(まだまだ、詰めが甘かったよな…)
この俺を甘く見るんじゃないぞ、とハーレイの顔に意地の悪い笑み。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた、コーヒー片手に。
ふと思い出した昼間の出来事。
ブルーのクラスに古典の授業で出掛けて、遭遇した珍事。
(…俺は宿題を集めただけで…)
それは、ごくごく普通のこと。
前の授業で宿題を出せば、次の時間に回収するもの。
もっとも宿題の中身によっては、もっと後になることもあるけれど。
(今日のは、1時間もあれば出来るヤツで、だ…)
翌日に回収にやって来たって、大抵の生徒は困らない筈。
家に帰って「宿題があった」と思い出して取り掛かったなら、直ぐに完成するから。
(現にだな……)
教室で「宿題を集める」と声を上げると、生徒たちはサッと用意した。
前回の授業で配ったプリント、それに対する宿題の結果を。
順に提出させたのだけれど、其処で上がった困惑の声。
とても困った顔付きをした男子生徒が、自分の席で手を挙げた。
「宿題が出来ていないんです」と。
それを聞くなり、「そうか」と重々しく頷いてやった。
「こいつが追加の宿題だからな」と、取りに来るよう促してやって。
(…そういう約束だったしな?)
宿題をやらなかった生徒は、罰に宿題を追加する。
何度も念を押してあったし、文句を言われる筋合いは無い。
ところが件の男子生徒は、泣きそうな顔で…。
(……出来なかったんです、と来たもんだ)
宿題は昨夜に仕上げる予定で、ちゃんとスケジュールを書いたメモまで。
なのに思わぬ事態が起こって、手つかずになってしまったのだ、と。
クラス中の生徒が固唾を飲んで見守る中で、彼は切々と訴えた。
「ミミちゃんが病気になったんです」と。
(…妹なのか、と訊き返したら…)
ミミちゃんというのは猫だった。
けれども彼の家族も同然、両親も可愛がっている猫。
その「ミミちゃん」が病気だというので、たちまち家中、上を下への大騒ぎ。
動物病院へ連れて行ったり、診察を終えて家に戻ってからも…。
(自分たちの食事もそっちのけで、せっせと看病……)
落ち着いた頃には、すっかり夜更けで、誰もが疲れ果てていた。
皆で黙々と遅い夕食を食べて、ミミちゃんの様子を確認してから…。
(ああ良かった、と風呂に入って…)
ベッドにもぐり込んだ頃には、日付が変わっていたという。
そんな具合だから、全く出来なかった宿題。
今日の時間割をするだけで精一杯で、古典の教科書やノートがあるのが奇跡なのだ、と。
そちらも忘れて登校したって、何の不思議も無かったのだ、とも。
(…事情を考慮して下さい、と泣き落としで…)
追加の宿題を免れようと、懸命に説明を続けた彼。
「ミミちゃん」が如何に重病だったか、大切な家族の一員なのかを。
今朝は元気になっていたから、こうして授業に出ているけれど…。
(病気が重くて死にそうだったら、学校を休んで、付きっきりで…)
ミミちゃんの看病をしていた筈だ、と彼は主張した。
そうなっていたら、宿題の提出日が今日であろうと関係無い。
授業に出席していないのだし、当然、提出義務だって無い。
追加の宿題を貰うことも無くて、何も知らずに過ごしただろう。
(でもって、例の宿題は…)
次の授業に出席した時、「遅れました」と詫びて提出。
もちろん追加の宿題は出ない。
彼は欠席していたのだから、宿題を忘れずに出しただけでも立派なもので。
(…言うことは間違っちゃいないんだがな?)
