「ねえ、ハーレイ。予習するのは…」
大切だよね、と小さなブルーが投げ掛けた問い。
二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ?」
急にどうした、とハーレイは目を丸くする。
たった今まで話していたのは、まるで全く別の内容。
とはいえ中身は他愛ないもので、学校の話でもなかった。
(…何処から予習が出て来たんだ?)
分からんぞ、とハーレイには、ブルーの意図が掴めない。
学校の話をしていたのならば、まだしも分かる。
今のブルーは優秀な生徒で、きちんと予習もしていそう。
自分でも誇りに思っているから、それを口実に…。
(褒めて欲しい、と言い出してだな…)
御褒美にキスを寄越せと言うんだ、と見えてくる手口。
如何にもブルーがやりそうだけれど、それにしても…。
(ちょっと強引すぎやしないか?)
いきなり「褒めろ」はないだろう、とブルーを眺める。
「お前、少々、厚かましいぞ」と、呆れながら。
慣れてしまった、ブルーのやり口。
「今日もそいつだ」と思うからこそ、様子見を選んだ。
もしも本当に予習の話がしたいのならば、ブルーは…。
(改めて質問する筈だしな?)
俺が黙っていた場合…、と沈黙を守る間に、質問が来た。
「無視しないでよ」と、ブルーが頬を膨らませる。
「ぼくは真面目に訊いてるんだよ」と、睨むようにして。
「勉強の話の何処が駄目なの」と、「先生でしょ?」と。
「あのね、生徒の質問を、無視するだなんて…」
先生だとも思えないけれど、とブルーは半ば怒っている。
「どういうつもり?」と、「お休みだから?」と。
ブルーが言うには、休日だろうが、教師は教師。
生徒が質問して来た時には、きちんと答えを返すべき。
でないと生徒も困ってしまう、という主張。
「だって、そうでしょ? お休みの日に予習をしてて…」
分からなかったらどうするわけ、とブルーは詰った。
「教科書を読んでも分からなくって、参考書だって…」
理解出来ない時もあるでしょ、と痛い所を突いて来る。
「なのにハーレイ、無視しちゃうわけ?」と。
「休みの日は、俺も休みなんだ」で済ませちゃうの、と。
「す、すまん…!」
本当に予習の話だったのか、とハーレイは慌てた。
まさかそうとは思わないから、招いてしまった今の状態。
ブルーはすっかり御機嫌斜めで、爆発寸前かもしれない。
これはマズイ、と急いで詫びて、宥めにかかる。
「すまない、俺が悪かった! お前は、とても優秀で…」
予習を欠かしはしないだろ、とブルーを持ち上げた。
「俺の古典の授業もそうだし、他の科目も」と。
「先生たちが揃って褒めているぞ」と「いいことだ」と。
素晴らしい心がけじゃないか、と褒めてやる。
「予習をしてこない生徒も多いが、お前は違う」と。
懸命に詫びたら、ブルーは「当然でしょ」と答えた。
「きちんと予習をしておかないと、自分が困るよ?」
授業が分からなくなって…、とブルーは真剣で大真面目。
「そうなってからでは遅いんだから」と、いうのも正論。
(…しまった、俺としたことが…)
ちょいと深読みしすぎちまった、とハーレイは情けない。
先走って考えすぎたあまりに、生徒のブルーの質問を…。
(無視した上に、よからぬ方向に考えちまって…)
この有様だ、と居たたまれない気分になる。
いつも授業で、予習の大切さを説いているのに。
「予習しないから、こうなるんだぞ」と、叱ったりも。
(……参ったな……)
完全に怒らせちまったかもな、とブルーの顔色を伺う。
赤い瞳は、まだ穏やかになってはいない。
(…どうしたもんだか…)
俺のケーキを分けてやっても無駄だろうし、と心で溜息。
どうすればブルーの機嫌が直るか、頭の中はそれで一杯。
困り果てていたら、ブルーが念を押すように言った。
「ハーレイ、予習は大切だよね?」
そう思うでしょ、と確認されたから、「うむ」と返した。
「予習はとても大事なことだぞ、欠かしちゃいかん」
無理をしすぎない程度に頑張るんだぞ、と励ましてやる。
「今のお前も努力家だから、その調子でな」と。
するとブルーは、嬉しそうに顔を輝かせた。
「ハーレイも、そう思うでしょ? じゃあ、手伝って!」
お休みの日だけど、ぼくの予習を、と身を乗り出す。
「キスの予習もしておかないと」と、「今の間に」と。
「馬鹿野郎!」
そういう魂胆だったか、とハーレイは銀色の頭を叩いた。
コツンと、痛くないように。
「そんな予習は、俺は手伝わないからな!」
第一、必要無いだろうが、とチビのブルーを叱り付ける。
「お前にキスは早すぎるんだ」と、「必要無い」と…。
予習するのは・了
大切だよね、と小さなブルーが投げ掛けた問い。
二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ?」
急にどうした、とハーレイは目を丸くする。
たった今まで話していたのは、まるで全く別の内容。
とはいえ中身は他愛ないもので、学校の話でもなかった。
(…何処から予習が出て来たんだ?)
分からんぞ、とハーレイには、ブルーの意図が掴めない。
学校の話をしていたのならば、まだしも分かる。
今のブルーは優秀な生徒で、きちんと予習もしていそう。
自分でも誇りに思っているから、それを口実に…。
(褒めて欲しい、と言い出してだな…)
御褒美にキスを寄越せと言うんだ、と見えてくる手口。
如何にもブルーがやりそうだけれど、それにしても…。
(ちょっと強引すぎやしないか?)
いきなり「褒めろ」はないだろう、とブルーを眺める。
「お前、少々、厚かましいぞ」と、呆れながら。
慣れてしまった、ブルーのやり口。
「今日もそいつだ」と思うからこそ、様子見を選んだ。
もしも本当に予習の話がしたいのならば、ブルーは…。
(改めて質問する筈だしな?)
俺が黙っていた場合…、と沈黙を守る間に、質問が来た。
「無視しないでよ」と、ブルーが頬を膨らませる。
「ぼくは真面目に訊いてるんだよ」と、睨むようにして。
「勉強の話の何処が駄目なの」と、「先生でしょ?」と。
「あのね、生徒の質問を、無視するだなんて…」
先生だとも思えないけれど、とブルーは半ば怒っている。
「どういうつもり?」と、「お休みだから?」と。
ブルーが言うには、休日だろうが、教師は教師。
生徒が質問して来た時には、きちんと答えを返すべき。
でないと生徒も困ってしまう、という主張。
「だって、そうでしょ? お休みの日に予習をしてて…」
分からなかったらどうするわけ、とブルーは詰った。
「教科書を読んでも分からなくって、参考書だって…」
理解出来ない時もあるでしょ、と痛い所を突いて来る。
「なのにハーレイ、無視しちゃうわけ?」と。
「休みの日は、俺も休みなんだ」で済ませちゃうの、と。
「す、すまん…!」
本当に予習の話だったのか、とハーレイは慌てた。
まさかそうとは思わないから、招いてしまった今の状態。
ブルーはすっかり御機嫌斜めで、爆発寸前かもしれない。
これはマズイ、と急いで詫びて、宥めにかかる。
「すまない、俺が悪かった! お前は、とても優秀で…」
予習を欠かしはしないだろ、とブルーを持ち上げた。
「俺の古典の授業もそうだし、他の科目も」と。
「先生たちが揃って褒めているぞ」と「いいことだ」と。
素晴らしい心がけじゃないか、と褒めてやる。
「予習をしてこない生徒も多いが、お前は違う」と。
懸命に詫びたら、ブルーは「当然でしょ」と答えた。
「きちんと予習をしておかないと、自分が困るよ?」
授業が分からなくなって…、とブルーは真剣で大真面目。
「そうなってからでは遅いんだから」と、いうのも正論。
(…しまった、俺としたことが…)
ちょいと深読みしすぎちまった、とハーレイは情けない。
先走って考えすぎたあまりに、生徒のブルーの質問を…。
(無視した上に、よからぬ方向に考えちまって…)
この有様だ、と居たたまれない気分になる。
いつも授業で、予習の大切さを説いているのに。
「予習しないから、こうなるんだぞ」と、叱ったりも。
(……参ったな……)
完全に怒らせちまったかもな、とブルーの顔色を伺う。
赤い瞳は、まだ穏やかになってはいない。
(…どうしたもんだか…)
俺のケーキを分けてやっても無駄だろうし、と心で溜息。
どうすればブルーの機嫌が直るか、頭の中はそれで一杯。
困り果てていたら、ブルーが念を押すように言った。
「ハーレイ、予習は大切だよね?」
そう思うでしょ、と確認されたから、「うむ」と返した。
「予習はとても大事なことだぞ、欠かしちゃいかん」
無理をしすぎない程度に頑張るんだぞ、と励ましてやる。
「今のお前も努力家だから、その調子でな」と。
するとブルーは、嬉しそうに顔を輝かせた。
「ハーレイも、そう思うでしょ? じゃあ、手伝って!」
お休みの日だけど、ぼくの予習を、と身を乗り出す。
「キスの予習もしておかないと」と、「今の間に」と。
「馬鹿野郎!」
そういう魂胆だったか、とハーレイは銀色の頭を叩いた。
コツンと、痛くないように。
「そんな予習は、俺は手伝わないからな!」
第一、必要無いだろうが、とチビのブルーを叱り付ける。
「お前にキスは早すぎるんだ」と、「必要無い」と…。
予習するのは・了
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(…シャングリラかあ…)
何処にも残っていないんだよね、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
