(……ハーレイ、来てくれなかったよ……)
待ってたのに、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は来てくれなかったハーレイ、前の生から愛した恋人。
青い地球の上に生まれ変わって、また巡り会えた愛おしい人。
遠く遥かな時の彼方では、同じ白い船で暮らしていた。
ソルジャーとキャプテン、そんな肩書きに隔てられていても。
誰にも恋を明かせないまま、命を失くしてしまったけれど。
(…だけど、いつでも夜は一緒で…)
今のように離れて暮らすことなど、ただの一度も無かった時代。
ソルジャーだった自分は青の間、ハーレイにはキャプテンの部屋があっても。
(…夜になったら、ハーレイが青の間に来てくれて…)
朝まで二人で過ごしていた。
愛を交わして共に眠って、シャングリラに朝が訪れるまで。
船の中には、朝の光が差さなくても。
雲海に潜んだ白い船からは、昇る朝日が見えなくても。
(…ハーレイが仕事で遅くなった日も、ぼくが眠ってしまった後に…)
ちゃんと来てくれていた、前のハーレイ。
朝、目覚めたら、隣にハーレイの姿があった。
「おはようございます」と微笑んで。
「じきに朝食の時間ですよ」と、優しいキスを贈ってくれて。
(…ハーレイはいないし、キスも貰えないし…)
寂しいよね、と思ってしまう。
今の自分がチビでなければ、一緒に暮らせたのだろうに。
ハーレイと出会って、前の自分の記憶が戻ってくれた途端に。
聖痕はとても痛かったけれど、あれが「ハーレイ」を連れて来てくれて。
(俺のブルーだ、って抱き締めてくれて…)
きっと、直ぐにでもプロポーズ。
こうして離れて暮らす代わりに、同じ家で共に暮らせるように。
今のハーレイが一人でいる家、其処へ「お嫁さん」として迎えるために。
けれど、世の中、上手くいかない。
生まれ変わった自分はチビで、十四歳にしかならない子供。
ハーレイはキスさえしてはくれずに、子供扱いするばかり。
「俺は子供にキスはしない」だとか、「キスは駄目だと言ってるよな?」と叱るとか。
おまけに一緒に暮らせはしなくて、今日のように会えない日だって多い。
ハーレイの仕事が忙しい日は、帰りに寄ってはくれないから。
学校では顔を合わせられても、あくまで教師と生徒の関係。
「ハーレイ先生!」と呼び掛けるのが精一杯。
運よく立ち話などが出来ても、話題は他の生徒たちのと変わらない。
「元気そうだな」とか、「次の授業は何なんだ?」とか。
恋人同士の会話は出来ずに、挨拶をして別れるだけ。
今日もやっぱり、そうだった。
廊下で出会って、「ハーレイ先生!」とペコリとお辞儀。
それから少し言葉を交わして、右と左に別れて行った。
ハーレイは、次の授業をするクラスへと。
自分の方も、授業を受けに教室へと。
(……こんな日ばっかり……)
どうしてなの、と頬を膨らませていたら、不意に背中に感じた違和感。
「あれ?」と思った時には、痒くなっていた。
蚊の羽音などはしなかったのに。
チクンと刺された痛みなんかも、まるで覚えは無いというのに。
(…背中の真ん中…)
うんと痒い、と自分の背中が訴えてくる。
蚊に刺されたというわけではないなら、パジャマが悪さをしたろうか。
痒くなるような生地ではなくても、ほんのちょっぴり。
背中の柔らかな肌の何処かに、繊維が擦れて悪戯をして。
(……痒いんだけど……!)
なんで背中、と慌てて右手を突っ込んだ。
早くバリバリと掻きたくて。
痒い辺りを掻き毟ろうと、パジャマの襟の所から。
直ぐに掻けると思った背中。
ところが右手は届いてくれずに、ただ痒さだけが増してゆく。
「此処までおいで」と、ペロリと舌を出すかのように。
「掻けるものなら掻いてみろ」と、「あっかんべー」とするかのように。
(……届かないよ……!)
右手じゃ届かない所が痒い、と左手の力を借りることにした。
「こっちは引退」と右手を引っ込め、代わりに左の手を突っ込んで。
けれど、やっぱり届いてくれない。
痒い所は、もう少しばかり右の方だという気がする。
(ぼく、焦っていて間違えた…?)
右手のままで良かったのかな、と再び右手の出番。
それでバリバリ掻こうとしたって、届きはしないものだから…。
(…首の方から掻くのが間違い?)
