カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧
(今日は、あいつに会えなかったが…)
きっと明日には会える筈さ、とハーレイが思い浮かべた恋人の顔。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それをお供に。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が愛した人と、青い地球の上で、また巡り会えた。
今ではブルーと会うのは日常、会えない日の方が珍しい。
キスさえ交わすことが出来ない、十四歳にしかならないブルーだけれども、愛おしい。
(あいつに会えれば、もうそれだけで…)
俺は満足なんだよな、と心から思う。
ブルーの姿を、学校の中でチラリと遠くから眺めただけでも、それでいい。
それを「会えた」と言うかはともかく、ブルーが「其処にいれば」いい。
前の自分は、前のブルーを失くしてしまって、深い悲しみの底で生き続けた。
ブルーが残した言葉を守って、白いシャングリラを、仲間たちを地球まで運ばねば、と。
(あの頃に比べりゃ、あいつに会えない日があったって…)
文句なんかは言えやしないぞ、と分かっているから、今日も前向きに考える。
明日にはブルーに会えるだろうし、明日が駄目でも明後日がある、と。
(…しかしだな…)
すっかり習慣になっちまった、と自分でも少し可笑しくなる。
チビの恋人に「会う」というのが、今のハーレイの「日常」の一部。
ブルーに会えずに終わってしまえば、その日は「普通ではなかった」日になる。
「本当だったら、会えたんだがな」と考えて、惜しくなったりもする。
(…いったい、いつから、そうなったんだか…)
考えるまでもないんだがな、と答えは最初から明らかだった。
今のブルーと再会してから、こういう日々が始まった。
ブルーは、ハーレイが教師を務める学校の生徒で、職場でも会えるわけだから。
(俺の職場が違っていたなら、多少、事情は変わったろうが…)
それでも同じに「ブルーに会う」のが、普通になっていただろう。
毎日は無理な仕事だったら、休日は会いに出掛けてゆく、といった具合に。
週末だけしか会えないとしても、それは立派に「日常」と言える。
「週末は、ブルーに会いに行く」という習慣が出来て、それを実行してゆく暮らし。
貴重な週末が仕事で潰れてしまわないよう、きっと毎日、気を配る。
ブルーが夏休みなどの長期休暇に入れば、ハーレイも休みを取るかもしれない。
週末だけでは惜しいから、と週の半ばを休んでみるとか、連休を作って会いにゆくとか。
前の生で失くした筈のブルーに、会えるのが「普通」というのは嬉しい。
まだまだチビの子供とはいえ、同じブルーには違いない。
その魂は「ブルー」そのもの、前の生の記憶も持っているから、恋の続きをしてゆける。
青く蘇った水の星の上で、毎日のように顔を合わせて。
それは幸せな日々だけれども、もしも「出会えていなかったならば」どうだろう。
何かのはずみに「前の生での記憶」が戻って来たのに、其処にブルーが「いなかった」なら。
(…それだけは無いと思うんだがな…)
なんたって、聖痕のお蔭なんだし、とブルーとの出会いを思い返すけれど、違っていたら、と。
今のブルーと出会った途端に、前の記憶が戻って来たから、多分、そういうものだと思う。
ブルーと巡り会わない間は、記憶は戻りはしないのだろう。
(…だが、もしかしたら…)
万が一ってこともあるよな、と恐ろしい方へ考えが向く。
前の生の記憶が戻って来たのが、本当に「ただの、はずみ」だったら、ブルーは「いない」。
自分は「キャプテン・ハーレイ」だったのだ、と思い出しても、愛おしい人は「いはしない」。
単に記憶が戻っただけなら、そうなってしまう。
前の生の記憶が戻った理由が、「必然」ではなくて「偶然」だったら。
(…おいおいおい…)
それは困るぞ、と思うけれども、そうなったものは仕方ない。
いくら周りを見回してみても、「ブルー」は何処にも見当たりはしない。
(…俺だけなのか、と…)
驚き慌てて、懸命に探し回ってみたって、ブルーは「見付からない」だろう。
突然、記憶が戻って来たのが街だったなら、街中を走り回って探してみても無駄なだけ。
学校だったとしても同じで、やはりブルーは見付かりはしない。
ただの偶然で戻った記憶に、ブルーの方まで連動して来るわけはないから、当然の結果。
(第一、ブルーが同じ時代にいるのかどうかも…)
分からないぞ、と怖くなる。
同じ時代に「いない」のだったら、終生、探し続けていたって、会えないだろう。
ありとあらゆる手段を使って、どれほど「ブルー」を探しても。
「思い出してから」の生の全てを、「ブルーを探し出す」ことに費やしても。
(……うーむ……)
こいつはキツイ、とハーレイは肩を竦めてしまう。
そうした羽目に陥っていたら、どんな人生になったのだろう。
前の生での記憶が戻って、けれどブルーが「いなかった」なら。
(…忘れられれば、話は早いんだがな…)
サッサと忘れて「今の暮らし」に切り替えられれば、何もかも、きっと上手くゆく。
前の生にも、前のブルーにも「こだわらないまま」、今の生を生きてゆけたなら。
(俺はあくまで今の俺だし、前の俺なんぞは無関係だ、とバッサリと…)
切り捨てられたら、人生は楽に違いない。
平和な時代を満喫しながら、幸せに「今」を生きてゆく。
時の彼方で愛した「ブルー」を、遠い記憶の一コマに変えて、新しい人生を歩み続ける。
「ブルー」ではない人と出会って、まるで全く違う恋をして、その人と一緒に暮らし始めて。
(その内、子供が生まれて来たなら、もう、それっきり…)
ブルーなど思い出しもしなくて、前の生でのことも「忘れてゆく」のだろう。
確かに記憶が残ってはいても、他人事のように思い始めて。
「そういや、そういうこともあったな」と、ごくたまに、不意に気付く程度で。
(…そうやって生きてゆくっていうのも、アリではあるが…)
それに、その方がいいんだろうが…、とコーヒーを一口、喉の奥へと落とし込む。
今、考えたように「生きてゆく」のが、「正しい生き方」というものだろう。
ハーレイの「前の生」が誰であろうと、周りは誰も気付きはしない。
自分から「実は…」と名乗りを上げても、それが事実だと証明されても、それだけのこと。
歴史の舞台を「見て来た」存在として扱われるだけ、貴重な人材になるに過ぎない。
(インタビューやら、講演やらで忙しいだけで…)
其処に「ブルー」は「影も形も見えない」のだから、虚しく日々が過ぎてゆく。
「ブルーとの恋」も明かせはしなくて、自分の心の奥底に秘めて、きっと孤独な生涯だろう。
そうなるよりかは、いっそ「忘れた」方がいい。
「俺は、俺だ」と「今の自分」を楽しみ、新しい恋を見付ける方が。
恋の相手が女性だったなら、子供も生まれて来るだろうから、そうする方が断然、いい。
「ブルー」にこだわらないのだったら、恐らく、女性に恋をする。
前の生でも、今の生でも、「ブルー」でなければ、男性に恋はしないだろう。
好きになったのが「ブルー」だったから、恋の相手が「男性だった」という自覚はある。
だから女性と恋を始めて、前の生とは違った生を全うするのが「正しい」筈。
ブルーのことなど忘れてしまって、遠く遥かな時の彼方の「思い出」にしてしまうのが。
けれども、そうは出来ないだろう、という気がする。
たとえブルーと出会えなくても、ブルーを忘れて生きることなど出来はしない、と。
(…俺の記憶が戻って来た時、ブルーが其処にいなかったなら…)
きっと懸命に探し回って、夜遅くまで探して、探し続けるだろう。
足がすっかり棒になるまで、「もう歩けない」と思うくらいに疲れ果てるまで。
(流石に、あいつも起きちゃいないさ、っていう時間まで…)
探した後には家に帰って、次の手段を考える。
どうすれば「ブルー」を見付け出せるか、今のように熱いコーヒーを淹れて。
(尋ね人で、宇宙のあらゆる所に…)
広告を出すか、ツテを頼って「こういう人を見掛けなかったか」と、あらゆる星にばら撒くか。
どちらが人目に付き易いのか、どれが効率的なのか、と方法を幾つも考えてゆく。
夜が明けたら、端から実行に移してゆこう、と眠気覚ましに濃いコーヒーを淹れ直しもして。
(打てる手段は全部打つまで、きっと納得しやしないんだ…)
そして結果が出てくれなくても、諦めて忘れてしまいはしない。
今の生では出会えなくても、「ブルー」を忘れることなどしないで、想い続ける。
「ブルー探し」をしている間も、前のブルーを求め続けて、書店に出掛けてゆくのだろう。
今の時代は山と出ている、「前のブルー」の写真集を買い求めるために。
(最初の一冊は、きっとコレだな…)
でもって、うんと大事にするんだ、と机の引き出しを開けて視線を落とす。
其処にあるのは『追憶』というタイトルの、前のブルーの写真集。
いつも自分の日記の下に大事に仕舞って、何度も手に取り、眺めた一冊。
(…これを買っても、この一冊では終わらないんだろう…)
あいつに出会えない人生ならな、と確信に満ちた思いがある。
「ブルー」に出会えず、それでも「忘れられない」のならば、そうなるだろう。
書店にゆく度、まず向かうのは、前の自分たちが生きた時代を扱った本が並ぶ場所。
その前で長い時間を過ごして、気に入った本を買って帰ってゆく。
他に必要な本があっても、それは後回しで、まずは「ブルー」の欠片を探す。
写真集の中の「たった一枚」のために、買うことだって惜しくはない。
「ソルジャー・ブルー」の生涯を綴った本に見付けた、「たった一行」のためにでも。
何故なら、「ブルーが其処にいる」から。
探し続ける人の面影、かの人が生きた確かな証が、写真に、文の中にあるから。
(きっと一生、あいつを探して、探し続けて…)
出会えなくても、俺はあいつを忘れやしない、とコーヒーのカップを傾ける。
今の生に「ブルー」がいてくれなくても、愛おしい人は「ブルー」しかいない。
ブルー以外を愛せはしなくて、生涯、ブルーを愛し続ける。
いつかブルーに出会えはしないか、何処へ行っても、まずはブルーを探すことから。
「いない」と諦めてしまいはしないで、息を引き取る、その瞬間まで。
(…本当に、きっと、そうなんだろうな…)
幸い、あいつに会えたんだが、と思うものだから、今の幸せを噛み締めていたい。
今日のように会えない日もあるけれども、ブルーは確かに「いてくれる」から。
出会えないままで終わる生とは違って、いずれは一緒に暮らせるから。
(…そうさ、あいつに出会えなくても、俺はあいつを…)
愛し続けて終わるんだしな、と幸せが胸に満ちてゆく。
「ブルー」だけしか愛せないから、今の人生は、順風満帆。
たとえ会えない日が続いたって、生涯、ブルーを探し続けて終わる生ではないのだから…。
出会えなくても・了
※前の生の記憶が戻っても、ブルー君に出会えなかったら、と考えてみたハーレイ先生。
ブルー君以外は愛せそうになくて、生涯、探し続けていそう。出会えて良かったですよねv
きっと明日には会える筈さ、とハーレイが思い浮かべた恋人の顔。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それをお供に。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が愛した人と、青い地球の上で、また巡り会えた。
今ではブルーと会うのは日常、会えない日の方が珍しい。
キスさえ交わすことが出来ない、十四歳にしかならないブルーだけれども、愛おしい。
(あいつに会えれば、もうそれだけで…)
俺は満足なんだよな、と心から思う。
ブルーの姿を、学校の中でチラリと遠くから眺めただけでも、それでいい。
それを「会えた」と言うかはともかく、ブルーが「其処にいれば」いい。
前の自分は、前のブルーを失くしてしまって、深い悲しみの底で生き続けた。
ブルーが残した言葉を守って、白いシャングリラを、仲間たちを地球まで運ばねば、と。
(あの頃に比べりゃ、あいつに会えない日があったって…)
文句なんかは言えやしないぞ、と分かっているから、今日も前向きに考える。
明日にはブルーに会えるだろうし、明日が駄目でも明後日がある、と。
(…しかしだな…)
すっかり習慣になっちまった、と自分でも少し可笑しくなる。
チビの恋人に「会う」というのが、今のハーレイの「日常」の一部。
ブルーに会えずに終わってしまえば、その日は「普通ではなかった」日になる。
「本当だったら、会えたんだがな」と考えて、惜しくなったりもする。
(…いったい、いつから、そうなったんだか…)
考えるまでもないんだがな、と答えは最初から明らかだった。
今のブルーと再会してから、こういう日々が始まった。
ブルーは、ハーレイが教師を務める学校の生徒で、職場でも会えるわけだから。
(俺の職場が違っていたなら、多少、事情は変わったろうが…)
それでも同じに「ブルーに会う」のが、普通になっていただろう。
毎日は無理な仕事だったら、休日は会いに出掛けてゆく、といった具合に。
週末だけしか会えないとしても、それは立派に「日常」と言える。
「週末は、ブルーに会いに行く」という習慣が出来て、それを実行してゆく暮らし。
貴重な週末が仕事で潰れてしまわないよう、きっと毎日、気を配る。
ブルーが夏休みなどの長期休暇に入れば、ハーレイも休みを取るかもしれない。
週末だけでは惜しいから、と週の半ばを休んでみるとか、連休を作って会いにゆくとか。
前の生で失くした筈のブルーに、会えるのが「普通」というのは嬉しい。
まだまだチビの子供とはいえ、同じブルーには違いない。
その魂は「ブルー」そのもの、前の生の記憶も持っているから、恋の続きをしてゆける。
青く蘇った水の星の上で、毎日のように顔を合わせて。
それは幸せな日々だけれども、もしも「出会えていなかったならば」どうだろう。
何かのはずみに「前の生での記憶」が戻って来たのに、其処にブルーが「いなかった」なら。
(…それだけは無いと思うんだがな…)
なんたって、聖痕のお蔭なんだし、とブルーとの出会いを思い返すけれど、違っていたら、と。
今のブルーと出会った途端に、前の記憶が戻って来たから、多分、そういうものだと思う。
ブルーと巡り会わない間は、記憶は戻りはしないのだろう。
(…だが、もしかしたら…)
万が一ってこともあるよな、と恐ろしい方へ考えが向く。
前の生の記憶が戻って来たのが、本当に「ただの、はずみ」だったら、ブルーは「いない」。
自分は「キャプテン・ハーレイ」だったのだ、と思い出しても、愛おしい人は「いはしない」。
単に記憶が戻っただけなら、そうなってしまう。
前の生の記憶が戻った理由が、「必然」ではなくて「偶然」だったら。
(…おいおいおい…)
それは困るぞ、と思うけれども、そうなったものは仕方ない。
いくら周りを見回してみても、「ブルー」は何処にも見当たりはしない。
(…俺だけなのか、と…)
驚き慌てて、懸命に探し回ってみたって、ブルーは「見付からない」だろう。
突然、記憶が戻って来たのが街だったなら、街中を走り回って探してみても無駄なだけ。
学校だったとしても同じで、やはりブルーは見付かりはしない。
ただの偶然で戻った記憶に、ブルーの方まで連動して来るわけはないから、当然の結果。
(第一、ブルーが同じ時代にいるのかどうかも…)
分からないぞ、と怖くなる。
同じ時代に「いない」のだったら、終生、探し続けていたって、会えないだろう。
ありとあらゆる手段を使って、どれほど「ブルー」を探しても。
「思い出してから」の生の全てを、「ブルーを探し出す」ことに費やしても。
(……うーむ……)
こいつはキツイ、とハーレイは肩を竦めてしまう。
そうした羽目に陥っていたら、どんな人生になったのだろう。
前の生での記憶が戻って、けれどブルーが「いなかった」なら。
(…忘れられれば、話は早いんだがな…)
サッサと忘れて「今の暮らし」に切り替えられれば、何もかも、きっと上手くゆく。
前の生にも、前のブルーにも「こだわらないまま」、今の生を生きてゆけたなら。
(俺はあくまで今の俺だし、前の俺なんぞは無関係だ、とバッサリと…)
切り捨てられたら、人生は楽に違いない。
平和な時代を満喫しながら、幸せに「今」を生きてゆく。
時の彼方で愛した「ブルー」を、遠い記憶の一コマに変えて、新しい人生を歩み続ける。
「ブルー」ではない人と出会って、まるで全く違う恋をして、その人と一緒に暮らし始めて。
(その内、子供が生まれて来たなら、もう、それっきり…)
ブルーなど思い出しもしなくて、前の生でのことも「忘れてゆく」のだろう。
確かに記憶が残ってはいても、他人事のように思い始めて。
「そういや、そういうこともあったな」と、ごくたまに、不意に気付く程度で。
