「えーっと、ハーレイ?」
この顔はどう、と小さなブルーがプウッと膨らませた頬。
二人きりで過ごす休日の午後に、向かい合わせに座ったままで。
ブルーの部屋の、いつものテーブル。
其処でいきなり膨れられても、ハーレイも困るものだから…。
「なんだ、どうしたんだ?」
いったい何が気に食わないんだ、と投げた質問。
ごくごく和やかに話していただけ、午後のお茶の時間の最中に。
それなのに、膨れているブルー。
「ハーレイのケチ!」と叫んだ時と、全く同じに。
今日はまだ、それは言われていないのに。
そうなる前の「唇へのキス」も、まだ強請られてはいないのに。
なんとも解せない、膨れっ面。
まるでフグみたいになっているブルー。
分からんな…、と首を捻るしかないハーレイだけれど。
何がブルーの気に障ったのか、謎は深まるばかりなのだけれど…。
「どうなのかな、って思ったんだよ」
ぼくの、こういう顔は好きなの、と逆に尋ねられた。
「膨れっ面の方がいい?」などと。
今のブルーは、いわゆる「フグ」。
「フグ」のようだと、ハーレイが何度もからかった顔。
膨らんだ頬っぺたを両手で潰して、「ハコフグだよな」とも。
(そんな顔を好きかと訊かれてもだな…)
何と答えればいいのか、悩む。
「好きだ」と言ったら、このまま膨れ続けるのだろうか?
かと言って「嫌いだ」と答えたならば…。
(…ハーレイは、ぼくが嫌いなんだ、と…)
拗ねかねないだけに、難しい。
どう答えるのが一番なのか、ブルーの機嫌を損ねないのか。
考えた末に、「ふむ…」と腕組みをして。
「うむ、その顔も悪くはないが…」
やはり普段の方がいいな、と返した答え。
「膨れっ面のお前もいいが、膨れていない方が好きだぞ」と。
そうしたら…。
「やっぱり、ハーレイもそう思う? じゃあ…」
ぼくにキスして、と「膨れっ面のブルー」はニコリと笑んだ。
「キスしてくれれば、元に戻るから」と、ニコニコ顔で。
「…はあ!?」
なんだそれは、とハーレイがポカンと開けた口。
何故、そうなるのか、分からないだけに。
「なんでって…。元に戻すには、そうでなくっちゃ!」
キスを断られたら「この顔」なんだよ、とブルーが指差す顔。
その顔になってしまっているなら、直す方法は一つだけ、と。
「キスを寄越せってか!?」
でないと膨れたままなのか、と問い返したら、ブルーは頷く。
「そうだよ」と、「でないと、膨れたまま」と。
(……うーむ……)
悪知恵を働かせやがったな、と唸るハーレイ。
キスを断ったら「膨れっ面」なら、その顔を元に戻すには…。
(…キスだと言いたいのが、このチビなんだが…)
その手に乗るか、とフンと鼻を鳴らした。
「其処で勝手に膨れていろ!」と。
膨れっ面のままでは、飲めない紅茶。食べられないケーキ。
「後は、お前の我慢次第だな」
「えーっ!?」
ぼくのケーキはどうなるの、と直ってしまった膨れっ面。
それが可笑しくて、笑い転げる。
「直っちまったな?」と、「お前にはキスは早すぎるんだ」と…。
逆だと、どう?・了
「んーと…。ハーレイ?」
今日のも美味しい? と小さなブルーが傾げた首。
ハーレイと二人、向かい合わせに座ったブルーの部屋のテーブル。
休日とあって、ハーレイは午前中から訪ねて来ている。
今はのんびり午後のお茶の時間、皿の上にはパウンドケーキ。
ブルーの母が焼き上げるそれは、ハーレイの母が作る味に似ている。
つまり、いわゆる「おふくろの味」。
ブルーの母も知っているから、こうして出てくる日も多い。
ハーレイはケーキをフォークで切っては、口に運んでいるけれど…。
「うむ。本当に、おふくろが焼いて持って来たような味だしな」
実に美味い、と綻ばせる顔。
ブルーも「良かった…」と笑みを浮かべた。
「ママに頼んでおいたんだよ。今日はパウンドケーキがいい、って」
「ほほう…。そいつは嬉しい話だが…」
御褒美の類は出ないからな、とハーレイはブルーを軽く睨んでやる。
とんでもない「御褒美」を貰いたがるのが、ブルーなだけに。
十四歳にしかならない子供のくせに、ブルーはキスを欲しがる。
何かと言えば「ぼくにキスして」だの、「キスしてもいいよ?」。
そんな具合だから、あまり御褒美をやりたくはない。
パウンドケーキが如何に美味しくても、心の底から嬉しくても。
ブルーは「分かっているってば」と渋々、頷いた。
「ハーレイがケチなの、分かってるしね。でも…」
そっちのケーキも美味しいのかな、と赤い瞳が見詰める皿。