下から掻けば良かったかも、とパジャマの上着の裾から攻めた。
上に向かって掻けるようにと、右手を入れて。
今度こそバリバリ掻けるだろうと、腕を伸ばして。
(……あとちょっと……)
もうちょっとなのに、と頑張ってみても、掻けない背中。
ただ痒みだけがググンと増して。
「掻けない」ことで、余計に痒いように感じて。
(……うー……)
こんなの、我慢出来やしない、と立ち上がって部屋の外に出た。
まだ両親は起きているから、背中を掻いて貰おうと。
ダイニングにいるか、リビングにいるか、二人とも、きっと一階にいる。
(…パパでも、ママでもかまわないから…)
背中を掻いて、と急いで駆け下りて行った階段。
「パパー!」と、父を呼びながら。
「ママでもいいよ!」と、声を張り上げて。
少しでも早く掻いて欲しいし、助けを呼ぶならこれが一番。
二人とも直ぐに声に気付いて、こっちに駆けて来るだろうから。
「どうした、ブルー!?」
「何があったの!?」
リビングの扉がバタンと開いて、揃って飛び出して来た両親。
何事なのかと血相を変えて、一人息子の様子を見に。
「え、えっと…。背中、痒くて…」
掻いてちょうだい、と背中を向けたら、両親はプッと吹き出した。
「なんだ、背中が痒かったのか…。どうしたのかと思ったぞ」
「ママもよ。怪我でもしちゃったのかとビックリしたわ」
でも背中なのね、と母が笑って、父は「どっちがいい?」と尋ねた。
「パパが掻いたら、痛すぎるかもしれないぞ。…パパかママか、どっちにしたいんだ?」
「ん、んーと…。痛いのは嫌かも…」
「じゃあ、ママだな。…掻いて貰いなさい」
ママ、と父が促してくれて、母が「どの辺?」と優しく微笑む。
「何処が痒いの? 手が届かないのなら、真ん中かしら?」
「そう…。この辺の…」
上手く説明できないけれど、と指で差したら、母は「いいわよ」と襟元から手を突っ込んだ。
「この辺ね。もっと下? それとも右?」
「…もうちょっと下…。ううん、其処じゃなくて…」
何度か注文を繰り返した末に、痒い所を母が捕まえた。
「其処!」と叫んで、バリバリと掻いて貰った背中。
「痒いから、もっと強く掻いて」と、「大丈夫、痛くないから」と。
(…パパだったら、痛いかもだけど…)
ママだから気持ちいいだけだよね、と目を細めながら、痒みが引いてゆくのを感じる。
母の手が掻いてくれる度に。
「ブルー、本当に痛くないの?」と、気遣う声がする度に。
そうして痒くなくなったから、「もういいよ」と母に笑顔を向けた。
「ありがとう! 痒いの、収まったよ」
「良かったわ。何かに刺されたわけでもないわね」
そういう痕はついていないわ、と母は背中を確かめてくれた。
パジャマの上着の裾をめくって、父と二人で眺め回して。
何かに刺されたわけではないなら、痒さが収まれば、もう安心。
両親に「早くベッドに入りなさい」と急かされたから、「うん」と素直に頷いた。
「おやすみなさい。…ビックリさせちゃって、ごめん」
「いや、いいが…。痒いものは仕方ないからな」
「そうよ、自分じゃ掻けないんだもの」
おやすみなさい、と両親に見送られて、トントンと上って行った階段。
二階に戻って部屋に入って、ベッドに座ってホッと一息。
(…もう痒くないよ…)
パパたちがいてくれて、ホントに良かった、と嬉しくなる。
一人きりなら、痒い背中を抱えたままでいただろう。
掻いて欲しくても、誰もいないから。
「パパ、お願い!」とも、「ママでもいいから!」とも、助けを呼べはしないから。
(……一人暮らしじゃなくて良かった……)
痒い時には困るもんね、と思った所で気が付いた。
一人暮らしをしている恋人、今日は来なかったハーレイのこと。
(…ハーレイ、どうしているんだろ…?)
さっき自分がそうなったように、背中が急に痒くなったら。
バリバリと手で掻きたくなっても、痒い場所に手が届かなかったら。
(……もしかして、我慢するしかないの……?)
掻いてくれる人が家にいないのなら、そうなるだろう。
「こりゃたまらんな」と顔を顰めて、痒みが去るまで我慢するだけ。
きっとハーレイはそういう暮らしで、今日も困っていたかもしれない。
「痒いんだが、手が届かんな」と、痒くてたまらない背中を相手に。
(……一人暮らしって、大変なんだ……)
背中を掻いてくれる人もいないよ、と今のハーレイの境遇を思う。
キスもくれないケチだけれども、どうやら苦労をしているらしい、と。
(…もうちょっとだけ、我慢しててね…)
何年かしたら、ぼくが行くよ、と浮かべた笑み。
ハーレイのお嫁さんになったら、同じ家で暮らしてゆくことが出来る。
二人一緒に暮らしているなら、ハーレイの背中が痒い時には…。
(ぼくに任せて、って手を突っ込んで…)
バリバリと掻いてあげられるよね、と夢見る未来。
それに自分も掻いて貰えるし、早くその日が来ればいい。
痒い時には、お互いに助け合える日が。
「背中が痒い」と言いさえしたなら、ハーレイも自分も、バリバリと掻いて貰える時が…。
痒い時には・了
※背中が痒くなったブルー君。自分では掻けなくて、お母さんに掻いて貰うことに。
