ると決めたし、そのように。
小さなブルーの家に行ける日、それを作るために努力することも。
(努力とも言えん代物なんだが…)
前のブルーがやってのけたことに比べたら。
白いシャングリラを、ミュウの未来を守ったことと比べたら。
(子供のお遊び以下だってな)
同僚たちから「大変ですね」と、声を掛けられる毎日でも。
傍から見たなら忙しそうで、本当に無理をしていたとしても。
きっと努力とも、無理とも呼べない。
前のブルーに比べたら。
愛おしい人の小さかった背中、それに背負わせた重荷と比べてしまったら。
なんという強い人だったろうか、と前のブルーの瞳を想う。
強い意志を宿した赤い瞳を、その底に秘めた深い憂いと悲しみを。
その瞳で真っ直ぐ、前だけを見詰め続けたブルー。
ミュウのためにと、ミュウの未来をと。
(あいつ、頑張りすぎたんだ…)
前のブルーは強すぎたから。
ミュウの未来を、白いシャングリラを守る力を持っていたから。
けれども、今のブルーは違う。
前と同じにタイプ・ブルーでも、まるで使えていないサイオン。
とことん不器用なチビのブルーは、きっとこの先も変わらない。
前のブルーと同じ姿に育ったとしても、今と変わらず不器用なままでいるのだろう。
ろくに思念も紡げないほど、タイプ・ブルーと言われても信じられないほどに。
(そういう風に生まれて来たのも…)
きっと神様のお蔭ってヤツだ、と零れた笑み。
自分の願いが叶ったのだと、今度はブルーを守ってやれると。
今の時代は、敵など何処にもいなくても。
ブルーを何から守ればいいのか、悩むくらいに平和でも。
(…とりあえず、今はあいつと過ごせる時間を…)
沢山作ってやらないと、と分かっているから、そのために努力。
キスも出来ない小さなブルーは、待つことだけしか出来ないから。
自分が訪ねて行ってやるのを、家のチャイムを鳴らすのを。
(そいつが当分、俺の役目で…)
ブルーの心を満たしてやるのが、ブルーの笑顔を守るのが。
少々、身体に無理がかかっても、それを無理とは呼びたくもない。
(守ると誓ったんだしな?)
それに今度は守るんだから、と思ったら漏れた小さな欠伸。
何処からか、やって来た眠気。
今は眠りに戻ることにしよう、ブルーを守り続けるために。
小さなブルーに会いにゆく時間、それを作れる健康な身体、それを眠りで養うために…。
夜中に目覚めて・了
※夜中に目が覚めたハーレイ先生。起きるには少し早すぎたようです、まだ真っ暗で。
ベッドの中で思い浮かべる、小さなブルー君のこと。今度は守れる大切な人で、愛おしい人v