(……まったく……)
あの忌々しいクソガキめが、とハーレイがフウと零した溜息。
ブルーの家へと出掛けた休日、夜の書斎でコーヒー片手に。
今日はゆっくり話せたブルー。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
とても大事な人だけれども、それとこれとは別問題。
「クソガキめが」と愚痴を言いたくもなるし、「忌々しい」とも思ってしまう。
こうして家へと帰った後に、書斎に腰を落ち着けたら。
昼間の出来事を思い返して、ブルーの言動を思い出したなら。
(…何度言ったら分かるんだ…!)
あいつは学習しないのか、と苦々しい気分で傾けるカップ。
心なしか、馴染んだコーヒーまでが、普段よりも苦く思えるほどに。
(勉強は出来るヤツなんだが…)
きっと「学習」はしないんだな、と頭に描いたブルーの顔。
十四歳にしかならない今のブルーは、自分が勤める学校の生徒。
極めて成績優秀だけれど、得意なのは、きっと「勉強」だけ。
いわゆる学習能力は無くて、「学ばない」のに違いない。
動物でさえも「学ぶ」のに。
根気よく何度も教え込んだら、同じ失敗はしなくなるものなのに。
(あいつの場合は、失敗だとも思っていないからなあ…)
本当に学習しないヤツだ、と頭が痛い。
まだ何年も、この状態が続くから。
チビのブルーが前と同じに育つ日までは、「クソガキめが」と呻くことになるから。
今のブルーと再会して直ぐ、自分の中でルールを決めた。
ブルーが口では何と言おうと、中身は間違いなく子供。
心も身体も幼いのだから、「前と同じ」には扱わない、と。
どれほどブルーを愛していても。
片時も離れたくはないほど、ブルーのことを想っていても。
(あいつは、子供なんだから…)
どんなに「ませた」ことを言っても、それは「口だけ」。
前の生の記憶を持っているから、その通りに真似て言っているだけ。
「ぼくにキスして」と強請って来ようが、「キスしてもいいよ?」と誘おうが。
(…俺は真に受けちゃ駄目なんだ…)
そこはセーブする所なんだ、と分かっているから、定めたルール。
ブルーの背丈が前のブルーと同じになるまで、けして唇へのキスはしないと。
(……なのにだな……!)
そう言い渡されたブルーの方は、とてつもなく諦めが悪かった。
何度「駄目だ」と叱り飛ばしても、懲りたりはしない。
頭をコツンと小突かれても。
「馬鹿野郎!」と軽く睨み付けても、一向に諦めてはくれないキス。
あの手この手でキスを強請って、忘れた頃に仕掛けてくる。
そう、今日だって、そうだった。
向かい合わせでお茶を楽しんでいたら、小首を傾げて。
「ハーレイ?」と赤い瞳を揺らして。
何事なのかと問い掛けてみたら、返った言葉はこうだった。
「ねえ、キスしたいと思わない?」と、笑みを浮かべて。
「今だったら、ママも来ないものね」と、それは得意そうに。
(クソガキめが…!)
もちろん、その場でブルーを叱った。
「俺は子供にキスはしない」と、「何度言ったら分かるんだ?」と。
今ではすっかり、お決まりの台詞。
これを何回口にしたのか、覚えてさえもいないほど。
なのに懲りないのが今のブルーで、「学習する」ことは無いらしい。
動物だって、「覚える」のに。
やっていいことと悪いこととを、きちんと学習するというのに。
(…動物以下だ…!)