痒みは無事に収まったものの、一人暮らしのハーレイが心配。早くお嫁に行かないと…v
(…今日も一日、終わったってな)
いい日だった、とハーレイが腰掛けた書斎の椅子。
ブルーの家には寄れなかった日、夕食の後でコーヒーを淹れて。
愛用のマグカップにたっぷりと熱いコーヒー、これが毎晩の楽しみでもある。
のんびり、ゆっくりカップを傾けるのが。
書斎やリビング、ダイニングなどで。
今夜は書斎で寛ぐひと時、この後は本を読むのもいい。
(もっとも、本を読まなくたって…)
此処にいることが多いんだがな、と思う気に入りの部屋。
書斎だけに、窓は無いけれど。
四方の壁を埋めているのは、様々な本がギッシリ詰まった本棚だけれど。
(本の背表紙を見ているだけでも、落ち着くもんだ)
どの本がどういう内容だったか、目で追いながら考えてゆく。
「あれをもう一度読むのもいいな」と、何度も読んだ本を眺めたり。
時には「あの本の前に、こっちを読んでいたならなあ…」と考えたりも。
小説などの類でなければ、そういったことも少なくない。
後から読んだ本のお蔭で、「なるほどな…」と納得させられることが生まれる瞬間。
先の本では、ただ読み流していたことが。
「特に調べるまでもないな」と通り過ぎた箇所に、ひっそりと潜んでいた宝物。
読む人間に知識があったら、「おお!」と立ち止まるべき所。
「こいつは大発見じゃないか」と、頭に叩き込みたい話。
けれど、読むまで分からないのが本の中身と、読むべき順番。
これが教科書なら、順番が決まっているものなのに。
勉強の進み具合に合わせて、「次はこれです」と渡されるのに。
(…趣味の本には、そんな仕組みは無いからなあ…)
自分で選んで決めるしかなくて、後から「そうか」と思いもする。
「こっちの本と先に出会いたかった」と、読み進めるべき順に気付いて。
そんな時には、引き返すことも珍しくない。
「もう一度、あっちを読み直さないと」と、読んでいた本に教えられて。
自分の知識は「まだ足りないな」と、本に相応しい「勉強」をしに戻るために。
本を読まなくても、こんな具合に考え事。
書斎だからこそ出来る楽しみ、リビングなどでは、こうはいかない。
「其処ならでは」のことに向かってゆく思考。
リビングだったら、カーテンを開けて夜の庭へと視線を向けて…。
(庭の手入れをどうするかな、って方に行ったりするもんだ)
ダイニングならば、明日の朝食を考えてみたり、夕食のメニューを振り返ったり。
あるいは「何か食べたいもんだ」と、キッチンを覗きに出掛けたり。
(何処でも、コーヒーは飲めるんだがな)
だから何処でもかまわないが…、と座っていたら、急に背中に感じた痒み。
蚊の羽音などは聞いていないから、自分の身体の都合だと思う。
(…はて…?)
服の下のシャツが、背中を刺激したのだろうか。
それとも他に原因があるのか、とにかく「痒い」と訴える背中。
(…いきなり来たな…)
季節外れの蚊じゃあるまいし、とマグカップを机にコトリと置いた。
コーヒーが入ったカップを片手に持ったままでは、背中は掻けない。
(…掻けないわけでもないんだが…)
はずみってヤツが怖いからな、と今日までの人生で承知している。
ダテに三十八歳ではないし、「前の自分」の記憶もある。
(…急がば回れ、という言葉もあるしな?)
カップは机に置かんと駄目だ、と思って自由にした両手。
でないと、何処かでバランスを崩しかねないから。
背中を掻こうと突っ込んだ手と、カップを持っている手との間で。
(そうなっちまったら、おしまいだぞ)
アッと言う間に傾くカップ。
中身が机の上に零れて、下手をしたならズボンなどまで台無しになる。
それは駄目だと分かっているから、コーヒーのカップとは暫しお別れ。
痒い背中をバリバリと掻いて、「スッキリした」と思うまで。
「これでいいな」と満足するまで。
さて…、と右手を突っ込んでみたシャツの下。
痒い背中を掻こうとしたのに、どうやら右手は届いてくれない。
ちょうど背中の真ん中辺りが痒いのに。
真ん中だから、と利き手の右手を突っ込んだのに。
(…左手の方が近かったのか?)
痒い場所に…、と入れ替えた。
右手よりかは適任らしい、左手と「選手交代」とばかりに。
これでいける、と判断したのに、その左手も…。
(……もう少しなんだが……)
届かないぞ、と気付かされた。
痒い所は、すぐそこなのに。
もう少しばかり「右に」寄ったら、存分に掻いてやれそうなのに。
(右ってことは、やはり右手か…?)
俺の判断ミスだったのか、と呼び戻して来た自分の「右手」。
「しっかり頼むぞ」と左手に代わって、もう一度、向かわせた「現場」。
痒いと主張している背中。
今度こそ掻ける筈なんだ、と考えたけれど、甘かった。
あと少しの所が、届かない腕。
今も背中は痒いと訴え続けるのに。
(…こういう時は、下からだな…)
襟元から手を入れるんじゃなくて…、とシャツをまくって、下から攻めた。
これなら届く、と右手を入れて。
けれど…。
(…こっちからでも届かんのか…!)
