(ちゃんと、ハーレイに会えたんだよね)
今日は会えずに終わっちゃったけれど、と小さなブルーが思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が恋をした人。
生まれ変わってまた巡り会えた、愛おしい人が今のハーレイ。
世界はすっかり変わったけれども、前の自分たちの恋は変わっていなかった。
(出会った途端に…)
ハーレイなんだ、と分かったものね、と胸がじんわり温かくなる。
聖痕はとても痛かったけれど、ハーレイと自分の前の記憶を運んでくれた。
二人の心の奥に沈んで、ずっと眠ったままだったものを。
(…だから、すっかり思い出したし…)
ハーレイに「ただいま」を言うことが出来た。
前の自分が言えずに終わった、とても大切な「ただいま」の言葉。
メギドに向かって飛び去ったままで、前のハーレイには言えなかったから。
ハーレイは、待っていたのだろうに。
けして聞けないとは分かっていたって、前の自分が消えた時から。
(……前のぼくだって……)
その「ただいま」を言いたかったけれど、まさか言えるとは思わなかった。
キースに撃たれた痛みのせいで、ハーレイの温もりを失くしたから。
最後まで持っていたいと願った、右手に残った微かな温もり。
それを失くして、泣きじゃくりながら死んでいった自分。
「もうハーレイには、二度と会えない」と、「絆が切れてしまったから」と。
ハーレイの許へと帰りたくても、そうすることは出来ないのだ、と。
(…「ただいま」なんて、もう言えない、って…)
絶望の底に突き落とされて、闇の中へと吸い込まれた。
なのに、気付いたら、ちゃんと目の前にハーレイがいて…。
(…ただいま、って…)
言いたかった言葉を伝えた後は、恋の続きが始まった。
前の自分が焦がれ続けた、青い星の上で。
とても幸せな、今の人生。
SD体制がとうに崩壊した後、本物の両親から生まれた自分。
(…チビだったのが、ちょっぴり残念だけど…)
いつかは大きく育つ筈だし、そうなれば、全て、元通り。
(ううん、元通りどころか…)
もっと幸せになれるんだよね、と嬉しくなる。
今度は結婚出来るから。
前の生では恋を隠したけれども、今度は隠さなくてもいいから。
(結婚できる年になるまで…)
我慢するしかないんだけれど、と不満な点は、幾つかある。
唇へのキスが貰えないとか、ハーレイの家には行けないだとか。
けれど、そんなのは些細なことだと言えるだろう。
「ただいま」も言えずに、終わるよりかは。
ハーレイとは二度と巡り会えずに、それっきり恋を失うよりは。
(…そうだよ、それだけで充分、幸せ…)
恋の続きが出来るんだもの、と思った所で、ふと考えた。
「もしも、記憶が無かったら?」と。
今のハーレイと巡り会っても、記憶が戻って来なかったなら、と。
(……うーん……)
神様が起こしてくれた奇跡が、生まれ変わりと、今の自分が持つ聖痕。
前の自分が生の最後に、キースに撃たれた傷跡が現れるのが聖痕。
(…聖痕、ハーレイと出会った時に…)
その全貌を現したけれど、兆候は少し前からあった。
「ソルジャー・ブルー」の名前を聞いたら、右目の奥が痛む現象。
実際に血の涙も出たから、病院で診察を受けたほど。
(…でも、ハーレイと出会えたら…)
聖痕は姿を消してしまって、もう現れない。
あの聖痕が「合図」だったのだろう、という気がする。
今の自分とハーレイが持つ、前の生での数々の記憶。
それを再び解き放つための鍵で引き金、それが聖痕だったのだろう、と。
(…もしも、聖痕が無かったら…)
ただ二人して「生まれ変わって来た」だけだったら、どうなったのか。
聖痕が無ければ、前の生での二人の記憶は、戻って来ないままかもしれない。
巡り会えても、それだけのことで、今の自分とハーレイとが…。
(……出会うってだけ……)
それじゃ「ただいま」にならないよね、と首を捻った。
「はじめまして」な仲の二人で、今の自分が見たハーレイは…。
(…新しく来た、古典の先生…)
そういうことになっちゃうよ、と再会した日を思い出す。
今のハーレイが、今の自分がいる教室に入って来た日。
忘れもしない五月の三日で、聖痕が出たから、教室は大変な騒ぎになった。
(ぼくは痛みで気絶しちゃって、救急車が来て…)
ハーレイも救急車の中で付き添ってくれたという。
現場を見ていた唯一の大人、それに学校の教師だから。
(…でも、もう、その時には思い出してて…)
再会を遂げた愛おしい人が死なないようにと、懸命に祈っていたのだと聞いた。
なにしろ酷い出血だったし、事故だと思っていたものだから。
(…でも、聖痕が出なかったら…)
二人の記憶は戻らないまま、授業が始まったのだろう。
まずはハーレイの自己紹介から、そういう感じで。
(赴任して来るの、遅れたものね…)
本当だったら、年度初めに着任している筈だったのに。
それが遅れてやって来たから、そのことも含めて、自己紹介。
(…黒板に、「ウィリアム・ハーレイ」って書いて…)
笑顔で「今日から、よろしくな」と生徒たちに挨拶するハーレイ。
自分も記憶が無いわけだけれど、そうなってくると、その瞬間には…。
(……恋は無しかも……)
前のぼくだって、そうだったしね、と可笑しくなる。
本当は恋に落ちていたのに、気付かなかった、と。
アルタミラの地獄で出会った時から、ハーレイに恋をしていたのに、と。
前の生でのハーレイとの恋は、きっと出会った瞬間から。
お互い、そうとは気付かないまま、長い月日が経ったけれども。
(…一番、仲のいい友達…)
自分もハーレイも、ずっとそうだと思っていた。
「これは恋だ」と気が付くまでは。
だから今度も、そんな具合に違いない。
もしも記憶が戻って来なくて、ただの教師と教え子として出会っていたら。
本当は恋に落ちているのに、前と同じに、気が付かなくて。
(……男の先生に恋をするなんて、思わないものね?)
自分もそうだし、ハーレイの方もそうだろう。
教え子という点はともかく、「男の子」に恋をするなんて。
(…そうでなくても、学生時代は、うんとモテてて…)
女性ファンも多かったらしい、今のハーレイ。
それだけに、余計、「男の子」などに恋をするとは思わない筈。
ある日、「恋だ」と気が付く時まで、「今のブルー」のことは、せいぜい…。
(よく懐いている生徒かな?)
