(あいつの家には、寄り損なったが…)
時間の方はたっぷりあるな、とハーレイは心の中で呟く。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、まず、ダイニングでコーヒーを淹れた。
愛用のマグカップに注いだそれを、何処で飲もうか。
(書斎もいいが、たまにはリビングなんかもいいな)
ダイニングだと食事の続きになるし、と少し悩んで、やはり書斎、と結論を出した。
なにしろ、今日は収穫があった。
会議で帰りが遅くなったせいで、ブルーの家には行けなかったけれど…。
(代わりに、デカイ本屋に出掛けて…)
何冊も本を買って来たから、それをパラパラ捲ってみたい。
どれから読もうか、次はどれにするか、そういう算段の時間も楽しい。
(よし、書斎だ)
コーヒーを運んで行った先では、その本たちが待っていた。
書店の袋に入ったままで、大きな机の上に置かれて。
本たちの隣にマグカップを並べて、椅子にゆったりと腰を下ろす。
(さて…)
どれにするかな、と袋を開ける前に、コーヒーのカップを傾けた。
一口飲んだら、絶妙な苦味と高い香りが、喉の奥へと広がってゆく。
(うん、今日も美味い)
この一杯が堪らないんだ、と味わいながら、お次は本の袋を開けた。
中身を出して一冊ずつ確かめ、それからページを捲ってみる。
(推理小説だと、こうはいかんが…)
今日のはジャンルが違うからな、と目次や文体を流し読みして、順番を決めた。
最初はこれで、その次がこれ、と本格的に読むための順位を割り振る。
(こんな所で良さそうだ)
結局は、気分次第だが…、と本を、その順に机に積んだ。
最初に読む本が一番上で、最後の本が一番下になるように。
その日の気分で入れ替わる時もあるのだけれども、基本はこう、という順番。
積み上げた後は、一番上の本の表紙を見ながら、コーヒーの方に戻っていった。
面白そうな本を選んで買って来たけれど、早速読むのは、少し後ろめたい。
(なんたって今日は、あいつを放って…)
本屋に行って来たわけで…、とブルーの顔が頭の何処かに貼り付いてる。
「酷いよ、ハーレイ!」と恨めしそうに、頬を膨らませて拗ねる恋人。
「会議は仕方ないんだけれど、本屋さん、楽しかったでしょ?」と。
「ぼくを忘れて、本を沢山買っていたよね」と、責める声まで聞こえて来そう。
(バレたら、絶対、そうなるからなあ…)
今日から読むのはやめておこう、と肩を竦める。
本たちは逃げて行きはしないし、日を改めて読み始めればいい。
(今日のところは、別の本でも読むとするかな)
時間は沢山あるんだから、と書斎を見回し、どれにしようかと思案する。
何度も読んでいるお気に入りもいいし、一度しか読んでいない本を選ぶのもいい。
写真集をじっくり眺めてもいいし、他にも本の種類は色々。
(これといって用も無いからなあ…)
自由時間が今日は山ほど、と考えたところで、またもブルーが頭に浮かんだ。
「何をするの?」と興味津々で、肩越しに覗き込んで来そうな姿が。
(…そうだった…!)
俺だけの自由時間ってヤツは、あと何年も残ってないぞ、と愕然とする。
三十八歳の今に至るまで、この家で、気ままに過ごして来た。
正確に言えば、教師になって、父が買ってくれた家に来てからだから…。
(その前は、数えないにしたって…)
十年以上も一人暮らしで、誰にも邪魔をされない日々が当たり前だと思っていた。
昨日も、今日も、明日も明後日も、自由時間は「自分だけ」のもの。
それで間違いないのだけれども、いつか終わりがやって来る。
チビのブルーが大きく育って、結婚出来る年の十八歳を迎えたら…。
(あいつが嫁にやって来るわけで、俺が夜に書斎に入ろうとしたら…)
ブルーも一緒にくっついて来そう。
「何を読むの?」と、赤い瞳を煌めかせて。
今夜のようにコーヒーを運んで来ようとしたなら、「ぼくが運ぶよ」と言うかもしれない。
マグカップを小さなトレイに載せて、「ぼくも一緒に行っていいよね?」と。
(…うーむ…)
実にありそうな話なんだ、とハーレイは眉間を指でトンと叩いた。
この家で暮らし始めたブルーは、何処へでもついて来るだろう。
暑い日に庭木を刈り込んでいても、「ぼくも手伝う」と庭に出て来そう。
ただでも身体の弱いブルーには、日差しだけでも危険すぎるし、手伝えないのに。
「お前は、其処の木陰で見てろ」と叱って、飲み物なども渡してやるしかない。
手伝いどころか、ハーレイの手間が増えるだけなのに、ブルーなら、きっと…。
(俺の迷惑なんぞは考えもせずに…)
出て来るんだ、と容易に想像がつく。
庭木の剪定をしている間、ずっとブルーに気を配るとなると、大変ではある。
そうは思っても、何故だか、頬が緩んでしまう。
(あいつが暑さで倒れちまわないよう、世話を焼くのも楽しいよなあ…)
なんたって、此処は青い地球だぞ、と前の生と比べて、今の幸せを噛み締める。
青い地球の上で暮らしているから、ブルーの身体を痛めつける「暑さ」が心配になる。
これがシャングリラの中だったならば、そんなことなど思いもしないし…。
(出来たとしたって、キャプテンって立場と視点からしか…)
ブルーの心配は出来なかった上、世話をすることも不可能だった。
あの箱舟での日々を思えば、邪魔されて、手間が増えたって…。
(ちっともかまわないってな!)
大いに邪魔をしてくれていい、と夏の庭の手入れの覚悟は決まった。
手伝うのだ、と主張するブルーを木陰に押し込み、暑くないよう工夫する。
風通しのいい服を着させて、座らせる椅子も、熱がこもらないものを選ぶとか。
(でもって、飲み物をたっぷり用意して…)
ブルーがそれを飲んでいるかも、こまめにチェックするべきだろう。
でないとブルーは、「丈夫なハーレイ」を基準に考え、水分の補給を控えかねない。
「だって、ハーレイ、飲んでないでしょ」と、「ぼくも我慢」と。
(そいつはマズイし、俺には少々、多すぎたって…)
ブルーのお供でグイグイと飲んで、汗だくで庭木を刈り込むしかない。
「ちと飲みすぎたような気がするんだが」とタオルで汗を拭き拭き、ハサミを持って。
「過ぎたるは及ばざるが如しで、あいつに合わせると多すぎだよな」と、ぼやきながら。
きっとそういうことになるんだ、と思い至った、ブルーとの暮らし。
今のような自由時間は無くなり、何処にでもブルーがくっついて来る。
書斎だろうが、暑い盛りの庭であろうが、ブルーは全く気にも留めないことだろう。
「ハーレイ」の側にいられるのならば、どんな苦労も厭いはしない。
(…その結果、俺の邪魔になっても…)
ブルーに自覚などありはしなくて、大いに邪魔をして来そう。
庭の手入れなら、まだいいけれども、書斎にまで入って来るとなったら、一大事。
(本を読むぞ、って時ならいいんだが…)
日記をつける時だと困る、と「ブルーの存在」が圧し掛かって来た。
今なら思い立った時間に、好きに日記をつけられる。
ブルーに貰った白い羽根ペン、それで書き込む、その日の様々な出来事たち。
ところが、ブルーと暮らし始めたら、日記を書くのにも苦労するのに違いない。
「何を書くの?」と遠慮なく書斎に入って来そうな、赤い瞳をした恋人。
「見てもいいでしょ」と、「ぼくにも見せて」と強請りながら。
(冗談じゃないぞ…!)
