(ハーレイ、来てくれなかったよね…)
今日はハズレ、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
仕事帰りに来てくれるのを待っていたのに、姿を見せなかったハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた、愛おしい人。
こんな日の夜は寂しい気持ちに包まれる。
「会いたかったよ」と、「ハーレイと過ごしたかったんだよ」と。
白いシャングリラで生きた頃には、会えない日などは無かったのに。
どんなにハーレイが多忙だろうと、何処かで時間が取れたのに。
(恋人同士なことは秘密でも、ソルジャーとキャプテンだったから…)
シャングリラの頂点に立っている二人が、会わずに終わる日などは無かった。
船を預かるキャプテン・ハーレイ、彼からソルジャーへの報告は大切。
一日の打ち合わせなどを兼ねての朝食の時間、それは必ず取られていた。
ハーレイが青の間まで訪ねて来て、ソルジャーと共に食べる朝食。
(キャプテンの仕事なんだと思われてたけど…)
実のところは、お互い、大いに楽しんでいた。
ソルジャーとキャプテンの貌であっても、二人きりでの食事だから。
給仕をする係の者はいたけれど、それでも互いの顔を見られて…。
(話も出来たし、うんと幸せで…)
この上もない至福の時だった、あの朝食。
それさえ、今では叶わない。
ハーレイの家は何ブロックも離れた所で、隣同士ではないのだから。
せめて隣に住んでいたなら、いくら守り役と教え子でも…。
(たまには、一緒に朝御飯だって…)
食べられたのに、と思うけれども、現実の方はこの通り。
ハーレイが仕事帰りに寄らなかったら、こうして溜息をつくばかり。
「会いたかったよ」と、恋人の姿を思い浮かべて。
なんとも寂しい、こういう夜。
前の生でも一人の夜はあったけれども、朝が来たなら、朝食の時間で…。
(ちゃんとハーレイが来てくれて…)
幸せな時間を持てたのだから、今ほど寂しくはなかったと思う。
あの頃の自分は、充分、寂しかったのだけど。
「どうして今夜は会えないんだろう」と、ハーレイの居場所を思念で探って…。
(忙しいんだから仕方ない、って…)
無理やり自分を納得させては、ベッドで一人きりで眠った。
「明日の朝には会えるんだから」と、呪文のように心で繰り返しながら。
ハーレイは、それを裏切ることなく、次の朝には訪ねて来てくれて…。
(昨夜はすみませんでした、って…)
食事の係に聞こえないよう、ちゃんと謝ってくれていた。
ハーレイが謝ることではないのに、多忙だったことを気真面目に詫びて。
(だけど今だと、お詫びも無しで…)
放っておかれて、それでおしまい。
次にハーレイに会った時には、今日のことなど詫びてもくれない。
どうして寄ることが出来なかったか、その理由さえも話しはしない。
来られない日が長く続けば、流石に言ってくれるのだけど。
(会議があったか、柔道部なのか、それとも他の先生たちと…)
楽しい食事に出掛けて行ったか、それさえも分からないのが今。
おまけに思念で探りたくても、今の自分のサイオンは…。
(うんと不器用になっちゃって…)
思念波さえもろくに紡げないから、ハーレイの行方は分かりはしない。
だから余計に寂しくなる。
「どうしちゃったの?」と、ハーレイの様子が知りたくて。
チビの恋人など忘れてしまっていたっていいから、せめて今、何をしているか。
姿が見えれば、気配が分かれば、寂しさが少し和らぐのに。
ハーレイの「今」を見られさえすれば、それで充分、満足なのに。
(……だけど、無理……)
今の自分には出来ない芸当、どうにもならない寂しい時間。
どんなにハーレイを想っていたって、思念さえも届けられないから。
「大好きだよ」と囁きたくても、サイオンが不器用すぎるから。
(……あーあ……)
どうしてこうなっちゃったんだろう、とフウと大きく息を吐き出す。
今のハーレイと出会う前には、こんな夜など無かったのに。
夜になったら、読んでいた本をパタンと閉じて…。
(ベッドにもぐって、灯りを消して…)
次の日に備えて眠っていた。
弱い身体が、病気を連れて来ないよう。
睡眠不足になってしまうと、どうしても弱るものだから。
(本を読んだら、気は紛れるけど…)
それでも、ハーレイの顔がちらつく。
ふとしたはずみに、思い出して。
「今日はハーレイ、来なかったよね」と、悲しい現実に捕まって。
(……じゃあ、ハーレイがいけないのかな?)
会ってなかったら違ったのかな、と考えてみる。
聖痕のお蔭で巡り会えたけれども、それが未だに無かったならば、と。
(…ぼくはハーレイを知らないわけだし…)
夜に気になる人がいるなら、ハーレイと出会う前みたいに…。
(何か約束した友達とか、お休みの日に遊びたい友達…)
そうした人物が気にかかるだけで、溜息が零れることなどは無い。
友達と喧嘩なんかはしないし、約束したなら、約束は必ず果たされる。
遊びに行きたい友達だって、同じこと。
「次の休みに遊びたいな」と誘ってみたなら、快く承知してくれる。
もしも都合が悪いのだったら、「別の日に」などと。
溜息を零す必要はなくて、ただワクワクとしてくるだけ。
友達のことを、考えたって。
夜に姿が頭に浮かんで、あれこれと思い巡らせたって。
つまり、ハーレイが「いけない」らしい。
ハーレイに出会っていなかったならば、寂しい気持ちにはならない夜。
本を読んだり、友達のことを考えたりと、穏やかな時間を過ごせるだけで。
(……そうなっていたら、どうだったのかな?)
