(今日は一度も会わなかったよね…)
教室でも廊下でも会えなかったよ、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は会えずに終わったハーレイ。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
一日中だって側にいたいのに、こうして会えない日だってある。
(…ハーレイの授業、今日は無かったし…)
学校の廊下で会うことも無くて、挨拶さえも交わさないまま。
仕事帰りに寄ってくれるかと、首を長くして待っていたのに、そちらも空振り。
(会議だったのかな、柔道部かな…)
それだって分からないんだよ、と悲しくなる。
少しばかり遅くなってもいいから、帰りに寄って欲しかったのに。
一度も会えずに今日が終わるなんて、なんとも残念でたまらないから。
(前のぼくなら、ハーレイに会えない日なんか、一度も…)
無かったのにな、と遠く遥かな時の彼方へ思いを馳せる。
白いシャングリラでも、改造する前の船の中でも、ハーレイに会えない日など無かった。
必ず何処かで顔を合わせたし、ソルジャーとキャプテンになってからだと…。
(会わないだなんて、周りも許さなかったよね?)
皆を導く立場のソルジャー、皆を乗せた船を預かるキャプテン。
そんな二人が会わずにいたなら、色々な面で支障が出る。
そうならないよう、設けられていた朝食の時間。
(一緒に食事をしてる間に、報告を聞いて…)
船の中の出来事などを把握していた、かつての自分。
本当は報告を受けずにいたって、把握していたのだけれど。
白いシャングリラに張り巡らせていた、思念の糸から、全てを掴んで。
(だけど、言葉は大切だから…)
どんなにキャプテンが多忙だろうと、食事はする。
だから選ばれたのが朝食の時間、其処なら必ず会って話せる、と。
そういったわけで、前の自分は、一日に一度はハーレイに会えた。
夜の報告は無理な時でも、朝食の時間はやって来るから。
ハーレイが仕事に追われていたって、食事は摂らねばならないから。
(でも、今のぼくは…)
今日みたいな日が少なくないよ、と溜息がまた零れ落ちる。
運が悪いと、二日も三日も会えない時も。
(仕方ないけど、悲しくなっちゃう…)
本だって読む気になれないくらい、と机に置かれた本を眺めた。
夢中で読んでいたとしたなら、とっくに読み終えていただろう本。
それは栞が挟まれたままで、まるでページが繰られていない。
机の前に座っていた時、何度も窓へと目を向けていた。
「今日はハーレイ、来てくれるかな?」と。
もしも学校で会えていたなら、その合間にも読み進めただろう。
何ページか読んだら窓の方を見る、といった具合に。
なのに、ハーレイには会えずに終わった、今日の学校。
だから心配が募ってしまって、少し読んでは、見ていた窓。
「ハーレイが来てくれますように」と、祈るような気持ちで。
(そっちに心がいっちゃってたから…)
本の世界に入り込めなくて、同じ箇所ばかりを読み返す始末。
時計の針が進んでゆくほど、どんどん酷くなった症状。
(この時間だと、もう来ない、って…)
ハッキリ分かってしまった後には、本の世界は、もっと遠くなった。
溜息ばかりが零れてしまって、それどころではなかったから。
栞を挟んでパタンと閉じては、また開いての繰り返し。
それでは少しも進みはしなくて、栞は今も挟まれたまま。
ハーレイが来てくれた日だったならば、別れた後にも、また読めたのに。
「今日は素敵な日だったよね」と、うんと幸せな気分になって。
本の残りも読んでしまおうと、弾んだ気持ちで。
「これを読んだら、次はあの本」と、新しい本にも心を向けて。
けれども、会えずに終わったハーレイ。
本のページはサッパリ進まず、気持ちの方も落ち込んだまま。
(……こんな日が、いっぱい……)
本当は、さほど多くもないのに、そういう気分になってくる。
前の生では、会えない日などは、一度も無かったのだから。
(…今のハーレイと会う前だったら…)
別の意味では全く無かった「会えない日」。
ハーレイと出会っていない以上は、会えない日だってあるわけがない。
全く意識していない人では、「会えない」も何も無いのだから。
一度も会えずに終わっていたって、そのことを意識しさえもしない。
(…お隣さんとか、学校の帰りに前を通る家の御主人だとか…)
そういう人たちの方が、会えなかったら気になるだろう。
「今日は表に出ていなかったよ」とか、「今日は挨拶、していないよね?」などと。
けれど「出会っていないハーレイ」は、顔さえ知らない他人でしかない。
何処かで擦れ違うことがあっても、たったそれだけ。
(ハーレイは、うんと背が高くって…)
体格もいいから、「今のおじさん、大きかったよね」と思う程度だろうか。
そうして直ぐに忘れてしまって、それっきりになることだろう。
ただ擦れ違っただけの人など、いちいち覚えていないのだから。
(もしかしたら、ハーレイと出会う前には…)
そういったことが、何処かで起こっていたかもしれない。
お互い、そうだと気付かないまま、擦れ違うことが。
十四年間も同じ町で暮らして来た間に、一度くらいは。
(今でも、出会っていなかったなら…)
ハーレイは「ただの同じ町の住人」、ハーレイの車を見たって同じ。
濃い緑色の車が走っているだけ、チラと眺めてそれでおしまい。
忘れもしない五月の三日に、ハーレイと出会わなかったなら。
ハーレイが今の学校に来ずに、別の学校にいたならば。
なにしろ、出会わないのだから。