前の俺だって、一度も読ませちゃいないんだ、と航宙日誌を思い出す。
あれはプライベートなものではなかったけれども、「俺の日記だ」と主張していた。
「だから読むな」と、前のブルーを何度も部屋から放り出した。
「俺の留守に勝手に入って読むのも駄目だ」と、釘もしっかり刺しておいたものだ。
前のブルーは、その約束を守ってくれた。
一度も読みはしなかったけれど、今のブルーは、その分までも持ち出して来そう。
「前のぼくだって、読んでないのに」と、「今度も駄目なの?」と膨れっ面で。
(ハーレイのケチ! っていうヤツだよなあ…)
今のブルーのお決まりの台詞で、何かといえば、これを言われる。
一緒に暮らし始めた後でも、決め台詞にしていそうな感じ。
(…しかしだな…)
日記は駄目だ、と机の引き出しに目を遣った。
其処に入れてある日記を出して、書く時だけは「ブルー」の邪魔は断りたい。
どんなに強請られ、膨れられても、日記を書く時は一人でいたい。
毎日、攻防戦になっても。
ブルーを書斎から放り出すのが、毎晩、恒例の行事になってしまっても。
(他のことなら、邪魔をされてもいいんだが…)
暑い盛りの庭の手入れも、寒い季節の風呂掃除でも、ブルーの邪魔は、きっと嬉しい。
それがどれほど迷惑だろうと、「ブルーが側にいてくれる」だけで幸せになれる。
「これが地球での暮らしなんだ」と、「やっとブルーと二人きりだぞ」と、実感出来て。
(なんと言っても、あいつに邪魔をされるのは…)
二人で暮らしているからだしな、と思うけれども、日記を書く時間は譲れない。
ブルーが書斎を覗きに来る度、書斎の扉の外へ追い出す。
それでもブルーが出てゆかないなら、首根っこを掴んで摘まみ出すまで。
「書き終わるまで、外で待ってろ」と、「なんなら、夜食も用意するから」と。
(でもって、書斎に鍵をかければ…)
ブルーは入って来られないから、急いでその日の日記をつける。
出来るだけ急いで書いてしまわないと、ブルーがすっかり機嫌を損ねて、厄介だから。
いくら毎晩の行事になっても、御機嫌取りは、簡単に終わる方がいい。
(出来れば、キスの一つくらいで…)
許してくれると有難いが、と未来を思って、溜息が一つ零れてしまう。
「自由時間は、あと何年も無いってか?」と。
ブルーに邪魔をされずにいられて、気ままに一人で暮らせる日々は、もうすぐ終わる。
あと何年かで消えるけれども、それでブルーに邪魔をされても…。
(日記以外は、喜んで許してやるってもんだ)
ただし日記は譲れんからな、とブルーとの戦いに思いを馳せる。
書斎の扉を間に挟んで、毎晩、繰り返される戦争。
「ハーレイの日記」を見たいブルーは、懲りずに挑み続けるだろう。
何度「駄目だ」と断っても。
何回、書斎から摘まみ出されても、ガチャンと鍵を掛けられても。
そういう日々も、幸せなのに違いない。
邪魔をされても許せることと、許せないことが同居している家というのも…。
邪魔をされても・了
※ブルー君と一緒に暮らし始めたら、邪魔されることが増えそうなハーレイ先生。
それも幸せなんですけれど、日記を書く時だけは、邪魔はお断り。毎晩、攻防戦ですねv
時間の方はたっぷりあるな、とハーレイは心の中で呟く。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、まず、ダイニングでコーヒーを淹れた。
愛用のマグカップに注いだそれを、何処で飲もうか。
(書斎もいいが、たまにはリビングなんかもいいな)
ダイニングだと食事の続きになるし、と少し悩んで、やはり書斎、と結論を出した。
なにしろ、今日は収穫があった。
会議で帰りが遅くなったせいで、ブルーの家には行けなかったけれど…。
(代わりに、デカイ本屋に出掛けて…)
何冊も本を買って来たから、それをパラパラ捲ってみたい。
どれから読もうか、次はどれにするか、そういう算段の時間も楽しい。
(よし、書斎だ)
コーヒーを運んで行った先では、その本たちが待っていた。
書店の袋に入ったままで、大きな机の上に置かれて。
本たちの隣にマグカップを並べて、椅子にゆったりと腰を下ろす。
(さて…)
どれにするかな、と袋を開ける前に、コーヒーのカップを傾けた。
一口飲んだら、絶妙な苦味と高い香りが、喉の奥へと広がってゆく。
(うん、今日も美味い)
この一杯が堪らないんだ、と味わいながら、お次は本の袋を開けた。
中身を出して一冊ずつ確かめ、それからページを捲ってみる。
(推理小説だと、こうはいかんが…)
今日のはジャンルが違うからな、と目次や文体を流し読みして、順番を決めた。
最初はこれで、その次がこれ、と本格的に読むための順位を割り振る。
(こんな所で良さそうだ)
結局は、気分次第だが…、と本を、その順に机に積んだ。
最初に読む本が一番上で、最後の本が一番下になるように。
その日の気分で入れ替わる時もあるのだけれども、基本はこう、という順番。
積み上げた後は、一番上の本の表紙を見ながら、コーヒーの方に戻っていった。
面白そうな本を選んで買って来たけれど、早速読むのは、少し後ろめたい。
(なんたって今日は、あいつを放って…)
本屋に行って来たわけで…、とブルーの顔が頭の何処かに貼り付いてる。
「酷いよ、ハーレイ!」と恨めしそうに、頬を膨らませて拗ねる恋人。
「会議は仕方ないんだけれど、本屋さん、楽しかったでしょ?」と。
「ぼくを忘れて、本を沢山買っていたよね」と、責める声まで聞こえて来そう。
(バレたら、絶対、そうなるからなあ…)
今日から読むのはやめておこう、と肩を竦める。
本たちは逃げて行きはしないし、日を改めて読み始めればいい。
(今日のところは、別の本でも読むとするかな)
時間は沢山あるんだから、と書斎を見回し、どれにしようかと思案する。
何度も読んでいるお気に入りもいいし、一度しか読んでいない本を選ぶのもいい。
写真集をじっくり眺めてもいいし、他にも本の種類は色々。
(これといって用も無いからなあ…)
自由時間が今日は山ほど、と考えたところで、またもブルーが頭に浮かんだ。
「何をするの?」と興味津々で、肩越しに覗き込んで来そうな姿が。
(…そうだった…!)
俺だけの自由時間ってヤツは、あと何年も残ってないぞ、と愕然とする。
三十八歳の今に至るまで、この家で、気ままに過ごして来た。
正確に言えば、教師になって、父が買ってくれた家に来てからだから…。
(その前は、数えないにしたって…)
十年以上も一人暮らしで、誰にも邪魔をされない日々が当たり前だと思っていた。
昨日も、今日も、明日も明後日も、自由時間は「自分だけ」のもの。
それで間違いないのだけれども、いつか終わりがやって来る。
チビのブルーが大きく育って、結婚出来る年の十八歳を迎えたら…。
(あいつが嫁にやって来るわけで、俺が夜に書斎に入ろうとしたら…)
ブルーも一緒にくっついて来そう。
「何を読むの?」と、赤い瞳を煌めかせて。
今夜のようにコーヒーを運んで来ようとしたなら、「ぼくが運ぶよ」と言うかもしれない。
マグカップを小さなトレイに載せて、「ぼくも一緒に行っていいよね?」と。
(…うーむ…)
実にありそうな話なんだ、とハーレイは眉間を指でトンと叩いた。
この家で暮らし始めたブルーは、何処へでもついて来るだろう。
暑い日に庭木を刈り込んでいても、「ぼくも手伝う」と庭に出て来そう。
ただでも身体の弱いブルーには、日差しだけでも危険すぎるし、手伝えないのに。
「お前は、其処の木陰で見てろ」と叱って、飲み物なども渡してやるしかない。
手伝いどころか、ハーレイの手間が増えるだけなのに、ブルーなら、きっと…。
(俺の迷惑なんぞは考えもせずに…)
出て来るんだ、と容易に想像がつく。
庭木の剪定をしている間、ずっとブルーに気を配るとなると、大変ではある。
そうは思っても、何故だか、頬が緩んでしまう。
(あいつが暑さで倒れちまわないよう、世話を焼くのも楽しいよなあ…)
なんたって、此処は青い地球だぞ、と前の生と比べて、今の幸せを噛み締める。
青い地球の上で暮らしているから、ブルーの身体を痛めつける「暑さ」が心配になる。
これがシャングリラの中だったならば、そんなことなど思いもしないし…。
(出来たとしたって、キャプテンって立場と視点からしか…)
ブルーの心配は出来なかった上、世話をすることも不可能だった。
あの箱舟での日々を思えば、邪魔されて、手間が増えたって…。
(ちっともかまわないってな!)
大いに邪魔をしてくれていい、と夏の庭の手入れの覚悟は決まった。
手伝うのだ、と主張するブルーを木陰に押し込み、暑くないよう工夫する。
風通しのいい服を着させて、座らせる椅子も、熱がこもらないものを選ぶとか。
(でもって、飲み物をたっぷり用意して…)
ブルーがそれを飲んでいるかも、こまめにチェックするべきだろう。
でないとブルーは、「丈夫なハーレイ」を基準に考え、水分の補給を控えかねない。
「だって、ハーレイ、飲んでないでしょ」と、「ぼくも我慢」と。
(そいつはマズイし、俺には少々、多すぎたって…)
ブルーのお供でグイグイと飲んで、汗だくで庭木を刈り込むしかない。
「ちと飲みすぎたような気がするんだが」とタオルで汗を拭き拭き、ハサミを持って。
「過ぎたるは及ばざるが如しで、あいつに合わせると多すぎだよな」と、ぼやきながら。
きっとそういうことになるんだ、と思い至った、ブルーとの暮らし。
今のような自由時間は無くなり、何処にでもブルーがくっついて来る。
書斎だろうが、暑い盛りの庭であろうが、ブルーは全く気にも留めないことだろう。
「ハーレイ」の側にいられるのならば、どんな苦労も厭いはしない。
(…その結果、俺の邪魔になっても…)
ブルーに自覚などありはしなくて、大いに邪魔をして来そう。
庭の手入れなら、まだいいけれども、書斎にまで入って来るとなったら、一大事。
(本を読むぞ、って時ならいいんだが…)
日記をつける時だと困る、と「ブルーの存在」が圧し掛かって来た。
今なら思い立った時間に、好きに日記をつけられる。
ブルーに貰った白い羽根ペン、それで書き込む、その日の様々な出来事たち。
ところが、ブルーと暮らし始めたら、日記を書くのにも苦労するのに違いない。
「何を書くの?」と遠慮なく書斎に入って来そうな、赤い瞳をした恋人。
「見てもいいでしょ」と、「ぼくにも見せて」と強請りながら。
(冗談じゃないぞ…!)