ぼくの人生、と想像してみることにした。
「ハーレイに出会っていなかったなら」と、この先のことを。
どういう具合に時が流れて、どんな風に生きて行けるのだろう、と。
(…ハーレイがいないなら、恋も無いよね?)
まだ小さいから、と自分の年を振り返ってみる。
前の生での記憶のせいで、ハーレイに恋をしているけれど…。
(十四歳にしかならない子供なんだし、ちょっと早すぎ…)
恋をするには、と自分でも一応、自覚はあった。
前の生でも、前のハーレイと出会った頃には、チビだった自分。
成人検査を受けた時のまま、成長を止めてしまっていたから。
(心も身体も育っていなくて、年はともかく、うんと子供で…)
ハーレイたちが「前の自分」を育ててくれた。
「しっかり食えよ」と食事を摂らせて、運動なんかもさせたりして。
(あの頃のぼくは、もうハーレイに恋をしてた、って分かるけど…)
それは後になって気付いたことで、当時の自分は気付いていない。
ただハーレイに纏わりついては、慕っていたというだけのこと。
つまり恋には早すぎた。
当然、今の自分にとっても、恋をするには早すぎる年が今の年齢。
(恋には早いし、友達と遊んで、勉強もして…)
その内に上の学校に行って、そこで出会うかもしれない「誰か」。
ハーレイとは別の恋のお相手、その人は、きっと…。
(女の子だよね?)
男じゃなくて、と大きく頷く。
前の自分の記憶が無ければ、男性には惹かれないのでは、と思うから。
ソルジャー・ブルーだった頃でも、ハーレイしか見えていなかったから。
(…ハーレイでなければ、ぼくの恋人、男でなくても…)
いいと思うし、実際、幼稚園の頃には、親指姫を探していた。
母が育てたチューリップの蕾を、片っ端からこじ開けて。
中に親指姫がいないか、小さな胸を高鳴らせて。
(親指姫を探すってことは、お姫様を見付けたかったんだから…)
いつか出会うだろう恋の相手も、女性だろうという気がする。
運命の相手に巡り会えたら、何度もデートを繰り返して…。
(プロポーズをして、結婚式…)
そしたら誰かが嘆くのかな、と可笑しくなった。
今の時代は「ソルジャー・ブルー」は、お伽話の王子様。
ミュウの時代の始まりを作った、大英雄でもあるのだけれども、憧れの王子様でもある。
写真集が人気で、何種類も売られているほどに。
その王子様と瓜二つなのが、大きく成長した時の自分。
ときめく女性は多いだろうし、恋の相手になれなかった人は、嘆きそう。
「どうして私じゃないのかしら」と、結婚すると耳にした時に。
選んで貰えなかったことを嘆いて、「どうしてなのよ」と。
(…ちょっぴり申し訳ないんだけれど…)
結婚相手は一人だけだし、恋の相手も一人だよね、と顎に当てた手。
前の生でも、ハーレイ以外は目にも入っていなかったのだし、今度も同じ。
そういう自分が恋をするなら、ハーレイでなくても、きっと一直線。
「好きだ」と思う人が出来たら、その人しか目には入らない。
周りを見たなら、もっと綺麗な人がいたって。
誰が見たって「あの人の方が…」と思うくらいに、素晴らしい美女に片想いされたって。
(…だって、そうだもんね?)
前のハーレイだって、そうだったものね、とクスッと笑った。
白いシャングリラで人気を博した、薔薇の花びらで作られたジャム。
欲しい人は抽選のクジを引くのだけれども、ハーレイだけは例外だった。
(キャプテンに薔薇のジャムは似合わないから、って…)
クジの入った箱は素通り、ついに引けないままだった。
ブリッジに箱が来ていた時には、ゼルだって引いていたというのに。
今の生でも恋をするなら、お相手は、たった一人だけ。
外見などにはこだわらなくて、どんなに周りが呆れようとも…。
(この人だ、って思った相手に恋をするよね)
女の子だけど…、と考えたところで我に返った。
その「女の子」を選んでいるつもりで、ハーレイを思っていた自分。
白いシャングリラの頃の記憶を、わざわざ引っ張り出してまで。
(…ハーレイでなくちゃ、ダメみたい…)
いくら寂しい思いをしても、と零れる溜息。
無意識の内に「ハーレイ」と比較するほどだから。
「ハーレイと出会わない人生」を想像したって、ハーレイが出て来るのだから。
(……やっぱり、君でなければダメだよ……)
だから放っておかないでよね、と心でハーレイに呼び掛ける。
寂しい思いは、したくないから。
一人きりになってしまった夜には、寂しくてたまらないのだから…。
君でなければ・了
※ハーレイ先生に出会わない人生を想像してみたブルー君。どんな人と恋をするのだろう、と。
けれど比べてしまっていた相手は、ハーレイ。無意識でも惹かれてしまうのですv
(……恋人か……)
恋人と言ったらブルーなんだが、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日に、夜の書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
(まだまだチビで、十四歳にしかならない子供で…)
とても世間では通らないから、まだ両親にしか打ち明けていない。
恋人がいることも、女性ではないということも。
(おふくろも親父も、うんと喜んでくれたんだがなあ…)
ブルーの両親はどうだろうか、と考え始めると前途は多難。
大事な一人息子のブルーが、よりにもよって男と結婚するなんて。
しかも相手は長い年月、信頼していた「守り役」のハーレイ。
ソルジャー・ブルーの生まれ変わりの、小さなブルー。
聖痕を持って生まれたブルーが、二度と聖痕に見舞われないようにと…。
(俺が守り役になっているわけで…)
キャプテン・ハーレイの生まれ変わりとして、ブルーの両親にも望まれた守り役。
安心して息子を預けていたのに、なんとキャプテン・ハーレイは…。