出会わなかったら、記憶も戻って来ないのだから。
(…そうなってたら…)
今の苦労は無かったよね、と読めずに終わった本に目を遣る。
「ハーレイに会えずに終わっちゃったよ」と、溜息ばかりで読めなかった本。
もしもハーレイに出会わなかったら、今日は、ごくごく普通の一日。
学校から家に帰って来たら、「ただいま」と母に挨拶をして…。
(焼いてくれてたケーキを食べて、紅茶を飲んで…)
おやつの時間を楽しんだ後は、ゆっくり読書をしたことだろう。
途中で窓を見たりはしないで、夢中になって。
本の世界に入ってしまって、母に「晩御飯よ」と呼ばれても…。
(はーい、って返事だけしたら、まだいい方で…)
呼ばれたことにも気付かないほど、読み耽っていたのかもしれない。
辺りがすっかり暮れてしまって、部屋の中も暗くなっていたって。
机のライトだけしか点けずに、それでも「暗い」と思いさえせずに。
(…うん、きっと、そう…)
ハーレイと出会っていない以上は、自分はただの十四歳の子供なだけ。
それに相応しい日々を送って、溜息なんかは滅多につかない。
今日のように悲しくなりもしないし、寂しい思いもするわけがない。
恋などは、していないのだから。
ハーレイの存在は知りもしないし、愛おしいとも思わないから。
(…そうなってたら、今の苦労は無いんだけれど…)
前のぼくだと、どうだったかな、と時の彼方で生きた自分を考えてみた。
そちらの自分が、前のハーレイと出会わなかったなら、と。
苦労を知らずに生きていたのか、どんな具合の人生だろう、と。
(……んーと……?)
出会ったのはアルタミラだったよね、と思い出すのは燃え盛る地獄。
メギドの劫火に焼かれ、砕かれたジュピターの衛星、ガニメデにあった育英都市。
前のハーレイとは、其処で出会った。
アルタミラがメギドに滅ぼされた日に。
人類がミュウの殲滅を決めて、星ごと砕いてしまった時に。
(…前のぼくも、シェルターに閉じ込められて…)
焼き払われる時を待っていた。
研究者たちが、そう告げたから。
首に付けられていた、サイオンを封じる銀色のリングを外した時に。
「お前たちは皆、滅びるんだ」と、シェルターに押し込み、鍵を掛けて。
(…大勢のミュウが、泣き叫んでて…)
死にたくない、と騒いでいたのだけれども、自分に何が出来るだろう。
どうすることも出来はしないし、その方法も分からない。
自分に途方もない「力」があるとは、夢にも思わなかったから。
だからこそ人類が恐れていたのを、前の自分は知らなかったから。
(……死んじゃうんだな、って……)
思ったけれども、それから何がどうなったのか。
ふと気が付いたら、地面に座り込んでいた。
シェルターは微塵に砕けてしまって、皆が我先に逃げ出してゆく。
それをぼんやり眺めていた時、「お前、凄いな」と声を掛けられた。
逃げないでいた、前のハーレイに。
他の者たちは逃げたというのに、一人だけ残っていたハーレイ。
幾つものシェルターに閉じ込められていた、大勢のミュウを救おうとして。
(…シェルターの鍵、外から開けられるから…)
前のハーレイは、仲間たちを助けに行こうと言った。
そうするためには、一人でも多い方がいい。
それにシェルターを壊した力は、必ず、役に立つ筈だから。
「チビでも充分、相棒になる」と判断して。
(……もしもあの時、ハーレイと出会わなかったなら……)
前の自分は、アルタミラで死んでいたのだろう。
いくらシェルターを破壊したって、逃げなければ意味が無いのだから。
あのまま座り込んでいたなら、きっと命は終わっていた。
燃える炎に巻き込まれていたか、地震で出来た地割れに飲まれて。
砕け散る星と共に焼かれて、宇宙を漂う塵になって。
(…そうなってたよね…)
そして何もかも終わってたよね、と今だから分かる。
前のハーレイと出会わなかったら、シャングリラでの旅路など無い。
青い地球を目指す旅の代わりに、黄泉の国へと旅立っただけ。
そうやって終わった生の先には、今の人生だって無い。
今のハーレイと出会いもしないし、戻って来るべき記憶さえ無い。
遠く遥かな時の彼方で、ハーレイと出会わなかったなら。
前のハーレイと長い時を生きて、互いに恋をしなかったなら。
(…出会えたから、今があるんだし…)
ちょっぴり苦労もしておこうかな、と浮かべた笑み。
ハーレイに会えない日はあるけれども、それも出会えたお蔭だから。
前のハーレイに出会わなかったら、今の幸せも無いのだから…。
出会わなかったなら・了
※ハーレイ先生に会えずに終わって、悲しいブルー君。苦労してるよ、と溜息をついて。
けれど、そうやって苦労しているのは、出会えたからこそ。時の彼方で、前のハーレイとv
(今日は会えずに終わっちまったなあ…)
残念ながら、とハーレイが零した小さな溜息。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
今日は学校で会えずに終わってしまった、ブルー。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
今はすっかりチビだけれども、愛おしい人には違いない。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が恋した人。
「何処までも共に」と誓っていたのに、前の自分は失くしてしまった。
誰よりも愛していた人を。
気高く美しかった恋人、ソルジャー・ブルーと呼ばれた人を。
(……俺のせいではなかったんだが……)