前の俺だって、一度も読ませちゃいないんだ、と航宙日誌を思い出す。
あれはプライベートなものではなかったけれども、「俺の日記だ」と主張していた。
「だから読むな」と、前のブルーを何度も部屋から放り出した。
「俺の留守に勝手に入って読むのも駄目だ」と、釘もしっかり刺しておいたものだ。
前のブルーは、その約束を守ってくれた。
一度も読みはしなかったけれど、今のブルーは、その分までも持ち出して来そう。
「前のぼくだって、読んでないのに」と、「今度も駄目なの?」と膨れっ面で。
(ハーレイのケチ! っていうヤツだよなあ…)
今のブルーのお決まりの台詞で、何かといえば、これを言われる。
一緒に暮らし始めた後でも、決め台詞にしていそうな感じ。
(…しかしだな…)
日記は駄目だ、と机の引き出しに目を遣った。
其処に入れてある日記を出して、書く時だけは「ブルー」の邪魔は断りたい。
どんなに強請られ、膨れられても、日記を書く時は一人でいたい。
毎日、攻防戦になっても。
ブルーを書斎から放り出すのが、毎晩、恒例の行事になってしまっても。
(他のことなら、邪魔をされてもいいんだが…)
暑い盛りの庭の手入れも、寒い季節の風呂掃除でも、ブルーの邪魔は、きっと嬉しい。
それがどれほど迷惑だろうと、「ブルーが側にいてくれる」だけで幸せになれる。
「これが地球での暮らしなんだ」と、「やっとブルーと二人きりだぞ」と、実感出来て。
(なんと言っても、あいつに邪魔をされるのは…)
二人で暮らしているからだしな、と思うけれども、日記を書く時間は譲れない。
ブルーが書斎を覗きに来る度、書斎の扉の外へ追い出す。
それでもブルーが出てゆかないなら、首根っこを掴んで摘まみ出すまで。
「書き終わるまで、外で待ってろ」と、「なんなら、夜食も用意するから」と。
(でもって、書斎に鍵をかければ…)
ブルーは入って来られないから、急いでその日の日記をつける。
出来るだけ急いで書いてしまわないと、ブルーがすっかり機嫌を損ねて、厄介だから。
いくら毎晩の行事になっても、御機嫌取りは、簡単に終わる方がいい。
(出来れば、キスの一つくらいで…)
許してくれると有難いが、と未来を思って、溜息が一つ零れてしまう。
「自由時間は、あと何年も無いってか?」と。
ブルーに邪魔をされずにいられて、気ままに一人で暮らせる日々は、もうすぐ終わる。
あと何年かで消えるけれども、それでブルーに邪魔をされても…。
(日記以外は、喜んで許してやるってもんだ)
ただし日記は譲れんからな、とブルーとの戦いに思いを馳せる。
書斎の扉を間に挟んで、毎晩、繰り返される戦争。
「ハーレイの日記」を見たいブルーは、懲りずに挑み続けるだろう。
何度「駄目だ」と断っても。
何回、書斎から摘まみ出されても、ガチャンと鍵を掛けられても。
そういう日々も、幸せなのに違いない。
邪魔をされても許せることと、許せないことが同居している家というのも…。
邪魔をされても・了
※ブルー君と一緒に暮らし始めたら、邪魔されることが増えそうなハーレイ先生。
それも幸せなんですけれど、日記を書く時だけは、邪魔はお断り。毎晩、攻防戦ですねv
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「ねえ、ハーレイ。鮮度の良さって…」
大事なんでしょ、とブルーがぶつけて来た質問。
二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ? 鮮度って…」
何の話だ、とハーレイは鳶色の瞳を丸くした。
いきなり問いを投げ掛けられても、返事に困る。
鮮度というのは、食べ物などの鮮度でいいのだろうか。
(他に鮮度ってヤツがだな…)
あっただろうか、と考える内に、ブルーが再び言った。
「鮮度と言ったら、鮮度だってば!」
ハーレイ、料理は得意なんでしょ、と焦れた口調で。
「なんだ、そいつで合っているのか」
急に言われても分からなくてな、とハーレイは苦笑した。
実際、頭を悩ませたのだし、仕方ない。
「ハーレイったら…。まあいいけれど…」
それでどうなの、とブルーが問い掛けて来る。
鮮度の良さは大事なのかと、さっきと同じ内容を。
「そうだな、鮮度は大事なのかと聞かれたら…」
とても大事な点になるな、とハーレイは大きく頷いた。
魚はもちろん、野菜などを選ぶ時にも、鮮度は大切。
どれを買うべきか店で見極め、新鮮なものを選び出す。
いくら安くても、鮮度が落ちた食材は避けた方がいい。
味や香りが逃げてしまって、素材が台無しな場合がある。
ただし、お得に買いたいのならば、それもまた良し。
「えっと…。そんな食材、買ったって…」
あまり美味しくないんじゃあ、とブルーが首を傾げる。
鮮度が落ちてしまっているなら、味わいだって同じこと。
安く買えたという以外には、良い所などは無いのだから。
「それが、そうとも言い切れなくてな」
料理人の腕の見せどころだ、とハーレイは親指を立てた。
素材を活かすのが料理人だし、食材は無駄なく使うもの。
風味が落ちて来ているのならば、補ってやれば解決する。
スパイスを効かせて調理するとか、酒に漬け込むとか。
そうすれば、ただ新鮮なだけの食材よりも…。
「美味く仕上がるというもんだ」と、ハーレイは笑む。
鮮度だけではないんだぞ、と。
ブルーは「うーん…」と小さく唸って、俯いてしまった。
何故、そうなるのかが、ハーレイには全く分からない。
鮮度は大事か尋ねて来るから、答えてやっただけなのに。
(なんで、こいつが俯くんだ?)
俺の話に乗って来たっていいだろう、と膨れたくなる。
いつもブルーがやっているように、頬っぺたを…。
(こう、フグみたいに、プウッとだな…)
膨らますのが、こいつの得意技だ、と思った所で閃いた。
ブルーに問われた、鮮度の良さという問題。
それが指すのは、本当は、食材のことではなくて…。
(こいつの鮮度のことなんだな?)
新鮮な間に食わせるつもりなんだ、と読めた魂胆。
「大事なんだ」とだけ答えていたなら、その瞬間に…。
(鮮度の良さが大事なんでしょ、と逆手に取って…)
俺にキスさせる気だったわけか、と合点がいった。
ところがどっこい、ハーレイが返した答えの方には…。
(鮮度が落ちた食材だって、使いようで…)
美味しくなる、という余計なオマケがついていた。
これではブルーは、どうにも出来ない。
唸るしかなくて、現に唸って俯いているというわけで…。
(よしよし、そういうことならば、だ…)
トドメを刺してやるとするか、とハーレイは口を開いた。
ブルーの目論見が外れたのなら、逆襲せねば。
「なあ、ブルー。鮮度は確かに大事なんだが…」
他にも大事な点があってな、と指でテーブルを軽く叩く。
「こっちを見ろよ」と、「俺の話を最後まで聞け」と。
ブルーは渋々といった体で、「なあに?」と尋ねて来た。
「鮮度の話で、まだ何かあるの?」
「あるとも、食材によっては、だ…」
新しいだけじゃ駄目なんだよな、と説明を始める。
食材によっては、直ぐに食べずに、貯蔵しておく、と。
いわゆる追熟、キウイフルーツなどが有名。
収穫直後は美味しくなくて、保存する間に美味しくなる。
肉にしたって、捌いて直ぐには店に出さない。
「えっ、お肉も?」
そうだったの、とブルーの瞳が真ん丸になる。
これは間違いなく、ハーレイの読みの通りだから…。
「残念ながら、そうなんだ」
そりゃ、新鮮なのも食うんだがな、とハーレイは笑んだ。
けれど熟成した肉の方が、舌は美味しく感じる、と。
「というわけだし、俺は鮮度の良さよりも、だ…」
味を優先したいんでな、とブルーにウインクして見せる。
「今すぐ食うより、前と同じに育って、だ…」
熟成したお前の方がいい、と言うと、ブルーは膨れっ面。
それはもう見事に、フグみたいに。
「あんまりだよ!」と文句たらたら、不満だらけで。
とはいえ放っておけば充分、ハーレイの方は知らん顔。
まさにブルーの自業自得、と紅茶のカップを傾ける。
「お前の熟成、まだまだかかりそうだよな」と。
「俺は気長に待つだけだ」と、「美味いのがいい」と…。
鮮度の良さって・了
大事なんでしょ、とブルーがぶつけて来た質問。
二人きりで過ごす休日の午後に、唐突に。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ? 鮮度って…」
何の話だ、とハーレイは鳶色の瞳を丸くした。
いきなり問いを投げ掛けられても、返事に困る。
鮮度というのは、食べ物などの鮮度でいいのだろうか。
(他に鮮度ってヤツがだな…)
あっただろうか、と考える内に、ブルーが再び言った。
「鮮度と言ったら、鮮度だってば!」
ハーレイ、料理は得意なんでしょ、と焦れた口調で。
「なんだ、そいつで合っているのか」
急に言われても分からなくてな、とハーレイは苦笑した。
実際、頭を悩ませたのだし、仕方ない。
「ハーレイったら…。まあいいけれど…」
それでどうなの、とブルーが問い掛けて来る。
鮮度の良さは大事なのかと、さっきと同じ内容を。
「そうだな、鮮度は大事なのかと聞かれたら…」
とても大事な点になるな、とハーレイは大きく頷いた。
魚はもちろん、野菜などを選ぶ時にも、鮮度は大切。
どれを買うべきか店で見極め、新鮮なものを選び出す。
いくら安くても、鮮度が落ちた食材は避けた方がいい。
味や香りが逃げてしまって、素材が台無しな場合がある。
ただし、お得に買いたいのならば、それもまた良し。
「えっと…。そんな食材、買ったって…」
あまり美味しくないんじゃあ、とブルーが首を傾げる。
鮮度が落ちてしまっているなら、味わいだって同じこと。
安く買えたという以外には、良い所などは無いのだから。
「それが、そうとも言い切れなくてな」
料理人の腕の見せどころだ、とハーレイは親指を立てた。
素材を活かすのが料理人だし、食材は無駄なく使うもの。
風味が落ちて来ているのならば、補ってやれば解決する。
スパイスを効かせて調理するとか、酒に漬け込むとか。
そうすれば、ただ新鮮なだけの食材よりも…。
「美味く仕上がるというもんだ」と、ハーレイは笑む。
鮮度だけではないんだぞ、と。
ブルーは「うーん…」と小さく唸って、俯いてしまった。
何故、そうなるのかが、ハーレイには全く分からない。
鮮度は大事か尋ねて来るから、答えてやっただけなのに。
(なんで、こいつが俯くんだ?)
俺の話に乗って来たっていいだろう、と膨れたくなる。
いつもブルーがやっているように、頬っぺたを…。
(こう、フグみたいに、プウッとだな…)
膨らますのが、こいつの得意技だ、と思った所で閃いた。
ブルーに問われた、鮮度の良さという問題。
それが指すのは、本当は、食材のことではなくて…。
(こいつの鮮度のことなんだな?)