(…そうやって生きてゆくっていうのも、アリではあるが…)
それに、その方がいいんだろうが…、とコーヒーを一口、喉の奥へと落とし込む。
今、考えたように「生きてゆく」のが、「正しい生き方」というものだろう。
ハーレイの「前の生」が誰であろうと、周りは誰も気付きはしない。
自分から「実は…」と名乗りを上げても、それが事実だと証明されても、それだけのこと。
歴史の舞台を「見て来た」存在として扱われるだけ、貴重な人材になるに過ぎない。
(インタビューやら、講演やらで忙しいだけで…)
其処に「ブルー」は「影も形も見えない」のだから、虚しく日々が過ぎてゆく。
「ブルーとの恋」も明かせはしなくて、自分の心の奥底に秘めて、きっと孤独な生涯だろう。
そうなるよりかは、いっそ「忘れた」方がいい。
「俺は、俺だ」と「今の自分」を楽しみ、新しい恋を見付ける方が。
恋の相手が女性だったなら、子供も生まれて来るだろうから、そうする方が断然、いい。
「ブルー」にこだわらないのだったら、恐らく、女性に恋をする。
前の生でも、今の生でも、「ブルー」でなければ、男性に恋はしないだろう。
好きになったのが「ブルー」だったから、恋の相手が「男性だった」という自覚はある。
だから女性と恋を始めて、前の生とは違った生を全うするのが「正しい」筈。
ブルーのことなど忘れてしまって、遠く遥かな時の彼方の「思い出」にしてしまうのが。
けれども、そうは出来ないだろう、という気がする。
たとえブルーと出会えなくても、ブルーを忘れて生きることなど出来はしない、と。
(…俺の記憶が戻って来た時、ブルーが其処にいなかったなら…)
きっと懸命に探し回って、夜遅くまで探して、探し続けるだろう。
足がすっかり棒になるまで、「もう歩けない」と思うくらいに疲れ果てるまで。
(流石に、あいつも起きちゃいないさ、っていう時間まで…)
探した後には家に帰って、次の手段を考える。
どうすれば「ブルー」を見付け出せるか、今のように熱いコーヒーを淹れて。
(尋ね人で、宇宙のあらゆる所に…)
広告を出すか、ツテを頼って「こういう人を見掛けなかったか」と、あらゆる星にばら撒くか。
どちらが人目に付き易いのか、どれが効率的なのか、と方法を幾つも考えてゆく。
夜が明けたら、端から実行に移してゆこう、と眠気覚ましに濃いコーヒーを淹れ直しもして。
(打てる手段は全部打つまで、きっと納得しやしないんだ…)
そして結果が出てくれなくても、諦めて忘れてしまいはしない。
今の生では出会えなくても、「ブルー」を忘れることなどしないで、想い続ける。
「ブルー探し」をしている間も、前のブルーを求め続けて、書店に出掛けてゆくのだろう。
今の時代は山と出ている、「前のブルー」の写真集を買い求めるために。
(最初の一冊は、きっとコレだな…)
でもって、うんと大事にするんだ、と机の引き出しを開けて視線を落とす。
其処にあるのは『追憶』というタイトルの、前のブルーの写真集。
いつも自分の日記の下に大事に仕舞って、何度も手に取り、眺めた一冊。
(…これを買っても、この一冊では終わらないんだろう…)
あいつに出会えない人生ならな、と確信に満ちた思いがある。
「ブルー」に出会えず、それでも「忘れられない」のならば、そうなるだろう。
書店にゆく度、まず向かうのは、前の自分たちが生きた時代を扱った本が並ぶ場所。
その前で長い時間を過ごして、気に入った本を買って帰ってゆく。
他に必要な本があっても、それは後回しで、まずは「ブルー」の欠片を探す。
写真集の中の「たった一枚」のために、買うことだって惜しくはない。
「ソルジャー・ブルー」の生涯を綴った本に見付けた、「たった一行」のためにでも。
何故なら、「ブルーが其処にいる」から。
探し続ける人の面影、かの人が生きた確かな証が、写真に、文の中にあるから。
(きっと一生、あいつを探して、探し続けて…)
出会えなくても、俺はあいつを忘れやしない、とコーヒーのカップを傾ける。
今の生に「ブルー」がいてくれなくても、愛おしい人は「ブルー」しかいない。
ブルー以外を愛せはしなくて、生涯、ブルーを愛し続ける。
いつかブルーに出会えはしないか、何処へ行っても、まずはブルーを探すことから。
「いない」と諦めてしまいはしないで、息を引き取る、その瞬間まで。
(…本当に、きっと、そうなんだろうな…)
幸い、あいつに会えたんだが、と思うものだから、今の幸せを噛み締めていたい。
今日のように会えない日もあるけれども、ブルーは確かに「いてくれる」から。
出会えないままで終わる生とは違って、いずれは一緒に暮らせるから。
(…そうさ、あいつに出会えなくても、俺はあいつを…)
愛し続けて終わるんだしな、と幸せが胸に満ちてゆく。
「ブルー」だけしか愛せないから、今の人生は、順風満帆。
たとえ会えない日が続いたって、生涯、ブルーを探し続けて終わる生ではないのだから…。
出会えなくても・了
※前の生の記憶が戻っても、ブルー君に出会えなかったら、と考えてみたハーレイ先生。
ブルー君以外は愛せそうになくて、生涯、探し続けていそう。出会えて良かったですよねv
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(今のぼくの仕事は、学生だよね?)
学生って言うと、上の学校のイメージだけど、とブルーの頭に、ふと浮かんだこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
そう考えた切っ掛けの方は、多分、ハーレイのせいだろう。
「今日は仕事が忙しかった?」と、寄ってくれなかった理由を探っていたものだから。
恐らく、今日のハーレイは、会議があったか、柔道部の方で何かあったかで来られなかった。
ハーレイの仕事が「教師」な以上は、ありがちなことで、珍しくはない。
(今日の仕事は何時まで、ってキッチリ言える仕事じゃないし…)
仕方ないよね、とブルーも分かっているから、不満を言ってはいけないことも良く分かる。
きっとハーレイと結婚したって、こういう日はやって来るだろう。
「まだかな? 今日は早いって言ってたのにな」と、溜息をついて「待ち続ける」日。
ハーレイが普段通りに帰れることは間違いないし、と期待していたのに、そうはゆかなくて。
(絶対、いつも通りだから、って考えて…)
用意していた料理なんかがあったとしたら、しょげてしまうに違いない。
自分で作った「何か」だったら、涙が出るほど悲しくなって、俯いてしまうかもしれない。
「せっかく、ぼくが作ったのにな…」と、冷めた料理を、たまにチラリと眺めて。
(買って来たヤツでも、そうなりそうだよ…)
ハーレイの帰る時間に合わせて、出来立てを受け取って来ただとか…、と想像してみる。
例えば、揚げ立ての美味しいコロッケ。
(家で作っても、コロッケ、もちろん美味しいけれど…)
お肉屋さんのは油からして違うから、とブルーだって、それは耳にしていた。
家だと、「その日に揚げる分しか」油を用意したりはしない。
揚げた後の油を残しておいて、また使うことも無いのだけれども、専門店だと事情が違う。
(毎日、毎日、絶対、使うに決まってるから…)
コロッケやカツを揚げる時間が終わった後には、火を落とすだけ。
それから油の中に残った「揚げかす」を綺麗に取り除いてから、蓋をしておく。
次の日になれば、また火を点けて油を熱く滾らせていって、コロッケなどを揚げ始める。
(油の中には、お肉の美味しい汁が溶けてて、どんどん溜まっていくわけで…)
いわば出汁入り、そういう油が出来る仕組みで、それで揚げれば当然、美味しい。
家で揚げるのとはまるで違った、「店ならでは」の味になる。
(そういうの、時間ピッタリに揚げて貰えるように…)
出掛けて行って揚げて貰って、弾んだ気持ちで帰って来たのに、冷めてゆくのは悲しいだろう。
「なんで?」と、「今日に限って、遅いだなんて…」とガッカリとして。
けれど、ハーレイの仕事の都合なのだし、嘆いてみても仕方ない。
ついでに言うなら、そのハーレイを「家で待つ」仕事を選んでいるのも、ブルーの「都合」。
(上の学校に行っていたなら、まだ学生で…)
両親と「この家で」暮らしているのだろうし、ハーレイに「待たされる」ことはない。
上の学校に通いながらの、結婚生活だったとしたなら、今度は「お互い様」になりそう。
ハーレイが夕食の支度をしている最中に、「ごめん、友達と食事なんだ」と連絡したりして。
(上の学校だと、ありそうだしね…)
急に予定が変わってしまって、「家で夕食」の筈が「外食」になってしまうこと。
気ままな学生生活になるのが「上の学校」だと聞いているから、大いに有り得る話だった。
(…そういう道を選ぶ代わりに、家で待つだけの「お嫁さん」だし…)
ハーレイが帰って来るのが遅い、と悲しくなるのは「選んだ結果」で、自分が悪い。
そうならない道もあったというのに、「今の仕事」に決めたのだから。
(……うーん……)
でも、天職だと思うんだけど…、とブルーは軽く首を傾げる。
今の仕事の「学生」よりも、遥かに性に合っているのが「お嫁さん」だと思えて来る。
ただ「ハーレイの側にいる」だけのことで、それが「職業」なのだから。
(ハーレイだって、料理も掃除も、何も出来なくてもいいからな、って…)
何度も言ってくれているほど、「お嫁さん」としての腕など期待されてはいない。
今のハーレイは一人暮らしが長くて、何でも出来るし、「お嫁さん」の助けは一切、不要。
だから「ハーレイの側にいる」ことが、今のブルーの「未来の仕事」になる筈だった。
(絶対、天職…)
ぼくに向いてるのに決まっているよ、と自信だったら充分にある。
ハーレイの帰りが遅くなったら、悲しくなってしまうけれども、普段は幸せに違いない。
朝、ハーレイを送り出したら、後片付けをして、帰って来るまで、のんびりと待つ。
おやつを食べたり、本を読んだり、昼になったら昼食も食べて。
(その昼御飯も、ハーレイが作ってくれていそうだよ)
きっとそう、と確信に満ちた思いがある。
ハーレイだったら、朝、朝食を作るついでに、手早く用意しておくだろう。
「今日の昼飯、ちゃんと作っておいたからな」と、パチンと片目を瞑ったりもして。
冷蔵庫の中に入れてあったり、ラップをかけてテーブルの上にあるだとか。
ブルーの「仕事」は、それをきちんと食べること。
身体を壊して、ハーレイに心配をかけてしまわないよう、栄養をつけてゆくために。
(…そういうの、ホントに向いていそうで…)
学生よりも合うんだから、と思ったはずみに、ハタと気付いた。
今の自分は、いずれ「天職」に就くのだけれども、前の自分はどうだったろう。
(……ソルジャー・ブルー……)
あれは絶対、違うと思う、とハッキリ断言してもいい。
まるで全く向いてはいなくて、前のブルーも、どちらかと言えば「お嫁さん」の方が合っている。
中身は今と変わらないから、そういうことになるだろう。
たまたま、運が悪かったせいで、「ソルジャー」になってしまっただけ。
(…誰に言っても、信じて貰えそうにないけどね…)
ソルジャー・ブルーの天職は「ソルジャー」なのに決まっているし、と溜息が出そう。
今の時代に「ソルジャー・ブルー」の名前を出したら、誰だって、そう言い切るだろう。
「ソルジャー・ブルーは、ソルジャーですよ」と、「あれこそ彼の天職でした」と、キッパリと。
でないと、ミュウは滅びてしまって、今の平和な「ミュウの時代」は…。
(いつかは、やって来たんだろうけど、もっと、ずっと後になってしまって…)
苦労するミュウも、もっと増えたに違いないから、と分かってはいる。
あの時代に「ソルジャー」は必要だったし、だからこそ「ソルジャー・ブルー」が存在した、と。
けれども、「前の自分」は「違う」。
「ソルジャー」は天職などではなくって、本当に「向いていなかった」。
なのに「やらざるを得なかった」わけで、その重圧に耐えてゆけたのは…。
(…前のハーレイが、ずっと支えていてくれたから…)
それだけなんだよ、と心の底から言える。
もし、ハーレイが側にいてくれなければ、前の自分は、ああいう風には生きられなかった。
最後まで強くいられはしなくて、もっと早くに「潰れてしまっていた」だろう。
仲間たちからの期待や注文、ミュウの未来の見通しがまるで立たないことなど、悩み過ぎて。
どうすればいいか、どうしたいのかも、もう「自分では」掴めなくなって。
(それでも、みんなは…)
ソルジャーを頼りにして来るのだから、潰れない方がどうかしている。
きっと何処かで、「ジョミーみたいに」なっていたろう。
遠く遥かな時の彼方で、あの「強かった」ジョミーさえもが、そうなった。
前のブルーが深く眠ってしまって、誰にも頼れなくなって。
相談相手を失くしたジョミーは、自分の殻に閉じこもるしか道は無かった。
「やるべきこと」も、「ソルジャーとしての仕事」も、何もかも、全て投げ出して。
キャプテンの部屋さえ訪ねはしないで、ブリッジには顔も出さなくて。
(きっと、ぼくでも…)
そうなったよね、と「自分のこと」だけに、誰よりも分かる。
大英雄だと讃えられている「ソルジャー・ブルー」でも、危なかったのだ、と。
そうならないで済んだ理由は、本当に「前のハーレイ」だった。
「ソルジャー」にならざるを得なかった「ブルー」を、懸命に支え続けてくれた。
(ハーレイ、船の操縦なんかは、まるで出来なくて…)
船の仕組みさえも知らなかったのに、「俺でいいなら」と、キャプテンになった。
元は厨房で料理をしていて、舵の代わりにフライパンを握っているのが仕事だったのに。
(…前のハーレイの天職、そっちの方だったよね…)
前のぼくでも「お嫁さん」が向いていたみたいに、と容易に想像がつく。
「前のハーレイ」の天職は、きっと、「料理人」の方だったのだろう。
そうでなければ、まだ「シャングリラ」の名が無かった頃から、船で料理はしていない。
仕事は他にも色々あったし、そちらに「向いている職」があったら、それにしたろう。
機関部でエンジンの整備をするとか、船内の掃除に専念するとか、洗濯だとか。
(だけど、料理の方を選んで、メニューも色々、研究してて…)
前のハーレイに「向いていた」のは、絶対、そっちの道なんだ、と今でも思う。
もちろん、前の自分にしたって、重々、承知していたけれども、頼み込んだ。
「ハーレイにだったら、命を預けられるから」と。
「誰よりも息がピッタリ合うから、キャプテンになって欲しいんだけど」と。
(…それで、ハーレイ、決心をして…)
厨房からブリッジに転職をして、立派に「キャプテン・ハーレイ」になった。
船の操縦までも覚えて、誰よりも「シャングリラの癖を掴んだ」操舵手になって。
(そうやって、前のぼくを支えて、側にいてくれていたから、ぼくは…)
まるで向いてはいない職でも、「ソルジャー」としてやってゆくことが出来た。
前が見えなくなってしまうくらいに落ち込んだ時も、ハーレイが支えてくれたから。
そっと寄り添い、「何かあったか?」と訊いてくれるだけで、どれだけ心が救われたろう。
ハーレイには、問題を解決するための「力」が、全く少しも無い時だって。
(前のぼくにしか、どうにも出来ない問題は、うんと山積みで…)
何度も潰れそうになっては、前のハーレイに助けて貰った。
「どうしたんだ?」と問い掛けられて、「なんでもない…」としか言えなくても。
(前のハーレイ、あのまま厨房にいたとしたって…)
きっと支えてくれていたよね、という気がする。
どうしても「キャプテンだけは無理だ」と断られたって、見捨てられることは無かっただろう。
厨房でジャガイモの皮を剥きながら、「雲の上の人」になったブルーと話したと思う。
「ソルジャーに、こんな口を叩くだなんて、どうかと思うが」と苦笑しながら。
「お前、もうちょっと力を抜けよ」と、「一人で悩み過ぎってモンだ」と。
(きっと、そう…)
厨房のままでも、ハーレイなら支えられたんだよね、と少し可笑しくなってくる。
「キャプテンの方が断然いいけど、厨房のままでも良かったかも」と。
そんな具合で、前の自分は「頑張った」。
本当だったら向いてはいない、「ソルジャー」なんかを最後まできちんと勤め上げて。
どう考えても「無茶すぎるから!」という気持ちしかしない、メギドを沈めることまでやって。
(…まるでちっとも向いてなくっても、今の時代の人が聞いたら…)
あれが「天職だった」と言い切る職を、前の自分は「やり遂げられた」。
自分でも「凄い」と思うけれども、何もかも「ハーレイがいてくれたから」出来たこと。
だとすると…。
(今のぼくでも、ちっとも向いてなくっても…)
ハーレイが側にいてくれるのなら、違う職でもいいのだろうか。
「お嫁さん」とは「かけ離れた」仕事を、これから、やってゆくのだとしても。
(…そんなの、出来る…?)