掻けないせいか、余計に痒く感じてしまう。
たかが「背中の痒み」程度で、タチの悪い蚊が刺したわけでもないというのに。
(気の持ちようで、痒くないと思いさえすれば…)
収まるんだ、と思ってはみても、掻きたい気持ちが止まらない。
「掻き損ねてしまった」ことが災いしたのか、痒さも収まらないままで。
(……弱ったな……)
こういう時にはアレしかないか、と机の引き出しから出した物差し。
此処では資料作りもするから、そういったものも入れてある。
それを掴んで、襟元から背中に突っ込んだ。
物差しの分だけ、長くなった「手」。
(よし…!)
此処だ、と届いた「痒い」ポイント。
物差しを使ってバリバリと掻いて、みるみる痒みが引いてゆく。
掻かれたのでは、痒みは退散するしかない。
虫刺されだったら、それでもしつこく背中に残っていそうだけれど。
(…収まったな…)
蚊に刺されたわけじゃなかったらしい、とホッと一息。
もう痒くないし、「えらい目に遭った」と物差しを置いて、カップを持つ。
「零しちゃいかんな」と休憩させていた、コーヒー入りのを。
コクリと一口、そして物差しに目を遣った。
背中をバリバリ掻き毟ってくれた、実に役立つ優れもの。
もっとも物差しは、「背中を掻くための」道具などではないけれど。
この家には「それ」しか道具が無いから、登場しただけ。
(…親父の家なら、ちゃんと専用のヤツがあるんだ)
頼もしい背中のための道具が…、と思い浮かべた道具は「孫の手」。
デザインは色々あるのだけれども、本当に「手の形」をしたものも多い。
「孫」の代わりに、背中を掻いてくれるのが「孫の手」だから。
(…俺は、そうそう使いはしないし…)
持っちゃいないが…、と隣町の家にある「孫の手」を思う。
子供の頃から、何度もお世話になって来た。
「背中が痒い」のに、周りに誰もいなかった時は。
父も母も手が離せないとか、そういった時も。
(まだ孫がいるような年じゃないのに…)
使ってたっけな、と苦笑する。
今のブルーよりも幼い頃から、「孫の手」で掻いていたもんだ、と。
その「孫の手」は、この家に置かれてはいない。
だからさっきも物差しで掻いて、「物差しで代用できるから」と思ってもいる。
一人暮らしの三十八歳、それが「孫の手」を持つのはどうか、と考えて。
「若くないぞ」という気がするから、買う気にならないのだけれど…。
(…たまに、欲しい気もしてくるんだよな…)
掻いてくれるヤツが誰もいないから…、と物差しを見る。
「こんなモノより、孫の手の方がいいだろうか」と、「買うべきなのか?」と。
明日にでも買いに出掛けたならば、「孫の手」が家に来てくれる。
それほど高いものでもないから、買って連れ帰るのもいいのだけれど…。
(いや、待てよ…?)
あと何年か待てば、ブルーがやって来る。
孫の手どころか、「嫁の手」でバリバリ掻いて貰える。
痒い時は「頼む」と言いさえすれば。
「すまんが、掻いてくれないか」と、ブルーに背中を向けさえすれば。
(…孫の手よりも、ずっと素敵じゃないか)
それまで物差しで辛抱するか、と湛えた笑み。
痒い時は、ブルーがバリバリと掻いてくれるから。
あと何年か待ちさえしたなら、もう「孫の手」は要らないから…。
痒い時は・了
※背中が痒くなったハーレイ先生。掻こうとしても手が届かなくて、物差しの出番。
「孫の手を買うべきだろうか」と考えたものの…。いずれ「嫁の手」が来るんですよねv
(…ハーレイ、来てくれなかったよ…)
残念だよね、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイが寄ってはくれなかった日、お風呂上がりにパジャマ姿で。
ベッドにチョコンと腰を下ろして、会えずに終わった恋人を想う。
学校では挨拶できたけれども、あくまで「ハーレイ先生」の方。
「先生」と呼んで、敬語で話さなければいけない相手。
今は教師と教え子だから。
遠く遥かな時の彼方とは、事情が違うものだから。
(ハーレイが家に来てくれた時しか…)
呼び捨てにすることは出来はしないし、恋人同士の会話も無理。
だから毎日、待っているのに、こうして会えない日だって多い。
(…前のぼくが行きたくて夢に見ていた、地球よりは、ずっとマシだけど…)
ハーレイは夢や幻ではないし、今日は駄目でも明日がある。
明日が駄目でも、そのまた明日が。
前の自分が夢に見た地球は、座標さえも掴めていなかったのに。
(…それに、本物の地球の姿は…)
焦がれ続けた青い星とは違っていた。
前の自分は、そうだと信じて夢を見たのに。
フィシスが抱いていた青い地球の映像、それを本物だと信じたのに。
(…前のハーレイが見た、地球は赤くて…)
砂漠化した大地と、毒素を含んだ海に覆われた死の星だった。
そうとも知らずに「地球に行きたい」と見ていた夢より、今のハーレイの方がいい。
会い損なっても、その内に、ちゃんと会えるから。
「ハーレイ先生」の方で良ければ、今日だって、学校で会えたのだから。
