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(今日は、ちょっぴり足りないんだけど…)
 ぼくの紅茶、と小さなブルーがついた溜息。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 仕事の帰りに寄ってくれるかと思った恋人、ハーレイが来てくれなかった日に。
 とっくに夜で外は真っ暗、後は眠るしかない時間に。
(水分は足りてるんだけど…)
 喉が渇いたとも思わないから、水差しを持っては来なかったけれど。
 でも足りないよ、と思うのが紅茶。
 香り高い熱い紅茶が足りない。
(…冷めちゃってる時もあるけれど…)
 ハーレイとの話に夢中になる間に、カップの中で冷めてしまって。
 ポットから注ぎ入れた時には、火傷するほどに熱くったって。
 けれど冷めても美味しいのが紅茶、向かいにハーレイさえいれば。
 「おい、冷めてるぞ?」と鳶色の瞳が笑っていれば。
 慌ててコクリと飲んだ紅茶が冷たくても、まるで気にならない。
 熱かったらもっと美味しいのに、と後悔することも無いのが紅茶。
 ハーレイと一緒だったなら。
 この部屋の窓辺に置かれた椅子とテーブル、其処で二人で飲んでいたなら。
(紅茶、とっても美味しいのに…)
 それに満ち足りた気分になるのに、今日は来てくれなかった恋人。
 だから足りない、好きな紅茶が。
 ハーレイと二人で飲める紅茶が、いつも二人で飲む飲み物が。
 母が運んで来てくれる紅茶、ポットにたっぷり、おかわりの分も。
 熱い間も、冷めてしまっても、とても美味しく飲めるのが紅茶。
 ハーレイはコーヒー党だけれども、ちゃんと紅茶に付き合ってくれる。
 チビの自分はコーヒーが苦手で飲めないから。
 ハーレイもそれを知っているから、部屋で二人で飲むなら紅茶。


 それが足りない、今日の自分。
 喉は乾いていないけれども、紅茶がちょっぴり足りない気分。
 ハーレイが来てくれなかった分だけ、二人で飲み損なった分だけ。
(…カップに二杯は足りないよ…)
 もっと足りない気もするけれど、と数えるいつものティータイムの紅茶。
 仕事の帰りにハーレイがチャイムを鳴らしてくれたら、母が運んで来る紅茶。
 ポットにたっぷり、「ごゆっくりどうぞ」と。
 熱い紅茶をカップに一杯、最初のは母がポットから注いでゆくけれど。
(ママが部屋から出てった後は…)
 おかわりの紅茶を淹れるかどうかは、ハーレイと自分の気分次第。
 その日の話の弾み具合で、まるで要らない日もあるし…。
(おかわり気分の時だって…)
 冷めちゃった、と慌てて飲んで、代わりにポットから熱いのを。
 「ハーレイも飲む?」と注ぐ日もあるし、ハーレイに「飲むか?」と尋ねられる日も。
 おかわりの紅茶をカップに淹れたら、暫くの間は湯気を立てるカップ。
 ポットの紅茶は冷めていないし、まだ充分に熱いから。
(火傷しそうなほどじゃないけど…)
 それでも熱い、と言えるおかわり。
 二杯目をカップに注いだ日ならば、其処で紅茶は二杯になる。
 ハーレイと二人で飲む紅茶。
 あれこれ話して、時には笑い合ったりもして。
 二杯、と指を折ったのが紅茶。
 今日は二杯目も無かったよ、と。
 二杯目どころか一杯目だって、ハーレイと飲んでいないんだけど、と。
(…後は食後で…)
 たまにコーヒーの日もあるけれども、夕食の後も大抵は紅茶。
 それもハーレイと二人で部屋で飲めるから、食事の前に二杯飲んでいたなら、三杯目。
 やっぱり足りない、今日の紅茶は。
 二人でゆっくり飲んだ時には、三杯目だって飲めるのに。


 今日の紅茶は足りてないよ、と零れる溜息。
 こうして数を数えてみたなら、本当に足りていないから。
 ハーレイと二人で飲める筈の紅茶、いつも幸せ一杯の紅茶。
 それが足りない、三杯分も。
 少なめに数えて二杯分でも、飲めなかったハーレイとの紅茶。
 もしもチャイムが鳴っていたなら、それだけの紅茶が飲めたのに。
 ハーレイと二人で幸せ一杯、熱い紅茶でも冷めた紅茶でも、もう最高の飲み物なのに。
(…うんと幸せな味なんだよ…)
 喉を滑ってゆく紅茶。
 冷めていたって、向かいに座ったハーレイの笑顔。
 それだけで美味しくなる紅茶。
 すっかり冷めた紅茶を飲んだら、カップが空になったなら…。
 「ハーレイも飲む?」とポットを手にして、熱い紅茶のおかわりを。
 そうでなければ、ハーレイが「飲むか?」と尋ねてくれる紅茶のおかわり。
 「紅茶、すっかり冷めちまったぞ?」と、「飲むなら、俺が淹れてやろう」と。
 ハーレイがポットに手を伸ばしたなら、コクリと頷いて飲む紅茶。
 冷めて冷たくなった紅茶を、カップが空になるように。
 熱い紅茶を、ハーレイが注ぎ入れられるように。
(ハーレイ、紅茶のポットだって…)
 とても上手に扱って注ぐ。
 チビの自分は母のようにはいかないけれども、ハーレイの方は母に負けない。
 コーヒー党だと聞いているのに、家ではコーヒーを飲む筈なのに。
(きっと、ハーレイのお母さん…)
 紅茶のポットの扱い方を、ハーレイに教えた先生は。
 「こう淹れるのよ」と、茶葉の扱いだって。
 何処から見たって、ハーレイの手は慣れているから。
 紅茶のおかわりがたっぷり入ったポットを持つのも、そのポットから注ぐのも。
 いつでも慣れた手つきだから。
 紅茶を好んで飲む人のように、滑らかに手が動くから。