ハーレイの前に置かれたもの。
「おいおい、そっちと言われても…。同じだろうが」
お前のヤツと、とハーレイもブルーの皿に目を遣る。
どちらの皿にもパウンドケーキで、別のケーキが載ってはいない。
「そうなんだけど…。ママのケーキには違いないんだけれど…」
でも、とブルーは瞳を瞬かせた。
「オーブンの加減で変わるんでしょ?」と、ケーキについて。
火の当たり具合で味が変わってくる筈だけど、と。
言われてみれば…、とハーレイは顎に手を当てる。
前の生では、キャプテンの前は厨房で料理をしていたもの。
今は気ままな一人暮らしで、料理もすれば、菓子を作りもする。
オーブン料理は、確かにブルーが言う通りだった。
同じように中に並べてみたって、当たり外れが出来ることだって。
「なるほどな…。味が違うかもしれない、と思っているんだな?」
「そう! ハーレイのお皿のと、ぼくのとではね」
ちょっぴり味見してもいいかな、とブルーが尋ねる。
同じ味なのか、それとも違うものなのか。
「それはまあ…。興味を持つのはいいことではある」
遠慮なく、俺のケーキを食え、とハーレイは皿を差し出したけれど。
「えっとね…。それ、食べさせてくれないかな?」
「はあ?」
「だから、ハーレイのフォークで刺して! ぼくに頂戴!」
あーん、とブルーが口を開けたから、ハーレイは皿を引っ込めた。
「食わせてやらん!」と、「なにが「あーん」だ!」と。
ブルーの狙いは、よく分かったから。
目当てはケーキの味とは違って、食べさせて貰うことなのだから…。
それ、美味しい?・了
「…どうした、ブルー?」
妙に元気が無いようだが、と尋ねたハーレイ。
今日は休日、ブルーの家に来たのだけれども、元気が無いブルー。
いつもだったら、弾けるような笑顔なのに。
テーブルを挟んで向かい合うだけで、ブルーは御機嫌な筈なのに。
それに、ブルーは身体が弱い。
無理をして「起きている」のだったら、それは良くない。
早めにベッドに押し込まないと、熱を出したりしかねない。
そう思ったから、「どうした?」とハーレイは訊いたのだけれど。
「……昨日から、痛くて……」
今も痛い、とブルーが言うから、もう大慌てで問い掛けた。
「何処だ、お腹が痛いのか? それとも、頭か?」
「……口の中……」
頬っぺたの内側がとても痛い、と小さなブルーが指差した口。
「昨日の夜から痛いんだよ」と、「何か食べると、もっと痛い」と。
(……うーむ……)
多分、口内炎だろうな、とハーレイが思う、ブルーの症状。
あれは確かに「痛い」もの。
柔道や水泳で鍛えたハーレイだって、たまに出来たら痛くはある。
(俺の場合は、滅多に出来んが…)
ブルーと違って丈夫なのだし、口内炎などは「そうそう出来ない」。
何かのはずみに、頬の内側でもウッカリ「噛んだ」時でもなければ。
(それでも、出来にくいんだがな…)
普通は「噛んだ」だけで出来ると聞くから、出来にくい体質。
頑丈な身体は、そう簡単には「やられない」ということだろう。
けれどブルーは虚弱なのだし、口内炎なども出来やすい感じ。
おまけに「出来たら」、治りも遅いに違いない。
そう思ったから、「見せてみろ」と覗いた、ブルーの口の中。
椅子から立って、テーブルの向こうに回り込んで。
案の定、「あった」口内炎。
ブルーが自分で治療しようにも、薬が塗りにくそうな場所。
(…塗ってやるとするか)
そのくらいのことは…、とブルーに取って来させた口内炎の薬。
「口を大きく開けてろよ? よし、そのままだ」
動くんじゃないぞ、と綿棒で口内炎の上を拭って、お次は薬。
しっかりと塗ると、「もういいぞ」と口を閉じさせた。
後は薬がよく効くように、三十分ほどは飲食禁止といった所か。
「ありがとう、ハーレイ…」
ブルーも嬉しそうな顔だし、「お安い御用だ」と微笑んだ。
「口内炎の薬くらい、いつでも塗ってやる。任せておけ」
「本当に?」
「もちろんだ。口内炎は痛いものだしな」
俺だって、出来た時には痛い、と顔を顰めてみせたハーレイ。
「鍛えた俺でも痛いんだから、チビのお前は尚更だろう」と。
そうして「次も塗ってやるぞ」と、ハーレイは約束したのだけれど。
「じゃあ、お願い。…頑張らなくちゃ」
「はあ?」
「口内炎の薬、ハーレイが塗ってくれるんでしょ?」
次は唇に出来るように頑張る、とブルーはニコリと微笑んだ。
「口の中もいいけど、唇の方がもっと嬉しい」と花が綻ぶように。
(……なんだって!?)