(前の生では、ソルジャー・ブルーの恋人で…)
誰も知らなかったというだけなんだ、とフウと溜息。
その辺の事情を説明したって、ブルーの両親は悔やむかもしれない。
「どうして息子に、こんな男を近付けたのか」と。
もしも守り役にしなかったならば、ブルーが記憶を取り戻していても…。
(今の人生ってヤツに引っ張られて、俺のことは、だ…)
それほど強くは気に留めないで、忘れた可能性もある。
最初の間は「恋人」と意識していても。
「ハーレイのことが好きだったんだ」と、魂は確かに覚えていても。
(…こればっかりは、分からんからなあ…)
他に好きな子が出来ちまったら、それっきりかも、という気もする。
逢瀬を重ねていなかったなら。
今のようにブルーの家に通って行っては、語らう時間が無かったならば。
充分に有り得た、その可能性。
今となっては起こり得ないけれど、あったかもしれない「もしも」というもの。
(…あいつの両親が、悔やまないことを祈るしか…)
ないんだよな、と仰ぐ天井。
いつかブルーにプロポーズしたら、待ち受けているだろう高いハードル。
ブルーの両親に何と言うのか、どうお許しを貰うのか。
(塩を撒かれて、叩き出されても…)
無理は無いのだし、そういう覚悟もしてはいる。
お許しが出るまで毎日通って、土下座を繰り返すこともあるかも、と。
(それでも、あいつを好きな気持ちは変えられないから…)
たとえ何年かかったとしても、高いハードルを乗り越える。
ブルーの両親の許しを貰って、結婚式を挙げなければ。
(……あいつは、駆け落ちを希望しそうだが……)
きっと言うぞ、と確信に近いものはあっても、してはならないものが駆け落ち。
それでは、自分とブルーは良くても…。
(俺の両親も、ブルーの両親も…)
悲しむことが分かっているから、その選択は避けなければ。
どんなにブルーが望もうと。
「逃げて来たよ」と荷物を抱えて、駆け落ちしようと促しに来ても。
(…それだけは、やっちゃ駄目なんだ…)
今度こそ幸せになるんだからな、と決意は固い。
前の生では許されなかった、愛おしい人と結婚すること。
それが叶うのが今の人生、おまけに青い地球に生まれて出来る結婚。
(神様の粋なはからいってヤツを…)
無駄にするなど、とんでもない、と思っているから、努力あるのみ。
ブルーの両親が反対しようと、それは激しくなじられようと。
「よくも息子を」と塩を撒かれて、毎日、門前払いだろうと。
(……前途多難ではあるんだが……)
ゴールを思えば楽なもんさ、と思うと鼻歌を歌いたい気分にもなる。
「認めて貰えない日々」を乗り越えた先は、前の生では叶わなかった結婚式。
ブルーと結婚指輪を交わして、それからはずっと二人で暮らせる。
誰にも後ろ指をさされることなく、堂々と。
何処に行くにも二人一緒で、あちこち旅行にも出掛けて行って。
(…あいつを嫁に貰ったら…)
やるべきことは山ほどあるぞ、とブルーと作ったリストを思う。
前の生から夢見たことやら、今の生で新しく出来た夢やら。
「結婚したら」と約束したこと、それを綴った二人で叶える夢たちのリスト。
端から叶えていくにしたって、いったい何年かかることやら。
(その上、これからも増えていくんだ)
結婚するまでの日々にはもちろん、結婚した後も夢たちは増えてゆくだろう。
前の生と違って、今度は希望に満ちているから。
ミュウの未来の心配も無くて、ブルーは自由なのだから。
(俺も今度は、シャングリラなんぞは背負っていないし…)
晴れて自由の身になったしな、と見回す書斎。
今の自分はただの教師で、重い責任などは何処にも無い。
ブルーも同じで、メギドに向かう少し前に口にしていた通りに…。
(…ただのブルーだ)
だから何でも出来るんだよな、と嬉しくなる。
結婚したってかまわないのだし、何処に出掛けてゆくのも自由。
もっとも、いくら自由と言っても…。
(…俺を忘れて、他の誰かと行っちまうのは…)
勘弁願いたいものなんだがな、と苦笑する。
さっき考えた「もしも」があったら、ブルーは行ってしまうから。
いくら「ハーレイ」を覚えていたって、「じゃあね」と新しい恋人と。
御免蒙りたい、ブルーに「新しい恋人」が出来ること。
今となっては有り得ないけれど、起こり得たかもしれない「それ」。
そうなっていたら、どれほどショックだっただろう。
ブルーはいるのに、目の前から消えてしまったら。
他の誰かを選んでしまって、「じゃあね」と去って行ったなら。
(いくら告白していなくても…)
今の生ではプロポーズをしていないとしても、ブルーがいなくなったなら…。
(……呆然自失で……)
頭の中は、きっと真っ白になるだろう。
前の生から愛し続けた、愛おしい人。
生まれ変わってまた巡り会えた、ブルーが行ってしまうのだから。
自分以外の誰かを見付けて、その人と恋を育んで。
その人と共に生きてゆこうと、結婚式を挙げて、指輪を交わして。
(…どうして俺じゃなかったんだ、と…)
涙に暮れても、どうすることも出来ない現実。
今のブルーが生きてゆくのは、「今のブルー」の人生だから。
前の生の記憶を持っていたって、それは単なる「アクセサリー」。
多分、人生のスパイスの一つ、味付けが珍しいというだけ。
前世の記憶を持つ人間は、恐らく、滅多にいないから。
おまけに今のブルーの場合は、とびきり素晴らしい前世。
誰もが憧れを抱く大英雄、「ソルジャー・ブルー」なのだから。
(…新しい恋人にも、きっと話して…)
大感激で話を聞いて貰って、それは幸せなカップルになる。
その人に聞かせる話の中では、「キャプテン・ハーレイ」は、単なるブルーの右腕で。
かつて恋人だったことなど、匂わせることもないままで。
(それを言ったら、大切な恋が台無しだしな?)