ぼくの方でも、「大好きな先生」程度なんだよ、と前の生でのことを重ねる。
前のハーレイの後をついて回っていた時代。
まだソルジャーには選ばれておらず、最強のサイオンを持っているだけのことで…。
(みんなが大事に育ててくれてた、あの頃みたいに…)
チビの自分は、「ハーレイ先生」に纏わり付くのだろう。
理由が何故かは分からなくても、大好きだから。
ハーレイ先生の顔を見たなら、それだけで元気が出るものだから。
(…柔道なんか、出来っこないのに…)
柔道部の練習を見たくて通って、いつの間にやら、すっかり常連。
そうなるくらいに、ハーレイの後を追い掛ける。
何故だか、好きでたまらないから。
(…年の離れた、お兄ちゃんかも…)
そういう風に思うのかもね、と微笑ましくなる、自分の行動。
前の生での恋のことなど、まるで全く覚えていないのに、気になるハーレイ。
いつでも姿を見ていたいほどに、柔道部に通い詰めるくらいに。
(…うん、きっと…)
前の記憶が無くっても、と確信に満ちた思いがある。
今度の生でも、「きっと、ハーレイを好きになる」と。
それが恋だと気付く前から、せっせとハーレイに纏わり付いて。
(…ハーレイだって、きっと、おんなじ…)
ぼくのこと、好きになってくれるよ、という自信。
柔道部に入部など夢のまた夢、そんな身体の弱い子供でも。
練習風景を見に通っていたって、風邪などで欠席しがちな子でも。
(…あの子は、今日も来ていないよな、って…)
また風邪なのか、と心配したりしてくれる内に、ある日、お見舞いに来るかもしれない。
「三日も来ないから、気になってな」などと、学校が休みの土曜か日曜に。
家の住所は、学校で聞けば分かるから。
(…お見舞いに来てくれたら、ビックリだけど…)
それでも、嬉しくてたまらないから、熱があっても笑顔になる。
「ハーレイ先生、来てくれたの?」と。
「ぼくは、こんなの、慣れているから」と、起き上がろうとするくらいに。
(…そしたら、「こら、病人は寝ているもんだ」って…)
額をコツンとやられるだろうか、今の自分が、よくハーレイにやられるように。
「熱があるのに、起きちゃいかん」と、「ゆっくり寝てろ」と。
(……そうだよね?)
だって、ハーレイなんだもの、と頭に浮かぶ優しい笑み。
それから、額を撫でてくれる手。
「熱いじゃないか」と、「しっかり眠って治さないとな」と。
(…その手が、とっても嬉しくって…)
もっと、もっと、と心で強請ってしまうのだろう。
「ハーレイ先生に、ずっと、こうやって側にいて欲しい」と。
「いつも先生の側にいたいな」と、「早く学校に行きたいよ」とも。
(…ぼくのサイオン、不器用だから…)
気持ちはハーレイに筒抜けになって、ハーレイは笑い出すのだろうか。
「そりゃまあ、いたってかまわないが」と、「休みだしな」と。
「しかし、お前は寝ていないとな」と、「そうだな、何か話してやるか」と。
そうやって距離が縮まってゆく。
互いに恋だと気付かないまま、少しずつ。
柔道部の試合を応援に行ったり、ハーレイが訪ねて来てくれたりと。
(…だけど、恋だと気付いてないから…)
仲のいい教師と生徒なだけだし、周りも変だと思いはしない。
二人で何処かに出掛けて行っても、ハーレイの車でドライブしても。
(…そんな風に、ずっと仲良く過ごして…)
恋だと気付く日がやって来るのは、何年も先になるのだろうか。
前の自分が、そうだったから。
ハーレイの方でも気が付かないまま、長い長い時が経っていたから。
(…そうなっちゃうかもしれないけれど…)
だけど、絶対、恋はするよ、とハーレイの姿を思い描いて、大きく頷く。
「前の記憶が無くっても」と。
全く覚えていないままでも、今度も、きっと恋をせずにはいられない。
ハーレイのことが、大好きだから。
生まれ変わっても恋をするほど、愛おしい大切な人なのだから…。
記憶が無くっても・了
※前世の記憶が無かったとしても、ハーレイ先生に恋をするよ、と思うブルー君。
時の彼方での恋と同じに、互いに恋だと気付かないまま、惹かれ合って。きっと、そうv
(生まれ変わりなんだよなあ…)
あいつも、俺も、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
十四歳にしかならない、小さなブルー。
遠く遥かな時の彼方で恋をしていた、愛おしい人の生まれ変わり。
「ソルジャー・ブルー」と呼ばれていた人、前の自分が誰よりも大切にしていた人。
その人と、再び巡り会えた。
気が遠くなるほど長い長い時が、流れ去った後で。
前の自分たちが焦がれ続けた地球、死の星だった星が青く蘇って来た、その場所に。
そして始まった、恋の続き。
果たせずに終わった沢山の夢を、約束を叶えてゆくために。
(まだまだ、先は長いんだがな…)
ブルーが育ってくれない内は、と分かってはいる。
結婚できる年の十八歳にならない限りは、ブルーとの恋は、当分、お預け。
(…あいつは、キスを強請って来るが…)
子供にキスは早すぎるから、強請られる度に叱っている。
そういう日々が、まだ何年も続くのだろう。
ブルーの方は不満たらたら、けれど、自分も残念ではある。
再会した時、ブルーが充分に成長していて、前と同じ姿だったら、と。
そうだったとしたら、迷いもしないで、直ぐにプロポーズをしたことだろう。
「俺と暮らしてくれないか」と。
「今度こそ、共に生きてゆこう」と、「誰よりも幸せにしてやるから」と。
前の自分たちを縛っていた枷、それはとっくに失せているから。
もうソルジャーでもキャプテンでもなくて、ただのブルーとハーレイだから。
(…そいつが、ちょっぴり残念なんだが…)
チビのブルーと過ごす時間も、前の生では得られなかった幸せなもの。
「だから不満を言いはしないさ」と思うし、現に、満足している。
いくらブルーがチビであろうと、中身の方も子供だろうと。
そんなブルーに恋をしたのは、忘れもしない五月の三日。
今の学校に赴任して来て、入ったブルーの教室で起きた事件のせい。
(あいつの右目から、血が流れ出して…)
驚く間もなく、両の肩から、左の脇腹から、溢れ出して来た大量の鮮血。
後に聖痕だと分かったけれども、あの瞬間には怪我だと思った。
生徒が事故に遭ったのだ、と。
(でもって、ブルーに駆け寄ってだな…)
抱き起こした途端に、膨大な記憶が交差した。
ブルーのと、それに自分の分と。
時の彼方で何があったか、自分たちは誰であったのか、と。