自分だって地獄の鬼ではないから、事情があったら臨機応変。
「そういうことなら、この次でいいぞ」と、無罪放免するくらいのことは、わけもない。
とはいえ、世の中、そうそう甘くは…。
(出来てないってな、生憎と)
他の生徒の手前もあるんだ、とコーヒーのカップを傾ける。
真面目に宿題をやった生徒は、きちんと評価されねばならない。
ほんの1時間で出来るものでも、仕上げるのは生徒の義務なのだから。
(…そいつをやらずに、のうのうと遊び暮らした末に…)
真っ赤な嘘で言い逃れるなど、言語道断。
しかも自分が風邪を引いたとか、腹痛だったとかなら、まだしも…。
(……猫が病気だったと、お涙頂戴……)
クラスメイトたちの同情を誘って、泣き落としという手段に出た彼。
これで追加の宿題を出せば、教師の自分が悪者にされる。
「なんて酷い」と、まず女子生徒が騒ぎ始めて。
愛猫のために頑張った彼に、罰を与えるなど、鬼の所業だと。
(そうなれば、男子も黙っちゃいないし…)
俺の人気が地に落ちるんだ、と顰めた顔。
せっかく学校で勝ち得た人気は、すっかりオシャカになるだろう。
「おい、聞いたか?」と噂がたちまち駆け巡って。
「ハーレイ先生、酷すぎるよな」と、まるで根拠の無い悪評が。
(……なにしろ、猫のミミちゃんは……)
病気なんかじゃないんだからな、とカップをカチンと指先で弾く。
宿題を忘れた男子生徒は、苦し紛れに大嘘をついた。
「こう言えば、許して貰えるだろう」と、泣き落としに出て。
きっと嘘だとバレはしないと、スラスラと嘘を並べ立てて。
それが証拠に、彼の顔色はサッと変わった。
「気の毒にな…。帰りに見舞いに寄るとしよう」と微笑んだら。
「俺が子供の頃には、おふくろが猫を飼っていたしな」と、ミミちゃんに敬意を表したら。
(…本当に修行の足りないヤツだ)
同じ嘘なら、もっとマシなのを言えばいいのに、と苦笑する。
修行を積んだ教師が見たって、「嘘かどうか」の判断に困るようなのを。
「宿題を家に忘れて来ました」という定番の方が、まだバレない。
この世の中には、本当に忘れる不幸な生徒もいるものだから。
通学鞄を逆さに振っても、「入れた筈」の宿題が出て来ない子が。
(そっちにしてれば、俺だって……)
宿題の追加を出すべきかどうか、きっと考え込んだだろう。
彼の日頃の行いなどから、総合的に判断するために。
(……しかしだな……)
あの泣き落としは頂けん、と彼に下した追加の宿題。
「特別に、これも付けてやろう」と、その場で考えた宿題もセット。
悪事を働こうとしていたのだから、相応の罰を与えなくては。
「泣き落とし」という卑怯な手段を用いた、彼に。
嘘だとバレなかった時には、「追加の宿題を出したハーレイ先生」が悪者にされる。
「猫が病気だったと言っているのに、酷すぎる」と。
きっと小さなブルーさえもが、後から責めにかかるだろう。
「どうして許してあげなかったの?」と、赤い瞳でキッと見据えて。
「酷いよ、ハーレイ!」と、正義の拳を振りかざして。
そうなっていたら、本当に目も当てられない。
生徒どころか、恋人にまで悪者にされてしまうとは。
血も涙も無い鬼教師だと、情があるとは思えない、と。
ところがどっこい、露見したのが彼の嘘。
「ハーレイ先生」が家に見舞いに来ようものなら、今度は彼が困る番。
きっと玄関を開けた家族は、とても恐縮するだろうから。
(ミミちゃんは、ピンピンしててだな…)
宿題を忘れた言い訳に使われただけで、動物病院に行ってはいない。
「泣き落とし」に出た彼はその場で、家族に叱られることだろう。
先生の手を煩わせた上に、宿題も忘れた悪人として。
場合によっては、夕食の時に、父からゲンコツを貰ったりもして。
(……本当に、あいつは馬鹿だったんだが……)
ちょっと使ってみたい気もする、と思う手段が「泣き落とし」。
彼は失敗したのだけれども、成功するなら、試してみたい。
「大の男」が「お涙頂戴」、それで解決するのなら。
頭を抱えるような難問、それがアッサリ…。
(許しますよ、と言って貰えるのなら…)
いいんだがな、と考える。
今の時点で、その難問には、まだ立ち向かっていないけれども。
立ち向かうべき時は、まだ遥か先で、欠片も見えてはいないのだけれど。
(……息子さんを、嫁に下さいと……)
ブルーの両親を泣き落とせたら、どんなにか楽なことだろう。
「嫁に欲しい」と思う気持ちに嘘は無いから、いくらでも泣ける。
結婚を許して貰えないなら、首を括って死ぬとでも。
高い崖から身を投げるとでも、底無しの沼に飛び込むとでも。
