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今度は掴める

「おっと…!」
 落ちる、と掴んだドレッシングのボトル。
 夕食にしようと着いたテーブル、ふとしたはずみに手が当たった。
 もうその時点で分かっているから、伸ばした利き手で掴んだボトル。
(よし、と…)
 落ちなかったな、とテーブルの上に戻すついでに、軽く振る。
 中身は揺れてしまったのだし、振ればそのまま使えるからな、と。
 使う前に振るタイプのドレッシングだから。
 でないと中身が分かれてしまって、せっかくの風味が損なわれるから。


 これでよし、とドレッシングを野菜サラダにたっぷりとかけた。
 アスパラガスにキュウリ、トマトなどなど、新鮮な野菜。
 ざっくりと切って盛り合わせただけ、味の決め手はドレッシングで。
 今日はこういう気分なんだ、とドレッシングのボトルを眺める。
 凝ったサラダも好きだけれども、美味い野菜はそのままもいい、と。
 流石に何も味付け無しとはいかないけれど。
 手作りにしても、買ったものにしても、ドレッシングは要るのだけれど。
 でなければ、オリーブオイルとか。


(オリーブオイルだけでも、美味いんだが…)
 それと塩でもいけるんだが、と思うけれども、今日の気分はドレッシング。
 好みで揃えてある市販品の一つ、よく使うからボトルも大きめ。
 一人暮らしにしては大きいボトル。
 朝食に野菜サラダは欠かさないから、そのせいも多分あるだろう。
 小さいボトルを買ってみたこともあったけれども…。
(アッと言う間に無くなるんだ、これが)
 そして買いにゆく羽目になる。
 気に入りのドレッシングが使いたい時に無いとなったら、ガッカリだから。


 そうならないようボトルは大きめ、一人暮らしでも。
 大きすぎないかと思うくらいで丁度いい。
 俺にはこいつが似合いなんだ、と眺めたボトル。
 デカいけれども、これでないと、と。
(落っこちていたら、さぞいい音がしたんだろうが…)
 割れはしなくても、床でゴトンと。
 屈み込んで拾い上げるのは別にかまわないけれど、落とすよりかは防ぐ方がいい。
 気付いた瞬間、パッと掴むのも大切だから。
 そこで反応出来ないようでは、とても武道など出来ないから。


(腕はなまっちゃいないってな)
 こういった時の反射神経、それも研ぎ澄ませておかなければ。
 でないと読めない、対戦相手の動きなど。
 先回りをして技をかけられない、相手の技もかわせない。
 たかがドレッシングのボトルであっても、あそこで落としてしまっていたなら…。
(少し身体を鍛え直さんとな?)
 なまった身体を鍛えてやらねば、だらけてしまった駄目な身体を。
 以前だったら落とさずに済んだボトルを落とすほど、なまった身体を。


 たかだか、ボトルなのだけど。
 ドレッシングのボトルだけれども、馬鹿に出来ない、さっきの出来事。
 ウッカリ落としそうになったことやら、それを未然に防いだことやら。
 もしも落下を防げなかったら、食事の後は…。
(今後のトレーニングが課題ってヤツだ)
 どういう風に鍛えるか。
 鍛え直すには柔道でいくか、水泳の方に力を入れるか。
 幸い、どちらも今の所は要らないけれど。
 身体はなまっていないのだから、現状維持でいいのだけれど。


(こいつを落としちまっていたら、だ…)
 大ショックだったな、と掴んでみたボトル。
 一人暮らしには大きいサイズのドレッシングが入ったボトル。
 小さなブルーの手首より太いかもしれん、と握って太さを確かめてみて。
 デカいボトルだと改めて思って、テーブルに戻して。


(あいつの手首なあ…)
 細くなったな、とサラダを頬張りながら小さなブルーを思い浮かべた。
 十四歳の子供の細っこい腕、手首も細い。
 「温めてよ」と差し出される手を握る時には、手首は関係無いけれど。
 メギドで凍えたという右の手だけを包み込むから、手首を握りはしないけれども。
 それでも、手首も何度も握ったことがあるから。
 色々な時に握っているから、細さは充分、分かっている。


