(あいつ、本当に可愛いんだ…)
チビだけあって、とハーレイは夜の書斎で微笑む。
小さなブルーを思い浮かべて、愛用のマグカップに淹れたコーヒー片手に。
前の自分が失くしてしまった、ソルジャー・ブルー。
誰よりも愛した、気高く美しかった恋人。
いつかは彼の許へゆこうと、其処へ逝くのだと、それだけを思って生きていた自分。
命尽きる日が早く来ないかと、この世での務めが終わらないかと。
ブルーがそれを望んでいたから、言い残したから、追ってゆけずに。
そうして命が終わった時。
死の星だった地球の地の底、崩れ落ちる瓦礫を見上げて思った。
これで逝けると、ブルーの所へ旅立てるのだと、笑みさえ浮かべて。
なのに、どうしたことなのか。
何が起こったのか、自分でも分からないけれど。
奇跡だとしか思えないけれど、終わった後にまた貰った命。
青く蘇った水の星の上、新たな命が続いていた。
それにブルーも帰って来た。
前の生で焦がれた青い地球の上に、ブルーが夢見た青い星の上に。
十四歳にしかならない少年の姿の、愛らしいブルー。
母なる地球に、青い地球の上に生まれ変わって還り着いたブルー。
まだ小さすぎて、幼いから。
心も身体も、見た目そのままに無垢だから。
キスは出来ない、唇へのキスは。
恋人同士のキスはまだ許されはしない、いくらブルーを愛していても。
前の生から愛し続けて、今も同じに愛していても。
小さなブルーはそれが不満で、膨れっ面になるけれど。
それは見事にプウッと膨れて、海に棲むフグかと笑いそうな日もあるけれど。
駄目なものは駄目で、キスを許しはしないから。
自分からも決してキスはしないし、ブルーにもキスは許さないから。
今日もプウッと膨れたブルー。
キスは駄目だと叱られた後に、額をコツンとやられた後に。
前のブルーの膨れっ面など目にしただろうか、前の自分は?
小さなブルーと同じくらいだった背丈の、出会ったばかりの頃のブルーは膨れたろうか?
多分、膨れてなどいない。
そんな余裕は無かったから。
メギドの炎で燃えるアルタミラを後にした船、その船の中で生きてゆかねばならなかったから。
少し余裕が出て来た頃には、愉快な日々もあったけれども。
笑い合ったりしたものだけれど、膨れられるほどの余裕は無かった。
いくら不満でも、プウッと膨れていられる船では無かったから。
そもそも、不満を言える船では無かったから。
(…言ってたヤツらはいたんだけどな?)
人が集まれば衝突もあるし、不満も出てくる。
遠慮なく口にする者もいれば、口よりも先に手だという者も。
けれどブルーはそれとは無縁で、プウッと膨れることすらも無くて。
(どっちかと言えば、笑ってたよな?)
今が幸せだと、この船で暮らす日々が好きだと。
アルタミラにいた頃よりもずっと幸せで、このシャングリラが好きなのだと。
そうして笑っていたブルー。
膨れっ面ではなかったブルー。
今でも覚えている笑顔。前のブルーの、幾つもの笑顔。
けれど、その中に今のブルーと重なる笑顔は、いったい幾つあるだろう?
小さなブルーの笑顔そっくりの笑顔は幾つあるのだろう?