それとも俺のせいだったろうか、と今更のように思わないでもない。
キャプテンとしての前の自分の判断、それが誤っていたのだろうか、と。
(…ジョミーの意見を容れる代わりに…)
長老たちの意見に従っていたら、全ては違っていたかもしれない。
赤いナスカを調査しに来た、あのメンバーズを殺していたら。
今でも憎くてたまらない男、キース・アニアンの命を断っていたなら。
(…殺せとまでは言われなかったが…)
あの時、ゼルたちが言っていたのは、それと同じなことだった。
ジョミーは対話を望んだけれども、長老たちの意見は「調べ尽くす」こと。
精神崩壊してもいいから、キースの真意を、地球の情報を、引っ張り出して。
(そうなっていたら、キースは発狂…)
狂った人間に用など無いから、恐らくは、放り出しただろう。
死ぬのを承知で、真っ暗な宇宙空間に。
なにしろ人類がミュウにしたことは、それに似たことばかりだから。
(そしたら、キースは死んでしまって…)
もうメギドなどは持ち出せないから、ブルーを失わなかったろうか。
いつかメギドが来たとしたって、その頃までには、きっと備えがあったろうから。
(…俺のせいだったのかもしれないなあ…)
間接的にはそうかもしれん、と思うけれども、自業自得の報いなら受けた。
前のブルーを失くした後には、果てさえ見えない辛い道のりが待っていたから。
(あいつと約束してたのに…)
ブルーの寿命が尽きてしまうことが、白い箱舟の中で分かった時。
ドクター・ノルディが悲しい告知を口にした後、前の自分はブルーに誓った。
「何処までも一緒に参りますから」と。
ブルーの命の灯が消えた時は、自分も後から追ってゆくから、と。
キャプテンとして、ソルジャーの葬儀を終えたなら。
(…その時のためにシドを選んで、薬も用意してたんだがな…)
そのつもりで生きていたというのに、ブルーはそれを許さなかった。
最後の最後に、「ソルジャー」として下した命令。
恋人としての願いではなく、ソルジャーからの願いとして。
「頼んだよ、ハーレイ」とブルーが紡いだ言葉が、前の自分を縛り付けた。
ジョミーを支えて、地球までの道を歩んでゆくことに。
ブルーを失い、魂は既に死んでいようと、白いシャングリラを地球まで運んでゆく道に。
(…本当に、生ける屍だったよなあ…)
いくら顔では笑っててもな、と思い返すと今も苦しい。
キャプテンだからと自分を叱咤し、懸命に繕い続けた外見。
仲間たちを励まし、共に喜び、勝ち抜いていった人類軍との戦いの日々。
「此処まで来られた」と歓声が船を揺るがせる度、笑顔の裏で思っていたことは…。
(これで、あいつに…)
会いに行ける日がまた近付いた、ということだけ。
船が地球まで辿り着いたら、そして人類に勝利したなら、ブルーに頼まれた役目は終わる。
そうしたら、晴れて旅に出られる、と。
(先に逝っちまった、あいつを探しに…)
身体を離れて飛んでゆける、と思っていた。
その日が、早く来てくれないかと。
一日も早くブルーの許に、と、ただ、それだけを頼みに生きた。
自分の身体を捨ててゆく日に憧れ、それを望み続けて。
(思っていたのと、少々、違っちまったが…)
前の自分は地球の地の底で死んで、そうしてブルーと、また巡り会えた。
青く蘇った、この地球の上で。
前のブルーが焦がれ続けた、青い水の星で。
(あいつに会うって夢は立派に叶ったな)
それも最高の形で会えた、と考えただけで嬉しくなる。
前の生でブルーと共に描いた、「地球に着いたら」という夢の数々。
ブルーの寿命が尽きると分かって、諦めるしかなかった夢たち。
それを二人で叶えてゆけるし、そうなる時が待ち遠しい。
チビのブルーが前のブルーと同じ姿に育って、結婚式を挙げる日が。
今度こそ二人で生きてゆけるし、同じ家で暮らせるようになるから。
(それもこれも、あいつに出会えたからで…)
幸せだよな、と頬が緩んでしまう。
記憶が戻って来るよりも前は、想像さえもしなかった人生。
恋人が出来て、結婚式を夢見るなんて。
その恋人に会えなかったと、溜息をつく日が来るなんて。
(…もしも、あいつに出会わなかったら…)
今日も普通に授業を済ませて、会議をしていたことだろう。
「会議があるとは、ツイてないな」とは思わずに。
そのせいで恋人に会いに行けない、とガッカリしたりは全くせずに。
(いそいそと会議に出掛けて行って、それが終わったら…)
愛車を家に向かって走らせ、途中で買い物。
今日の自分も、買い物には寄って来たけれど…。
(…あいつの顔が浮かんじまって…)
御機嫌と言えはしなかった。
家に帰って夕食の支度、その間だって。
ブルーに出会う前だったならば、鼻歌交じりに楽しく料理をしたのだろうに。
何もかも変わっちまったな、と思う「出会ってからの日々」。
前の自分もそうだったろうか、と時の彼方に思いを馳せる。
今はこれほど幸せなのだし、前の自分はどうだったろう、と。
前のブルーと出会った後には、人生がすっかり変わったろうか、と。
(…前のあいつとは…)
燃えるアルタミラで出会ったんだ、と遠い記憶の糸を手繰った。
増え続けるミュウに恐れをなした人類が決めた、星ごと滅ぼしてしまうこと。
実験体だったミュウは一人残らず、シェルターの中に閉じ込められた。
「人類の敵」を檻に押し込めた後は、宇宙船で逃げて行った人類。
それからメギドが照準を定め、地獄の劫火が解き放たれた。
アルタミラがあったジュピターの衛星、ガニメデに向けて。
ミュウが一人も生き残らぬよう、跡形もなく燃やし、消し去るために。