 ドレッシングのボトルより細いかもしれない手首。
 細っこくなってしまった手首。
 前のブルーも細かったけれど、今よりかは…。
(太かったな、うん)
 このくらいか、と前の自分の記憶を辿った。
 前のブルーの手首の太さはこのくらい、と利き手の指たちを曲げてみる。
 こんなものだと、これくらいだったと。


 指を曲げてみて、キュッとその手を握ってみて。
 途端に手の中に蘇った感触、さっき掴んだボトルの感触。
 落ちないようにと止めたドレッシングのボトル、あの時に感じた重さや感覚。
(そうか、今度は…)
 掴めるんだ、と胸を貫いていった衝撃。
 それを衝撃と呼ぶかはともかく、雷のように貫かれた。
 今度は掴んでかまわないのだと。
 あのドレッシングのボトルと同じに、あの手を掴んで止めていいのだと。


(あいつの手首…)
 掴めなかった、前の自分は。
 掴み損ねてしまうどころか、掴むことさえ許されなかった。
 ブルーがメギドへ飛び立つ前に。
 行ってしまうと、もう戻らないと分かっていたのに、掴めなかった手首。
 「行くな」と、「俺を置いて行くな」と。
 掴もうと思えば、掴める所にブルーはいたのに。
 前のブルーは隣にいたのに。


 前の自分が望みさえすれば、そうしようと思いさえすれば。
 きっと掴めていた筈の手首、前のブルーの細かった手首。
 それを自分は掴み損ねた、掴める立場にいなかったから。
 前のブルーとの恋は秘密で、あの時ブルーを止めるなど無理で。
 キャプテンとしての立場が自分を縛った、前の自分を縛ってしまった。
 心のままには動くことが出来ず、ブルーの手首は掴めなかった。
 そしてブルーは行ってしまった、たった一人で。
 二度と戻れないメギドへ、一人で。
 掴み損ねてしまった手首。


 このくらいだった、と手を握ってみて。
 前のブルーの手首はこうだと、このくらいだと確かめてみて。
 それからドレッシングのボトルを握った、掴んでみた。
(こんな風にだ…)
 さっき咄嗟に握ったボトル。
 落としてなるか、と反射的に掴んでいたボトル。
 それと同じに前のブルーの手首を掴めていたなら、全ては変わっていただろう。
 前の自分はブルーを失くさなかっただろう。
 あの時、出来はしなかったけれど。
 許される筈もなかったけれど。


(だが、今度は…)
 掴んで止めてもかまわない。
 誰も自分を咎めはしない。
 ブルーも掴んだ自分の手から抜け出して飛んだりはしない、今の生では。
 メギドなどは無くて、瞬間移動も出来ないブルー。
 今の時代では、ブルーが何処かへ飛んで行ったりはしないけれども。
 自分を残して飛び去ったりはしないけれども…。


 今度は止めてもかまわないのだ、と浮かんだ笑み。
 ドレッシングのボトルを咄嗟に掴んで止めていたように。
 止めようと思えば、止めねばと思えば、望みのままに。
 腕が動くままに掴んでもいい、ブルーの手首を。
 今はまだ細っこい、子供の手首のブルーだけれど。
(今度の俺は掴めるんだな…)
 掴みたい時に、ブルーの手首を。
 キュッと握って、握り締めて。


 そう思ったら、また握らずにはいられない。
 今度は掴めると、掴んでいいのだと、さっきのドレッシングのボトルを。
 たかがドレッシングのボトルだけれども、それが自分に教えてくれた。
 こう掴んでもいいのだと。
 今度の自分はブルーの手首を掴めるのだと…。

 

        今度は掴める・了


※ドレッシングのボトルを掴むみたいに、今度は掴んでもいいブルーの手首。
 ハーレイ先生、きっと幸せ一杯です。今度は掴んでいいんですからv





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