(…文句を言ってちゃ駄目なんだけどね…)
でも寂しいな、と思う気持ちは止められない。
もしもハーレイが来てくれていたら、楽しい時間を過ごせた筈。
夕食の席には、両親も一緒だったって。
ダイニングのテーブルに着いた時には、恋人同士の話題は厳禁だって。
それでもいいから、と思うけれども、駄目だった今日。
明日に期待をかけるしかなくて、明日も学校で授業がある日。
週末だったら、ほぼ間違いなく、ハーレイが訪ねて来てくれるのに。
何か用事が出来ない限りは、午前中から。
(……週末は、まだ先……)
明日、会えるかは運次第。
放課後のハーレイの予定次第で、どうなるかは、まるで分からない。
幸いなことに、古典の授業があるけれど…。
(…当てて貰えるかどうかは、分かんないよね…)
それも運だよ、と恨めしい気分。
どんなに勇んで手を挙げたって、当てて貰えない日も多い。
「ブルー君」と呼ばれる代わりに、他の生徒が当てられて。
その子の答えが間違っていても、「答えられる人は?」と訊かれないままで。
(…授業の進め方は、ハーレイ次第…)
どういう心づもりでいるのか、生徒の自分には教えてくれない。
後から話してくれる日はあっても、肝心の授業の最中には。
(それで当然なんだけど…)
ぼくは生徒で、ハーレイは「先生」なんだものね、と諦めの境地。
「前みたいには、いかないよね」と、白いシャングリラで暮らした時代と比べてみて。
(…あの頃は、ぼくはソルジャーで…)
こんなチビでもなかったから、と「今との違い」は承知している。
比べるだけ無駄で、そうは言っても、今の方が遥かに「いい」ことは。
平和な青い地球で暮らせる、今が恵まれていることは。
(……分かってるけど……)
でも…、と愚痴を言っても始まらない。
仕方ないから、明日の準備を確認してみることにした。
ハーレイの授業がある日なのだし、忘れ物をして行かないように。
宿題も、予習も復習も、とうに済ませてあるから…。
(忘れ物だけ…)
調べなくちゃ、と勉強机の方に向かった。
通学鞄は其処にあるから。
勉強机の横が定位置、下げてあるのを取って、机に置いて…。
(教科書と、ノート…)
時間割表と照らし合わせて、「全部あるね」と頷いた。
明日、学校で必要なものは、これできちんと揃っている。
(…後は、ペンケースとか…)
それもあるよ、と鞄を覗いて、ふとペンケースを開ける気になった。
消しゴムもペンも、中に入っている筈だけれど。
家では使っていないのだから、何も欠けたりしていない中身。
何の気なしに開けた途端に、コロンと転がり落ちたペン。
(あっ…!)
落っことした、と思う間もなく、ペンはコロコロ転がって行って…。
(……嘘……!)
消えちゃったよ、と丸くなった瞳。
落っこちたペンは、ベッドの下に入って行った。
コロンコロンと転がった末に、まるで「かくれんぼ」をするかのように。
「此処までおいで」と言わんばかりに、持ち主の自分を置き去りにして。
(……ベッドの下……)
ぼくの手が届くといいんだけれど、と机を離れて、覗いた自分のベッドの下。
ついさっきまで腰掛けていたベッドの下が、ペンの隠れ家。
(…何処に行ったわけ?)
この辺から入って行ったよね、と床に腹ばいになって、愕然とした。
ペンの姿は見付かったけれど、ベッドの反対側の端っこ。
壁際と言っていいほどの場所で、手を突っ込んでも届かない。
もちろん、壁とベッドの間に、頑張って手を差し込んでも…。
(…ぼくの手じゃ、拾えないんだから…!)
せめて壁際まで転がっていたら、届くのに。
そうではない場所に落ちているペン、コロンコロンと転がって行って。
自分の手では無理だから、と物差しに縋ることにした。
これなら長いし、マジックハンドのように引き寄せられるかも、と。
(……んーと……)
もうちょっとかな、と精一杯に手を伸ばすのに、届かない。
壁とベッドの間の方から攻めてみたって、届いてくれない。
反対側へと転がせたならば、ベッドの下から出て来ることもありそうなのに。
物差しでコツンと上手くつつけば、コロンと転がりそうなのに。
(……うー……)
全然ダメ、と格闘し続け、疲れ果てて座り込んだ床。
「前のぼくなら、サイオンで直ぐに拾えたのに」と溜息をついて。
きっと苦も無くヒョイと拾って、ペンケースに戻したのだろう。
拾うどころか、一瞬の間に、ペンケースの中へ瞬間移動をさせたりもして。
(…ぼくのサイオン、不器用だから…)
ペンの一つも拾えやしない、と眺める物差し。
こういうマジックハンドもどきを使ってみたって、今の自分は何も出来ない。
ベッドの下へと逃げ込んだペンを、拾いたくても。
どう頑張っても、腕の長さが足りないから。
それに不器用すぎるサイオン、それも役には立たないから。
(……仕方ないよね……)
明日は違うペンを持って行かなきゃ、と思った時に聞こえた足音。
階段を上って来る足音で、この感じだと明らかに父。
(そうだ、パパなら…!)
