(…ふうむ…)
少し開けておくか、と近付いたダイニングの窓。
ブルーの家には寄れなかったから、家で夕食。支度を済ませて食べる前。
キッチンからの匂いがこもったというわけではない、料理の匂いはむしろ歓迎。
食べる前から食欲をそそる、湯気の匂いもスパイスなども。
それを追い出すためとは違って、庭を眺めながら食べたい気分。
ガラス越しにもよく見えるけれど、青々と茂った木々を抜けて来る風も欲しくて。
風が通るよう、窓を開けに行った、「このくらいか」と。
開けた窓から虫が入らないよう、ひと工夫。
自然の虫よけ、ゼラニウムの鉢を窓辺の床に据えれば、まず安心。
それでも入ってくる虫がいるなら、それもまた良し。
彼らの住みやすい庭がある証拠で、隣近所にも緑が多いということだから。
サアッと吹いて来た心地良い風、「よし」とテーブルで始めた夕食。
もう暗いけれど、庭園灯が照らす緑の木々を見ながら。
たまに自分で手入れする芝生も、この季節は特に元気がいい。
その上を歩けば独特の感触、スポーツ用の芝生を思い出させる感覚。
(柔道に芝生は無いんだがな?)
あれは畳の上でするもの、でなければ専用のマットレス。
道場に行っても畳と板敷の世界、芝生は全く生えてはいない。
得意の水泳の世界でも同じ、プールの水底に芝生などは無いし、プールサイドにも。
レジャー用のプールだったら、芝生の庭がついていたりもするけれど。
自分が泳ぐようなプールには無い、本物の葉をつけた青い芝生は。
(俺とは直接ご縁は無いが、だ…)
学生時代はグラウンドで世話になっていた芝生。
サッカーやラグビー、そういったもので。
ボールを追うのに走り回った、広々と密に茂った芝生を。
足の裏に蘇ってくる芝生の感触、其処を走ったと高まる気持ち。
運動好きだけに、血が騒ぎ出す。
走ってみたいと、気持ち良く駆けてゆきたいと。
庭の芝生も悪くないけれど、もっと広い場所を心ゆくまで。
芝生でなくても走ってゆきたい、心おもむくまま、気の向くままに。
(ひとっ走りするかな…)
食事が済んだら。
後片付けを済ませて、コーヒーでも飲んで一服したら。
(食って直ぐには走れないしな?)
もちろん直ぐにでも走れるけれども、それでは消化に良くはないから。
半時間ほど休むのがいい、食事を収めた胃が落ち着くまで。
コーヒー片手に新聞でも読んで、それから走りに出掛けるのがいい。
ジョギング用の服に着替えて、靴だって走るための靴。
それが最適、健康的だし、何処までだって駆けてゆけるから。
今夜は此処まで、と折り返し点を決めるまで。
此処で帰ろうと向きを変えるまで、帰りの道へと走り出すまで。
そうしよう、と決めたけれども、食事が済んだらジョギングだけれど。
何も考えずに走っていいなら、今直ぐにだって走ってゆける。
窓辺の床に置いたゼラニウムの鉢、それを脇へとずらして庭へ。
ダイニングから外に出られるようにと置いてあるサンダル、それを引っかけて。
サンダル履きで走っていいなら、家の戸締りも気にしないなら。
ジョギング用のシャツやズボンの代わりに、今の普段着でいいのなら。
(そいつもなかなか…)
素敵ではある、思い付いて直ぐに走ること。
思い立ったが吉日とばかり、夕食も途中で放り出して。
子供の頃には本当にやった、食事中に何かを見付けたりしたら。
庭に見慣れない蝶が来たとか、子猫が迷い込んで来たとか。
もうそうなったら食事は放って庭に飛び出した、サンダル履きで。
サンダルも履かずに出たこともあった、大急ぎで裸足で駆け出した庭。
(…出て行く時は夢中なんだがなあ…)
戻って来る時にバツが悪かった、なにしろ食事の途中だから。
母には呆れられ、父にはこっぴどく叱られたりもした、「靴くらい履け」と。
サンダル履きの時はまだしも、裸足だった時は。
母が「足の裏をちゃんと拭いて入りなさい」と、雑巾を渡して寄越した時は。
今は流石にそれはやらない、この年で裸足で飛び出しはしない。
子供の頃より分別もあるし、年相応の落ち着きも身に付けたから。