今の時代は「ソルジャー」のような、命が懸かった仕事など無い。
軍人さえもいない平和な時代で、危険などがあるわけもない。
(…想像するだけ無駄ってヤツかな?)
きっと、と首を捻った所で、一つだけ、ピンと閃いた。
サイオンがあるのが普通の時代に、それを使わず、便利な道具を使いもしないで…。
(ずっと昔と全く同じに、自分の手足と、なんだっけ…?)
ザイルとハーケンだったっけ、と頭に浮かんだ「プロの登山家」。
彼らは今でも「命の危険と紙一重」な世界で、せっせと山に登ってゆく。
今の自分の体力はともかく、あの仕事を「ハーレイがいれば」出来るのか、尋ねられたなら…。
(出来るに決まっているじゃない!)
ハーレイと二人、一緒に登ってゆくんだしね、と今の自分も、前の自分と思いは同じ。
「ハーレイさえいれば」、どんな職でも、やり遂げられることだろう。
まるで全く向いていなくて、畑違いの仕事だとしても…。
向いてなくっても・了
※前のブルーには向いていなかった「ソルジャー」の職。務まったのは、前のハーレイのお蔭。
きっと、今のブルーにしたって、ハーレイがいれば、向いていない職も出来るのですv
学生って言うと、上の学校のイメージだけど、とブルーの頭に、ふと浮かんだこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
そう考えた切っ掛けの方は、多分、ハーレイのせいだろう。
「今日は仕事が忙しかった?」と、寄ってくれなかった理由を探っていたものだから。
恐らく、今日のハーレイは、会議があったか、柔道部の方で何かあったかで来られなかった。
ハーレイの仕事が「教師」な以上は、ありがちなことで、珍しくはない。
(今日の仕事は何時まで、ってキッチリ言える仕事じゃないし…)
仕方ないよね、とブルーも分かっているから、不満を言ってはいけないことも良く分かる。
きっとハーレイと結婚したって、こういう日はやって来るだろう。
「まだかな? 今日は早いって言ってたのにな」と、溜息をついて「待ち続ける」日。
ハーレイが普段通りに帰れることは間違いないし、と期待していたのに、そうはゆかなくて。
(絶対、いつも通りだから、って考えて…)
用意していた料理なんかがあったとしたら、しょげてしまうに違いない。
自分で作った「何か」だったら、涙が出るほど悲しくなって、俯いてしまうかもしれない。
「せっかく、ぼくが作ったのにな…」と、冷めた料理を、たまにチラリと眺めて。
(買って来たヤツでも、そうなりそうだよ…)
ハーレイの帰る時間に合わせて、出来立てを受け取って来ただとか…、と想像してみる。
例えば、揚げ立ての美味しいコロッケ。
(家で作っても、コロッケ、もちろん美味しいけれど…)
お肉屋さんのは油からして違うから、とブルーだって、それは耳にしていた。
家だと、「その日に揚げる分しか」油を用意したりはしない。
揚げた後の油を残しておいて、また使うことも無いのだけれども、専門店だと事情が違う。
(毎日、毎日、絶対、使うに決まってるから…)
コロッケやカツを揚げる時間が終わった後には、火を落とすだけ。
それから油の中に残った「揚げかす」を綺麗に取り除いてから、蓋をしておく。
次の日になれば、また火を点けて油を熱く滾らせていって、コロッケなどを揚げ始める。
(油の中には、お肉の美味しい汁が溶けてて、どんどん溜まっていくわけで…)
いわば出汁入り、そういう油が出来る仕組みで、それで揚げれば当然、美味しい。
家で揚げるのとはまるで違った、「店ならでは」の味になる。
(そういうの、時間ピッタリに揚げて貰えるように…)
出掛けて行って揚げて貰って、弾んだ気持ちで帰って来たのに、冷めてゆくのは悲しいだろう。
「なんで?」と、「今日に限って、遅いだなんて…」とガッカリとして。
けれど、ハーレイの仕事の都合なのだし、嘆いてみても仕方ない。
ついでに言うなら、そのハーレイを「家で待つ」仕事を選んでいるのも、ブルーの「都合」。
(上の学校に行っていたなら、まだ学生で…)
両親と「この家で」暮らしているのだろうし、ハーレイに「待たされる」ことはない。
上の学校に通いながらの、結婚生活だったとしたなら、今度は「お互い様」になりそう。
ハーレイが夕食の支度をしている最中に、「ごめん、友達と食事なんだ」と連絡したりして。
(上の学校だと、ありそうだしね…)
急に予定が変わってしまって、「家で夕食」の筈が「外食」になってしまうこと。
気ままな学生生活になるのが「上の学校」だと聞いているから、大いに有り得る話だった。
(…そういう道を選ぶ代わりに、家で待つだけの「お嫁さん」だし…)
ハーレイが帰って来るのが遅い、と悲しくなるのは「選んだ結果」で、自分が悪い。
そうならない道もあったというのに、「今の仕事」に決めたのだから。
(……うーん……)
でも、天職だと思うんだけど…、とブルーは軽く首を傾げる。
今の仕事の「学生」よりも、遥かに性に合っているのが「お嫁さん」だと思えて来る。
ただ「ハーレイの側にいる」だけのことで、それが「職業」なのだから。
(ハーレイだって、料理も掃除も、何も出来なくてもいいからな、って…)
何度も言ってくれているほど、「お嫁さん」としての腕など期待されてはいない。
今のハーレイは一人暮らしが長くて、何でも出来るし、「お嫁さん」の助けは一切、不要。
だから「ハーレイの側にいる」ことが、今のブルーの「未来の仕事」になる筈だった。
(絶対、天職…)
ぼくに向いてるのに決まっているよ、と自信だったら充分にある。
ハーレイの帰りが遅くなったら、悲しくなってしまうけれども、普段は幸せに違いない。
朝、ハーレイを送り出したら、後片付けをして、帰って来るまで、のんびりと待つ。
おやつを食べたり、本を読んだり、昼になったら昼食も食べて。
(その昼御飯も、ハーレイが作ってくれていそうだよ)
きっとそう、と確信に満ちた思いがある。
ハーレイだったら、朝、朝食を作るついでに、手早く用意しておくだろう。
「今日の昼飯、ちゃんと作っておいたからな」と、パチンと片目を瞑ったりもして。
冷蔵庫の中に入れてあったり、ラップをかけてテーブルの上にあるだとか。
ブルーの「仕事」は、それをきちんと食べること。
身体を壊して、ハーレイに心配をかけてしまわないよう、栄養をつけてゆくために。
(…そういうの、ホントに向いていそうで…)
学生よりも合うんだから、と思ったはずみに、ハタと気付いた。
今の自分は、いずれ「天職」に就くのだけれども、前の自分はどうだったろう。
(……ソルジャー・ブルー……)
あれは絶対、違うと思う、とハッキリ断言してもいい。
まるで全く向いてはいなくて、前のブルーも、どちらかと言えば「お嫁さん」の方が合っている。
中身は今と変わらないから、そういうことになるだろう。
たまたま、運が悪かったせいで、「ソルジャー」になってしまっただけ。
(…誰に言っても、信じて貰えそうにないけどね…)
ソルジャー・ブルーの天職は「ソルジャー」なのに決まっているし、と溜息が出そう。
今の時代に「ソルジャー・ブルー」の名前を出したら、誰だって、そう言い切るだろう。
「ソルジャー・ブルーは、ソルジャーですよ」と、「あれこそ彼の天職でした」と、キッパリと。
でないと、ミュウは滅びてしまって、今の平和な「ミュウの時代」は…。
(いつかは、やって来たんだろうけど、もっと、ずっと後になってしまって…)
苦労するミュウも、もっと増えたに違いないから、と分かってはいる。
あの時代に「ソルジャー」は必要だったし、だからこそ「ソルジャー・ブルー」が存在した、と。
けれども、「前の自分」は「違う」。
「ソルジャー」は天職などではなくって、本当に「向いていなかった」。
なのに「やらざるを得なかった」わけで、その重圧に耐えてゆけたのは…。
(…前のハーレイが、ずっと支えていてくれたから…)
それだけなんだよ、と心の底から言える。
もし、ハーレイが側にいてくれなければ、前の自分は、ああいう風には生きられなかった。
最後まで強くいられはしなくて、もっと早くに「潰れてしまっていた」だろう。
仲間たちからの期待や注文、ミュウの未来の見通しがまるで立たないことなど、悩み過ぎて。
どうすればいいか、どうしたいのかも、もう「自分では」掴めなくなって。
(それでも、みんなは…)
ソルジャーを頼りにして来るのだから、潰れない方がどうかしている。
きっと何処かで、「ジョミーみたいに」なっていたろう。
遠く遥かな時の彼方で、あの「強かった」ジョミーさえもが、そうなった。
前のブルーが深く眠ってしまって、誰にも頼れなくなって。
相談相手を失くしたジョミーは、自分の殻に閉じこもるしか道は無かった。
「やるべきこと」も、「ソルジャーとしての仕事」も、何もかも、全て投げ出して。
キャプテンの部屋さえ訪ねはしないで、ブリッジには顔も出さなくて。
(きっと、ぼくでも…)
そうなったよね、と「自分のこと」だけに、誰よりも分かる。
大英雄だと讃えられている「ソルジャー・ブルー」でも、危なかったのだ、と。
そうならないで済んだ理由は、本当に「前のハーレイ」だった。
「ソルジャー」にならざるを得なかった「ブルー」を、懸命に支え続けてくれた。
(ハーレイ、船の操縦なんかは、まるで出来なくて…)
船の仕組みさえも知らなかったのに、「俺でいいなら」と、キャプテンになった。
元は厨房で料理をしていて、舵の代わりにフライパンを握っているのが仕事だったのに。
(…前のハーレイの天職、そっちの方だったよね…)
前のぼくでも「お嫁さん」が向いていたみたいに、と容易に想像がつく。
「前のハーレイ」の天職は、きっと、「料理人」の方だったのだろう。
そうでなければ、まだ「シャングリラ」の名が無かった頃から、船で料理はしていない。
仕事は他にも色々あったし、そちらに「向いている職」があったら、それにしたろう。
機関部でエンジンの整備をするとか、船内の掃除に専念するとか、洗濯だとか。
(だけど、料理の方を選んで、メニューも色々、研究してて…)
前のハーレイに「向いていた」のは、絶対、そっちの道なんだ、と今でも思う。
もちろん、前の自分にしたって、重々、承知していたけれども、頼み込んだ。
「ハーレイにだったら、命を預けられるから」と。
「誰よりも息がピッタリ合うから、キャプテンになって欲しいんだけど」と。
(…それで、ハーレイ、決心をして…)
厨房からブリッジに転職をして、立派に「キャプテン・ハーレイ」になった。
船の操縦までも覚えて、誰よりも「シャングリラの癖を掴んだ」操舵手になって。
(そうやって、前のぼくを支えて、側にいてくれていたから、ぼくは…)
まるで向いてはいない職でも、「ソルジャー」としてやってゆくことが出来た。
前が見えなくなってしまうくらいに落ち込んだ時も、ハーレイが支えてくれたから。
そっと寄り添い、「何かあったか?」と訊いてくれるだけで、どれだけ心が救われたろう。
ハーレイには、問題を解決するための「力」が、全く少しも無い時だって。
(前のぼくにしか、どうにも出来ない問題は、うんと山積みで…)
何度も潰れそうになっては、前のハーレイに助けて貰った。
「どうしたんだ?」と問い掛けられて、「なんでもない…」としか言えなくても。
(前のハーレイ、あのまま厨房にいたとしたって…)
きっと支えてくれていたよね、という気がする。
どうしても「キャプテンだけは無理だ」と断られたって、見捨てられることは無かっただろう。
厨房でジャガイモの皮を剥きながら、「雲の上の人」になったブルーと話したと思う。
「ソルジャーに、こんな口を叩くだなんて、どうかと思うが」と苦笑しながら。
「お前、もうちょっと力を抜けよ」と、「一人で悩み過ぎってモンだ」と。
(きっと、そう…)
厨房のままでも、ハーレイなら支えられたんだよね、と少し可笑しくなってくる。
「キャプテンの方が断然いいけど、厨房のままでも良かったかも」と。
そんな具合で、前の自分は「頑張った」。
本当だったら向いてはいない、「ソルジャー」なんかを最後まできちんと勤め上げて。
どう考えても「無茶すぎるから!」という気持ちしかしない、メギドを沈めることまでやって。
(…まるでちっとも向いてなくっても、今の時代の人が聞いたら…)
あれが「天職だった」と言い切る職を、前の自分は「やり遂げられた」。
自分でも「凄い」と思うけれども、何もかも「ハーレイがいてくれたから」出来たこと。
だとすると…。
(今のぼくでも、ちっとも向いてなくっても…)
ハーレイが側にいてくれるのなら、違う職でもいいのだろうか。
「お嫁さん」とは「かけ離れた」仕事を、これから、やってゆくのだとしても。
(…そんなの、出来る…?)