時の彼方でも浮気は浮気、と零れる溜息。
そうして「ハーレイ」は忘れられると、今のブルーは去ってゆくのだ、と。
(……まあ、実際には起きやしないんだがな)
あいつは俺にベタ惚れだから、とブルーの顔を思い浮かべる。
何かと言ったら「ぼくにキスして」と強請ってばかりの、我儘なブルー。
前のブルーと同じ背丈にならない間は、キスはしないと言ったのに。
唇へのキスは禁じてあるのに、あの手この手で欲しがるブルー。
(あれが厄介なんだがなあ…)
それでも去って行かれるよりは、と微笑ましくさえ思える今。
「もしも」と考えた未来の先には、「恋人のブルー」がいなかったから。
他の誰かに恋してしまって、「じゃあね」と去って行ったから。
(…本当に、それだけは勘弁なんだ…)
ブルーの両親が激怒しようが反対しようが、それくらいは全く堪えはしない。
お許しが出るまで通い続けて、ひたすら頭を下げ続けるだけ。
努力が報われる時さえ来たなら、ブルーと結婚出来るから。
前の生から二人で描いた、幾つもの夢も叶えられるから。
けれど、ブルーが去ってしまったら、自分は一人で放り出される。
せっかく青い地球に来たのに、愛おしい人を失って。
それも死神が連れ去る代わりに、他の誰かが攫って行って。
(だからと言って、俺も新しい恋をするなんて…)
とても無理だ、と自分でも分かる。
ブルーに出会ってしまったからには、「他の誰か」は有り得ないと。
今のブルーが去って行っても、心にぽっかり穴が開くだけで…。
(そいつを埋められる人間なんかは…)
いやしないんだ、と分かっているから、心の中で呟いた。
(俺は、お前でなければ駄目だ)
他の誰かじゃ駄目なんだからな、と愛おしい人に呼び掛ける。
昔も今も、「お前だけだ」と。
お前でなければ欲しくなどないと、「好きなのは、お前だけなんだ」と…。
お前でなければ・了
※ブルー君が新しい恋をしていたら、と考えてしまったハーレイ先生。可能性はあった筈。
もしもそうなったら、心に空いてしまう穴。ブルー君以外は考えられないのですv
(ハーレイ、来てくれなかったよ…)
残念だよね、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(…色々、話したかったのに…)
夕食も一緒に食べたかった、と残念な気持ちは膨らむばかり。
特に話したいことというのは、無かったのに。
夕食のメニューもごくごく普通で、前の生には繋がらないもの。
それでも「会いたかった」と思う。
学校では、顔を合わせたのに。
ハーレイの古典の授業もあったし、廊下で少し立ち話だって出来たのに。
(……ぼくって、欲張り……)
だけど仕方が無いんだよね、と自分の我儘な心に言い訳。
今はともかく前の生では、会えない日などは無かったから。
恋人同士になってから後は、文字通り「無かった」とも言える。
「ソルジャーとキャプテンの朝食」は毎日のことで、夜の報告もキャプテンの任務。
よほど忙しくならない限りは、一日に二度は、顔を見られた。
その上、仕事で忙しくなるのは、ハーレイばかり。
ソルジャーは多忙になりはしないし、ハーレイが来るのが遅くなった夜は…。
(サイオンで様子を探ったりして…)
頃合いを見ては、思念で語り掛けてもいた。
「まだ終わらない?」だとか、「終わったら、厨房で夜食を頼むよ」だとか。
そうやって部屋で待った割には、眠っていたりもしたけれど。
青の間や、キャプテンの部屋で待つ内に、睡魔に捕まって。
(…ふと目が覚めたら、ハーレイがぼくの隣で寝てて…)
温もりに包まれて、上掛けも二人で使っていたもの。
ハーレイがきちんと掛けてくれていて、夜着も着せ替えてくれていて。
(あーあ……)
ホントに残念、と今の自分の境遇が辛い。
せっかくハーレイと、青い地球の上に生まれて来たのに…。
(家は別々、おまけに離れているんだよ…)
お隣だったら良かったのに、と眺めるカーテンを閉ざした窓。
それの向こうは庭を挟んで、ハーレイとは違う隣人の家。
ハーレイの家は何ブロックも離れた所で、夜中に訪ねてゆくには遠い。
(夜中でなくても、バスに乗らなきゃ…)
行けはしなくて、おまけに自分がチビの間は…。
(……出入り禁止になっちゃった……)
だから行けない、と尽きない悔しさ。
前の生では、会えない日などは無かったのに。
それに自分がその気になったら、瞬間移動で一瞬の内に…。
(…ハーレイの所に行けたんだよ)
通路で一人の時なんかにね、と思い出しては、悲しくなる。
どうして今では、こうなのだろうと。
同じ地球の上に暮らしているのに、同じ町に家があるというのに。
(……神様の意地悪……)
感謝してるけど、ちょっぴり意地悪、と神様を恨みたくもなる。
こんな風にハーレイが来なかった日には、少しだけ。