拾えるよね、と急いで立ち上がって、駆け寄ったドア。
バタンと開けて、「パパ!」と叫んだ。
「ぼくのペン、拾って欲しいんだけど」と、大きな声で。
「ベッドの下に落っこちちゃった」と、「ぼくには、拾えないんだよ」と。
「パパ、お願い!」
こっちだよ、と父の手を掴んで引っ張った。
廊下に出て行って、グイグイと。
「ほほう…? お前じゃ拾えないのか…」
部屋に来た父は、ベッドの下を覗き込むなり、「あれか」と腕を突っ込んだ。
「パパ、届きそう?」
「どうだかな…。もう少しだが…」
「じゃあ、これで取れる?」
床に転がっていた物差しを渡したら、父は「よし」と掴んで突っ込んで…。
「ほら、ブルー。拾えたぞ、お前の大事なペン。しかし、なんだな…」
「なあに?」
「お前、ソルジャー・ブルーなのにな、と思ってな。…早く寝るんだぞ」
パジャマのままだと風邪を引くぞ、と額を指で弾かれた。
「いつまでも夜更かししているというのは、感心せんな」と。
「ごめんなさい、パパ…。ありがとう、困っていたんだよ」
「このくらいのことは、何でもないさ。次からは早く呼びに来なさい」
ペンでも何でも拾ってやるから、と父は「おやすみ」と出て行った。
「困った時には、パパを呼べよ」と、「もちろん、ママでもいいんだからな」と。
「…おやすみなさい…」
ありがとう、と部屋のドアを閉めて、ペンをペンケースに入れて。
鞄に仕舞って、父の言葉を思い出した。
「困った時には、呼べよ」と言ってくれた父。
それに母だって、困った時には、きっと助けてくれるのだろう。
(…前のぼくだったら、困ったとしても…)
助けなど来はしなかった。
ソルジャー・ブルーの手に負えないなら、他の仲間の手に負える筈がないのだから。
前の自分は「困っている仲間」を助けるばかりで、逆は無かった。
ただ一人きりのタイプ・ブルーで、ただ一人きりのソルジャーだった自分。
次のソルジャーのジョミーを船に迎えた後にも、やはり一人でメギドを沈めた。
他の仲間には出来ないことだと、誰よりもよく分かっていたから。
(…だけど、今だと…)
ペンを落としてしまっただけでも、父が助けに来てくれた。
母だって拾ってくれるだろうし、他のことでも助けてくれる。
「困った時には、呼べよ」と父が言った通りに。
ペンを落とした程度のことでも、困った時には助けが来る。
(…ぼくって、幸せ…)
困った時には、助けてくれる人がいるんだよ、と浮かんだ笑み。
両親も、それにハーレイもいるし、他にも数え切れないほど。
サイオンは不器用になったけれども、今の自分は「ただのブルー」になったから。
ペンを落としてしまったくらいで、「助けて!」と誰かを呼びに行くことが出来るから…。
困った時には・了
※ブルー君が落としてしまったペン。自分では拾えなくて、諦めかけていたんですけど…。
それを拾ってくれたパパ。その程度のことでも助けが来るのが、今の平和な時代ですv
(……うーむ……)
困ったな、とハーレイが眉間に寄せた皺。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、困った件は、それとは別。
「そういえば…」と気になった来週の予定のこと。
(…何も考えずに引き受けちまった…)
俺としたことが、と唸る失態。
同じ古典の教師の一人が、出る予定になっていた会議。
ところが用が出来たと言うから、「私が出ますよ」と引き受けた代理。
困った時はお互い様だし、いつか自分が「お願いします」と頼む日だってあるだろう。
今日までに勤めた幾つもの学校、其処で経験済みだから。
(…引き受けたまではいいんだが…)
その日には何の予定も無いから、「いいですよ」と名乗りを上げた。
わざわざ手帳を開かなくても、「用のある日」は把握している。
だから引き受けたのだけれども、その日の予定が空いていただけで…。
(…前の日は、俺が研修でだな…)
代わりに会議に出る次の日は、自分が出席する会議。
それも放課後、代理を引き受けた会議も放課後。
(…研修の日は、学校に戻れそうにないしな…)
つまり続けて三日もの間、自由にならない放課後の時間。
ブルーの家にも寄れはしなくて、きっとブルーは膨れっ面。
「今日もハーレイ、来なかったよ」と唇を尖らせて怒っているか、残念がるか。
十四歳にしかならないチビの恋人、寂しがるのも無理はない。
けれど、問題はブルーのことではなくて…。
(…柔道部の指導が、三日もお留守になっちまう…)
そいつはマズイ、と考え込んだ。
部員だけでも稽古は出来るし、会議の日なら、朝練の時に指導も出来る。
放課後の活動内容の方も、「こうするように」と指示してはおける。
「俺の指導の通りにしろよ」と、徹底するよう、睨みもして。
柔道部の活動で心配なのが、生徒の怪我。
顧問の自分がついていたって、時には起こりがちなもの。
まして「顧問が不在」となったら、部員たちは無茶をしかねない。
実力以上の技を使って、挙句に自分が怪我をするとか、相手に怪我をさせるとか。
