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(今日は失敗しちまったよなあ…)
 こんなつもりじゃなかったのに、とハーレイはフウと溜息をついた。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎でコーヒーの時間。
 愛用のマグカップにたっぷりと淹れて、これからゆっくり味わってゆく。
(…こいつは、失敗しちゃいないんだ…)
 淹れるのは慣れたモンだからな、とコーヒーについては自信がある。
 時間がある日は豆から挽いて淹れるくらいに、コーヒーが好きで、手間だってかける。
 今日も夕食の片付けを済ませて、手際よく準備を始めて淹れた。
 書斎に移りたい気分になる頃、ちょうど熱いのが出来上がるように。
(豆から挽くほど、今日は時間が無かったが…)
 仕事がある日は当たり前だし、それは失敗には入らない。
 確かに時間は無かったけれども、いつものことだし、失敗の内に数えはしない。
(…しかしだな…)
 他の所で失敗続きの一日だった、とブルーを想って、申し訳ない気持ちになる。
 本当だったら、今日は仕事が終わった後に、ブルーに会える筈だった。
 愛車でブルーの家まで走って、窓から見下ろすブルーに大きく手を振って。
(その筈なんだが、いったい何処に消えちまったんだか…)
 ブルーの家に寄れる時間は…、と考えるほどに「失敗だった」と思えて来る。
 朝、学校に向かう時には、帰りの心づもりをしていた。
 仕事が終われば、今日は時間が充分あるから、ブルーの家に寄って帰ろう、と。
(いつも晩飯をご馳走になるし、たまには手土産でも持って…)
 出掛けてゆくのもいいモンだしな、と買い物までも予定していたくらい。
 新聞と一緒に届いたチラシの中から、目ぼしいものを幾つか眺めた。
 食料品店で各地の名産品が売られるようだし、美味しそうな物を探すのもいい。
 行きつけのパン屋も、焼き菓子の広告を入れていた。
(焼き菓子だったら日持ちするから、それでもいいし…)
 どれにするかな、と少し悩んで、帰りに決めることにした。
 学校を出る時、どういう気分になっているかで、手土産を買いに寄る店を選ぶ。
(名産品を見ながら、あれこれ目移りしてゆくコースか、パン屋に行って…)
 試食しながら「コレだ」と決めるか、それは帰りの気分次第でいいだろう。
 朝から迷って無理に決めるより、直感の方が断然いい。
 「こうだ」と決める時には一瞬、その閃きが運を引き寄せる。
 悩んで時間を費やすよりも、結果はグンと良くなるものだ、と思えるから。


 そんな具合で、時間を上手く使ってゆくのは、ハーレイの得意分野と言える。
 だから滅多に失敗しないし、時間が足りなくなることも無い。
 ところが今日は…。
(やっちまった、と言うべきか…)
 時間が無くなっちまってたんだ、と、また溜息が零れてしまう。
 手土産を買ってゆく時間もあるな、と踏んでいたのに、何処で計算が狂ったものか。
 学校を出られる時間が来たのは、ブルーの家に寄って帰るには遅すぎる頃になってから。
 日もとっぷりと暮れてしまって、余計に情けない気分になった。
 「なんてこった」と、「こんな筈ではなかったんだ」と、ブルーに心で謝りながら。
(…一つ一つは、大したことでは…)
 まるで無かった筈なんだよな、と時間が何処かに消えてしまった原因を思い返してみる。
 ちょっとした用事を頼まれたとか、生徒に呼び止められたとか。
(どれも、ちょっぴり時間があれば、だ…)
 簡単に片付くことばかりだし、その時は何とも思わなかった。
 後になってから積もり積もって、時間がすっかり消えるだなんて、誰が気付くというのだろう。
(それこそ、俺は神様じゃないし…)
 予知能力だって持っていないから、先のことなど分かりはしない。
 いつもの「気のいいハーレイ」のままで、あちこちで用を引き受けた。
 生徒に質問された時にも、答えたついでに、他の生徒も交えて雑談。
(俺にとっては、ごく当たり前の日常で…)
 普段以上にサービスしたとか、熱が入って頑張り過ぎた、ということだって無かった一日。
 けれど、仕事が終わった時には、朝、たっぷりとあった時間は消え失せていた。
 悪戯小僧の妖精か何かに、知らない間に、ヒョイと盗まれてしまったように。
(まさに狐につままれたよう、ってヤツだよなあ…)
 狐に盗まれちまったかな、と尻尾が太くて顔が尖った、悪戯者を思い浮かべる。
 山から子狐が降りて来ていて、時間を盗んで行っただろうか。
(そういや、昼間に…)
 晴れているのに、ほんの少しだけ、小雨が降った。
 いわゆる「狐の嫁入り」だから、嫁入り行列について来ていた、子狐の仕業かもしれない。
 人間にちょっぴり悪戯したくて、頭に木の葉をヒョイと乗っけて、近付いて来て…。
(俺の時間を持ってったってか?)
 本当にそうかもしれないな、と思えて来るほど、今日は不思議に時間が消えた。
 大した用など一つも無いのに、仕事の帰りにブルーの家に寄れなくなってしまったほどに。