今の時代は「ソルジャー」のような、命が懸かった仕事など無い。
軍人さえもいない平和な時代で、危険などがあるわけもない。
(…想像するだけ無駄ってヤツかな?)
きっと、と首を捻った所で、一つだけ、ピンと閃いた。
サイオンがあるのが普通の時代に、それを使わず、便利な道具を使いもしないで…。
(ずっと昔と全く同じに、自分の手足と、なんだっけ…?)
ザイルとハーケンだったっけ、と頭に浮かんだ「プロの登山家」。
彼らは今でも「命の危険と紙一重」な世界で、せっせと山に登ってゆく。
今の自分の体力はともかく、あの仕事を「ハーレイがいれば」出来るのか、尋ねられたなら…。
(出来るに決まっているじゃない!)
ハーレイと二人、一緒に登ってゆくんだしね、と今の自分も、前の自分と思いは同じ。
「ハーレイさえいれば」、どんな職でも、やり遂げられることだろう。
まるで全く向いていなくて、畑違いの仕事だとしても…。
向いてなくっても・了
※前のブルーには向いていなかった「ソルジャー」の職。務まったのは、前のハーレイのお蔭。
きっと、今のブルーにしたって、ハーレイがいれば、向いていない職も出来るのですv
(まさにピッタリの職だよなあ…)
教師ってヤツは、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
今のハーレイは古典の教師で、ブルーが通う学校が勤務先でもある。
もうそれだけで、「教師をやってて良かったよな」と、心の底から思えてしまう。
(ついでに、ブルーが入学してくる年に合わせたみたいに…)
前の学校から転任して来て、生まれ変わって来たブルーに出会えた。
着任は少し遅れたけれども、今から思えば、そうなったのも巡り合わせというものだろう。
ブルーに聖痕が現れたように、ハーレイの方にも神が準備をしていたらしい。
(予定通りに転任してたら、ブルーが入学して来る前に…)
ハーレイは既に着任していて、今の学校の教師の一人になっていた。
入学式でも、何か役目があっただろう。
転任して来たばかりの者でも、務まりそうな仕事を任され、それをこなしていた筈だった。
受付などは無理にしたって、新入生や保護者を会場に案内するのは出来る。
校門から講堂までの道さえ覚えていたなら、生徒でも務まりそうな役割なのだから。
(新しくやって来たばかりの教師なんだが、見た目はそこそこ…)
貫禄がある、と思って貰える姿ではある。
年恰好もそうなら、身体つきの方もガッシリしていて、頼もしく見える。
(初めての学校に来て、気分が落ち着かない子でも…)
きっと頼りにしてくれそうだし、配置されるなら、その辺りだろう。
キョロキョロ、オドオドしている生徒が目に入ったなら、講堂へ案内したりする。
「今日は入学式だけなんだし、心配なんかは要らないぞ」と声を掛けてやって。
道案内をしてゆく間も、「少しずつ慣れればいいんだからな」と、安心させる言葉を掛けて。
(そういう役目も、俺に向いてはいるんだが…)
其処に「ブルー」がやって来たなら、大変なことになったろう。
ブルーが「ハーレイ」を目にした途端に、あの「聖痕」が現れてしまう。
右の瞳から血の色の涙が溢れて、両方の肩や右の脇腹からも大量の血が噴き出して来る。
(誰が見たって、大怪我にしか見えないからなあ…)
実際、俺もそうだったんだ、と目にした時を思い出す。
てっきり事故だと思い込んだほど、聖痕の鮮血は衝撃だったし、慌てもした。
入学式を控えた所で、その聖痕が現れたならば、ブルーは救急搬送で…。
(…現場の状況を確認するとか、色々と…)
学校は騒がしくなってしまって、入学式も中止されるか、延期になっていただろう。
なんとか当日、出来たとしたって、時間が変わって、午後からだとか。
(絶対、そうなっちまったよなあ…)
俺の着任が遅れていなかったなら、という気がするから、遅れたのは必然に違いない。
ブルーに聖痕を与えた神が、前の学校に「ハーレイ」を引き留めた。
「もう少し此処で仕事してから、ブルーの学校に行くように」と、留まる理由を作り出して。
お蔭でブルーに聖痕が出ても、入学式は台無しになりはしなくて、他の行事も大丈夫だった。
ブルーのクラスは酷い騒ぎになったけれども、他のクラスは、少し騒ぎになっただけ。
「何の騒ぎだ?」と教師が出て来て、事態をしっかり把握した後は、授業に戻った。
(救急車の音で教室を飛び出しちまって、野次馬していた生徒にしたって…)
教師に「戻って授業!」と一喝されたら、大人しく帰ってゆくしかない。
何があったか気になっていても、教室で話し続けていたなら、叱られてしまう。
(ブルーのクラスも、俺がブルーについてった後は…)
担任の教師が駆け付けて来て、その場を無事に収めて行った。
「ブルー君なら、大丈夫ですよ」と、「ハーレイ先生も一緒ですから」と。
最小限で済んだ騒ぎは、「ハーレイの着任が遅れたから」で、神が計算していたのだろう。
「このタイミングで出会うのがいい」と、学校や他の生徒に迷惑をかけないように。
(そういう意味でも、教師で正解…)
俺にピッタリの職ってヤツだ、と心から思う。
仕事さえ上手く都合がついたら、帰りにブルーの家にも寄れる。
学校の中でもブルーに会えるし、これ以上の職は無いだろう。
まさに天職というヤツだよな、と考える内に、別のことが頭に浮かんで来た。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が就いていた職。
(キャプテン・ハーレイではあるが…)
今の時代も、有名なヤツはソレなんだがな、と苦笑する。
人間が全てミュウになっている今の時代は、前のハーレイは「英雄」だった。
「キャプテン・ハーレイの航空宙日誌」まで、ベストセラーになっているほど。
とはいえ、長い時を経たって、「キャプテン・ハーレイ」の過去は変わりはしない。
いくら「キャプテン」の方が有名でも、その前の職も知られてはいた。
まだ「シャングリラ」という名を持たなかった船で、前のハーレイがどうしていたか。
(…厨房出身なんだよなあ…)
ついでに備品倉庫の管理人だ、と今も鮮やかに覚えている。
燃えるアルタミラから逃げ出した船で、自然とそういう役目がついた。
「厨房で皆の食事を作る」仕事で、ジャガイモ地獄も、キャベツ地獄も乗り越えた。
仲間たちが飽きてしまわないよう、せっせと工夫と努力を重ねて、料理して。
「またジャガイモか」と文句が出たって、船にはそれしか無いのだから。
その厨房に馴染んでいたのに、降って来たのが「キャプテン」という職業だった。
まるで全く向いてはいない、とハーレイ自身も思ったくらいに畑が違う。
(船の航行に必要なデータでさえも、俺には少しも分からなくって…)
操舵となったら、どうすればいいか、想像すら出来ない異世界の技術。
だから「無理だ」と即答したのに、船の仲間は譲らなかった。
「船の仕組みが分からなくても、其処は得意な者がやるから」と食い下がって来た。
要は「名前だけのキャプテン」で良くて、船の仲間を纏められれば充分らしい。
(そう言われても、だ…)
はい、そうですか、と返事など出来るわけがない。
「向いていない」と断り続けて、厨房で仕事をするつもりでいた。
料理だったら慣れたものだし、食材の方も、前に比べたら偏りはしない。
また何かあって、ジャガイモ地獄が来たとしたって、慣れている分、上手くゆくだろう。
以前だったら思い付かない調理法など、レパートリーも増えているから、乗り切れる。
(俺はあくまで料理担当、と思っていたのに…)
ある日、背中を押しに来たのが、まだ少年の姿をしていた「ブルー」だった。
ブルーは船で唯一のタイプ・ブルーで、ソルジャーになるしかない立場にいて…。
(あいつが、俺に言ったんだ…)
船のキャプテンになって欲しいのは、「ハーレイだけだ」と、真剣な目で。
「ハーレイにだったら、命を預けられるから」とも。
(俺が一番、息が合うんだ、って言われちまったら…)
もう、それ以上は、断れなかった。
ブルーの本当の年はともかく、中身の方は「まだ少年」で、一人きりで船を背負うのは…。
(出来はしたって、キツすぎるってモンでだな…)
そんなブルーを「俺はキャプテンには向いてないから」と、放っておけるわけがない。
向いていなくても、キャプテンに就任しさえしたなら、ブルーを側で支えてゆける。
(…やるしかない、ってヤツだよなあ…?)
でなきゃ、一生、後悔するぞ、と「前の自分」は決断した。
畑違いの職業だろうが、ブルーのためなら、キャプテンというヤツになってやる、と。
それから後は、努力あるのみ。
「フライパンも船も、似たようなものさ」と軽口を叩いて、自分自身を励ました。
「どっちも、焦げたら大変だしな?」と皆を笑わせたりして、船と仲間を守り続けた。
操舵も覚えて、白いシャングリラになった後にも、懸命に舵を握っていた。
前のブルーがいなくなっても、ブルーが残した言葉を励みに、船を地球まで運んで行って。
そんな具合に、前の自分は「向いていない」職を立派に務めた。
今の時代も「キャプテン・ハーレイ」として名高いくらいに、キャプテンが仕事なのだけど…。
(必死にやるしかなかっただけで…)
向いていたのは厨房だよな、と振り返ってみても、そう思える。
厨房か、キャプテンか、好きに選んでいいのだったら、厨房の方に決めただろう。
フライパンや鍋を自在に使って、あらゆる食材を料理してゆく調理人の方が、断然いい。
(そういう俺が、キャプテンなんかになったのは…)
前のブルーが望んだからで、向きや不向きは無関係だった。
もしも「ブルー」に頼まれたならば、機関部にだって行ったろう。
医務室に詰めて、ノルディを手伝う看護師だって、きっとやったに違いない。
(…そうなると、だ…)
今の自分の天職の方も、ブルーが望めば、違う職業になるのだろうか。
まるで全く向いていなくても、「やって欲しいよ」と、今のブルーに頼まれたなら。
(…はてさて、そいつは…)
どうなんだかな、と顎に手を当て、考えてみる。
まずは「ブルーに頼まれる」わけで、それを「断れない」状況でないと話にならない。
前のブルーがそうだったように、今のブルーが「ハーレイを必要とする」状態。
(…俺があいつをサポートしないと、あいつは一人きりってヤツで…)
そいつは、どうやら有り得ないな、と答えは直ぐに弾き出された。
今は平和な時代なのだし、ブルーは「ハーレイの支え」なんかは必要としない。
わざわざ仕事を変更してまで、ブルーを支えてやらなくてもいい。
(なんと言っても、今度は結婚するんだし…)
もう最高の伴侶でパートナーだから、それ以上の「支え」は無いだろう。
いつもブルーを支え続けて、同じ家で一緒に暮らしてゆく。
「キャプテン・ハーレイ」とは比較にならない、ブルーのために生きる人生。
(そっちの方も、俺の天職で…)
ブルーを大事に支えてやるさ、とコーヒーを一口、飲んだ所で、不意に掠めていった考え。
平和な今の時代にしたって、危険を伴う職なら「在った」。
プロの登山家というヤツだったら、サイオンを使ったりせずに…。
(うんと高い山を、遠い昔と変わりやしない道具や装備で…)
地道にコツコツ登ってゆく。
目が眩みそうな断崖だろうが、ザイルやハーケンだけを頼りに、自分の手足で。
(…絶対、有り得ない話ではあるが…)
今のブルーが「登山家になる」と言うのだったら、今の生でも迷わず「転職する」だろう。
「山登りなんかは向いていないぞ」と心底、思っていたとしたって、その道をゆく。
ブルーが登山家の道を選んで、厳しい寒さや薄い空気の中を登ってゆくのなら。
(あいつが誰かと組んで登るなら、俺しかいない筈だしな?)
