(ちっとも伸びてくれないんだけど…)
ホントに少しも伸びないんだけど、と呟いたブルー。
お風呂上がりにパジャマ姿で、クローゼットのすぐ側に立って。
見上げた所に微かな印。
何も知らない人が見たなら気付かないだろう、鉛筆で引かれた薄い線。
両親は全く知りもしなくて、其処に印があろうなどとは夢にも思いはしないのだけれど。
気付かれないように引いた線だけれども、ブルーにとっては重要なもので。
床から測って、百七十センチの所にある印。
小さなブルーの頭の天辺、そこから二十センチも上に書かれた印。
たったの百五十センチしか無い今の背丈では、二十センチは僅かとはとても言えないもの。
百五十センチと百七十センチの間を隔てる、それは高い壁。
そこに印をつけた時には、高い壁でも乗り越えられる筈だったのに。
少しずつでも日進月歩で、壁を越えられる筈だったのに。
まるで縮まない、二十センチという長さ。
自分の頭と、クローゼットにつけた印の間の距離。
小さなブルーには高い高い壁、越えられるという望みも潰えてしまいそうになる。
こうして印を見上げてみる度、印までの高さを確かめる度に。
(…一ミリも伸びてくれないだなんて…)
酷すぎるよ、と頭の高さと印の高さを比べて溜息、もう幾つ目かも分からない。
今夜だけでも五つか六つはついたろうと思う、大きくて深い溜息を。
それまでの分を足していったら、きっと百では済まないと思う。
一日に五つ溜息をつけば、たったの二十日で百になるから。
クローゼットの印を見上げて溜息を幾つも零していた日は、二十日よりもっと多いのだから。
青い地球の上に生まれ変わる前、メギドで生を終えた時。
自分の背丈は今より高くて、手足もスラリと長かった。
顔立ちだって大人の顔立ち、今の小さな自分の顔とはまるで違ったソルジャー・ブルー。
赤い瞳と銀色の髪は同じだけれども、その他が違う。
まだ幼くて丸みの残った十四歳の子供の顔と、前の自分の大人の輪郭。
キュッと唇を結んでみたって、凛とした表情を作ってみたって、前の自分の顔にはならない。
鏡を覗いてどう頑張っても子供は子供の顔でしかない。
いつもハーレイが言う通りに「チビ」、そんな顔にしかなってはくれない。
前の自分と同じ背丈に育てば全ては変わるのだろう。
ハーレイはキスを許してくれるし、キスのその先のことだって、きっと。
前の自分と同じに育てば、そっくり同じ姿になれば。
だからクローゼットに目標を書いた、床からきちんと高さを測って。
ここまで育てば前の自分だと、前の自分の背丈はこれだけ、と。
それが床から百七十センチ、鉛筆で印をつけた時には縮まる予定だった距離。
今の自分の背がぐんぐんと伸びて、二十センチの差が十センチに縮んで、いずれはゼロに。
十四歳の自分は育ち盛りで、きっと伸び盛り。
そうだと思った、自分くらいの年の頃には一番伸びると聞いたから。
「夏休みの間にグンと伸びるぜ」などと目標を語るクラスメイトも多かったから。
草木が大きく育つのが夏、子供も例外ではなくて。
下の学校に通っていた頃にも、背が伸びる時期は圧倒的に夏。
ブルー自身の感覚でもそうで、春から夏にかけての季節が育つ時期。
寒い冬にはあまり育たない、葉を落としてしまう木々と同じで。
冬の間にエネルギーを溜めて伸びてゆくのが春から夏だと、そういうものだと思っていた。
今年の夏もきっとそうだと、大きくなれると。
育ち盛りで伸び盛りな分、今までの夏より大きく育つに違いないと。
なのに全く伸びなかった背丈、終わってしまった夏休み。
ほんの一ミリも背丈は伸びずに、一ミリさえも伸びてはくれずに。
(…なんで?)
