「ねえ、ハーレイ。餌付けって、効果絶大だよね?」
うんと仲良くなれるんだよね、と小さなブルーが傾げた首。
休日の午後にテーブルを挟んで、向かい合わせで。
「それはまあ…。効果ってヤツは大きいな」
動物に懐いて欲しいのならな、とハーレイは笑顔で頷いた。
前の生では、縁が無かったペットというもの。
強いて言うならナキネズミ程度で、船にペットはいなかった。
けれど今では、様々な動物が身近にいる。
ブルーの家には、ペットはいないのだけれど…。
(俺だと、ガキの頃にはミーシャがいたし…)
餌付けの必要は無かったものの、餌の効果は充分にあった。
魚を焼いている匂いがしたら、いそいそとやって来たミーシャ。
誰かが冷蔵庫を開ける時だって、中のミルクに期待していた。
冷蔵庫の前にチョコンと座って、「ミルク、ちょうだい」と。
そんな時代だから、ブルーも餌付けをしたいのだろう。
自分でペットは飼わないにしても、仲良くなりたい犬とか猫。
学校に行く時に通る道とか、それとも近所の何処かの家か。
「餌付けしたいヤツがいるんだな?」
なかなか懐いてくれないのか、と訊いてみた。
毎日のように声を掛けても、まるで反応しないとか。
あるいはプイとそっぽを向かれて、知らないふりをされるとか。
「うーん…。懐かないわけじゃないんだけれど…」
ちょっと扱いが難しくって…、とブルーはフウと溜息をついた。
自分の方で思っているほど、相手は懐いていないらしい、と。
フレンドリーに見えても、それは誰にでも見せる顔。
同じ仲良くなるのだったら、特別扱いして欲しいのに。
「なるほどなあ…」
特別になりたい気持ちは分かる、と頬を緩める。
せっせと会いに通う分だけ、親しくなりたいものだから。
「やっぱり、餌付けが一番だよね?」
ぼくに懐いて欲しいんなら…、とブルーの赤い瞳が瞬く。
餌をあげれば「特別な人」になれそうだしね、と。
「それはそうだが…。まず、好物を知らないとな?」
でないと話にならないぞ、と教えてやった。
前の生で飢えた自分たちには、好き嫌いなど無いけれど…。
(…ペットには、ちゃんと好き嫌いってヤツが…)
存在するから、好物を与えてやらなければ。
飼い主の人に教えて貰って、その動物が大好きなものを。
「それは大丈夫だと思うけど…」
食べてくれるかな、とブルーは心配そう。
タイミングとかもあるのだろう、と。
「いや、その点なら、心配はないぞ」
腹一杯の時でも喜ぶもんだ、と請け合った。
気持ちだけでも嬉しいものだし、取っておいて後で食べるから。
くれた人の顔は、もう忘れていたって、大満足で。
「そうなんだ…! じゃあ…」
キスしてあげるね、と椅子から立ち上がったブルー。
「唇にキス」と、「これで特別になれるんだよね」と。
「馬鹿野郎!」
餌付けしたいのは俺だったのか、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
確かに仲はいいのだけれども、ブルーにキスは早いから。
キスという餌が美味しくなるのは、まだ何年も先なのだから…。
餌付けしたいな・了
「…ぼく、馬鹿だった方が良かったかも…」
「はあ?」
どうしたんだ、とハーレイが思わず見開いた瞳。
ブルーと過ごす休日の午後に、テーブルを挟んで座りながら。
お茶の時間の真っ最中で、二人で楽しく話していた筈。
そこへいきなり「馬鹿だった方が…」と言い出したブルー。
本当に何の前触れもなくて、突然、話をぶった切って。
「…だから、馬鹿だった方が良かったかな、って…」
成績だって、うんと悪くて…、とブルーがフウとついた溜息。
「いい頭なんて、意味が無さそうだから」と。
「おいおいおい…」
なんでそうなる、と慌てたハーレイ。
小さなブルーは成績優秀、今の学年では、当然、トップ。
具合の悪い時でもなければ、テストは満点ばかりなのだから。
(…なんだって馬鹿の方がいいんだ?)