向いてなくても、俺も登山家になるまでだよな、とクスッと笑う。
今のブルーは、そんな職など、けして選びはしないけれども、選ぶのならばついてゆく。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が「そうした」ように。
ブルーを側で支え続けて、たとえ断崖絶壁だろうが、ブルーと二人で登って行って…。
向いてなくても・了
※ハーレイ先生が天職だと思う、教師の仕事。前の生だと、キャプテンよりは厨房が好み。
キャプテンなんかは向いてないのに、ブルーの頼みでやった転職。今の生でもやりそうですv
教師ってヤツは、とハーレイが、ふと思ったこと。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
今のハーレイは古典の教師で、ブルーが通う学校が勤務先でもある。
もうそれだけで、「教師をやってて良かったよな」と、心の底から思えてしまう。
(ついでに、ブルーが入学してくる年に合わせたみたいに…)
前の学校から転任して来て、生まれ変わって来たブルーに出会えた。
着任は少し遅れたけれども、今から思えば、そうなったのも巡り合わせというものだろう。
ブルーに聖痕が現れたように、ハーレイの方にも神が準備をしていたらしい。
(予定通りに転任してたら、ブルーが入学して来る前に…)
ハーレイは既に着任していて、今の学校の教師の一人になっていた。
入学式でも、何か役目があっただろう。
転任して来たばかりの者でも、務まりそうな仕事を任され、それをこなしていた筈だった。
受付などは無理にしたって、新入生や保護者を会場に案内するのは出来る。
校門から講堂までの道さえ覚えていたなら、生徒でも務まりそうな役割なのだから。
(新しくやって来たばかりの教師なんだが、見た目はそこそこ…)
貫禄がある、と思って貰える姿ではある。
年恰好もそうなら、身体つきの方もガッシリしていて、頼もしく見える。
(初めての学校に来て、気分が落ち着かない子でも…)
きっと頼りにしてくれそうだし、配置されるなら、その辺りだろう。
キョロキョロ、オドオドしている生徒が目に入ったなら、講堂へ案内したりする。
「今日は入学式だけなんだし、心配なんかは要らないぞ」と声を掛けてやって。
道案内をしてゆく間も、「少しずつ慣れればいいんだからな」と、安心させる言葉を掛けて。
(そういう役目も、俺に向いてはいるんだが…)
其処に「ブルー」がやって来たなら、大変なことになったろう。
ブルーが「ハーレイ」を目にした途端に、あの「聖痕」が現れてしまう。
右の瞳から血の色の涙が溢れて、両方の肩や右の脇腹からも大量の血が噴き出して来る。
(誰が見たって、大怪我にしか見えないからなあ…)
実際、俺もそうだったんだ、と目にした時を思い出す。
てっきり事故だと思い込んだほど、聖痕の鮮血は衝撃だったし、慌てもした。
入学式を控えた所で、その聖痕が現れたならば、ブルーは救急搬送で…。
(…現場の状況を確認するとか、色々と…)
学校は騒がしくなってしまって、入学式も中止されるか、延期になっていただろう。
なんとか当日、出来たとしたって、時間が変わって、午後からだとか。
(絶対、そうなっちまったよなあ…)
俺の着任が遅れていなかったなら、という気がするから、遅れたのは必然に違いない。
ブルーに聖痕を与えた神が、前の学校に「ハーレイ」を引き留めた。
「もう少し此処で仕事してから、ブルーの学校に行くように」と、留まる理由を作り出して。
お蔭でブルーに聖痕が出ても、入学式は台無しになりはしなくて、他の行事も大丈夫だった。
ブルーのクラスは酷い騒ぎになったけれども、他のクラスは、少し騒ぎになっただけ。
「何の騒ぎだ?」と教師が出て来て、事態をしっかり把握した後は、授業に戻った。
(救急車の音で教室を飛び出しちまって、野次馬していた生徒にしたって…)
教師に「戻って授業!」と一喝されたら、大人しく帰ってゆくしかない。
何があったか気になっていても、教室で話し続けていたなら、叱られてしまう。
(ブルーのクラスも、俺がブルーについてった後は…)
担任の教師が駆け付けて来て、その場を無事に収めて行った。
「ブルー君なら、大丈夫ですよ」と、「ハーレイ先生も一緒ですから」と。
最小限で済んだ騒ぎは、「ハーレイの着任が遅れたから」で、神が計算していたのだろう。
「このタイミングで出会うのがいい」と、学校や他の生徒に迷惑をかけないように。
(そういう意味でも、教師で正解…)
俺にピッタリの職ってヤツだ、と心から思う。
仕事さえ上手く都合がついたら、帰りにブルーの家にも寄れる。
学校の中でもブルーに会えるし、これ以上の職は無いだろう。
まさに天職というヤツだよな、と考える内に、別のことが頭に浮かんで来た。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が就いていた職。
(キャプテン・ハーレイではあるが…)
今の時代も、有名なヤツはソレなんだがな、と苦笑する。
人間が全てミュウになっている今の時代は、前のハーレイは「英雄」だった。
「キャプテン・ハーレイの航空宙日誌」まで、ベストセラーになっているほど。
とはいえ、長い時を経たって、「キャプテン・ハーレイ」の過去は変わりはしない。
いくら「キャプテン」の方が有名でも、その前の職も知られてはいた。
まだ「シャングリラ」という名を持たなかった船で、前のハーレイがどうしていたか。
(…厨房出身なんだよなあ…)
ついでに備品倉庫の管理人だ、と今も鮮やかに覚えている。
燃えるアルタミラから逃げ出した船で、自然とそういう役目がついた。
「厨房で皆の食事を作る」仕事で、ジャガイモ地獄も、キャベツ地獄も乗り越えた。
仲間たちが飽きてしまわないよう、せっせと工夫と努力を重ねて、料理して。
「またジャガイモか」と文句が出たって、船にはそれしか無いのだから。
その厨房に馴染んでいたのに、降って来たのが「キャプテン」という職業だった。
まるで全く向いてはいない、とハーレイ自身も思ったくらいに畑が違う。
(船の航行に必要なデータでさえも、俺には少しも分からなくって…)
操舵となったら、どうすればいいか、想像すら出来ない異世界の技術。
だから「無理だ」と即答したのに、船の仲間は譲らなかった。
「船の仕組みが分からなくても、其処は得意な者がやるから」と食い下がって来た。
要は「名前だけのキャプテン」で良くて、船の仲間を纏められれば充分らしい。
(そう言われても、だ…)
はい、そうですか、と返事など出来るわけがない。
「向いていない」と断り続けて、厨房で仕事をするつもりでいた。
料理だったら慣れたものだし、食材の方も、前に比べたら偏りはしない。
また何かあって、ジャガイモ地獄が来たとしたって、慣れている分、上手くゆくだろう。
以前だったら思い付かない調理法など、レパートリーも増えているから、乗り切れる。
(俺はあくまで料理担当、と思っていたのに…)
ある日、背中を押しに来たのが、まだ少年の姿をしていた「ブルー」だった。
ブルーは船で唯一のタイプ・ブルーで、ソルジャーになるしかない立場にいて…。
(あいつが、俺に言ったんだ…)
船のキャプテンになって欲しいのは、「ハーレイだけだ」と、真剣な目で。
「ハーレイにだったら、命を預けられるから」とも。
(俺が一番、息が合うんだ、って言われちまったら…)
もう、それ以上は、断れなかった。
ブルーの本当の年はともかく、中身の方は「まだ少年」で、一人きりで船を背負うのは…。
(出来はしたって、キツすぎるってモンでだな…)
そんなブルーを「俺はキャプテンには向いてないから」と、放っておけるわけがない。
向いていなくても、キャプテンに就任しさえしたなら、ブルーを側で支えてゆける。
(…やるしかない、ってヤツだよなあ…?)
でなきゃ、一生、後悔するぞ、と「前の自分」は決断した。
畑違いの職業だろうが、ブルーのためなら、キャプテンというヤツになってやる、と。
それから後は、努力あるのみ。
「フライパンも船も、似たようなものさ」と軽口を叩いて、自分自身を励ました。
「どっちも、焦げたら大変だしな?」と皆を笑わせたりして、船と仲間を守り続けた。
操舵も覚えて、白いシャングリラになった後にも、懸命に舵を握っていた。
前のブルーがいなくなっても、ブルーが残した言葉を励みに、船を地球まで運んで行って。
そんな具合に、前の自分は「向いていない」職を立派に務めた。
今の時代も「キャプテン・ハーレイ」として名高いくらいに、キャプテンが仕事なのだけど…。
(必死にやるしかなかっただけで…)
向いていたのは厨房だよな、と振り返ってみても、そう思える。
厨房か、キャプテンか、好きに選んでいいのだったら、厨房の方に決めただろう。
フライパンや鍋を自在に使って、あらゆる食材を料理してゆく調理人の方が、断然いい。
(そういう俺が、キャプテンなんかになったのは…)
前のブルーが望んだからで、向きや不向きは無関係だった。
もしも「ブルー」に頼まれたならば、機関部にだって行ったろう。
医務室に詰めて、ノルディを手伝う看護師だって、きっとやったに違いない。
(…そうなると、だ…)
今の自分の天職の方も、ブルーが望めば、違う職業になるのだろうか。
まるで全く向いていなくても、「やって欲しいよ」と、今のブルーに頼まれたなら。
(…はてさて、そいつは…)
どうなんだかな、と顎に手を当て、考えてみる。
まずは「ブルーに頼まれる」わけで、それを「断れない」状況でないと話にならない。
前のブルーがそうだったように、今のブルーが「ハーレイを必要とする」状態。
(…俺があいつをサポートしないと、あいつは一人きりってヤツで…)
そいつは、どうやら有り得ないな、と答えは直ぐに弾き出された。
今は平和な時代なのだし、ブルーは「ハーレイの支え」なんかは必要としない。
わざわざ仕事を変更してまで、ブルーを支えてやらなくてもいい。
(なんと言っても、今度は結婚するんだし…)
もう最高の伴侶でパートナーだから、それ以上の「支え」は無いだろう。
いつもブルーを支え続けて、同じ家で一緒に暮らしてゆく。
「キャプテン・ハーレイ」とは比較にならない、ブルーのために生きる人生。
(そっちの方も、俺の天職で…)
ブルーを大事に支えてやるさ、とコーヒーを一口、飲んだ所で、不意に掠めていった考え。
平和な今の時代にしたって、危険を伴う職なら「在った」。
プロの登山家というヤツだったら、サイオンを使ったりせずに…。
(うんと高い山を、遠い昔と変わりやしない道具や装備で…)
地道にコツコツ登ってゆく。
目が眩みそうな断崖だろうが、ザイルやハーケンだけを頼りに、自分の手足で。
(…絶対、有り得ない話ではあるが…)
今のブルーが「登山家になる」と言うのだったら、今の生でも迷わず「転職する」だろう。
「山登りなんかは向いていないぞ」と心底、思っていたとしたって、その道をゆく。
ブルーが登山家の道を選んで、厳しい寒さや薄い空気の中を登ってゆくのなら。
(あいつが誰かと組んで登るなら、俺しかいない筈だしな?)
向いてなくても、俺も登山家になるまでだよな、とクスッと笑う。
今のブルーは、そんな職など、けして選びはしないけれども、選ぶのならばついてゆく。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が「そうした」ように。
ブルーを側で支え続けて、たとえ断崖絶壁だろうが、ブルーと二人で登って行って…。
向いてなくても・了
※ハーレイ先生が天職だと思う、教師の仕事。前の生だと、キャプテンよりは厨房が好み。
キャプテンなんかは向いてないのに、ブルーの頼みでやった転職。今の生でもやりそうですv
(ハーレイ、来てくれなかったよ…)
ちょっぴり残念、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(ハーレイに会えたら話さなくっちゃ、って思ってることは、一つも無くて…)
仕事の帰りに寄ってくれたら嬉しいな、と期待していただけなのだけれど、少し寂しい。
前の生では、ハーレイに会えない日などは、一度も無かった。
ハーレイがキャプテンだったお蔭で、そういう仕組みになっていた。
(ソルジャーのぼくに、何も報告しないだなんて…)
許される方がおかしいのだから、必ず、一度は顔を合わせた。
それだけのために、朝食の時間があったほど。
ハーレイもブルーも、朝は食事をするのだから、と朝食を一緒に摂ることになった。
だから毎朝、食事しながら、あれこれ色々、話していた。
至極真面目にシャングリラや、ミュウの未来も論じたけれども、二人の未来のことも話した。
いつか地球まで辿り着いたら、二人きりで暮らせる筈だから、と夢を見ていた。
(その夢、まるで違う形で、ちゃんと実現したんだけれど…)
神様の都合で、おかしなことになっちゃった、とブルーは残念でたまらない。
今のブルーは十四歳にしかならない子供で、ハーレイはブルーが通う学校の古典の教師。
恋人同士だと言えないどころか、二人で暮らすことも出来ない。
(だから、ハーレイが来てくれないと…)
二人きりで会うことも出来ずに、今日のように溜息をつく羽目になる。
ハーレイが訪ねて来てくれていたら、両親つきでも、夕食を一緒に食べられたのに。
(きっとハーレイ、今日は用事があったんだ…)
此処へ来る時間が無かったんだよ、と分かってはいる。
会議があったか、柔道部の指導が長引いたのか、その辺の理由は謎だけれども。
(他の先生と食事をしに行っちゃっても、それも、お仕事…)
そう思わないと辛いもんね、と自分自身に言い聞かせる。
ハーレイが食事を楽しんでいても、そうなったのは仕事の付き合いだから、という風に。
でないと、嫉妬してしまう。
男の先生ばかりだったとしたって、「ぼくのハーレイ、盗られちゃった!」と怒りたくなる。
ハーレイが食事に誘われなければ、家に来てくれていた筈なのだから。
とはいえ、そうそう怒ってばかりもいられない。
今のハーレイの仕事からして、時間が無い日が出来てしまうのは、当たり前だと言えるだろう。
学校の教師ではなかったとしても、仕事があったら、そうなってしまう。
(前のハーレイの仕事の方が、きっと普通じゃなかっただけで…)
同じシャングリラにハーレイがいても、厨房だったら、まるで事情が違っていそう。
キャプテンだったら、ソルジャー抜きでは、日々の仕事が進みはしない。
指示を仰いだり、報告をしたり、前のブルーに会わねばならない用がドッサリ山積みだった。
たまに用が無い日があったとしたって、「これといったことはありません」といった報告。
「何も無かった」ということ自体が、シャングリラでは重要だった。
平穏無事に一日が終わる保証は、何処にも無かった船だったから。
(でも、ハーレイがキャプテンにならずに、厨房の係のままだったなら…)
ソルジャーのブルーに会う必要など、普通だったら、まず有り得ない。
食堂のメニューを変更しようと考えたって、ブルーに相談することではない。
厨房担当のクルーを集めて、会議を開いて決めるだけ。
(ハーレイが厨房のトップにいたって、そうなっちゃうよね…)
こんな料理を出そうと思う、と相談するのも、ソルジャーではなくて、厨房の者になるだろう。
新しいメニューに使う食材の調達にしても、農場の者などに相談しにゆく。
「こういう料理を出したいんだが、食材の方は足りるだろうか?」と、必要な量を挙げながら。
(…それで増産しなくっちゃ、ってことになっても…)
農場などの生産量を変える相談は、ソルジャーの所まで届きはしない。
途中の何処かで決まってしまって、最終的には、ハーレイではないキャプテンが来る。
「ソルジャー、食堂のメニューが変わるそうです」と、いつから変わるか、報告をしに。
新しいメニューはどんなものかを、きちんと紙に書いたりもして。
(それに目を通して、「分かったよ」って言うのが、ソルジャーの仕事で…)
後は新作の試食といった所だろうか。
其処でようやく、ハーレイの出番がやって来る。
「試食をお願い出来るでしょうか」と、新しい料理をトレイに載せて、青の間まで運ぶ。
もしかしたら、最後の仕上げの部分は、青の間の厨房でやるかもしれない。
(出来た料理を、ぼくの前に置いて…)
食べている間も「如何ですか?」と感想を聞いて、場合によってはメモも取るだろう。
改善すべき部分があるなら、後で早速、取り組まないといけないのだから。
(…そんな時しか、会えないってば!)