(…あいつを嫁に貰えないなら、生きていたって意味が無いからなあ…)
泣き落とせたら、どんなにいいか、と思うけれども、きっと、その手は使わない。
同じブルーを貰うのだったら、正々堂々、正面から突破したいから。
何度、門前払いを食おうと、懲りずに通い詰めるのだから…。
泣き落とせたら・了
※ハーレイ先生の授業中に起こった「泣き落とし」。宿題を忘れた男子生徒の、真っ赤な嘘。
それが切っ掛けで、使ってみたくもある「泣き落とし」。いつかブルーの両親相手にv
「ねえ、ハーレイ。感謝の気持ちって、大切だよね?」
人間が生きてゆく上で…、と小さなブルーが言い出したこと。
二人で過ごす休日の午後に、テーブルを挟んで。
向かい合わせで、紅茶のカップを傾けながら。
「ほほう…? 珍しい話題だな」
お前にしては、とハーレイは笑む。
こういった時にブルーが持ち出す話題は、難しくないもの。
人生の話をするにしたって、将来の夢とか、希望だとか。
生きてゆく上で欠かせないものだったら、食事くらいだろう。
いつか二人で暮らし始めたら、是非とも食べたい料理や食材。
なのに、「感謝」と口にしたブルー。
まるで遥かな時の彼方で、前のブルーが言ったかのように。
(どう見ても、いつものブルーなんだが…)
珍しいこともあるもんだ、とハーレイは思う。
どんな心境の変化だろうか、「感謝の気持ち」の話だとは。
それは大事なものだけれども、別に無くても困らない。
人間としては問題とはいえ、生きるのに支障は全く無いもの。
「恩知らずだ」と思われるだけで、その責任は本人が負う。
同じ何かを頼むにしたって、頼まれた方は…。
(恩知らずなヤツを手伝うよりかは、感謝してくれる方…)
そっちを助けてやりたいものだ、と考えるのが普通だろう。
だから「恩知らず」だと言われる者は損をする。
仕事を手伝って貰えないとか、集まりに誘われないだとか。
けれど、そのせいで死んだりはしない。
食べるのに困るわけでもないから、本人が良ければ別にいい。
感謝の気持ちを持たなくても。
誰かに感謝をするということを、しないで生きる人生でも。
前のブルーが生きた人生、それは感謝の日々だったろう。
生きていられることを神に感謝し、仲間たちにも感謝の心。
ミュウの仲間を乗せた箱舟、シャングリラで共に暮らした者。
彼らの働きに感謝し続け、労い続けたソルジャー・ブルー。
(…誰が欠けても、あの船じゃ、大きな損失で…)
風邪で休んだだけのことでも、上手く回らないことが山ほど。
その船の頂点に立ったブルーは、皆の重みを知っていた。
未来への道を開くためには、感謝の気持ちを忘れないことも。
(……本当に、あいつらしかったんだ……)
どんなことにも礼を言っていたな、と思い出す。
公園で子供たちから貰った、小さな花冠に対してさえも。
「えっと…。ハーレイ?」
どうしちゃったの、とブルーが首を傾げる。
「ぼく、間違ったことを言っちゃった?」と。
「いや…。お前が言ったことは正しい」
実に正しい、と腕組みをして大きく頷いた。
感謝の気持ちを忘れないことは、とても大事なことだから。
そうしたら…。
「やっぱりそうでしょ? だからね、ぼくもハーレイに感謝」
こうして家に来てくれたりして、感謝してる、という言葉。
輝くような笑みを浮かべて、それは嬉しそうに。
「感謝の気持ちを伝えたいから、キスしてもいい?」と。
「馬鹿野郎!」
それとこれとは別問題だ、と叱り付けながら、零れた溜息。
「前のブルーと重ねた俺が、馬鹿だった」と。
「こいつは、こういうヤツだったよな」と、顔を顰めて…。
感謝の気持ち・了
(ハーレイ、何をしているのかな…)
今頃は家でどうしてるかな、と小さなブルーが思ったこと。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は寄ってはくれなかったハーレイ。
とはいえ、学校では会えた。
挨拶出来たし、廊下で暫く立ち話だって。
(だから、会えてないわけじゃないけど…)
帰りに寄ってくれるかも、と待っていたから、少し寂しい。
「もしかしたら」と、もう来ないのが確実になるまで、何度も時計を眺めたりして。
ハーレイはきっと学校で会議か、柔道部の指導で遅くなったか。
どちらかだろうと分かってはいても、「来て欲しかったな」と零れる溜息。
ほんの他愛ないことであっても、会って話が出来たら良かった。
両親も一緒に食べる夕食、その時間だって。
(…他の先生と食事に行っちゃったとか…?)