「もっと会わせてくれてもいいのに」と、「会いたかったよ」と。
なにしろ前の自分といったら、前のハーレイとは「会えて当然」だったから。
どんなにハーレイが忙しかろうと、会えずに終わった日などは無い。
ソルジャーとキャプテンが「会えない」ほどでは、船の命運も尽きるというもの。
そこまで余裕を失った船は、とても地球には辿り着けない。
皆の心が一つでなければ、遠い地球など目指せはしない。
そうするためには、必要になるのが心の余裕。
ソルジャーとキャプテンがそれを失くせば、シャングリラは宇宙の藻屑と消える。
船の頂点に立った二人が、心の余裕を失ったならば。
けれど今では、どうだろう。
ハーレイは一介の古典の教師で、自分の方はチビの教え子。
たったそれだけ、重要人物などではない。
会えなくても誰も困りはしなくて、世界が滅びるわけでもない。
(…神様が、ちょっぴり意地悪しても…)
ぼくがガッカリするだけなんだよ、と肩を落とした。
ハーレイが家に来てくれなかった日は、こんな具合に溜息だけれど、ハーレイの方は…。
(何か用事があるってことだし、ぼくみたいには…)
残念がってはいないかもね、と想像してみる。
他の先生たちと食事に行ったか、あるいは家で気ままに夕食。
「今日の会議は長引いたよな」と、帰る途中で、買い物でもして。
食べたくなった料理を作って、一人でゆったり食卓に着いて。
(……食事が済んだら、コーヒーを淹れて……)
うんとリラックスしてるんだよ、と「そう出来る」ハーレイが羨ましい。
自分みたいに溜息を零す代わりに、寛ぎの時を持てるハーレイが。
「やっぱり大人は違うんだよね」と、「忘れられている」チビの自分が悲しい。
立派な大人のハーレイの場合、そうすることが出来るから。
チビの自分と過ごさなくても、時間の楽しみ方は色々。
出掛ける先もうんと多いし、愛車でドライブにも行ける。
思い立ったら、帰り道でもハンドルを切って。
「少しドライブして帰るかな」と、行きたい方へと進路を変えて。
白いシャングリラの頃と違って、今のハーレイは自由だから。
自分の行きたい所へ向かって、車を走らせられるから。
(……いいな……)
ハーレイ、ホントに羨ましいな、とドライブする姿が目に浮かぶよう。
前のハーレイのマントと同じ色をした、お気に入りの車。
もしかしたら「シャングリラ、発進!」と、ハンドルを切るのだろうか。
「ドライブに行くぞ」と決めた時には。
いつもの帰り道を離れて、何処かへ走ってゆく時には。
(…今のハーレイの、シャングリラだしね)
空は飛べない車だけれど…、と考えた所で、ハタと気付いた。
前のハーレイは、白いシャングリラで、どう生きたのか。
どうして今のハーレイの車は、「白くない」のか。
(……前のぼくが、いなくなっちゃったから……)
前のハーレイは、ただ一人きりで、白いシャングリラに残された。
ミュウの仲間が何人いようと、何処にもいなくなった恋人。
しかも、その人の最後の望みは、シャングリラを地球まで運んでゆくこと。
ソルジャーを継いだジョミーを支えて、座標も分からなかった星へと。
人類との戦いを無事に切り抜け、地球を探して辿り着くこと。
それが、ハーレイに課せられた使命。
「何処までも共に」と誓い合った人が、いなくなっても。
愛おしい人を失ってもなお、ハーレイは生きねばならなかった。
とうに魂は死んでしまって、生ける屍のようになっても。
「そうなってしまった」ことを隠して、キャプテンとして毅然と立って。
(…ハーレイは、それを魂の何処かで覚えていて…)
白い車を選ばなかった。
「好きな色だが、選べなかったな」と話した今のハーレイ。
そして濃い緑色の車を選んだ。
若いハーレイには地味すぎる色の、前のハーレイのマントの色を。
「この色がいいと思ったんだ」と、友人たちに「渋すぎる」と言われた車を。
次に車を買い替える時は「白にしよう」と、ハーレイは言った。
「お前と一緒に乗ってゆくなら、白がいいんだ」と。
「今度の俺たちのシャングリラだから、やっぱり白がいいだろう?」とも。
(……前のハーレイは、ぼくを失くして……)
それでも、たった一人で生きた。
生まれ変わってさえ、白い車を選べないほどの、深い傷を心に刻んだままで。
何処を捜してもいない恋人、その面影を忘れられないままで。
(…もしも、ぼくなら…)
どうなるだろう、とゾクリと凍えた背筋。
逆に、自分が失くしたら。
誰よりも愛おしい大切な人を、今のハーレイを失ったならば。
(……そんなの、絶対……)
耐えられやしない、と心臓を氷の手で掴まれたよう。
今日のように「来てくれなかった」だけでも、溜息が零れてしまうのに。
「神様の意地悪」と、ちょっぴり思ってしまうのに。