白いシャングリラ、ミュウの箱舟だった船。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が長く暮らした宇宙船。
その船と仲間たちの命を守って、前の自分は宇宙に散った。
(……思い出すと、やっぱり怖いんだけどね…)
メギドのことだけは今も怖いよ、と肩を震わせて、右手をキュッと握り締める。
「大丈夫、ぼくは此処にいるから」と。
今の自分は、青い地球の上に生まれ変わって、ハーレイだっているのだから。
(そう、ハーレイもいるんだから…)
あの船が今も何処かにあったら良かったのに、と思考を元の所へ戻す。
「もう一度、あの船に会いたいよ」と、「ハーレイと見に行きたいのにな」と。
シャングリラは、もう何処を探しても、残ってはいない。
トォニィが解体を決めてしまって、直ぐに実行されたから。
(…船体の一部の金属は、今も大事に残されていて…)
加工されて、結婚指輪になるらしい。
一年に一度だけ、抽選があって、希望するカップルが手に入れられる。
(ぼくも、ハーレイと結婚する時は…)
もちろん申し込むのだけれども、当たるかどうかは分からない。
それに、当たっても、船体に使われていた金属なだけで…。
(シャングリラが見られるわけじゃないしね…)
思い出が手に入るだけ、と少し寂しい。
他にシャングリラの名残りと言ったら、船で育てていた植物たち。
解体する時、アルテメシアの公園に移植されたから…。
(アルテメシアで見られるけれども、そっちも代替わりしちゃっているし…)
第一、植物だけなんだし、と零れる溜息。
「船は何処にも残ってないよ」と、「行きたくても、もう無いんだから」と。
シャングリラが今も残っていたなら、人気絶大だっただろう。
見学するにも、予約で抽選かもしれない。
(だけど、それでも…)
当たるまで、申し込むんだもんね、と思うくらいに懐かしい船。
前のハーレイと暮らした船だし、世界の全てでもあった。
燃えるアルタミラを脱出したのも、改造前の「シャングリラ」だから。
(今もあったら、シャングリラを見に行ける星は…)
間違いなく、この地球だと思う。
白いシャングリラと縁が深いのは、雲海の星のアルテメシアでも。
あの星にいた時間が、いくら一番長いと言っても、目指した星は地球だから。
青い水の星が蘇ったのなら、其処に置こうとするだろうから。
(…植物が移植されてる、「シャングリラの森」っていうのは…)
その当時の地球は、まだ蘇る前の段階だったから、そうなっただけ。
SD体制が崩壊した時、燃え上がり、不死鳥のように蘇った地球。
それには長い時間がかかって、トォニィの時代には、今の姿には戻らなかった。
(そんな星には、植物は移植出来ないし…)
アルテメシアが選ばれただけで、記念墓地だって、同じ理由でアルテメシアに作られた。
どちらも、其処に落ち着いたから、地球には移されなかったけれど…。
(シャングリラだったら、宇宙船なんだし…)
地球が青い星に戻ったならば、運んで来ようとするだろう。
その時のために、メンテナンスも欠かすことなく、船を維持しているだろうから。
(…運んで来るなら、絶対、ぼくとハーレイが…)
苦労しないで行ける此処だよ、と今の自分が暮らす地域を思う。
人間が地球しか知らなかった頃には、「日本」という島国が在った場所。
その島は、とうに無いのだけれども、今も「日本」を名乗っている。
有難いことに、その「日本」には…。
(前のハーレイが作った、木彫りのウサギ…)
本当はナキネズミだったのだけれど、それを所蔵する博物館がある。
宇宙遺産になった「ウサギ」が、この地域で保管されているくらいだから…。
(シャングリラだって、きっと…)
今の自分が暮らす地域に、やって来るのに違いない。
此処が選ばれ、アルテメシアから、もう一度、地球まで旅をして来て。
今度は平和な青い地球まで、平穏無事に宇宙を渡って。
(今のぼくとハーレイが、生まれて来るより、ずっと前から…)
白いシャングリラは此処で保存され、人気を博していることだろう。
もしかしたら、記憶が戻って来るよりも前に…。
(ぼくも、ハーレイも、シャングリラを見に…)
出掛けたことがあるかもしれない。
中の見学は抽選だとしても、船体ならば自由に見られる。
とても大きな船だったのだし、近くまで行けば、誰だって…。
(あの船だよね、って指差して、見て…)
船をバックに記念写真も撮れるだろう。
「あの船が、ミュウの歴史の始まりの船」と、出会えた嬉しさを瞳に湛えて。
抽選に当たって中を見られたら、もっと素敵な気分だろう、と夢を描いて。
(…もしも、抽選に当たるんだったら…)
その幸運は、大切に取っておきたい。
記憶が戻って来るよりも前に、知らずに使ってしまわないように。
白いシャングリラの価値さえ知らない、幼かった頃に当たったのでは…。
(…パパやママと一緒に出掛けて、キョロキョロ眺めているだけで…)
ろくに記憶に残らない上、幼い子供のことだから…。
(途中で疲れて、パパの背中に背負って貰って…)
見て回る内に眠ってしまって、貴重なチャンスは、それでおしまい。
その時に撮った写真が貼られた、アルバムを眺めては悔し涙で…。
(ハーレイと一緒に行きたかったよ、って…)
何度も思うに違いないから、抽選に当たる運は「取っておく」。
取っておくことが出来るなら。
神様が許してくれるのだったら、いつか大きくなった時まで。
ハーレイと二人で出掛けてゆける時が来るまで、使うことなく、大事にして。
シャングリラが今も残っていたなら、この青い地球にあるのなら…。
(絶対、ハーレイと見に行くんだよ)
行ってみたいな、と想像の翼を羽ばたかせる。
「もしも、あの船に行けたなら」と。
今は宇宙の何処にも無い船、行きたくても行けない船だけれども。
(…この地球にあって、おまけに、ぼくが住んでる地域で…)
シャングリラを見られる場所があるなら、きっと、それほど遠くはない。
「木彫りのウサギ」を保管している博物館は、今の自分とハーレイが暮らす町にある。
だからシャングリラも、そう遠くない所にあるだろう。
(木彫りのウサギは、宇宙遺産で…)
五十年に一度、本物が公開される時には、長蛇の列が博物館を取り巻くほど。
広い宇宙の遠い星から、わざわざ見に来る人だっている。
それほど熱心な見学者ならば、シャングリラを見ずに帰ることなど…。
(絶対、したくない筈だしね?)
普段はレプリカの「木彫りのウサギ」も、博物館の目玉の展示品。
レプリカだって見に来る人は多くて、その人たちもシャングリラを見たいだろう。
(そういう人たちが、シャングリラを見に行きやすいように…)
此処から近い場所が選ばれ、展示されるのは自然な成り行き。
博物館の「木彫りのウサギ」と、シャングリラをセットで見られるように。
(大きい船だし、郊外の方に行かないと…)
シャングリラの展示は無理だろうけれど、ハーレイの車なら充分、行けると思う。
ちょっとドライブするほどの距離で。
「今日は、シャングリラを見に行ってみるか」と、ハーレイが提案してくれて。
(抽選に当たっていなくても…)
船体を見るのは自由なのだし、まずは二人で記念撮影。
絶好の撮影スポットを調べて行って、同好の士にカメラのシャッターを押して貰って。
とびきりの笑顔で二人並んで、あの懐かしい船を背景にして。
(撮ってくれた人に、記念撮影、お願いされちゃうかもね?)
「キャプテン・ハーレイ」と「ソルジャー・ブルー」なんだから、とクスクスと笑う。
制服は着ていないけれども、見た目は瓜二つな自分たち。
シャングリラを撮影したい人にとっては、格好の被写体になるだろうから。
白いシャングリラが今もあったら、ハーレイとのドライブ先の定番。
中の見学は予約で抽選だろうし、その申し込みも抜かりなく。
(外れちゃっても、諦めないで…)
申し込む内に、当たる日は、きっとやって来る。
それに、聖痕をくれた神様もついているのだから…。
(一度目で、ポンと当たっちゃうかも!)
だったらいいな、と膨らむ夢。
ハーレイと二人で出掛けてゆく船、時の彼方で暮らした船。
「二人で、あの船に行けたなら」と。
その幸運がやって来たなら、どんなに素敵な気分だろう、と。
(…前の晩から、ワクワクしちゃって…)
眠れないかもね、という気がする。
平和な時代に、またシャングリラに出会えるなんて。
ソルジャーでもキャプテンでもない恋人同士で、あの船に行ける日が来るなんて。
(今の時代は、ぼくもハーレイも、前のぼくたちにそっくりなだけの…)
ごくごく普通の一般人だし、シャングリラに行っても、ただの見学者。
前の生で長く暮らしていたから、船の中には詳しいけれど。
見学者のための説明なんかは、読まなくても充分、承知だけれど。
(でも、見学者が行く船なんだから…)
前の自分たちは知らないルールが、シャングリラに出来ていることだろう。
見学してゆくための順路や、立ち入り禁止の区域を示すロープやら。
(次はこちらへ、って矢印があって…)
前の自分たちが馴染んだ場所の幾つかは、ロープ越しに見学するだけで…。
(入って行ったり、触ったりとかは…)
出来ないかもね、と肩を竦める。
前のハーレイが握った舵輪は、間違いなく、その一つだろう。
誰も勝手に触れないよう、警備員まで立っているかもしれない。
展示されている船になっても、シャングリラはまだ「生きている」から。
設備の多くは現役なのだし、舵輪を下手に触ったならば…。
(危ないもんね?)
