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もう一人いれば

(これはこれで悪くないんだが…)
 こういう時間も好きなんだが、と呟いてしまった夜のダイニング。
 今夜は少し豪華にステーキ、分厚い肉を焼いてみた。
 熱々のままで楽しみたいから、皿ではなくて保温できる鉄板つきの木のプレート。
 ジュウジュウと音を立てているそれを、テーブルに運んで来たけれど。
 スープやサラダも用意したから、大満足の夕食だけれど。


 ナイフとフォークでステーキを切って、火傷しそうなのを口に含んで。
 溢れる肉汁と柔らかな肉を頬張るけれども、ついつい目がいく向かい側。
 テーブルの向こう、其処にも椅子。
 誰も座っていない椅子がある、当然と言えば当然だけれど。
 一人暮らしの夕食なのだし、誰もいるわけがないのだけれど。
(…なんだかなあ…)
 あそこにもう一人いてくれたらな、と心を掠めてゆく思い。
 せっかく美味しい肉を焼いたのに、豪華にステーキの夕食なのに、と。


 一人暮らしは嫌いではない、苦手と思ったこともない。
 この家で一人で暮らし始めて、気ままな日々が気に入っていた。
 自分しかいない家で一人の食事で、思い立ったら好きに出来る食事。
 今日のように豪華にやってみるのも、家にあるものを工夫して作ってみるのも。
 食べる時間も全くの自由、ゆっくり食べようが、かき込んでいようが、それも自由で。
 少し行儀が悪いけれども、新聞を広げて読みながらの食事も思いのままで。
 そういう食卓、それが気に入り。
 俺の自由だと、今日はこうだと好きに振舞って来たのだけれど。


 ふとしたはずみに心を掠める、「もう一人いてくれれば」と。
 前は思いもしなかったことが、笑って済ませていたことが。
(嫁さんがいたらいいな、と思ったことはあるんだが…)
 子供部屋までがある、自分の家。
 この町で教師になった時から住んでいる家、隣町に住む父が買ってくれた家だけれども。
 最初から子供部屋までがあった、直ぐに要るようになるだろうから、と。
 今は一人でも、結婚すれば子供も生まれるのだし、と。
 そんな家だから、たまに思った、「嫁さんがいれば」と、いてくれればと。
 けれども即座に笑い飛ばした、嫁さんのアテがまるで無いと。


 どういうわけだか、思い描けなかった未来の花嫁。
 「嫁さんがいれば」と考えはしても、具体的には浮かばなかった。
 丸顔がいいか、面長がいいか、そんな基本のことさえも。
 スラリと背の高い人がいいのか、小柄な人がいいのかさえも。
 つまりは無かった理想のタイプ。
 かと言って誰でもいいわけがなくて、「御縁があればな」と考えた程度。
 いつか縁があれば結婚だろうと、それまでは嫁さんのアテなどは無いと。
 積極的に探しもしなくて、友人たちに頼みもしなくて、そのままで過ぎていった日々。
 「人生は長いし、今から焦らなくてもな?」と。
 一人暮らしも気に入っていたし、気ままな日々を謳歌しようと。


 ところが事情が変わってしまった、五月の三日に一変した。
 突然に空から降って来た恋人、前の生から誰よりも愛し続けたブルー。
 その恋人が不意に現れた、本当に空から降って来たわけではないけれど。
 学校の教室でバッタリ出会って、それが再会だったのだけれど。
 とにもかくにも現れた恋人、戻って来てくれた愛しいブルー。
 本当だったら連れて帰って、この家で共に暮らすのだけれど。
 二人での暮らしを直ぐにでも始めたいのだけれども、ブルーは子供で。
 十四歳にしかならない子供で、自分の教え子。
 これではどうにもなりはしないし、家に連れては帰れないままで…。


(あいつが座れる場所は幾らでもあるんだが…)
 このテーブルに、と見回してみる。
 椅子は自分の向かい側にも、斜め前にも、隣にもある。
 どれも揃いのデザインの椅子で、ブルーが来たなら、どれに座ってもかまわない。
 実際、座っていたこともあった、たったの二回だけだったけれど。
 小さなブルーが遊びに来た日と、眠っている間に瞬間移動で来てしまった日と。
 その時、ブルーは向かい側に座った、それは嬉しそうに。
 此処が自分の居場所なのだと、笑顔でチョコンと。


 だから、ついつい向かい側の椅子を見てしまう。
 そこにブルーの姿を求める、「ここにもう一人いてくれれば」と。
 向かい側でなくても、斜め前でも、隣の椅子でも、ブルーがいれば、と。
 もう一人いれば、きっと楽しい。
 同じ夕食でも遥かに楽しい、二人、あれこれと話をして。
 うんと豪華な夕食だろうが、家にあるもので作った料理が並んでいようが。


 あれが美味しい、これが美味しいと語り合ったり、二人、微笑み交わしたり。
 サラダにかけるドレッシングの瓶を二人で譲り合ったり、手渡したり。
 そういったことが出来る相手がいるだけで違う、きっと本当に素敵になる。
 夕食のテーブルがきっと華やぐ、ブルーが向かいにいてくれるだけで。
 一緒にテーブルに着いてくれるだけで、一緒に夕食を食べてくれるだけで。
 もう一人、此処にいてくれるだけで。


 まだまだ当分は叶わない夢、来てくれはしない小さなブルー。
 二人で暮らすことは出来なくて、向かい側の椅子は空っぽのままで。
 それは分かっているけれど。
 充分に理解しているけれども、こうしてたまに考えてしまう。
 「もう一人いれば」と、「ブルーがいれば」と。
 向かい側の椅子にもう一人、と。


(はてさて、こういうステーキだったら…)
 ブルーのためにと焼いてやる分は、どんなステーキになるだろう。
 きっと沢山は食べられないブルー、肉はこれよりもずっと小さめ。
 「分厚すぎるよ!」と言われそうだけれど、ステーキは分厚いのが美味しいから。
 分厚いステーキ肉を小さめに切って、ブルーが食べ切れそうな分だけ。
 冷めないように鉄板つきのプレートに乗せて、ジュウジュウと音を立てるのを二人で。


 考え始めると、向かい側にブルーがいるような気になる、二人で座っているような。
 ブルーと二人の夕食のような、そんな気分にもなってくる。
 今はまだ夢に過ぎないことでも、きっといつかは叶うのだから。
 ブルーと二人で食べる夕食、それが当たり前になるのだから。
 夢のブルーと二人で食べよう、今日のところは。
 「豪華にステーキといこうじゃないか」と、「美味いんだぞ」と。


 きっといつかは本当になる。
 「こんなに沢山、食べ切れないよ!」と叫ぶブルーと二人の夕食。
 分厚いステーキ肉を二人で、ブルーの分のステーキは小さめで、向かい合わせで…。

 

        もう一人いれば・了


※ブルー君がいてくれればいいな、と夢見てしまうハーレイ先生。
 気ままな一人暮らしもいいんでしょうけど、やっぱり二人がいいですよねv





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