あいつは確かウサギなんだが、と心で毒づく。
幼かった頃のブルーの夢は「ウサギ」で、ウサギになりたかったという。
ウサギだったら、元気に駆け回れるから。
今度も前と同じに虚弱な、身体が元気になると思って。
(幼稚園で飼ってたウサギと仲良くなって…)
ウサギになろうと考えたブルー。
本当にウサギになれた時には、両親に飼って貰おうと。
(……庭にウサギ小屋を作って貰って……)
庭の芝生で遊ぶつもりで、幼いブルーは「ウサギ」を夢見た。
もしもウサギになっていたなら、どんな出会いになったのだろう。
前の生の記憶が戻って来たって、ブルーがウサギだったなら。
(…ブルーなんだ、と分かるだろうが…)
人間とウサギで恋をするより、同じウサギの方がいい。
だから…。
(俺もウサギになるんだっけな)
ブルーは白いウサギだろうけれど、自分はきっと茶色のウサギ。
庭の小屋など捨ててしまって、広い野原に巣穴を作る。
誰にも邪魔をされることなく、のびのび暮らしてゆけるようにと。
人の姿はもう要らないから、ブルーと同じウサギになって。
奇しくも今の自分もブルーも、ウサギ年。
昔の地球の干支で言うなら、二人とも正真正銘のウサギ。
(…前よりも縁は深いんだがな…)
ウサギのブルーは頭が悪いに違いない、とぼやきたくなる。
いくら叱っても「覚えない」から。
少しも学習してはくれずに、「ぼくにキスして」と繰り返すから。
(本物のウサギでも、もう少しだな…!)
きっと覚えはマシだろうさ、と長い耳のウサギを思い浮かべる。
野生のウサギは「学習しないと」生きてゆけないことだろう。
何処に行ったら餌があるのか、危険な場所は何処なのかと。
人間のペットのウサギにしたって、それなりのことを覚える筈。
飼い主の機嫌を取る方法とか、家の中で行ってもいい場所だとか。
そういったことを覚えなければ、叱られるから。
名前を呼ばれて、額を指で弾かれるとか。
あるいは「今日のおやつは無しよ」と、目の前で取り上げられるだとか。
(…絶対、本物のウサギの方が…)
ブルーよりかは頭がいいぞ、と考えずにはいられない。
ウサギは「学習してくれる」から。
少々バカなウサギだとしても、ブルーよりかはマシだろう。
何度も何度も叱ってゆく内、いつかは覚える。
「これをやったら駄目なんだ」と。
小さなウサギの脳味噌でも。
勉強なんかはまるで出来ない、長い耳のついた頭でも。
(それなのにだな…)
ブルーときたら、と尽きない嘆き。
微塵も「学んでくれない」ブルーは、これから先も学習しない。
「キスは駄目だ」と叱ってみたって、一向に。
頭を、額をコツンとやろうが、まるで全く。
(…クソガキめ、としか言えんじゃないか…!)
愛しててもな、と顰める顔。
それとこれとは話が別だ、と最初に戻って。
まだまだ終わりの見えない日々に、「お先真っ暗」な気持ちになって。
(…あいつはいいんだ、あいつの方は…!)
キスは駄目だと叱られようが、ブルーにとっては「叱られた」だけ。
大した被害も無いものだから、次の機会を耽々と狙う。
けれど、「誘われた」自分の方は…。
(……精一杯、我慢しているんだぞ……!)
前よりかは遥かに落ち着いたがな、とブルーに向かって言いたい文句。
今のブルーがチビの子供だから、少しずつ余裕が生まれてもくれた。
ブルーが何と言って来ようが、「駄目だ」と叱り飛ばせるだけの。
心がグラリと揺れたりはせずに、年上の大人の広い心で。
(…しかしだな…!)
初めの頃には違っていた。
今のブルーの顔の向こうに、重なった前のブルーの面影。
時折垣間見える表情、それに心が揺れ動きもした。
「俺のブルーだ」と、「前の自分」が反応して。
直ぐにでもブルーを手に入れたいと、心の奥がざわつきもして。
それで禁じた、「この家をブルーが訪ねて来る」こと。
過ちを犯してからでは遅いと、自分自身を戒めて。
悲しそうな顔になったブルーに、「今は駄目だ」と言い聞かせて。
そうやって「守って来た」ブルー。
傷付けないよう、幼くて無垢なままの心が健やかに育ってくれるよう。
(それなのに、だ…)
クソガキめが、とブルーを詰りたくなる。
誰よりも愛しているというのに、こんな夜には。
まるで「学習しない」駄目なウサギを、ウサギ以下だと思うブルーを。
(頼むから、学習して欲しいんだが…!)