飛ばないにしても、と分かっているから、其処は「立ち入り禁止なんだよ」と。
前の自分の部屋にしたって、事情は似たようなものだろう。
やたらと広かった青の間の中にも、きっとロープが張られている。
前の自分が使ったベッドに、手を触れる人が出て来ないように。
警備員まではいないとしたって、前の自分のベッドには…。
(…腰掛けることも出来ないのかも…)
きっとそうだ、と残念な気分。
前のハーレイとの思い出が沢山詰まった、青の間と、其処に置いてあったベッド。
長い時を経て再会したのに、記念写真も撮れないのかも、と。
(撮影禁止、ってこともあるもんね…)
写真くらいは撮らせて欲しい、と思うけれども、これも規則に従うしかない。
「今のシャングリラ」のためのルールに、見学者向けに作られた規則に。
(ぼくもハーレイも、ただ、似ているってだけの…)
一般人になった以上は、今のルールに従うべき。
どんなに舵輪を握りたくても、青の間のベッドに腰掛けたくても…。
(ハーレイも、ぼくも、我慢しなくちゃ…)
でないと、船を下ろされちゃうしね、と苦笑する。
規則を破ってしまったならば、警備の人に注意をされて、それが続けば追い出される。
「他の方にも迷惑ですから」と叱られて。
「見学を止めて降りて下さい」と、見学用とは違う通路に連行されて。
(…そんなの、勘弁して欲しいから…)
きちんとルールを守って見るよ、と心に誓う。
もうキャプテンでも、ソルジャーでもない、ただの見学者の恋人同士で行くのなら。
今のハーレイと手を繋ぎ合って、懐かしい船を見るのなら。
(もしも、あの船に行けたなら…)
ちゃんとルールは守るからね、と心の中で、ハーレイと歩く見学用のコース。
「ブリッジの舵輪は、見るだけだから」と。
「青の間だって、見るだけだから」と、「それだけでも充分、幸せだから」と…。
あの船に行けたなら・了
※シャングリラが今もあったなら、と考え始めたブルー君。ハーレイ先生と行きたいな、と。
見学者用になった船には、二人が知らないルールが幾つも。触れなくても、見られれば幸せv
何処にも残っていないんだよね、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
白いシャングリラ、ミュウの箱舟だった船。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が長く暮らした宇宙船。
その船と仲間たちの命を守って、前の自分は宇宙に散った。
(……思い出すと、やっぱり怖いんだけどね…)
メギドのことだけは今も怖いよ、と肩を震わせて、右手をキュッと握り締める。
「大丈夫、ぼくは此処にいるから」と。
今の自分は、青い地球の上に生まれ変わって、ハーレイだっているのだから。
(そう、ハーレイもいるんだから…)
あの船が今も何処かにあったら良かったのに、と思考を元の所へ戻す。
「もう一度、あの船に会いたいよ」と、「ハーレイと見に行きたいのにな」と。
シャングリラは、もう何処を探しても、残ってはいない。
トォニィが解体を決めてしまって、直ぐに実行されたから。
(…船体の一部の金属は、今も大事に残されていて…)
加工されて、結婚指輪になるらしい。
一年に一度だけ、抽選があって、希望するカップルが手に入れられる。
(ぼくも、ハーレイと結婚する時は…)
もちろん申し込むのだけれども、当たるかどうかは分からない。
それに、当たっても、船体に使われていた金属なだけで…。
(シャングリラが見られるわけじゃないしね…)
思い出が手に入るだけ、と少し寂しい。
他にシャングリラの名残りと言ったら、船で育てていた植物たち。
解体する時、アルテメシアの公園に移植されたから…。
(アルテメシアで見られるけれども、そっちも代替わりしちゃっているし…)
第一、植物だけなんだし、と零れる溜息。
「船は何処にも残ってないよ」と、「行きたくても、もう無いんだから」と。
シャングリラが今も残っていたなら、人気絶大だっただろう。
見学するにも、予約で抽選かもしれない。
(だけど、それでも…)
当たるまで、申し込むんだもんね、と思うくらいに懐かしい船。
前のハーレイと暮らした船だし、世界の全てでもあった。
燃えるアルタミラを脱出したのも、改造前の「シャングリラ」だから。
(今もあったら、シャングリラを見に行ける星は…)
間違いなく、この地球だと思う。
白いシャングリラと縁が深いのは、雲海の星のアルテメシアでも。
あの星にいた時間が、いくら一番長いと言っても、目指した星は地球だから。
青い水の星が蘇ったのなら、其処に置こうとするだろうから。
(…植物が移植されてる、「シャングリラの森」っていうのは…)
その当時の地球は、まだ蘇る前の段階だったから、そうなっただけ。
SD体制が崩壊した時、燃え上がり、不死鳥のように蘇った地球。
それには長い時間がかかって、トォニィの時代には、今の姿には戻らなかった。
(そんな星には、植物は移植出来ないし…)
アルテメシアが選ばれただけで、記念墓地だって、同じ理由でアルテメシアに作られた。
どちらも、其処に落ち着いたから、地球には移されなかったけれど…。
(シャングリラだったら、宇宙船なんだし…)
地球が青い星に戻ったならば、運んで来ようとするだろう。
その時のために、メンテナンスも欠かすことなく、船を維持しているだろうから。
(…運んで来るなら、絶対、ぼくとハーレイが…)
苦労しないで行ける此処だよ、と今の自分が暮らす地域を思う。
人間が地球しか知らなかった頃には、「日本」という島国が在った場所。
その島は、とうに無いのだけれども、今も「日本」を名乗っている。
有難いことに、その「日本」には…。
(前のハーレイが作った、木彫りのウサギ…)
本当はナキネズミだったのだけれど、それを所蔵する博物館がある。
宇宙遺産になった「ウサギ」が、この地域で保管されているくらいだから…。
(シャングリラだって、きっと…)
今の自分が暮らす地域に、やって来るのに違いない。
此処が選ばれ、アルテメシアから、もう一度、地球まで旅をして来て。
今度は平和な青い地球まで、平穏無事に宇宙を渡って。
(今のぼくとハーレイが、生まれて来るより、ずっと前から…)
白いシャングリラは此処で保存され、人気を博していることだろう。
もしかしたら、記憶が戻って来るよりも前に…。
(ぼくも、ハーレイも、シャングリラを見に…)
出掛けたことがあるかもしれない。
中の見学は抽選だとしても、船体ならば自由に見られる。
とても大きな船だったのだし、近くまで行けば、誰だって…。
(あの船だよね、って指差して、見て…)
船をバックに記念写真も撮れるだろう。
「あの船が、ミュウの歴史の始まりの船」と、出会えた嬉しさを瞳に湛えて。
抽選に当たって中を見られたら、もっと素敵な気分だろう、と夢を描いて。
(…もしも、抽選に当たるんだったら…)
その幸運は、大切に取っておきたい。
記憶が戻って来るよりも前に、知らずに使ってしまわないように。
白いシャングリラの価値さえ知らない、幼かった頃に当たったのでは…。
(…パパやママと一緒に出掛けて、キョロキョロ眺めているだけで…)
ろくに記憶に残らない上、幼い子供のことだから…。
(途中で疲れて、パパの背中に背負って貰って…)
見て回る内に眠ってしまって、貴重なチャンスは、それでおしまい。
その時に撮った写真が貼られた、アルバムを眺めては悔し涙で…。
(ハーレイと一緒に行きたかったよ、って…)
何度も思うに違いないから、抽選に当たる運は「取っておく」。
取っておくことが出来るなら。
神様が許してくれるのだったら、いつか大きくなった時まで。
ハーレイと二人で出掛けてゆける時が来るまで、使うことなく、大事にして。
シャングリラが今も残っていたなら、この青い地球にあるのなら…。
(絶対、ハーレイと見に行くんだよ)
行ってみたいな、と想像の翼を羽ばたかせる。
「もしも、あの船に行けたなら」と。
今は宇宙の何処にも無い船、行きたくても行けない船だけれども。
(…この地球にあって、おまけに、ぼくが住んでる地域で…)
シャングリラを見られる場所があるなら、きっと、それほど遠くはない。
「木彫りのウサギ」を保管している博物館は、今の自分とハーレイが暮らす町にある。
だからシャングリラも、そう遠くない所にあるだろう。
(木彫りのウサギは、宇宙遺産で…)
五十年に一度、本物が公開される時には、長蛇の列が博物館を取り巻くほど。
広い宇宙の遠い星から、わざわざ見に来る人だっている。
それほど熱心な見学者ならば、シャングリラを見ずに帰ることなど…。
(絶対、したくない筈だしね?)
普段はレプリカの「木彫りのウサギ」も、博物館の目玉の展示品。
レプリカだって見に来る人は多くて、その人たちもシャングリラを見たいだろう。
(そういう人たちが、シャングリラを見に行きやすいように…)
此処から近い場所が選ばれ、展示されるのは自然な成り行き。
博物館の「木彫りのウサギ」と、シャングリラをセットで見られるように。
(大きい船だし、郊外の方に行かないと…)
シャングリラの展示は無理だろうけれど、ハーレイの車なら充分、行けると思う。
ちょっとドライブするほどの距離で。
「今日は、シャングリラを見に行ってみるか」と、ハーレイが提案してくれて。
(抽選に当たっていなくても…)
船体を見るのは自由なのだし、まずは二人で記念撮影。
絶好の撮影スポットを調べて行って、同好の士にカメラのシャッターを押して貰って。
とびきりの笑顔で二人並んで、あの懐かしい船を背景にして。
(撮ってくれた人に、記念撮影、お願いされちゃうかもね?)
「キャプテン・ハーレイ」と「ソルジャー・ブルー」なんだから、とクスクスと笑う。
制服は着ていないけれども、見た目は瓜二つな自分たち。
シャングリラを撮影したい人にとっては、格好の被写体になるだろうから。
白いシャングリラが今もあったら、ハーレイとのドライブ先の定番。
中の見学は予約で抽選だろうし、その申し込みも抜かりなく。
(外れちゃっても、諦めないで…)
申し込む内に、当たる日は、きっとやって来る。
それに、聖痕をくれた神様もついているのだから…。
(一度目で、ポンと当たっちゃうかも!)
だったらいいな、と膨らむ夢。
ハーレイと二人で出掛けてゆく船、時の彼方で暮らした船。
「二人で、あの船に行けたなら」と。
その幸運がやって来たなら、どんなに素敵な気分だろう、と。
(…前の晩から、ワクワクしちゃって…)
眠れないかもね、という気がする。
平和な時代に、またシャングリラに出会えるなんて。
ソルジャーでもキャプテンでもない恋人同士で、あの船に行ける日が来るなんて。
(今の時代は、ぼくもハーレイも、前のぼくたちにそっくりなだけの…)
ごくごく普通の一般人だし、シャングリラに行っても、ただの見学者。
前の生で長く暮らしていたから、船の中には詳しいけれど。
見学者のための説明なんかは、読まなくても充分、承知だけれど。
(でも、見学者が行く船なんだから…)
前の自分たちは知らないルールが、シャングリラに出来ていることだろう。
見学してゆくための順路や、立ち入り禁止の区域を示すロープやら。
(次はこちらへ、って矢印があって…)
前の自分たちが馴染んだ場所の幾つかは、ロープ越しに見学するだけで…。
(入って行ったり、触ったりとかは…)
出来ないかもね、と肩を竦める。
前のハーレイが握った舵輪は、間違いなく、その一つだろう。
誰も勝手に触れないよう、警備員まで立っているかもしれない。
展示されている船になっても、シャングリラはまだ「生きている」から。
設備の多くは現役なのだし、舵輪を下手に触ったならば…。
(危ないもんね?)