(シェルターの中で、とんでもない地震に見舞われて…)
これで死ぬのだ、と泣き叫ぶミュウたちに囲まれながら思った。
地獄だった日々も此処で終わると、それもいいかもしれないな、と。
(…少々、苦しい死に方をしても…)
自分の命は其処で終わりで、二度と人体実験は無い。
死んでしまえば、あの苦痛からは解放される。
「死にたくない」と騒ぐミュウたち、彼らは「気付いていないだけ」。
解放されるということに。
不幸な形には違いないけれど、生き地獄は終わるということに。
(…どのくらいの間、そう思ってたんだか…)
長かったように思うけれども、実際は、一分も無かっただろう。
何故なら、自分は「本当に」解放されたから。
木っ端微塵に砕けたシェルター、閉じ込める檻は一瞬の内に消え失せたから。
(あの時、真っ直ぐ、逃げ出していたら…)
ブルーとは出会わなかったのだろう。
前の自分の人生もまた、それから間もなく終わったと思う。
燃えるアルタミラから逃げ出せていても、前のブルーがいないから。
前のブルーがいなかったならば、誰も生き延びられないから。
(あそこで人生、変わったんだな)
前のあいつと出会ったから、と深く頷く。
「人生、すっかり変わっちまった」と、「今の俺とは違う形で」と。
シェルターが砕け散った瞬間、それをやってのけた少年を見た。
青いサイオンの光を放って、皆を自由にした少年を。
(しかし、あいつは…)
自分がそれをやったことさえ、まるで気付いていなかった。
その場にペタンとへたり込んだまま、動こうともせずに。
自由を得られたミュウたちは皆、我先に逃げて行ったのに。
何処へ向かって逃げるというのか、目標さえも定めないまま、一目散に。
(…俺は冷静だったんだろうか…)
それとも単に鈍かっただけか、それは今でも分からない。
けれど自分は、逃げ出さなかった。
代わりに「皆を助けなければ」と、他のシェルターのことを思った。
そうするためには、一人でも多い方がいい。
その上、助けてくれた少年、彼を見捨ててなどは行けない。
(…だから、あいつを助け起こして…)
「お前、凄いな」と声を掛けてやって、そこから全てが始まった。
他のシェルターでの救出劇も、アルタミラからの脱出も。
脱出した後、シャングリラで長く宇宙を旅して、アルテメシアに辿り着いてからの日々も。
(……もしも、あいつと出会わなかったら…)
何もかも、あそこで終わっていた上、今の人生も無いのだろう。
前のブルーと出会ったからこそ、こうして二人で生まれ変わって来たのだから。
(…うん、最高の出会いだったな)
そして今もな、と浮かべた笑み。
前の自分も、今の自分も、ブルーと出会って幸せだから。
もしもブルーと出会わなかったら、今の人生は無いのだから…。
出会わなかったら・了
※ハーレイ先生が考えたこと。ブルー君と出会って変わった人生、前もそうだった、と。
前のブルーに出会わなかったら、恋はもちろん、白いシャングリラでの旅も無かったのですv
「あのね、ハーレイ…。ちょっと相談があるんだけれど」
聞いてくれる、と小さなブルーが傾げた首。
二人きりで過ごす休日の午後に、いきなり何の前触れも無く。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
(相談だって?)
嫌な予感しかしないんだがな、とハーレイは心で溜息をつく。
こういった時に、ブルーが改めて言い出すことといったら…。
(ロクなことじゃないと来たもんだ)
俺の経験からしてな、と思うけれども、無視も出来ない。
放っておいたら、ブルーの機嫌を損ねるから。
たちまち頬っぺたが、ぷうっと膨れて…。
(フグになっちまうし…)
一応、話は聞いておくか、と腹を括った。
フグになられるよりかはマシだ、と「聞くだけだしな?」と。
そう決めたから、ブルーの瞳を真っ直ぐ見詰めて問い掛けた。
「相談というのは、何事なんだ?」
聞いてやらないこともないから、まあ、話してみろ、と。
「えっとね…。失くしたんだけど…」
「はあ?」
失せ物なのか、とハーレイは拍子抜けした。
そういうことなら、きちんと相談に乗らなければ。
何処で失くしたのか知らないけれども、探す手助けも。
だから、とりあえず、失くした物についての質問。
「いったい何を失くしたんだ」と、「失くした場所は?」と。
するとブルーは、小さな肩を落として答えた。
「失くしたの、前のぼくなんだよ」と、悲しげな顔で。
「前のお前だって!?」
するとアレか、とハーレイは即座に思い当たった。
失せ物というのが何のことなのか、一瞬の内に。
前のブルーが失くした物。
それは…。
(メギドで落としちまったっていう、俺の温もり…)
最後まで大切に持っていたいと願った、右手の温もり。
それをブルーは失くしてしまった。
キースに銃で撃たれた痛みで、消えてしまって。
前のブルーの右手は凍えて、泣きながら死んでいったという。
「ハーレイには、二度と会えない」と。
「絆が切れてしまったから」と、絶望の淵に突き落とされて。
今のブルーも、その悲しみを忘れていない。
右手が冷たくなった時には、「温めてよ」と強請ってくる。
断ることなど出来はしないし、いつも包んで温めてやる。
ブルーがすっかり満足するまで、今の自分の大きな両手で。
(…そういうことか…)
疑っちまって悪かった、とハーレイはブルーに詫びたくなる。
もちろん口には出さないけれども、その分、右手を…。
(しっかり温めてやらないとな)
よし、とブルーに微笑み掛けた。
「前のお前が失くした物を、俺に戻して欲しいんだな?」