夏という季節が、背が伸びてくれる筈の季節が来たというのに、まるで反映されなかった背丈。
伸びる季節など無かったかのように、変わらないままの自分の背丈。
クローゼットにつけた印は前と同じに見上げねばならず、少しも近付いてくれなくて。
ただの一ミリも差は縮まなくて、背丈は百五十センチのままで。
(…こんなことって…)
あんまりだと思う、自分は努力をしているのに。
背丈を伸ばそうとミルクを毎朝欠かさずに飲んで、結果が出るのを待っているのに。
「ミルクで背が伸びた」という話は幾つも聞いたし、両親だってミルクを勧める。
ミルクを飲めば背が伸びるからと、骨も丈夫になるのだからと。
そう言われずとも、今なら進んでいくらでも飲む、背丈を伸ばしたいのだから。
前の自分と同じ背丈に、クローゼットに書いた印と同じ高さになるように。
けれど背丈は伸びてくれなくて、二十センチの差は縮まらない。
前の自分と今の自分の間を隔てる高い高い壁、それが少しも低くならない。
乗り越えたくても越えられない壁、越えられる日さえ見えもしない壁。
どうにもこうにもなりはしなくて、溜息を零すしかなくて。
(…ミルクは絶対、効く筈なのに…)
それとも自分には合わないのだろうか、ミルクの効き目が出ないのだろうか?
誰に尋ねても「ミルクを飲んだら背が伸びる」という答えが返ってくるけれど。
世間の常識というものだけれど、ミルクは効かないのだろうか?
そうは思っても、ミルク以外の方法を思い付かないから。
学校で「しっかり栄養を摂りましょう」という話が出る時もミルクが定番なのだから。
(…ぼくの背、伸びなくても何も言われないし…)
病院で検査を受けるべきだとも、栄養相談に来るようにとも学校からは言われない。
何の問題も無いという証拠、誰も心配していない証拠。
背が伸びなくても、それも自分の個性の一つ。
心に見合った成長のためで、今はまだ伸びる時期が来ていないのだと周りの大人は考える。
学校の先生たちはもちろん、かかりつけの医師も、それに両親も。
誰も指導をしてくれないなら、治療などもしてくれないのなら。
頼りになるのはミルクしか無くて、それでいつかは伸びてくれると思うしかなくて。
(ホントに毎朝、飲んでるのに…)
具合が悪くて食欲の無い日も、ミルクが喉を通るようなら。
喉を通ってくれるようなら、食事は出来ずともミルクだけは飲む。
きっと背丈を伸ばしてくれると、今日は駄目でも明日にはきっと、と。
こんなに頑張って飲んでいるのに、効かないミルク。
他の子供なら背が伸びる筈の、頼もしい飲み物がミルクなのに。
きちんと毎朝飲んでいるのに、効果が現れないミルク。
(…本当に効くの?)
効く筈だけれど、効いたという話も幾つも聞いているけれど…。
ただの一ミリも伸びてくれない背丈はそのまま、夏休みも終わってしまったから。
後は背が伸びにくい季節へ向かうだけだから、またも零してしまう溜息。
どうして背丈が伸びないのだろうと、ぼくにはミルクが効かないのだろうと。
(だけど、他には…)
思い付かない、背を伸ばすための方法なるもの。
ミルクの代わりにこれを、といった話は聞かない、耳寄りな噂も、背を伸ばす秘訣も。
大きくなりたいと願っているのに、何度も何度もクローゼットを見上げるのに。
床から百七十センチの高さにつけた印に届かないかと、まだ駄目なのかと。
仕方ないから、ミルクを飲もうと今日も決意する、背丈のために。
前の自分と同じ背丈に育ちたいから、少しでも早く背を伸ばしたいから…。
ぼくの背丈・了
※背が一ミリも伸びてくれないことが悩みのブルー君。努力はしているようですが…。
毎朝、せっせと飲んでいるミルク。骨が丈夫になりそうですよねv