一つ、二つと数えてゆく。
遠い記憶の彼方の笑顔を、今のブルーと変わらない姿だった頃のブルーの笑顔を。
幸せだから、と笑っていた。
嬉しいからとも、楽しいからとも。
可笑しいと笑い転げていた時もあった、なんて傑作なのだろうと。
幾つも思い出せるけど。
前のブルーが見せた笑顔は、幾つも幾つもあるのだけれど。
(…まるで足りんな)
今のブルーには及ばないな、と零れた笑み。
笑顔の数では断然今だと、今の方がずっと数が多いと。
もちろん笑った回数ではない、自分が眺めた笑顔の種類。
それがずっと多い、今のブルーは。
同じ姿でも、前のブルーよりも、遥かに、ずっと。
プウッと膨れてしまった時にも、フニャリと笑んでしまったりする。
膨れっ面が緩んで微笑んだりする、幸せそうに。
(右手を温めてやったら、確実なんだ)
反則技だとは承知だけれども、ブルーの右の手。
前の生の最後に凍えた右の手、それを握って温めてやるとブルーは弱い。
まるで赤ん坊をあやすかのように、ほどけてしまう膨れっ面。
フニャリと崩れて笑顔へと変わる、それは幸せそうな笑顔に。
あれが最たるものだろうか、とクスリと笑った、前のブルーがしていない笑顔。
一度も見せてはいなかった笑顔。
膨れっ面から笑顔に変わることなど、ただの一度も無かったのだから。
してはいなかった膨れっ面。
頬っぺたをプウッと膨らませたりはしなかったブルー。
それではそれが緩むわけもない、膨れっ面をしていないのだから。
元からブルーは笑顔だったし、プウッと膨れはしなかったから。
他にも幾つも、幾つも、笑顔。
今のブルーにしか出来ない笑顔。
両親に愛され、幸せ一杯に育ったからこそ弾ける笑顔。
子供っぽい笑顔も、悪戯っぽく瞳を煌めかせる時の笑顔も。
「キスしてもいいよ?」と一人前の恋人気取りで誘う時の顔も、やっぱり笑顔。
きっとブルーは甘く艶やかな笑みのつもりだろうけれど。
前の自分と同じ表情のつもりで誘っているのだろうけれど、子供は子供。
背伸びした顔にしか見えはしなくて、無駄な努力が笑いを誘う。
「チビのくせに」と、「まだ懲りないか」と。
本当に幾つあるのだろう。
自分は幾つ見て来たのだろう、今のブルーの笑顔なるものを。
同じくらいの姿だった頃の前のブルーがしなかった笑顔、それを幾つ見たと言うのだろう?
一つ、二つと指を折ってゆく、「これは知らない」と。
「この笑顔は前は見ていなかった」と、「前の俺は一度も見てはいない」と。
一番最初に指を折ったのは、もちろん崩れる膨れっ面。
プウッと膨らんだ頬がフニャリとへこんで緩んでゆく時の、あの笑顔。
それを「一つ」と数えたけれども、そこまでは自信を持てるのだけれど。
(さて…?)
膨れっ面が緩む時。
小さなブルーがプウッと膨れたフグの顔から、笑顔へ変わってゆく時の顔。
それだけで幾つあるのだろうか、と両の手を見詰めて考える。
一つ、二つと折っていった指、それはとっくに十を超えていて。
両方の手は拳になってしまって、「十一個目」と立てた右手の指。
まだまだ足りない、笑顔の数は。
膨れっ面から笑顔へと変わる、それだけで十ではとても足りない。
あまりにも数が多いから。
渋々笑顔に変わる時やら、素直にふわりと笑む時やら。
幾つあるのか、笑顔の数は。
今のブルーの笑顔の数は。
拳の形になってしまった両手を眺めて、「十二」と指を立ててみて。
二本目の指は立てたけれども、まだ足りない。
前の自分が知らなかった、小さなブルーの笑顔。
今のブルーと全く同じに小さかった頃のブルーの笑顔。
思い出せるそれと重ならない顔、それがあまりに多すぎるから。
膨れっ面から笑顔に変わる時のものだけでも、十二を超えてゆきそうだから。
十二どころか、十五も、二十も。
拳の形に握った両手をまた開いても、まだ足りるとは思えないから。
(うーむ…)
お手上げだな、と肩を竦めた、「降参だ」と。
今のブルーの笑顔をとても数え切れはしないと、知らなかった笑顔が多すぎると。
顔立ちは少しも変わりはしなくて、出会った頃のブルーそのままなのに。
そういうブルーは知っていたのに、まるで知らないブルーの笑顔。
膨れっ面のブルーも知らなかったけれど、それが緩んだ笑顔も知らない。
前の自分は目にしてはいない、ただの一度も。
いったい本当に幾つあるのか、今のブルーの笑顔の数は。
前のブルーがしていない笑顔、それをどれほど持っているのか、今のブルーは。
(…きっと、幸せの数だけだな)
今のあいつの幸せの数だけ笑顔もあるな、と拳を見詰めた、このくらいでは足りないと。
両手と両足の指を使っても、足りない、足りるわけがない。
小さなブルーの笑顔の数。
幸せの数だけ、持っているだろう笑顔の数。
そう思ったら、もうお手上げでも仕方ない。とても数え切れるわけがない。
今の小さなブルーの幸せ、それを量れはしないから。
量り切れるような量ではないから、きっとこれからも幾つも増える。
前の自分が知らなかった笑顔。
今のブルーだから見せてくれる笑顔、愛らしい笑顔のコレクションが…。
ブルーの笑顔・了
※前のブルーが少年だった頃にはしなかった笑顔、笑っていても今より少なかった笑顔。
ハーレイ先生のコレクション、まだまだ増えそうです。ブルー君が育った後にも、きっとv