飛ばないにしても、と分かっているから、其処は「立ち入り禁止なんだよ」と。
前の自分の部屋にしたって、事情は似たようなものだろう。
やたらと広かった青の間の中にも、きっとロープが張られている。
前の自分が使ったベッドに、手を触れる人が出て来ないように。
警備員まではいないとしたって、前の自分のベッドには…。
(…腰掛けることも出来ないのかも…)
きっとそうだ、と残念な気分。
前のハーレイとの思い出が沢山詰まった、青の間と、其処に置いてあったベッド。
長い時を経て再会したのに、記念写真も撮れないのかも、と。
(撮影禁止、ってこともあるもんね…)
写真くらいは撮らせて欲しい、と思うけれども、これも規則に従うしかない。
「今のシャングリラ」のためのルールに、見学者向けに作られた規則に。
(ぼくもハーレイも、ただ、似ているってだけの…)
一般人になった以上は、今のルールに従うべき。
どんなに舵輪を握りたくても、青の間のベッドに腰掛けたくても…。
(ハーレイも、ぼくも、我慢しなくちゃ…)
でないと、船を下ろされちゃうしね、と苦笑する。
規則を破ってしまったならば、警備の人に注意をされて、それが続けば追い出される。
「他の方にも迷惑ですから」と叱られて。
「見学を止めて降りて下さい」と、見学用とは違う通路に連行されて。
(…そんなの、勘弁して欲しいから…)
きちんとルールを守って見るよ、と心に誓う。
もうキャプテンでも、ソルジャーでもない、ただの見学者の恋人同士で行くのなら。
今のハーレイと手を繋ぎ合って、懐かしい船を見るのなら。
(もしも、あの船に行けたなら…)
ちゃんとルールは守るからね、と心の中で、ハーレイと歩く見学用のコース。
「ブリッジの舵輪は、見るだけだから」と。
「青の間だって、見るだけだから」と、「それだけでも充分、幸せだから」と…。
あの船に行けたなら・了
※シャングリラが今もあったなら、と考え始めたブルー君。ハーレイ先生と行きたいな、と。
見学者用になった船には、二人が知らないルールが幾つも。触れなくても、見られれば幸せv
(シャングリラか……)
あの船は、もう無いんだよな、とハーレイが、ふと思い出した船。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それをお供に。
船と言っても、水に浮かべる船ではない。
遠く遥かな時の彼方に、消えてしまった宇宙船。
前のブルーと旅をした船、楽園という意味の名前を持った、ミュウの箱舟。
(…ずいぶん早くに、無くなっちまって…)
その姿はもう、写真などでしか残ってはいない。
ジョミーの跡を継いだソルジャー、トォニィが解体を命じたから。
「もう、箱舟は要らないから」と。
(お蔭で、宇宙の何処を探しても…)
あの船は、二度と見られはしない。
せっかく記憶を取り戻したのに、懐かしい船には会いに行けない。
(…まあ、これだけの時が流れちまったら…)
シャングリラが残っていたとしたって、中身はすっかり変わっただろう。
船の設備は変わらないにしても、見学者向けの仕様になって。
人間が全て、ミュウになっている今の時代は、とても平和な世界だから。
(博物館にでも行ったみたいに、見学コースが出来ちまってて…)
船に乗り込んだら、矢印でも付いていたのだろうか。
見て回るのに最適な順路が、誰でも一目で分かるようにと。
(…ついでに、立ち入り禁止のロープも…)
場所によっては、きちんと張られていることだろう。
例えば、前のブルーが長く暮らした、青の間。
ベッドの周りにあったスペース、其処は歩いて見て回れても…。
(あいつが使ったベッドには、触れないように…)
ロープで囲んで、「手を触れないで下さい」の注意書き。
ブリッジも、似たようなものだと思う。
前の自分が握った舵輪は、「手を触れないで」と、ロープの向こうで。
見学者のための船になったら、そんな所だ、と容易に分かる白い箱舟。
長い歳月、キャプテンとして眺めていたから、なおのこと。
(…見学者向けに開放するなら、食堂なんかはレストランだな)
メニューは今風になるんだろうが、と顎に当てる手。
「当時のままだと、美味くはないだろうからな」と。
(いや、不味いってことはないんだが…)
今でも、充分、通用するが、と、その点については自信がある。
元は厨房出身なだけに、食堂で出されていたメニューには…。
(口を出したりしなかっただけで、新作なんかは、いつもきちんと…)
味わって食べて、心の中で及第点を出していた。
「これなら、良し」と。
あの船は箱舟だったのだから、食事といえども、手抜きは不可。
皆が「美味しい」と食べてこそだし、そうでなければ「楽園」ではない。
(…そうは言っても、自給自足の船ではなあ…)
食材に限りがあるってモンだ、と今も鮮やかに思い出せる。
肉も魚もあったけれども、種類は豊富ではなかった、と。
スパイスにしても、ごくごく基本のものしか無かった。
それらを使って作るのだから、平和な時代に生まれ育った人々には…。
(何処か、物足りないってな)
美味くてもだ、と苦笑する。
「再現メニュー」と謳わない限り、当時のままのメニューは出せない、と。
もっとも、今の時代だったら…。
(それはそれで、人気を呼びそうだがな)
前の俺たちが食わされた餌も、今では人気なんだから、と可笑しくなった。
そういうイベントに、出くわしたから。
(なんとも洒落た感じになってて…)
目玉メニューになっていた「餌」。
アルタミラの研究所の檻で与えられていた「餌」を、喜んで食べていたレストランの客たち。
ヘルシーで、とても美味しい、と。
イベントが開催されている間に、「また食べに来たい」と。
(所変われば、品変わる、とは言うんだが…)
それにしてもな、と思うけれども、平和な時代は、そんなもの。
代用品だった、キャロブで作ったコーヒーだって…。
(見学者用に出すんだったら、やっぱり、喜ばれちまうんだろうな)
ヘルシーなのも間違っちゃいない、と眺めるマグカップのコーヒー。
「こいつと違って、キャロブなんだしな」と。
白いシャングリラの見学者たちには、きっと好評なのだろう。
だから、レストランだけに限らず、公園などでも提供されるのかもしれない。
あの船は、とても広かったのだし、短時間で全て見られはしないし、休憩場所も必要だろう。
船に幾つも鏤められていた公園たちは、格好の憩いのスペースになる。
(元々、そのための場所だったしな?)
だから、いい具合に散らばってたぞ、と指を折ってゆく。
居住区に多くあったけれども、他の場所にも「まるで無かったわけじゃない」と。
(……あの船が、今も残っていればな……)
是非、見学に行きたかった、と残念だけれど、仕方ない。
トォニィが決めて、この宇宙から消えたなら。
箱舟としての役目を終えて、時の彼方に去ったのならば。
(…俺が、あの船に行く方法は…)
どう考えても無いのだけれども、あったとしたら、どうだろう。
神様の気まぐれで、ほんの数時間、あの船にヒョイと行けるとか。
(タイムスリップみたいなモンで…)
キャプテン・ハーレイとしてではなくて、今の自分のままで「行く」船。
ただ、懐かしく見て回るために。
「こういう船で暮らしたっけな」と、あちこち歩いて、触ったりして。
(…出来やしないとは思うんだが…)
いくら神様でも、そんな願いは聞いちゃくれない、と分かってはいても…。
(考えてみるのは、自由だしな?)
ちょいと、心で旅をするか、とコーヒーのカップを傾けた。
「俺が、あの船に行けたら」と。
どんな具合か、何をしたいか、心だけ、船に飛ばせてみよう、と。
あの船に行けたら、白いシャングリラに「今の自分」が行けたなら。
何をしようかと考える前に、「何処に行くのか」を、まず決めなければ。
その「行き先」とは、場所ではなくて…。
(…俺が出掛けてゆく先の…)
時間とか、時代というヤツだよな、と大きく頷く。
「そいつが大事だ」と。
白いシャングリラは、ミュウの箱舟だった船。
元の船から改造した後、アルテメシアに長く潜んで、其処を逃れて…。
(何年も宇宙を彷徨い続けて、ナスカに着いて…)
ナスカで四年、それから後は地球を目指しての戦いの日々。
長くあの船で過ごしたけれども、出掛けてゆくなら、どの時代なのか。
(…何処でもいい、なんてことを言ったら…)
前のブルーがいなくなった後の、戦いばかりの船になるかもしれない。
戦いはともかく、前のブルーがいない船では…。
(わざわざ、落ち込みに行くようなモンだ)
生ける屍みたいな「前の俺」もいるし、と、それだけは御免蒙りたい。
それに、選んでいいのだったら…。
(前のあいつが、ちゃんと元気で…)
地球への夢もあった時代だ、と決めた行き先。
「其処にしよう」と。
もっとも、自分が行ったところで、何も起こりはしないのだけれど。
「今の自分」が、ただ「見学」に訪れるだけ。
あちこち歩いて触っていようと、誰にも姿は見えない存在。
(…前のあいつの力でも…)
全く捉えることは不可能、つまりブルーも「気付きはしない」。
其処に、「ハーレイが居る」ことに。
たとえ目の前に立ちはだかろうと、気付きはせずに「すり抜けてゆく」。
(…少し寂しい気もするんだが…)
そうでなければ、歴史が狂っちまうしな、とフウと溜息。
「仕方ないんだ」と、「俺がベラベラ喋っちまったら、大変だから」と。
出掛けて行っても、何も出来ない「見学者」。
けれど、それでも「行けたら」と思う。
あの白い船が、懐かしくて。
青い地球に来た「今の自分」の目で、もう一度、船を見て回りたくて。
(…あの船に行けたら、真っ先に…)
ブリッジだろうな、と決めた見学先。
前の自分が馴染んだ場所だし、其処から始めるのが一番、と。
(…前のあいつが元気な頃なら…)
シャングリラの舵を握っているのは、間違いなく「前の自分」の筈。
その側に立って、お手並み拝見。
(…なんたって、俺は、あの頃の俺よりも、遥かにだな…)
経験値ってヤツを積んでるわけで、と自画自賛する。
「あの頃の俺は、充分に自信たっぷりだったが、まだまだだぞ」と。
「今の俺が見りゃ、あらも見えるさ」と、「横から、指導したいほどだな」と。
(そうじゃないぞ、と叱るトコまではいかないだろうが…)
経験豊かな「今の自分」なら、「自分」の操舵が危なっかしく見えることだろう。
横で見ていて、ちょっぴり恥ずかしくなったりもして。
(この程度の腕で、自信満々だったのか、と…)
とてもシドには言えやしないぞ、と呆れるような腕かもしれない。
シドを後継者に指名した後は、かなり厳しく仕込んだから。
操舵の腕も、キャプテンとしての心構えも、およそ自分の知ることは、全部。
(…ブルーの寿命が尽きちまった時は、俺もブルーの後を追うんだ、と…)
シドを育てておいたのだけれど、結局、それは叶わなかった。
前の自分は、地球の地の底で命尽きるまで、「キャプテン」のまま。
とはいえ、シドを育成していたお蔭で、白いシャングリラは…。
(ジョミーも俺も、長老たちまでいなくなっても…)
混乱しないで、トォニィの指揮で、燃え上がる地球を後にして去った。
トォニィだけでは、それは難しかったろう。
船を纏める者がいないと、指揮系統も乱れるから。
(…前の俺は、本当にいい仕事をしたな)
結果的に、と褒めたくなる。
けれど、その頃の自分がいる時代よりは、未熟な腕だった時代でいい。
ブリッジを充分に堪能したら、次は艦内を見て回ろうか。
公園や農場、ずっと昔は所属していた厨房もいい。
(今日のメニューは、何だろうな、と…)
覗きに出掛けて、鍋などの中身も覗き込む。
「ほほう」と、「なかなか美味そうじゃないか」と。
それに機関部も見に行きたいし、子供たちの勉強風景なども。
(一通り見たら、青の間に行って…)
前のブルーが其処に居たなら、静かに立って眺めていよう。
今はもういない、美しい人を。
チビのブルーになってしまって、とても「気高い」とは言えなくなってしまった人を。
(…これも、ブルーには言えやしないぞ)
前のブルーにも、今のブルーにも…、と肩を竦める。
どうしてブルーが「そうなる」のかを、前のブルーには言えないから。
今のブルーに「前のブルーを見ていた」だなんて、口が裂けても言えやしないから。
(あいつ、自分に嫉妬するしな)
怖い、怖い、と大袈裟に震えて、心の中で、爪先立ちで青の間を後にする。
「くわばら、くわばら」と、「長居は無用」と。
そして最後に訪れたい場所は、前の自分が使っていた部屋。
棚に並べた航宙日誌や、沢山の本を眺め回して…。
(あの懐かしい椅子に座って、御自慢だった木の机を撫でて…)
うんとゆっくり出来ればいいな、と心での旅は終わらない。
「もしも、あの船に行けたら」と。