(…これが、よくあることなんだ…)
お目付け役が三日もいないと、三日目には何が起こることやら。
そちらの方も心配な上に、気がかりなのが「伸びている」部員。
順調に力をつけているから、ここぞとばかりに指導中。
その「彼」に稽古をつけてやれない。
三日もの間、不在だから。
彼に指導をしてやりたくても、「自分」は二人いないから。
(…どうしたもんだか…)
本当にウッカリしていたな、と後悔しても始まらない。
一度引き受けた会議の代理を、更に「他の誰か」に回すことなど、論外だけに。
(……三日のブランクは大きいぞ……)
自分にも経験があるから分かる。
子供時代に家族と旅行に出掛けた後には、明らかに落ちていた実力。
旅先で柔道の稽古はしないし、どうしても鈍ってしまった技。
流石に今では、そんなことなど無いけれど。
もう安定して「強い」けれども、そうなるまでの道は長いもの。
せっかく強くなれそうな部員、大きく伸びるチャンスを三日も失うと…。
(…取り戻すには、三日で済みやしないんだ…)
彼が稽古に熱心なだけに、なんとも惜しい。
しかも「稽古が出来なくなる」のは、自分のせい。
あの時、手帳を広げていたなら、直ぐに「駄目だ」と気付いたろうに。
何も予定は無い日であっても、「其処は柔道部に行かないと」と。
(……弱ったな……)
誰か代わりの者がいれば、と思ってはみても、代わりになれる教師はいない。
何処の学校へ赴任した時も、着任するなり任されたのが柔道部やら、水泳部。
「ハーレイ先生なら、間違いないから」と、プロ級の腕に期待をされて。
今の学校でも、そうだった。
少し遅れて着任したのに、それまで顧問をしていた者から引き継いだのが柔道部。
(…あの先生なら、いるんだが…)
素人だしな、と零れる溜息。
柔道に関しては、まるで素人だったのが前任者。
やっていたのは他のスポーツ、サッカーだったか、バスケットボールだったか。
(運動だけは出来るもんだから…)
柔道部の顧問をしていただけで、直接、指導に入ってはいない。
部員たちの稽古に目を光らせて、怪我をしないよう見張るのが仕事だっただけ。
(…三日間、監視は頼めたとしても…)
指導が出来なきゃ、どうにもならん、と「伸びつつある部員」の顔を思い浮かべる。
三日間、指導が出来ないばかりに、どれほどの損をさせてしまうことか。
彼自身には自覚が無くても、その三日間が「もったいない」。
(…週末だったら、道場で習っているんだが…)
大抵の柔道部員はそうだし、「彼」も土日は家の近くの道場に行く。
その道場に任せられるなら安心だけれど、平日の稽古は柔道部になっているものだから…。
(あいつだけ、そっちに行けというのも…)
変な話で、他の部員にも公平ではない。
だから「なんとかしたい」とはいえ、入れてしまった会議の予定は変えられない。
自分の身体も二つ無いから、「会議も、それに柔道部も」と欲張るのは無理。
(……迂闊だったな……)
なんとも困った、と額を軽くコツンと叩く。
「ウッカリ者め」と、「ちゃんと手帳を見ないからだ」と叱り付けるように。
そうした所で、どうなるわけでもないけれど。
分身の術など使えはしないし、三日間の間、柔道部の方は指導者不在。
(…どうにもならんな…)
俺のミスだ、と少し冷めかけたコーヒーを傾け、ハタと膝を打った。
「そうだ、あの手があるじゃないか!」と。
自分は「二人いない」けれども、「柔道に強い」者なら何人もいる、と。
(道場のヤツらに頼めばいいんだ…!)
いわゆる出稽古、たまに下の学校に教えに行ったりするのが道場の仲間。
彼らは「教える」のが仕事なのだし、手が空いている者もいるだろう。
(…来てくれる分の費用は、俺が支払いさえすれば…)
学校も文句を言いはしないし、むしろ歓迎かもしれない。
三日間も顧問が不在になるより、「腕に覚えの柔道の達人」が来てくれるなら。
(よし…!)
それだ、と急いで通信機のある部屋に走った。
この時間でも、道場の仲間に連絡はつく。
誰にしようか少し迷って、「こいつでいいか」と入れた通信。
呼び出し音の後に、彼の声が「はい?」と聞こえたものだから…。
「急な話で申し訳ないが、来週、誰か、空いていないか?」
俺の学校で指導を頼みたい、と通信しながら頭を下げたら、「いいぞ」と返って来た答え。
「俺が行こう」と、早速に。
「来週なら、俺が空いているから。…しかし、いきなり、どうしたんだ?」
「それがだな…。ついウッカリと、下手に予定を入れちまって…」
こういうわけだ、と事情を話して、「よろしく頼む」と費用などのことを尋ねたら…。
「水臭いヤツだな、そんなのは要らん。困った時はお互い様だろ?」
お前もそれで会議の代理に行くんだろうが、と豪快に笑い飛ばした相手。
「俺ならタダでかまわないぞ」と、「後進の指導もいいもんだ」と。
こうして決まった、「顧問の代理」。
彼が来たなら、部員たちも喜ぶことだろう。
(…俺と違って、道場の師匠というヤツだしな?)