(…次にあいつの家に行った時、あいつが膨れちまっていたら…)
 狐の話をしてやるとするか、と軽く肩を竦めて、コーヒーのカップを傾ける。
 きっとブルーは、今日はすっかりしょげてしまって、溜息をついていただろう。
 「今日はハーレイ、来なかったよ…」と、暮れてしまった庭を眺めて、残念そうに。
 こういう会えない日が続いたなら、ブルーは機嫌を損ねてしまって、膨れがちになる。
 せっかく久しぶりに会えても、プンスカ怒っていたりもする。
 「ぼくのこと、忘れていたんでしょ!」と眉を吊り上げることもあるから、そうなったなら…。
(すまん、と最初に謝ってから…)
 時間を盗んで行った狐の話を聞かせて、「仕方ないだろ?」と許しを請うのもいいだろう。
 悪戯小僧の子狐に時間を盗まれたのなら、どうすることも出来るわけがない。
 頭の上に葉っぱを乗っけて、姿を消して逃げた狐を追い掛けるなんて、前のブルーでも…。
(サイオン抜きでは、出来やしないぞ?)
 使ってみたって無理かもしれん、と可笑しくなる。
 狐が姿を消す方法と、サイオンシールドで姿を消すのは、多分、仕組みが違うと思う。
 前のブルーが「ハーレイ、狐に時間を盗まれたって?」と探してみたって、見付かるかどうか。
(…狐ってヤツが、ナキネズミみたいに思念波でだな…)
 仲間と話をしているのならば、追跡は可能かもしれない。
 「人間の時間を盗んじゃったよ!」と得意満面で跳ねる思念を追ったら、その先に…。
(俺の時間を抱えた子狐、見付かるかもな?)
 それなら、前のあいつなら…、と取り返すために飛び出してゆきそうな前のブルーを思う。
 「見付けたよ! 追い掛けて返して貰って来る!」と、子狐を追って飛んでゆくブルー。
 「それはハーレイの時間だから!」と、悪戯小僧に思念で呼び掛けながら。
 「返してあげてくれないかな?」と、「返してくれたら、代わりに何かあげるから!」とも。
(…狐にプレゼントするんだったら、油揚げ…)
 シャングリラには無かったんだが、とクスクス笑いが込み上げて来る。
 「油揚げの無い時代だったら、何を代わりにすればいいんだ?」と厨房を思い返してみて。
 悪戯小僧の子狐を捕まえた前のブルーは、何をお礼にするのだろう。
 返して貰った「ハーレイの時間」は、しっかり抱えて戻って来るとは思うけれども。
(はてさて、狐にプレゼントなあ…?)
 あの船には何があったかな、と食堂のメニューやレシピを挙げてはみても、悩んでしまう。
 油揚げの代わりにフライドチキンや、魚のフライでもいいのだろうか。
 どれも油で揚げてはあるから、子狐の口にも合うかもしれない。
 それとも同じ油で揚げても、ドーナツなどの菓子類の方が…。
(子狐だったら、お好みかもな?)
 これもブルーに相談するか、と「狐に時間を盗まれた」話に足すことにした。
 きっと愉快な話になるのに違いないから、ブルーの機嫌も直るだろう。


(…とはいえ、今日は失敗なわけで…)
 俺らしくもない話だよな、と思いはしても仕方ない。
 たまにはこういう日だってあるし、時間が無くなる時も、ひょっこり訪れるもの。
 悪戯者の子狐のせいか、はたまたハーレイの「うっかりミス」かは、謎だけれども。
(…そうそう何度もやらかせないし、毎回、毎回、狐のせいにも出来ないし…)
 俺が頑張るしかないんだよな、とマグカップを指でカチンと弾く。
 「時間が無くても、なんとかするさ」と、この先のことを思い描いて。
 今はブルーと別々の家で暮らしているから、時間が無ければ会えないというだけのこと。
 ブルーが膨れてしまった時にも、「すまん」と頭を下げればいい。
 けれども、これから先となったら、もうそれだけでは済まない時代がやって来る。
 まだ十四歳にしかならないブルーが、大きく育って、結婚出来る十八歳になったなら…。
(同じ家で暮らすわけなんだしな?)
 そうなったならば、約束する日もあるだろう。
 「今日は早めに帰って来るから、何処かで飯を食わないか?」などと。
 料理は得意なのだけれども、毎日、家で食べているより、たまには外食するのもいい。
 評判の店を予約してもいいし、ドライブがてら見付けた店にふらりと入って食べるのも。
(朝にそういう約束をして、俺が出掛けて行ったなら…)
 家に残っているブルーの方は、首を長くして「ハーレイの帰り」を待つだろう。
 何度も壁の時計を眺めて、「まだまだだよね?」と思ったりもして。
 朝、ハーレイを送り出した後、何度も何度も、今夜の食事を思い描いて、楽しみに待つ。
 「ハーレイ、お店を予約するかな?」と、最近、食卓で話題に上った店を幾つも振り返ったり。
(あのお店かな、と予想したのと違っても…)
 店など予約していなくても、きっとブルーは怒らない。
 ハーレイがちゃんと早めに帰って、「行くぞ」と声を掛けたなら。
 「俺はこのままスーツで行くから、すぐに出るぞ」な日もあるだろうし、着替えることも。
 ドライブ向きのラフな服を着て、気の向くままに走って行って、何処かの店へ入るような日。
 スーツのままなら、予約していたレストランなどになるのだろうか。
(俺さえ、ちゃんと早めに帰って、ブルーを乗せて…)
 食事に行ければいいのだけれども、其処で失敗して時間を失くせば、ブルーの方は…。
(待たされた上に、食事なんかには行けなくて…)
 「すまん、これから急いで作る!」と慌てて作ったような料理や、買って帰った総菜などで…。
(家で晩飯、ってことになっちまって、期待外れで、ガッカリで…)
 それでもブルーは怒るどころか、ハーレイの方を心配しそう。
 「大丈夫? 疲れてるなら、晩御飯、ぼくが代わりに作ろうか?」などと言ったりして。


(…そいつはブルーに、うんと悪くて…)
 申し訳ないどころではなくて、穴があったら入りたいほど。
 そうならないよう、時間が無くても、頑張ってカバーしなければ。
(間に合わないかもな、と思っても…)
 頼まれ事や生徒の質問などは無視出来ないから、予定の時間をオーバーした分、頑張るしかない。
 移動する時は小走りだとか、昼食は急いで掻き込むだとか。
(時間が無くても、あいつをガッカリさせないためなら…)
 そのくらいのことは何でもないさ、と思うけれども、今日の所は、ブルーに勘弁して貰おう。
 「すまん、悪戯者の子狐がだな…」と、時間泥棒のせいにして。
 頭の上に葉っぱを乗っけた、狐にやられた話をして…。