「あの部屋も、いい居心地だった」と、「この書斎にも、負けちゃいなかったぞ」と…。
あの船に行けたら・了
※今の自分がシャングリラに行けたら、と考えてみたハーレイ先生。誰にも見えない見学者。
あちこち回って、前の自分の操舵を見たり、自分の部屋で寛いだり。楽しいですよねv
あの船は、もう無いんだよな、とハーレイが、ふと思い出した船。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それをお供に。
船と言っても、水に浮かべる船ではない。
遠く遥かな時の彼方に、消えてしまった宇宙船。
前のブルーと旅をした船、楽園という意味の名前を持った、ミュウの箱舟。
(…ずいぶん早くに、無くなっちまって…)
その姿はもう、写真などでしか残ってはいない。
ジョミーの跡を継いだソルジャー、トォニィが解体を命じたから。
「もう、箱舟は要らないから」と。
(お蔭で、宇宙の何処を探しても…)
あの船は、二度と見られはしない。
せっかく記憶を取り戻したのに、懐かしい船には会いに行けない。
(…まあ、これだけの時が流れちまったら…)
シャングリラが残っていたとしたって、中身はすっかり変わっただろう。
船の設備は変わらないにしても、見学者向けの仕様になって。
人間が全て、ミュウになっている今の時代は、とても平和な世界だから。
(博物館にでも行ったみたいに、見学コースが出来ちまってて…)
船に乗り込んだら、矢印でも付いていたのだろうか。
見て回るのに最適な順路が、誰でも一目で分かるようにと。
(…ついでに、立ち入り禁止のロープも…)
場所によっては、きちんと張られていることだろう。
例えば、前のブルーが長く暮らした、青の間。
ベッドの周りにあったスペース、其処は歩いて見て回れても…。
(あいつが使ったベッドには、触れないように…)
ロープで囲んで、「手を触れないで下さい」の注意書き。
ブリッジも、似たようなものだと思う。
前の自分が握った舵輪は、「手を触れないで」と、ロープの向こうで。
見学者のための船になったら、そんな所だ、と容易に分かる白い箱舟。
長い歳月、キャプテンとして眺めていたから、なおのこと。
(…見学者向けに開放するなら、食堂なんかはレストランだな)
メニューは今風になるんだろうが、と顎に当てる手。
「当時のままだと、美味くはないだろうからな」と。
(いや、不味いってことはないんだが…)
今でも、充分、通用するが、と、その点については自信がある。
元は厨房出身なだけに、食堂で出されていたメニューには…。
(口を出したりしなかっただけで、新作なんかは、いつもきちんと…)
味わって食べて、心の中で及第点を出していた。
「これなら、良し」と。
あの船は箱舟だったのだから、食事といえども、手抜きは不可。
皆が「美味しい」と食べてこそだし、そうでなければ「楽園」ではない。
(…そうは言っても、自給自足の船ではなあ…)
食材に限りがあるってモンだ、と今も鮮やかに思い出せる。
肉も魚もあったけれども、種類は豊富ではなかった、と。
スパイスにしても、ごくごく基本のものしか無かった。
それらを使って作るのだから、平和な時代に生まれ育った人々には…。
(何処か、物足りないってな)
美味くてもだ、と苦笑する。
「再現メニュー」と謳わない限り、当時のままのメニューは出せない、と。
もっとも、今の時代だったら…。
(それはそれで、人気を呼びそうだがな)
前の俺たちが食わされた餌も、今では人気なんだから、と可笑しくなった。
そういうイベントに、出くわしたから。
(なんとも洒落た感じになってて…)
目玉メニューになっていた「餌」。
アルタミラの研究所の檻で与えられていた「餌」を、喜んで食べていたレストランの客たち。
ヘルシーで、とても美味しい、と。
イベントが開催されている間に、「また食べに来たい」と。
(所変われば、品変わる、とは言うんだが…)
それにしてもな、と思うけれども、平和な時代は、そんなもの。
代用品だった、キャロブで作ったコーヒーだって…。
(見学者用に出すんだったら、やっぱり、喜ばれちまうんだろうな)
ヘルシーなのも間違っちゃいない、と眺めるマグカップのコーヒー。
「こいつと違って、キャロブなんだしな」と。
白いシャングリラの見学者たちには、きっと好評なのだろう。
だから、レストランだけに限らず、公園などでも提供されるのかもしれない。
あの船は、とても広かったのだし、短時間で全て見られはしないし、休憩場所も必要だろう。
船に幾つも鏤められていた公園たちは、格好の憩いのスペースになる。
(元々、そのための場所だったしな?)
だから、いい具合に散らばってたぞ、と指を折ってゆく。
居住区に多くあったけれども、他の場所にも「まるで無かったわけじゃない」と。
(……あの船が、今も残っていればな……)
是非、見学に行きたかった、と残念だけれど、仕方ない。
トォニィが決めて、この宇宙から消えたなら。
箱舟としての役目を終えて、時の彼方に去ったのならば。
(…俺が、あの船に行く方法は…)
どう考えても無いのだけれども、あったとしたら、どうだろう。
神様の気まぐれで、ほんの数時間、あの船にヒョイと行けるとか。
(タイムスリップみたいなモンで…)
キャプテン・ハーレイとしてではなくて、今の自分のままで「行く」船。
ただ、懐かしく見て回るために。
「こういう船で暮らしたっけな」と、あちこち歩いて、触ったりして。
(…出来やしないとは思うんだが…)
いくら神様でも、そんな願いは聞いちゃくれない、と分かってはいても…。
(考えてみるのは、自由だしな?)
ちょいと、心で旅をするか、とコーヒーのカップを傾けた。
「俺が、あの船に行けたら」と。
どんな具合か、何をしたいか、心だけ、船に飛ばせてみよう、と。
あの船に行けたら、白いシャングリラに「今の自分」が行けたなら。
何をしようかと考える前に、「何処に行くのか」を、まず決めなければ。
その「行き先」とは、場所ではなくて…。
(…俺が出掛けてゆく先の…)
時間とか、時代というヤツだよな、と大きく頷く。
「そいつが大事だ」と。
白いシャングリラは、ミュウの箱舟だった船。
元の船から改造した後、アルテメシアに長く潜んで、其処を逃れて…。
(何年も宇宙を彷徨い続けて、ナスカに着いて…)
ナスカで四年、それから後は地球を目指しての戦いの日々。
長くあの船で過ごしたけれども、出掛けてゆくなら、どの時代なのか。
(…何処でもいい、なんてことを言ったら…)
前のブルーがいなくなった後の、戦いばかりの船になるかもしれない。
戦いはともかく、前のブルーがいない船では…。
(わざわざ、落ち込みに行くようなモンだ)
生ける屍みたいな「前の俺」もいるし、と、それだけは御免蒙りたい。
それに、選んでいいのだったら…。
(前のあいつが、ちゃんと元気で…)
地球への夢もあった時代だ、と決めた行き先。
「其処にしよう」と。
もっとも、自分が行ったところで、何も起こりはしないのだけれど。
「今の自分」が、ただ「見学」に訪れるだけ。
あちこち歩いて触っていようと、誰にも姿は見えない存在。
(…前のあいつの力でも…)
全く捉えることは不可能、つまりブルーも「気付きはしない」。
其処に、「ハーレイが居る」ことに。
たとえ目の前に立ちはだかろうと、気付きはせずに「すり抜けてゆく」。
(…少し寂しい気もするんだが…)
そうでなければ、歴史が狂っちまうしな、とフウと溜息。
「仕方ないんだ」と、「俺がベラベラ喋っちまったら、大変だから」と。
出掛けて行っても、何も出来ない「見学者」。
けれど、それでも「行けたら」と思う。
あの白い船が、懐かしくて。
青い地球に来た「今の自分」の目で、もう一度、船を見て回りたくて。
(…あの船に行けたら、真っ先に…)
ブリッジだろうな、と決めた見学先。
前の自分が馴染んだ場所だし、其処から始めるのが一番、と。
(…前のあいつが元気な頃なら…)
シャングリラの舵を握っているのは、間違いなく「前の自分」の筈。
その側に立って、お手並み拝見。
(…なんたって、俺は、あの頃の俺よりも、遥かにだな…)
経験値ってヤツを積んでるわけで、と自画自賛する。
「あの頃の俺は、充分に自信たっぷりだったが、まだまだだぞ」と。
「今の俺が見りゃ、あらも見えるさ」と、「横から、指導したいほどだな」と。
(そうじゃないぞ、と叱るトコまではいかないだろうが…)
経験豊かな「今の自分」なら、「自分」の操舵が危なっかしく見えることだろう。
横で見ていて、ちょっぴり恥ずかしくなったりもして。
(この程度の腕で、自信満々だったのか、と…)
とてもシドには言えやしないぞ、と呆れるような腕かもしれない。
シドを後継者に指名した後は、かなり厳しく仕込んだから。
操舵の腕も、キャプテンとしての心構えも、およそ自分の知ることは、全部。
(…ブルーの寿命が尽きちまった時は、俺もブルーの後を追うんだ、と…)
シドを育てておいたのだけれど、結局、それは叶わなかった。
前の自分は、地球の地の底で命尽きるまで、「キャプテン」のまま。
とはいえ、シドを育成していたお蔭で、白いシャングリラは…。
(ジョミーも俺も、長老たちまでいなくなっても…)
混乱しないで、トォニィの指揮で、燃え上がる地球を後にして去った。
トォニィだけでは、それは難しかったろう。
船を纏める者がいないと、指揮系統も乱れるから。
(…前の俺は、本当にいい仕事をしたな)
結果的に、と褒めたくなる。
けれど、その頃の自分がいる時代よりは、未熟な腕だった時代でいい。
ブリッジを充分に堪能したら、次は艦内を見て回ろうか。
公園や農場、ずっと昔は所属していた厨房もいい。
(今日のメニューは、何だろうな、と…)
覗きに出掛けて、鍋などの中身も覗き込む。
「ほほう」と、「なかなか美味そうじゃないか」と。
それに機関部も見に行きたいし、子供たちの勉強風景なども。
(一通り見たら、青の間に行って…)
前のブルーが其処に居たなら、静かに立って眺めていよう。
今はもういない、美しい人を。
チビのブルーになってしまって、とても「気高い」とは言えなくなってしまった人を。
(…これも、ブルーには言えやしないぞ)
前のブルーにも、今のブルーにも…、と肩を竦める。
どうしてブルーが「そうなる」のかを、前のブルーには言えないから。
今のブルーに「前のブルーを見ていた」だなんて、口が裂けても言えやしないから。
(あいつ、自分に嫉妬するしな)
怖い、怖い、と大袈裟に震えて、心の中で、爪先立ちで青の間を後にする。
「くわばら、くわばら」と、「長居は無用」と。
そして最後に訪れたい場所は、前の自分が使っていた部屋。
棚に並べた航宙日誌や、沢山の本を眺め回して…。
(あの懐かしい椅子に座って、御自慢だった木の机を撫でて…)
うんとゆっくり出来ればいいな、と心での旅は終わらない。
「もしも、あの船に行けたら」と。
「あの部屋も、いい居心地だった」と、「この書斎にも、負けちゃいなかったぞ」と…。
あの船に行けたら・了
※今の自分がシャングリラに行けたら、と考えてみたハーレイ先生。誰にも見えない見学者。
あちこち回って、前の自分の操舵を見たり、自分の部屋で寛いだり。楽しいですよねv
「ねえ、ハーレイ。我慢のしすぎは…」
良くないんだよね、と小さなブルーが投げ掛けた問い。
二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
(…来たぞ…)
いつものパターンだよな、とハーレイは心で身構えた。
此処でウッカリ同意したなら、ブルーの思う壺になる。
(どうせ、こいつの我慢ってヤツは…)
俺からキスが貰えんことだ、とハーレイは既に学習済み。
何度もブルーの問いに騙され、何度も叱り付けて来た。
「お前にキスは早すぎる」と、軽く拳をお見舞いして。
銀色の頭をコツンとやって、チビのブルーを睨み付けて。
(魂胆が分かっているんだから…)
返事なんかはするもんか、とハーレイはカップを傾けた。
知らん顔をして、熱い紅茶を味わう。
「早く飲まないと、冷めちまうぞ?」とブルーを促して。
ポットの中身は冷めないけれども、カップは冷める、と。
「…ハーレイ、勘違いしてるでしょ?」
ぼくが言ってる我慢のこと、とブルーは頬を膨らませた。
「今の話じゃないんだからね」と、「前のことだよ」と。
「前のことだと?」
いつの話だ、とハーレイはブルーの顔を見詰めた。
ことによっては、考えを改めなければならない。
今のブルーの話だったら、流しておけばいいけれど…。
(違った場合は、真面目に聞かんと…)
駄目なんだ、と時の彼方のことを思った。
前のブルーが過ごした生は、我慢の連続だったのだから。
(そっちでなければいいんだがな?)