 ホントに凄い、と思うハーレイ。
 コーヒー党なのに、好きな飲み物はコーヒーなのに、紅茶も上手に淹れるハーレイ。
 茶葉が入った缶を渡したなら、鮮やかに淹れてしまうのだろう。
 「ふむ…」と淹れ方を確認して。
 茶葉によって変わる、蒸らすための時間。
 その茶葉だったらどのくらいなのか、茶葉の種類を確かめて。
(スプーンで掬って…)
 ポットに入れたら、沸かしたばかりの熱いお湯。
 それを注いで、見極める時間。
 頃合いになったら、「よし」と紅茶を、温めてある別のポットへと。
 そうでなければ、紅茶がそれ以上濃くならないよう、引き上げてしまって捨てる茶葉。
(淹れ方、色々あるみたいだけど…)
 濃くなって来たら差し湯をするとか、色々と。
 この部屋でハーレイと紅茶を飲む時は、差し湯が要らない紅茶が届く。
 テーブルの上が狭くならないよう、差し湯用のジャグやポットが要らないように。
 母がどういう淹れ方をするか、いつも自分は見ていないけれど。
(…ハーレイだったら、分かっちゃうよね?)
 紅茶も上手に淹れられるのだ、と慣れた手つきで分かるから。
 とても大きな褐色の手は、紅茶のポットの扱いにも慣れているのだから。
(…ハーレイ、ホントに凄すぎるよ…)
 料理の腕もプロ級だしね、と思い浮かべたお弁当。
 財布を忘れて登校した日に、御馳走になったハーレイの手作り豪華弁当。
 「クラシックスタイルなんだぞ」と自慢していた、日本風。
(あんなのも、作れちゃうんだし…)
 おまけに紅茶も上手に淹れる。
 ハーレイの母が仕込んだのだろう、料理の腕はそうだから。
 お菓子作りも、そうらしいから。
 「パウンドケーキだけは上手くいかん」と、ハーレイは言っているけれど。
 「おふくろと同じ味には焼けん」と、何度も聞いているけれど。


 そのハーレイと飲めなかった紅茶、今日は二人で飲み損ねたお茶。
 チャイムが鳴らなかったから。
 仕事の帰りに寄ってくれずに、そのまま帰ってしまったから。
(紅茶、三杯分も足りない…)
 二杯分かもしれないけれど、と思い浮かべる恋人の顔。
 来てくれていたら、二人で紅茶が飲めたのに。
 幸せを溶かし込んだ飲み物、冷めていたって美味しい紅茶。
 ハーレイの笑顔があるだけで。
 二人で紅茶を飲んでいられるというだけで。
(…足りないよ、紅茶…)
 おやつの時間に飲んだけれども、それでは足りない。
 ハーレイと飲む幸せな紅茶が足りない、二杯も、もしかしたら三杯分も。
(いつもハーレイと飲んでるのに…)
 今日は足りない、と悲しい気分。
 喉は乾いていないけれども、足りない紅茶。
 いつもの紅茶が足りていないと、ハーレイと飲めなかったから、と。
(…どんな紅茶でも、気にしないのに…)
 冷めていたって、気にしないどころか美味しい紅茶。
 ハーレイと二人で飲んでいたなら、テーブルを挟んで向かい合わせに座っていたら。
 「飲むか?」と注いで貰ったりして。
 「ハーレイも飲む?」と、ポットから注いでみたりして。
 その幸せな時間が無かった、いつもの紅茶が足りない今日。
 三杯分も足りていないよ、と溜息を零したのだけど…。


(…三杯分…?)
 一杯分でも多すぎるくらい、と気付いた紅茶。
 今の自分には「いつものこと」でも、それは奇跡の一杯なのだと。
 ハーレイも自分も生まれ変わりで、時の彼方で失くした命。
 しかも自分は独りぼっちで、ハーレイの温もりさえも失くして。
(…紅茶なんかは、もう飲めなくて…)
 会える筈もなかった、愛おしい人。
 もうハーレイには二度と会えないと、泣きながら死んだソルジャー・ブルー。
 それが自分で、其処で失くしてしまった命。
 なのに再びハーレイに会えた、この地球の上で。
 また巡り会えて、二人で飲んでいる紅茶。
 ハーレイが訪ねて来てくれた日には、平日にだって、二杯、三杯と。
(…一杯分でも、夢みたいな奇跡…)
 足りないなんて言っちゃ駄目だ、と分かったから。
 いつもの紅茶は奇跡なのだ、と気付かされたから、もう溜息はつかないでおこう。
 今日は二杯も足りなくても。
 三杯分も足りなかったとしたって、一杯でさえも奇跡の紅茶なのだから…。

 

        いつもの紅茶・了


※今日は足りない、とブルー君が溜息を零した紅茶。ハーレイと二人で飲んでいないよ、と。
 けれども、二人で紅茶を飲めることが奇跡。それに気付いたら、溜息はもうつけませんよねv





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(うん、この一杯が美味いってな)
 落ち着くんだ、とハーレイが傾けた熱いコーヒー。
 ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
 いつものように淹れたコーヒー、愛用しているマグカップに。
 こうして書斎で飲むこともあれば、ダイニングで飲むことだって。
 気分次第で変わる場所。
 けれど落ち着く、コーヒーの味。
 何処で飲んでも、ふわりとほどけてゆく心。
 いつもの習慣、リラックスするための夜の一杯。
(コーヒーってヤツは、少数派なのかもしれないが…)
 普通は酒か、と浮かべた苦笑。
 自分くらいの年の男性なら、夜はコーヒーよりも酒かも、と。
 もちろん、酒も好きだけど。
 酒を飲む夜もあるのだけれども、これが性分。
 夜の一杯、いつも飲むなら酒よりコーヒー、そういった主義。
(…酒も美味いんだが…)
 職業柄ってヤツだよなあ、と思うのが酒。
 夜も頑張って勉強する生徒、この時間ならばいてもおかしくはない。
(俺の授業の方じゃなくても…)
 古典で宿題を出していなくても、テストの予定がまるで無くても、科目は色々。
 明日にテストを控えた生徒や、宿題の山と戦う生徒。
 けしていないとは言い切れないから、自分が酒を飲むというのは…。
(ちょっぴり後ろめたいってな)
 毎日、飲むとなったなら。
 たとえ一日に一杯限りと決めていたって、毎晩ならば。
 生徒は勉強中だというのに、自分は酒。
 申し訳ない気分がするから、毎晩飲むならコーヒーの方。