そういう可能性もある。
同僚の教師に誘われたならば、行かねばならない時も沢山。
(そっちの方だと、まだ食べてるかな?)
遅い時間まで開けている店で、他の先生たちと賑やかに。
それとも食事の時間は終わって、お酒がメインの店に移って…。
(みんなでワイワイ…)
やってるのかも、と考えもする。
そういった店に出掛ける時には、ハーレイは「飲まない」らしいけれども。
酒を飲んだら、運転できないハーレイの愛車。
学校に置いて出掛ける代わりに、他の先生たちを乗せてゆく。
そして一滴も酒を飲まずに、帰りもやっぱり運転手。
ハーレイの家から遠い人の順に、家へと送り届ける係。
(お酒を飲むのが終わったんなら…)
もう運転しているだろう。
前のハーレイのマントの色と、そっくり同じな濃い緑色をしている車を。
どうなのかな、と眺める窓の方。
もうカーテンは閉まっているから、外は見えない。
ついでに、サイオンの目を凝らそうとしても…。
(……なんにも見えない……)
今のぼくには無理なんだよ、と悲しい気持ち。
前と同じに最強の筈の、サイオンタイプ。
人に言ったら羨ましがられる、青いサイオン・カラーの持ち主。
(……だけど、その色……)
見たいと言われても、どう頑張っても見せられない。
「タイプ・ブルー」は名前ばかりで、中身を全く伴わないから。
ほんの子供でも使える思念波、それさえも、ろくに紡げはしない。
あまりにも自分が不器用すぎて。
母でさえも、子育てで音を上げたほどに。
(…赤ちゃんのぼくが、泣いていたって…)
どうして激しく泣いているのか、母には掴めはしなかった。
普通の子ならば、漠然と伝わってくる思念。
「お腹が空いた」だとか、「もう眠い」だとか。
それさえ何も零れてこなくて、まるでお手上げだったという。
(今なら、ぼくの心の中身は、零れ放題なんだけど…)
赤ん坊の思考は、完成されてはいないもの。
だから零れても意味が無かった。
思念波と思考は、少しばかり違うものだから。
赤ん坊が「これが欲しい」と訴える手段は、まだ弱々しい思念波だから。
(……うーん……)
本当に駄目になっちゃった、と自分でも情けないサイオン。
前の自分なら、自由自在に使いこなせていたというのに。
今、ハーレイが何処にいようが、一瞬で…。
(場所を掴んで、何をしてるかも直ぐに分かって…)
きっと満足したことだろう。
他の先生たちと食事していても、「楽しそうだよね」と微笑んで。
いつか自分が大きくなったら、一緒に食事に行こうと夢見て。
(…それさえ、分からないんだよ…)
ハーレイが家で過ごしているのか、外にいるのかも。
家にいるなら、この時間なら書斎だろうか。
(晩御飯の後には、書斎でコーヒー…)
それが好きだと聞いている。
今夜も、そちらの方かもしれない。
(そっちだったら、前のぼくなら…)
思念を飛ばして、あれこれ話が出来ただろう。
今の自分には、逆立ちしたって無理なのだけれど。
(……それに、思念波……)
普段の暮らしでは使わないのが、今の時代のマナーの一つ。
サイオンも同じ。
おまけに、通信機というものがあっても…。
(…夜遅い時間に連絡するのは…)
やっぱり社会のマナーに反する。
他所の家に通信を入れるのだったら、早すぎも遅すぎもしない時間に。
急ぎの用なら、それ以外でも許されるけれど。
(……ずっと昔は……)
人間が辛うじて月まで行けた程度の頃には、違ったという。
誰もが、いつでも、持ち歩いていた小さな通信機。
それを使って二十四時間、何処の誰とでも連絡が取れた。
地球の上なら、それこそ裏側にいる人とでも。
時差などはまるで気にすることなく、飛び交ったという数多の通信。
(…それがあったら…)
今、ハーレイに連絡をしたら、直ぐに返事が返るのだろう。
「何処にいるの?」と訊いたら、「家だ」とか、「店にいるぞ」だとか。
そして食事をしているのならば、料理の写真も届いた筈。
「もう半分ほど食っちまったが…」だとか、「美味いんだぞ」とか。
(……その通信機……)
とても欲しいと思うけれども、二度と作られることはない。
人間がそれを作った結果が、地球の滅びに繋がったから。
いつでも何処でも繋がる世界は、文明を発展させた挙句に、地球を殺した。
その上、便利だった機械は…。