新鮮な間に食わせるつもりなんだ、と読めた魂胆。
「大事なんだ」とだけ答えていたなら、その瞬間に…。
(鮮度の良さが大事なんでしょ、と逆手に取って…)
俺にキスさせる気だったわけか、と合点がいった。
ところがどっこい、ハーレイが返した答えの方には…。
(鮮度が落ちた食材だって、使いようで…)
美味しくなる、という余計なオマケがついていた。
これではブルーは、どうにも出来ない。
唸るしかなくて、現に唸って俯いているというわけで…。
(よしよし、そういうことならば、だ…)
トドメを刺してやるとするか、とハーレイは口を開いた。
ブルーの目論見が外れたのなら、逆襲せねば。
「なあ、ブルー。鮮度は確かに大事なんだが…」
他にも大事な点があってな、と指でテーブルを軽く叩く。
「こっちを見ろよ」と、「俺の話を最後まで聞け」と。
ブルーは渋々といった体で、「なあに?」と尋ねて来た。
「鮮度の話で、まだ何かあるの?」
「あるとも、食材によっては、だ…」
新しいだけじゃ駄目なんだよな、と説明を始める。
食材によっては、直ぐに食べずに、貯蔵しておく、と。
いわゆる追熟、キウイフルーツなどが有名。
収穫直後は美味しくなくて、保存する間に美味しくなる。
肉にしたって、捌いて直ぐには店に出さない。
「えっ、お肉も?」
そうだったの、とブルーの瞳が真ん丸になる。
これは間違いなく、ハーレイの読みの通りだから…。
「残念ながら、そうなんだ」
そりゃ、新鮮なのも食うんだがな、とハーレイは笑んだ。
けれど熟成した肉の方が、舌は美味しく感じる、と。
「というわけだし、俺は鮮度の良さよりも、だ…」
味を優先したいんでな、とブルーにウインクして見せる。
「今すぐ食うより、前と同じに育って、だ…」
熟成したお前の方がいい、と言うと、ブルーは膨れっ面。
それはもう見事に、フグみたいに。
「あんまりだよ!」と文句たらたら、不満だらけで。
とはいえ放っておけば充分、ハーレイの方は知らん顔。
まさにブルーの自業自得、と紅茶のカップを傾ける。
「お前の熟成、まだまだかかりそうだよな」と。
「俺は気長に待つだけだ」と、「美味いのがいい」と…。
鮮度の良さって・了
(さっきは危なかったよね…)
危機一髪、と小さなブルーが竦めた肩。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(ハーレイ、来てくれなかったよ、って…)
心の中で何度も溜息をつきながら、少し前までバスルームにいた。
ハーレイには仕事があるのだから、と分かってはいても、どうしても気分が沈んでしまう。
シャワーを浴びても、お湯にゆっくり浸かってみても、明るい気持ちになってはくれない。
沈んだ気分を引き摺ったままで、お湯から上がって、パジャマを着た。
それから部屋に戻る途中も、やっぱり気分は沈んだままで…。
(…柔道部で何かあったのかな、とか…)
考え事をしながら階段を上って、あと一段で二階という所で足の勘が狂った。
頭がお留守になっていたのが悪かったのか、沈んだ気分に引き摺られたか。
(二階の床を踏む代わりに…)
足はスカッと滑ってしまって、階段の方を踏み付けた。
当然、身体のバランスも崩れて、前のめりに倒れ込んでしまって…。
(……ホントのホントに……)
危機一髪だよ、と思い返して寒くなる。
もしも二階まで、あと一段でなかったならば、転がり落ちていたかもしれない。
二階の床は平たくて、廊下といえども広いけれども、階段の方はそうはいかない。
倒れ込んだ「ブルー」が縋り付くには、奥行きも幅も足りなさすぎる。
(カエルみたいにベタッて倒れて、床にしっかり貼り付いたから…)
落ちずに済んで、ドタンと大きな音がしただけ。
あれが階段の途中だったら、そうはいかずに、止まれないまま一番下まで真っ逆様に…。
(…落っこちてたかも…)
自分でも充分、有り得ると思うし、音で気付いた両親にも強く注意をされた。
「気を付けないと駄目よ」と母に叱られ、父も「前をよく見て歩きなさい」と見上げて来た。
「落っこちてからでは、遅いんだぞ?」と。
「病院には車で連れてってやるが、怪我をして困るのは、お前なんだから」とも。
そう、父に言われた言葉は正しい。
あそこで階段から落っこちたならば、たちまち自分自身が困る。
(落っこちちゃったら、絶対に、怪我…)
ぼくはサイオンが不器用だから、と情けないけれど、どうしようもない。
前の生とはまるで違って、不器用になってしまったサイオン。
タイプ・ブルーとは名前ばかりで、思念波もろくに紡げはしない。
そんなレベルでは、階段を転がり落ちてゆく時も…。
(止まらなきゃ、って頭の中では分かっていても…)
口と心で悲鳴を上げても、肝心のサイオンが働かないから、落ちてゆくだけ。
止まれないまま、ゴロンゴロンと、一階の床に辿り着くまで。
(…頭を庇って丸くなるとか、そういうのは…)
本能的に出来そうだけれど、怪我は免れないだろう。
打ち身やアザが身体中に出来て、最初に踏み外した方の足首は…。
(変な力がかかっちゃったから、グキッっていう音…)
でもって、捻挫か骨折だよね、と恐ろしくなる。
どちらも痛くて、治りにくい怪我。
たとえ捻挫で済んだとしたって、その捻挫だって回復までに時間がかかりそう。
今の身体も前と同じに虚弱な上に、まだまだ子供なのだから。
(普通は、子供の怪我っていうのは、治るのが早いらしいけど…)
ブルーの場合は、事情が違う。
弱い身体は、怪我の治りも普通より遅い。
捻挫したなら、同い年の子の二倍くらいの回復期間が要ることだろう。
(そうなっちゃったら、色々、大変…)
まずは、ズキズキ痛む足首。
父の車で病院に行って、診察を受けて、「大丈夫、骨は折れていませんよ」と言われても…。
(ズキズキ痛くて、どうしようもなくて…)
もうそれだけで、泣きたい気持ちだろうと思う。
注射されるのも怖いくらいに、痛いのは嫌いで苦手というのに、足首が酷く痛むのだから。
(…前のぼくは、うんと強かったけど…)
キースに撃たれてもメギドで頑張ったけれど、と思いはしても、何の励ましにもならない。
今の自分はチビの子供で、痛いのは嫌で、なのにズキズキ痛む足首。
治療が終わって帰る途中も、車の中で痛み続ける勢いで。
(…捻挫くらいで、痛み止めの薬、貰えるのかな…?)
病院の後で困るのは、そこ。
酷い怪我だと、痛み止めの飲み薬が貰えることは知っている。
それを飲まないと眠れもしないから、「酷く痛む時は飲んで下さいね」と処方される薬。
(頓服だから、一日中、痛くないように、っていうのは無理で…)
使える限度があるだろうけれど、貰えさえすれば、夜は眠れる。
けれども、たかが捻挫くらいで、痛み止めを出してくれるかどうか。
(骨折だったら、間違いなく貰えそうだけど…)
捻挫くらいじゃ駄目なのかもね、という気がしないでもない。
なにしろ、学校の同級生たちにしてみれば、捻挫は大した怪我ではなくて…。
(ちょっぴり歩きにくくって…)
体育の授業が見学になる、という程度の認識。
松葉杖をついて来たりもしないし、足を引き摺っているだけのこと。
(…痛いんです、って顔もしてないもんね…)
やっぱり薬は貰えないかな、と思うものだから、「落ちなくて良かった」と実感した。
普通より治りが遅いからには、痛む期間も長くなる。
「足が痛くて眠れないよ」と嘆く夜が、幾つ続くことやら。
(ホントに困っちゃうんだから…!)
そんなの嫌だ、と首を左右に振って、落ちなかった幸運に感謝する。
あそこで転がり落ちていたなら、本当に、とても困るのだから。
(第一、痛くて、治りにくいなら…)
学校に行けなくなっちゃいそう、と怖くなるのが、怪我をして一番「困る」点。
普通の子供は、捻挫した足を引き摺りながらも、学校に来ているのだけれど…。
(ぼくだと、きっとパパとママが…)
痛みが幾らかマシになるまで、休ませてしまうことだろう。
元々、虚弱で休みがちだし、休んだところで問題は無い。
学校の方でも心得たもので、プリントなどはクラスメイトに届けさせてくれる。
(パパとママも、学校も、それでちっとも困らないけど…)
ぼくはホントに困るんだから、とハーレイの顔を思い浮かべた。
今日は来てくれなかったハーレイ、前の生から愛した人。
学校に行けなくなってしまったら、その間、ハーレイに学校では会えなくなるのだから。
それが一番困るんだよ、と考えただけで涙が出そう。
ズキズキと痛む足首よりも、痛くて夜も眠れないよりも、ハーレイに会えないのが困る。
(怪我しちゃったら、慌ててお見舞いに来てくれそうだけど…)
仕事が終わるまでは無理なんだよね、と分かっているから、それも悲しい。
ハーレイはきっと、いつものように学校に行って、其処で「ブルーの欠席」を知るのだろう。
どうして学校を休んでいるのか、「捻挫した」という理由の方も。
(前のハーレイなら、それを聞くなり…)
青の間に走って来ただろうけれど、今のハーレイは、そうはいかない。
仕事が終わる放課後までは、学校の門を出られはしなくて、つまりハーレイに会えるのは…。
(捻挫しちゃった次の日の夕方か、夜…)
お見舞いなのだし、会議があって遅くなっても、その日の間に来てはくれると思う。
けれど、ハーレイが「ブルーの捻挫」を知るのは、あくまで捻挫した翌日。
(さっき、階段から落っこちちゃって…)
捻挫していても、ハーレイの「お見舞い」は明日の夕方以降になる。
それまでの間、ハーレイに会えるチャンスは皆無で、ハーレイの方も動けはしない。
(大丈夫か、って聞いてくれるのも…)
うんと先のことになっちゃうんだよ、と嫌というほど承知している。
だからこそ、怪我などしていられない。
不注意で怪我をしてしまったら最後、悲しい思いをするしかないのが明白だから。
(…怪我しちゃったら、うんと痛くて、ハーレイにも会えなくなっちゃって…)
お見舞いに来てくれても、見送ることも出来ないんだよ、と溜息をつく。
捻挫した足では、帰るハーレイを玄関先まで送ることさえ、出来るかどうか。
普段だったら庭を横切り、門扉の所までついてゆくのに。
濃い緑色をしたハーレイの愛車が見えなくなるまで、表の道路で手を振るのに。
(きっとハーレイ、そんなの、許してくれないよ…)
足に負担がかかるものね、とハーレイの苦い顔付きが頭に浮かぶ。
「無理しちゃ駄目だぞ、捻挫は癖になるからな」と見送りを断るハーレイの声も。
(…絶対、そうだ…)
ホントのホントに困るんだから、と怪我はすまい、と心で誓う。
「怪我しちゃったら、大変なことになっちゃうもんね」と。
ウッカリ怪我をしないように、と自分自身を戒めたけれど。
階段から落ちるなんて言語道断、と「さっきの自分」を叱ったけれど…。
(…ちょっと待ってよ?)
困るのは今の間だけかも、と頭を掠めていった考え。
ハーレイの教え子でチビの自分は、怪我をしたなら、たちまち困る。
痛い思いをするのもそうだし、なにより、ハーレイに会えなくなってしまうけれども…。
(……ハーレイと一緒に暮らしていたら?)