 コーヒーだったら、眠気覚ましに飲む人だって多いもの。
 朝食の時にコーヒーを一杯、それでシャキッと目を覚ます人も多い飲み物。
 夜遅くまで仕事や勉強となれば、其処でも登場するコーヒー。
 眠くなったら眠気覚ましに、「コーヒーでも飲んで頑張ろう」と。
(そういうヤツらも多いわけだし…)
 コーヒーだったら問題無し、と傾けるのが夜の一杯。
 酒の方なら、人によっては訪れる眠気。
 そうならなくても、気が大きくなる人もいる。
(俺だったら、そうはならないんだが…)
 グラスに一杯飲んだ程度では、全く酔いはしないから。
 二杯、三杯と重ねてみたって、どちらかと言えば至って正気。
 よほどでなければ酔いはしないし、損なタイプと言うかもしれない。
 友人や同僚、彼らと一緒に飲みに出掛けたら…。
(…俺だけ、しっかり正気だってな)
 あれはつまらん、と零れる溜息。
 皆が陽気に歌い出しても、其処で一人だけ置き去りだから。
 肩を組んでの懐かしの歌も、自分だけが帰れない過ぎ去った昔。
 他の友人は、学生時代に戻っているのに。
 同僚だったら青春気分で、心は時間を遡ってその頃に戻っているのに。
(…酒はそういう飲み物だしなあ…)
 だから生徒に申し訳ない気分になるのが、酒というもの。
 「俺は酔わない」と分かっていたって、同じ量で酔う人はいるから。
 酒というものに弱い人なら、僅かでも酔ってしまうから。
(気が大きくなる方に行ったら…)
 何の根拠もなく「大丈夫だ」と思いがち。
 早めに準備を始めた方が、と酒を飲む前には分かっていたって…。
(準備なんぞはしなくてもいい、と思っちまうのが酒らしいしな?)
 そして後から困ることになる、準備など出来ていないから。
 酒を飲む前にやっておいたら、そういうことにはならないのに。


 眠くなったり、大きな気分になってしまったり、生徒には勧められない酒。
 年齢的にも無理だけれども、生徒たちは酒を飲めないけれど。
(二十歳までは禁止だ、禁止)
 酒の入った菓子がせいぜい、というのが自分の教え子たち。
 一番上の学年だって、卒業の時は十八歳。
 酒が飲める生徒はいない学校、義務教育の最終段階。
 生徒たちは酒を飲めないけれども、飲むような者もいないけれども。
(…あいつらが酒を飲んじまったら…)
 宿題は出来はしないだろう。
 明日のテストに向けての勉強、それだって。
 眠ってしまうか、気が大きくなって「大丈夫だ」と宿題を放り出すか。
 陽気な気分になってしまって、勉強の代わりに歌い出すとか。
(…でもって、次の日に思い切り後悔するってな)
 昨夜はどうして飲んだのだろうと、一杯の酒を。
 あれさえ無ければ、きっとテストの点数はもっとマシだろうに、と。
 宿題の方も、「出来ていません」と項垂れるしかない。
 提出を求められたなら。
 あるいは名指しで「これの答えは?」と訊かれたなら。
(とんでもないことになるのが、酒ってヤツで…)
 その辺もあってコーヒーなんだ、と大きなマグカップを傾ける。
 こっちだったら眠気覚ましで、生徒が飲んでも大丈夫だから。
 宿題や勉強を放り出さずに、頑張って続けられるから。
(…まさに今頃、飲んでる生徒もいそうだってな)
 明日が提出期限の宿題、それが全く出来ていない、とコーヒーを飲んで遅くまで。
 テストに向けての勉強の方も、やっている子もいるだろう。
(昼間にウッカリ遊びほうけて、ピンチなヤツだ)
 計画的に出来る子だったら、とうに仕上げて眠っているから。
 宿題にしても、テスト勉強にしても、出来る生徒は早めにしておくものだから。


(…あいつも、そういうタイプだよなあ…)
 寝てはいなくても、コーヒーなんぞに頼っちゃいない、と思い浮かべた恋人の顔。
 前の生から愛したブルー。
 十四歳にしかならないブルーは、生まれ変わって帰って来た。
 前のブルーが焦がれた地球に、今の自分が住んでいるのと同じ町へと。
 五月の三日に再会するまで、互いに気付いていなかったけれど。
 この町に恋人が住んでいることも、前の自分がどういう名前だったのかも。
 そうして出会った小さなブルーは優等生。
 成績はトップクラスなのだし、宿題やテスト勉強などには…。
(追われちゃいないな、コーヒーに頼るほどにはな?)
 自分のペースで早めに仕上げて、夜はぐっすり眠る筈。
 無理に目を覚まして頑張らなくても、ブルーだったら充分に出来る。
 コーヒーなんかを飲まなくても。
 眠気覚ましに熱いコーヒー、それで頭をシャッキリと、と宿題の山に向かわなくても。
(余裕だ、余裕)
 酒を飲んでも大丈夫だぞ、と今のブルーに重ねてみる酒。
 まだまだ飲めない年だけれども、それを飲んでも問題無し、と。
 眠くなっても、宿題は出来ているのだから。
 陽気な気分で歌い出しても、テストに向けての勉強はとうに済んでいるから。
(…そういう生徒ばかりだったら、俺だって苦労しないのに…)
 ブルーみたいなのが例外なんだ、と分かっているのが教師生活。
 生徒は宿題を嫌がるものだし、忘れて来るのもありがちなこと。
 テスト勉強の方にしたって、何日も前から予告したって…。
(ヤツらにとっては、抜き打ちテストと同じだってな)
 どうせ前日まで、勉強しないでいるのだから。
 明日はテストだ、と気付いてようやく始める勉強。
 生徒によってはコーヒーを飲んで、「今からやって間に合うだろうか」と。
 もう一時間ばかり頑張ったならば、マシな点数が取れるかも、と。