            時間が無くても・了


※ブルー君の家に寄ろうと思っていたのに、寄れずに帰るしかなかったハーレイ先生。
 今は謝れば済むのですけど、結婚した後が大問題。時間が無いなら、頑張ってカバーv











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「ねえ、ハーレイ。思いやりって…」
 大切だよね、と小さなブルーが投げ掛けた問い。
 二人きりで過ごす休日の午後に、突然に。
 お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ? 思いやりって…」
 急にどうした、とハーレイは首を傾げてブルーを見詰めた。
 質問の意図は謎だけれども、思いやりというものならば…。
(こいつは充分、持ち合わせている筈だよな…?)
 前のあいつには負けるかもだが、と考えてしまう。
 遠く遥かな時の彼方で、ひたすらに人を思いやったブルー。
 自分のことなど後回しにして、全て、他人を優先だった。
(いつも仲間のことを思って、思いやって生きて…)
 最後にはとうとう、命までをも捨ててしまった。
 自分の命さえ投げ出したならば、白い箱舟を守れるから。
 シャングリラをナスカから、無事に何処かへ逃がせるから。
(…前の俺たちは、そうやって…)
 ブルーの「最後の思いやり」に救われ、地球を目指した。
 そうやって今の平和が生まれて、地球も青く蘇った。
(とはいえ、前のあいつは戻らないままで…)
 青い地球の上に生まれて来るまで、報われないまま。
 もしかしたなら、天国で報われたのかもしれないけれど。


 そんな風に生きた前のブルーと、今の小さなブルーは違う。
 今のブルーは幸せ一杯、時には我儘だって言う。
(しかしだな…)
 思いやりに欠けているなどと、一度も思ったことはない。
 まだまだチビの子供だけれども、人を思いやる心は充分。
(お父さんたちが心配するだろうから、と…)
 具合が悪いのを隠そうとしたり、無理をしてみたり。
 結局、体調を崩してしまって、寝込んだ時にも同じこと。
(大丈夫だよ、って…)
 自分のことは一人で出来る、と頑張ろうとする。
 ベッドから降りた途端に倒れそうでも、踏ん張って。
 パジャマの着替えが大変だろうが、母を呼びはしないで。
(…たまに途中で、ダウンしちまうみたいだが…)
 着替えられずに床に倒れて、そのままな日もあるらしい。
 もっとも、両親の方も、それは承知で、注意している。
 「ブルーがベッドで、寝ているかどうか」を、見に訪れる。
 水を運んだり、上掛けを直しに来たりと、口実をつけて。
(それもまた、思いやりってヤツだよなあ…)
 両親と互いに、とハーレイは一人で頷く。
 その両親が育てた今のブルーも、人を思いやれる子に育つ。
 優しい両親の心をそのまま、たっぷり受け継ぐから。


(…つまりは、思いやりは充分なわけで…)
 わざわざ俺に聞くまでもない、と考えて、ハタと気付いた。
 ブルーが言う「大切だよね」は、他の人間かもしれない。
(…こいつにとっては当然のことを、まるで無視して…)
 思いやりに欠けた誰かがいるとか、そういったケース。
 それも、ブルーの身近な所に。
(…友達の中に、そういったヤツが…)
 いるんだろうか、と顎に手を当て、「そうかもな」と思う。
 貸した本を返すのが遅いとか、約束を忘れがちだとか。
(…有り得るぞ…)
 きっとソレだ、という気がするから、ブルーに尋ねた。
「おい。もしかして、思いやりに欠けた誰かがだな…」
 お前の近くにいたりするのか、とブルーの瞳を覗き込んで。
 するとブルーは、「うん」と即座に、首を縦に振った。
「だから、ちょっぴり困ってて…」
 なのに気付いてくれないんだよ、と小さなブルーは困り顔。
 「注意するより、自分で気付いて欲しいんだけど」と。
「あー…。そりゃまあ、注意するっていうのは…」
 最後の手段になりそうだよな、とハーレイにも分かる。
 下手にやったら、友情にヒビが入るから。
 そうなることを回避するのも、これまた思いやりだから。


 けれどブルーに、どう答えたらいいのだろう。
(思いやりは大切だから、注意すべきだ、なんてだな…)
 言えはしないし、教師の自分が言いに行くのは余計に悪い。
 ブルーが「告げ口をした」と、相手は怒り出すだろう。
(…どうすりゃいいんだ、俺は…?)
 小さなブルーが困っているなら、助けたい。
 助け舟を出してやりたいけれども、その方法が出て来ない。
 ブルーに対する助言にしても、直接、助けに乗り出すにも。
(…その友達さえ、自分で気付いてくれればなあ…)
 そうすりゃ、万事解決だが、と腕組みをして考え込む。
 いったい自分は、この問題を、どうすべきか、と。
 ブルーにも「悩んでいる」のが、分かったのだろう。
「あのね…」
 やっぱり、気付くのを待つことにする、とブルーは笑んだ。
 「ぼくなら、それまで我慢出来るし、それでいいよ」と。
「そうなのか? しかし、俺にまで相談するくらい…」
 思いやりに欠けたヤツなんだろう、と心配になる。
 本当に放っておいていいのか、もう気掛かりでたまらない。
 するとブルーは、クスッと笑った。
 「だって、その人、ぼくの目の前にいるんだもの」」と。


「なんだって!?」
 俺か、とハーレイは驚いて自分を指差した。
 自分の何処が「思いやりに欠けている」のか、分からない。
 現に今にしても、ブルーの問いで悩んでいたわけで…。
「何故、俺がそういうことになるんだ?」
 分からんぞ、と睨み付けたら、ブルーは微笑む。
「ぼくの気持ちを、いつも無視してばかりでしょ?」
 キスだって、してくれないしね、と。
 「思いやりが大切だったら、ぼくにキスして」と。
(…そう来たか…!)
 極悪人め、とハーレイは拳を握った。
 ブルーの頭に、コツンと一発、軽くお見舞いするために。
 思いやりは確かに大切だけれど、それは全く別だから。
 本当にブルーを思うからこそ、キスはお預けなのだから…。