結婚した後なら、どうなんだろう、と顎に手を当てて首を傾げた。
「痛いのは同じなんだろうけど、他の所は?」と。
(…ハーレイの家に、ぼくも一緒に住んでいて…)
其処でさっきと全く同じに、階段を踏み外した場合は、どうなるのだろう。
さっきは落ちずに済んだけれども、それが出来ずに落っこちた時。
(カエルみたいに、二階の床に貼り付く代わりに…)
「あっ!」と叫んで転がり落ちたら、多分、悲鳴でハーレイが気付く。
運良く、ハーレイが直ぐに対処が出来る状態だったら、落下は其処で止まりそう。
防御力ではタイプ・ブルーのそれに匹敵する、ハーレイのサイオンに包まれて。
タイプ・グリーンの淡い光が、落ちてゆくのを受け止めてくれて。
(…そしたら、怪我はしなくて済んで…)
ハーレイは「心臓が止まるかと思ったぞ」と叱りはしても、優しい笑顔で許してくれる。
「お前が怪我をしなくて良かった」と、「怪我しちまったら、大変だしな?」と。
(…だけど、そうそう上手く行くわけないもんね…)
悲鳴が聞こえる場所にハーレイがいなかった時は、下まで落ちてゆくしかない。
足首が「グキッ」と変な音を立てて、変な方へと捻じ曲がって。
たとえ骨折はしなくて済んでも、捻挫してしまって、見る間に腫れ上がってしまう足首。
(ぼくは思念波、紡げないから…)
ただ「助けて!」と叫ぶしか無くて、それを聞き付けてハーレイが慌てて走って来る。
「どうしたんだ?」と、やりかけのことを放り出して。
コーヒーを淹れている途中だろうが、キッチンで料理の最中だろうが。
(…お風呂からでも、走って来そう…)
お湯の雫を撒き散らしながら、と想像してみて可笑しくなった。
「きっとそうだよ」と、「服だって、着ていないかもね?」と。
悲鳴が聞こえて駆け付けるのなら、ハーレイは「ブルー」が最優先になるだろう。
コーヒーも、作りかけの料理も、ハーレイを引き留めることは出来ない。
(コンロの火は、消してくるんだろうけど…)
フライパンなどはコンロに乗っかったままで、料理は余熱で焦げてしまいそう。
普段の冷静なハーレイだったら、コンロから下ろして冷ます工夫をして来るだろうに。
そしてバスルームにいたハーレイなら、服やパジャマを着込む代わりに…。
(パンツだけとか、パンツも履かずにタオルを腰に巻いただけとか…)
そのタオルだって無いのかもね、とクスクス笑いが込み上げて来る。
二人一緒に暮らしているなら、真っ裸のハーレイが駆けて来たって不思議ではない。
裸なんかお互い見慣れたものだし、今は「ブルー」を最優先すべきなのだから。
(そういうハーレイが、大慌てで走って来てくれて…)
「捻ったのか?」と足を調べて、「病院に行こう」と言うのだろう。
「車を出すから直ぐに行こう」と、もしかしたら、真っ裸のままで。
自分のことなどすっかり忘れて、「ブルー」で頭が一杯になって。
(…「ハーレイ、パンツを履かなくっちゃ」って…)
ついでに「服もきちんと着なきゃ」と、痛む足首を抱えて笑う「自分」が見える。
とても素敵な未来の光景、怪我をしたなら、それをこの目で見られそう。
(…怪我しちゃったら、痛いけれども…)
最高に楽しいものが見られて、病院の後は、ハーレイが大事に面倒を見てくれる筈。
足が治るまで、いつも以上に気を配り、あれこれと世話をしてくれて。
仕事も休みかねないくらいに、「ブルー」を優先してくれて。
素敵な暮らしが待っていそうだから、注意は今だけにしておこうか。
怪我をしたら困ってしまうのだけれど、未来の自分は、どうやら違うようだから…。
怪我しちゃったら・了
※ハーレイ先生に会えなくなるから、怪我はしちゃ駄目、と思ったブルー君ですが…。
結婚していた場合は、全く違ったことになりそう。怪我してみるのも、素敵なのかもv
危機一髪、と小さなブルーが竦めた肩。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(ハーレイ、来てくれなかったよ、って…)
心の中で何度も溜息をつきながら、少し前までバスルームにいた。
ハーレイには仕事があるのだから、と分かってはいても、どうしても気分が沈んでしまう。
シャワーを浴びても、お湯にゆっくり浸かってみても、明るい気持ちになってはくれない。
沈んだ気分を引き摺ったままで、お湯から上がって、パジャマを着た。
それから部屋に戻る途中も、やっぱり気分は沈んだままで…。
(…柔道部で何かあったのかな、とか…)
考え事をしながら階段を上って、あと一段で二階という所で足の勘が狂った。
頭がお留守になっていたのが悪かったのか、沈んだ気分に引き摺られたか。
(二階の床を踏む代わりに…)
足はスカッと滑ってしまって、階段の方を踏み付けた。
当然、身体のバランスも崩れて、前のめりに倒れ込んでしまって…。
(……ホントのホントに……)
危機一髪だよ、と思い返して寒くなる。
もしも二階まで、あと一段でなかったならば、転がり落ちていたかもしれない。
二階の床は平たくて、廊下といえども広いけれども、階段の方はそうはいかない。
倒れ込んだ「ブルー」が縋り付くには、奥行きも幅も足りなさすぎる。
(カエルみたいにベタッて倒れて、床にしっかり貼り付いたから…)
落ちずに済んで、ドタンと大きな音がしただけ。
あれが階段の途中だったら、そうはいかずに、止まれないまま一番下まで真っ逆様に…。
(…落っこちてたかも…)
自分でも充分、有り得ると思うし、音で気付いた両親にも強く注意をされた。
「気を付けないと駄目よ」と母に叱られ、父も「前をよく見て歩きなさい」と見上げて来た。
「落っこちてからでは、遅いんだぞ?」と。
「病院には車で連れてってやるが、怪我をして困るのは、お前なんだから」とも。
そう、父に言われた言葉は正しい。
あそこで階段から落っこちたならば、たちまち自分自身が困る。
(落っこちちゃったら、絶対に、怪我…)
ぼくはサイオンが不器用だから、と情けないけれど、どうしようもない。
前の生とはまるで違って、不器用になってしまったサイオン。
タイプ・ブルーとは名前ばかりで、思念波もろくに紡げはしない。
そんなレベルでは、階段を転がり落ちてゆく時も…。
(止まらなきゃ、って頭の中では分かっていても…)
口と心で悲鳴を上げても、肝心のサイオンが働かないから、落ちてゆくだけ。
止まれないまま、ゴロンゴロンと、一階の床に辿り着くまで。
(…頭を庇って丸くなるとか、そういうのは…)
本能的に出来そうだけれど、怪我は免れないだろう。
打ち身やアザが身体中に出来て、最初に踏み外した方の足首は…。
(変な力がかかっちゃったから、グキッっていう音…)
でもって、捻挫か骨折だよね、と恐ろしくなる。
どちらも痛くて、治りにくい怪我。
たとえ捻挫で済んだとしたって、その捻挫だって回復までに時間がかかりそう。
今の身体も前と同じに虚弱な上に、まだまだ子供なのだから。
(普通は、子供の怪我っていうのは、治るのが早いらしいけど…)
ブルーの場合は、事情が違う。
弱い身体は、怪我の治りも普通より遅い。
捻挫したなら、同い年の子の二倍くらいの回復期間が要ることだろう。
(そうなっちゃったら、色々、大変…)
まずは、ズキズキ痛む足首。
父の車で病院に行って、診察を受けて、「大丈夫、骨は折れていませんよ」と言われても…。
(ズキズキ痛くて、どうしようもなくて…)
もうそれだけで、泣きたい気持ちだろうと思う。
注射されるのも怖いくらいに、痛いのは嫌いで苦手というのに、足首が酷く痛むのだから。
(…前のぼくは、うんと強かったけど…)
キースに撃たれてもメギドで頑張ったけれど、と思いはしても、何の励ましにもならない。
今の自分はチビの子供で、痛いのは嫌で、なのにズキズキ痛む足首。
治療が終わって帰る途中も、車の中で痛み続ける勢いで。
(…捻挫くらいで、痛み止めの薬、貰えるのかな…?)
病院の後で困るのは、そこ。
酷い怪我だと、痛み止めの飲み薬が貰えることは知っている。
それを飲まないと眠れもしないから、「酷く痛む時は飲んで下さいね」と処方される薬。
(頓服だから、一日中、痛くないように、っていうのは無理で…)
使える限度があるだろうけれど、貰えさえすれば、夜は眠れる。
けれども、たかが捻挫くらいで、痛み止めを出してくれるかどうか。
(骨折だったら、間違いなく貰えそうだけど…)
捻挫くらいじゃ駄目なのかもね、という気がしないでもない。
なにしろ、学校の同級生たちにしてみれば、捻挫は大した怪我ではなくて…。
(ちょっぴり歩きにくくって…)
体育の授業が見学になる、という程度の認識。
松葉杖をついて来たりもしないし、足を引き摺っているだけのこと。
(…痛いんです、って顔もしてないもんね…)
やっぱり薬は貰えないかな、と思うものだから、「落ちなくて良かった」と実感した。
普通より治りが遅いからには、痛む期間も長くなる。
「足が痛くて眠れないよ」と嘆く夜が、幾つ続くことやら。
(ホントに困っちゃうんだから…!)
