(んーと…)
ぼくだよね、と小さなブルーが眺めた鏡の向こう。
お風呂上がりにパジャマ姿で、バスルームの隣にある部屋で。
ゆっくりと浸かって来たお風呂。
今日はハーレイは来てくれなかったけれど、けして悪い日ではなかったから。
母が焼いたケーキも美味しかったし、夕食だって。
ハーレイが来ない日も、珍しくはない。来てくれるのは仕事が早く終わった日だけ。
(今日も来て欲しかったけど…)
そんな我儘を言えはしないから、明日という日に期待する。「来てくれるといいな」と。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
(またハーレイと会えたんだものね)
それだけでも充分幸せだから、見詰める幸せ者の顔。
前の自分とそっくりな顔が、其処に映っているのだけれど…。
(そっくりでも、チビ…)
ぼくがチビだった頃にそっくり、と残念な気持ちは否めない。
もっと大きく育っていたなら、今頃は此処にいないのに。
同じ鏡を眺めるにしても、違う家で鏡を見ている筈。…ハーレイの家で。
(前のぼくと同じ姿だったら、ハーレイと結婚出来たんだもの…)
結婚出来る年になっていたなら、とうの昔に挙げていたろう結婚式。
再会して直ぐに、プロポーズされて。
ハーレイに結婚を申し込まれたら、もちろん「嫌」と言う筈がない。
上の学校に通っていたって、学校は辞めてお嫁さん。その方がいいに決まっているから。
(パパとママだって…)
最初は驚くだろうけれども、きっと許してくれる筈。
ハーレイが「息子さんを下さい」と頼みに来たなら、怒って叩き出しはしないで。
とても優しい両親なのだし、ハーレイだって、とても頼りになるのだから。
もしも結婚出来ていたなら、ハーレイの家で鏡を覗いたろう自分。
お風呂から上がって、「これでいいかな?」と。
前の自分と同じ髪型、ソルジャー・ブルー風のカットの自分。
銀色の髪は寝癖がつきやすいから、洗った後にはタオルでしっかり水気を拭う。
含んだ水気が滴らないよう、パジャマを濡らさないように。
そのくらいまで拭いておいたら、後は自然に乾いてくれる。
ベッドにもぐり込むまでの間に、ふうわりと、前の自分の髪型そっくりに。
柔らかく流れて、きちんとソルジャー・ブルー風に。
(…そうやって、ちゃんと乾かしたって…)
朝になったらついている寝癖、たまに起こってしまうのが悲劇。
ぐっすり朝まで眠る間に、枕が悪戯したりして。
起きたらピョコンと跳ねているとか、酷い時にはクシャクシャだとか。
(ママに直して貰わないと…)
自分では上手く直せないから、出来ればつけたくない寝癖。
きっとハーレイと結婚したって、寝癖は自分で直せはしない。無駄に時間を費やすだけ。
(こうすれば、って…)
格闘したって、上手に直せない寝癖。
笑うハーレイが見えるようだから、そうならないよう、眠る前にはきちんと手入れ。
お風呂でしっとり濡れた髪の毛、それがすっかり乾くよう。
鏡を見ながらタオルでゴシゴシ、雫が滴り落ちなくなるまで。
(やることは今と同じだけれど…)
ハーレイの家なら良かったのにね、と見詰める鏡。
これがハーレイの家にある鏡だったら、もう最高に幸せなのに。
ハーレイが他の先生たちと食事に出掛けて、まだ帰ってはいなくても…。
(その内に帰って来るんだものね?)
欠伸しながら待っていたなら、「ただいま」と「遅くなってすまん」と。
「悪かった」と貰えそうなキス。
ハーレイもお風呂に入るだろうけれど、その間だってきっと幸せ。
もうハーレイは家にいるから、後は二人きりの時間だから。
ハーレイの家の鏡だったら良かったのにね、と覗き込んでも、鏡の向こうは変わらない。
チビの自分が映っているだけ、後ろにあるのも見慣れた部屋。
(…もっと大きくならないと…)
前のぼくとおんなじ顔が鏡に映ってくれないと、と願ってみたって、使えない魔法。
今すぐ大きくなれはしないし、ハーレイの家に飛んでもゆけない。
なんとも悲しい気持ちだけれども、こればっかりは仕方ない。
自分の運が悪かったのだ、と戻るしかない自分の部屋。階段を上って、二階まで。
(ぼくの顔には違いないけど…)
髪型も前と同じだけれど、とベッドにチョコンと腰を下ろして考える。
もっと大きく育った姿で、ハーレイと再会したかったと。
そうなっていたら、同じ鏡を覗くにしたって、ハーレイの家の鏡だったのに、と。
(ホントに運が悪いんだよね…)
まだまだ結婚出来ない上に、キスさえ許して貰えないチビ。
それが自分で、ハーレイはいつも余裕たっぷり。
「ぼくにキスして」と強請ってみようが、「キスしてもいいよ?」と誘おうが…。
(キスは駄目だ、って…)
前の自分と同じ背丈に育たない内は、ハーレイはキスをしてくれない。
キスを強請ると叱られる上に、額をコツンと小突かれもする。
「キスは駄目だと言ったよな?」と。
そういう約束をしている筈だと、「俺は子供にキスはしない」と。
なんともケチな今のハーレイ、腕組みをして睨む時もある。
「チビのくせに」と、「キスは大きくなってからだ」と。
そう言われる度に、プウッと膨れてやるのだけれど。
プンスカ怒って、「ハーレイのケチ!」と言ってやるのだけれども、いつも涼しい顔の恋人。
「ケチで結構」と言わんばかりに、聞く耳さえも持ってはいない。
酷い時には、膨れた顔を笑うほど。
「フグそっくりだ」と、「今日も見事に膨れたよな」と。
プウッと膨らませた頬っぺたを両手でペシャンと潰して、「ハコフグだ」とも。
今の自分がチビなばかりに、キスをしてくれないハーレイ。
おまけに怒って膨れてやったら、「フグ」と呼ばれて笑われる。
(酷いんだから…!)