そのちっぽけな脳味噌でな、と繰り返す愚痴。
小さなブルーを愛していても、それとこれとは別だから。
どんなにブルーを想ってはいても、時には恨みたくもなるから。
「クソガキめが」と。
「少しも学習しないウサギだ」と、「あいつの頭はウサギ以下だ」と…。
愛していても・了
※珍しいハーレイ先生の愚痴。ブルー君を愛していても、クソガキ呼ばわり。
きっとたまには、そういった夜もあるのです。ウサギ以下でも、愛していますけどねv
「ねえ、ハーレイ? 分けることって…」
大切だよね、と小さなブルーが傾げた首。
二人で過ごす休日の午後に、テーブルを挟んで向かい合わせで。
「うん? どうしたんだ、急に?」
分けるというのは何の話だ、とハーレイは赤い瞳を見詰めた。
もしかしてブルーは、ケーキを分けて欲しいのだろうか?
ブルーの母が焼き上げてくれた、大好物のパウンドケーキ。
隣町に住む自分の母のと、そっくりな味に出来上がるもの。
「おふくろの味だ」と喜んでいるのを、ブルーは充分に承知。
それを横から「欲しい」と言っても、分けて貰えるかどうか…。
(…俺を試してやがるのか?)
ブルーだからな、と浮かんだ苦笑。
十四歳にしかならないブルーは、何かといえば試したがるから。
「小さな自分」にも、ちゃんと愛情を持ってくれるかどうか。
きっとそうだな、と考えたから、皿の上のケーキを指差した。
「こいつを分けて欲しいのか? 珍しいな」
晩飯が入らなくなっても知らんぞ、と念を押す。
小さなブルーは食が細くて、じきにお腹が一杯になる。
「ハーレイの愛情」を試したばかりに、そうなる可能性はある。
分けて貰ったケーキの分だけ、胃袋の中身が増えてしまって。
大喜びで食べた後には、「晩御飯、あまり食べられないよ」と。
そうなった時は、ブルーの両親が心配をすることだろう。
自分たちの大事な一人息子が、今夜は具合が悪いのかと。
「大好きなハーレイ先生も一緒の夕食」が、入らないくらいに。
けれどブルーは、「そうじゃなくって…」と瞳を瞬かせた。
「ぼくが言うのは、分けることだよ」と。
「分けることって…。このケーキだろ?」
ちょっと欲しいと言うんだろうが、と訊き返した。
「俺の大好物のケーキを、俺が譲ってくれるかどうか」と。
「それも試してみたいけど…。ケーキじゃなくても…」
分けるのが一番だと思うんだよね、とブルーは笑んだ。
どんなものでも、一人占めより、分け合うのがいいと。
「ふむ…。まあ、その方が世の中、素敵ではあるな」
「でしょ? だからね…」
分け合うのがいいと思うんだけど、というのがブルーの言い分。
「ハーレイもそれに賛成だったら、ちょうどいいよね」と。
「おいおいおい…。ケーキじゃないなら、何を分けたいんだ?」
俺にはサッパリ分からんのだが、と捻った首。
どうにも見当がつかない上に、他に分けられるものも無いから。
そうしたら…。
「ハーレイの愛情に決まってるじゃない!」
一人で抱え込んでいないで、ぼくにも分けて、と輝いた瞳。
「分けるのが一番いいと思うなら、ぼくにキスして」と。
「馬鹿野郎!」
なんでそうなる、とブルーの頭に落とした拳。
痛くないよう、加減しながらコッツンと。
愛情もケーキも、ブルーになら分けてやりたいけれど…。
(キスは駄目だ、キスは!)