そんなの嫌だ、と首を左右に振って、落ちなかった幸運に感謝する。
あそこで転がり落ちていたなら、本当に、とても困るのだから。
(第一、痛くて、治りにくいなら…)
学校に行けなくなっちゃいそう、と怖くなるのが、怪我をして一番「困る」点。
普通の子供は、捻挫した足を引き摺りながらも、学校に来ているのだけれど…。
(ぼくだと、きっとパパとママが…)
痛みが幾らかマシになるまで、休ませてしまうことだろう。
元々、虚弱で休みがちだし、休んだところで問題は無い。
学校の方でも心得たもので、プリントなどはクラスメイトに届けさせてくれる。
(パパとママも、学校も、それでちっとも困らないけど…)
ぼくはホントに困るんだから、とハーレイの顔を思い浮かべた。
今日は来てくれなかったハーレイ、前の生から愛した人。
学校に行けなくなってしまったら、その間、ハーレイに学校では会えなくなるのだから。
それが一番困るんだよ、と考えただけで涙が出そう。
ズキズキと痛む足首よりも、痛くて夜も眠れないよりも、ハーレイに会えないのが困る。
(怪我しちゃったら、慌ててお見舞いに来てくれそうだけど…)
仕事が終わるまでは無理なんだよね、と分かっているから、それも悲しい。
ハーレイはきっと、いつものように学校に行って、其処で「ブルーの欠席」を知るのだろう。
どうして学校を休んでいるのか、「捻挫した」という理由の方も。
(前のハーレイなら、それを聞くなり…)
青の間に走って来ただろうけれど、今のハーレイは、そうはいかない。
仕事が終わる放課後までは、学校の門を出られはしなくて、つまりハーレイに会えるのは…。
(捻挫しちゃった次の日の夕方か、夜…)
お見舞いなのだし、会議があって遅くなっても、その日の間に来てはくれると思う。
けれど、ハーレイが「ブルーの捻挫」を知るのは、あくまで捻挫した翌日。
(さっき、階段から落っこちちゃって…)
捻挫していても、ハーレイの「お見舞い」は明日の夕方以降になる。
それまでの間、ハーレイに会えるチャンスは皆無で、ハーレイの方も動けはしない。
(大丈夫か、って聞いてくれるのも…)
うんと先のことになっちゃうんだよ、と嫌というほど承知している。
だからこそ、怪我などしていられない。
不注意で怪我をしてしまったら最後、悲しい思いをするしかないのが明白だから。
(…怪我しちゃったら、うんと痛くて、ハーレイにも会えなくなっちゃって…)
お見舞いに来てくれても、見送ることも出来ないんだよ、と溜息をつく。
捻挫した足では、帰るハーレイを玄関先まで送ることさえ、出来るかどうか。
普段だったら庭を横切り、門扉の所までついてゆくのに。
濃い緑色をしたハーレイの愛車が見えなくなるまで、表の道路で手を振るのに。
(きっとハーレイ、そんなの、許してくれないよ…)
足に負担がかかるものね、とハーレイの苦い顔付きが頭に浮かぶ。
「無理しちゃ駄目だぞ、捻挫は癖になるからな」と見送りを断るハーレイの声も。
(…絶対、そうだ…)
ホントのホントに困るんだから、と怪我はすまい、と心で誓う。
「怪我しちゃったら、大変なことになっちゃうもんね」と。
ウッカリ怪我をしないように、と自分自身を戒めたけれど。
階段から落ちるなんて言語道断、と「さっきの自分」を叱ったけれど…。
(…ちょっと待ってよ?)
困るのは今の間だけかも、と頭を掠めていった考え。
ハーレイの教え子でチビの自分は、怪我をしたなら、たちまち困る。
痛い思いをするのもそうだし、なにより、ハーレイに会えなくなってしまうけれども…。
(……ハーレイと一緒に暮らしていたら?)
結婚した後なら、どうなんだろう、と顎に手を当てて首を傾げた。
「痛いのは同じなんだろうけど、他の所は?」と。
(…ハーレイの家に、ぼくも一緒に住んでいて…)
其処でさっきと全く同じに、階段を踏み外した場合は、どうなるのだろう。
さっきは落ちずに済んだけれども、それが出来ずに落っこちた時。
(カエルみたいに、二階の床に貼り付く代わりに…)
「あっ!」と叫んで転がり落ちたら、多分、悲鳴でハーレイが気付く。
運良く、ハーレイが直ぐに対処が出来る状態だったら、落下は其処で止まりそう。
防御力ではタイプ・ブルーのそれに匹敵する、ハーレイのサイオンに包まれて。
タイプ・グリーンの淡い光が、落ちてゆくのを受け止めてくれて。
(…そしたら、怪我はしなくて済んで…)
ハーレイは「心臓が止まるかと思ったぞ」と叱りはしても、優しい笑顔で許してくれる。
「お前が怪我をしなくて良かった」と、「怪我しちまったら、大変だしな?」と。
(…だけど、そうそう上手く行くわけないもんね…)
悲鳴が聞こえる場所にハーレイがいなかった時は、下まで落ちてゆくしかない。
足首が「グキッ」と変な音を立てて、変な方へと捻じ曲がって。
たとえ骨折はしなくて済んでも、捻挫してしまって、見る間に腫れ上がってしまう足首。
(ぼくは思念波、紡げないから…)
ただ「助けて!」と叫ぶしか無くて、それを聞き付けてハーレイが慌てて走って来る。
「どうしたんだ?」と、やりかけのことを放り出して。
コーヒーを淹れている途中だろうが、キッチンで料理の最中だろうが。
(…お風呂からでも、走って来そう…)
お湯の雫を撒き散らしながら、と想像してみて可笑しくなった。
「きっとそうだよ」と、「服だって、着ていないかもね?」と。
悲鳴が聞こえて駆け付けるのなら、ハーレイは「ブルー」が最優先になるだろう。
コーヒーも、作りかけの料理も、ハーレイを引き留めることは出来ない。
(コンロの火は、消してくるんだろうけど…)
フライパンなどはコンロに乗っかったままで、料理は余熱で焦げてしまいそう。
普段の冷静なハーレイだったら、コンロから下ろして冷ます工夫をして来るだろうに。
そしてバスルームにいたハーレイなら、服やパジャマを着込む代わりに…。
(パンツだけとか、パンツも履かずにタオルを腰に巻いただけとか…)
そのタオルだって無いのかもね、とクスクス笑いが込み上げて来る。
二人一緒に暮らしているなら、真っ裸のハーレイが駆けて来たって不思議ではない。
裸なんかお互い見慣れたものだし、今は「ブルー」を最優先すべきなのだから。
(そういうハーレイが、大慌てで走って来てくれて…)
「捻ったのか?」と足を調べて、「病院に行こう」と言うのだろう。
「車を出すから直ぐに行こう」と、もしかしたら、真っ裸のままで。
自分のことなどすっかり忘れて、「ブルー」で頭が一杯になって。
(…「ハーレイ、パンツを履かなくっちゃ」って…)
ついでに「服もきちんと着なきゃ」と、痛む足首を抱えて笑う「自分」が見える。
とても素敵な未来の光景、怪我をしたなら、それをこの目で見られそう。
(…怪我しちゃったら、痛いけれども…)
最高に楽しいものが見られて、病院の後は、ハーレイが大事に面倒を見てくれる筈。
足が治るまで、いつも以上に気を配り、あれこれと世話をしてくれて。
仕事も休みかねないくらいに、「ブルー」を優先してくれて。
素敵な暮らしが待っていそうだから、注意は今だけにしておこうか。
怪我をしたら困ってしまうのだけれど、未来の自分は、どうやら違うようだから…。
怪我しちゃったら・了
※ハーレイ先生に会えなくなるから、怪我はしちゃ駄目、と思ったブルー君ですが…。
結婚していた場合は、全く違ったことになりそう。怪我してみるのも、素敵なのかもv
(…今日は、寄り損なっちまったなあ…)
仕方ないんだが、とハーレイがフウと零した溜息。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
今日はブルーの家に寄れる、と何時間か前までは考えていた。
柔道部の部活が終わった後に、シャワーを浴びて、着替えをして、と普段通りに。
ところが、狂ってしまった予定。
(こればっかりは、本当に仕方ないんだよなあ…)
あいつにも悪気は無かったんだ、と部員の一人を思い出す。
きちんと準備運動をして、それから練習を始めた彼。
稽古の最中、捻挫をしたのは、彼にとっても災難以外の何物でもない。
なんと言っても、当分の間、部活は禁止で、体育も同じ。
(自転車に乗るのも、暫くは駄目らしいしなあ…)
登下校にも難儀するだろう、と彼の境遇を気の毒だと思う。
ほんの一瞬、油断したのか、判断ミスをやらかしたのか、それが捻挫を連れて来た。
ハーレイが「あっ」と息を飲んだ時には、彼は床の上に転がっていた。
練習相手も顔色を変えて、「先生!」と悲鳴のように叫んだ。
「先生、僕が悪かったんです」と練習相手は謝ったけれど、彼に非は無い。
何の落ち度も無かったことは、練習を見ていたハーレイだからこそ、よく分かる。
(あいつがかけた技は正しくて、かけられた方も…)
正しく対応したのだけれども、何処かで何かが間違っていた。
ほんの僅かな気の緩みだとか、あるいは身体が少し違った動きをしたか。
(俺がマズイ、と思った時には、もう、ああなるのが…)
見えていたよな、というのは「今だからこそ」言えること。
彼が体勢を崩した瞬間、咄嗟に動いて支えるとかは、いくらハーレイでも出来ない。
サイオンを使えば可能とはいえ、そういったサイオンの使い方は…。
(あいつのためには、ならないんだよな)
ついでに社会のマナーに反する、と律儀に考え、可笑しくなった。
「慣れないヤツなら、助けちまうかもな」と。
柔道の指導を始めたばかりの、まだ新米の教師だったら、やるかもしれない。
彼自身も経験が浅いものだから、何が後輩のためになるのか、冷静に判断出来なくて。
人間が全てミュウになっている今の時代は、サイオンは「使わない」のがマナー。
部活で怪我をしそうになっても、軽い怪我で済むなら「助けはしない」。
(その辺の判断をどうするか、ってうのもだな…)
指導する教師の腕の見せ所で、今日の場合は「放っておく」方。
怪我をした生徒は可哀相だけれど、今の内に懲りておく方がいい。
(怪我ってヤツを経験したら、だ…)
次から彼は気を付けるのだし、怪我をしないよう、技を磨くのにも熱心になる。
結果的に向上するわけだから、数日間のブランクなどは…。
(ご愛敬っていうヤツなんだ)
また練習に復帰した時は、これまで以上に頑張ればいい。
そう、怪我をした彼は、それで充分なのだけれども…。
(…ブルーは、ガッカリしたんだろうなあ…)
俺が家に行かなかったから、とチビの恋人に心の中で謝る。
「すまん」と、「仕方なかったんだ」と。
家で待っているブルーよりかは、怪我をした生徒を優先するのが当たり前。
車に乗せて、まず、病院へ。
診察と治療が終わった後には、彼の家まで送り届けてやらなければ。
(なんたって、捻挫で歩き辛くて…)
医者も「安静に」と言った以上は、家に送ってゆかねばならない。
「一人で家まで帰れるな?」などと、バスに乗せたりしてはいけない。
(それが教師の役目ってモンで…)
ブルーの家には、また明日にでも、と分かってはいても、ブルーの顔が目に浮かぶ。
残念そうに溜息をついて、ベッドにチョコンと座っていそうな恋人が。
(生徒が怪我をしちまったんだ、と教えてやったら…)
きっとブルーも「仕方ないよね」と、素直に納得するだろう。
「怪我をした子は、大丈夫なの?」と、心配だってしてくれる筈。
けれど生憎、そのことをブルーに伝えられてはいないから…。
(……膨れっ面って所かもなあ……)
教師仲間と飯を食いに行ったと勘違いして…、と少し悔しい。
濡れ衣な上に、ブルーの方も、後で事実を聞かされた時に恥ずかしくなることだろう。
「ぼく、勘違いして膨れちゃってた」と、怪我をした生徒に申し訳ない気持ちになって。
とはいえ、それも仕方ないこと。
思念波を使わないのも社会のマナーで、ブルーに事実は伝えられない。
明日か、それとも明後日になるか、会える時まで、何があったかは伝わらない。
(…膨れていなきゃいいんだが…)
ガッカリ程度でいてくれよ、と思ったはずみに、フイと頭を掠めたこと。
「怪我をするのは、生徒だけとは限らないぞ?」という考え。
(…うん、俺だって人間なんだしな?)