(……地球の地下に作られた、グランド・マザーと……)
宇宙に広がるマザー・ネットワーク、それへと転用されてしまった。
人間が便利に使うものから、人間を支配するものへと。
出産さえも機械が支配し、コントロールしたSD体制の時代。
その恐ろしさを経験したのが、ミュウという種族。
SD体制の中で行われた、壮大な実験に耐えて生き残った新人類。
「過ちは、二度と繰り返すまい」と、幾つもの禁止事項が生まれた。
地球が燃え上がって、SD体制が崩れ去った後に。
気が遠くなるほど長い時を経て、青い水の星が蘇るまでに。
前の自分が生きた時代は、SD体制の末期に当たる。
(……今の世界の始まりの、大英雄……)
そう呼ばれるのがソルジャー・ブルー。
偉大な初代のミュウたちの長。
(ソルジャー・ブルーは、ぼくなんだから…)
命を懸けてSD体制と戦い続けて、最後はメギドを沈めて死んだ。
ミュウの未来を、白いシャングリラを守るためにと。
ハーレイとの絆が切れてしまったと、泣きじゃくりながら。
温もりを失くして凍えた右手を、最期まで嘆き悲しみながら。
(…そのぼくが、禁止されてる機械を…)
欲しがったりしては駄目だろう。
いくらハーレイと話がしたくて、今の様子を知りたくても。
どんなに便利な機械だろうと、それは昔に悲劇を招いた物なのだから。
(…生まれ変わったのが、今の時代じゃなくって…)
昔だったなら、良かっただろうか。
そういう機械が何処にでもあって、地球が滅びてはいなかった時代。
滅びに向かっていたと言っても、まだまだ余裕があった時代に。
(…それなら、ハーレイに連絡するのも…)
簡単だろうし、同じに青い地球の上でもある。
今よりも、自然が少なくても。
一度滅びた後の地球の方が、ずっと緑が多いとしても。
(……生まれ変わるのは、未来でないと駄目なのかな?)
昔に行くのは無理なのかな、と考えてみる。
時間旅行は出来ないけれども、生まれ変わりは神の管轄だから…。
(昔にだって、行けるのかもね?)
ハーレイと二人で、時を飛び越えて。
今よりもずっと遠い昔に、人類が地球しか知らなかった頃へと。
(生まれ変わるのが、昔だったなら……)
何処がいいかな、と傾げた首。
二十四時間、繋がっていられる機械のある時代も良さそうだけれど…。
(もっと昔の方がいいかな?)
豊かな自然が溢れた地球。
自動車さえも無いような昔。
(……自転車も無くて、車と言ったら……)
牛車だった時代が素敵だろうか。
今のハーレイが授業で教える、古典の世界。
(…合戦なんかは怖いから…)
日本が一番平和だったという、平安時代がいいかもしれない。
戦いが皆無だったわけではなくても、僻地の方で起こっていただけ。
(その頃の、都……)
其処に生まれて、ハーレイと出会う。
聖痕は時代にそぐわないから、他の何かが切っ掛けになって。
(不自由なく暮らすなら、貴族なんだけど…)
立派な御殿もいいのだけれども、鄙びた田舎暮らしもいい。
生きてゆくのに困らないなら、とても小さな家だって。
(ハーレイなら、きっと、村一番の働き者で…)
ひ弱なチビの子供の恋人のことも、大切にしてくれるだろう。
自分の畑で採れた野菜を「美味いんだぞ」と届けてくれて。
あの時代ならば貴重な米さえ、食べさせてくれるかもしれない。
「正月くらいは餅もいいだろ?」と。
風邪で寝込んでしまった時には、薬草を採って来たりもして。
(うん、いいかも…)
今の時代も素晴らしいけれど、遥かな昔の地球だって、いい。
ハーレイと生きてゆけるのならば。
たとえ貧しい暮らしであっても、二人、一緒にいられるのなら。
(…だけど、サイオンだけは欲しいな…)
長い時間を共に生きられる、長い寿命と、年を取らない身体は欲しい。
他には何も要らないから。
ハーレイが側にいてくれるならば、欲しいものなど、何も無いから。
(それくらい昔だったなら…)
通信機さえも無いのだけれども、きっと幸せに生きられるだろう。
愛おしい人と一緒だから。
前の生で最後まで焦がれ続けた、青い水の星の上なのだから…。
昔だったなら・了
※ハーレイ先生と生まれ変わった先が、今よりも昔だったなら、と考え始めたブルー君。
田舎で貧しい暮らしであっても、ハーレイ先生がいれば幸せなのです。それと長い寿命v