俺は子供にキスはしない、とお決まりの台詞。
それは出来ない注文だから。
ケーキは分けてやれるけれども、キスは決して贈らないから…。
分けるのが一番・了
(今日は、挨拶出来ただけ…)
たったそれだけで終わっちゃった、と小さなブルーが零した溜息。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は、寄ってはくれなかったハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
けれど自分はチビの子供で、ハーレイは学校の教師で大人。
仕事の帰りに寄ってくれなかったら、寂しく過ごすことになる。
いくら両親が家にいたって、夕食を一緒に食べたって…。
(ハーレイがいないと、つまらないよね…)
それに寂しい、と悲しい気持ち。
もしもハーレイが来てくれていたら、賑やかだっただろう夕食の席。
ハーレイを両親に取られても。
「おかわりは如何ですか?」と微笑む母やら、あれこれ話が合う父やらに。
(…パパもママも、何も知らないから…)
自分たちの一人息子が、ハーレイと恋人同士だなんて、両親は夢にも思っていない。
だからハーレイに気を遣う。
「ソルジャー・ブルーの生まれ変わり」でも、自分たちの息子はチビだから。
子供の相手は退屈だろうと、夕食の席では「大人同士の話題」に興じて。
(…そうなっちゃっても、ハーレイと一緒に晩御飯…)
食べられるだけでいいんだけどな、と今日も残念でたまらない。
ハーレイは来てくれなかったから。
学校の廊下で挨拶しただけ、ただそれだけで終わったから。
こんな日だって、あるものだ、と分かってはいる。
挨拶出来ただけでもマシで、顔を見られただけで充分。
(…本当に運が悪い日だと…)
ハーレイの姿も見られないまま、学校を後にすることになる。
「会えるかな?」と思っている間に、放課後になって。
後ろ髪を引かれるような思いで、校門まで歩く間にだって…。
(何回、後ろを振り返っても…)
会いたい人には出会えないまま。
その上、家に帰った後にも、ハーレイは来てはくれないまま。
窓辺に寄っては、濃い緑色をした車が走って来ないか、家の表の道路を見ても。
門扉の脇のチャイムが鳴るのを、首を長くして待ち焦がれても…。
(…来ない日は、そのまま日が暮れちゃって…)
溜息ばかりで、夜が更けてゆく。
「今日はハーレイ、来てくれなくって、会えてもいない」と肩を落として。
ツイていない日だと、泣きたいような気分に深く包まれもして。
(それよりは、ずっとマシなんだけど…)
でも寂しいよ、とハーレイの家の方に目を遣る。
そうしても見えはしないのだけど。
サイオンが不器用な今の自分は、透視なんかは出来ないから。
そうでなくても、何ブロックも離れているのがハーレイの家。
屋根に登って見ようとしたって、他の家の屋根や、木立なんかが邪魔をする。
見通しのいい昼間でも。
「灯りだけでも」と、暗くなってから探してみても。
それくらい遠い、ハーレイがいる場所との距離。
心は近いつもりでも。
思念波は全く紡げなくても、「ハーレイ?」と心で呼び掛けていても。
(遠いんだよね…)
ホントに遠い、と思う距離。
ハーレイの家が「お隣」だったら、こんなことにはならないのに。
道路を挟んだ向かい側でも、窓から手を振れば見えるのに。
(…ハーレイが庭に出ていたら…)
直ぐに分かるし、家の中で移動するのも分かる。
夜だったならば、順に灯りが灯っていって。
昼の間でも、どの部屋の窓が開いているのか、それを眺めれば。
(……隣だったら良かったのにな……)
何度、そう思ったことだろう。
いつでも「ハーレイ!」と呼べる所に、ハーレイの家があったなら、と。
(もっと贅沢を言っていいなら…)
同じ家に住んでいれば良かった。
朝一番から顔を合わせて、夜も「おやすみ」の挨拶をするまで一緒。
そういう距離なら、どんなに嬉しいことだろう。
目覚ましの音で目を覚ましたら、じきにハーレイに会えたなら。
顔を洗いに行った洗面所で、バッタリと顔を合わせるだとか。
朝食を食べに下りて行ったら、ハーレイもテーブルに着いているとか。
(それって、最高…!)