(思い出したら、もう、あいつしか…)
見えなかったし、心はブルーで一杯になった。
「俺のブルーが帰って来た」と。
赤いナスカでの惨劇の時に、失くしてしまった愛おしい人。
たった一人でメギドへと飛んで、二度と戻らなかった人。
「幽霊でもいいから、一目会いたい」と、何度願ったことだろう。
独りぼっちで残された船で、生ける屍のように暮らしてゆく日々の中で。
ブルーが自分に遺した言葉は、「頼んだよ、ハーレイ」だったから。
ジョミーを支えて地球に行くよう、ブルーは望んでいたのだから。
(そのせいで、あいつの後も追えなくて…)
どれほど辛い毎日だったか、思い出しただけで胸がズキリと痛む。
「よくまあ、耐えていられたもんだ」と、「今の俺なら無理かもしれん」と。
そうやって失くした、前の自分が愛した人。
「俺が死んだら、きっと会える」と思っていたのに、奇跡のように巡り会えた。
自分もブルーも、生きた姿で。
前の生で「行こう」と誓い合った地球に生まれ変わって。
お蔭で、今は幸せな日々。
今日のようにブルーに会い損なっても、きっと明日には会えるだろう。
明日が駄目でも、週末になれば、ブルーの家まで出かけてゆける。
そして二人でゆっくり話して、前の生での思い出話をすることだって。
(……幸せだよなあ……)
もう一度、あいつに会えたってこと、と思った所で、掠めた思考。
「もしも、記憶が無かったとしたら?」と。
自分もブルーも、生まれ変わって来たのだけれども、前の生での数々の記憶は…。
(…あいつに聖痕が現れるまでは…)
まるで全く無かったのだった、自分も、それにブルーの方も。
今にして思えば「あれが、そうか」と思う痕跡、それは幾つかあるのだけれど。
(白い車を勧められても、どうも気乗りがしなかったとか…)
そんな具合で、名残りならあった。
けれども、それらは「今だから分かる」というだけのこと。
記憶が戻っていない間は、特に不思議にも思わなかった。
(…ということは、お互い、記憶が戻らなかったら…)
今度の恋は無かったろうか、と傾げた首。
自分はブルーに恋をしなくて、ブルーの方でも、恋はしないで終わったろうか、と。
(……うーむ……)
どうなんだろう、とコーヒーを一口、喉の奥へと流し込む。
今のブルーに巡り会うまで、男性に恋をしたことは無い。
女性にだったらモテていたけれど、彼女たちを嫌うことも無かった。
(試合の応援に来てくれた時に、花束や差し入れを貰ったら…)
それは素直に嬉しかったし、子供部屋がある今の家だって…。
(いつか嫁さんと暮らすもんだ、と思ってたよなあ…)
ブルーじゃなくて、女性の嫁さん、と「ブルーに出会う前」を考えてみる。
そういう普通の思考の持ち主、ごくごく平凡な古典の教師。
教室でブルーに出会った途端に、見染めるのかと問われたら…。
(…有り得ない気が…)
ただのガキだぞ、と首を振る。
十四歳の子供なんかに、一目惚れは有り得ないだろう、と。
(どう考えても、俺の守備範囲から外れてるしな?)
子供な上に、男だ、男、と冷静に弾き出す答え。
いくらブルーが「小さなソルジャー・ブルー」な外見だろうと、たったそれだけ。
「なんとも可愛らしい生徒がいるな」と目を丸くして、きっと感心するだけだろう。
一目惚れなんかはするわけがないし、「授業を始める」と告げておしまい。
(…ブルーの方でも、やたら体格のいい教師が来たな、と…)
思って見ているだけだろうな、と容易に想像がつく出会い。
これでは恋が芽生えはしないし、「前の記憶」が無かったならば…。
(…恋はしないで、それっきりなのか?)
なんとも寂しい話なんだが…、と零れる溜息。
前の生では、あんなにも誓い合ったのに。
「何処までも共に」と、ブルーの命が尽きる時には、追って逝くとまで。
(……そこまでの恋が、消えちまって……)
出会えたとしても、教師と生徒で終わるだなんて、あまりに切ない。
自分たちには自覚が無くても、なんとも思っていないとしても。
(…せっかく二人で、青い地球まで来たっていうのに…)
前の俺たちの恋は跡形も残らないなんて、と考えるだけで悲しくなる。
遠く遥かな時の彼方で、失われて、それっきりなんて。
もう一度、巡り会えたというのに、気付きもしないでおしまいなんて。
(しかし、記憶が無いのでは…)
そうなるのも、やむを得ないだろうか、と深い溜息をついたはずみに、前の記憶が蘇った。
前のブルーと初めて出会った、アルタミラ。
メギドの炎で滅ぼされる前、シェルターの中に閉じ込められた。
そのシェルターを、サイオンで破壊したブルー。
けれどブルーは逃げもしないで、ただ呆然と座り込んでいた。
そこへ「凄いな、お前」と声を掛けたのは、誰だったのか。
子供にしか見えなかったブルーを相棒に選び、仲間を助けて回ったのは。
(……俺だったんだ……)
何も考えずに、あいつを選んだ、と思い出した時の彼方の記憶。
「理由なんかは何も無かった」と、「俺があいつを選んだだけだ」と。
そうやって出会い、始まった前のブルーとの日々。
時を経て、やがて恋が芽生えて、互いに求め合うようになった。
(ブルーにしたって、初めて出会った、あの瞬間から…)
阿吽の呼吸で、燃えるアルタミラを走り回って、共に乗り込んだ宇宙船。
後にシャングリラと名付けられた船へと、迷いもせずに。
あの時、互いの名前以外は、何一つ知らなかったのに。
本当に「出会った」というだけのことで、自己紹介さえしなかったのに。
(……ということはだ、俺とブルーは……)
何もしなくても引かれ合うんだ、と確信に満ちた思いが湧き上がる。
出会って直ぐから、誰よりも信頼し合っていた仲。
互いが誰かも、深く知らない間から。
ただ魂が引かれ合うから、突き動かされるように、手を取り合って。
(…そういうことなら、記憶が無くても…)
俺たちは恋をしたんだろうな、と浮かんだ笑み。
小さなブルーが子供の間は、ただの友達だったとしても。
仲のいい教師と生徒としてしか、互いを見てはいなくても。
(…そうだな、いつか時が満ちたら…)
きっとプロポーズをするんだ、俺は、と育ったブルーを思い浮かべる。
「お前が好きだ」と、「俺と一緒に暮らして欲しい」と。
ブルーの方でも、その時を待っていたかのように…。
(頷いて、「うん」と言ってくれるさ)
記憶が無くても、俺たちは、ずっと一緒なんだ、という気がする。
遠く遥かな時の彼方から、互いに恋をして来たから。