分からんぞ、と湧き上がる疑問。
今の小さなブルーはもちろん、前のブルーも良かった頭。
そうでなければ、ソルジャーなどは務まらない。
場合によってはキャプテン以上に、瞬時に下すべき判断。
一つ計算が狂ってしまえば、シャングリラが沈みかねないから。
常に最善の道を選んで、そちらへと皆を導く立場。
(…まあ、実際には、そこまでのことは…)
それほど多くは無かったけれども、前のブルーは優秀だった。
地球の男が逃げた時にも、ただ一人きりで対峙したほどに。
長い眠りから覚めたばかりの、まだ満足には動けない身体で。
(…今のこいつも、忘れてはいない筈なんだがな…)
前のブルーが取った行動。
それらの判断を下すためには、優れた頭脳が必要なことも。
なのに小さなブルーは「馬鹿」だった方が良かったらしい。
実際は「馬鹿ではない」ものだから、「そっちが良かった」と。
「お前なあ…。どうして馬鹿の方がいいと思うんだ?」
俺にはサッパリ分からんのだが、と投げ掛けた問い。
ブルーが馬鹿になりたい理由が、まるで全く分からないから。
そうしたら…。
「あのね…。馬鹿だったら、何も悩まないでしょ?」
今と違って…、と答えたブルー。
なまじ頭が良すぎるばかりに、悩み事が増えてゆくのだと。
「悩みって…。どうも穏やかじゃないな」
俺で良ければ相談に乗るが…、と小さなブルーの瞳を見詰めた。
ブルーが悩んでいると言うなら、相談に乗ってやらなければ。
前の生から愛した人だし、今の生でも愛している。
もちろん恋を抜きにしたって、教師としては大切な務め。
教え子が悩みを抱えているなら、きちんとそれに向き合うべき。
子供の手には余るものなら、大人ならではの助言を与えて。
「ハーレイ、相談に乗ってくれるの?」
赤い瞳が輝いた。
「もちろんだとも。お前の悩みというのは、何だ?」
「えっとね…。前のぼくも、今のぼくも、ハーレイが好きで…」
おんなじように、とブルーが曇らせる顔。
そうなるのは頭が良すぎるからで、馬鹿ならきっと悩まないと。
恋など理解できない筈だし、単純に「好き」なだけだろう、と。
「ほほう…。そのせいで、馬鹿の方がいいのか?」
「うん。ハーレイも、そっちの方がいいでしょ?」
今みたいに困らないもんね、というブルーの言葉で気が付いた。
これは罠だと、「賢い方がいい」と言おうものなら思う壺だと。
「その手に乗ると思うのか? 俺は賢いお前がいいな」
素晴らしい頭で悩み続けろ、とニヤリと笑う。
「俺は子供にキスはしない」と、賢いならば分かる筈だ、と…。
馬鹿だった方が・了
「ねえ、ハーレイ…。今も好物、変わってないよね?」
前の時と、と小さなブルーが傾げた首。
二人きりで過ごす休日の午後に、向かい合わせで腰掛けて。
ブルーの部屋にある、いつものテーブルと椅子。
其処で出て来た、そういう質問。
「好物って…。変わっていないということは無いぞ」
前の俺とは違う部分も大いにあるな、と答えたハーレイ。
何故なら、本当にそうだったから。
「変わっちゃったの?」
なんで、とブルーは目を丸くする。
今のハーレイも前と同じで、好き嫌いというものが無いから。
そうだと何度も聞いているから、解せなくて。
「変わった理由か? それはだな…」
まずは地球だな、と立てた人差し指。
今のブルーも、今のハーレイも、住んでいる場所は青い地球。
遠く遥かな時の彼方で、前のブルーが焦がれた星。
蘇った母なる水の星の上では、何もかもが前と違っている。
其処にある物も、地球で暮らしている人々も。
だから自然と異なるものだ、とハーレイはブルーに話した。
今のハーレイの大好物は、母が作ったパウンドケーキ。
幼い頃から馴染んだ味で、その母は血が繋がった母。
SD体制の時代には何処にも無かった、本物の「おふくろ」。
「おふくろの味」が出来てしまえば、何もかも変わる。
前のハーレイは、「おふくろ」を知らなかったから。