最高だよね、と広がる夢。
たとえハーレイが、父と同じで、面倒見が少し良すぎても。
「これも食べろよ?」などと笑って、自分のお皿から分けてくれても。
(…お腹一杯になっちゃうけれど…)
きっと心も幸せ一杯。
ハーレイがくれたソーセージのせいで、朝からお腹がパンパンでも。
「もうこれ以上は、食べられないよ」と思うくらいに、お裾分けの量が多すぎても。
いいな、と顔が綻んだ。
この家にハーレイも暮らしていたなら、もう毎日が最高の日々。
「会えなかったよ」とガッカリしなくてもいいし、溜息だって零れはしない。
ハーレイは「家にいる」のだから。
たまに会えない時があっても、それは「本当に仕方ない」こと。
研修旅行で留守にするとか、クラブの遠征試合のお供で行ってしまっただとか。
(そういう時には、ぼくは留守番…)
何日か待てば、ハーレイは、ちゃんと帰って来る。
「元気にしてたか?」とお土産を持って。
玄関先まで迎えに出たなら、「ただいま」と笑顔で頭を撫でてくれたりもして。
(……家族みたい……)
そんなのがいい、と憧れるハーレイと同じ家での暮らし。
家に帰ればハーレイがいたり、その逆でハーレイが帰って来たり。
(幸せだよね…)
毎日が天国にいるみたい、と夢は尽きない。
ハーレイの仕事が休みの時には、朝から晩まで一緒にいられる。
もちろん二人で出掛けてもいいし、ドライブにだって行けるのだろう。
なにしろ家が同じだから。
今のように「お前が大きくなったらな」と言われはしないで、誘って貰えて…。
(ドライブに行って、何処かで食事…)
デートみたいに素敵な時間を過ごせると思う。
もしも一緒に暮らしていたら。
ハーレイと同じ家にいたなら。
(ずっと一緒で、何処へ行くのも一緒だよ)
大きなお兄ちゃんみたい、とハーレイの姿を思い浮かべる。
二十四歳も年上だから、年の離れた「お兄ちゃん」。
ハーレイは、父と年がそれほど変わらないから、父のようだとも言えるだろう。
(大きなお兄ちゃんか、パパ…)
そうなれば、きっと甘え放題。
ハーレイと家族だったなら。
年の離れたお兄ちゃんだとか、とても優しいパパだったなら。
(……うんと幸せ……)
ぼくがハーレイを一人占めだよ、と思った所で気が付いた。
最高に幸せな日々だけれども、ハーレイと家族だったなら…。
(…ハーレイの記憶…)
いくら待っても、戻って来てはくれないだろう。
遠く遥かな時の彼方で、白いシャングリラで生きた記憶は。
キャプテン・ハーレイだったことなど、欠片も思い出しはしないで…。
(…ぼくのお兄ちゃんか、パパのまんまで…)
年の離れたチビの弟を可愛がるとか、一人息子を溺愛するとか、その程度。
どんなに愛を注いでくれても、それは家族としての愛情。
前の生での恋の記憶は、戻らずに。
「弟」だか「息子」の正体などには、一生、気付くこともないまま。
(…だって、気付いたら…)
家族がパチンと壊れてしまう。
シャボン玉がパチンと弾けるみたいに、あっけなく、脆く。
「お兄ちゃん」と恋は出来ないから。
「パパ」とも恋は出来はしなくて、お互い、辛くなるだけだから。
そうならないよう、神様は「忘れさせておく」ことだろう。
ハーレイの記憶を固く封じて、何一つ、思い出さないように。
再会の切っ掛けだった聖痕、あれも現れないように。
(……家族だったなら……)
そうなっちゃうんだ、と冷えてゆく背筋。
どれほど幸せに暮らしていたって、決してなれない「恋人同士」。
ハーレイの記憶が戻らなくて。
戻らないどころか、ハーレイが「パパ」の方だった時は…。
(…ハーレイの恋人、ママになっちゃう…)
とっくの昔に結婚していて、生まれた子供が「自分」だから。
息子を可愛がってはくれても、ハーレイが恋をした人は…。
(…ハーレイのお嫁さんで、ぼくのママ…)
恋敵とさえ呼べないけれども、実の母親が恋敵。
しかも勝負になっていなくて、ハーレイの心は「ママ」のもの。
嫉妬したって、その恋敵の「ママ」が微笑むことだろう。
「どうしたの、ブルー?」と、それは優しく。
「最近、なんだか御機嫌斜めね」と、美味しいお菓子でも作ってくれて。
(……ハーレイだって、パパなんだから……)
機嫌が悪くなった息子を、せっせと連れ出したりするのだろうか。
「次の休みは、何処に行きたい?」と、ガイドブックを広げたりして。
(…ハーレイが、お兄ちゃんだったとしても…)
やっぱり記憶は戻りはしない。
弟を可愛がって暮らして、そしていつかは…。
(結婚して、家を出て行っちゃう…)
生涯を共にする伴侶を見付けて、結婚式を挙げて。
「ブルーも、いつでも遊びに来いよ」と、新しい住まいに引越して行って。