         思いやりって・了






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「…クシャン!」
 ブルーの口から、急にクシャミが飛び出した。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で過ごしていた時に。
(…風邪、引いちゃった?)
 もしかしたら、とブルーの心臓が縮んだけれども、次のクシャミは出なかった。
 二回、三回と続くようなら明らかに風邪で、明日は学校に行けなくなる。
(だけど、一回だけだったから…)
 鼻がムズムズしただけだよね、とホッと安心、一息ついて部屋を見回した。
 今の季節は冷え込む夜もあるものだから、窓はきちんと閉めてある。
 カーテンもあるし、部屋の空気は冷たくはない。
(大丈夫だと思うんだけど、用心した方がいいのかな?)
 上に一枚羽織るとか、とブルーは自分の「服」を眺めた。
 さっき、お風呂に入って来たから、着ているものはパジャマだけ。
 夏と違って、厚めの生地ではあるけれど…。
(冬用のパジャマより、ずっと薄いから…)
 やっぱり何か着ておかなくちゃ、とカーディガンを羽織ることにした。
 ベッドに入るのが一番だとは分かっていたって、まだ眠りたい気分ではない。
(…ハーレイ、来てくれなかったし…)
 そのハーレイがどうしているのか、考えてからベッドに入りたい。
 「他の先生と食事なのかな?」とか、「それとも、書斎でコーヒーなの?」とか。
 だからベッドにチョコンと座って、ハーレイを頭に描いたけれど…。
(風邪を引いちゃってたら、明日は学校に行けない所で…)
 危なかったよ、というのが切っ掛けになって、そちらの方へ思考が向かう。
 「風邪を引いたら、ぼくは学校、お休みで…」と、そういった時のハーレイへと。
(学校の後で、お見舞いには来てくれるよね?)
 忙しい日じゃなかったら、と思うけれども、忙しかったら来てはくれない。
 今日の帰りに、此処に寄らずに帰ったみたいに、ハーレイの家へ向かっておしまい。
(ハーレイの車は、走って来なくて…)
 運転しているハーレイだって、見舞いに寄ってはくれずに帰る。
 「ブルーは、今日は休んでいたな」と、休んだことは承知していても。
 ブルーの担任の先生に聞いて、風邪を引いたことが分かっていても。


 そういったことは、何度かあった。
 風邪ではなくて、弱い身体が悲鳴を上げて休んだ時にも、ハーレイの仕事が優先になる。
 「お見舞いに来て欲しいのに…」と待っていたって、忙しい日は仕方ない。
 幸いなことに、今の所は、「何度か」程度で済んでいるから…。
(ハーレイ、ちっとも来てくれないよ、って、ベッドでシクシク泣いちゃったことは…)
 無いんだよね、と思い返してみたのだけれども、運が良かっただけなのだろうか。
 熱を出してベッドから動けなくても、ハーレイは家に来ない場合もあるかもしれない。
 うんと仕事が忙しいだとか、研修で遠くへ出掛けてしまって、一週間ほど戻らないとか。
(…そんなの、とても困るから!)
 会えなくなるのは、三日くらいにしておいてよね、と心から思う。
 元気な時でも、会えない日が三日も続いてしまうと、気分がぐんと落ち込んでしまう。
 「なんで?」と、「学校でも、ちっとも会えないだなんて、どうなってるの?」と。
 いっそ柔道部の部活を見に行こうかな、と思い詰めるほど、会いたい気持ちが募ってゆく。
(でも、柔道部の練習を見学するのは、普通は、入りたい人だけで…)
 いわゆる入部希望の生徒が、どんな活動をやっているのか、下見に出掛ける。
 入部希望とまではいかない生徒でも、「やってみようかな?」と興味があるだとか。
(そういう生徒は、ハーレイも、柔道部員の生徒も、大歓迎で…)
 練習を見やすい場所に案内して、椅子だって出してくれるだろう。
 「此処に座って見ていて下さい」と、「よかったら、これ」と、飲み物なども渡して。
(練習したら喉が乾くし、飲み物は絶対、ある筈だから…)
 それを大きなグラスに注いで、見学する生徒を大いにもてなす。
 お菓子や食べ物があるのだったら、「これもどうぞ」と気前よく、飲み物とセットにして。
(柔道部に入ってくれるかも、っていう人だったら、そうなんだけど…)
 身体が弱いブルーが行っても、入部の可能性はゼロ。
 体育の授業を休んで見学するのと同じで、単に見ているだけに過ぎない。
(椅子も飲み物も、お菓子も出してはくれたって…)
 役に立たない邪魔者な上に、下手をしたなら、見学中に気分が悪くなってしまって…。
(ハーレイが、「今日の練習は、ここまでだ。俺はブルーを家に送っていかないと」って…)
 部活の終了を告げてしまって、柔道部員に迷惑をかけてしまう恐れもあった。
 柔道部の練習は、指導しているハーレイがいないと、きちんと出来ないものらしい。
(勝手にやったら、怪我したりして…)
 大変なことになってしまうから、ハーレイが其処にいない時には、身体を作る練習だけ。
 筋肉をつけるトレーニングや、体育館の外を走りに行くとか、その程度のこと。
(そうなっちゃったら、悪いから…)
 柔道部の見学に行けはしなくて、ハーレイに会えない日が一つ重なる。
 家に帰って「会えなかったよ」と、ガックリと肩を落とす日が。