(……今日も一日、終わったってな)
何事もなく、とハーレイが傾ける愛用のマグカップ。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
たっぷりと淹れた熱いコーヒー、それが一日の締めくくり。
飲みながら読書をするのもいいし、のんびりと考え事もいい。
(…あいつの家には、寄り損なったが…)
それを除けば、いい日だったと言えるだろう。
学校では、ちゃんとブルーに会えたし、立ち話だって少しは出来た。
懸命に敬語で話すブルーと、学校の廊下で向かい合わせで。
(明日は、あいつの家に寄れるといいんだがなあ…)
今の所は特に予定も無いから、おそらく時間はあるだろう。
急な会議が入ってしまえば、その時は仕方ないのだけれど。
(…こればっかりは、明日、行ってみないと…)
分からないしな、と思う学校の中の細かな出来事。
思念波を日常生活で使っていたなら、連絡がヒョイと入りそうでも…。
(生憎と、今はそういう時代じゃないんだ)
普段の暮らしで思念波を使うのは、マナー違反。
親しい家族や友達だったら、もちろん使ってかまわなくても。
(…ついでに、深夜に連絡するのも…)
今の時代はマナー違反になっている。
緊急の用事などを除けば、夜に通信機が鳴ることは無い。
離れた地域で暮らす親戚などでも、時差を考えて連絡するもの。
やむを得ず夜遅くなってしまったら、一言、挨拶しなければ。
「こんな時間にすみません」と、お詫びの言葉を。
夜はゆっくり眠る時間で、夜更かししている人にしたって…。
(……昔と違って、誰かと夜通し……)
通信機などの機械を使って、繋がるような時代ではない。
遥か昔は、そういう時代が人の歴史にあったけれども。
地球が滅びるよりも前には、それが当たり前の社会が存在したけれど。
人類文明の進歩とは逆に、滅びへの道を辿った地球。
緑が自然に育たなくなって、海からは魚影が消えていって。
大気はすっかり汚染されてしまい、地下には分解不可能な毒素。
滅びゆく地球を救う手立ては、もう、人類には何も無かった。
人類そのものが「変わる」他には。
地球を滅びに導いた種族、それを改革する以外には。
(……それがSD体制なんだ……)
完全な生命管理の社会。
人を人とも思わぬ機械が統治していた、忌まわしい時代。
(前の俺たちが、そいつを壊して…)
赤黒い死の星のままだった地球も、機械と一緒に燃え上がった。
そうして全てが焼き尽くされた後に、再び青く蘇った地球。
宇宙はミュウの時代を迎えていたのだけれども、彼らは英断を下していた。
人類の過ちは、繰り返さないと。
文明はとても便利だけれども、きちんと考えて使うべきだと。
だから失われた、常に繋がっているようなシステム。
それらは諸刃の剣だから。
人間が支配しているように見えても、知らない間に機械に縛られる。
生きている世界も、思考でさえも。
縛られた自覚を失ったならば、ヒトは再び滅びへと向かう。
地球や宇宙の星のことなど、まるで全く考えないで。
自然を破壊し尽くしていって、いつの間にか、故郷を滅ぼしていって。
(……ふうむ……)
俺は未来に来たわけなんだが…、と顎に当てた手。
気が遠くなるほど長い時を飛び越え、ブルーと二人で地球まで来た。
新しい身体に生まれ変わって、青い水の星に住んでいる今。
けれど、前の自分が今の暮らしを見たなら、どう思うだろう。
(…未来だとは、とても思うまいなあ…)
この家だけを見たんならな、と苦笑する。
宙港に行けば、あの時代よりも進歩を遂げた宇宙船が幾つも。
宇宙の他の星に行くにも、ずっと安全で速い旅が出来る。
ところが、家の中だけを見れば、白いシャングリラで暮らした頃の…。
(……俺の部屋に比べりゃ、なんにも無くて……)
通信用のシステムだってありやしない、と目を遣った壁。
その壁よりも向こうの部屋に、鎮座しているのが今の時代の通信機。
呼び出し音が鳴っていたって、書斎に届く音は微かなもの。
(…気を付けていないと、まず分からんぞ)
本に夢中になっていたなら、聞き逃してしまうことだろう。
それでも全く困りはしないし、第一、こんな夜遅くに…。
(通信を入れる方がマナー違反ってヤツなんだしな?)