ぼくは怒っているんだからね、と思ったけれど。
頬っぺたを膨らませてプンスカ怒っていたなら、一目で分かりそうだけど…。
(ちょっと待ってよ…?)
前のぼくは膨れていたんだっけ、と心の端を掠めた思い。
ソルジャー・ブルーだった前の自分は、今と同じにプウッと膨れていたのだろうか?
(…ハーレイと恋人同士になった頃には…)
とうに育って大人だったし、頬っぺたを膨らませてなどいない。
機嫌を損ねてしまった時には、知らん顔をしたり、ハーレイを無視していただけで…。
(膨れてないよね?)
今のハーレイが「フグ」と呼ぶような、子供っぽい顔はしていない。
もっと前にはどうだったろうか、今の自分と同じような姿のチビだった頃は…?
(あの頃だと、まだアルタミラから…)
脱出してから間も無い頃だし、不平や不満を言うなど、とても贅沢なこと。
心も身体も成長を止めて、長く過ごした自分だったけれど…。
(檻から出られて、自由になれただけで幸せ…)
仲間たちと暮らせるだけで充分、プンスカ怒りはしなかった。
自分の我儘が通らないからと、「ハーレイのケチ!」と言いはしないし、他の仲間にも…。
(そんな我儘、言っていないし…)
言わないのならば、膨れっ面だってするわけがない。
プウッと膨れて不満たらたら、そういう場面は無かったから。
いくらチビでも、今の自分とは事情が全く違ったから。
(…前のぼく、膨れていないんだ…)
記憶にある限り、多分、一度も。
今の自分はしょっちゅう膨れて、「ハーレイのケチ!」とやらかすのに。
フグみたいにプウッと膨れた頬っぺた、それをハーレイが潰して遊ぶ時もあるのに。
どうやら膨れていないらしい、と気付いた前の自分のこと。
今と同じにチビの姿でも、前の自分は膨れていない。
(…ぼくの頬っぺた…)
大丈夫だろうか、と急に心配になって来た。
前の自分とそっくり同じ姿に、アルビノの子供に生まれた自分。
育っていったら、前の自分とそっくり同じになると思っているけれど。
ハーレイだって、それを楽しみに待っているらしいけれど…。
(…頬っぺた、鍛えすぎてない…?)
前の自分はまるで使っていない筋肉、それを使ってプウッと膨れている自分。
「ハーレイのケチ!」とプンスカ怒って、しかもハーレイが潰しにかかるものだから…。
(そう簡単には潰されないよ、って…)
頬っぺたに力を入れたりするから、きっと強いだろう頬っぺた。
ハーレイは簡単にペシャンと潰すけれども、そのハーレイは柔道と水泳で鍛えた身体。
手の力だってもちろん強いし、負けないように膨れていたならば…。
(頬っぺたの筋肉、鍛えすぎちゃってるかも…)
今日まで気付いていなかったけれど、前の自分は鍛えなかった筋肉を。
鍛えるどころか、ただの一度も使っていない筋肉を。
(……どうしよう……)
下手に頬っぺたを鍛えた分だけ、顔が変わって来たならば。
前の自分と同じ背丈に育った時には、前とは違う顔だったなら。
頬っぺたの筋肉を鍛えすぎたら、変わるかもしれない顔の輪郭。
もしかしたら、目とか鼻とか、唇とかのバランスだって…。
(前のぼくとは違っちゃうとか…?)
それは困る、と慌てて押さえた両の頬っぺた。「大変だよ」と。
前の自分とそっくり同じに育ちたかったら、膨れていたら駄目かもしれない。
けれど膨れるのが今の自分だし、気を付けていても膨れそうだから…。
(ぼくの顔だけど、責任、持てる…?)
前と同じにちゃんと育ってくれるだろうか、と不安な気持ち。
違う顔になったらどうしようかと、前の自分とは違う自分が出来上がったら、と。
(でも、頬っぺた…)
ハーレイのせいで鍛えすぎるんだしね、という気がしないでもない。
本当だったら前と同じに育つ所が、ハーレイのせいで違う顔。
(…ぼくの顔だけど…)
まるで違う顔になったとしたって、責任はハーレイに取らせようか、と浮かんだ笑み。
どうせ、その顔と結婚するのはハーレイだから。
自業自得というものなのだし、もし責任があるとしたなら、ハーレイだよね、と…。
ぼくの顔だけど・了
※ブルー君が心配になった、育った自分の顔のこと。「前のぼくとは違っちゃうかも」と。
けれどそうなる原因の方は、ハーレイ先生ということで…。責任を取らせるらしいですねv