(……独りぼっちになっちゃうよ、ぼく……)
そうでなければ、「恋敵のママ」の側で暮らしてゆくコース。
「ハーレイではない誰か」に出会って、恋をして、家を出ない限りは。
そんなことなど有り得ないのに、ハーレイしか好きになれないのに。
(……やだよ、そんなの……)
絶対に嫌だ、と強く思うから、今みたいに遠い距離でいい。
ハーレイと一緒に暮らしていたなら、幸せでも、きっと悲劇だから。
もしもハーレイと家族だったなら、待っているのは悲しい別れ。
そうでなければ恋敵が母で、けしてハーレイは、こっちを向いてはくれないから…。
家族だったなら・了
※ハーレイ先生と家族だったら幸せだよね、と考えたブルー君ですけれど…。
そうだった時は、悲劇が待っているみたいです。今の関係が一番いいんですよねv
(奇跡っていうのは、あるモンなんだなあ…)
ついでに生まれ変わりってのも、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎でコーヒー片手に。
今日は学校での、挨拶だけで終わったブルー。
廊下でバッタリ顔を合わせて、「ハーレイ先生!」と掛けられた声。
「元気そうだな」と笑顔で返して、たったそれだけ。
行く方向が違ったから。
授業の合間の短い休みで、ゆっくり話せはしなかったから。
けれど、それだけでも貴重な時間。
ブルーの顔を見られただけで、挨拶が出来ただけで充分。
なんと言っても「ブルー」だから。
前の生から愛した恋人、生まれ変わって、また巡り会えた愛おしい人。
学校の教師と、教え子として。
前のブルーが焦がれ続けた、青い地球の上で再び出会えた。
遠く遥かな時の彼方で、離れてしまった筈なのに。
前の自分が命尽きるまで、会えはしないと思っていた。
死者が行く地で、先に逝ったブルーに追い付くまでは。
(……それなのにだな……)
まるで全く記憶に無いのが、前のブルーに「追い付いた」こと。
「これで会える」と、夢見るように考えたのに。
死の星だった地球の地の底で、息絶える時に。
崩れ落ちてくる岩に潰され、「此処で死ぬのだ」と思った時に。
魂は死んでゆく身体から抜けて、空へ羽ばたいてゆくだろうから。
そうして真っ直ぐ飛んだ先では、ブルーが待っているのだろうと。
(しかし、覚えていないんだ…)
其処でブルーと出会ったことを。
次に意識が目覚めた時には、この青い地球の上だった。
すっかり「地球の人間になった」、名前も同じな「ハーレイ」になって。
前の生では、考えさえもしなかったこと。
ブルーと二人で生まれ変わって、青い水の星で生きてゆくこと。
今度こそ、何にも邪魔をされずに。
ソルジャーやキャプテンの立場に縛られることも、戦いの日々も無い世界で。
(神様ってヤツは、本当に粋な計らいをなさる…)
聖痕には驚かされたんだがな、と思い出す「あの日」。
何も考えさえもしないで、今の学校にやって来た。
それまでの転任と何処も変わらず、「今日から新しい学校だ」と。
前任の教師との引継ぎを終えて、ブルーのクラスで古典の授業をするために。
(他のクラスも幾つもあるから…)
ブルーのクラスは、その中の一つ。
「此処だな」とクラスの名前を確かめ、扉を開けて足を踏み入れた途端…。
(…生徒が派手に怪我をしたんだ)
珍しい赤い色の瞳から、血の色をした涙を溢れ出させて。
両方の肩や左の脇腹、其処からも鮮血が噴き出して。
(てっきり、事故だと…)
慌てて駆け寄り、抱き起こしたら、戻った記憶。
腕の中で血まみれになっている生徒は、誰なのか。
「本当の自分」は誰だったのか、「生まれ変わって来る前」の膨大な記憶が。
そうやってブルーと再会を遂げて、今ではすっかり教師と教え子。
いつかブルーが大きくなるまで、その関係が続いてゆく。
恋人同士には変わりなくても、互いの距離は縮まないままで。
どんなにブルーがキスを求めても、「キスは駄目だ」と叱り付けながら。
(まだまだ、待たされちまうわけだが…)
小さなブルーが大きくなる日が、待ち遠しい。
前のブルーと全く同じ姿に育って、一緒に暮らしてゆける日が。
結婚式を挙げて、この家にブルーを迎える時が。
(何もかも神様のお蔭だよなあ…)
もう一度、あいつと暮らせるなんて、と嬉しくなる。
白いシャングリラのような箱舟ではなくて、地面の上にある家で。
それもブルーの憧れだった、青い地球。
前の生では何処にも無かった、母なる水の星に生まれて。
(…もっと前から出会いたかったが…)
あいつが生まれてすぐの頃から、と思うけれども、それは贅沢と言うものだろう。
