(夏は夜…)
ふうん、とブルーが覗き込んだ新聞、枕草子の一節だけど。
以前だったらチラリと眺めておしまいだったか、一応は目を通したか。
その程度だった、古典などは。
そういった文章がかつてあったと、遠い昔の文化なのだと思う程度で。
ところが今では事情が違った、古典となったら惹き付けられる。
わざわざ全てを、本を丸ごと読破しようとまでは思わなくとも、こういう時には。
青い地球の上に生まれ変わって再び出会えた、前の生から愛したハーレイ。
白いシャングリラの舵を握っていたキャプテン・ハーレイ、そのままの恋人に出会ったけれど。
見た目も声もまるで変わっていないけれども、変わってしまったその仕事。
シャングリラの舵を握る代わりに、船の仲間を纏め上げる代わりに、ハーレイは教師。
今のブルーが通う学校、其処に教師としてやって来た。
古典の授業を受け持つ身として、古典を教える教師として。
恋人が古典の教師となったら、古典の世界を知りたくなる。
遥かな遠い昔の文化を、この地域で生まれた物語なども、詠まれた歌も。
けれども、たったの十四歳では古典の全ては学べないから。
上の学校へ進んで学ぶつもりも、今の所は全く無いから。
(…上の学校に進んだりしたら、後が大変…)
せっかく再会できた恋人、ハーレイとの未来の予定が狂う。
十八歳になったら、結婚出来る年になったらと夢見ているのに、上の学校などに入ったら。
今の学校を卒業するのが十八歳だし、今のゴールは卒業すること。
生徒でなくなることが大切、その先にあるのはハーレイとの未来。
上の学校になど行っていられない、回り道などしていられない。
だから古典にいくら惹かれても、子供のお遊び、学校での授業の延長といった趣で。
こうして新聞で目にしたりしたら、これはチャンスと読んでおく程度。
このくらいのことは知っておこうと、自分の知識を増やしておこうと。
ハーレイの好きな古典の世界を覗いてみたいし、きっと話の種にもなるから。
授業も熱心に聞いているけれど、こういう記事も見逃さない。
何が書いてあるか、どういったものか。
まずは知ろうと、そこに書かれた古典の世界に浸ろうと。
(夏は夜…)
涼しいからかと思ったけれども、そうではなかった。
「月の頃はさらなり」、月が美しい頃は言うまでもない、と。
うだるような暑さが和らぐのだろうか、さやかに月が照らす夜には。
きっとそうだと読み進めてみたら、「闇もなほ」とあるものだから。
やはり涼しい夜がいいのかと、一度は納得しかけたけれど。
「闇もなほ」の後にはこう続いていた、「蛍の多く飛びちがひたる」と。
「また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」と。
これは違うとやっと気付いた、夏の夜の良さは涼しさなどではなかった。
月の光もそうだけれども、ほのかに光るという蛍。
それが素晴らしいと綴るからには、涼しさではなくてその景色。
空に照る月や、飛び交う蛍や。
夏の夜の魅力はそこにあったらしい、枕草子が記された頃は。
遠く遥かに過ぎた昔には、SD体制が敷かれるよりも遠い昔の地球の日本では。
(月に、蛍に…)
ハーレイも知っているのだろう。
前のハーレイではなくて今のハーレイ、古典の教師のハーレイならば。
夏は夜だと、月の頃だと。
蛍が飛び交う様もまたいいと、乱舞する蛍も、一つ二つと数えられるくらいの蛍の舞も。
それが良いのだと、夏はこれだとハーレイは知っている筈で。
青く蘇った今の地球なら、月も蛍も身近なもので。
そう考えたら、俄かに見たいと思う気持ちが込み上げた月。それから蛍。
(月の頃はさらなり…)