厨房が、うんと忙しかったら、何日会えなくなっちゃんだろう、と恐ろしくなる。
(…前のハーレイの仕事、キャプテンでホントに良かったよ…)
厨房だったら悲しすぎるよ、と思うものだから、今のハーレイにも文句は言えない。
もっと忙しい仕事に就いていたなら、会えない日だって増えるのだから。
今日は会えずに終わったけれども、今のハーレイは、充分、努力していると思う。
仕事の帰りに寄れるようにと、時間が無くても、頑張っているに違いない。
ゆっくり歩いてもかまわないのに、小走りだったり、全力疾走したりもして。
(仕事を済ませて、自分の家に帰るだけなら、ゆっくり歩けばいいけれど…)
ブルーの家に寄る時間を取るなら、間に合わない時もあるだろう。
そうした時には全力疾走、あるいは小走り、そうやって時間を作ってゆく。
「まずいな、これじゃ間に合わないぞ」と思った所で、急ぎ始めて。
(生徒は走っちゃダメな廊下も、階段だって…)
教師の場合は別なのだから、走っても誰も咎めはしない。
大荷物を担いで走ってゆこうが、「大変ですね」と労いの声が掛かるだけ。
「よかったら、半分、持ちましょうか」と、手伝う教師も現れる。
場合によっては「次の授業はありませんから、代わりに運んでおきますよ」と言う人だって。
(ハーレイ、頑張ってくれてるんだし、文句を言ったら、本当にダメ…)
ぼくの方は、うんと暇なんだから、と指で額をコツンと叩いた。
「時間が無くても頑張ってくれるハーレイのことを、恨んだりしちゃダメなんだよ」と。
きっとこの先も、ハーレイの時間が足りない時は、何度も何度もあるだろう。
結婚して二人で暮らし始めても、ハーレイの仕事は続いてゆくから、そんな日もある。
「ハーレイ、まだかな?」と待っていたって、なかなか帰って来ないような日。
(夕食の支度は、ハーレイがする、って言ってるけれど…)
そのハーレイが帰らないなら、たまには料理もしておいた方がいいかもしれない。
冷蔵庫を覗いて「何があるかな?」と確かめてから、それで作れそうな簡単なものを。
(調理実習は何度かしてるし、カレーとかなら出来るよね?)
ハーレイのように本格的なものは作れなくても、基本のルーを使って煮込めば、きっと。
炒め物でも出来ると思うし、目玉焼きだって作れるし…。
(あとはサラダと、お味噌汁くらい…)
作っておいたら喜ばれそう、と思った所で、ハタと気付いた。
結婚した後、毎日、家で留守番しているつもりだけれども、どうなのだろう。
上の学校に行かない以上は、結婚したら、当然、そうなる。
(…そうだと思い込んでたけれど…)
違う未来があるかもしれない。
上の学校に行くことになってしまって、結婚したって、学校に行く日が続いてゆく。
ハーレイが教師をしている場所とは全く違って、生徒の中には立派な大人もいる学校へ。
(…上の学校、ぼくは、行く気は全く無くて…)
ハーレイも、「行け」と言ってはいない。
でも、両親はどうだろう。
ハーレイと結婚したいことなど、まだ一回も話してはいない。
そうなってくると、両親の頭の中では、上の学校に行くということで決まっていそう。
チビのままで身体が育たなかったら、そういう子供が行く幼年学校になるけれど…。
(其処でやるのは、普通の上の学校と同じ勉強で…)
違う所は、学校でどういう具合に過ごしてゆくか、という所だけ。
なにしろ身体が子供なのだし、上の学校の生徒のようには暮らしてゆけない部分も多い。
合宿にしても、フィールドワークに出掛けるにしても、実験の時間を設けるにしても。
(上の学校だと、学校に泊まり込みで実験しなくちゃいけないだとか…)
選んだ勉強の中身によっては、そういったこともあるらしい。
実験の結果が出て来る時間が、人間の都合に上手く合うとは限らない。
朝一番に準備を始めて実験開始で、お昼御飯も実験室で食べたとしたって、結果は夜とか。
(しかも学校の門が閉まっちゃうほど、遅い時間になっちゃって…)
もうすぐ日付が変わりそうとか、それくらい遅くなるのだったら、泊まるしかない。
身体がしっかり出来上がっている生徒だったら、少しも問題無いけれど…。
(今のぼくみたいに、チビのままだと…)
眠くなってしまって耐えられないから、その時のための備えが要る。
「少し寝て来ていいですよ」と、手伝ってくれる大人の助手とか、先生だとか。
上の学校では、其処まで面倒は見られないから、幼年学校が必要になる。
勉強はきちんと出来るけれども、身体がついてゆかない生徒が通う学校として。
(…パパとママ、きっと、どっちも考えてるよね…?)
上の学校に行く年になってもチビのままなら、幼年学校、といった具合に、頭の中で。
「きっとブルーは学校に行くし、どっちだろう」と、相談しているかもしれない。
家から通える所がいいか、寮に入れる学校がいいか、ブルーが全く知らない間に、色々と。
(今の学校、まだ一年目で…)
四年生まである学校だし、すっかり油断していたけれども、可能性の方はゼロではない。
「何処がいいかな」と、パンフレットも集めているとか、まるで無いとは言い切れない。
(今からその気で、準備を始めているんなら…)
卒業する年が近付いて来たら、「この学校がいいと思う」と言われそう。
「家から近くて、便利そうでしょ?」とか、「寮だし、通うよりも楽よ」だとか。
(そんなの、困る…!)
学校なんかより、結婚だよ、と思うけれども、両親が譲らなかった時には、学校で決まり。
「結婚だってば!」と意地を張ったら、「じゃあ、両方で」と提案される。
結婚を許してもいいのだけれども、結婚したって、学校の方にも通うように、と。
(…そういう人って、実際、いるよね…)
幼年学校にはいないけれども、普通の上の学校だったら、珍しくない。
結婚していて、でも学生で、という二足の草鞋を履いている人は、幾らでもいる。
(パパとママが結婚を許してくれる条件、それだったなら…)
ぼくの方が、ハーレイよりも忙しいことになっちゃいそう、と愕然とした。
上の学校の生徒というのは、暇な時には、今の学校より、遥かに暇なのは知っている。
遊びにゆける時間もたっぷり取れるし、夏休みとかの休暇も長い。
ところが、忙しくなった時には、今の学校とは比較にならない忙しさ。
さっき考えていた、泊まり込みでの実験みたいに、とんでもないのがやって来る。
(そういう研究、していなくっても…)
試験が幾つも立て続けにあって、レポートや課題の締め切りまでが重なることもあるらしい。
普段は暇にしている生徒も、その時ばかりは、遊ぶどころか…。
(お金を貯めて旅行をしよう、ってアルバイトなんかをしている人も…)
アルバイト先に「忙しいので休みます」と届けを出して、必死に勉強、レポートに課題。
いくら頭がいい生徒だって、頭の良さだけでは乗り切れない。
レポートも課題も、うんと時間を取られるのだから、他のことをしてはいられない。
(ぼくがハーレイと結婚してても、そんなの、まるで関係無くて…)
試験も課題も、レポートだって、もう容赦なく襲って来るから、逃げられなくて…。
(ハーレイが夜食を作ってくれても、「ありがとう」としか言えなくて…)
勉強机で夜食を食べたら、脇目も振らずに勉強に課題、それにレポートばかりの毎日。
ハーレイと話をしている暇さえ、まるで全く無いかもしれない。
(だけど、時間が無くっても…)
忙しい時期さえ終わってしまえば、またゆっくりと話が出来るし、ドライブも出来る。
それを励みに頑張るしか、と思うけれども、避けたい未来。
ハーレイと結婚するのだったら、家で帰りを待っていたいと思うから。
学校に通って必死に時間をやりくりするより、その方がきっと、幸せだから…。
時間が無くっても・了
※ハーレイ先生と結婚した後、家で留守番するつもりなのがブルー君。帰りを待つだけ。
けれど、上の学校に行くことになれば、忙しすぎる日がやって来るかも。試験にレポートv
ちょっぴり残念、と小さなブルーが零した溜息。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(ハーレイに会えたら話さなくっちゃ、って思ってることは、一つも無くて…)
仕事の帰りに寄ってくれたら嬉しいな、と期待していただけなのだけれど、少し寂しい。
前の生では、ハーレイに会えない日などは、一度も無かった。
ハーレイがキャプテンだったお蔭で、そういう仕組みになっていた。
(ソルジャーのぼくに、何も報告しないだなんて…)
許される方がおかしいのだから、必ず、一度は顔を合わせた。
それだけのために、朝食の時間があったほど。
ハーレイもブルーも、朝は食事をするのだから、と朝食を一緒に摂ることになった。
だから毎朝、食事しながら、あれこれ色々、話していた。
至極真面目にシャングリラや、ミュウの未来も論じたけれども、二人の未来のことも話した。
いつか地球まで辿り着いたら、二人きりで暮らせる筈だから、と夢を見ていた。
(その夢、まるで違う形で、ちゃんと実現したんだけれど…)
神様の都合で、おかしなことになっちゃった、とブルーは残念でたまらない。
今のブルーは十四歳にしかならない子供で、ハーレイはブルーが通う学校の古典の教師。
恋人同士だと言えないどころか、二人で暮らすことも出来ない。
(だから、ハーレイが来てくれないと…)
二人きりで会うことも出来ずに、今日のように溜息をつく羽目になる。
ハーレイが訪ねて来てくれていたら、両親つきでも、夕食を一緒に食べられたのに。
(きっとハーレイ、今日は用事があったんだ…)
此処へ来る時間が無かったんだよ、と分かってはいる。
会議があったか、柔道部の指導が長引いたのか、その辺の理由は謎だけれども。
(他の先生と食事をしに行っちゃっても、それも、お仕事…)
そう思わないと辛いもんね、と自分自身に言い聞かせる。
ハーレイが食事を楽しんでいても、そうなったのは仕事の付き合いだから、という風に。
でないと、嫉妬してしまう。
男の先生ばかりだったとしたって、「ぼくのハーレイ、盗られちゃった!」と怒りたくなる。
ハーレイが食事に誘われなければ、家に来てくれていた筈なのだから。
とはいえ、そうそう怒ってばかりもいられない。
今のハーレイの仕事からして、時間が無い日が出来てしまうのは、当たり前だと言えるだろう。
学校の教師ではなかったとしても、仕事があったら、そうなってしまう。
(前のハーレイの仕事の方が、きっと普通じゃなかっただけで…)
同じシャングリラにハーレイがいても、厨房だったら、まるで事情が違っていそう。
キャプテンだったら、ソルジャー抜きでは、日々の仕事が進みはしない。
指示を仰いだり、報告をしたり、前のブルーに会わねばならない用がドッサリ山積みだった。
たまに用が無い日があったとしたって、「これといったことはありません」といった報告。
「何も無かった」ということ自体が、シャングリラでは重要だった。
平穏無事に一日が終わる保証は、何処にも無かった船だったから。
(でも、ハーレイがキャプテンにならずに、厨房の係のままだったなら…)
ソルジャーのブルーに会う必要など、普通だったら、まず有り得ない。
食堂のメニューを変更しようと考えたって、ブルーに相談することではない。
厨房担当のクルーを集めて、会議を開いて決めるだけ。
(ハーレイが厨房のトップにいたって、そうなっちゃうよね…)
こんな料理を出そうと思う、と相談するのも、ソルジャーではなくて、厨房の者になるだろう。
新しいメニューに使う食材の調達にしても、農場の者などに相談しにゆく。
「こういう料理を出したいんだが、食材の方は足りるだろうか?」と、必要な量を挙げながら。
(…それで増産しなくっちゃ、ってことになっても…)
農場などの生産量を変える相談は、ソルジャーの所まで届きはしない。
途中の何処かで決まってしまって、最終的には、ハーレイではないキャプテンが来る。
「ソルジャー、食堂のメニューが変わるそうです」と、いつから変わるか、報告をしに。
新しいメニューはどんなものかを、きちんと紙に書いたりもして。
(それに目を通して、「分かったよ」って言うのが、ソルジャーの仕事で…)
後は新作の試食といった所だろうか。
其処でようやく、ハーレイの出番がやって来る。
「試食をお願い出来るでしょうか」と、新しい料理をトレイに載せて、青の間まで運ぶ。
もしかしたら、最後の仕上げの部分は、青の間の厨房でやるかもしれない。
(出来た料理を、ぼくの前に置いて…)
食べている間も「如何ですか?」と感想を聞いて、場合によってはメモも取るだろう。
改善すべき部分があるなら、後で早速、取り組まないといけないのだから。
(…そんな時しか、会えないってば!)
厨房が、うんと忙しかったら、何日会えなくなっちゃんだろう、と恐ろしくなる。
(…前のハーレイの仕事、キャプテンでホントに良かったよ…)
厨房だったら悲しすぎるよ、と思うものだから、今のハーレイにも文句は言えない。
もっと忙しい仕事に就いていたなら、会えない日だって増えるのだから。
今日は会えずに終わったけれども、今のハーレイは、充分、努力していると思う。
仕事の帰りに寄れるようにと、時間が無くても、頑張っているに違いない。
ゆっくり歩いてもかまわないのに、小走りだったり、全力疾走したりもして。
(仕事を済ませて、自分の家に帰るだけなら、ゆっくり歩けばいいけれど…)
ブルーの家に寄る時間を取るなら、間に合わない時もあるだろう。
そうした時には全力疾走、あるいは小走り、そうやって時間を作ってゆく。
「まずいな、これじゃ間に合わないぞ」と思った所で、急ぎ始めて。
(生徒は走っちゃダメな廊下も、階段だって…)
教師の場合は別なのだから、走っても誰も咎めはしない。
大荷物を担いで走ってゆこうが、「大変ですね」と労いの声が掛かるだけ。
「よかったら、半分、持ちましょうか」と、手伝う教師も現れる。
場合によっては「次の授業はありませんから、代わりに運んでおきますよ」と言う人だって。
(ハーレイ、頑張ってくれてるんだし、文句を言ったら、本当にダメ…)
ぼくの方は、うんと暇なんだから、と指で額をコツンと叩いた。
「時間が無くても頑張ってくれるハーレイのことを、恨んだりしちゃダメなんだよ」と。
きっとこの先も、ハーレイの時間が足りない時は、何度も何度もあるだろう。
結婚して二人で暮らし始めても、ハーレイの仕事は続いてゆくから、そんな日もある。
「ハーレイ、まだかな?」と待っていたって、なかなか帰って来ないような日。
(夕食の支度は、ハーレイがする、って言ってるけれど…)
そのハーレイが帰らないなら、たまには料理もしておいた方がいいかもしれない。
冷蔵庫を覗いて「何があるかな?」と確かめてから、それで作れそうな簡単なものを。
(調理実習は何度かしてるし、カレーとかなら出来るよね?)
