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見られない蛍

(夏は夜、か…)
 月の頃はさらなり、とハーレイが呟いた枕草子。
 なにしろ古典の教師だから。
 今の自分には、SD体制が始まるよりも遥かな昔の日本の古典は馴染みのもの。
 ふとしたはずみに出て来る一節、こんな具合に。
 夜のダイニングで夕食の後に、庭を眺めて口にするほどに。


 月の頃はさらなり、と呟いたけれど、今夜の空には月などは無くて。
 暮れ方からの曇り空だから、今夜は生憎、月は見えない。
 仮に姿を覗かせたとしても、煌々と照らす満月ではない、さほど明るい月ではない。
 星の瞬きを打ち消すくらいに明るくはなくて、「月が見えるな」という程度の月。
 おまけに今夜は星も無かった、雲に隠れてしまったから。
 五月闇と言おうか、しっとりと湿り気を帯びた闇夜で、庭に出ればきっと…。
(青葉の匂いがするんだろうな)
 今の地球ならではの、緑の匂いが。むせ返るような木々の香りが。
 白いシャングリラでは出会えなかった、心酔わせる、魅せられる香が。


 暗い庭には庭園灯があるけれど。
 芝生と木々とをほのかに照らしているのだけれども、それも敵わない夜の闇。
 どの家もしんと静まり返って、まるで明かりなど無いかのようで。
 闇がそのまま降りて来たようで、思わず知らず呟いてしまう。
「闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる…」
 また、ただ一つ二つなどほのかに光りてゆくもをかし、と。
 この庭に蛍は来ないけれども。
 蛍を見るなら、川辺に行かねば出会えはしないのだけれど。


(…蛍なあ…)
 今年はお目にかかってはいない。
 去年までなら、蛍の頃には蛍見物と洒落込んだ。
 愛車に乗り込み、夜のドライブ、蛍が飛び交う川の方へと走ったものだ。
 もちろん一人で、カメラも持たずにのんびりと。
 川辺に着いたら車から降りて、飛び交う蛍を眺めていた。
(雨など降るもをかし、なんだ)
 枕草子を書いた女性は高貴な身だから、雨模様の夜に外へ出たかは知らないけれど。
 小雨の中で蛍を見たかは分からないけれど、雨の夜にも蛍は飛ぶから。
 そういった夜にも車で出掛けた、蛍が飛べる程度の雨なら。
 「雨など降るもをかし」と車を走らせ、今の季節ならではの風景を見に。


 ところが今年は出会ってはいない、ほのかに明滅する蛍に。
 一つ二つ光ってゆく蛍にさえも出会えてはいない、乱舞に出会える年もあるのに。
 これほどに見事な夜もあるか、と見惚れるような蛍の群れに。
(…行こうと思えば行けるんだが…)
 今からでもいい、車さえ出せば。
 ガレージに出掛けてエンジンをかければ、愛車はいつでも動いてくれる。
 走って行ってくれる、蛍が舞い飛ぶ川のほとりへ。
 辿り着くのに難儀するような所でもないし、ほんの半時間もドライブすれば。


 けれども何故だか行く気になれない、自分一人では。
 去年までなら楽しく出掛けた川までの道も、蛍を眺める川のほとりも。
(…あいつのせいだな)
 きっとそうだ、と小さなブルーを思い浮かべた。
 たった一度だけ、ブルーを乗せてやった助手席、そこにブルーがいないから。
 ブルーが座っていてくれないから、蛍を見にゆく気分になれない。
 川辺には二人連れの恋人同士も多いし、家族連れだって。
 一人の寂しさが際立ってしまう、ブルー抜きで一人で出掛けたならば。
 気ままな一人暮らしを満喫していた去年までとはまるで違って、今は恋人がいるのだから。


 一度だけブルーを乗せた助手席、そこにブルーがいないと寂しい。
 カップルや家族連れに出会う場所では、一人で来ている者が少ないような場所では。
(写真でも撮りに行くならともかく…)
 蛍を撮ろうとカメラを構える愛好家ならば、一人だけれど。
 そういう人々は一人だけれども、ぼうっと蛍を見るだけの一人というのは少ない、滅多にいない。
 わざわざ車を運転してまでやって来るとなれば、なおのこと。
 だから行きたい気がしないのか、と苦笑いをした、これでは何年行けないやら、と。
 ブルーを助手席に乗せられる日が訪れるのはまだまだ先になるだろうから。


 一度だけ乗せてやった助手席、ブルーの家までの短いドライブ。
 眠っている間に瞬間移動で飛んで来てしまったブルーを家へと送り届けた。
 たったそれだけ、ドライブと呼ぶにはあまりに短すぎる距離。
 それでもブルーを助手席に乗せた、隣にブルーが座る車で道を走った。
 忘れられない短いドライブ、ほんの少しの間のドライブ。
 次がいつかは分からないから、余計に心に刻み付けられた、ブルーと二人でいた時間が。
 二人きりで車に乗っていた時が、二人きりで走っていった時間が。


 それを知ったから、隣にブルーがいた時を忘れられないから。
 蛍見物には一人でゆけない、蛍狩りには出掛けられない。
 きっと寂しくなるだろうから、どうして自分は独りなのかと思うだろうから。
 去年までのように蛍に酔えはしなくて、溜息の一つも出るだろから。


(あくがれいづるたまかとぞ見る…)
 まさにそれだな、という気分がした、遠い昔に詠まれた歌。
 枕草子と変わらない頃の時代に詠まれた、「物思へば」と。
 「沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞ見る」と、蛍が魂のように見えると。
 恋をしていれば、思い詰めるほどに恋をしていれば、魂が身から蛍になって抜け出すようだと。
 もしも一人で出掛けて行ったら、ブルー抜きで蛍を眺めにゆけば。
 きっとそういう気になるのだろう、「物思へば」と。
 「あくがれいづるたまかとぞ見る」と、どうしてブルーと来られないのかと。


 五月闇の夜、蛍は川辺に幾つも飛び交い、スイと流れているだろうけれど。
 乱舞なのかもしれないけれども、行けば溜息をつくだろうから。
 ブルーがいないと、どうして自分は独りなのかと、恋人たちを羨み、きっと溜息が零れるから。
 魂が身から抜け出したようだと、「物思へば」と呟くだろうから。
 今年の蛍は諦めておこう、どんなに見事だと耳にしたとしても。
 今が見頃だと新聞などで目にしたとしても、同僚から教えられたとしても。
(…魂が抜けるのは御免なんだ)
 あれが自分の魂なのか、と眺める蛍は寂しくなるから。
 いつになったらブルーと二人で来られるだろうかと、溜息をつくのに決まっているから。


(夏は夜…)
 月の頃はさらなり、と庭の向こうの空を仰いだ、月があればと。
 蛍狩りに似合いの五月闇より月があればと、闇を払ってくれればと。
 月がさやかに照っていたなら、きっと蛍も霞むだろうから。
 こんな夜には月が出て欲しい、寂しくなってしまった夜には。
 小さなブルーと出掛けられないと、蛍狩りに二人で行けはしないと、零れる溜息。
 けれども、それもいつかは消える。
 今は無理でも、いつの日にか。
 ブルーと二人で蛍狩りにと出掛けてゆく日がやって来たなら、二人で蛍に酔える日が来たら…。

 

        見られない蛍・了


※物思いに耽るハーレイ先生、一人で楽しく出掛けていた蛍狩りを断念したようです。
 一人より二人、その方がいいと気付いたからには仕方ないですよねv







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