実力は俺と変わらないが…、と分かってはいても、重みが違う。
「顧問の教師」と、「道場で教えている師匠」では。
(…これで来週も安心だ)
柔道部も会議も両立したぞ、と嬉しくなる。
自分は二人いないけれども、代わりの者が来てくれるから。
「困った時はお互い様だ」と、引き受けてくれた道場仲間が。
ホッと息をつき、傾けたカップ。
コーヒーはすっかり冷めているけれど、その甲斐はあった。
(俺が抜ける分を、埋めて貰えることになったし…)
ブルーが膨れるだけで済むな、と思った所で気が付いた。
「今の自分」が困った時は、どれほどの者が「自分を助けてくれる」のかと。
「困った時はお互い様だ」と、何人が「代わりをしてくれる」のか。
(…一人や二人どころじゃないぞ?)
シャングリラの頃とは、まるで違うな…、と浮かんだ笑み。
あの頃は、誰もいはしなかった。
キャプテンの代わりが務まる者など、ただの一人も。
(…だからブルーも、俺にジョミーを託して行って…)
俺はシャングリラに残されちまった、と思い返して、今の幸せを噛み締める。
ブルーが膨れっ面になろうと、「自分の代わり」は見付かったから。
ただそれだけのことが嬉しい。
困った時は、お互い様。
そう言ってくれる者が何人もいるし、何人もが助けてくれるのだから…。
困った時は・了
※ついウッカリと予定を入れてしまった、ハーレイ先生。困っていたんですけれど…。
「お互い様だ」と代理を引き受けてくれた、道場の仲間。それだけのことが、嬉しい今v
「ねえ、ハーレイ…。ぼくにキスして」
おでこや頬っぺたじゃなくて唇にだよ、とブルーがつけた注文。
ハーレイと過ごす休日の午後に、テーブルを挟んで向かい合わせで。
此処はブルーの部屋の中だし、この時間なら誰も来ないけれども…。
「キスは駄目だと言ってるだろうが。何度言ったら分かるんだ」
いい加減にしろよ、とハーレイはブルーを睨んだ。
「俺は子供にキスはしない」と、お決まりの台詞を口にして。
小さなブルーが前のブルーと同じ背丈になるまでは、キスはお預け。
そういう決まりになっているのに、ブルーは一向に諦めない。
こうして二人きりになる度、「ぼくにキスして」と言い出して。
時には「キスしてもいいよ?」と誘いもして。
(つくづく懲りないヤツだな、こいつは…)
一度、ガツンと叱ってやるか、と目の前のブルーを睨み付ける。
相手が柔道部員だったら、「すみません!」と青ざめそうな瞳で。
「いいか、あんまり繰り返してると、本気で怒るぞ!」
怒鳴られたいのか、と脅してやった。
ゲンコツで殴りはしないけれども、胸倉くらいは掴むかもな、と。
その状態で、「いい加減にしろよ?」と揺さぶって。
「分かったか!」とドンと突き飛ばしたりも。
「…怒鳴るって…。ハーレイが、ぼくを?」
「当然だ! 俺にも我慢の限界はある!」
そうなってからでは遅いんだぞ、と腕組みをした。
これに懲りたら、二度とキスなど強請るんじゃない、と怖い顔で。
「……ハーレイ、怖い……」
そんなに怒らなくったって、とシュンとしたブルー。
どうやら効果はあったようだ、とハーレイは満足したのだけれど。
暫くションボリしていたブルーが、ふと顔を上げた。
赤い瞳を瞬かせてから、思い切ったように…。
「あのね…。さっきのハーレイ、怖かったから…」
ビックリしたから、今度は褒めて、とブルーは瞬きをする。
「怖がらせた分のお詫びをちょうだい」と、甘えるように。
「お詫びって…。詫びるのは、お前の方だろう?」
俺を怒らせたのはお前だ、と叱ったけれども、ブルーは聞かない。
「ハーレイのケチ!」と頬を膨らませて。
「キスはしないし、おまけに怒るし、酷すぎだよ!」と。
「ホントのホントに酷いんだから…! ハーレイの馬鹿!」
「おいおい、それはこっちの台詞だぞ」
自分の立場が分かってるのか、と言ってはみたものの…。
(…こいつの場合は、言うだけ無駄で…)
懲りてくれないチビだったな、とハーレイも充分に承知している。
だから…。
「よし、分かった。褒めるんだな?」
「そう! ぼくをションボリさせちゃった分!」
お願い、とブルーが顔を輝かせるから、ニッと笑った。
「なるほど、実に欲張りで素晴らしいな。…お前というヤツは」
「欲張り?」
「ついでに酷く自分勝手で、我儘言いたい放題で…」
「それ、褒めてる?」
ちょっと違う気がするんだけれど、とブルーが言っても気にしない。
「これでいいんだ。褒め殺しという言葉があってな…」
存分にお前を誉めてやろう、と続けてゆく。
チビのブルーの「困った部分」を、あげつらって。
「キスは駄目だと言っても聞かない、立派な頑固者だよな」と…。
怒らないでよ・了