これから先も、ずっと遥か先も、ブルーと恋をしてゆくと思う。
たとえ、互いを忘れていても。
前の自分が誰だったのかを、全く思い出せなくても。
お互い、まるで記憶が無くても、互いに引かれ合うのだから。
自分はブルーを見付けるだろうし、ブルーも見付けてくれるだろうから…。
記憶が無くても・了
※もしも前世の記憶が無くても、互いに恋をしていただろう、と思うハーレイ先生。
この二人なら、そうなるに違いありませんけど、前の生の記憶があるのが一番ですよねv
(幻っていうのがあるんだよね…)
ホントは存在していないものが見えちゃうんだよ、と小さなブルーが思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(昔話とかに、よくあるヤツで…)
立派な屋敷やお城が見えていたのに、近くに行ったら消え失せるとか。
確かに見えていた筈の人が、フッと姿を消してしまうとか。
(サイオニック・ドリームだったら、簡単に出来ることなんだけど…)
昔の人はサイオンなどは持っていないし、色々な原因があったのだろう。
疲れ果てていて幻覚を見たとか、あるいは酒に酔っていたとか。
目の錯覚ということもあるのだけれども、見た人にとっては現実と同じ。
そう、その場所にいた時には。
幻だとは気付かないまま、その人と話していた時には。
(……うーん……)
だったら、あれも幻だよね、と思い浮かんだ青い水の星。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が焦がれた地球。
(行きたいなあ、って思っていただけの頃なら、夢なんだけど…)
いつか行きたい夢の星が地球で、幻だったとは言えないだろう。
たとえ、青い地球が無かったとしても。
本物の地球は蘇っておらず、死の星のままであったとしても。
(其処へ行きたい、って夢を持ってるだけで…)
幻の地球を見てなどはいない。
何度、心に思い描いても、それは憧れの星で、目標。
シャングリラと名付けた船で宇宙を旅して、いつの日か辿り着きたい星。
青く輝く銀河のオアシス、星の海に浮かんだ一粒の真珠。
(それを目標にしてるってだけで、幻を見てはいないよね)
行こう、と夢見ているだけで。
地球に着いたら「やりたいこと」を、幾つも夢に描いたとしても。
けれども、前の自分は出会った。
青い水の星の幻に。
その星を身に抱く少女に、よりにもよって、人類の世界で。
(……フィシス……)
忌むべき機械が、無から作った生命体。
強化ガラスの水槽の中で、機械に育てられていた少女。
(…理想の指導者を作り上げるために…)
機械が作り出したものだと、前の自分は知っていた。
ミュウとは対極にある存在で、その上、ヒトと呼べるかどうか。
三十億もの塩基対を繋ぎ、DNAという鎖を紡いで、機械が作ったのだから。
(…どう考えても、ミュウの長とは…)
相容れるモノではないのだけれども、何故か惹かれた。
人工羊水の中に浮かぶ少女に。
何故、惹かれたかは今も分からない。
あれが機械の罠だったならば、きっと酷い目に遭っていたろう。
水槽に手を触れた途端に、強い電流が流れるだとか。
タイプ・ブルーでも瞬時に避けられないほど、レーザーの雨が降り注ぐとか。
(…でも、そんなことは考えもせずに…)
前の自分は、水槽に触れて少女を眺めた。
胎児のように身体を丸めて、眠っているように見える少女を。
(……そうしたら……)
少女は不意に目覚めて、水槽の中からこちらを向いた。
とても愛らしい笑みを浮かべて。
それからまるで人魚みたいに、ゆらりと揺れて近付いて来て…。
(ぼくを見たから、水槽に手をくっつけて…)
少女が重ねて来た手を通して、ハッキリと見た。
自分を彼女に惹き付けたものを。
彼女が見ていた夢の中には、青く輝く地球が在るのだ、と。
フィシスが抱いていた、青い地球の映像。
機械が植え付けた記憶の一つ。
何故なら、機械が作った少女は、外の世界を「知らない」から。
無から生まれて、水槽の中で育って来たから、外の世界を知るわけがない。
本物の地球を見た筈も無いし、明らかに彼女の記憶ではない。
(…それは分かっていたんだけれど…)
一度、彼女の青い地球を見たら、忘れることなど、もう出来なかった。
水槽越しに彼女に触れれば、いくらでも青い地球が見られる。
焦がれ続けた、青い水の星が。
まだ座標さえも掴めていなくて、いつ行けるのかも分からない星が。
(……だから、とうとう……)
前の自分は、人類の施設から、彼女を攫った。
自分の強いサイオンの一部を彼女に移して、ミュウに仕立てて。
白いシャングリラの仲間を騙して、「ミュウの仲間だ」と偽ってまで。
(…本当のことを知っていたのは…)
前のハーレイだけだった。
他の仲間には、本当のことなど言えはしないし、隠すしかない。
それでも、フィシスが欲しかった。
彼女が抱く地球を「見たかった」から。
シャングリラに連れて来て側に置いたら、いつでも地球を見られるから。
(…あの青い地球は、本物なんだと信じていたけど…)
宇宙の何処かに、あの通りの地球が存在するのだ、と前の自分は思ったけれど。
船の仲間たちも信じたけれども、実際は、それは幻だった。
青い地球など、無かったから。
前の自分が命尽きた後、白いシャングリラが長い旅の果てに辿り着いた地球。
数多の犠牲を払った末に、ようやく目にした、地球という星は…。
(…赤茶けたままで、有毒の海と砂漠に覆われていて…)
かつて人間が放棄して去った、高層ビル群の廃墟までもが残されていた。
フィシスの地球は、青かったのに。
青く輝く美しい星が、その場所には在る筈だったのに。
(…フィシスの地球は、ただの幻…)
それが脆くも崩れ去った時を、自分は知らない。
前の自分は、とうの昔に、メギドで死んでしまっていたから。
どれほどの絶望が皆を襲ったか、考えただけでも恐ろしくなる。
もしも、その場に、前の自分が居合わせたなら…。
(なんて謝ったらいいのかさえも、分からないよね…)
青い地球を目指さなければ、と言い出したのは、前の自分だから。
地球を抱くフィシスを攫った時にも、自分自身に、そう言い訳した。
「いつか地球まで辿り着くには、フィシスが抱く地球を眺めることも必要なのだ」と。
どんなデータよりも確かだと思えた、青い地球へと降りてゆく映像。
それを見たなら、自分自身を鼓舞出来るから。