 コーヒーを飲んで戦う生徒。
 自業自得な結果とはいえ、宿題の山やテスト勉強に立ち向かってゆく戦士たち。
 きっと今夜もいるだろうから、自分も酒は飲まずにコーヒー。
(…もっとも、俺はコーヒーくらいじゃ…)
 眠気覚ましになりやしないが、とクックッと笑う。
 リラックスした夜のひと時、それのお供がコーヒーなだけ。
 眠れなくなったら本末転倒、ぐっすり眠るための一杯。
 心がほぐれてゆくのがコーヒー、いつもの一杯、気に入りの場所で。
 書斎だったり、ダイニングだったり、その日の気分で決めて、ゆったり座って。
(…こいつが実に…)
 美味いんだよなあ、と味わう内に気付いたこと。
 途端に噴き出しそうになったコーヒー、一気に笑いがこみ上げたから。
 今の自分の勘違いなるもの、それがとんでもなく可笑しかったから。
(おいおいおい…)
 コーヒーを飲んで頑張るも何も、と浮かんだ小さなブルーの顔。
 あいつはコーヒーが駄目だったんだと、前のあいつも苦手だった、と。
(…今のあいつも、欲しいと強請りはするんだが…)
 飲んでみようと頑張ってみては、敗退するのが苦いコーヒー。
 前のブルーも全く同じで、コーヒーには砂糖をたっぷりと入れて、甘いホイップクリームまで。
(それに、酒だって…)
 全く飲めなかったっけな、と止まってくれそうもない笑い。
 とても優秀な生徒のブルーは、コーヒーどころじゃなかったんだ、と。
 前のブルーも、コーヒーも酒も駄目だったよな、と。
(どっちも忘れていられるくらいに…)
 今は新しい人生ってこった、と笑いながらも気分は乾杯。
 青い地球の上、ブルーと生きてゆく人生に。
 酒ではなくてコーヒーだけれど、乾杯の相手もいないのだけれど、「今の人生に乾杯だ」と…。

 

        いつもの一杯・了


※ハーレイ先生のお気に入りのコーヒー、夜の一杯。お酒ではなくてコーヒーな主義。
 ブルー君のことを想っていたのに、勘違い。ブルー君、お酒もコーヒーもまるで駄目なのにv





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(目が覚めちゃった…)
 こんな時間に、と小さなブルーが瞬かせた瞳。
 枕元にある目覚まし時計が指している時間、それを眺めて。
 薄暗いとは思ったけれども、もう少し遅いような気がしていたのに。
 曇った日ならば、そういう朝もあるものだから。
(…ワクワクし過ぎちゃってたの?)
 今日は土曜日、ハーレイが来てくれると分かっている日。
 弾む心で目覚ましをかけた昨日の夜。
 学校は休みでも、寝坊しないで早めに起きて、と。
 部屋をきちんと掃除して待とうと、ハーレイがやって来るのを窓から見ようと。
(だけど、早すぎ…)
 よく見回したら、薄暗いどころか暗いと言ってもいいほどの部屋。
 カーテンがほんのり明るいだけで、窓の外はきっと、太陽さえも昇っていない。
 夜が明ける前の薄明り。
 まだ地平線の下に隠れた太陽、それが届ける朝の先触れ。
 時計の針も、そういう時間を指していたから。
 夜明けが早い夏ならともかく、今の季節は日の出も遅くなりつつあるから。
(ママだって起きていないよ、まだ…)
 こんなに早い時間では。
 それに土曜日、父も仕事に行かない日では。
(起きて行っても…)
 きっとガランとしたダイニング。
 トーストが焼ける匂いもしなくて、卵料理を作る匂いも。
 父の朝食にと母が添えている、ソーセージやベーコンを焼く匂いだって。
 人影も無くて、テーブルだけ。
 カーテンだってまだ閉めたままで、新聞だって…。
 誰も取りには行っていないから、テーブルの上は空っぽの筈。
 庭で咲いた花を生けた小さな花瓶が、真ん中にポツンとあるだけで。


 起きて行ったら、何かあるならいいけれど。
 沢山食べられはしない朝食、それがあるならいいのだけれど。
(…トースト、ぼくが下手に焼いたら…)
 焦げちゃうんだよ、と無い自信。
 普段、自分で焼いていないから、「このくらい」と分からない加減。
 ほんの少しだけ目を離した隙、その間にすっかり焦げそうなパン。
(それに、ホットケーキ…)
 もしかしたら今朝は、母はホットケーキな気分になるかもしれない。
 休日なのだし、せっかくだから、と。
 チビの自分の胃袋に合わせて、小さめに焼いてくれるそれ。
 「一枚だけより、この方がいいでしょ?」と、小さいのを二枚、お皿に重ねて。
 焼き立てのホットケーキにポンと乗っけるバター。
 それにたっぷりのメイプルシロップ、焦げたトーストより、断然、そっち。
(ぼくがトースト、焦がしちゃってたら…)
 母は焼き直してくれるだろう。
 「ママを起こせば良かったのに」と言いながら。
 トーストを食べたいみたいだから、とホットケーキな気分も消えて。
 そうなったとしたら、とても残念。
(ホットケーキな気分かどうかは、分からないけど…)
 残しておきたい可能性。
 自分で下手にトーストを焼いて、焦がして消してしまうよりかは。
 まだカーテンさえ開いていない時間、そんな時間に一人で出掛けて失敗よりは。
(…ホットケーキ…)
 それが駄目でも、こんがりキツネ色のトースト。
 いつもの母の朝食がいい。
 父も揃ったテーブルがいい。
 薄明るいだけの、カーテンも閉まったダイニング。
 其処へ一人で下りてゆくより。


 このままベッドにいよう、と決めた。
 眠気は戻って来ないけれども、顔を洗っても着替えても…。
(すること、何も無いもんね?)
 せいぜい本を読むくらい。
 何度も時計の針を眺めて、「まだ早すぎ」と考えながら。
 「ママだって、まだ起きて来ないよ」と、「パパもぐっすり寝てる筈だよ」と。
 母が起きたら、階段を下りる音がするから。
 トントンと下りる軽い足音、それが聞こえて来る筈だから。
(…ホントに早く起きすぎちゃった…)
 きっと心が弾んでいたせい。
 今日は土曜日、ハーレイと一日過ごせる日だ、と。
 「早く明日にならないかな」と、胸を高鳴らせて寝たものだから。
 夢の中できっと、目覚まし時計が鳴ったのだろう。
 全く覚えていないけれども、そういう幸せな朝が来た夢。
(だからパッチリ目が覚めちゃって…)
 身体もシャキッと起きてしまって、ハーレイを待つ準備は万全。
 もちろん、心と身体だけが。
 着ているものはパジャマのままだし、顔だって洗っていないまま。
 今、ハーレイがやって来たって、迎える準備は出来ていないも同然の自分。
 病気でもないのに、パジャマだなんて。
 顔も洗わずに寝ているだなんて、何処から見たって無精者。
 けれども心と身体はシャッキリ起きているから、少し悲しい。
 せっかく早く起きたというのに、時間を無駄にする自分。
 ハーレイが来てくれる日なのに。
 それに備えて何かしたいのに、一人ではトーストも焼けないから。
 たとえトーストが焼けたとしたって、時間が早く流れはしない。
 ハーレイは早くやっては来ないし、何処かでぽっかり空いてしまう時間。
 本を読むとか、新聞だとか、そういった時間つぶしだけ。