お前が大切にしていた物を、と「素直に言えばいいのに」と。
「ハーレイ、ぼくに返してくれるの?」
今のぼくに、と赤い瞳が瞬きをする。
「ホントにいいの?」と、「ぼく、欲張りだよ」と。
「分かっているさ。お前が、どんなに悲しかったかも」
お安い御用だ、とハーレイは胸を叩いた。
「いくらでも俺が返してやる」と、「俺で良ければ」と。
そうしたら…。
「ありがとう! それじゃ、ぼくにキスして!」
頬っぺたじゃなくて、唇にお願い、と煌めいたブルーの瞳。
「失くしちゃったもの」と、「キスしてくれないから」と。
確かに間違ってはいない。
まるで全く、間違いなどではないのだけれど…。
「馬鹿野郎!」
それは育ってからのことだ、とハーレイは拳をお見舞いした。
悪だくみをしたブルーの頭に、コツンと軽く。
「俺はすっかり騙されたんだぞ」と、ブルーを睨んで。
「メギドのことだと思うだろうが」と、「大嘘つきが」と…。
失くしたんだけど・了
(…今のハーレイは、学校の先生なんだよね…)
前のハーレイからは、ちょっと想像できないけれど、と小さなブルーが思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は、仕事の帰りに来てくれなかったハーレイ。
放課後に会議があったのだろうか、それとも柔道部の部活が長引いたのか。
どちらにしたって「教師ならではの」理由、其処から「学校の先生」に向かった思考。
「今のハーレイは、学校の先生なんだ」と。
遠く遥かな時の彼方では、ハーレイの仕事はキャプテンだった。
白いシャングリラの舵を握って、仲間たちを纏め上げていた前のハーレイ。
船の航路から、船内で起こる様々な事まで、常にしっかり把握し続けて。
(…んーと…?)
そう考えてみると、今のハーレイの教師の仕事も、適職と言えば言えるだろう。
前のハーレイがキャプテンでなければ、教師をやっていたかもしれない。
子供たちだって懐いていたから、まるで不向きな職ではない。
もしもハーレイに「その気」があって、そういうチャンスがあったなら。
(だけど、前のハーレイがキャプテンになる前は…)
働いていた場は、厨房だった。
シャングリラというのは名ばかりの船で、せっせと料理をしていたハーレイ。
そうなったのは「料理人の素質があったから」だと聞いている。
ある日、たまたま手伝った厨房、其処で誰よりも料理の才能を発揮したから。
野菜を切るのも、下ごしらえも、身体が勝手に動いたという。
前のハーレイには、料理をした記憶は無かったのに。
(それで厨房に入ったんだし、キャプテンになっていなかったなら…)
きっとそのまま、厨房の責任者を続けていたことだろう。
教師の仕事は巡って来なくて、厨房のトップ。
白い鯨になったシャングリラに、子供たちが来るようになった後にも。
船に「先生」という職業が出来て、ヒルマンが彼らを纏める時代が訪れても。
(……前のハーレイだと、先生は無理……)
向いてることにも、きっと気付かなかったよね、とブルーは首を傾げる。
教えるチャンスが無かったのなら、キャプテンか、厨房のトップのままなハーレイ。
(でも、ひょっとしたら…)
先生そのものにはなっていなくても、教えることは出来たかもしれない。
白いシャングリラに、それを思い付く人がいたなら。
(子供相手の料理教室…)
今の時代は、けっこう人気があると聞く。
本物の料理教室と違って、毎日通うわけではなくて…。
(ホテルとか、大きなレストランとかで、一日だけ…)
子供たちを集めて、プロの料理人が料理を教える教室。
其処で教える料理は色々、凝ったものから、ごく簡単に作れるものまで。
(シャングリラだと、食料は大事だったから…)
自給自足で飛んでいた船では、コーヒーさえも代用品で出来ていたほど。
キャロブの豆から作ったコーヒー、それにチョコレートやココアなど。
そんな船では、貴重な食材を無駄にすることは許されない。
料理に全く慣れない子供たちに、卵やバターは任せられない。
(オムレツだって、焦がしちゃったら…)
たとえ黒焦げにならなくっても、その分の卵は「無駄遣い」。
それが厨房の見習いだったら、叱られて終わりになるけれど。
「焦げた分は、お前が食べておけ!」と、厨房のトップに怒鳴られるだけ。
けれども、子供たちの場合は、そうはいかない。
おまけに子供は遊びたがるもの、フライパンから煙が出たって、よそ見をしそう。
他の子たちはどんな具合か、キョロキョロして。
挙句にオムレツが焦げていたって、「失敗しちゃった」と俯くか…。
(ペロッと舌を出しちゃって…)
ごめんなさい、と口では言っても、目だけは笑っていそうな子も。
(…お料理教室、シャングリラでは無理…)
お料理教室の先生も無さそう、と大きく頷いた。
前のハーレイには、教師という職は無かっただろう、と。
そうなってくると、教師は今のハーレイならではの仕事。
ハーレイが好きで選んだ仕事で、プロのスポーツ選手への道もあったと聞いた。
柔道も水泳も、今のハーレイはプロ級だから。
学生時代は沢山の大会に出て、幾つもの賞を取っていた。
そっちの道に進んでいたなら、そういうハーレイに出会えただろう。
(プロのスポーツ選手の方も…)
前のハーレイには無理だったよね、と時の彼方を頭に描く。
SD体制が敷かれた時代は、職業は機械が決めていた。
いくら前のハーレイが頑丈に出来ていたって、プロにはなれなかったと思う。
それほど才能があるのだったら、食材を前に勝手に身体が動くようには…。
(なってないよね?)