「地球へ行きたい」と願う気持ちが、より強いものになってゆくから。
(……そうやって、幻の地球を追い掛け続けて……)
前の自分の地球への思いは、夢から幻へと変化したと思う。
ただ「行きたい」と夢見た頃より、気持ちは強くなったのだけれど…。
(…一つ間違えたら、幻にすっかり夢中になって…)
現実を忘れかねない状態だった、と言えないこともないかもしれない。
実際、フィシスを攫ったから。
船の仲間たちを騙してまでも、幻の地球を手に入れたから。
(…おまけに、フィシスが抱いてた地球は、ホントに幻だったんだよね…)
あの青い地球は何処にも無かったんだから、と知っている今は、胸が微かにチリリと痛む。
「前のぼくは、幻を見ていたんだ」と。
酔っ払っていたわけではなくて、幻覚などでもなかったけれど。
機械に騙されていただけのことで、仕方ないとも言えるのだけれど…。
(あんな具合に、見たいものが見えてしまうっていうのが、幻かもね)
立派なお屋敷とか、お城だとか…、と考える。
会いたいと思う人が見えるとか、そんな具合に。
人の心は弱いものだから、簡単に騙されるのかもしれない。
見たいと思う幻に。
幻なのだと気が付くまでは、その幻が現実だから。
(…今は幻、もう見えないよね)
本物の地球に来たんだから、と見回した今の自分の部屋。
夜だからカーテンが閉まっているけれど、窓の向こうに見える景色は、地球のもの。
正真正銘、青い姿に蘇った地球の。
前の自分が生きた頃には、幻だった青い水の星。
それが今では現実になって、もう幻ではなくなった。
焦がれた星に生まれて来たから、今の生では、幻を追う必要は無い。
フィシスの地球を眺めなくても、好きなだけ地球を見られるから。
青く輝く地球の姿は、宇宙からしか見られないのだけれど。
(…今のぼくは、まだ見たことが無くて…)
宇宙旅行の予定も無いから、それを見られるのは、まだ先のこと。
とはいえ、宇宙から地球を眺められる日が来た時には…。
(……ハーレイが隣にいてくれるんだよ)
ちゃんと約束したんだものね、と見詰めた小指。
今のハーレイと交わした約束、宇宙から青い地球を見ること。
もう幻ではない地球を。
今の自分が住んでいる星を、ハーレイと暮らしてゆく星を。
今度こそ、共に生きられるから。
結婚出来る年になったら、ハーレイを選んでいいのだから。
(…まだ何年も先だけど…)
その日は必ず来るんだものね、と思った所で、掠めた思考。
「まさか、幻なんかじゃないよね?」と。
そういう幻も、あるものだから。
会いたいと思う人の姿が、ありありと目の前に見える幻。
昔話にはよくある話で、その人は、確かに其処にいたのに…。
(……朝になったら、消えてしまって……)
影も形も無かったという、悲しい話を幾つか読んだ。
幻だった人の方でも、「会いたい」と願ってくれていたから、会えた話を。
とても悲しい話の場合は、幻だった人はもう、この世にはいない。
魂だけが時空を越えて、会いに来ただけ。
会いたいと願った人の許へと、幻になって。
(……今のハーレイ……)
幻だったなら、どうしよう、と背筋がゾクリと冷えた。
今の自分は前の自分の生まれ変わりで、地球に生まれて来たのだけれど…。
(…ハーレイの方は、そうじゃなくって…)
生まれ変わって来てはいなくて、幻が見えているのかも、と。
「ソルジャー・ブルー」だった頃の記憶が戻って来たというのに、一人きりだから。
何処を探しても、どんなに待っても、ハーレイは現れなかったから。
(……そんなことって……)
絶対に無いよ、と思いたいけれど、前の自分さえもが追った「幻」。
青い地球の確かな姿を見たくて、フィシスを攫って来たほどに。
船の仲間たちを欺いてまでも、地球の幻に酔っていたくて。
(…今のぼくだと、前のぼくより…)
ずっと心が弱いのだから、ハーレイの幻を作りかねない。
「本物のハーレイ」に出会えなかった悲しみで。
もう一度、ハーレイに会いたいあまりに、幻のハーレイが見える世界に閉じ籠って。
(…でも、大丈夫…)
ハーレイは、ちゃんといる筈だもの、と机の上の写真に目を遣った。
夏休みの記念に撮った写真で、庭で一番大きな木の下、ハーレイと自分が写っている。
そこまで良く出来た幻なんかは、ある筈がない。
(うん、きっと…)
ハーレイは幻なんかじゃないよ、と浮かべた笑み。
他にも色々、探せば証拠が見付かるから。
今のハーレイは「今は、此処にはいないだけ」だから。
そういう証拠も、探せば幾つも見付かるだろう。
何故なら、一緒に地球に来たから。
今度こそ二人で生きてゆけるし、青い地球だって、もう幻ではないのだから…。
幻だったなら・了
※幻について考える内に、怖くなってしまったブルー君。ハーレイ先生も幻だったなら、と。
けれど、机の上には写真。他にも色々、証拠が見付かる筈なのです。本物だという証拠v
(幻なあ…)
そういうものがあるんだっけな、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
(…ずっと昔から…)
人間が地球しか知らなかった頃から、語り継がれて来たのが「幻」。
確かに「ある」と思えていたのに、儚く消えてしまう「幻」なるもの。
「幻」と纏めて呼ばれてはいても、現れるものは色々で…。
(…人間だったり、家や泉とか…)
規模の大きなものになったら、それは立派な町だったりする。
凄いものだと、理想郷の名に相応しいような場所とか。
(なんとも不思議なモノなんだよな)
幻ってヤツは、と書斎の本棚を見回してみた。
其処に並んだ趣味の本たち、それにも沢山出て来る「幻」。
昔話や伝説などには、よくある話なものだから。
(キツネやタヌキに化かされちまって、見る幻は…)
今の時代なら、サイオニック・ドリームの類なのだと言えるだろう。
遠い昔のキツネやタヌキが、サイオンを持っていたかどうかは、ともかくとして。
(…前のあいつでも、その気になったら…)
化かせたんだ、と前のブルーの比類なきサイオンを思い出す。
ブルーは化かさなかったけれども、もしも、やろうと考えたなら…。
(シャングリラの仲間を、端から化かして…)
昔話のキツネさながらに、肥溜めの風呂にも入れられただろう。
もっとも、白いシャングリラにも、改造前のシャングリラの時代にも…。
(肥溜めなんぞは、船には無かったんだがな)
だから肥溜めの風呂は無いな、とクスクスと笑う。
「その点だけは、安心だった」と