(…ハーレイが転勤になっちゃったりして…)
自分の学校を離れるだけでも、物凄く辛いことだろう。
まだ転勤して来たばかりだから、その心配は無いけれど。
仮に転勤するにしたって、同じ町の中の別の学校、其処へ移るだけで…。
(今の家から通勤出来るし、引っ越したりはしないんだけど…)
ハーレイが教師でなかった場合は、遠い所へ転勤する可能性もある。
地球の離れた地域どころか、他の星へと。
ソル太陽系の中では済まずに、ワープが必須の星系などへも。
そうなってしまえば、今のようには会えなくなる。
ハーレイが休暇を貰った時とか、仕事で地球に来た時にしか…。
(会えなくなってしまうよね?)
そんなの嫌だ、と首を横に振る。
「ハーレイに会えなくなっちゃうなんて」と、「ぼくには無理」と。
きっと毎日、涙に暮れることになる。
今のハーレイに会えなくなったら、ただ「転勤」というだけのことでも。
(……転勤だけでも、そうなんだから……)
ハーレイがいなくなったなら、と恐ろしさで血が凍りそうになる。
前のハーレイがそうだったように、今の自分が、愛おしい人を失くしたら。
考えたくもない事故か何かで、ハーレイを失ってしまったならば…。
(一日だって、生きていけない…)
たとえハーレイが望んでいたって、生きてゆくことなど、とても出来ない。
前のハーレイのように、生きられはしない。
愛おしい人を、失ったならば。
生まれ変わっても、また巡り会えた人が、この世から消えてしまったら。
(……絶対、ぼくには耐えられやしない……)
前のハーレイには悪いんだけど…、と小さく肩を震わせる。
ハーレイが味わった辛い思いに耐えられるほどに、今の自分は強くないから。
ソルジャー・ブルーだった頃であっても、無理だったように思えるから。
(…ごめんね、ハーレイ…)
耐えられないから、一緒に行くよ、とキュッと右手を握り締めた。
前の生の終わりに凍えた右手を、今度は凍えないように。
ハーレイの命が終わる時には、一緒に心臓が止まるように、と。
今度は、そういう約束だから。
そう出来るように二人の心を結んで、何処までも一緒に行くのだから…。
失ったならば・了
※ハーレイ先生を失ったならば、生きてゆけそうもないブルー君。たった一日だけでも無理。
前のハーレイには「そうさせた」くせに、自分にはとても出来ないのです。何処までも一緒v
(あいつと地球に来ちまったんだよなあ……)
信じられないことなんだがな、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた、コーヒー片手に。
今の自分が住んでいるのは、青い星、地球。
当たり前のように生まれ育ったけれども、前の生では違っていた。
遠く遥かな時の彼方で、「キャプテン・ハーレイ」と呼ばれていた頃。
青い水の星は憧れの星で、ミュウたちの約束の場所でもあった。
「いつの日か必ず、青い地球へ」と。
けれど、戦いの末に辿り着いてみれば、全く青くなかった地球。
その上、奪い去られた代償、多くの命が失われた。
アルタミラからの長い歳月、ミュウを導いた「ソルジャー・ブルー」までも。
(…前の俺は、全てを失くしちまって…)
生きる気力も失くしていたのに、行かねばならなかった地球。
そうすることがブルーの望みで、「追ってゆくこと」は許されなかった。
ブルーの寿命が尽きてしまうと分かった時には、共に逝くのだと誓ったのに。
何があろうと離れはしないし、何処までも二人、一緒にゆこうと。
(……それなのに、逝ってしまいやがった……)
俺を残して、と今でも胸がチリリと痛む。
ブルーは帰って来たのだけれども、こんな風に思い出した夜には。
メギドに向かって飛んで行ったきり、戻らなかった恋人を想う時には。
(…あいつは、確かに生きてるんだが…)
この地球の上にいるんだがな、と苦笑した。
今でも自分がこの調子だから、小さなブルーも気付いている。
「ソルジャー・ブルー」の面影が今も、「恋人の中で生きている」ことに。
十四歳にしかならないブルーと、前のブルーは見た目が違うものだから。
(それで嫉妬して、怒るんだ)
鏡に映った自分にな、と可笑しくなる。
まるで小さな子猫みたいだと、銀色の毛皮の子猫なのだ、と。
コーヒーのカップを傾けながら、クックッと肩を揺らして笑った。
「チビのくせに」と、「嫉妬するのだけは、一人前だ」と。
今のブルーはまだ子供だから、唇へのキスは許していない。
お蔭で、更にブルーは嫉妬する。
「前のぼくなら」と、「ソルジャー・ブルー」だった頃を妬んで。
ソルジャー・ブルーは自分だったのに、赤の他人であるかのように。
(まあ、こうやって笑えるのも、だ……)
あいつと地球に来られたからだな、と心で神に感謝した。