料理に費やすような時間は、子供時代から無かった筈。
たとえ料理が好きだったとしても、そうそう、させては貰えない。
スポーツの時間が最優先で、学校はもちろん、きっと他にも練習の場があったろう。
養父母が送り迎えをしたのか、それとも送迎バスが来たのか。
(お休みの日だって、練習だよね…)
プロのスポーツ選手の指導で、才能をもっと伸ばせるように。
料理をしている暇があったら、トレーニングに励むように、と教え込まれて。
(…あの時代だと、前のハーレイが就いてた職って…)
ミュウだと判断されていなかったならば、料理人になっていたのだろうか。
あるいは操船の才能を機械が見出し、パイロットの道に進んだろうか。
(どっちにしたって、先生は無し…)
本当に今のハーレイらしいよ、と嬉しくなるのが教師という職。
前のハーレイだと、どう転がっても、教師になるのは無理だから。
ミュウであっても、ミュウでなくても、なれそうにないのが学校の教師。
他の仕事を割り当てられて、別の道へと向かってしまう。
シャングリラならば、キャプテンか厨房の料理人。
人類の世界で暮らしていたなら、パイロットか、料理人の道へと。
(……料理人かあ……)
前のハーレイが厨房で働く姿は見たから、今のハーレイのも見たい気がする。
シェフの帽子も、寿司職人などが被る帽子も、良く似合いそう。
(うん、ハーレイならピッタリだよ)
スポーツ選手並みの身体に、料理人の白い制服、それに制帽。
なかなか絵になる姿なのだし、そっちの道に進んだハーレイに出会っていても…。
(やっぱり、ハーレイはハーレイだものね)
きっとハーレイを好きになったよ、と胸が高鳴る。
教室ではなくて、ハーレイの店が出会いの場だったとしても。
両親に連れられて入ったお店で、「いらっしゃいませ」と迎えられても。
(絶対、一目で分かるんだから!)
だって、ハーレイはハーレイだもの、と思ったけれども、どうだろう。
今のハーレイは、前のハーレイにそっくりだけれど…。
(…違う姿ってこともあるよね?)
髪と瞳の色が違うとか、肌の色が違っているだとか。
それだけで済んだら、まだマシな方で、顔立ちからして別人だとか。
(……うーん……)
今の生でも、二人揃って、そっくり同じに生まれて来た。
白いシャングリラで共に暮らした、ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイに。
今の自分はチビだけれども、大きくなったら、前と同じになるだろう。
ハーレイは「キャプテン・ハーレイ」にそっくりなのだし、自分も、きっと。
けれども、これは奇跡に等しい。
違う姿に生まれていたって、不思議ではないし、嫌とも言えない。
二人一緒に、青い地球に生まれられたなら。
前の生での記憶も戻って、二人で生きてゆけるのならば。
(神様が、うんと贅沢に…)
奇跡を大盤振る舞いしてくれたお蔭で、同じ姿に生まれて来られただけ。
もしも奇跡が少なめだったら、違う姿も有り得ただろう。
自分はもちろん、ハーレイだって。
全く違う姿に生まれて、見た目だけなら別人になって。
(それでも、きっと…)
ぼくは一目で分かる気がする、と心がじんわり温かくなる。
料理人になったハーレイの店で、「いらっしゃいませ」と迎えられても。
前のハーレイとは似ても似つかない、繊細な青年が出て来たとしても。
(身体なんかも、すっかり華奢になっちゃって…)
どちらかと言えば「ソルジャー・ブルー」に近い体格、そんな青年になったハーレイ。
今のハーレイほど年を取っていなくて、若々しい姿で止めた年齢。
それが似合いの姿形で、それもセールスポイントの一つ。
「とても素敵なオーナーシェフ」が腕を振るうなら、店の人気も高くなる。
料理の腕が素晴らしい上、目の保養まで出来るとなったら、客が放っておかないから。
一度でも食事をしに訪れたら、二回、三回と通いたくなるだろうから。
(ハーレイだったら、うんと気配り出来るから…)
男性客にも、きっと大いに喜ばれる筈。
「やたらと美形な店長なんだが、店の雰囲気が最高なんだ」と。
腰が低くて、とても気が利いて、料理はどれも美味しいから、と。
(……見た目は、ハーレイらしくないけど……)
それでも、やっぱりハーレイなんだよ、と見抜ける自信は大いにある。
もしも、その店に入った時に、客の中に「ハーレイそのもの」の人がいたって。
前のハーレイにそっくりそのまま、そういう姿で、けれど中身は他人の魂。
(そんな人が食事をしてたって…)
ぼくは絶対、間違えやしない、と思うし、きっと間違えない。
「ハーレイにそっくりな客」の方には、目をくれもしないことだろう。
カウンターの向こうの繊細な青年、そちらの方に惹き付けられて。
前のハーレイには何処も似ていない、若いオーナーシェフに惹かれて。
(ハーレイの姿だけだったなら…)
ぼくは好きになんかならないものね、と浮かべた笑み。
どんな姿になっていようと、惹かれるのは、その魂だから。
ハーレイの魂を持っていてこそ、前の生から愛し続ける人なのだから。