ハーレイのように本格的なものは作れなくても、基本のルーを使って煮込めば、きっと。
炒め物でも出来ると思うし、目玉焼きだって作れるし…。
(あとはサラダと、お味噌汁くらい…)
作っておいたら喜ばれそう、と思った所で、ハタと気付いた。
結婚した後、毎日、家で留守番しているつもりだけれども、どうなのだろう。
上の学校に行かない以上は、結婚したら、当然、そうなる。
(…そうだと思い込んでたけれど…)
違う未来があるかもしれない。
上の学校に行くことになってしまって、結婚したって、学校に行く日が続いてゆく。
ハーレイが教師をしている場所とは全く違って、生徒の中には立派な大人もいる学校へ。
(…上の学校、ぼくは、行く気は全く無くて…)
ハーレイも、「行け」と言ってはいない。
でも、両親はどうだろう。
ハーレイと結婚したいことなど、まだ一回も話してはいない。
そうなってくると、両親の頭の中では、上の学校に行くということで決まっていそう。
チビのままで身体が育たなかったら、そういう子供が行く幼年学校になるけれど…。
(其処でやるのは、普通の上の学校と同じ勉強で…)
違う所は、学校でどういう具合に過ごしてゆくか、という所だけ。
なにしろ身体が子供なのだし、上の学校の生徒のようには暮らしてゆけない部分も多い。
合宿にしても、フィールドワークに出掛けるにしても、実験の時間を設けるにしても。
(上の学校だと、学校に泊まり込みで実験しなくちゃいけないだとか…)
選んだ勉強の中身によっては、そういったこともあるらしい。
実験の結果が出て来る時間が、人間の都合に上手く合うとは限らない。
朝一番に準備を始めて実験開始で、お昼御飯も実験室で食べたとしたって、結果は夜とか。
(しかも学校の門が閉まっちゃうほど、遅い時間になっちゃって…)
もうすぐ日付が変わりそうとか、それくらい遅くなるのだったら、泊まるしかない。
身体がしっかり出来上がっている生徒だったら、少しも問題無いけれど…。
(今のぼくみたいに、チビのままだと…)
眠くなってしまって耐えられないから、その時のための備えが要る。
「少し寝て来ていいですよ」と、手伝ってくれる大人の助手とか、先生だとか。
上の学校では、其処まで面倒は見られないから、幼年学校が必要になる。
勉強はきちんと出来るけれども、身体がついてゆかない生徒が通う学校として。
(…パパとママ、きっと、どっちも考えてるよね…?)
上の学校に行く年になってもチビのままなら、幼年学校、といった具合に、頭の中で。
「きっとブルーは学校に行くし、どっちだろう」と、相談しているかもしれない。
家から通える所がいいか、寮に入れる学校がいいか、ブルーが全く知らない間に、色々と。
(今の学校、まだ一年目で…)
四年生まである学校だし、すっかり油断していたけれども、可能性の方はゼロではない。
「何処がいいかな」と、パンフレットも集めているとか、まるで無いとは言い切れない。
(今からその気で、準備を始めているんなら…)
卒業する年が近付いて来たら、「この学校がいいと思う」と言われそう。
「家から近くて、便利そうでしょ?」とか、「寮だし、通うよりも楽よ」だとか。
(そんなの、困る…!)
学校なんかより、結婚だよ、と思うけれども、両親が譲らなかった時には、学校で決まり。
「結婚だってば!」と意地を張ったら、「じゃあ、両方で」と提案される。
結婚を許してもいいのだけれども、結婚したって、学校の方にも通うように、と。
(…そういう人って、実際、いるよね…)
幼年学校にはいないけれども、普通の上の学校だったら、珍しくない。
結婚していて、でも学生で、という二足の草鞋を履いている人は、幾らでもいる。
(パパとママが結婚を許してくれる条件、それだったなら…)
ぼくの方が、ハーレイよりも忙しいことになっちゃいそう、と愕然とした。
上の学校の生徒というのは、暇な時には、今の学校より、遥かに暇なのは知っている。
遊びにゆける時間もたっぷり取れるし、夏休みとかの休暇も長い。
ところが、忙しくなった時には、今の学校とは比較にならない忙しさ。
さっき考えていた、泊まり込みでの実験みたいに、とんでもないのがやって来る。
(そういう研究、していなくっても…)
試験が幾つも立て続けにあって、レポートや課題の締め切りまでが重なることもあるらしい。
普段は暇にしている生徒も、その時ばかりは、遊ぶどころか…。
(お金を貯めて旅行をしよう、ってアルバイトなんかをしている人も…)
アルバイト先に「忙しいので休みます」と届けを出して、必死に勉強、レポートに課題。
いくら頭がいい生徒だって、頭の良さだけでは乗り切れない。
レポートも課題も、うんと時間を取られるのだから、他のことをしてはいられない。
(ぼくがハーレイと結婚してても、そんなの、まるで関係無くて…)
試験も課題も、レポートだって、もう容赦なく襲って来るから、逃げられなくて…。
(ハーレイが夜食を作ってくれても、「ありがとう」としか言えなくて…)
勉強机で夜食を食べたら、脇目も振らずに勉強に課題、それにレポートばかりの毎日。
ハーレイと話をしている暇さえ、まるで全く無いかもしれない。
(だけど、時間が無くっても…)
忙しい時期さえ終わってしまえば、またゆっくりと話が出来るし、ドライブも出来る。
それを励みに頑張るしか、と思うけれども、避けたい未来。
ハーレイと結婚するのだったら、家で帰りを待っていたいと思うから。
学校に通って必死に時間をやりくりするより、その方がきっと、幸せだから…。
時間が無くっても・了
※ハーレイ先生と結婚した後、家で留守番するつもりなのがブルー君。帰りを待つだけ。
けれど、上の学校に行くことになれば、忙しすぎる日がやって来るかも。試験にレポートv
(今日は失敗しちまったよなあ…)
こんなつもりじゃなかったのに、とハーレイはフウと溜息をついた。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎でコーヒーの時間。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れて、これからゆっくり味わってゆく。
(…こいつは、失敗しちゃいないんだ…)
淹れるのは慣れたモンだからな、とコーヒーについては自信がある。
時間がある日は豆から挽いて淹れるくらいに、コーヒーが好きで、手間だってかける。
今日も夕食の片付けを済ませて、手際よく準備を始めて淹れた。
書斎に移りたい気分になる頃、ちょうど熱いのが出来上がるように。
(豆から挽くほど、今日は時間が無かったが…)
仕事がある日は当たり前だし、それは失敗には入らない。
確かに時間は無かったけれども、いつものことだし、失敗の内に数えはしない。
(…しかしだな…)
他の所で失敗続きの一日だった、とブルーを想って、申し訳ない気持ちになる。
本当だったら、今日は仕事が終わった後に、ブルーに会える筈だった。
愛車でブルーの家まで走って、窓から見下ろすブルーに大きく手を振って。
(その筈なんだが、いったい何処に消えちまったんだか…)
ブルーの家に寄れる時間は…、と考えるほどに「失敗だった」と思えて来る。
朝、学校に向かう時には、帰りの心づもりをしていた。
仕事が終われば、今日は時間が充分あるから、ブルーの家に寄って帰ろう、と。
(いつも晩飯をご馳走になるし、たまには手土産でも持って…)
出掛けてゆくのもいいモンだしな、と買い物までも予定していたくらい。
新聞と一緒に届いたチラシの中から、目ぼしいものを幾つか眺めた。
食料品店で各地の名産品が売られるようだし、美味しそうな物を探すのもいい。
行きつけのパン屋も、焼き菓子の広告を入れていた。
(焼き菓子だったら日持ちするから、それでもいいし…)
どれにするかな、と少し悩んで、帰りに決めることにした。
学校を出る時、どういう気分になっているかで、手土産を買いに寄る店を選ぶ。
(名産品を見ながら、あれこれ目移りしてゆくコースか、パン屋に行って…)
試食しながら「コレだ」と決めるか、それは帰りの気分次第でいいだろう。
朝から迷って無理に決めるより、直感の方が断然いい。
「こうだ」と決める時には一瞬、その閃きが運を引き寄せる。
悩んで時間を費やすよりも、結果はグンと良くなるものだ、と思えるから。
そんな具合で、時間を上手く使ってゆくのは、ハーレイの得意分野と言える。
だから滅多に失敗しないし、時間が足りなくなることも無い。
ところが今日は…。
(やっちまった、と言うべきか…)
時間が無くなっちまってたんだ、と、また溜息が零れてしまう。
手土産を買ってゆく時間もあるな、と踏んでいたのに、何処で計算が狂ったものか。
学校を出られる時間が来たのは、ブルーの家に寄って帰るには遅すぎる頃になってから。
日もとっぷりと暮れてしまって、余計に情けない気分になった。
「なんてこった」と、「こんな筈ではなかったんだ」と、ブルーに心で謝りながら。
(…一つ一つは、大したことでは…)
まるで無かった筈なんだよな、と時間が何処かに消えてしまった原因を思い返してみる。
ちょっとした用事を頼まれたとか、生徒に呼び止められたとか。
(どれも、ちょっぴり時間があれば、だ…)
簡単に片付くことばかりだし、その時は何とも思わなかった。
後になってから積もり積もって、時間がすっかり消えるだなんて、誰が気付くというのだろう。
(それこそ、俺は神様じゃないし…)
予知能力だって持っていないから、先のことなど分かりはしない。
いつもの「気のいいハーレイ」のままで、あちこちで用を引き受けた。
生徒に質問された時にも、答えたついでに、他の生徒も交えて雑談。
(俺にとっては、ごく当たり前の日常で…)
普段以上にサービスしたとか、熱が入って頑張り過ぎた、ということだって無かった一日。
けれど、仕事が終わった時には、朝、たっぷりとあった時間は消え失せていた。
悪戯小僧の妖精か何かに、知らない間に、ヒョイと盗まれてしまったように。
(まさに狐につままれたよう、ってヤツだよなあ…)
狐に盗まれちまったかな、と尻尾が太くて顔が尖った、悪戯者を思い浮かべる。
山から子狐が降りて来ていて、時間を盗んで行っただろうか。
(そういや、昼間に…)
晴れているのに、ほんの少しだけ、小雨が降った。
いわゆる「狐の嫁入り」だから、嫁入り行列について来ていた、子狐の仕業かもしれない。
人間にちょっぴり悪戯したくて、頭に木の葉をヒョイと乗っけて、近付いて来て…。
(俺の時間を持ってったってか?)
本当にそうかもしれないな、と思えて来るほど、今日は不思議に時間が消えた。
大した用など一つも無いのに、仕事の帰りにブルーの家に寄れなくなってしまったほどに。
(…次にあいつの家に行った時、あいつが膨れちまっていたら…)
狐の話をしてやるとするか、と軽く肩を竦めて、コーヒーのカップを傾ける。
きっとブルーは、今日はすっかりしょげてしまって、溜息をついていただろう。
「今日はハーレイ、来なかったよ…」と、暮れてしまった庭を眺めて、残念そうに。
こういう会えない日が続いたなら、ブルーは機嫌を損ねてしまって、膨れがちになる。
せっかく久しぶりに会えても、プンスカ怒っていたりもする。
「ぼくのこと、忘れていたんでしょ!」と眉を吊り上げることもあるから、そうなったなら…。
(すまん、と最初に謝ってから…)
時間を盗んで行った狐の話を聞かせて、「仕方ないだろ?」と許しを請うのもいいだろう。
悪戯小僧の子狐に時間を盗まれたのなら、どうすることも出来るわけがない。
頭の上に葉っぱを乗っけて、姿を消して逃げた狐を追い掛けるなんて、前のブルーでも…。
(サイオン抜きでは、出来やしないぞ?)
使ってみたって無理かもしれん、と可笑しくなる。
狐が姿を消す方法と、サイオンシールドで姿を消すのは、多分、仕組みが違うと思う。
前のブルーが「ハーレイ、狐に時間を盗まれたって?」と探してみたって、見付かるかどうか。
(…狐ってヤツが、ナキネズミみたいに思念波でだな…)
仲間と話をしているのならば、追跡は可能かもしれない。
「人間の時間を盗んじゃったよ!」と得意満面で跳ねる思念を追ったら、その先に…。
(俺の時間を抱えた子狐、見付かるかもな?)
それなら、前のあいつなら…、と取り返すために飛び出してゆきそうな前のブルーを思う。
「見付けたよ! 追い掛けて返して貰って来る!」と、子狐を追って飛んでゆくブルー。
「それはハーレイの時間だから!」と、悪戯小僧に思念で呼び掛けながら。
「返してあげてくれないかな?」と、「返してくれたら、代わりに何かあげるから!」とも。
(…狐にプレゼントするんだったら、油揚げ…)
シャングリラには無かったんだが、とクスクス笑いが込み上げて来る。
「油揚げの無い時代だったら、何を代わりにすればいいんだ?」と厨房を思い返してみて。
悪戯小僧の子狐を捕まえた前のブルーは、何をお礼にするのだろう。
返して貰った「ハーレイの時間」は、しっかり抱えて戻って来るとは思うけれども。
(はてさて、狐にプレゼントなあ…?)
あの船には何があったかな、と食堂のメニューやレシピを挙げてはみても、悩んでしまう。
油揚げの代わりにフライドチキンや、魚のフライでもいいのだろうか。
どれも油で揚げてはあるから、子狐の口にも合うかもしれない。
それとも同じ油で揚げても、ドーナツなどの菓子類の方が…。
(子狐だったら、お好みかもな?)
これもブルーに相談するか、と「狐に時間を盗まれた」話に足すことにした。
きっと愉快な話になるのに違いないから、ブルーの機嫌も直るだろう。
(…とはいえ、今日は失敗なわけで…)
俺らしくもない話だよな、と思いはしても仕方ない。
たまにはこういう日だってあるし、時間が無くなる時も、ひょっこり訪れるもの。
悪戯者の子狐のせいか、はたまたハーレイの「うっかりミス」かは、謎だけれども。
(…そうそう何度もやらかせないし、毎回、毎回、狐のせいにも出来ないし…)
俺が頑張るしかないんだよな、とマグカップを指でカチンと弾く。
「時間が無くても、なんとかするさ」と、この先のことを思い描いて。
今はブルーと別々の家で暮らしているから、時間が無ければ会えないというだけのこと。
ブルーが膨れてしまった時にも、「すまん」と頭を下げればいい。
けれども、これから先となったら、もうそれだけでは済まない時代がやって来る。
まだ十四歳にしかならないブルーが、大きく育って、結婚出来る十八歳になったなら…。
(同じ家で暮らすわけなんだしな?)