十四歳のブルーに出会えただけでも、儲けもの。
これから大きく育つ姿を、見守れるから。
前の生でもそうだったように、「しっかり食べろよ」と注意したりして。
(…一緒に暮らしていたならなあ…)
もっと細々と気を配れる。
今度も身体が弱いブルーが、無理をして熱を出さないように。
夜更かししそうなら「駄目だ」と叱って、ベッドに入れて。
とても元気にしている日ならば、「これも食べろ」と身体にいい食事。
今の自分も料理は得意で、大抵のものは作れるから。
(仕事が終わって帰ったら、すぐに…)
夕食の支度で、朝は毎日、朝食作り。
ブルーの昼食は、学校のある日は、学校の食堂なのだけれども…。
(休みの日は、俺が腕を奮って…)
とびきり美味しい昼食を作る。
もちろんブルーのための「おやつ」も、心をこめて。
そういう暮らしもいいもんだ、と思ったけれど。
小さなブルーを側で見守り、育ててゆくのも素敵だけれど…。
(ちょっと待てよ?)
どう転がったら、ブルーと一緒に暮らせるのだろう。
毎日、同じ家で過ごして、家族のように。
(…あいつはチビだし…)
大きくなるまで、この家に移って来てはくれない。
それで当然、ブルーが何処に生まれていたって、そうなったろう。
今のような「チビの子供」の内は。
結婚できる十八歳を迎えて、花嫁になる時が来るまでは。
(…そうじゃないのに、一緒だとなると…)
本物の「家族」くらいしかない。
でなければ、とても仲のいい親戚、「親元を離れて」預けて貰えるくらいに。
(しかしだ、あいつは身体が弱いし…)
親元を離れて暮らすことなど、両親が許しはしないだろう。
ならば、残るは「本物の家族」。
生まれた時からずっと一緒の、弟だとか。
あるいは「今の自分」が結婚していて、妻との間に…。
(生まれた子供が、ブルーだってか!?)
それなら一緒に暮らしてゆける。
誰に気兼ねをすることもなくて、ごく自然に。
「お兄ちゃん!」とブルーに纏い付かれたり、「パパ!」と甘えられたりもして。
(……うーむ……)
まるで考えてもみなかった、と愕然とさせられる人生の形。
愛おしい人とは再会出来ても、前の生とは、全く別物。
(…きっと、ブルーは…)
もしも互いに家族だったら、思い出しさえしないのだろう。
「お兄ちゃん」や「パパ」が、誰なのか。
もちろん聖痕も現れはせずに、ひっそりと皮膚に隠されたまま。
ブルーの記憶が戻って来たなら、とても厄介なことになるから。
「お兄ちゃん」や「パパ」は、けして恋人にはなれないから。
(……俺だけ、記憶が戻って来て……)
ブルーは「思い出さない」まま。
前とそっくり同じ姿に育っても。
誰が見たって「ソルジャー・ブルー」に瓜二つでも。
(…それでも、俺は…)
きっとブルーに尽くすのだろう。
「お兄ちゃん」ならば、とても身体の弱い弟を、大切にして。
何処へ行くにも「来るか?」と誘って、無理をしないよう気遣ってやって。
(俺の息子なら…)
きっと妻さえ呆れるくらいに、過保護な父親になるのだと思う。
何かと言ったら「ブルー、ブルー」と、妻よりも遥かに気にかけてやって。
料理も妻に任せはしないで、「今日はパパが御馳走、作ってやるぞ」と甘やかして。
なんと言っても、「ブルー」だから。
ブルーの記憶は戻って来ないで、「弟」や「息子」のままであっても。
「お兄ちゃん!」だの「パパ!」と慕ってくれても、ただそれだけに過ぎなくても。
(そして、いつかは…)
育ったブルーを、送り出す日が来るのだろう。
ブルーに似合いの相手が見付かり、その人と暮らしてゆくことになって。
結婚式を挙げて、新しい家に引越しして。
(お兄ちゃん、さよなら、って…)
そうでなければ、「パパ、さよなら」。
明るく手を振り、きっと元気に巣立ってゆく。
虚弱な身体は変わらなくても、ブルーも「パパ」になるために。
妻と幸せな家庭を築いて、未来へ歩いてゆくために。
(…家族だったら、そうなっちまうな…)
俺と一緒に暮らしていたって、「さよなら」なんだ、と気付かされた。
しかも記憶も戻らないから、弟や息子に過ぎないままで。
青い地球の上で再会したって、すれ違いのように生きて別れていって。
(……そいつは勘弁願いたいから……)
待たされようとも、今の暮らしで充分だよな、と傾けたカップ。
もしもブルーと家族だったら、辛い別れが待っているから。
ブルーの記憶は戻らないままで、「さよなら」と去ってしまうのだから…。
家族だったら・了
※ブルー君が小さい頃から、一緒に暮らせていたらいいのに、と思ったハーレイ先生。
けれど、そういう暮らしになるなら、ブルー君は家族。今の関係の方がいいですよね…?