育ててくれた養父母でさえも、まるで覚えていなかったから。
そんなこんなで、変わった好物。
前のハーレイなら、どうでも良かったパウンドケーキ。
きっとブルーもそうだろうから、「分かるだろう?」と。
「そっか…。それなら、ぼくも同じかも…」
「ほらな。変わらない方がおかしいんだ」
時代に合わせて変わっちまう、と浮かべた笑み。
「見た目はともかく、前の俺とは違うもんだ」と。
「うーん…。だけど、お酒は好きなんじゃないの?」
ぼくのパパとも飲んでるものね、と返したブルー。
「前のハーレイも好きだったでしょ」と、赤い瞳を瞬かせて。
「酒か…。あれなら今でも好きだな、うん」
「ほら、変わってない」
「いやいや、今は地球の水で仕込んだ美味い酒があるし…」
酒の好みは変わったかもな、と笑顔で返す。
同じ酒でも、あの頃とは違うものだから。
白いシャングリラで飲んだ酒とも、改造前の船にあった酒とも。
「お酒の好みも変わっちゃったの? でも…」
飲み方は変わっていないでしょ、とブルーは興味津々。
酒を入れる器の種類などは増えても、酒には違いないから、と。
「それはまあ…。熱燗だとか、そういうのはあるが…」
「無礼講だって、今もあるでしょ?」
「あるな」
なかなかに愉快な酒の席だ、と緩んだ頬。
そうしたら…。
「次はお酒を用意しておくね。無礼講なら、いいんでしょ?」
「はあ?」
「酒の上なら、ハーレイがぼくにキスしちゃっても…」
「馬鹿野郎!」
この部屋で酒は決して飲まん、とブルーの頭を軽く小突いた。
小さなブルーに、キスはしないと決めているから。
無礼講でも酒の上でも、ブルーの罠には掛からないから…。
酒の上なら・了
「ねえ、ハーレイ…。ちょっと質問なんだけど」
ブルーが切り出したのは、日が暮れてから。
いつもの部屋で、テーブルを挟んで向かい合わせで。
学校で授業があった日のことで、ハーレイは夕方に訪れた。
柔道部の部活を指導した後、濃い緑色の愛車に乗り込んで。
車を駐車スペースに停めると、窓から手を振ったブルー。
それは嬉しそうに、笑顔が弾けるように。
「待ってたよ!」という声まで、耳に届いてくるかのように。
ブルーの部屋へと通された後は、のんびり、お茶の時間。
夕食の支度が出来るまでの間、二人でゆっくり過ごせるけれど。
「質問だって…?」
珍しいな、とハーレイは目を丸くした。
小さなブルーは成績優秀、質問などは殆ど必要としない。
自分の力で答えを見付けて、見事に解決してしまうのが常。
「うん、それが…。そこが問題」
「はあ?」
どういう意味だ、と掴みかねた意味。
質問自体が珍しいことが、どう問題だというのだろう。
(…分からんな…)
だが放ってもおけないし…、と首を捻ったら、瞬いたブルー。
「えっとね…。抜き打ちテスト、したでしょ?」
「ああ、アレか」
たまには不意打ちも必要だろう、と苦笑した。
予告してからのテストばかりでは、手を抜く生徒も多くなる。
すっかりと気を緩めてしまって、勉強を疎かにする生徒が。
そういう理由で、抜き打ちテスト。
あちこちで悲鳴が上がったけれども、きっとブルーは満点の筈。
「酷い点数を取ったヤツらは、補習だ」と脅したのだけど。
普通の授業が終わった放課後に、居残りをさせて。
(ブルーは、そこにはいないんだがな…)
だからサッサと切り上げないと、と考える補習。
出来れば仕事を早く終わらせ、ブルーの家に寄りたいから。
今日のように二人で、テーブルを挟んで座れるように。
他愛ない話を交わす時間も、宝石のようなものなのだから。
そうしたら…。
「…ぼくが零点だったら、補習?」
ブルーの口から、信じられない言葉が飛び出した。
よほど遊んでいない限りは、零点を取るなど、有り得ないのに。
真面目に勉強している子ならば、満点を取れる筈なのに。
「お前、解答欄、間違えたのか?」