頑丈とはいえ、怪我をしないというわけじゃない、と気が付いた。
幸い、今日まで、大きな怪我はしていない。
今では柔道も達人の域だし、これから先も、恐らく怪我はしないだろう。
(しかしだな…)
怪我をするのは柔道に限ったことではなくて、部活だけにも限りはしない。
日常生活から仕事の中まで、危険は何処にでも潜んでいる。
(学校行事で、遠足なんかに行った先で、だ…)
生徒を庇って怪我をする教師は、実際、多い。
日常の方も、家の手入れで屋根などに登っている時、ウッカリ足を滑らせたなら…。
(下まで落ちて、大怪我ってことは、まず無いだろうが…)
サイオンで自分を助けるだろうし、そこまでの怪我はしないと思う。
ただし、あくまで「そこまでの怪我」で、足を滑らせて落ちてゆく時に…。
(足を捻って、捻挫ってことは…)
有り得るよな、とマグカップの縁を指で弾いた。
きっと転がり落ちる時には、頭の中は「落ちたらマズイ」で一杯になっているだろう。
落下を止めることが大事で、それしか考えていない筈。
(つまり、手足の方はお留守で…)
落ちないためにと、無理な動きをしても全く不思議ではない。
その結果として、「落ちて大怪我」は免れたものの、捻挫くらいはするかもしれない。
「やれやれ、なんとか助かった」とホッとした途端、足首にズキンと痛みが走る。
何処で捻ったか、引っ掛けたのか、心当たりさえ無い不幸な怪我。
ズキンズキンと足が痛んで、立ち上がるのにも一苦労。
「こりゃ、病院だな」と足を引き摺り、愛車のエンジンをかける代わりに…。
(タクシーを呼ぶしかなさそうだよな…)
「捻挫じゃ運転出来やしないし、タクシーを呼んで病院行きだ」という結末。
もしも、そういう怪我をしたなら、ブルーとのことは、どうなるだろう。
「すまん」と詫びて、平謝りになるのは間違いない。
捻挫が治って車に乗れるようになるまで、ブルーの家には、そうそう行けない。
休日くらいは、なんとかバス停まで行って…。
(バスに乗ったら、行けるんだがな…)
それまでの間の平日は無理か、と思うと、溜息しか出ない。
ブルーは膨れっ面になりはしないで、心配をしてくれるとは思う。
「痛いんでしょ?」と、泣きそうな顔もするかもしれない。
なのに、そういうブルーに「会えない」。
休日はともかく、仕事のある日は、愛車で会いには行けないせいで。
(参ったな…)
怪我しちまったら大変だぞ、と考えただけで冷汗が出そう。
「気を付けないと」と、「今日の生徒に注意はしたが、俺もだよな」と。
ブルーに会えなくなるのは困るし、悲しそうな顔もさせたくはない。
つまり、「会えなくなる」のが嫌なら、怪我をしないよう、日頃から気を付けるしかない。
(そうは言っても、遠足とかで、だ…)
生徒が怪我をしそうになったら、飛び出して行くことだろう。
山道で足を滑らせた生徒を、飛び込んで抱えて、一緒に転がり落ちるとか。
(その時だって、止まることしか考えていないモンだから…)
やっぱり足を捻るかもな、と溜息をついて、ハタと気付いた。
「今ならマズイが、もっと先なら、そうじゃないぞ」と。
(…そうだ、今だと、ブルーに会えなくなっちまうんだが…)
結婚した後なら、何も問題無いじゃないか、とポンと手を打つ。
捻挫で足を引き摺っていても、ブルーがいるのが「同じ家」なら、いつでも会える。
(大丈夫なの、って…)
心配する顔も、毎日見られることだろう。
捻挫した足に湿布を貼るのも、ブルーがやってくれそうな感じ。
「ホントに痛そう…」と湿布を貼り替え、色々と世話もしてくれそう。
捻挫したのでは、出来ないことも出て来るだろう。
そういったことをブルーが代わりにやってくれたり、手伝ったり、という毎日。
今、怪我をしたら困るけれども、未来の場合は、どうやらそうではないらしい。
(ふむふむ…)
未来の俺が怪我しちまったら…、と想像の翼を羽ばたかせてみることにした。
ブルーとの日々はどうなるだろう、と二人で暮らす家での暮らしを思い描いてゆく方向へ。
(…最初は、俺が怪我したトコから始まるんだよな?)
怪我は捻挫でいいだろう、と設定した。
学校から遠足に出掛けた先で、生徒と一緒に山の斜面を転がり落ちての捻挫に決める。
「生徒を庇って」というのがポイント、「自分の不注意」ではない所がいい。
ブルーは「怪我をした」と知るなり、真っ青になることだろう。
一番最初は、「あれ、車は?」と首を傾げる場面から始まりそうだけれども。
(車で出勤したんだろうが、捻挫した足じゃ運転出来んしなあ…)
愛車は学校の駐車場に残して、タクシーか同僚の車で帰宅。
見慣れた車が帰って来るのを待っていたブルーには、晴天の霹靂で、その上に…。
(…足を引き摺った俺が登場なんだ)
恐らくブルーはビックリ仰天、悲鳴を上げるかもしれない。
「ハーレイ、その足、どうしちゃったの!?」と、玄関先で。
(捻挫しちまった、と事情を説明してやったら…)
ブルーは「生徒は怪我はしてないの?」と確かめ、怪我は無いと聞いて安心してから…。
(俺の心配をしてくれるんだ)
まるで背丈が違うというのに、杖になろうとしてくれるだろうか。
「歩きにくいでしょ」と、「ぼくに掴まって」と、並んで肩を差し出して。
(でもって、座れる所まで…)
移動させた後は、コーヒーを淹れようとするかもしれない。
「コーヒーでも飲んで、ゆっくり休んで」と、「御飯も、ぼくが作るから」と申し出て。
(どっちも、あいつに上手く出来るとは思えんが…)
不味いコーヒーでも、焦げた料理でも、喜んで御馳走になることにする。
こんなことでもなかったならば、けして味わえないだろうから。
(あいつはコーヒー、苦手なんだし、料理も俺が得意なんだし…)
普段のブルーは、「作って貰う」方に決まっている。
ついでに掃除や洗濯にしても、ブルーがするのは最低限で…。
(大部分は、俺が仕事に出掛ける前に…)
張り切って片付けてゆきそうだから、それも「怪我をした」場合はブルーが請け負う。
一度もやったことなどは無い、バスルームの掃除も「どうやればいいの?」と尋ねながら。
(怪我しちまったら、そうなるんだな?)