さては、こいつ…、とハーレイはブルーを睨み付けた。
もう間違いなく「よからぬこと」を考えていたのだろう、ブルー。
綿棒で口の中を拭った時にも、薬を塗っていた時も。
「馬鹿野郎!」
唇くらいは自分で塗れ、とハーレイはブルーを叱り付ける。
「其処は自分で塗れる筈だ」と、「口の中とは違うからな!」と。
ついでに「二度と塗ってはやらん」と、眉間に深い皺まで。
口内炎は可哀相だと思うけれども、余計な連想はして欲しくない。
何かと言ったら「ぼくにキスして」が、ブルーの口癖。
そんなブルーに口内炎の薬なんかは、藪蛇でしかなさそうだから…。
痛いんだけど・了
「えっとね、ハーレイ…」
一つお願いがあるんだけれど、と小首を傾げたブルー。
テーブルを挟んで向かい合わせで、それは愛らしく。
「お願いなあ…。お前の場合は、厄介なことを言い出すからな?」
頼まれてもキスはしてやらないぞ、とハーレイは先に釘を刺した。
何かと言ったら「ぼくにキスして」が、ブルーの頼み事だから。
「そうじゃないってば、今日は左手」
「…左手だって?」
なんでまた、とハーレイが眺めたブルーの左手。
右手だったら、よく「温めてよ」と差し出される。
前のブルーの生の最後に、冷たく凍えてしまった右手。
撃たれた痛みで「ハーレイの温もり」を失くしたとかで。
(だが、左手は…)
何の話も聞いてはいないし、今、見ても普通。
ささくれが出来て痛そうでもなければ、怪我もしていない。
だからハーレイは問い掛けた。
「左手って…。お前の左手がどうかしたのか?」
そっちも凍えちまったのか、と尋ねたら「うん」と返った答え。
「ちょっぴり冷えたみたいだから…。温めてくれる?」
右手みたいに、という注文。
そのくらいだったら、お安い御用。
何処で冷えたのかは謎だけれども、温もりならばケチらない。
「…こうか?」
こんな具合か、と両手で包んだブルーの左手。
テーブルの上で、優しく、そっと。
ブルーは暫く、うっとりと目を閉じていたのだけれど…。
ちょっと注文していいかな、と赤い瞳がパチリと開いた。
「ハーレイの手、とても暖かいんだけど…。もうちょっと…」
「強く握れとでも言うのか?」
俺の体温はこれ以上、上がらないからな、と大真面目に言った。
「もっと温めて」と注文されても、手が熱くなりはしないから。
「ううん、そうじゃなくて…。この手…」
こっちの手だよ、とブルーの右手が指した、ハーレイの右手。
ブルーの左手を上から覆っている方の手。
「なんだ、俺の右手がどうだと言うんだ?」
「この手で薬指をお願い」
「薬指?」
まるで分からん、とハーレイは首を捻った。
薬指をどう「お願いしたい」とブルーは思っているのだろう?
「んーとね…。そっとつまんで欲しくて…」
薬指の先を、とブルーは瞳を瞬かせた。
そしてつまんだら、その指を付け根まで持って行って、と。
「はあ…?」
なんだそりゃ、と訝りながらも、ハーレイは指をつまんでみた。
左手でブルーの手を支えたまま、右手で薬指をつまんで…。
(おい、ちょっと待て!)