お茶の時間には似合わん話題だ、と願ったのに…。
「前って言ったら、前のぼくに決まっているじゃない!」
あの頃は、いつも我慢ばかり、とブルーは言った。
「毎日我慢で、だけど、それでも…」
檻の中よりマシだったから、と赤い瞳が真剣になる。
「だから平気でいられただけ」と、「ホントは駄目」と。
「あんなに我慢ばかりの生活、良くないよね?」と。
(…脱出直後の話だったか…)
後の時代でなくて良かった、とハーレイはホッとした。
そちらだったら、相槌の打ちようもある。
誰もが我慢の時代だったし、苦労話も山とあるから。
「あの頃なあ…。比較対象が酷すぎたんだな」
今だと勘弁願いたいな、と苦笑して指でカップを弾く。
「お茶の時間どころか、飯の心配ばかりだったし…」
「でしょ? 飢え死にはなくても、ジャガイモ地獄…」
キャベツ地獄もあったもんね、とブルーが頷く。
「毎日、ホントに大変だったよ」と「我慢ばかり」と。
確かに我慢ばかりをしていた、あの時代。
ハーレイの記憶に今も鮮やかに残る、ジャガイモ地獄。
前のブルーが人類の船から奪った食材、それだけが全て。
ジャガイモ以外を食べたくなっても、どうしようもない。
他の食材が欲しいのだったら、また奪う他に道は無く…。
(それが出来るのは、前のこいつだけで…)
しかも見た目も中身も子供で、無茶をしそうなブルー。
分かっているから、物資を奪いに出すなど、論外。
何も無いなら仕方ないけれど、船に食材があるのなら。
それがジャガイモばかりだろうと、キャベツだろうと。
「そうだな、あの頃は実に酷かったよな」
毎日が我慢の連続で、とハーレイは厨房時代を思った。
仲間の胃袋を満たすためにと、懸命に工夫していた日々。
皆も分かってくれていたけれど、それでも文句は零れた。
「またジャガイモか」と、「またキャベツか」と。
それでも我慢で、誰もが我慢。
船に食材は他に無いから、ただ、ひたすらに。
前のブルーも黙々と食べて、文句は言わなかったけど…。
「今のぼくだと、絶対、文句を言っちゃうよ」
ジャガイモばかりの食事なんて、とブルーが顔を顰める。
「今だと、心が病気になっちゃう」と「身体もね」と。
「まったくだ。人間、我慢のしすぎは良くない」
心にも、それに身体にもな、とハーレイは笑んだ。
「前の俺たちは頑張りすぎだ」と、「強かったな」と。
そうしたら…。
「ハーレイも、そう思うでしょ? だからね…」
ぼくの心の健康のために、とブルーが強請ったキス。
我慢しすぎて、夜も眠れないから、身体のためにも、と。
「馬鹿野郎!」
それとこれとは別問題だ、とハーレイが軽く落とした拳。
ブルーの小さな銀色の頭に、コツンと痛くないように。
「いいか、ほどほどの我慢ってヤツは、だ…」
心と身体を鍛えるんだぞ、とブルーを叱る。
「お前のは、頑張りすぎとは言わん」と。
「我慢で、強い心を作れ」と、「身体の方も我慢だ」と。
「早寝早起きで強くなれよ」と、「よく眠ってな」と…。
我慢のしすぎは・了
良くないんだよね、と小さなブルーが投げ掛けた問い。
二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
(…来たぞ…)
いつものパターンだよな、とハーレイは心で身構えた。
此処でウッカリ同意したなら、ブルーの思う壺になる。
(どうせ、こいつの我慢ってヤツは…)
俺からキスが貰えんことだ、とハーレイは既に学習済み。
何度もブルーの問いに騙され、何度も叱り付けて来た。
「お前にキスは早すぎる」と、軽く拳をお見舞いして。
銀色の頭をコツンとやって、チビのブルーを睨み付けて。
(魂胆が分かっているんだから…)
返事なんかはするもんか、とハーレイはカップを傾けた。
知らん顔をして、熱い紅茶を味わう。
「早く飲まないと、冷めちまうぞ?」とブルーを促して。
ポットの中身は冷めないけれども、カップは冷める、と。
「…ハーレイ、勘違いしてるでしょ?」
ぼくが言ってる我慢のこと、とブルーは頬を膨らませた。
「今の話じゃないんだからね」と、「前のことだよ」と。
「前のことだと?」
いつの話だ、とハーレイはブルーの顔を見詰めた。
ことによっては、考えを改めなければならない。
今のブルーの話だったら、流しておけばいいけれど…。
(違った場合は、真面目に聞かんと…)
駄目なんだ、と時の彼方のことを思った。
前のブルーが過ごした生は、我慢の連続だったのだから。
(そっちでなければいいんだがな?)
お茶の時間には似合わん話題だ、と願ったのに…。
「前って言ったら、前のぼくに決まっているじゃない!」
あの頃は、いつも我慢ばかり、とブルーは言った。
「毎日我慢で、だけど、それでも…」
檻の中よりマシだったから、と赤い瞳が真剣になる。
「だから平気でいられただけ」と、「ホントは駄目」と。
「あんなに我慢ばかりの生活、良くないよね?」と。
(…脱出直後の話だったか…)
後の時代でなくて良かった、とハーレイはホッとした。
そちらだったら、相槌の打ちようもある。
誰もが我慢の時代だったし、苦労話も山とあるから。
「あの頃なあ…。比較対象が酷すぎたんだな」
今だと勘弁願いたいな、と苦笑して指でカップを弾く。
「お茶の時間どころか、飯の心配ばかりだったし…」
「でしょ? 飢え死にはなくても、ジャガイモ地獄…」
キャベツ地獄もあったもんね、とブルーが頷く。
「毎日、ホントに大変だったよ」と「我慢ばかり」と。
確かに我慢ばかりをしていた、あの時代。
ハーレイの記憶に今も鮮やかに残る、ジャガイモ地獄。
前のブルーが人類の船から奪った食材、それだけが全て。
ジャガイモ以外を食べたくなっても、どうしようもない。
他の食材が欲しいのだったら、また奪う他に道は無く…。
(それが出来るのは、前のこいつだけで…)
しかも見た目も中身も子供で、無茶をしそうなブルー。
分かっているから、物資を奪いに出すなど、論外。
何も無いなら仕方ないけれど、船に食材があるのなら。
それがジャガイモばかりだろうと、キャベツだろうと。
「そうだな、あの頃は実に酷かったよな」
毎日が我慢の連続で、とハーレイは厨房時代を思った。
仲間の胃袋を満たすためにと、懸命に工夫していた日々。
皆も分かってくれていたけれど、それでも文句は零れた。
「またジャガイモか」と、「またキャベツか」と。
それでも我慢で、誰もが我慢。
船に食材は他に無いから、ただ、ひたすらに。
前のブルーも黙々と食べて、文句は言わなかったけど…。
「今のぼくだと、絶対、文句を言っちゃうよ」
ジャガイモばかりの食事なんて、とブルーが顔を顰める。
「今だと、心が病気になっちゃう」と「身体もね」と。
「まったくだ。人間、我慢のしすぎは良くない」
心にも、それに身体にもな、とハーレイは笑んだ。
「前の俺たちは頑張りすぎだ」と、「強かったな」と。
そうしたら…。
「ハーレイも、そう思うでしょ? だからね…」
ぼくの心の健康のために、とブルーが強請ったキス。
我慢しすぎて、夜も眠れないから、身体のためにも、と。
「馬鹿野郎!」
それとこれとは別問題だ、とハーレイが軽く落とした拳。
ブルーの小さな銀色の頭に、コツンと痛くないように。
「いいか、ほどほどの我慢ってヤツは、だ…」
心と身体を鍛えるんだぞ、とブルーを叱る。
「お前のは、頑張りすぎとは言わん」と。
「我慢で、強い心を作れ」と、「身体の方も我慢だ」と。
「早寝早起きで強くなれよ」と、「よく眠ってな」と…。
我慢のしすぎは・了
(ハーレイと一緒に、地球まで来られたんだよね…)
身体は新しくなっちゃったけど、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は会えずに終わったけれども、ハーレイは同じ町にいる。
青く蘇った地球の上にある、ごくごく普通の町の一つに。
(…夢がホントになっちゃった…)
前のぼくの、と遠く遥かな時の彼方に思いを馳せる。
白いシャングリラで、どれほど地球に焦がれたことか。
いつか行きたいと夢を描いて、前のハーレイと交わした約束。
「いつか地球まで辿り着いたら」と、数え切れないほどの夢を託して。
(でも、前のぼくは…)
地球への夢を、諦めざるを得なかった。
寿命が足りなくなってしまって、行けないと悟った夢の星。
(…もしも、メギドで死ななかったら…)
あるいは行けていたのかも、と考えて、直ぐに首をブンブンと左右に振った。
「そんなのは、無理」と。
前の自分が命を捨ててメギドを止めなかったら、ミュウは滅びていただろう。
白い箱舟も焼かれてしまって、宇宙の藻屑。
(…ハーレイと地球まで行けるどころか、ハーレイだって…)
ナスカで死んでしまっておしまい、と分かっているから、後悔は無い。
前の生の終わりに、泣きじゃくりながら死んでいったことも、後悔なんかは…。
(多分、していなかったよね?)