 無駄になっちゃった、と思う早起き。
 ベッドから出ても時間つぶしに本を読むだけ、たったそれだけ。
 ハーレイの家が隣だったら、「もう起きたよ」と合図出来るのに。
 部屋の窓から手を振って。
 きっと早起きだろうハーレイ、朝一番にはジョギングをしたり、ジムに行ったり…。
(してる日だって、あるんだよね?)
 そう聞いているから、隣同士なら、そのハーレイに手を振れる。
 「ぼくは起きてるから、早く帰って家に来てね」と。
 ジョギングに行こうとしているのならば、「頑張ってね」と応援だって。
(走って行くのも見送れるのに…)
 どうして隣じゃないんだろう、と零れてしまった小さな溜息。
 ハーレイの家が隣だったら、こんな朝には便利なのに、と。
(お隣さんなら、いつだって…)
 合図出来るよ、と考えていたら、不意に掠めた自分の記憶。
 遠く遥かな時の彼方で、前の自分が生きていた頃。
(お目覚めですか、って…)
 優しく聞こえたハーレイの声。
 目覚ましよりも早く起きたら、いつだって。
 気配で気付いて起きてくれたのか、尋ねてくれた優しいハーレイ。
 「もうお目覚めになったのですか?」と、「お身体の具合は如何ですか」と。
 具合が悪くて目覚めることもあったから。
 熱があるとか、喉がちょっぴり痛かったとか。
(だから、ハーレイ…)
 大丈夫かどうか、いつも覗き込んで確かめてくれた。
 ただぽっかりと目が覚めたのか、そうではなくて病気なのかと。
(平気だよ、って返事したら…)
 穏やかな笑みが返って来た。
 「良かったです」と、「まだお休みになられますか?」と。


 そうやって二人、早く目覚めてしまった日。
 青の間にあった目覚まし時計が鳴るよりも早く、二人揃って起きた朝には…。
(時間、無駄にはならなかったよ…)
 眠り直しはしなかった。
 ハーレイはそれを勧めたけれども、「起きていたいよ」と強請った自分。
 「このまま君と起きていたい」と、たまには二人で朝もゆっくり、と。
 普段だったら、そういう時間は持てないから。
 目覚ましの音で起きた後には、戻るしかなかったお互いの立場。
 前の自分は、皆を導くソルジャーに。
 ハーレイの方は、シャングリラの舵を握って立つキャプテンに。
 起きたらシャワーを浴びて着替えて、すっかりソルジャーとキャプテンの姿。
 朝食は二人で食べられたけれど、恋人同士の会話も充分出来たけれども…。
(でも、ソルジャーとキャプテンなんだよ…)
 二人きりで過ごすベッドと違って、同じに二人きりでも違う。
 瞳に映る互いの姿は、ソルジャーで、それにキャプテンだから。
 ただのブルーと、ただのハーレイ。
 そういう姿は見えはしなくて、ソルジャーとキャプテンがいたのだから。
(…起きてしまったら、そうなっちゃうから…)
 ベッドから出ずに二人で過ごした。
 愛を交わしはしなかったけれど、「おはよう」のキス。
 それから目覚まし時計が鳴るまで、他愛ない話や、色々な話。
 「地球を見たいな…」と夢を語ったり、「いつかね…」と未来の夢を描いたり。
 白いシャングリラが地球に着いたら、あれもしたいと、これもしようと。
 二人一緒に色々なことを、誰にも遠慮は要らないからと。
(地球に着いたら、恋人同士なことだって…)
 もう知られてもかまわない。
 ソルジャーもキャプテンも要らなくなるから、二人の仲を明かしてもいい。
 そして二人で旅に出るとか、山ほどの夢を話した時間。
 早く目覚めてしまったら。
 目覚まし時計よりも、早く起きたら。


(…ハーレイ、いつも側にいてくれたのに…)
 こんな朝には、時間のオマケがついて来たのに、と零れる溜息。
 どうして今は駄目なんだろうと、ハーレイの家は隣に建ってはいないのだろうと。
 とても残念でたまらないけれど、そのハーレイ。
 今日は土曜日で、来てくれるから。
 二人きりで一日過ごせるのだから、思い切り甘えてしまおうか。
 「やっと会えたよ」と、「うんと沢山待ったんだよ」と。
 大きな身体に飛び付くように抱き付いて。
(君に会える日なんだもの…)
 ちょっぴり早く起きすぎたけど、と眺める時計。
 待った分だけ、今日はハーレイに甘えたい。
 まだまだ会えはしないから。
 前の生なら得をした分の時間なのだし、その分、たっぷり甘えてみたい気分だから…。

 

        君に会える・了


※早すぎる時間に目覚めてしまったブルー君。朝御飯も自分で作れないのに。
 ベッドにいる間に思い出したのが前の生。ハーレイ先生に甘えたくなったようですねv





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(うーむ…)
 なんて時間だ、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 土曜日の朝に寝室のベッドで、枕元の時計に手を伸ばして。
 薄暗いから、早い時間だとは思ったけれど。
 それでも自然に目覚めたわけだし、もう少しばかり…。
(朝らしい時間だと思ったんだがな?)
 これじゃ漁師の朝じゃないか、と言いたいくらいに早すぎる時間。
 漁師だったら、恐らくはもっと早い時間だろうけれど。
 この時間ならば、とっくに海の上だろうけれど。
(…朝一番には魚を水揚げするんだしな?)
 漁港の朝は早いものだし、近い所で漁をするなら暗い内から。
 急いで魚を獲って戻って、競りの時間に間に合うように。
 とはいえ、自分は漁師ではないし、おまけに土曜日。
 仕事に出掛ける日ではないから、こんな時間に起きたって…。
(ジョギングするか、ジムで泳ぐか…)
 そのくらいしか無いんだがな、と思いながらも起き上がる。
 寝不足な気分は全くしないし、とてもスッキリした目覚め。
 こういう朝には、ベッドにいても無駄だから。
 無為に時間を費やすだけで、何の役にも立たないから。
(はてさて、何をすべきやら…)
 走りに行くか、それともジムか。
 どっちにしたって、必要なのがエネルギー。
 目はパッチリと覚めていたって、眠って心身を休めていたって…。
(腹ってヤツは減っちまうんだ)
 まずは朝食、朝はそこから。
 栄養補給をしてやらなければ、身体が困ってしまうのだから。