この指は…、と気付いたブルーの薬指。
それは左手の薬指だし、つまんだ指を付け根まで運ぶ動きなら…。
(指輪を嵌めるみたいじゃないか!)
婚約指輪だの、結婚指輪だのというヤツを…、とピンと来た。
早い話が、チビのブルーが企んでいるものは…。
(婚約ごっこか、結婚ごっこの類なんだな!?)
間違いないぞ、と見抜いたからには叱らねば。
「…俺に指輪を嵌めろってか?」
「そう! 婚約指輪でも、結婚指輪でもいいから、お願い!」
気分だけでも、ぼくに嵌めてよ、と小さなブルーが輝かせた瞳。
「流石、ハーレイ!」と、「早くお願い」と。
「馬鹿野郎!」
お前にはまだ早すぎだ、とピシャリと叩いてやった左手。
「誰が指輪を嵌めてやるか」と、「お仕置きの方が似合いだ」と…。
左手をお願い・了
「えっと…。ハーレイ、ちょっと訊いてもいい?」
知りたいことがあるんだけれど、と言い出したブルー。
休日の午後に、ブルーの部屋でお茶の時間の最中に。
「なんだ、どうした?」
質問だったら受け付けるぞ、とハーレイは笑顔。
今日は学校は無い日だけれども、ハーレイの仕事は古典の教師。
答えてやれる範囲のことなら、幾らでも、と。
「ありがとう! でもね…」
古典の授業は関係なくて、とブルーは首を小さく傾げた。
「ハーレイの懐具合はどう?」と。
「俺の懐具合だと?」
「そうなんだけど…。本当のことが知りたいな」
誤魔化さないで、とブルーの赤い瞳が真っ直ぐ見詰める。
ハーレイの鳶色の瞳の奥を。
(俺の懐具合だって…?)
なんでまた、とハーレイにすれば青天の霹靂。
無駄遣いをするタイプではないし、財布の中身は寂しくはない。
けれども、ブルーはどうしてそれを知りたいのか。
(何かプレゼントでも寄越せってか?)
こいつだしな、と目の前のブルーをまじまじと見た。
小遣いに不自由はなさそうだけれど、チビのブルーは恋人気取り。
それも「一人前の」と前につく。
恋人用のプレゼントが欲しいと言うのだろうか…?
(その手のヤツだと、値が張るモンで…)
クッキーなどのようにはいかない。
ブルーの狙いがそれだったならば、懐具合も大切だろう。
(しかしだな…)
此処で「懐具合」を下手に明かしたら、強請られる。
ブルーのお目当てだろう「何か」を。
そう思ったから…。
ゴホン、と一つ咳払いをして、こう告げた。
「実は、ちょっぴり苦しくてな…」
恥ずかしいんだが、余裕が無い、と口から出まかせ。
本当はちゃんと余裕があるのに、まるで大赤字であるかのように。
そうしたら…。
「やっぱりね…。そうじゃないかと思ってたけど」
ハーレイだから、と頷くブルー。いとも素直に。
(ちょっと待て…!)
俺は無計画に使いそうなのか、とハーレイにすれば大ショック。
「ブルーの目にはそう見えるのか」と、「いつも赤字か?」と。
それはあまりに不名誉だから、慌てて訂正することにした。
「今のは嘘だ」と。
「いや、本当の所はだな…」
懐にはたっぷり余裕がある、と述べた「真実」。
ちょっとやそっとで困りはしないし、心配するな、と。
「もちろん、未来のお前だって」と、「結婚費用も安心だぞ」と。
任せておけ、とドンと胸を叩いた。
「俺の懐なら、大丈夫だ。お前は何も心配要らんぞ」
「本当に? でも…。ハーレイ、そうは見えないけれど…」
嘘じゃないの、とブルーが瞳を瞬かせるから。
「お前なあ…。確かめたいのか、俺の懐?」
「うんっ!」
そう言われては仕方ない。財布を出して…。
「いいか、あんまり見せるもんではないんだが…」
「違うよ、ハーレイの懐の深さ!」
大丈夫ならキスをちょうだい、とチビのブルーは生意気な台詞。
懐具合に自信があるなら、キスも許してくれるんでしょ、と。
「馬鹿野郎!」
そっちの懐は狭いんだ、とコツンと叩いたブルーの頭。
「懐が苦しくて悪かったな」と、「俺は万年、大赤字だ」と…。
懐具合・了