見えない神の粋な計らい、「青い地球の上に二人で生まれ変わって来る」こと。
ブルーも自分も、長い長い時を一瞬で越えて、青く蘇った地球に生まれた。
すっかり平和になった時代に、ごく平凡な人間として。
今度はソルジャーでもキャプテンでもなく、穏やかに生きてゆける人生。
(……いいもんだよなあ……)
前と違ってスリルは無いが、と考えてみる。
今だからこそ「スリル」だと言える、緊張の連続だった日々。
燃えるアルタミラから脱出した後、暗い宇宙を長く旅した。
飢えて死ぬかと思った時やら、人類軍に見付からないよう、息を殺していた時やら。
白いシャングリラが出来た後には、平和な時が流れたけれども…。
(それでも、仲間を助け出すために…)
前のブルーも、前の自分も、常に何処かで気を張っていた。
二人きりで過ごした甘い時間も、意識の底には、常に緊張があったろう。
「そういうものだ」と思っていたから、全く自覚が無かっただけで。
今の自分が同じ立場に立たされたならば、じきに参るに違いない。
(…前の俺は、とても強かったんだな)
身体が頑丈だったというだけじゃなく…、と感心する。
心も今より遥かに強くて、打たれ強かったに違いないぞ、と。
(……うん、そうだな……)
確かにそうだ、と気付かされたのが、前の自分の「心の強さ」。
前のブルーを失った後も、前の自分は懸命に生きた。
ブルーがそれを望んだから。
「頼んだよ、ハーレイ」と後を託して、メギドへと飛んで行ったから。
どんなにブルーを追ってゆきたくても、そうすることは許されない。
約束の場所へ辿り着くまで、白いシャングリラを地球へ運んでゆくまでは。
(…そうは言われても…)
今の自分なら、どうなったろうか。
生ける屍のように成り果ててもなお、地球への道を歩めただろうか。
(……そいつは、ちょっと……)
勘弁願いたいというもんだ、と肩を竦める。
いつ終わるともしれない旅路を、「ブルー無しで」歩んでゆくなんて。
「何処までも共に」と誓った愛おしい人を、失っても生きねばならないなんて。
しかも大勢の命を背負って、進んでゆかねばならない旅。
本当に「生ける屍」だったら、とても務まらなかった立場。
(…俺の心は死んでいたって…)
身体はキビキビと動き続けて、それと一緒に、精神も働き続けていた。
ブルーを失くして「死んでしまった」心を隠して、それまでの自分と同じように。
白いシャングリラを預かるキャプテン、皆が頼りにする者として。
(……俺には出来んな……)
とても無理だ、と考えただけでも恐ろしい。
今の自分が、もしもブルーを失ったなら…。
(…泣き喚くどころじゃ済まないぞ)
ショックで心臓が止まるかもな、という気さえする。
前の自分は、その衝撃を乗り越えたのに。
「ブルーが死ぬ」と知っていてなお、去り行く背中を見送れたのに。
今の自分は「持っていない」と、ハッキリと分かる、前の自分が持っていた強さ。
愛おしい人を失った後も、使命感だけで生きてゆく力。
(……とても無理だな)
あいつのいない人生なんて、と足元が崩れ落ちてゆくよう。
ぽっかりと空いた大きな穴へと、今の自分は飲み込まれて消えてゆくのだろう。
今のブルーを、失ったなら。
ある日突然、小さなブルーがいなくなったら。
(…そんなこと、起こりやしないんだが…)
今は平和な時代だしな、と思うけれども、それでも事故というものはある。
前の自分が生きた頃より、技術は遥かに進歩したけれど。
(……宇宙船の事故は、数えるほどで……)
滅多に起こりはしないものだし、起きた場合も、殆どの者は生還している。
よほど不幸な事故でなければ、命を失くしはしないけれども…。
(…今のあいつは、サイオンを上手く扱えなくて…)
タイプ・ブルーとは名ばかりだから、生存率は下がるだろう。
普通なら張れるサイオン・シールド、それを張ることが出来ないから。
突然の事故で宇宙に投げ出されたなら、今のブルーは死ぬしかない。
運よく周りに誰かいたなら、そのシールドに入れるけれど…。
(一瞬が命取りだしなあ…)
宇宙って場所は、と前の自分も、今の自分も、よく知っている。
「シールドを張れない人間がいる」と気付いて貰えるまでの間の、ほんの数秒。
それだけあったら、宇宙はブルーの命を奪う。
真空の空間で、窒息させて。
絶対零度の世界で凍らせ、小さな身体を圧し潰して。
(……本当に、そうなっちまうんだ……)
今のブルーが、宇宙船の事故に遭ったなら。
救命艇へと乗り移る前に、船が砕けてしまったならば。
そうなったならば、今の自分はブルーを失くす。
戻って来てくれた愛おしい人を、前の自分がそうだったように、奪い去られて。
(……もしも、あいつを失ったなら……)
きっと生きてはゆけないだろう。
前と違って、そこまで自分は強くはない。