相手も充分、承知している。
通信に出なくても、仕方が無いと。
明日の朝にでも、また通信を入れてみるかと、通信を切って。
(前の俺だと、大昔の世界と間違えそうだぞ)
地球が滅びるよりも前のな、と可笑しくなった。
ずっと未来に来たというのに、そんな風には見えないから。
色々不便な古い時代で、人間はまだ、宇宙にさえ…。
(…出られていないか、せいぜい月まで…)
行った程度で、それも着陸しただけだろう。
月に基地など作れはしなくて、宇宙ステーションさえ、夢のまた夢。
それくらい昔に生まれ変わって、古臭い暮らしをしているのだ、と勘違いしそうな前の自分。
この家だけを眺めていたなら、大昔だと思い込んで。
(……大昔なあ……)
そいつも悪くはないかもしれん、という気がする。
ブルーが一緒だったなら。
二人で生まれ変われるのならば、同じに青い地球の上なら。
(…生まれ変わりって時点で、未来にしか行けそうにないんだが…)
あるかもしれない、神の気まぐれ。
「青い地球さえあれば、幸せだろう」と選んだ時代が大昔。
ふと気が付いたら、今のこういう世界の代わりに…。
(牛車が、都大路をギシギシ…)
ゆっくりと進むような世界で、学校で教える古典の世界。
それが自分の目の前にあって、もちろん自分は其処の住人。
(…平安時代に生まれ変わるんだったら、身分は、そこそこ…)
いいものを貰わないと駄目だな、と職業柄、すぐに考えた。
王朝文化に憧れる人は、今の時代も少なくはない。
けれども、優雅な文化を享受したのは、ごく一握りの人間だけ。
(いわゆる貴族で、特権階級…)
柄じゃないな、と思いはしても、幸せに生きてゆきたかったら必要な身分。
貴族以外は、日々の生活で精一杯だった時代だから。
頑張って田畑を耕してみても、それほど暮らしは良くはならない。
だから生まれた夢物語。
竹取の翁が竹の中から姫を見付けて、大金持ちになる話。
(主人公は、かぐや姫なんだがな…)
金持ちになった翁も羨ましがられたろうさ、と思いを巡らせる。
あの時代の庶民が話を聞いたら、大いに夢見たことだろう。
自分の前にも、金色の竹が現れないかと。
かぐや姫を立派に育てるためでも、大金持ちになれたなら、と。
平安時代で生きてゆくなら、譲れない身分。
ブルーも自分も、貴族の身分に生まれ変わっていたいもの。
宇宙から青い地球を見るには、方法などは何も無くても。
「此処は地球だ」と確信できても、確かめる術が無いままでも。
(…あいつは、貴族の若様で…)
自分は、そろそろ初老といった頃合い。
あの時代ならば、そんな年齢。
たまに長寿の人もいたって、大抵は早く亡くなったから。
四十歳にもなってしまったら、妻を亡くして出家する者も多かった。
(…俺は婚期を逸した貴族ってトコか…)
それでも、あいつと出会うんだな、と頭の中に描いた光景。
聖痕は、きっと、物騒だから、別の切っ掛け。
(あの時代は、血は縁起でもなくて…)
忌み嫌われたし、他の何かが、自分とブルーを繋ぐのだろう。
ちゃんと出会えて恋仲になって、のどかな世界で恋を育む。
二人で花見の宴をするとか、月見の宴を催すだとか。
(あいつがチビの子供でなければ、もう早速に…)
自分の館に迎えてもいいし、自分が通って行ってもいい。
今よりもずっと不便であっても、恋をするには困らない筈。
(歌を詠んで贈らんと駄目だと言うんだったら、歌を詠んで、だ…)
ブルーからも歌が届くのだろう。
ペンではなくて、筆でサラサラと書かれたものが。
季節の折枝などが添えられ、美しい紙に綴られた文が。
(そういうのも、きっと…)
悪くはないのに違いないぞ、と夢は尽きない。
昔だったら心配なのが、寿命の問題なのだけれども…。
(…神様が生まれ変わらせて下さるのなら…)
ブルーも自分も、今と同じにミュウだと思う。