 本当になんて時間なんだか、と顔を洗って済ませた着替え。
 新聞は届いているのだけれども、外はまだまだ薄明り。
 太陽が顔を覗かせる前の、ほんのり白くなった空。
 さっき新聞を取りに出た時は、星が幾つか瞬いていた。
(明けの明星ってヤツだよなあ…)
 ひときわ明るく光っていた星。
 方角からして、あれは金星。
 明けの明星、金星と言えばヴィーナスだけれど。
(…あの星は、確かルシファーなんだ…)
 神話の時代と言っていいのか、聖書の時代と呼ぶべきなのか。
 暁の星と呼ばれたルシファー、後の地獄の王のルシフェル。
 天使たちの中でも最も美しいと言われた天使。
 けれど起こしてしまった叛乱、ルシファーは天から落とされたという。
 いわゆる堕天使、それがルシファー。
(なんだって、今も天にあるんだか…)
 金星ってヤツが、と可笑しくなる。
 朝食の支度を始める傍ら、「こいつは矛盾してないか?」と。
 天から落ちた筈のルシファー、その星が今も空に輝いているなんて、と。
 卵を割ってオムレツを…、とコツンとぶつけて器に卵。
 こんもりとした黄身を溶きほぐしながら、「そういえば…」と頭に浮かんだ別の星。
 「土星も悪魔じゃなかったっけか」と。
 サターンなのだし、あれも魔王の星なのだろう。
(…ルシファーもサターンも同じだしな?)
 どっちも魔王の名前じゃないか、と考えた夜空の悪魔事情。
 土星の方のサターンの由来は、魔王サタンではないけれど。
 ギリシャ神話のサトゥルヌスだし、混同されているだけなのだけれど。
 分かっていたって、面白い。
 二つも悪魔の星があるんだと、なんだって空に悪魔なんだか、と。


 そうこうする内に出来た朝食、さて、と座ったいつものテーブル。
 トーストをガブリと齧ったはずみに、ふと思い出した夜空の星。
 さっき仰いだ星たちの中に、あの星も混じっていたろうかと。
(…ジュピター…)
 ギリシャ神話のゼウスの星。
 オリンポスに住まう主神ゼウスで、その名がジュピター。
(…前の俺たちは、あそこにいたんだ…)
 遠く遥かな時の彼方で、この地球からも見えるジュピターの側に。
 多分、あそこが始まりの星。
 アルタミラは其処にあったのだから。
 今は失われたガリレオ衛星、それがガニメデだったから。
(…アルタミラはガニメデの育英都市で…)
 前の自分が生まれた場所。
 それにブルーも、ゼルにヒルマン、エラやブラウといった仲間たちも。
 成人検査でミュウと判断され、全て失くしてしまったけれど。
 人間として生きる権利も、成人検査より前の記憶も失ったけれど。
 それでも故郷で、今は無い星。
 ガリレオ衛星の中の一つの、ガニメデは滅ぼされたから。
 アルタミラもろともメギドに焼かれて、砕けて消えてしまったから。
(前の俺たちは、あそこから逃げて…)
 命からがら脱出した船、行き先も何も決めないままで。
 地球の座標も知らなかったし、近くにあるとも知らないままで。
 ただ闇雲に飛び出した宇宙、離れてしまったソル太陽系。
 暗い宇宙を長く旅して、雲海の星アルテメシアや、赤いナスカに潜み続けて…。
(またジュピターを目にした時には…)
 其処で起こった最後の戦い、ミュウは勝利を収めたけれど。
 地球への道が開けたけれども、その時には、もうシャングリラには…。


(…あいつ、乗ってなかったんだ…)
 前の自分たちを救ったブルー。
 メギドの炎で滅びゆく星から、燃えるアルタミラの地獄から。
 空まで赤く染まった地獄でブルーと出会った。
 前のブルーに命を救われ、他の仲間も誰もが同じ。
 そしてアルタミラを後にしてからも、ブルーが皆を生かしてくれた。
 雲海の星、アルテメシアに辿り着く前も、アルテメシアを追われた後も。
(…あいつがメギドを沈めたから…)
 赤いナスカが滅ぼされた時、メギドの炎に焼かれずに済んだシャングリラ。
 ミュウの箱舟、ミュウたちの未来を乗せていた船。
 前のブルーはそれを救って、独りぼっちで宇宙に散った。
 焦がれ続けた地球に着けずに、青い水の星を見ることもなく。
(…地球は青くはなかったんだが…)
 青いと信じた前の自分たち。
 ジュピターの側で戦った時も、「此処まで来た」という思い。
 これでシャングリラは地球に行けると、ようやく旅の終わりが見えたと。
 なのにブルーは、もういなかった。
 誰よりも地球に焦がれ続けて、行きたいと夢を見ていたブルーは。
(あいつのお蔭で、俺たちはあそこまで行けたのに…)
 始まりの星に戻って来たのに、シャングリラに乗っていなかったブルー。
 遠く離れたジルベスター星系、其処でブルーは散ったから。
 髪の一筋も残さないまま、ブルーはいなくなったから。
(あいつが船に乗っていたなら…)
 きっと誰よりも喜んだだろう、始まりの星に戻れたことを。
 やっと開けた地球に続く道を、ミュウの未来が、あのジュピターから始まることを。
 ジュピターは因縁の星だったから。
 前の自分たちは其処から旅立ち、今度は其処から青い地球へと向かうのだから。