 具合が悪くない時でさえも、ハーレイに会えずに過ごすのは辛い。
 寝込んでしまった時だったならば、もっと寂しくて、悲しくもなる。
 「ハーレイ、どうして来てくれないの?」と、ぐるぐる考えてしまいそう。
 身体が弱ってしまっている分、心も弱くなっているから。
(…休んじゃった時に、うんと長く、会えなかったなら…)
 辛くて辛くて、毎日、泣いているかもしれない。
 「ハーレイ、ぼくを嫌いになった?」などと、どんどんマイナスの思考になって。
(酷い風邪とか、うつっちゃう病気だったなら…)
 避けられてるの、って思っちゃいそう、と背筋が凍りそうになる。
 今日までの日々は、たまたま運が良かっただけで、世の中、そうした病気も多い。
 周りにうつしてしまう風邪やら、他にも色々、今の時代も病気はあった。
(…もし、そういうのに罹っちゃったら…)
 どうなっちゃうの、と深く考えなくても、出て来る答えは一つしか無い。
 ハーレイは、大勢の生徒が通う学校の教師なのだし、その手の病気を持ち込むことは…。
(絶対、避けなきゃいけなくて…)
 ハーレイ自身が罹った時には、即、学校を休むだろう。
 「すみません、うつしたら大変ですから」と、家から学校に通信を入れて。
(…ハーレイが罹ったら、そうなっちゃうから…)
 罹らないよう、ハーレイ自身が注意すべきで、病気に罹った人の家には、極力、行かない。
 どうしても行かないと駄目な場合は、マスクをつけての訪問になって…。
(罹った人の方も、うつさないようにマスクをつけて…)
 用事が済んだら、ハーレイは直ぐに帰ってゆく。
 「では、これで」と挨拶をして、「お大事に」と見舞いの言葉を置いて。
(お見舞いも、持って行くんだろうけど…)
 けして長居をすることは無いし、病人の家を後にしたなら、家に帰ってウガイをする。
 家に帰る前に寄りたい所があっても、「今日は駄目だ」と、真っ直ぐ家へ。
(病気のウイルス、くっついていたら、いけないもんね…?)
 用心のためにウガイと手洗い、とブルーにも、よく分かっている。
 生まれた時から弱い身体は、そうしないと、すぐに風邪を引いたりするものだから。
(ハーレイだって、それと同じで…)
 病人の家に見舞いに行くなら、マスクをつけて、家に帰ればウガイに手洗い。
 仕事だったなら、そこまでしてでも、病人の家に行くだろうけれど…。
(ぼくが病気になっただけなら、ハーレイ、家には来なくって…)
 母に見舞いの品を託して、玄関先で帰ってしまう。
 「生徒にうつすと大変ですから、ブルー君には会えないんです」と、頭を下げて。


(そんなの、ホントに困るんだけど…!)
 三日目くらいで泣き出しちゃうよ、と心が持たない自信がある。
 言葉としてはおかしいけれども、「絶対、持つわけないんだから!」と。
(パパとママの前では我慢するけど、ベッドの中では、涙でグシャグシャ…)
 枕だって、きっと、びしょ濡れだよね、と考えただけで涙が出そう。
 「そんなの嫌だ」と、「寝込んでる時に、ハーレイに会えなくなるなんて!」と。
 けれど本当に、今日までは「運が良かっただけ」だということもある。
 この先はまるで分からないから、本当に酷い風邪を引いたり、うつる病気に罹ったりして…。
(ハーレイに、ホントに避けられちゃって…)
 ベッドで泣く羽目になっちゃうのかも、と泣きたい気持ちになってくる。
 「避けられちゃったら、どうしたらいいの?」と、不安がぐんぐん膨らんでゆく。
 どんなに「嫌だ」と叫んでみたって、罹った時には、そうなってしまう。
 ハーレイの仕事は教師なのだし、ブルーを優先したりはしない。
(同じ病気を貰っちゃダメだ、って、ぼくの病気が治るまで…)
 ハーレイは、この家を避けて通って、お見舞いに来ても「ブルー」を避ける。
 見舞いの品を持って来たって、「ブルー君に」と母に渡して、玄関までしか来てくれない。
 二階の部屋の窓を見上げてくれても、きっと、そこまで。
(早く治せよ、って手を振っただけで、停めておいた車に乗り込んで…)
 真っ直ぐ帰って行ってしまって、話の一つも出来ないのだろう。
 二階の窓と玄関先では、うんと大きな声を出さないと、会話なんかは無理だから。
(お隣さんにも迷惑だろうし、第一、大きな声なんて…)
 出して話をするとなったら、いつものようには話せない。
 両親や近所の人が聞いていたって、何の問題も無いことだけしか喋れはしない。
(早く治せよ、ってハーレイが言って、ぼくが「うんっ!」て答えるくらいしか…)
 出来ないよね、と分かっているから、どうにもならない。
 病気が治ってくれない間は、ハーレイに「避けられた」状態のまま。
 避けられる方は、辛いのに。
 ハーレイにしても、「ブルーを避ける」のは、平気ではないとは思うけれども…。
(避けるしかないから、避けられちゃって…)
 避けられちゃったら、ホントに泣いちゃう、と恐ろしい。
 「嫌だよ、罹りたくないよ」と、ハーレイに避けられるような病気に罹った時を想像して。
 これから先の未来の何処かで、「罹っちゃうかも」と震え上がって。


 絶対に罹りたくないよ、と祈っていたって、罹る時には罹るだろう。
 学校を休んで、家で寝込んで、ハーレイが来てもくれない病気。
(…神様、お願い…)
 どうか罹りませんように、と聖痕をくれた神様に必死に祈る間に、ハタと気付いた。
 「これって、一生、続くんだよね?」と。
 今だけでなくて、結婚出来る十八歳を迎えて、ハーレイと暮らし始めた後も…。
(ハーレイの仕事は、学校の先生なんだから…)
 そう簡単には休めない上、学校に病気も持ち込めない。
 もしも「ハーレイと一緒に暮らすブルー」が、酷い風邪だの、うつる病気に罹ったら…。
(ハーレイ、ぼくを避けるんだよね…?)
 おんなじ家で暮らしていても、と愕然とする。
 もちろん、ブルーが寝込んでいたなら、ハーレイは世話をしてくれるけれど…。
(ぼくに近付く時はマスクで、食事も、一緒に食べるのは駄目で…)
 ブルーの分だけ、トレイに乗っけて、部屋まで運んで来るのだろう。
 「しっかり食べて、早く治せよ」と食べさせてくれても、ハーレイの顔はマスクつき。
 優しい笑みもマスクに隠れて、目元だけしか見えないまま。
(寝る時も、部屋はきちんと分けて…)
 添い寝さえもしてくれないんだよ、と未来の自分が目に見えるよう。
 ハーレイに距離を置かれてしまって、途方に暮れる「病気に罹ったブルー」。
 ただの風邪なら、ハーレイは、そこまでしないだろうに。
(そんな風に、毎日、避けられちゃったら…)
 治るのも、うんと遅くなりそう、と思うものだから、それは勘弁願いたい。
 酷い風邪だの、うつる病気に罹ってしまって、ハーレイに避けられてしまう未来は。
(神様、罹りませんように…)
 お願いだから、とブルーは懸命に祈る。
 ハーレイと一緒に暮らしていたって、避けられてしまう、怖い未来がありそうだから…。