あまり自信が無いのだけれども、恐らく、してはいないと思う。
ハーレイとの絆は切れてしまっても、ミュウの未来は守れたから。
大勢の仲間を乗せた箱舟を、ハーレイが地球まで、きっと運んでくれるから。
(…だから、それでいい、って…)
前の自分は納得していて、其処で終わりの筈だった。
ハーレイと過ごした幸せな日々も、最後まで持っていたかった恋も。
ところが、終わらなかった恋。
気付けば自分は青い地球にいて、ハーレイまでがついて来た。
(ちょっぴりチビなのが、残念だけど…)
育つまで結婚はお預けどころか、キスさえ、お預け。
それでも、前の自分の夢は…。
(ちゃんと叶っているんだよ)
ハーレイと地球に来られたものね、と今の幸せを噛み締める。
前の生でハーレイと交わした沢山の約束、「地球に着いたら」と描いた夢が叶う人生。
チビの自分が大きくなったら、今のハーレイが叶えてくれる。
旅行に行ったり、ドライブしたりと、計画を立てて。
(生まれて来た星が、地球で良かった…)
夢を叶えるには一番の場所、と嬉しくなる。
他の星に二人で生まれていたなら、前の生での約束を果たそうと思ったら…。
(…地球まで、出掛けて行かないと…)
地球での夢は叶わないから、とても大変だったろう。
ハーレイの仕事が休みになる度、長期の旅行。
夏休みくらいしか、無理かもしれない。
(そうなると、年に一回だけしか…)
地球への旅は出来ないわけだし、旅行の時は予定がビッシリ。
叶えたい約束をギュウギュウ詰め込み、あちこちの地域を駆け回って。
(考えただけでも、忙しそう…)
バテちゃいそうだよ、と思うけれども、ハーレイと一緒に暮らせるのなら…。
(地球でなくても、気にならないよね?)
だって、ハーレイがいるんだもの、と大きく頷く。
前の生の終わりに切れたと思った、ハーレイとの絆。
それが切れずに繋がっていたら、もう、それだけで充分だろう。
地球からは遠い星に生まれてしまって、地球まで行くのが一苦労でも。
前の生での夢を叶えるのが、ハードスケジュールな旅になっても。
(…ハーレイさえ、一緒にいてくれるなら…)
ぼくは何処でも構わないや、と心から思うし、今の生でも、その点は同じ。
ハーレイの仕事に、転勤なんかは無いのだけれど…。
(同じ町にある学校の中で、勤める学校が変わるだけだし…)
他所の町には行かないけれども、仕事によっては、別の地域への転勤もある。
違う町どころか、海を渡った遥か遠くの、全く違う文化の地域へ。
(もしも、そういう仕事だったら…)
この町を離れて、引っ越す日がやって来たかもしれない。
「そんなに遠いの?」と思う地域へ、もしかしたら砂漠があるような所。
うんと暑くて、今の生でも弱い身体には、強い日差しが堪えるくらいに過酷な地域。
(住めば都だから、そういうトコにも…)
好きで暮らしている人は多いし、ハーレイが転勤するのだったら、一緒に行く。
毎日、「暑いよ」と、へばっていても。
ちょっと散歩に出掛けることさえ、昼間は暑くて無理な場所でも。
(…ハーレイが一緒なら、ぼくは幸せ…)
そのハーレイが行くと言うなら、何処へだってついて行くだろう。
「今度の転勤、お前には、ちょっとキツそうだから」と、残るようにと勧められても。
転勤が終わって帰って来るまで、両親の家で暮らすようにと、提案されても。
(ハーレイと離れるなんて、二度と嫌だよ)
メギドの時だけで充分だから、と決意をこめて握った右手。
前の生の終わりに、ハーレイの温もりを失くしてしまって、冷たく凍えてしまったから…。
(今度は、ハーレイの手を離さないってば)
どんな場所でも、ついて行くよ、と右手を見詰める。
「ハーレイが行くなら、何処だって行くよ」と。
(…君が行くなら、ぼくは必ず…)
一緒に行くって言うからね、と。
たとえハーレイが「駄目だ」と言おうが、絶対に「うん」と頷きはしない。
「お前の身体には、良くないから」と、難しい顔をされたって。
しょっちゅう寝込む羽目になろうが、ハーレイと離れるよりはいい。
ハーレイが仕事に行っている間は、一人きりでベッドの住人でも。
用意して行ってくれた食事を、食べる元気も出ない日々でも。
そう、ハーレイが行くと言うなら、何処であろうと一緒に行く。
「お前には無理だ」と説得されても、喧嘩になっても、諦めはしない。
「ぼくも一緒に行くんだから」と、言い張るだけ。
「でなきゃ、ハーレイも行かせやしないよ」と、まるで幼い子供みたいに駄々をこねて。
(…ハーレイが許してくれなくっても…)
なんとかして、ついて行くんだもんね、と決心は固い。
ハーレイが転勤して行った後で、自分もコッソリ纏めておいた荷物を送って…。
(其処へ行く便に乗って追い掛けて行けば、ハーレイだって…)
諦めるしかないだろう。
「ブルーの荷物」がドカンと届いて、本人もやって来たならば。
「今日から、此処で暮らすからね」と、悪びれもせずに、上がり込まれたならば。
(…ハーレイが、ぼくを置いて行くほどの場所だから…)
とても暑いとか、酷く寒いとか、とんでもない気候の場所だろう。
ハーレイを追い掛けて着いた途端に、「こんなトコなの?」と後悔しそうなほどに。
「ぼくの身体、ホントに大丈夫かな」と、クラリと眩暈を起こすくらいに。
(…路線バスとかで、ハーレイの家まで行こうとしてても…)
その計画を立てて来ていても、たちまち挫折する自分がいそう。
「そんなの無理だよ」と、手荷物さえも、もう重すぎて。
ヨロヨロしながらタクシーに乗るのが、精一杯で。
(だけど、ハーレイがいる場所なんだし…)
きっと心は幸せ一杯、「やっと来られた」と弾んでいることだろう。
前の自分が、憧れの地球に着いたみたいな気分になって。
どんなに過酷な気候の場所でも、ハーレイと一緒に暮らせるから。
(前のぼくにとっての、地球とおんなじ…)
ハーレイさえいれば、それで充分、と自信はある。
「ぼくは絶対、後悔しない」と。
寝込んでばかりの日々になっても、身体が悲鳴を上げ続けても。
ハーレイに「やっぱり、お前は帰った方がいい」と心配されても、「嫌だよ」と言うだけ。
快適な暮らしが待っていたって、其処にハーレイはいないから。
毎日、通信を入れてくれても、慰めになりはしないから。
(…君が行くなら、ホントに、どんな所へだって…)
ぼくは必ずついて行くよ、と思ったはずみに、ハタと気付いた。
今の自分が生まれて来たのは、青い地球。
ハーレイも一緒について来たわけで、聖痕をくれた神様が起こした奇跡のお蔭。
二人で地球に生まれる前には、きっと天国にいたのだろう。
何処にも生まれ変わりはしないで、長い長い時を待っていた。
青く蘇った水の星の上に、前の自分たちとそっくりに育つ身体が用意されるまで。
神様がそれを創り出すまで、天国でずっと待ち続けて…。
(やっと生まれて来て、此処で暮らして…)
生を終えたら、ハーレイと一緒に天国へ帰る。
今度はけして離れることなく、呼吸も鼓動も、同時に止めて。
二人一緒に身体を離れて、神の許へと戻ってゆく。
問題は、それから後のこと。
ずっと天国で暮らしてゆくのか、また青い地球に生まれて来るか。
あるいは他の星に生まれて、心機一転、新しい暮らしをしてみるだとか。
(どうするにしても、ハーレイと一緒…)
それは絶対、譲らないからね、と思うけれども、ハーレイはどれを選ぶだろうか。
のんびり天国で暮らしてゆくのか、地球に行くのか。
(…今度はスポーツ選手もいいな、って…)
言い出すかもね、と平和な暮らししか浮かばないけれど、なにしろ、天国なのだから…。
(…他の世界も見えちゃうのかな?)
平和になってはいない世界、と心配になる。
神様が見ている世界の中には、そういう場所もあるかもしれない。
前の自分たちが生きた世界みたいに、虐げられる人々が今もいる世界。
ミュウが迫害されていたように、容赦なく殺されてゆくような。
(…もしも、そういう世界があったら…)
ハーレイが、それに気が付いたならば、其処へ行こうと考え始めることだろう。
とても放ってはおけないから。
前のハーレイが、そうだったように。
燃えるアルタミラで、他の仲間を助けなければ、と口にしたのはハーレイだから。
(…前のぼくには、そんな考えなんかは無くって…)
ただぼんやりと座り込んでいたのに、前のハーレイの言葉で、二人一緒に駆け出した。
他のシェルターに閉じ込められた仲間を、一人でも多く助け出そうと。
燃え上がる地面を二人で走って、崩れ落ちて来る瓦礫なんかは気にもしないで。
(…だから、ハーレイなら、きっと…)
今も苦しんでいる人々を放っておけずに、「俺は、あそこに行って来る」と言うのだろう。
「なあに、その内に帰って来るさ」と笑みを浮かべて。
「あそこのヤツらを助け出せたら、大急ぎで此処に戻るから」と。
それまで天国で待っているよう、とても優しい笑顔を向けて。
「ほんの少しの間だしな」と、「お前には危険すぎるから」と。
(…転勤先の気候が、ぼくには厳しすぎるから、って…)
両親の家で暮らした方がいい、と提案するのと、全く変わらない顔をして。
「俺なら一人で大丈夫だから」と、「一人暮らしは得意だってな」と。
(…だけど、そんなの、嫌だから…!)
ハーレイだけが危険な場所に行くなど、我慢が出来るわけがない。
自分はのんびり天国暮らしで、ハーレイだけ苦労するなんて。
危ない目に遭ったり、怪我をするのを、天国から見ているだけだなんて。
(…君が行くなら、ぼくだって行くよ!)
もう一度、メギドみたいなことになっても…、と握り締める右手。
ハーレイの側から離れてしまって、一人きりで死ぬ羽目になろうと…。
(……安全な場所から、見ているだけの暮らしなんかは……)
ぼくには絶対、出来やしない、と分かっているから、ついて行く。
ハーレイが、その道を選ぶなら。
(…絶対、ついて来るんじゃないぞ、って言われるに決まっているけれど…)
コッソリついて行くんだもんね、とニコリと微笑む。
「君が行くなら、ぼくも行くから」と。
「前みたいな地獄が待っていたって、君と一緒なら、天国だから」と…。
君が行くなら・了
※ハーレイ先生が行くのだったら、砂漠だろうと、ついて行くのがブルー君。反対されても。
前の生のような世界だろうと、やはり一緒に行くのです。止められても、コッソリとv
身体は新しくなっちゃったけど、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
今日は会えずに終わったけれども、ハーレイは同じ町にいる。
青く蘇った地球の上にある、ごくごく普通の町の一つに。
(…夢がホントになっちゃった…)
前のぼくの、と遠く遥かな時の彼方に思いを馳せる。
白いシャングリラで、どれほど地球に焦がれたことか。
いつか行きたいと夢を描いて、前のハーレイと交わした約束。
「いつか地球まで辿り着いたら」と、数え切れないほどの夢を託して。
(でも、前のぼくは…)
地球への夢を、諦めざるを得なかった。
寿命が足りなくなってしまって、行けないと悟った夢の星。
(…もしも、メギドで死ななかったら…)
あるいは行けていたのかも、と考えて、直ぐに首をブンブンと左右に振った。
「そんなのは、無理」と。
前の自分が命を捨ててメギドを止めなかったら、ミュウは滅びていただろう。
白い箱舟も焼かれてしまって、宇宙の藻屑。
(…ハーレイと地球まで行けるどころか、ハーレイだって…)
ナスカで死んでしまっておしまい、と分かっているから、後悔は無い。
前の生の終わりに、泣きじゃくりながら死んでいったことも、後悔なんかは…。
(多分、していなかったよね?)