「ハーレイってさ…」
若くないよね、と衝撃的な言葉が恋人の口から飛び出した。
二人きりで過ごせる休日の午後に、ブルーの部屋で。
ハーレイは目を剥いたけれども、事実ではある。
今のブルーは十四歳にしかならない子供で、それに比べて…。
(…俺は三十八歳で…)
遠い昔の干支で言うなら、二回りも上になる年齢。
いわゆる二ダース、二十四年分も。
(しかしだな…!)
面と向かって「若くない」などと言い放たれる筋合いはない。
毎日身体を鍛えてもいるし、外見だって…。
(俺の好みで中年とはいえ、まだ年寄りでは…!)
ないと思うから、あんまり過ぎるブルーの言葉。
「若くない」だなんて。
そう思ったから、恋人の顔を真っ直ぐに見た。
赤い瞳を正面から捉えて、「どの辺りがだ?」とぶつけた質問。
自分の何処が若くないのか、ブルーはどうしてそう思うのかと。
「俺はお前より年を食っちゃいるが、年寄りじゃないぞ?」
年寄りってのは、ゼルとかヒルマンみたいなのだ、と畳み掛けた。
あの二人よりはずっと若いと、実年齢だって「今は若い」と。
なにしろ「三十八歳」だから。
前の生での年に比べたら、若造とも呼べるくらいの年齢。
まだまだヒヨコで、今の時代は本当にヒヨコ。
人間は全てミュウになったし、とてつもなく長い平均寿命。
三十八歳ならば「クチバシが黄色い」とも言っていいほど。
ブルーなんかは、卵みたいなものだろう。
その「卵」などに「若くない」なんて形容されてはたまらない。
けれど…。
「ハーレイ、自分で分からないの?」
それが若くない証拠だよね、とブルーは深い溜息をついた。
「自覚が無いのも、本当に若くないからだよ」と。
「おいおいおい…。どういう理屈で、そうなるんだ?」
俺は若いぞ、と言い返した。
外見こそ中年男だけれども、年齢だけなら誰に尋ねてもヒヨコ。
そしてブルーは卵なのだ、とチビの恋人を睨み付けたのに…。
「ぼくは卵かもしれないけれど…。でも、恋人だよ?」
放っておくのは若くないからだよね、と答えたブルー。
これが本物の若者だったら、恋人を放っておきはしないと。
休日ともなればデートにドライブ、他にも色々。
こうして「お茶を飲むだけ」だなんて、それは「年寄り」。
「年寄りだって!?」
「うん。行動力が落ちているから」
ぼくをリードする力が無いんでしょ、と決め付けられた。
若くないから、そういうことになってしまうのだと。
(この野郎…!)
よくも言ったな、と反論しかけてハタと気付いた。
ここで反論したならば…。
(チビのブルーと、デートにドライブ…)
連れて行くようにせがまれる。
ブルーの狙いは、間違いなく「ソレ」。
だから「そうだな」と腕組みをして、余裕の笑みを湛えておいた。
「確かに俺は若くないな」と。
若くないからデートは無理だと、行動力などは皆無なのだ、と…。
若くないよね・了