            避けられちゃったら・了


※ハーレイ先生がブルー君を避けることなど、有り得ないように見えても、あるのです。
 学校の生徒にうつりそうな病気に、ブルー君が罹ってしまった時。罹りたくない、ブルー君v









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「…ックション!」
 クシャン、とハーレイの口から、立て続けにクシャミが飛び出した。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で寛いでいた真っ最中。
 幸いなことに、コーヒーが零れはしなかった。
 丁度、机に置いた所で、いきなり揺れはしなかったから。
「おっと、危ない…」
 危うく零すトコだった、と愛用のマグカップを眺める間に、次のクシャミは出なかった。
 どうやら二つで収まったらしく、鼻や喉にも違和感は無い。
「よし、二つだったら大丈夫だな」
 三つ出たなら風邪だと言うが…、とハーレイはホッとした。
 そろそろ風邪の季節が近いし、気を付けないと、と気を引き締める。
 ウッカリ引いてしまおうものなら、何かと厄介になるのが風邪というもの。
(仕事だけなら、マスクで出掛けて、なんとかなるが…)
 そうそう熱は出ないからな、と体力には充分、自信があった。
 学生時代に風邪を引いても、自宅でトレーニングを欠かさなかったほど、丈夫ではある。
 しかし「自宅で」というのがポイント、いつものように練習に行けはしなかった。
 他の仲間に風邪をうつしたら、迷惑をかけてしまうことが確実なのだし、行ってはいけない。
 試合を控えている者もいれば、大事な試験や選考が近い者たちもいたのだから。
(風邪を引いたら、実力を発揮出来ない上に、場合によっては門前払いで…)
 試合とかに出られなくなっちまうんだ、と昔の自分を思い出す。
 そうした仲間にうつさないよう、トレーニング出来る体力はあっても、あくまで家で。
 家の中でストレッチや筋トレをしたり、外気に晒される広い公園まで走りに行ったり、と。
(…今でも、それでいけるんだがなあ…)
 柔道部の指導はマスクをつけて、生徒から距離を取りさえすれば、問題は無い。
 授業も同じで、教室の中ではマスクを外さず、クシャミの飛沫を飛ばさなければ、うつさない。
 今までの教師生活はずっと、それで乗り切って来たのだけれど…。
(問題は、あいつなんだよなあ…)
 うつしちまったら大惨事だぞ、と小さなブルーを頭の中に思い浮かべる。
 前の生でもブルーは身体が弱かったけれど、今度も虚弱に生まれてしまった。
 風邪など引いてしまったが最後、一週間ほどは学校を休まなければならないだろう。
(なんと言っても、この俺がだ…)
 引いちまうほどの風邪なんだしな、と考えただけで恐ろしい。
 生半可な風邪のウイルスではなく、相当、強いに違いない。
 元気な柔道部員が引いても、三日くらいは欠席しそうなほどに。


 そういう風邪を引いた身体で、ブルーの家には、とても行けない。
 学生時代の比ではないほど、距離を取らねばならないだろう。
(ブルーのクラスで授業はしても、その後は…)
 長居をしないで、急いで廊下に出なければ。
 教室よりかは廊下の方が、空気の通りがいい場所ではある。
 学校の空調は万全とはいえ、やはり安心材料が欲しい。
 換気が出来ていればいるほど、感染のリスクは下がるのだから。
(でもって、廊下に出た後も…)
 質問をしたい生徒たちとの会話が済んだら、サッサと引き揚げてしまうのがいい。
 でないと、ついつい、他の生徒と話が弾んで、学校が終わってしまった後で…。
(家に帰ったブルーがションボリ、肩を落として泣きそうな顔で…)
 俺と話が出来なかったと嘆くんだ、と分かっているから、長居は禁物。
 他の生徒たちがハーレイを囲んでいる時、ブルーはいつでも、遠慮がちにしているものだから。
(俺が風邪さえ引いていなけりゃ、部活が終わった後でだな…)
 ブルーの家に寄れば問題無いのだけれども、風邪を引いた身では、そうはいかない。
 虚弱なブルーにうつさないよう、真っ直ぐ自分の家に帰って、風邪を治す努力を重ねるだけ。
(体力をつけて治すしかないのに、体力自慢の俺ではなあ…)
 これ以上、どうすればいいんだか、と溜息が零れそうになる。
 「風邪に効く」という食事や飲み物、それを取り入れて、自然に治ってくれる時まで…。
(待つしかないのが、辛いんだが…)
 ブルーの方は、もっと辛いな、と容易に想像がつく。
 「ハーレイが来ない」理由が何か、ブルーが気付かないわけがなくても、心は違う。
 頭では理解出来ていたって、気持ちは、そうそう、ついてゆかない。
(…今日はハーレイと話せてないよ、と落ち込んじまって、涙ぐんだりしそうだし…)
 他の生徒と歓談するのは禁止だ、禁止、と自分自身に言い聞かせる。
 「風邪を引いちまってマスクになったら、授業の後には、サッサと引き揚げて来るべきだ」と。
 ブルーにうつしてしまわないよう、距離を取るのが「ブルーのため」。
 それは間違いないのだけれども、きっと、ブルーは…。
(俺に避けられたような気分になってしまって、毎日、うんと落ち込んで…)
 ポロポロ泣いたりするんだろうな、と思うものだから、風邪を引くのは遠慮しておきたい。
 これからの季節は予防に努めて、柔道部の生徒や同僚が引いてしまった時にも、要注意。
(同じ空気を吸った以上は、食ったり、飲んだりする前に…)
 ウガイと手洗いは欠かせないな、と肝に銘じる。
 以前だったら、そこまで神経質になる必要は無かった暮らしだけれども、今では違う。
 虚弱なブルーに出会ったからには、全力でブルーを守らなければ。
 風邪のウイルスからはもちろん、ブルーの繊細な心の方も。