そうなったならば、約束する日もあるだろう。
「今日は早めに帰って来るから、何処かで飯を食わないか?」などと。
料理は得意なのだけれども、毎日、家で食べているより、たまには外食するのもいい。
評判の店を予約してもいいし、ドライブがてら見付けた店にふらりと入って食べるのも。
(朝にそういう約束をして、俺が出掛けて行ったなら…)
家に残っているブルーの方は、首を長くして「ハーレイの帰り」を待つだろう。
何度も壁の時計を眺めて、「まだまだだよね?」と思ったりもして。
朝、ハーレイを送り出した後、何度も何度も、今夜の食事を思い描いて、楽しみに待つ。
「ハーレイ、お店を予約するかな?」と、最近、食卓で話題に上った店を幾つも振り返ったり。
(あのお店かな、と予想したのと違っても…)
店など予約していなくても、きっとブルーは怒らない。
ハーレイがちゃんと早めに帰って、「行くぞ」と声を掛けたなら。
「俺はこのままスーツで行くから、すぐに出るぞ」な日もあるだろうし、着替えることも。
ドライブ向きのラフな服を着て、気の向くままに走って行って、何処かの店へ入るような日。
スーツのままなら、予約していたレストランなどになるのだろうか。
(俺さえ、ちゃんと早めに帰って、ブルーを乗せて…)
食事に行ければいいのだけれども、其処で失敗して時間を失くせば、ブルーの方は…。
(待たされた上に、食事なんかには行けなくて…)
「すまん、これから急いで作る!」と慌てて作ったような料理や、買って帰った総菜などで…。
(家で晩飯、ってことになっちまって、期待外れで、ガッカリで…)
それでもブルーは怒るどころか、ハーレイの方を心配しそう。
「大丈夫? 疲れてるなら、晩御飯、ぼくが代わりに作ろうか?」などと言ったりして。
(…そいつはブルーに、うんと悪くて…)
申し訳ないどころではなくて、穴があったら入りたいほど。
そうならないよう、時間が無くても、頑張ってカバーしなければ。
(間に合わないかもな、と思っても…)
頼まれ事や生徒の質問などは無視出来ないから、予定の時間をオーバーした分、頑張るしかない。
移動する時は小走りだとか、昼食は急いで掻き込むだとか。
(時間が無くても、あいつをガッカリさせないためなら…)
そのくらいのことは何でもないさ、と思うけれども、今日の所は、ブルーに勘弁して貰おう。
「すまん、悪戯者の子狐がだな…」と、時間泥棒のせいにして。
頭の上に葉っぱを乗っけた、狐にやられた話をして…。
時間が無くても・了
※ブルー君の家に寄ろうと思っていたのに、寄れずに帰るしかなかったハーレイ先生。
今は謝れば済むのですけど、結婚した後が大問題。時間が無いなら、頑張ってカバーv
こんなつもりじゃなかったのに、とハーレイはフウと溜息をついた。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎でコーヒーの時間。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れて、これからゆっくり味わってゆく。
(…こいつは、失敗しちゃいないんだ…)
淹れるのは慣れたモンだからな、とコーヒーについては自信がある。
時間がある日は豆から挽いて淹れるくらいに、コーヒーが好きで、手間だってかける。
今日も夕食の片付けを済ませて、手際よく準備を始めて淹れた。
書斎に移りたい気分になる頃、ちょうど熱いのが出来上がるように。
(豆から挽くほど、今日は時間が無かったが…)
仕事がある日は当たり前だし、それは失敗には入らない。
確かに時間は無かったけれども、いつものことだし、失敗の内に数えはしない。
(…しかしだな…)
他の所で失敗続きの一日だった、とブルーを想って、申し訳ない気持ちになる。
本当だったら、今日は仕事が終わった後に、ブルーに会える筈だった。
愛車でブルーの家まで走って、窓から見下ろすブルーに大きく手を振って。
(その筈なんだが、いったい何処に消えちまったんだか…)
ブルーの家に寄れる時間は…、と考えるほどに「失敗だった」と思えて来る。
朝、学校に向かう時には、帰りの心づもりをしていた。
仕事が終われば、今日は時間が充分あるから、ブルーの家に寄って帰ろう、と。
(いつも晩飯をご馳走になるし、たまには手土産でも持って…)
出掛けてゆくのもいいモンだしな、と買い物までも予定していたくらい。
新聞と一緒に届いたチラシの中から、目ぼしいものを幾つか眺めた。
食料品店で各地の名産品が売られるようだし、美味しそうな物を探すのもいい。
行きつけのパン屋も、焼き菓子の広告を入れていた。
(焼き菓子だったら日持ちするから、それでもいいし…)
どれにするかな、と少し悩んで、帰りに決めることにした。
学校を出る時、どういう気分になっているかで、手土産を買いに寄る店を選ぶ。
(名産品を見ながら、あれこれ目移りしてゆくコースか、パン屋に行って…)
試食しながら「コレだ」と決めるか、それは帰りの気分次第でいいだろう。
朝から迷って無理に決めるより、直感の方が断然いい。
「こうだ」と決める時には一瞬、その閃きが運を引き寄せる。
悩んで時間を費やすよりも、結果はグンと良くなるものだ、と思えるから。
そんな具合で、時間を上手く使ってゆくのは、ハーレイの得意分野と言える。
だから滅多に失敗しないし、時間が足りなくなることも無い。
ところが今日は…。
(やっちまった、と言うべきか…)
時間が無くなっちまってたんだ、と、また溜息が零れてしまう。
手土産を買ってゆく時間もあるな、と踏んでいたのに、何処で計算が狂ったものか。
学校を出られる時間が来たのは、ブルーの家に寄って帰るには遅すぎる頃になってから。
日もとっぷりと暮れてしまって、余計に情けない気分になった。
「なんてこった」と、「こんな筈ではなかったんだ」と、ブルーに心で謝りながら。
(…一つ一つは、大したことでは…)
まるで無かった筈なんだよな、と時間が何処かに消えてしまった原因を思い返してみる。
ちょっとした用事を頼まれたとか、生徒に呼び止められたとか。
(どれも、ちょっぴり時間があれば、だ…)
簡単に片付くことばかりだし、その時は何とも思わなかった。
後になってから積もり積もって、時間がすっかり消えるだなんて、誰が気付くというのだろう。
(それこそ、俺は神様じゃないし…)
予知能力だって持っていないから、先のことなど分かりはしない。
いつもの「気のいいハーレイ」のままで、あちこちで用を引き受けた。
生徒に質問された時にも、答えたついでに、他の生徒も交えて雑談。
(俺にとっては、ごく当たり前の日常で…)
普段以上にサービスしたとか、熱が入って頑張り過ぎた、ということだって無かった一日。
けれど、仕事が終わった時には、朝、たっぷりとあった時間は消え失せていた。
悪戯小僧の妖精か何かに、知らない間に、ヒョイと盗まれてしまったように。
(まさに狐につままれたよう、ってヤツだよなあ…)
狐に盗まれちまったかな、と尻尾が太くて顔が尖った、悪戯者を思い浮かべる。
山から子狐が降りて来ていて、時間を盗んで行っただろうか。
(そういや、昼間に…)
晴れているのに、ほんの少しだけ、小雨が降った。
いわゆる「狐の嫁入り」だから、嫁入り行列について来ていた、子狐の仕業かもしれない。
人間にちょっぴり悪戯したくて、頭に木の葉をヒョイと乗っけて、近付いて来て…。
(俺の時間を持ってったってか?)
本当にそうかもしれないな、と思えて来るほど、今日は不思議に時間が消えた。
大した用など一つも無いのに、仕事の帰りにブルーの家に寄れなくなってしまったほどに。
(…次にあいつの家に行った時、あいつが膨れちまっていたら…)
狐の話をしてやるとするか、と軽く肩を竦めて、コーヒーのカップを傾ける。
きっとブルーは、今日はすっかりしょげてしまって、溜息をついていただろう。
「今日はハーレイ、来なかったよ…」と、暮れてしまった庭を眺めて、残念そうに。
こういう会えない日が続いたなら、ブルーは機嫌を損ねてしまって、膨れがちになる。
せっかく久しぶりに会えても、プンスカ怒っていたりもする。
「ぼくのこと、忘れていたんでしょ!」と眉を吊り上げることもあるから、そうなったなら…。
(すまん、と最初に謝ってから…)
時間を盗んで行った狐の話を聞かせて、「仕方ないだろ?」と許しを請うのもいいだろう。
悪戯小僧の子狐に時間を盗まれたのなら、どうすることも出来るわけがない。
頭の上に葉っぱを乗っけて、姿を消して逃げた狐を追い掛けるなんて、前のブルーでも…。
(サイオン抜きでは、出来やしないぞ?)
使ってみたって無理かもしれん、と可笑しくなる。
狐が姿を消す方法と、サイオンシールドで姿を消すのは、多分、仕組みが違うと思う。
前のブルーが「ハーレイ、狐に時間を盗まれたって?」と探してみたって、見付かるかどうか。
(…狐ってヤツが、ナキネズミみたいに思念波でだな…)
仲間と話をしているのならば、追跡は可能かもしれない。
「人間の時間を盗んじゃったよ!」と得意満面で跳ねる思念を追ったら、その先に…。
(俺の時間を抱えた子狐、見付かるかもな?)
それなら、前のあいつなら…、と取り返すために飛び出してゆきそうな前のブルーを思う。
「見付けたよ! 追い掛けて返して貰って来る!」と、子狐を追って飛んでゆくブルー。
「それはハーレイの時間だから!」と、悪戯小僧に思念で呼び掛けながら。
「返してあげてくれないかな?」と、「返してくれたら、代わりに何かあげるから!」とも。
(…狐にプレゼントするんだったら、油揚げ…)
シャングリラには無かったんだが、とクスクス笑いが込み上げて来る。
「油揚げの無い時代だったら、何を代わりにすればいいんだ?」と厨房を思い返してみて。
悪戯小僧の子狐を捕まえた前のブルーは、何をお礼にするのだろう。
返して貰った「ハーレイの時間」は、しっかり抱えて戻って来るとは思うけれども。
(はてさて、狐にプレゼントなあ…?)
あの船には何があったかな、と食堂のメニューやレシピを挙げてはみても、悩んでしまう。
油揚げの代わりにフライドチキンや、魚のフライでもいいのだろうか。
どれも油で揚げてはあるから、子狐の口にも合うかもしれない。
それとも同じ油で揚げても、ドーナツなどの菓子類の方が…。
(子狐だったら、お好みかもな?)
これもブルーに相談するか、と「狐に時間を盗まれた」話に足すことにした。
きっと愉快な話になるのに違いないから、ブルーの機嫌も直るだろう。
(…とはいえ、今日は失敗なわけで…)
俺らしくもない話だよな、と思いはしても仕方ない。
たまにはこういう日だってあるし、時間が無くなる時も、ひょっこり訪れるもの。
悪戯者の子狐のせいか、はたまたハーレイの「うっかりミス」かは、謎だけれども。
(…そうそう何度もやらかせないし、毎回、毎回、狐のせいにも出来ないし…)
俺が頑張るしかないんだよな、とマグカップを指でカチンと弾く。
「時間が無くても、なんとかするさ」と、この先のことを思い描いて。
今はブルーと別々の家で暮らしているから、時間が無ければ会えないというだけのこと。
ブルーが膨れてしまった時にも、「すまん」と頭を下げればいい。
けれども、これから先となったら、もうそれだけでは済まない時代がやって来る。
まだ十四歳にしかならないブルーが、大きく育って、結婚出来る十八歳になったなら…。
(同じ家で暮らすわけなんだしな?)
そうなったならば、約束する日もあるだろう。
「今日は早めに帰って来るから、何処かで飯を食わないか?」などと。
料理は得意なのだけれども、毎日、家で食べているより、たまには外食するのもいい。
評判の店を予約してもいいし、ドライブがてら見付けた店にふらりと入って食べるのも。
(朝にそういう約束をして、俺が出掛けて行ったなら…)
家に残っているブルーの方は、首を長くして「ハーレイの帰り」を待つだろう。
何度も壁の時計を眺めて、「まだまだだよね?」と思ったりもして。
朝、ハーレイを送り出した後、何度も何度も、今夜の食事を思い描いて、楽しみに待つ。
「ハーレイ、お店を予約するかな?」と、最近、食卓で話題に上った店を幾つも振り返ったり。
(あのお店かな、と予想したのと違っても…)
店など予約していなくても、きっとブルーは怒らない。
ハーレイがちゃんと早めに帰って、「行くぞ」と声を掛けたなら。
「俺はこのままスーツで行くから、すぐに出るぞ」な日もあるだろうし、着替えることも。
ドライブ向きのラフな服を着て、気の向くままに走って行って、何処かの店へ入るような日。
スーツのままなら、予約していたレストランなどになるのだろうか。
(俺さえ、ちゃんと早めに帰って、ブルーを乗せて…)
食事に行ければいいのだけれども、其処で失敗して時間を失くせば、ブルーの方は…。
(待たされた上に、食事なんかには行けなくて…)
「すまん、これから急いで作る!」と慌てて作ったような料理や、買って帰った総菜などで…。
(家で晩飯、ってことになっちまって、期待外れで、ガッカリで…)
それでもブルーは怒るどころか、ハーレイの方を心配しそう。
「大丈夫? 疲れてるなら、晩御飯、ぼくが代わりに作ろうか?」などと言ったりして。
(…そいつはブルーに、うんと悪くて…)
申し訳ないどころではなくて、穴があったら入りたいほど。
そうならないよう、時間が無くても、頑張ってカバーしなければ。
(間に合わないかもな、と思っても…)
頼まれ事や生徒の質問などは無視出来ないから、予定の時間をオーバーした分、頑張るしかない。
移動する時は小走りだとか、昼食は急いで掻き込むだとか。
(時間が無くても、あいつをガッカリさせないためなら…)
そのくらいのことは何でもないさ、と思うけれども、今日の所は、ブルーに勘弁して貰おう。
「すまん、悪戯者の子狐がだな…」と、時間泥棒のせいにして。
頭の上に葉っぱを乗っけた、狐にやられた話をして…。
時間が無くても・了
※ブルー君の家に寄ろうと思っていたのに、寄れずに帰るしかなかったハーレイ先生。
今は謝れば済むのですけど、結婚した後が大問題。時間が無いなら、頑張ってカバーv