サイオンのお蔭で年を取らない、今の時代は普通の種族。
(昔だったら、仙人だろうと思われるぞ)
あの時代の人々が憧れ続けた、年を取らなくなる薬。
それを飲んで年を取らない仙人、そうだと誰もが信じるだろう。
(…あいつと二人で、仙人になって…)
のんびり暮らしてゆくのもいいさ、と傾ける少し冷めたコーヒー。
昔だったら不便であっても、一緒なら、きっと幸せだから。
ブルーと二人で生きてゆけるなら、遥かな昔の時代でも、きっと天国だから…。
昔だったら・了
※前のハーレイたちが生きた頃より、遅れているように見える今の文明。そういう時代。
ならば昔に生まれていたら、と考えてみたハーレイ先生。仙人になるのも良さそうですよねv
「ねえ、ハーレイ。餌付けって、効果絶大だよね?」
うんと仲良くなれるんだよね、と小さなブルーが傾げた首。
休日の午後にテーブルを挟んで、向かい合わせで。
「それはまあ…。効果ってヤツは大きいな」
動物に懐いて欲しいのならな、とハーレイは笑顔で頷いた。
前の生では、縁が無かったペットというもの。
強いて言うならナキネズミ程度で、船にペットはいなかった。
けれど今では、様々な動物が身近にいる。
ブルーの家には、ペットはいないのだけれど…。
(俺だと、ガキの頃にはミーシャがいたし…)
餌付けの必要は無かったものの、餌の効果は充分にあった。
魚を焼いている匂いがしたら、いそいそとやって来たミーシャ。
誰かが冷蔵庫を開ける時だって、中のミルクに期待していた。
冷蔵庫の前にチョコンと座って、「ミルク、ちょうだい」と。
そんな時代だから、ブルーも餌付けをしたいのだろう。
自分でペットは飼わないにしても、仲良くなりたい犬とか猫。
学校に行く時に通る道とか、それとも近所の何処かの家か。
「餌付けしたいヤツがいるんだな?」
なかなか懐いてくれないのか、と訊いてみた。
毎日のように声を掛けても、まるで反応しないとか。
あるいはプイとそっぽを向かれて、知らないふりをされるとか。
「うーん…。懐かないわけじゃないんだけれど…」
ちょっと扱いが難しくって…、とブルーはフウと溜息をついた。
自分の方で思っているほど、相手は懐いていないらしい、と。
フレンドリーに見えても、それは誰にでも見せる顔。
同じ仲良くなるのだったら、特別扱いして欲しいのに。
「なるほどなあ…」
特別になりたい気持ちは分かる、と頬を緩める。
せっせと会いに通う分だけ、親しくなりたいものだから。
「やっぱり、餌付けが一番だよね?」
ぼくに懐いて欲しいんなら…、とブルーの赤い瞳が瞬く。
餌をあげれば「特別な人」になれそうだしね、と。
「それはそうだが…。まず、好物を知らないとな?」
でないと話にならないぞ、と教えてやった。
前の生で飢えた自分たちには、好き嫌いなど無いけれど…。
(…ペットには、ちゃんと好き嫌いってヤツが…)
存在するから、好物を与えてやらなければ。
飼い主の人に教えて貰って、その動物が大好きなものを。
「それは大丈夫だと思うけど…」
食べてくれるかな、とブルーは心配そう。
タイミングとかもあるのだろう、と。
「いや、その点なら、心配はないぞ」
腹一杯の時でも喜ぶもんだ、と請け合った。
気持ちだけでも嬉しいものだし、取っておいて後で食べるから。
くれた人の顔は、もう忘れていたって、大満足で。
「そうなんだ…! じゃあ…」
キスしてあげるね、と椅子から立ち上がったブルー。
「唇にキス」と、「これで特別になれるんだよね」と。
「馬鹿野郎!」
餌付けしたいのは俺だったのか、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
確かに仲はいいのだけれども、ブルーにキスは早いから。
キスという餌が美味しくなるのは、まだ何年も先なのだから…。
餌付けしたいな・了