「もしも、ブルーに化かされていても、肥溜めに浸かる心配は無い」と。
おかしなことを考えちまった、と苦笑したくなる、シャングリラの肥溜め。
前のブルーが、サイオニック・ドリームで「化かした」時の話。
思考がズレてしまったけれども、「幻」は美しいものが多い気がする。
キツネやタヌキが化かした時にも、いつも肥溜めとは限らない。
(それは立派な屋敷が出て来て…)
絶世の美女がもてなしてくれて、山海の珍味が並ぶ食事に、フカフカの布団。
夢のような暮らしを満喫したのに、朝になったら…。
(…一面の野原のド真ん中で…)
パチリと目が覚め、美女も屋敷も跡形も無い、というケース。
その手の話も、珍しくはない。
ついでに、キツネやタヌキでなくても…。
(山奥で見事な花園を見るとか、そりゃあ色々と…)
美しい「幻」に出会う話も、それこそ世界中にある。
立派な町だの、理想郷だのも、美しいものには違いないから…。
(夢、幻って言われるくらいで…)
人間の願望から生まれて来るもの、それが「幻」なのかもしれない。
サイオニック・ドリームのように「かかる」ものではなく、自分で「かける」自己暗示。
「こういう暮らしをしてみたい」だとか、「此処に町があれば」という願望から。
(自分では、意識していなくても…)
知らない間に暗示をかけて、結果が出ることはあるだろう。
思いが切実になればなるほど、無意識にかけてしまいそうな暗示。
現実から「幻」の世界に逃げ込み、其処で安穏に暮らしたくて。
たとえ一夜の夢であっても、その夢も見ないで生きるよりかは…。
(少しは救いがあるってモンだな)
ほんの一瞬だけだとはいえ、現実から逃れられたから。
「夢だったのか」と思いはしたって、幻の世界では、確かに幸せだったから。
(…現実逃避というヤツも…)
程度によっては人を救うさ、と長い経験から知っている。
前の生で何度も夢見た、青く輝く水の星、地球。
青い地球まで辿り着けたら、と前のブルーと描いた夢たち、それも一種の幻だから。
まだ見ない地球を夢に見る度、ミュウの未来が見えない現実、その恐ろしさが和らいだから。
(…そう考えると、幻ってのも…)
悪いことばかりじゃないんだよな、と考える。
砂漠の真ん中で水が無い時に、オアシスの幻は、辛いけれども。
「これで助かる」と思っていたのに、オアシスは消えてしまうのだから。
(…それでもなあ…)
ただ干からびて死んでゆくよりは、まだ幸せな方なのだろうか。
ほんの一瞬、救いが見えたわけだから。
絶望も大きくなるだろうけれど、消えたオアシスの幻は、きっと救いにもなる。
「死んだら、あそこに行けるだろうか」と、最後に夢を見られるから。
今は一滴の水も無くても、水が溢れる世界に行ける、と。
(…そういう世界を夢に見ながら、死んで行けるなら…)
前のあいつより、ずっとマシだ、とギュッと握り締めた、自分の右手。
遠く遥かな時の彼方で、前のブルーの右手は凍えた。
白いシャングリラを守り抜こうと、一人きりでメギドを沈めた時に。
キースに銃で撃たれた痛みで、最後まで持っていたいと願った、温もりを失くして。
(…前の俺の腕に、最後に触れて行った時に…)
前のブルーが感じた温もり、それがブルーの大切な宝物だったのに。
「この温もりさえあれば、一人ではない」と、メギドまで持って行ったのに。
(あいつは、それを失くしちまって…)
泣きじゃくりながら、たった一人で死んでいくしか無かった。
「もうハーレイには二度と会えない」と、「絆が切れてしまったから」と。
(あの時のあいつに、俺の幻が…)
見えていたなら、きっと幸せだったと思う。
たとえ幻に過ぎないとしても、其処に「ハーレイ」がいるのだから。
失くしてしまった温もりの代わりに、前のブルーが、一番、見たいだろう姿で。
「ブルー、私なら此処にいますよ」と、笑みを湛えて。
(それが見えたら…)
前のブルーは、泣かずに済んだことだろう。
そんな幻が見えるのならば、絆は切れていないから。
いつか「ハーレイ」の命が尽きたら、もう一度、会えるだろうから。
けれど、ブルーは見られなかった。
誰よりも会いたいと願った筈の、愛おしい人の幻を。
ブルーの悲しみが強すぎたからか、あるいは意志が強すぎたのか。
「ソルジャー」だった前のブルーは、常に現実を見据えていたから。
青い地球には焦がれたけれども、幻の世界に逃げたりはせずに。
(そりゃあ、少しは、前の俺と同じで…)
現実逃避もしていたわけだし、地球の映像を抱くフィシスを攫っても来た。
それでも「幻」に逃げなかったから、最期の時にも、それが裏目に出たかもしれない。
「ハーレイの温もりが消えてしまった」という、現実だけがハッキリと見えて。
幻のハーレイを見ればいいのに、そちらへ逃げることは出来ずに。
(…そうだったかもなあ…)
可哀想に、と今更ながらに、前のブルーの悲しみと辛さを思わないではいられない。
幸いなことに、ブルーは帰って来たけれど。
絆は切れていなかったから。
青く蘇った水の星の上に、「ハーレイ」を追って生まれて来て。
(うん、俺たちは、また出会えたってな)
今度こそ、幸せになれるんだから、と広がる夢。
十四歳にしかならないブルーが、前のブルーと同じ姿に育ったならば…。
(結婚して、同じ家で暮らして…)
前の生で夢見た沢山のことを、二人で一緒に叶えてゆく。
「青い地球まで辿り着けたら」と、描いていた夢を、片っ端から。
(…全部、幻なんかじゃないんだ)
青い地球も、前の俺たちには夢だったことも…、と思った所で、掠めた不安。
「全部、幻ではないだろうな?」と。
何もかもが夢とは言わないけれども、「もしも、幻だったら」と。
青い地球にいる自分自身は、確かに存在しているとしても、他のこと。
また巡り会えた、小さなブルー。
前のブルーの生まれ変わりの、愛おしい人。
それが「幻」だったら、と。
実はブルーは何処にもいなくて、幻を見ているだけだったら、と。
(おいおいおい……)
いくらなんでも、それは無いだろ、と抓った頬。
確かに痛いし、夢を見ているわけではない。
机の上には、小さなブルーと二人で写した写真もある。
ブルーの家の庭で一番大きな木の下、其処で夏休みの記念に撮った。
だから「ブルー」は間違いなくいるし、幻のように消えてしまいはしない。
今、この瞬間、抱き締めることは出来ないけれど。
こんな夜更けに通信を入れて、声を聞くことも無理だけれども。
(…あいつは、ちゃんといるんだからな?)