あまり自信が無いのだけれども、恐らく、してはいないと思う。
ハーレイとの絆は切れてしまっても、ミュウの未来は守れたから。
大勢の仲間を乗せた箱舟を、ハーレイが地球まで、きっと運んでくれるから。
(…だから、それでいい、って…)
前の自分は納得していて、其処で終わりの筈だった。
ハーレイと過ごした幸せな日々も、最後まで持っていたかった恋も。
ところが、終わらなかった恋。
気付けば自分は青い地球にいて、ハーレイまでがついて来た。
(ちょっぴりチビなのが、残念だけど…)
育つまで結婚はお預けどころか、キスさえ、お預け。
それでも、前の自分の夢は…。
(ちゃんと叶っているんだよ)
ハーレイと地球に来られたものね、と今の幸せを噛み締める。
前の生でハーレイと交わした沢山の約束、「地球に着いたら」と描いた夢が叶う人生。
チビの自分が大きくなったら、今のハーレイが叶えてくれる。
旅行に行ったり、ドライブしたりと、計画を立てて。
(生まれて来た星が、地球で良かった…)
夢を叶えるには一番の場所、と嬉しくなる。
他の星に二人で生まれていたなら、前の生での約束を果たそうと思ったら…。
(…地球まで、出掛けて行かないと…)
地球での夢は叶わないから、とても大変だったろう。
ハーレイの仕事が休みになる度、長期の旅行。
夏休みくらいしか、無理かもしれない。
(そうなると、年に一回だけしか…)
地球への旅は出来ないわけだし、旅行の時は予定がビッシリ。
叶えたい約束をギュウギュウ詰め込み、あちこちの地域を駆け回って。
(考えただけでも、忙しそう…)
バテちゃいそうだよ、と思うけれども、ハーレイと一緒に暮らせるのなら…。
(地球でなくても、気にならないよね?)
だって、ハーレイがいるんだもの、と大きく頷く。
前の生の終わりに切れたと思った、ハーレイとの絆。
それが切れずに繋がっていたら、もう、それだけで充分だろう。
地球からは遠い星に生まれてしまって、地球まで行くのが一苦労でも。
前の生での夢を叶えるのが、ハードスケジュールな旅になっても。
(…ハーレイさえ、一緒にいてくれるなら…)
ぼくは何処でも構わないや、と心から思うし、今の生でも、その点は同じ。
ハーレイの仕事に、転勤なんかは無いのだけれど…。
(同じ町にある学校の中で、勤める学校が変わるだけだし…)
他所の町には行かないけれども、仕事によっては、別の地域への転勤もある。
違う町どころか、海を渡った遥か遠くの、全く違う文化の地域へ。
(もしも、そういう仕事だったら…)
この町を離れて、引っ越す日がやって来たかもしれない。
「そんなに遠いの?」と思う地域へ、もしかしたら砂漠があるような所。
うんと暑くて、今の生でも弱い身体には、強い日差しが堪えるくらいに過酷な地域。
(住めば都だから、そういうトコにも…)
好きで暮らしている人は多いし、ハーレイが転勤するのだったら、一緒に行く。
毎日、「暑いよ」と、へばっていても。
ちょっと散歩に出掛けることさえ、昼間は暑くて無理な場所でも。
(…ハーレイが一緒なら、ぼくは幸せ…)
そのハーレイが行くと言うなら、何処へだってついて行くだろう。
「今度の転勤、お前には、ちょっとキツそうだから」と、残るようにと勧められても。
転勤が終わって帰って来るまで、両親の家で暮らすようにと、提案されても。
(ハーレイと離れるなんて、二度と嫌だよ)
メギドの時だけで充分だから、と決意をこめて握った右手。
前の生の終わりに、ハーレイの温もりを失くしてしまって、冷たく凍えてしまったから…。
(今度は、ハーレイの手を離さないってば)
どんな場所でも、ついて行くよ、と右手を見詰める。
「ハーレイが行くなら、何処だって行くよ」と。
(…君が行くなら、ぼくは必ず…)
一緒に行くって言うからね、と。
たとえハーレイが「駄目だ」と言おうが、絶対に「うん」と頷きはしない。
「お前の身体には、良くないから」と、難しい顔をされたって。
しょっちゅう寝込む羽目になろうが、ハーレイと離れるよりはいい。
ハーレイが仕事に行っている間は、一人きりでベッドの住人でも。
用意して行ってくれた食事を、食べる元気も出ない日々でも。
そう、ハーレイが行くと言うなら、何処であろうと一緒に行く。
「お前には無理だ」と説得されても、喧嘩になっても、諦めはしない。
「ぼくも一緒に行くんだから」と、言い張るだけ。
「でなきゃ、ハーレイも行かせやしないよ」と、まるで幼い子供みたいに駄々をこねて。
(…ハーレイが許してくれなくっても…)
なんとかして、ついて行くんだもんね、と決心は固い。
ハーレイが転勤して行った後で、自分もコッソリ纏めておいた荷物を送って…。
(其処へ行く便に乗って追い掛けて行けば、ハーレイだって…)
諦めるしかないだろう。
「ブルーの荷物」がドカンと届いて、本人もやって来たならば。
「今日から、此処で暮らすからね」と、悪びれもせずに、上がり込まれたならば。
(…ハーレイが、ぼくを置いて行くほどの場所だから…)
とても暑いとか、酷く寒いとか、とんでもない気候の場所だろう。
ハーレイを追い掛けて着いた途端に、「こんなトコなの?」と後悔しそうなほどに。
「ぼくの身体、ホントに大丈夫かな」と、クラリと眩暈を起こすくらいに。
(…路線バスとかで、ハーレイの家まで行こうとしてても…)
その計画を立てて来ていても、たちまち挫折する自分がいそう。
「そんなの無理だよ」と、手荷物さえも、もう重すぎて。
ヨロヨロしながらタクシーに乗るのが、精一杯で。
(だけど、ハーレイがいる場所なんだし…)
きっと心は幸せ一杯、「やっと来られた」と弾んでいることだろう。
前の自分が、憧れの地球に着いたみたいな気分になって。
どんなに過酷な気候の場所でも、ハーレイと一緒に暮らせるから。
(前のぼくにとっての、地球とおんなじ…)
ハーレイさえいれば、それで充分、と自信はある。
「ぼくは絶対、後悔しない」と。
寝込んでばかりの日々になっても、身体が悲鳴を上げ続けても。
ハーレイに「やっぱり、お前は帰った方がいい」と心配されても、「嫌だよ」と言うだけ。
快適な暮らしが待っていたって、其処にハーレイはいないから。
毎日、通信を入れてくれても、慰めになりはしないから。
(…君が行くなら、ホントに、どんな所へだって…)
ぼくは必ずついて行くよ、と思ったはずみに、ハタと気付いた。
今の自分が生まれて来たのは、青い地球。
ハーレイも一緒について来たわけで、聖痕をくれた神様が起こした奇跡のお蔭。
二人で地球に生まれる前には、きっと天国にいたのだろう。
何処にも生まれ変わりはしないで、長い長い時を待っていた。
青く蘇った水の星の上に、前の自分たちとそっくりに育つ身体が用意されるまで。
神様がそれを創り出すまで、天国でずっと待ち続けて…。
(やっと生まれて来て、此処で暮らして…)
生を終えたら、ハーレイと一緒に天国へ帰る。
今度はけして離れることなく、呼吸も鼓動も、同時に止めて。
二人一緒に身体を離れて、神の許へと戻ってゆく。
問題は、それから後のこと。
ずっと天国で暮らしてゆくのか、また青い地球に生まれて来るか。
あるいは他の星に生まれて、心機一転、新しい暮らしをしてみるだとか。
(どうするにしても、ハーレイと一緒…)
それは絶対、譲らないからね、と思うけれども、ハーレイはどれを選ぶだろうか。
のんびり天国で暮らしてゆくのか、地球に行くのか。
(…今度はスポーツ選手もいいな、って…)
言い出すかもね、と平和な暮らししか浮かばないけれど、なにしろ、天国なのだから…。
(…他の世界も見えちゃうのかな?)
平和になってはいない世界、と心配になる。
神様が見ている世界の中には、そういう場所もあるかもしれない。
前の自分たちが生きた世界みたいに、虐げられる人々が今もいる世界。
ミュウが迫害されていたように、容赦なく殺されてゆくような。
(…もしも、そういう世界があったら…)
ハーレイが、それに気が付いたならば、其処へ行こうと考え始めることだろう。
とても放ってはおけないから。
前のハーレイが、そうだったように。
燃えるアルタミラで、他の仲間を助けなければ、と口にしたのはハーレイだから。
(…前のぼくには、そんな考えなんかは無くって…)
ただぼんやりと座り込んでいたのに、前のハーレイの言葉で、二人一緒に駆け出した。
他のシェルターに閉じ込められた仲間を、一人でも多く助け出そうと。
燃え上がる地面を二人で走って、崩れ落ちて来る瓦礫なんかは気にもしないで。
(…だから、ハーレイなら、きっと…)
今も苦しんでいる人々を放っておけずに、「俺は、あそこに行って来る」と言うのだろう。
「なあに、その内に帰って来るさ」と笑みを浮かべて。
「あそこのヤツらを助け出せたら、大急ぎで此処に戻るから」と。
それまで天国で待っているよう、とても優しい笑顔を向けて。
「ほんの少しの間だしな」と、「お前には危険すぎるから」と。
(…転勤先の気候が、ぼくには厳しすぎるから、って…)
両親の家で暮らした方がいい、と提案するのと、全く変わらない顔をして。
「俺なら一人で大丈夫だから」と、「一人暮らしは得意だってな」と。
(…だけど、そんなの、嫌だから…!)
ハーレイだけが危険な場所に行くなど、我慢が出来るわけがない。
自分はのんびり天国暮らしで、ハーレイだけ苦労するなんて。
危ない目に遭ったり、怪我をするのを、天国から見ているだけだなんて。
(…君が行くなら、ぼくだって行くよ!)
もう一度、メギドみたいなことになっても…、と握り締める右手。
ハーレイの側から離れてしまって、一人きりで死ぬ羽目になろうと…。
(……安全な場所から、見ているだけの暮らしなんかは……)
ぼくには絶対、出来やしない、と分かっているから、ついて行く。
ハーレイが、その道を選ぶなら。
(…絶対、ついて来るんじゃないぞ、って言われるに決まっているけれど…)
コッソリついて行くんだもんね、とニコリと微笑む。
「君が行くなら、ぼくも行くから」と。
「前みたいな地獄が待っていたって、君と一緒なら、天国だから」と…。
君が行くなら・了
※ハーレイ先生が行くのだったら、砂漠だろうと、ついて行くのがブルー君。反対されても。
前の生のような世界だろうと、やはり一緒に行くのです。止められても、コッソリとv