今日の月は、と新聞を見ていたダイニングから外を見てみれば、空を覆ってしまった雲。
まだ日が暮れてはいないけれども、この時間から湧いた雲なら夜には消えない。
月は駄目だ、と溜息をついた、今夜は見られそうにはないと。
蛍も身近な存在とはいえ、家から歩いて行ける所に飛んではいないし…。
なんとも酷い、と零した溜息、月も蛍も無いだなんて、と。
古典の世界に触れてみたいのに、手が届きそうにないなんて、と。
心底ガッカリしたのだけれども、月は今夜は無理そうだから。
蛍も気軽に見に行けないから、仕方ない。
どうやら御縁が無かったらしい、と読み進めた記事、枕草子の抜粋の続き。
「雨など降るもをかし」と結ばれていたから、ハッと息を飲んだ。
雨もいいのかと、それも夏の夜の魅力なのかと。
(雨だったら、きっと…)
運が良ければ降り始めるだろう、この雲行きなら。
文脈からすれば、蛍が飛ぶ夜の雨のことかもしれないけれど。
闇の中を飛ぶ蛍と雨との競演なのかもしれないけれども、雨だけならば見られそうだから。
そこに蛍が飛んでいるつもりで庭を眺めれば良さそうだから。
(夜が雨なら…)
幻の蛍を庭に描こう、心の中で飛ばせてみよう。
土砂降りの雨でなかったら。蛍が一つか、あるいは二つ。
飛んでゆけそうな雨になったら、部屋の窓から庭を見下ろして。
そうして夕方から降り始めた雨、しとしとと庭を濡らす雨。
夜に自分の部屋に戻って窓を開ければ、濡れた緑の匂いが溢れて。
(…こんな夜なら、川に行けばきっと…)
蛍が飛んでいるのだろう。
細かい雨の中をほのかに光ってスイとあちらへ、次はこちらへと。
そんな蛍を思い描いてみる、庭に蛍はいないけれども。
川も流れていないけれども、そこを蛍が飛んでゆくように。
夏は夜だと、雨もまたいいと。
(ハーレイも、蛍…)
見ているのだろうか、こんな夜には。
「闇もなほ」と月の無い夜を味わい、雨の夜の蛍を見るのだろうか。
もしかしたら車に乗って出掛けて、蛍が飛び交う川のほとりで。
「一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」と口にしたりして。
最初は「いいな」と思ったけれど。
「羨ましいな」と思ったけれども、直ぐに心が騒ぎ始めた、自分も見たいと。
ハーレイが見ているだろう蛍を、「夏は夜」と綴られたその風景を。
一人で見たいというわけではなくて、ハーレイと二人。
「夏は夜で、だな…」とあの声で聞いて、この景色なのだと指して貰って。
雨の夜でもかまわないから、蛍が一つか二つだけでもかまわないから。
(見たいんだけど…)
とても見たいと思うけれども、ハーレイと二人では出掛けられない。
ドライブなどには連れて貰えない、蛍狩りなどはとても無理で。
「月の頃は」と綴られた夜空を二人で仰ぐくらいが限界、それも自分の家の庭から。
「闇もなほ」と称えられた蛍を見にはゆけない、ハーレイと二人で見に行けはしない。
ハーレイの好きな古典の世界に酔いしれたいのに、二人で蛍を見てみたいのに。
(…蛍は無理…)
まだまだ無理、と溜息をついた、自分が大きくなるまでは。
二人でドライブに行けるようになるまでは無理で、今は諦めるしかないのだけれど。
いつか見てみたい、ハーレイと二人、川に出掛けて。
「夏は夜でしょ?」と、「連れて行って」と、蛍を見たいと強請って、頼んで。
いつか二人で「夏は夜」。
ハーレイの声で解説を聞いて、これがそうかと二人で蛍の舞を眺めて…。
見てみたい蛍・了
※ブルー君の場合は、蛍でなくても月でオッケー、古典の世界なら、と思ったようですが。
ハーレイ先生が見に行ったかも、と考え始めたら蛍狩りデートを夢見るのですv