それにブルーを失ってもなお、生きねばならない意味だって、無い。
(…俺が突然、いなくなっても…)
困るようなヤツは誰もいないな、と断言できる。
悲しむ者は大勢いたって、「生きてゆけなくなる」者はいない。
白いシャングリラを預かるキャプテンだった頃は、皆の命を支えたけれど。
キャプテンの自分の判断一つで、船の仲間の生死が左右されるから。
けれど今では、誰の命も…。
(預けられてはいないんだ)
ただの古典の教師なのだし、単なる社会の一員なだけ。
ブルーを失い、ショックで死んでしまったとしても、世界は変わらず回ってゆく。
教師の職は誰かが引き継ぎ、柔道部の顧問も、誰かが引き継ぐ。
嘆き悲しむ人の心も、その内に時が癒してくれる。
(…死んじまっても、いいってことだな)
今の俺なら、とフワリと軽くなる心。
ブルーを失うことがあっても、前ほど辛くないのだ、と。
失った時は、ブルーを追ってゆけばいい。
ショックで心臓が止まらなくても、自分の好きな方法で。
誰も「生きろ」と命じはしないし、今のブルーも…。
(…今度は、俺を止めやしないさ)
それどころか、待っているんだろうな、と浮かんだ笑み。
幸せに育った今のブルーは、そうだろうから。
一人きりでは寂しすぎるから、「ハーレイも来て」と言うだろうから。
(…そんな心配、要らないんだが…)
万一の時には、追って行くか、と傾けるコーヒーのカップ。
もしもブルーを、失ったら。
不幸な事故が起きてしまって、今のブルーを失くしたならば…。
失ったなら・了
※もしもブルーを失ったなら…、と考えてみたハーレイ先生。ショックで止まりそうな心臓。
けれど今度は、ブルーを追っても許されるのです。前ほど心が強くなくても大丈夫v
「ねえ、ハーレイ。ちょっと聞きたいんだけど…」
かまわないかな? と小さなブルーが傾げた首。
二人きりで過ごす休日の午後に、突然に。
お茶のセットが乗ったテーブルを挟んで、向かい合わせで。
(来た、来た、来た…)
またまたロクでもないヤツだ、とハーレイが心でついた溜息。
こういった時のブルーの質問、それは大抵、厄介なもの。
ウッカリ答えを返したばかりに、何回、肩を落としたことか。
「俺としたことが、また引っ掛かった」と。
「こんなことだと思っていたのに、やっちまった」と。
そうは思っても、聞き流すことも出来ないから…。
「ほう…。質問というのは、授業のことか?」
あえて方向を逸らしたけれども、ブルーは首を左右に振った。
「そうじゃなくって、ハーレイのことだよ」
「なるほどな。そういうことなら、中身による」
真っ当なものなら答えてやろう、と言ったら膨れたブルー。
「ハーレイのケチ!」と、頬っぺたをプウッと。
「中身によるって、それって、ケチだし!」
「俺は何度も懲りているんだぞ、選択をする権利がある」
くだらん質問には答えられない、とハーレイは腕組みをした。
「真面目なことなら、いくらでも返事をしてやろう」と。
「答える価値がある質問なら、言ってみろ」と。
「それじゃ聞くけど、ハーレイ、おねだりをどう思う?」
小さな子供がよくやっているヤツ、と投げ掛けられた問い。
「お店の前とかで見かけるでしょ?」と。
「はあ?」
「おねだりだってば、ああいう子供は許せない?」
叱りたくなる方なのかな、とブルーは興味津々な様子。
「ハーレイは気が短い方かな」と、「叱っちゃう?」と。
「ああ、アレか…。俺は、どちらかと言えばだな…」
微笑ましく見守っちまう方かな、と笑みを浮かべた。
褒められたものではないのだけれども、子供らしい我儘。
素直に気持ちをぶつけているのも、愛らしいから。
たとえ手足をバタバタとさせて、道にひっくり返っていても。
可愛いと思う、子供の「おねだり」。
幼い間は、我儘だって、言うべきだろうというのが信条。
自分を殺した「いい子」なんぞより、断然、悪ガキがいい。
だから我儘を言っても許すし、おねだりだって暖かく見守る。
おねだりする子の両親だって、さほど困ってはいないから。
「みっともないぞ」と叱っていたって、我が子は愛しい。
道でバタバタ暴れていようと、大泣きをして叫ぼうと。
そう思うから、ブルーに「俺は許すな」と笑顔で答えた。
「ああいう姿も可愛いもんだ」と、「元気でいい」と。
そうしたら…。
「それなら、ぼくもおねだりしていい?」
許せるんなら、とブルーの瞳が輝いた。
「ぼくも我儘を言っていいでしょ」と、「子供だから」と。
「なんだって?」
「だから、キスして! ぼくの唇に!」
おねだりしちゃう、とブルーは嬉しそうだけれども…。
「馬鹿野郎!」
小さな子供と言った筈だぞ、とブルーの頭に落とした拳。
「お前は小さくないだろうが」と。
「キスをするには小さすぎるだけで、充分、デカイ」と…。
おねだりされたら・了