それでも無性にやってみたくなる、思い立ったら走り出すこと。
夕食を放って、戸締りも放って、ダイニングから庭へと飛び出してみたい。
庭に出たなら芝生を突っ切り、門扉を開けて外の通りへ。
そうして何処までも走ってゆきたい、此処だと自分が思う場所まで。
此処で戻ろうと、折り返すんだと、家へと向きを変える時まで。
(呆れられるから、やらんがなあ…)
今のズボンと半袖シャツに、庭のサンダルを足に突っかけて走る。
それでも充分に走れるけれども、人並み以上の距離を走ってゆけるだろうけど。
何処から見たって、ジョギング向けではない服装。それにサンダル。
何を慌てているのだろうかと、誰もが振り向くことだろう。
飼っている猫か犬でも逃げ出したのかと、それを追い掛けているのかと。
どう考えてもそういう格好、今のシャツとズボンにサンダルならば。
けれど、人目を気にしないのなら、呆れられてもいいのなら。
食事を放って飛び出してもいい、子供時代にそうしたように。
バツの悪い思いをしてもいいなら、今のシャツとズボンにサンダル履きで。
庭へ駆け出し、それから芝生を突っ切って外へ。
表の通りをタッタッと走り、何処へゆくのも自分の自由。
此処で終わりだと、家に戻ろうと折り返し地点を決める場所まで、気の向くままに。
(そういうのも、やってみたいんだがな?)
この年でなければ、教師でなければ。
何処で教え子やその親に出会うか分からない上に、いい年だから。
人目を引くことはちょっとマズいと、やはり着替えて走らないと、と考えるけれど。
実際、そうして走りにゆこうと段取りを立てているのだけれど。
(…待てよ?)
思い立ったら飛び出してゆける、走ってゆける窓の外。
ゼラニウムの鉢を脇へずらして、置いてあるサンダルを足に突っかけて。
そのまま庭の芝生を走って、突っ切ったら門扉を開けて飛び出して…。
何処までも走れる、思いのままに。
折り返し点だと場所を定めるまで、此処で戻ろうと家へと足を向けるまで。
それを決めるまで、何処までだって。
真っ直ぐ北に走ってゆこうが、逆に南へと走ろうが。
西へゆこうが東にゆこうが、終点など無い窓の外。
もちろん、どちらへ向かった所で、夜を徹して走り続けたら、次の日も走って行ったなら。
山にもぶつかるし、川にもぶつかる、広い海にだって。
けれども、そういう障害物やら、終点なのだと言わんばかりの海にバッタリぶつかるまでは…。
(何処までも走っていけるじゃないか…!)
このダイニングから飛び出しても。
何の準備も整えないまま、今のシャツとズボンにサンダル履きでも。
少し開けてある窓の向こうを何処までも走れる、足の向くまま、気の向くままに。
此処で終わりだと遮られはしない、庭へ出ようとした瞬間に。
窓の向こうは自分が自由に走れる世界で、人目を気にせず走るのだったら、サンダル履きでも。
(そうだ、あの向こうは…)
風を入れようと開けた窓の外は、雲の海でも漆黒の宇宙空間でもない。
窓を開けた途端に真空の宇宙に吸い出されもしなくて、雲を突き抜けて落ちることもなくて。
窓の向こうへと真っ直ぐそのまま、サンダル履きでも走ってゆけて…。
そうだったのか、と改めて眺めた窓の外。
何処までも自由に駆けてゆける世界。
前のブルーが、自分が夢見た、踏み締められる地面が其処に広がる、この窓の外に。
(地球だとばかり思っていたが…)
青い地球に来られたと歓喜したけれど、ブルーと二人で地球に来られたと喜んだけれど。
踏み締められる地面も地球についてきた、何処までも走ってゆける地面が。
ならば、今夜は走らねばなるまい、好きに走れる地面の上を。
夕食が済んだら一休みして、着替えて、此処だと思う場所まで。
窓の外は何処までも、自由に走ってゆけるのだから。
シャングリラの窓の外とは違って、何処までも地面が続くのだから…。
走ってゆける・了
※運動好きなハーレイ先生、夕食の後にも走りに出掛けてゆくようです。
シャングリラでは走れなかった窓の外。今夜のジョギングはきっと最高の気分ですねv