(迂闊に引いてしまおうモンなら、ブルーも気落ちしちまって…)
 気分が落ち込んでしまった時には、抵抗力なども落ちてしまって、ブルーの身まで危険になる。
 ハーレイが引いたのとは違うウイルスを、何処かで貰ってしまうとか。
(学校って所は、そういう意味では危ないからなあ…)
 まさにウイルス天国なんだ、と長い教師生活でよく知っている。
 風邪でなくても、「感染する」病気に誰かが罹れば、巻き添えの生徒が出たりする。
 最初に休んだ生徒の欠席届が出てから、一人、二人と休んだりして。
(机が隣り合わせだったとか、一緒に昼飯を食ったとか…)
 原因が「普段の学校生活」だけに、完全に防ぐ手立てなど無い。
 その学校に「虚弱なブルー」が通うのだから、抵抗力が落ちていたなら、ひとたまりもなく…。
(罹っちまって、欠席届で…)
 ハーレイの風邪が治った頃にも、ブルーは休んでいるかもしれない。
 学校に来られる体力は無くて、家のベッドで本を読んだりしているだけで。
(本を読める程度になっているなら、マスクにお別れした俺が…)
 見舞いに出掛けて、前のブルーの好物だった野菜スープを作ってやれるし、話も出来る。
 けれど、すっかり寝込んだままなら、それもままならないかもしれない。
(お母さんに見舞いの品を届けて、玄関先で失礼するしかないかもなあ…)
 そうなっちまったら、何日くらい会えないんだか…、と背筋が冷たくなりそう。
 ハーレイでさえも寂しくなるほど、長い間の「ブルーに会えない」期間。
 ブルーの方では、それどころではないだろう。
 目を覚ます度にキョロキョロ見回し、「ハーレイ先生、来てくれた?」と母に訊くのだろうか。
 「お見舞いを持って来てくれたんなら、どうして起こしてくれなかったの?」と。
 窓から顔を眺めるだけでも良かったのに、と残念そうなブルーの姿が見える気がする。
 ベッドから起きるのが精一杯の身体のくせに、貼ってでも窓辺に行きそうなブルー。
 「此処にいるよ」と、ハーレイに向かって手を振りたくて。
 見舞いの品が何か、まだブルーには分からなくても、「持って来てくれてありがとう」と。
(……そうなっちまうのは、勘弁願いたいからなあ……)
 ブルーも俺も、と肩を竦めて、「用心しろよ」と自分に言い聞かせる。
 「さっきのクシャミは違ったようだが、たまたま幸運だったに過ぎん」と。
 本当に風邪を貰っていたなら、明日からの日々は、今、考えていた通りになっていただろう。
 マスクをつけて学校に出掛けて、帰りもブルーの家には寄れない。
 ブルーの身体の安全のために、ブルーと暫く、距離を置く。
 そうする間のブルーの心は、寂しさ一杯、避けられたような気持ちになるだろうけれど。
 「ぼく、ハーレイに避けられちゃってるみたいな感じ…」と、毎日、溜息ばかりで。


 そいつはマズイ、と承知しているから、風邪に気を付けて過ごさねば、と心から思う。
 学生時代の自分以上に、「今の自分」は「風邪を引いたら、大変」らしい。
(…ブルーの心を傷付けちまって、抵抗力まで落としちまうし…)
 風邪など引くんじゃないぞ、ハーレイ、と自分自身を叱咤していて、ふと考えた。
 「これが逆だと、どうなんだかな?」と。
 自分が「ブルーを避ける」のではなく、ブルーの方が「ハーレイを避ける」。
 そんなことなど、まず有り得ないし、前の生でも一度も無かった。
 けれど、この先、長い長い時を、ブルーと一緒に生きてゆく。
 シャングリラという狭い世界とは違う、青く蘇った水の星の上で、二人で暮らす。
 前の生では思いもよらない、とんでもない事態に見舞われることもあるだろう。
 命が危ないわけではなくて、もっと平和なトラブルの類。
(…そういや、俺たちが住んでる地域には、いない動物で…)
 だが、当たり前にいる地域もある凄いのが…、とハーレイの頭に浮かんで来た。
 前の生でも耳にしていた、とても迷惑らしい生き物。
(…スカンクってヤツが、家の庭に住み着いちまってて…)
 此処は自分の縄張りなんだ、と主張することが頻繁にあるらしい。
 他人様の家の庭に住んでいるくせに、庭の持ち主が知らずに巣などに近付いたなら…。
(あっちに行け、と臭いオナラを…)
 遠慮なくお見舞いするらしいよな、と今の生でも聞いている。
 今の地球では、スカンクがいる地域だったら、その手の事件は珍しくもない。
 そしてスカンクに、一発、オナラをお見舞いされたら…。
(うんと臭くて、服を着替えても、風呂に入っても、まるで匂いが取れなくて…)
 ケチャップで洗うといいらしい、などのアイデアが披露されている。
 今の時代は、もっとよく効く消臭剤もあるのだけれども、使う人間は殆どいない。
 「スカンクに一発、お見舞いされる」のは、地球が昔の姿に戻った証拠。
 全身、臭くなってしまっていたって、庭の持ち主は許してしまう。
 「家の庭でスカンクが暮らしているのは、いい庭だからこそなんだ」と、自慢もして。
 そうは言っても、臭いことには違いないから、この家の庭に…。
(スカンクが住んでて、俺が一発お見舞いされたら、すっかり臭くなっちまって、だ…)
 流石のブルーも逃げるかもな、と愉快な気分になって来た。
 もしもスカンクにやられてしまって、ブルーに「臭い!」と避けられたなら…。
(追い掛けて行って、捕まえるのも素敵じゃないか)
 避けていないで、お前も仲間になろう、とスカンクの匂いを分けてやるために。
 「風邪のウイルスとかはダメだが、匂いは問題無いだろうが」と、ギュッと抱き締めて。
 ブルーが必死に逃げようとするのも、きっと最高に楽しいだろう。
 前の生では一度も無かった、「ブルーに避けられる」という事態も、きっと…。