都合のいい幻を見ちゃあいないさ、と思いはしても、恐ろしくなる。
「何もかも、幻だったら」と。
ブルーと再び出会えたことも、小さなブルーが、この世に存在していることも。
(…何もかも、俺の夢だったなら…)
きっと立ち直れはしないだろうな、と心臓が縮み上がるよう。
幸せな時を過ごして来た分、失くした時の痛みも強い。
いくら幻だったと知っても、「ブルー」がいた日々を諦めるなんて…。
(出来やしないし、そうなった時は…)
幻を追って行くんだろうな、という気がする。
自分が見ていた幻のブルーに、何処かで出会えはしないかと。
「きっと何処かに、いる筈なんだ」と、砂漠で幻のオアシスを追ってゆくように。
いつの日か、命尽きるまで。
そしてブルーが迎えに来るまで、ブルーの幻を追い掛けて。
(今のあいつが、幻だったら…)
間違いなく、俺はそうするだろうさ、と傾けたコーヒーのカップ。
たとえブルーが幻だろうと、忘れてしまえる筈がないから。
忘れてしまえるくらいだったら、幻のブルーの姿などには出会える筈もないのだから…。
幻だったら・了
※幻について考える内に、ブルー君が幻だったら、と恐ろしい考えになったハーレイ先生。
そうだった時は、幻を追ってゆくのです。きっと何処かで出会える筈だ、と幻のブルー君をv
(今度は年上なんだよね…)
正真正銘、ハーレイの方が、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
そのハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかったハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
青く蘇った水の星の上で、ハーレイは待っていてくれた。
チビの自分が、「ソルジャー・ブルー」だった魂が、再び生まれて来る時を。
二十四年も先に生まれていたというのに、他の誰かに恋もしないで。
(…ふふっ…)
ホントにハーレイの方が年上、と改めて考えて、嬉しくなった。
前の生では、違ったから。
外見だったら、ハーレイの方がずっと年上だったのだけれど…。
(本当の年は、前のぼくの方が…)
ずっとどころか、遥かに年上。
最初の間は、誰も気付いていなかったけれど。
なにしろ見た目は、誰よりも幼い、成人検査を受けたばかりの子供の姿。
それでは分かるわけがない。
本当の年は誰よりも上で、一番最初のミュウだったなんて。
(……自分でも、分かっていなかったかも……)
みんなに甘えていたんだものね、とアルタミラから脱出した船を思い出す。
まだ若かったゼルやヒルマン、ブラウにエラ。
みんな、「ブルー」を可愛がってくれた。
「まだ小さいんだから、沢山食べな」と言ってくれたり、頭を撫でてくれたり。
本当の年が分かった後にも、それは変わりはしなかったけれど。
(…だって、中身もチビの子供で…)
心も身体も成長を止めた、とても可哀想な「小さな子供」。
それをしっかり育ててやろう、と誰もが心を配ってくれた。
中でも一番、前の自分が頼っていたのが、前のハーレイ。
アルタミラから逃れる前から、ずっと二人でいたものだから。
前のハーレイと二人で懸命に駆けた、崩れ、燃え上がるアルタミラの地面。
他の仲間たちを助け出そうと、幾つものシェルターを開けて回って。
(…誰よりも息が合ったから…)
アルタミラから逃れた後の船でも、ハーレイについて回っていた。
「俺の一番古い友達だ」と、他の仲間に紹介してくれた、ハーレイに。
お蔭で、タイプ・ブルーを恐れ、遠巻きに見ていた仲間の視線も、優しくなった。
ハーレイは誰とも直ぐに打ち解け、信頼される人柄だったから。
(ホントに色々、助けて貰って…)
ついにはキャプテンにまで、なったハーレイ。
厨房で料理をしていたというのに、百八十度の方向転換をして。
「フライパンも船も、似たようなものさ」と、操舵まで出来るキャプテンに。
(…前のぼくが、ハーレイを推したから…)
前のハーレイは、キャプテンの道に進んでくれた。
誰よりも頼りになったキャプテン、前の自分の右腕だったハーレイ。
(ハーレイがキャプテンだったから…)
前の自分は、しっかりと立っていられたのだ、と確信できる。
ソルジャーという皆を導く立場に、その重圧に押し潰されることもなく。
いつも毅然と前を見詰めて、ただ一人きりのソルジャーとして。
(…だけど、中身は…)
前のハーレイに甘えっ放し、とクスッと笑う。
恋人同士になるよりも前から、ずっと甘えて、恋人同士になった後まで。
最後の最後まで甘え続けて、そのせいで…。
(超特大のツケが来ちゃった…)
メギドで独りぼっちになっちゃって…、と笑みが苦笑に変わった。
今でも右手が冷えた時には、あの悲しみを思い出す。
最後まで持っていたいと願った、右手に残った前のハーレイの腕の温もり。
キースに銃で撃たれた痛みで、知らない間に失くしていた。
死んでゆく間際に、凍えた右手。
ハーレイとの絆は切れてしまって、もう会えないのだと、突き落とされた絶望の淵。
前の自分は、泣きじゃくりながら死ぬことになった。
誰よりも頼りにしていたハーレイ、大切な恋人を失くしてしまって。
酷い目に遭った前の自分だけれども、神様がくれた、粋な計らい。
気が遠くなるような時を飛び越え、青い地球の上に生まれて来たら…。
(ハーレイの方が、ちゃんと年上…)
何の遠慮も要らないんだよね、と心がじんわり温かくなる。
ハーレイの方が遥かに年上なのだし、どんなに甘えても構わない。
傍から見たって可笑しくはないし、安心して甘えて、我儘も言える。
これが逆だったら、そういうわけには…。
(……いかないよね?)
ぼくの方が年上だったなら…、と想像してみて、肩を竦めた。
「そっちの方でなくて良かった」と。
もしも前の生での順番通りに、自分が先に生まれていたなら、ハーレイは…。
(…まだ生まれてもいないってこと?)