 しかし、乗ってなかったんだ、と噛んだ唇。
 シャングリラにブルーは乗っていなくて、共に喜べはしなかった。
 もしもブルーが乗っていたなら、手を取り合うことも出来ただろうに。
 地球へと向かってワープする前に、「やっと此処まで来られました」と。
 きっとブルーも、その手を握り返してくれた。
 恋人の顔は出来ないままでも、「ありがとう」と。
 ソルジャーとしての労いの言葉、それに激励。
 「地球に着くまで気を抜かないで」と、「このシャングリラをよろしく頼む」と。
 前の自分はキャプテンだったし、けして不自然ではない遣り取り。
 始まりの星へやっと戻って、地球へ旅立つ前だったなら。
(…それなのに、あいつ…)
 いなかったんだ、と零れた涙。
 ブルーを乗せて戻れなかったと、始まりの星のジュピターまで、と。
(…あいつ、俺たちを守り続けて…)
 逝っちまった、と涙が零れるけれど。
 思い出したら、もう止まらないのが悲しみの涙なのだけど。
(…前のあいつは…)
 ジュピターまでも戻れはしなくて、地球への道も見られなかった。
 それを思うと悔しいけれども、そのブルーは…。
(…帰って来たんだっけな、地球に…)
 無かった筈の青い地球に、と気付いた今のブルーの存在。
 少年になってしまったブルー。
 蘇った青い地球に生まれて、今日は自分を待っている筈。
 この時間なら、きっとベッドでぐっすり眠っているだろう。
 今日に備えて目覚ましをかけて、ブルーの家のベッドの中で。
(…そうだっけな…)
 会えるんだよな、と浮かんだ笑み。
 今日はブルーを抱き締めてやろう、そして甘やかしてやろう。
 あいつに会える、と気付いた途端に、悲しみの涙は幸せの涙に変わったから。
 愛おしい人は戻って来たから、今日はブルーに会えるのだから…。

 

       あいつに会える・了


※明けの明星から、ジュピターを思い出してしまったハーレイ先生。地球への最後の戦いも。
 けれど、あの時はいなかったブルーに会えるのが今。甘やかしたくもなりますよねv





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(あるわけないよね…)
 ミュウの埋蔵金なんて、と小さなブルーが零した笑み。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は来てくれなかったハーレイ、それは残念なのだけど。
 夕食を一緒に食べたかったけれど、学校ではちゃんとハーレイに会えた。
 古典の授業の時間だったし、学校で会うなら「ハーレイ先生」なのだけれども。
 そのハーレイの授業で出たのが埋蔵金。
 生徒が退屈し始めたから、と繰り出して来た得意技。
(ハーレイの雑談、人気だもんね?)
 居眠りしていた生徒も起きるという評判。
 訊き逃したら損だから。
 楽しい話や珍しい話、色々なことが聞けるから。
 今日のテーマは埋蔵金。
 金銀財宝を手に入れる話、そういう古典を教わっていた時だったから。
(…埋蔵金かあ…)
 本物の方もとっくに無いよね、と遠い昔を思い浮かべる。
 この辺りにあった小さな島国、黄金の国とも呼ばれた日本。
 色々な人が埋めたと伝わる埋蔵金。
 誰一人として見付けられずに、時の彼方に消えてしまった。
 埋蔵金を掘ろうと挑んだトレジャーハンター、彼らも今では手も足も出ないことだろう。
 地球は一度は滅びてしまって、その後に青く蘇ったから。
 何もかも燃えて崩れ去った後に、青い水の星が戻って来たから。
 すっかり変わってしまった地形。
 遥かな昔の歌や古文書、それを頼りに掘ろうとしたって…。
(元の山も川も、全部、消えちゃって…)
 何も無いから掘り出せない。
 埋蔵金があったとしたって、地球と一緒に燃えたろうから。


 それはともかく、ハーレイの授業。
 埋蔵金の話を聞いたら、質問を投げたクラスのムードメーカーの男子。
 「ミュウの埋蔵金は無いんですか?」と。
 白いシャングリラで生きたミュウたち、彼らは埋めていないんですか、と。
 思わずパチクリと瞬いた瞳、「それをハーレイに訊くんだ?」と。
 もちろん訊いてもいいのだけれども、少しも変ではないけれど。
(…先生に訊くのは普通のことだし…)
 そのハーレイが出した話題なのだし、質問は全く可笑しくはない。
 ただ、問題はハーレイの中身。
(…ぼくの学校に来る前だったら、あの質問でもいいんだけれど…)
 ハーレイの答えも、今日と全く変わらなかったと思うけれども。
 「いったい何処にあったんだ?」と逆に尋ねていたハーレイ。
 初代のミュウが埋蔵金を埋めていたなら、その場所は何処になるんだ、と。
 アルテメシアでは雲海の中で、埋蔵金を埋めには行けない。
 赤いナスカで埋めたとしたなら、ナスカと一緒に消え去っただろう埋蔵金。
 まず無理だな、とハーレイはバッサリ切り捨てた。
 ミュウの埋蔵金などありはしないと、何処にも残っていないだろうと。
(それも間違ってはいないんだけど…)
 クラスのあちこちで零れた溜息、埋蔵金に抱いていたらしい夢。
 あったら是非とも掘りに行こうと、埋蔵金を見付け出そうと。
 それなのに「無い」と言われたわけだし、溜息をつきたくなるだろう。
 ハーレイは呆れていたけれど。
 「古典の授業も分からんようでは、埋蔵金など掘れないな」と。
 謎かけのような歌や古文書、それを解かねば掘れないから。
 もっともミュウの埋蔵金には、そんな仕掛けは無いだろうけれど。
(…最初から埋めていないしね?)
 それを知るのがキャプテン・ハーレイ、今の「ハーレイ先生」の前世。
 だから瞳を瞬かせた。
 「本物に向かって訊いているよ」と。