            避けられたなら・了


※ハーレイ先生が風邪を引いたら、ブルー君とは距離を取るしかない現実。うつしたら大変。
 避けているように見えるのですけど、ブルー君の方が避ける事態も、今の地球ならありそうv









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「ねえ、ハーレイ。早めにやるのって…」
 大切だよね、と小さなブルーが投げ掛けた問い。
 二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
 お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「早めだって?」
 急にどうした、とハーレイは軽く首を傾げた。
 ブルーは、何か用事でも思い出したのだろうか。
「えっとね…。急に思い付いただけだから…」
 特に理由は無いんだけれど、とブルーが肩を小さく竦める。
「だけど、早めにやるのは大切でしょ?」
 宿題とかも、部屋の掃除にしても…、とブルーは続けた。
「まだまだ時間はたっぷりあるし、って後回しにしたら…」
 間に合わないこともあるじゃない、と苦笑する。
 「ぼくは、そんなの、滅多に無いけど」と、付け加えて。
「なるほど、そういう意味で早めか」
 そいつは確かに大切だよな、とハーレイは大きく頷いた。
 何事も、早め、早めが大事で、前の生でもそうだったから。


 遠く遥かな時の彼方で、キャプテン・ハーレイだった頃。
 白いシャングリラになる前も、後も、早めを心掛けていた。
 エンジンのオーバーホールもそうだし、ワープドライブも。
 どれも、不具合が出てから対応するのでは遅すぎる。
 完璧に動作している間に、早め、早めにチェックしないと。
「シャングリラでも、早めが鉄則だったっけなあ…」
「うん。あの船の他に、暮らせる所は無かったしね」
 長い間…、とブルーが相槌を打つ。
 修理しないと駄目な状況なんかは、命取りだし、と。
「ああ。壊れてからだと、修理に時間がかかっちまうし…」
 そういう時に限って何か起きる、とハーレイも溜息を零す。
 事故に繋がったことは無かったけれども、よくあった。
 空調の修理が出来ていないのに、その部屋を使う局面など。
 宇宙空間は酷寒か、恒星の熱で灼熱地獄か、二つに一つ。
 そんな宇宙を飛んでいる時に、空調が壊れてしまったら…。
「凍えそうな寒さの中で会議ってのも、あったしなあ…」
「あったよね…。アルテメシアに着く前の時代には…」
 ホントに大変だったっけ、とブルーがクスクスと笑う。
 「今だから、笑い話だけれど」と、可笑しそうに。


 そういった頃の記憶は抜きでも、早めは今の時代も大切。
 「明日でいいか」と放っておいたら、急な用事が入るとか。
 実際、何度も経験したから、今のハーレイも意識している。
 余裕を持って、早め、早めだ、と自分自身に言い聞かせて。
「早めってヤツは、今も昔も、大切だよなあ…」
 つくづく思う、とハーレイはブルーに全面的に同意した。
 平和な時代になったとはいえ、油断は大敵。
 何事も早めにやっていくべきで、後回しにすれば後悔する。
「でしょ? 今のハーレイも、早めが大事で…」
 心掛けてるわけだよね、とブルーは自分を指差した。
「ぼくもそうだよ、身体が弱い分、早めにしないと…」
 寝込んじゃったら、時間が無くなっちゃうしね、と。
「まあなあ…。宿題なら、猶予を貰えそうだが…」
 部屋の掃除じゃ、困るのはお前だ、とハーレイは笑った。
「掃除が済んでない部屋で、寝込んじまったら…」
 片付いてない部屋で寝るしかないしな、と、おどけながら。
「部屋は汚れる一方で、だ…」
 それが嫌なら、お母さんに頼むしか…、とも。
 母に掃除を頼んだ場合は、あちこち覗かれてしまいそう。
 隠しておきたいものがあっても、見られるだとか。


「そう! そんなの、ホントに困っちゃうしね…」
 部屋の掃除も早めなんだよ、とブルーは否定しなかった。
 隠したいようなものは無くても、プライバシーの問題、と。
「プライバシーだと? 一人前の口を利くなあ、お前…」
 まだまだ、ほんのチビのくせに、とハーレイは返す。
 「もっと大きくなってからにしろ」と、からかうように。
「ハーレイ、酷い! でも、チビだって…」
 早めは大切なんだからね、とブルーは唇を尖らせた。
「チビだ、チビだ、って後回しは駄目!」
「はあ?」
 何を後回しにすると言うんだ、とハーレイは目を丸くする。
「お前にしたって、早めを心掛けているんだろう?」
 後回しにしてはいないじゃないか、と首を捻った。
 「それなのに、何処が駄目なんだ?」と。
 するとブルーは、「ぼくじゃなくって!」と即答した。
「ハーレイだってば、ぼくが言ってるのはね!」
「俺だって?」
「分からないかな、今だって、ぼくをチビだ、って…」
 後回しにしているじゃない、と赤い瞳が睨んで来る。
 「早めを心掛けてるくせに!」と。


「早めって…? チビと、どう繋がるんだ?」
 分からんぞ、とハーレイが唸ると、ブルーは叫んだ。
「キスだってば!」
 早めにしておくべきだよね、と勝ち誇った顔で。
「前と同じに育ってから、なんて言っていないで!」
 後回しにしちゃダメなんでしょ、とブルーは得意満面。
 早めにするのは大切だしね、と鬼の首でも取ったように。
「馬鹿野郎!」
 それは早めにしなくてもいい、とハーレイは軽く拳を握る。
 揚げ足を取りに来た悪戯小僧に、一発お見舞いするために。
 銀色の頭をコツンとやるだけ、ゴツンではなくて。
 お仕置きも、早めが大切だから。
 ブルーが調子に乗って来ない間に、やるべきだから…。



         早めにやるのは・了








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