たとえ姿は違っていても。
教師ではなくて料理人でも、うんと繊細な姿形で、逞しさの欠片も無かったとしても…。
姿だけだったなら・了
※ハーレイの仕事を考える内に、ブルー君が見たくなった料理人のハーレイ。似合いそう、と。
けれど、前のハーレイの姿でなくても、必ず好きになるのです。惹かれるものは魂v
(…今のあいつなあ…)
どうしようもなくチビなんだがな、とハーレイが思い浮かべたブルーの姿。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた、コーヒー片手に。
(チビでも、確かに俺のブルーだ)
失くしちまった時に比べりゃチビの子供でも、と大きく頷く。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が愛したブルー。
青い地球の上に生まれ変わって、また巡り会えた愛おしい人。
十四歳にしかならないブルーは、前の自分が別れた時より、ずっと小さい。
あと四年くらいは経ってくれないと、あの美しく気高い姿は、戻っては来ないことだろう。
「ソルジャー・ブルー」と呼ばれた時代の、前の自分が恋をした人は。
(…そうは言っても、前の俺は、だ…)
自分では自覚していなかっただけで、もっと前から恋していた。
多分、アルタミラで初めて出会った時から、まだチビだった前のブルーに。
年だけはかなり上だったけれど、見た目も中身も、幼いままだった頃のブルーに。
(だから今でも、チビのあいつに…)
やっぱり恋しているんだろうな、と可笑しくなる。
前のブルーと同じ背丈に育つまでは、と唇へのキスを禁じていても。
ブルーが口付けを強請ってくる度、「駄目だ」と叱り飛ばしていても。
(…前のあいつと、ウッカリ重なっちまったら…)
自分でも歯止めが利かなくなるから、そういう決まりを作っただけ。
なにしろブルーはブルーなのだし、恋した人には違いない。
今のブルーが小さくても。
見た目通りに十四歳の子供で、前のブルーより遥かに幼くても。
(……今は待つしか無いってわけだ)
チビのあいつが育つのを…、とコーヒーのカップを傾ける。
まだ何年も待たされるけれど、その間だって至福の時だ、と。
これから育ってゆくブルー。
再会した日から少しも育っていないけれども、いつかは育つ時が来る。
そうなったならば、一日ごとに、前のブルーに近付くだろう。
会う度に、ハッとするほどに。
「俺のブルーだ」と、前のブルーの姿が鮮やかに蘇るほどに。
日に日に育つブルーを見るのは、きっと素敵に違いない。
前の自分もそれを目にした筈なのだけれど、まるで覚えていないから。
(…記憶が抜けているんじゃなくて…)
意識して見ちゃいなかったんだ、と苦笑する。
あの頃は、多忙だったから。
とうにキャプテンの任に就いていた上、シャングリラという船の中だけでの日々。
余裕のある暮らしを心がけていても、それには自然と限界があった。
今の自分なら、こうして毎日、寛ぎの時を持つことが出来る。
週末は仕事も休みになるから、ブルーと過ごすことだって。
(だが、前の俺は…)
そういうわけにはいかなかったし、ブルーだけを見てはいられなかった。
ついでに恋の自覚が無いから、会っても注目してなどはいない。
(…前のあいつが、ソルジャーではなかったとしても…)
ソルジャーとキャプテンという関係でなくても、状況は変わらなかっただろう。
何処かでバッタリ顔を合わせても、友達に会うのと同じこと。
食堂で一緒に食事をしたって、他愛ない話に興じるだけ。
前のブルーの顔を、姿を、注意して見ることなどは無い。
「親しい友達」なのだから。
一番古い友達なだけで、恋人だとは思っていないから。
(…そして、あいつが育ってから…)
やっと恋だと気付くわけだし、それまでの姿を覚えてはいない。
どんな具合に蕾が綻び、ふわりと花を咲かせたのか。
艶を含んだ柔らかな花弁、それが蕾から覗くようになったのは、いつなのかを。
けれど、今度の自分は違う。
ブルーへの恋を最初から自覚しているのだから、見逃さない。
まだ十四歳にしかならないブルーが、前のブルーと同じ姿に育つのを。
少しずつ大人び、背丈も伸びて、日毎に変わってゆくだろう時を。
(…実に贅沢なお楽しみだな)
毎日、写真を撮りたいほどだ、と思うくらいに待ち遠しい時。
今のブルーが育ってゆくのを、胸をときめかせて眺められる日々。
(自制するのは大変だろうが、それも醍醐味というヤツだ)
素晴らしい御褒美が貰えるんだし、と顔が綻びそうになる。
いつかブルーが育った時には、その唇にキスをする。
「俺だって、ずっと待たされたんだ」と、もったいぶって。
高鳴る鼓動を懸命に隠して、大人の余裕たっぷりに。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が失くした姿を、目の前にして。
(本当に、俺のブルーなんだ、と……)
きっと涙が零れてしまうに違いない。
ようやく戻って来てくれたブルーの姿に、胸が、心が、一杯になって。