それでも1点くらいは入るぞ、と返したものの、動揺した。
まさかブルーが補習だなんて、夢にも思わなかったから。
放課後の学校に居残りをさせて、指導だなんて。
「ううん、そうじゃなくて…。ちゃんと書いたけど…」
「なら、満点の筈だろう?」
「だから問題なんだってば! 補習、受けたいから!」
少しでもハーレイと一緒にいたいよ、というブルーの言い分。
貴重なチャンスを逃したくないと、なのに逃してしまった、と。
「…おいおいおい…」
そう焦るな、と銀色の頭をポンと叩いてやった。
「補習なんかより、此処で会う方がいいだろう?」と。
「何より、二人きりでお得だ」と、笑みを浮かべて。
「……そうなのかな?」
「そうだとも」
お得な方を選んでおけよ、と釘を刺す。
でないと、ブルーは「やりそう」だから。
次の抜き打ちテストがあったら、零点を目指しかねないから…。
零点だったら・了
「ねえ、ハーレイ? 分けることって…」
大切だよね、と小さなブルーが傾げた首。
二人で過ごす休日の午後に、テーブルを挟んで向かい合わせで。
「うん? どうしたんだ、急に?」
分けるというのは何の話だ、とハーレイは赤い瞳を見詰めた。
もしかしてブルーは、ケーキを分けて欲しいのだろうか?
ブルーの母が焼き上げてくれた、大好物のパウンドケーキ。
隣町に住む自分の母のと、そっくりな味に出来上がるもの。
「おふくろの味だ」と喜んでいるのを、ブルーは充分に承知。
それを横から「欲しい」と言っても、分けて貰えるかどうか…。
(…俺を試してやがるのか?)
ブルーだからな、と浮かんだ苦笑。
十四歳にしかならないブルーは、何かといえば試したがるから。
「小さな自分」にも、ちゃんと愛情を持ってくれるかどうか。
きっとそうだな、と考えたから、皿の上のケーキを指差した。
「こいつを分けて欲しいのか? 珍しいな」
晩飯が入らなくなっても知らんぞ、と念を押す。
小さなブルーは食が細くて、じきにお腹が一杯になる。
「ハーレイの愛情」を試したばかりに、そうなる可能性はある。
分けて貰ったケーキの分だけ、胃袋の中身が増えてしまって。
大喜びで食べた後には、「晩御飯、あまり食べられないよ」と。
そうなった時は、ブルーの両親が心配をすることだろう。
自分たちの大事な一人息子が、今夜は具合が悪いのかと。
「大好きなハーレイ先生も一緒の夕食」が、入らないくらいに。
けれどブルーは、「そうじゃなくって…」と瞳を瞬かせた。
「ぼくが言うのは、分けることだよ」と。
「分けることって…。このケーキだろ?」
ちょっと欲しいと言うんだろうが、と訊き返した。
「俺の大好物のケーキを、俺が譲ってくれるかどうか」と。
「それも試してみたいけど…。ケーキじゃなくても…」
分けるのが一番だと思うんだよね、とブルーは笑んだ。
どんなものでも、一人占めより、分け合うのがいいと。
「ふむ…。まあ、その方が世の中、素敵ではあるな」
「でしょ? だからね…」
分け合うのがいいと思うんだけど、というのがブルーの言い分。
「ハーレイもそれに賛成だったら、ちょうどいいよね」と。
「おいおいおい…。ケーキじゃないなら、何を分けたいんだ?」
俺にはサッパリ分からんのだが、と捻った首。
どうにも見当がつかない上に、他に分けられるものも無いから。
そうしたら…。
「ハーレイの愛情に決まってるじゃない!」
一人で抱え込んでいないで、ぼくにも分けて、と輝いた瞳。
「分けるのが一番いいと思うなら、ぼくにキスして」と。
「馬鹿野郎!」
なんでそうなる、とブルーの頭に落とした拳。
痛くないよう、加減しながらコッツンと。
愛情もケーキも、ブルーになら分けてやりたいけれど…。
(キスは駄目だ、キスは!)
俺は子供にキスはしない、とお決まりの台詞。
それは出来ない注文だから。
ケーキは分けてやれるけれども、キスは決して贈らないから…。
分けるのが一番・了