ぼくは十四歳だものね、と指を折る。
前の生での年の差だったら、ハーレイは、まだまだ生まれて来ない。
生まれるどころか、今のハーレイの両親だって、結婚しているかどうか怪しい。
(……うーん……)
今のハーレイとの年の差でもダメ、と愕然とする。
二十四歳も違うのだから、今のハーレイは、あと十年ほど経たないと…。
(…生まれて来てはくれないんだ…)
十年なんて長すぎるよ、と天井を仰いで溜息をついた。
今のハーレイは、長い年月を待ってくれたのだけれど、自分には無理な感じがする。
いくら記憶が無かったとはいえ、二十四年という歳月は長い。
それだけの間、他の誰にも目を向けないで、恋もしないでいられるかどうか。
けれど、神様の計らいがなければ、そうなっていたわけだから…。
(…ちょっとだけ…)
逆の世界を考えようかな、と好奇心が頭を擡げて来た。
「逆だったならば、どうなるわけ?」と。
今の自分が先に生まれて、ハーレイを待っていた場合。
どういう二人になっただろうかと、ちょっぴり「もしも」の世界を見よう、と。
(……んーと……)
待っている間の話は抜きで、と世界の設定を簡単にした。
他の誰かに恋をしたなら、厄介なことになるだろうから、ハーレイと出会う所から。
(逆にするんだし、年の差だって…)
今のぼくたちと同じでいいや、と二十四歳にしておくことに。
ただし、自分の方が年上。
出会いの年も、今の自分たちと同じでいいだろう。
(…ぼくの姿だって、前のぼくでいいよね)
今のハーレイの年になっちゃったら、前のぼくとは別になるから、と外見の年齢も決めた。
聖痕の方も、無視しておけばいいだろう。
どうせ「もしも」の世界なのだし、聖痕は抜きで、偶然の出会いということでいい。
(ぼくの仕事も、なんにも思い付かないから…)
ハーレイと同じで古典の先生、と、とびきり単純な世界を作った。
そういう世界で出会った二人は、どんな風に恋を育むのだろう。
(まず、ハーレイが十四歳で、ぼくの生徒で…)
うんと若くて、まだ子供だよ、と「十四歳のハーレイ」を頭に描く。
今のハーレイから、色々と話を聞いているから、ポンと浮かんだ元気一杯な少年の姿。
(きっと小さくても、ハーレイの面影、ある筈だよね)
どんな感じかな、と面差しを想像してみるけれど、どれが当たりか、よく分からない。
ヘアスタイルだって、どうだったのかは知らないし…。
(もしかして、それだけでも、うんと新鮮?)
前のぼくは知らない姿だもの、と気が付いた。
アルタミラの地獄で出会った時には、青年だった前のハーレイ。
成人検査よりも前の記憶は失くしていた上、その後の記憶も、曖昧なもの。
繰り返された激しい人体実験、それが記憶を切り刻んだから。
そのせいで、前のハーレイは…。
(ぼくと違って、成長を止めていなかったから…)
子供時代の自分の姿を、すっかり忘れてしまっていた。
だから、当然、前の自分も知るわけがない。
十四歳だった頃の前のハーレイ、その面差しがどうだったかは。
逆の立場で出会った場合は、珍しいものが見られるらしい。
十四歳の頃のハーレイに出会って、そこから青年に育ってゆくのを。
(なんだか凄い…)
それもいいかも、と胸がときめく。
ハーレイが十四歳だった場合は、今と同じで、やっぱりキスはお預けだろう。
どうしてハーレイが「ダメだ」と言うのか、それもちょっぴり分かる気がする。
(…いい年の大人が、チビの子供とキスなんて…)
良くはないよね、と素直に頷いたけれど、それは相手が「十四歳のハーレイ」だから。
キスをくれる立場のハーレイの方が、小さな子供になっているから。
(もっと育ったハーレイじゃないと…)
ぼくだって、変な感じになるよ、と思考の中身は、うんと我儘。
「キスをしてくれるハーレイ」の姿は、前と同じで頼れる姿の方がいい。
せめて青年と呼べる年まで、大きく育ってくれなくては。
(…そのためには、栄養…)
沢山食べて、早く育って貰わないと、と思う気持ちは、ハーレイの方も同じだろう。
十四歳の子供のままでは、「ブルー先生」とデートしたって…。
(…どう考えても、微笑ましいだけ…)
全然、絵にもならないよ、と分かっているから、ハーレイも急いで育ちたい筈。
前のハーレイほどの年になるには、うんと時間がかかるから…。
(目標は、アルタミラで出会った頃の姿かな?)
あの頃は、恋はまだだったけど…、と考えるけれど、新しい生だから、かまわない。
青年の姿に育ったハーレイ、そのハーレイとデートしたって。
「ソルジャー・ブルー」だった頃の姿なら、あのハーレイと充分、釣り合う。
それまでの間、キスは我慢で、ハーレイとデートするのなら…。
(早く大きく育つといいね、って…)
食事に行くのが多いのだろうか、ハーレイが喜びそうな店へと。
洒落たレストランや喫茶店よりも、子供が山ほど食べられる場所。
(…丼だとか、ラーメンだとか…?)
今のぼくには馴染みが無いけど、と小食な自分を呪うけれども、ハーレイのためなら…。
(ハーレイが山ほど食べてる隣で、ぼくは見てるだけ…)
それでもいいから、頑張らなければ。
ハーレイが育ってくれない限りは、キスもお預けなのだから。
(うんと頑張って、ハーレイを育てて…)
青年の姿になってくれたら、晴れて本物のデートに出掛けて、それからキス。
きっと幸せ一杯になって、涙が溢れて来るかもしれない。
「やっとハーレイと、本物の恋人同士になれる」と。
青年になったハーレイだったら、結婚も出来る年なわけだし、もうそれ以上は…。
(待たなくっても、結婚しちゃってかまわないよね?)
さて、その後は…、と突き当たった壁。
ハーレイが「前のハーレイ」とそっくり同じになるのがいいか、青年の姿の方がいいのか。
(…えーっと…?)
似合いなのは、青年のハーレイとのカップルかもしれない。
けれど、年を重ねた「前のハーレイ」の姿も捨て難い。
(……どっちにするの?)
年を取ったら、もう逆戻りは出来ないのだから、悩ましい。
ハーレイが年を重ねた後で、「若い頃の方が良かったかも」と考えたって、もう手遅れ。
(…それだけで、凄く悩んじゃうから…)
やっぱり今の通りでいいや、と想像するのは、其処までにした。
逆だったならば、先の未来で後悔するかもしれないから。
「どうして、若いままでいてくれなかったの?」と。
そうはならないとは思うけれども、不安は残るし、自分に自信も無いものだから。
なんと言っても長い人生、先のことなど、誰にも分かりはしないのだから…。
逆だったならば・了
※ハーレイ先生との年の差が逆だったならば…、と考えてみたブルー君。どうなるのかと。
青年のハーレイには出会えますけど、その後が問題。何処で年齢を止めて貰うか、悩みそうv