「俺が失くしたブルーなんだ」と、ブルーの身体を、力の限りに抱き締めて。
(今だって、ブルーはブルーなんだが…)
やっぱり何処かが違うんだよな、と自分でもハッキリ自覚はある。
書斎の机の引き出しの中に、大切に仕舞ってある写真集。
前のブルーの一番有名な写真が表紙の、『追憶』というタイトルの本。
表紙に刷られたブルーを見る度、今も悲しみに囚われてしまう。
「その人」を自分は失くしたから。
憂いを秘めた瞳をしていた、美しい人を。
誰よりも気高く、強かったブルー。
ミュウの未来を拓くためだけに、その身を、命を捨て去った人を。
(…あの時の姿に育つまでは、だ…)
前のブルーを本当の意味で「取り戻した」とは言えないだろう。
現にこうして、「前のブルー」を想い続ける自分がいるから。
引き出しの中から写真集を出しては、表紙のブルーに心で語り掛ける自分が。
(……あの姿が戻って来るまでは……)
胸の痛みも消えないのだろう、と前の自分の苦しみを思う。
「どうして一人で逝かせたのか」と、取り残された悲しみの中で生き続けた日々。
そうするしか無かったと分かっていてなお、生ける屍だった歳月。
今でも忘れることは出来なくて、それを消すには、あの姿のブルーを待つしかない。
十四歳にしかならない今のブルーが、その身に秘めている姿。
いつか大きく育つ時まで、目にすることは出来ないブルー。
(…もう一度、あいつに出会わないとな…)
何年待つことになろうとも、と思うけれども、果たして、それは正しいだろうか。
前の自分が失くした通りの、ブルーの姿に巡り会うこと。
「ソルジャー・ブルー」の姿そのまま、生き写しの人に会うということ。
(……今の俺だと、確実に会うことが出来るんだろうが……)
チビのブルーが育った時には、必ず「そうなる」と分かってはいる。
前のブルーとそっくり同じな銀色の髪と、赤い瞳を持ったアルビノ。
誰が見たって「小さなソルジャー・ブルー」そのものな姿の、今のブルー。
だから期待をしてしまうけれど、そうでなければ、どうだったろう。
今のブルーが、前の姿と違っていたら。
銀色をした髪の代わりに、金色の髪を持っていたとか。
赤い瞳をしてはいなくて、海の色の水色だったとか。
(…前のあいつが、成人検査を受ける前には…)
その色だったと聞いているから、まるで有り得ない話ではない。
髪や瞳の色だけではなく、姿からして違っていたかもしれない。
前のブルーとは似ても似付かない、全く別の面差しになって。
体格さえも別物になって、見る影もないほど違ったとか。
もしも、そういうブルーに会ったら、どうしただろう。
ちゃんと記憶は戻って来たのか、それとも戻らなかったのか。
(…聖痕も出て来なかったなら…)
それが「ブルー」だと分かりはしなくて、右と左に別れただろうか。
同じように教室で巡り会っても、ただの教師と生徒のままで。
ブルーが学校を卒業したなら、二人の縁も切れてしまって。
(……うーむ……)
しかし、と心の奥がざわめく。
ブルーが違う姿であっても、自分は同じに「見付ける」だろう、と。
前の自分の記憶が戻るよりも前に、選んで買った愛車の色。
「白い車は好きだが、嫌だ」と、前の自分のマントと同じ濃い緑色の車を買った。
白い車は、白いシャングリラのようだから、と自分でも気付かない内に。
「ブルーがいないのに、白い車を運転したって意味が無い」と。
(…それと同じで、あいつに会ったら…)
きっと自分は一目で恋に落ちるのだろう。
「俺が探していた人だ」と。
前のブルーとはまるで違って、可愛らしくさえなかったとしても。
柔道部に似合いのゴツイ生徒で、わんぱく小僧だったとしても。
(…でもって、その時…)
そんなブルーと同じ学年に、銀色の髪で赤い瞳の子がいたら。
時の彼方で失った人と、面差しの似た生徒がいたら…。
(恋をするか、って訊かれたら…)
答えは「否」だ、と瞬時に言える。
前の自分が恋をしたのは、姿ではなくて、ブルーの魂。
だから記憶があっても無くても、「あの魂」を持った人に惹かれる。
姿ではなくて、その中身に。
互いの記憶がどうであろうと、互いに、心で求め合って。
(…姿だけなら…)
好きになったりしやしないさ、とカチンと弾いたマグカップ。
「たとえ絶世の美人でなくても、俺はいいんだ」と。
小さなブルーが前と同じに育ってゆくのは、楽しみではある。
それを見るのも幸せだけれど、まるで違ったブルーに出会って、恋に落ちても…。
(間違いなく、俺は幸せなんだ)
あいつと一緒にいられればな、と湛えた笑み。
姿だけなら、俺は絶対に惚れやしない、と。
前のブルーにそっくりな人が、今、目の前に現れても。
小さなブルーの方の姿は、前のブルーに似ていなくても。
前の自分が恋をしたのは、「前のブルー」が持っていた、あの魂だから。
いくらそっくりな姿であっても、魂が別なら、けして選びはしないのだから…。
姿だけなら・了
※いくら前のブルーにそっくりな人でも、魂が違えば惚れはしない、と思うハーレイ先生。
そっくりな人が目の前にいても、ブルーの魂を持っている人の方に惹かれるのですv