 ミュウの歴史の生き証人。
 今の時代は超一級の歴史資料の、キャプテン・ハーレイの航宙日誌。
 白いシャングリラの舵を握ったキャプテン・ハーレイ、今のハーレイはその生まれ変わり。
 誰にも話していないだけのこと、中身はキャプテン・ハーレイそのもの。
(まさか本人に訊いたとは思っていないよね…)
 質問していた、あの男子。
 「ミュウの埋蔵金は無いんですか?」と。
 埋蔵金は無いと聞かされて、彼もガッカリしていたけれど。
 もしもあるなら掘りたいと思って、あの質問を投げたに決まっているけれど。
(…ハーレイが「無い」って答えたんだし、間違いないよ)
 だってキャプテン・ハーレイだもの、と可笑しい気持ちになってくる。
 埋蔵金を埋めていたなら、陣頭指揮はキャプテンだから。
 「此処に埋めろ」と皆に指図して、埋める所を見届ける。
 埋め終わったなら、謎かけのような暗号だって作るのだろう。
 ミュウの仲間にしか解けない暗号、それを作って、練り上げて…。
(航宙日誌に挟むのかな?)
 紙に書き付けて、日誌の何処かに。
 あるいは埋蔵金を埋めた日の日誌、その日の記述に織り込んだり。
(アルテメシアでは埋めてないけど…)
 赤いナスカに埋めていたなら、きっと自分も聞けた報告。
 一刻も早く脱出せねば、と大混乱だった船の中でも。
 「実はナスカに埋めてあります」と、「掘り出す時間は無さそうですが」と。
 あんな騒ぎの真っ最中では、とても掘りには行けないから。
 埋蔵金は置いてゆくしかないから、きっと眉間に深い皺。
 「こんなことなら、埋めずに船に置くべきでした」と、「私の判断ミスでした」と。
 ハーレイがそれを言いに来たなら、きっと微笑み返しただろう。
 「皆が無事なら、それでいいんじゃないのかい?」と。
 埋蔵金よりも皆の命だと、どんなに凄い宝物でも、命に比べたらガラクタだろう、と。


 前の自分なら、きっとそう言う。
 ハーレイがナスカに埋めて隠した埋蔵金。
 それがシャングリラの全財産に等しいものであっても。
 ナスカと一緒に無くなったならば、もうシャングリラは一文無しでも。
(…みんなの命の方が大切…)
 財産だったら、力を合わせてまた手に入れればいいのだから。
 一つしかない命と違って、代わりのものがあるのだから。
 命さえあれば、もう一度築けるだろう財産。
 ナスカの代わりの大地も見付かる、皆がその気になりさえすれば。
 けれど、命は失くせない。
 失くしてしまえばそれで終わりで、二度と手に入れられないのが命。
 誰の命も、全部かけがえのないものばかり。
 ナスカに埋めた埋蔵金なら、消えたとしたって一文無しになるだけなのに、命は違う。
 「命あっての物種」と言うくらいなのだし、命が無ければ始まらない。
 一文無しでも生きてさえいれば、頑張り次第で、また豊かにもなれるのに。
(だから、埋蔵金、無くなっちゃっても…)
 かまわないよ、と前の自分は微笑むだろう。
 「そんなことより、ナスカから皆を脱出させて」と。
 埋蔵金のことで心を痛めているより、キャプテンらしく皆の命を最優先で、と。
 そして自分はメギドに向かって飛び立つのだろう。
 全財産よりも大切なものを、ミュウの未来を守り抜くために。
 自分一人が命を捨てれば、皆の命を救えるから。
 白いシャングリラに、箱舟に乗った仲間たち。
 どんな財宝よりも眩く煌めく、皆の命を守らなければ。
(でも、ハーレイの暗号は…)
 きっと「見せて」と頼むのだろう、ハーレイから話を聞かされた時に。
 冥土の土産にとは明かせないけれど、見れば心が和むだろうから。


(どんな暗号なんだろう…?)
 ハーレイがそれを作っていたなら、埋蔵金を埋めていたならば。
 前の自分は読み解けたろうか、ハーレイの心を覗かなくても。
 「お手上げだよ」と降参していただろうか、「この暗号はどう読むんだい?」と。
 ハーレイに答えを教えて貰って、埋めてある場所を思念の瞳で、青の間から眺め回してみて。
 きっと自分は笑っていたろう、「流石だね」と、「ぼくにも分からなかったよ」と。
 もう回収は出来ない財産、埋蔵金を失くしてしまって、ミュウは一文無しだけれども。
 そういう日々が始まるけれども、ハーレイなら、きっと上手くやる。
 「頼むよ」と肩を叩けただろう、「君なら出来る」と。
 「また頑張って財産を築いてくれたまえ」と。
 困り顔のハーレイが目に見えるようで、メギドに飛ぶ前のブリッジよりも…。
(そっちの方が、本当のお別れ…)
 二人で笑って、笑い合って。
 明日からミュウは一文無しだと、キャプテンが頑張らなければと。
 「私がですか?」と呻くハーレイに、「君の責任なんだろう?」と飛ばす軽口。
 働き口を見付けて頑張りたまえと、人類の船なら給料もきっと高いだろうと。
 それだけ二人で笑い合えたら、思い残すことはきっと無かった。
 ハーレイの方では気付かなくても、充分に取れた別れの時間。
 キスは無くても、笑い交わしただけの時間でも。
 鳶色の瞳を、ハーレイの笑顔を、心に刻み付けられたから。
 命と引き換えに守るべき命、ハーレイの命もその中の一つ。
 誰よりも愛した人の命を、この宝物をぼくが守る、と。
(ハーレイの命が、前のぼくの最高の宝物…)
 船の仲間の誰よりも。
 自分の命と引き換えにしても、守り抜きたかった宝物。
 ハーレイの命だったから。
 いつも守ってくれたハーレイ、そのハーレイが宝物だったから。


(暗号、ちょっぴり見たかったかも…)
 ミュウの埋蔵金は無かったのだし、夢物語に過ぎないけれど。
 それに失くした筈の命も、何故だか持っているけれど。
(…ミュウの埋蔵金…)
 あったとしたなら何処に埋めたか、どんな暗号を作っていたか。
 いつかハーレイに訊いてみようか、「ハーレイだったら、どう隠してた?」と。
 前の自分の口真似をして。
 「ハーレイ、君なら何処に隠す?」と、「ぼくにも教えて欲しいんだけどね」と。
 今のハーレイも、大切な宝物だから。
 誰よりも好きでたまらないから、ハーレイのことなら、どんなことでも知りたいから…。

 

         宝物の君・了


※埋蔵金の話を聞いたブルー君。無かった筈のミュウの埋蔵金、それを楽しく想像中。
 キャプテンの方のハーレイだったら、暗号にも凝っていたでしょう。うんとレトロにv





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