うんと新鮮なブルーってヤツを見られるぞ、とハーレイは頬を緩ませた。
掃除や洗濯、料理といった家事を頑張る、健気なブルー。
捻挫した足の湿布を貼り替え、「痛そう…」と心配もしてくれる。
それも素敵だ、と思うものだから、結婚したら、注意は「ほどほど」にしておこうか。
怪我をしたら痛くて不自由だけれど、オマケがついて来そうだから。
ブルーがせっせと世話してくれて、「掴まってね」と、肩まで貸してくれそうだから…。
怪我しちまったら・了
※ブルー君と一緒に暮らし始めた後、怪我をしたらどうなるか、と考えてみたハーレイ先生。
困る部分もありますけれど、なかなかに美味しそうな生活。怪我をするのも一興かもv
仕方ないんだが、とハーレイがフウと零した溜息。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
今日はブルーの家に寄れる、と何時間か前までは考えていた。
柔道部の部活が終わった後に、シャワーを浴びて、着替えをして、と普段通りに。
ところが、狂ってしまった予定。
(こればっかりは、本当に仕方ないんだよなあ…)
あいつにも悪気は無かったんだ、と部員の一人を思い出す。
きちんと準備運動をして、それから練習を始めた彼。
稽古の最中、捻挫をしたのは、彼にとっても災難以外の何物でもない。
なんと言っても、当分の間、部活は禁止で、体育も同じ。
(自転車に乗るのも、暫くは駄目らしいしなあ…)
登下校にも難儀するだろう、と彼の境遇を気の毒だと思う。
ほんの一瞬、油断したのか、判断ミスをやらかしたのか、それが捻挫を連れて来た。
ハーレイが「あっ」と息を飲んだ時には、彼は床の上に転がっていた。
練習相手も顔色を変えて、「先生!」と悲鳴のように叫んだ。
「先生、僕が悪かったんです」と練習相手は謝ったけれど、彼に非は無い。
何の落ち度も無かったことは、練習を見ていたハーレイだからこそ、よく分かる。
(あいつがかけた技は正しくて、かけられた方も…)
正しく対応したのだけれども、何処かで何かが間違っていた。
ほんの僅かな気の緩みだとか、あるいは身体が少し違った動きをしたか。
(俺がマズイ、と思った時には、もう、ああなるのが…)
見えていたよな、というのは「今だからこそ」言えること。
彼が体勢を崩した瞬間、咄嗟に動いて支えるとかは、いくらハーレイでも出来ない。
サイオンを使えば可能とはいえ、そういったサイオンの使い方は…。
(あいつのためには、ならないんだよな)
ついでに社会のマナーに反する、と律儀に考え、可笑しくなった。
「慣れないヤツなら、助けちまうかもな」と。
柔道の指導を始めたばかりの、まだ新米の教師だったら、やるかもしれない。
彼自身も経験が浅いものだから、何が後輩のためになるのか、冷静に判断出来なくて。
人間が全てミュウになっている今の時代は、サイオンは「使わない」のがマナー。
部活で怪我をしそうになっても、軽い怪我で済むなら「助けはしない」。
(その辺の判断をどうするか、ってうのもだな…)
指導する教師の腕の見せ所で、今日の場合は「放っておく」方。
怪我をした生徒は可哀相だけれど、今の内に懲りておく方がいい。
(怪我ってヤツを経験したら、だ…)
次から彼は気を付けるのだし、怪我をしないよう、技を磨くのにも熱心になる。
結果的に向上するわけだから、数日間のブランクなどは…。
(ご愛敬っていうヤツなんだ)
また練習に復帰した時は、これまで以上に頑張ればいい。
そう、怪我をした彼は、それで充分なのだけれども…。
(…ブルーは、ガッカリしたんだろうなあ…)
俺が家に行かなかったから、とチビの恋人に心の中で謝る。
「すまん」と、「仕方なかったんだ」と。
家で待っているブルーよりかは、怪我をした生徒を優先するのが当たり前。
車に乗せて、まず、病院へ。
診察と治療が終わった後には、彼の家まで送り届けてやらなければ。
(なんたって、捻挫で歩き辛くて…)
医者も「安静に」と言った以上は、家に送ってゆかねばならない。
「一人で家まで帰れるな?」などと、バスに乗せたりしてはいけない。
(それが教師の役目ってモンで…)
ブルーの家には、また明日にでも、と分かってはいても、ブルーの顔が目に浮かぶ。
残念そうに溜息をついて、ベッドにチョコンと座っていそうな恋人が。
(生徒が怪我をしちまったんだ、と教えてやったら…)
きっとブルーも「仕方ないよね」と、素直に納得するだろう。
「怪我をした子は、大丈夫なの?」と、心配だってしてくれる筈。
けれど生憎、そのことをブルーに伝えられてはいないから…。
(……膨れっ面って所かもなあ……)
教師仲間と飯を食いに行ったと勘違いして…、と少し悔しい。
濡れ衣な上に、ブルーの方も、後で事実を聞かされた時に恥ずかしくなることだろう。
「ぼく、勘違いして膨れちゃってた」と、怪我をした生徒に申し訳ない気持ちになって。
とはいえ、それも仕方ないこと。
思念波を使わないのも社会のマナーで、ブルーに事実は伝えられない。
明日か、それとも明後日になるか、会える時まで、何があったかは伝わらない。
(…膨れていなきゃいいんだが…)
ガッカリ程度でいてくれよ、と思ったはずみに、フイと頭を掠めたこと。
「怪我をするのは、生徒だけとは限らないぞ?」という考え。
(…うん、俺だって人間なんだしな?)
頑丈とはいえ、怪我をしないというわけじゃない、と気が付いた。
幸い、今日まで、大きな怪我はしていない。
今では柔道も達人の域だし、これから先も、恐らく怪我はしないだろう。
(しかしだな…)
怪我をするのは柔道に限ったことではなくて、部活だけにも限りはしない。
日常生活から仕事の中まで、危険は何処にでも潜んでいる。
(学校行事で、遠足なんかに行った先で、だ…)
生徒を庇って怪我をする教師は、実際、多い。
日常の方も、家の手入れで屋根などに登っている時、ウッカリ足を滑らせたなら…。
(下まで落ちて、大怪我ってことは、まず無いだろうが…)
サイオンで自分を助けるだろうし、そこまでの怪我はしないと思う。
ただし、あくまで「そこまでの怪我」で、足を滑らせて落ちてゆく時に…。
(足を捻って、捻挫ってことは…)
有り得るよな、とマグカップの縁を指で弾いた。
きっと転がり落ちる時には、頭の中は「落ちたらマズイ」で一杯になっているだろう。
落下を止めることが大事で、それしか考えていない筈。
(つまり、手足の方はお留守で…)
落ちないためにと、無理な動きをしても全く不思議ではない。
その結果として、「落ちて大怪我」は免れたものの、捻挫くらいはするかもしれない。
「やれやれ、なんとか助かった」とホッとした途端、足首にズキンと痛みが走る。
何処で捻ったか、引っ掛けたのか、心当たりさえ無い不幸な怪我。
ズキンズキンと足が痛んで、立ち上がるのにも一苦労。
「こりゃ、病院だな」と足を引き摺り、愛車のエンジンをかける代わりに…。
(タクシーを呼ぶしかなさそうだよな…)
「捻挫じゃ運転出来やしないし、タクシーを呼んで病院行きだ」という結末。
もしも、そういう怪我をしたなら、ブルーとのことは、どうなるだろう。
「すまん」と詫びて、平謝りになるのは間違いない。
捻挫が治って車に乗れるようになるまで、ブルーの家には、そうそう行けない。
休日くらいは、なんとかバス停まで行って…。
(バスに乗ったら、行けるんだがな…)
それまでの間の平日は無理か、と思うと、溜息しか出ない。
ブルーは膨れっ面になりはしないで、心配をしてくれるとは思う。
「痛いんでしょ?」と、泣きそうな顔もするかもしれない。
なのに、そういうブルーに「会えない」。
休日はともかく、仕事のある日は、愛車で会いには行けないせいで。
(参ったな…)
怪我しちまったら大変だぞ、と考えただけで冷汗が出そう。
「気を付けないと」と、「今日の生徒に注意はしたが、俺もだよな」と。
ブルーに会えなくなるのは困るし、悲しそうな顔もさせたくはない。
つまり、「会えなくなる」のが嫌なら、怪我をしないよう、日頃から気を付けるしかない。
(そうは言っても、遠足とかで、だ…)
生徒が怪我をしそうになったら、飛び出して行くことだろう。
山道で足を滑らせた生徒を、飛び込んで抱えて、一緒に転がり落ちるとか。
(その時だって、止まることしか考えていないモンだから…)
やっぱり足を捻るかもな、と溜息をついて、ハタと気付いた。
「今ならマズイが、もっと先なら、そうじゃないぞ」と。
(…そうだ、今だと、ブルーに会えなくなっちまうんだが…)
結婚した後なら、何も問題無いじゃないか、とポンと手を打つ。
捻挫で足を引き摺っていても、ブルーがいるのが「同じ家」なら、いつでも会える。
(大丈夫なの、って…)
心配する顔も、毎日見られることだろう。
捻挫した足に湿布を貼るのも、ブルーがやってくれそうな感じ。
「ホントに痛そう…」と湿布を貼り替え、色々と世話もしてくれそう。
捻挫したのでは、出来ないことも出て来るだろう。
そういったことをブルーが代わりにやってくれたり、手伝ったり、という毎日。
今、怪我をしたら困るけれども、未来の場合は、どうやらそうではないらしい。
(ふむふむ…)
未来の俺が怪我しちまったら…、と想像の翼を羽ばたかせてみることにした。
ブルーとの日々はどうなるだろう、と二人で暮らす家での暮らしを思い描いてゆく方向へ。
(…最初は、俺が怪我したトコから始まるんだよな?)
怪我は捻挫でいいだろう、と設定した。
学校から遠足に出掛けた先で、生徒と一緒に山の斜面を転がり落ちての捻挫に決める。
「生徒を庇って」というのがポイント、「自分の不注意」ではない所がいい。
ブルーは「怪我をした」と知るなり、真っ青になることだろう。
一番最初は、「あれ、車は?」と首を傾げる場面から始まりそうだけれども。
(車で出勤したんだろうが、捻挫した足じゃ運転出来んしなあ…)
愛車は学校の駐車場に残して、タクシーか同僚の車で帰宅。
見慣れた車が帰って来るのを待っていたブルーには、晴天の霹靂で、その上に…。
(…足を引き摺った俺が登場なんだ)
恐らくブルーはビックリ仰天、悲鳴を上げるかもしれない。
「ハーレイ、その足、どうしちゃったの!?」と、玄関先で。
(捻挫しちまった、と事情を説明してやったら…)
ブルーは「生徒は怪我はしてないの?」と確かめ、怪我は無いと聞いて安心してから…。
(俺の心配をしてくれるんだ)
まるで背丈が違うというのに、杖になろうとしてくれるだろうか。
「歩きにくいでしょ」と、「ぼくに掴まって」と、並んで肩を差し出して。
(でもって、座れる所まで…)
移動させた後は、コーヒーを淹れようとするかもしれない。
「コーヒーでも飲んで、ゆっくり休んで」と、「御飯も、ぼくが作るから」と申し出て。
(どっちも、あいつに上手く出来るとは思えんが…)
不味いコーヒーでも、焦げた料理でも、喜んで御馳走になることにする。
こんなことでもなかったならば、けして味わえないだろうから。
(あいつはコーヒー、苦手なんだし、料理も俺が得意なんだし…)
普段のブルーは、「作って貰う」方に決まっている。
ついでに掃除や洗濯にしても、ブルーがするのは最低限で…。
(大部分は、俺が仕事に出掛ける前に…)
張り切って片付けてゆきそうだから、それも「怪我をした」場合はブルーが請け負う。
一度もやったことなどは無い、バスルームの掃除も「どうやればいいの?」と尋ねながら。
(怪我しちまったら、そうなるんだな?)
うんと新鮮なブルーってヤツを見られるぞ、とハーレイは頬を緩ませた。
掃除や洗濯、料理といった家事を頑張る、健気なブルー。
捻挫した足の湿布を貼り替え、「痛そう…」と心配もしてくれる。
それも素敵だ、と思うものだから、結婚したら、注意は「ほどほど」にしておこうか。
怪我をしたら痛くて不自由だけれど、オマケがついて来そうだから。
ブルーがせっせと世話してくれて、「掴まってね」と、肩まで貸してくれそうだから…。
怪我しちまったら・了
※ブルー君と一緒に暮らし始めた後、怪我をしたらどうなるか、と考えてみたハーレイ先生。
困る部分もありますけれど、なかなかに美味しそうな生活。怪我をするのも一興かもv
「ハーレイってさあ…」
慎重すぎだよ、と小さなブルーが零した溜息。
二人きりで過ごす午後のお茶の時間に、唐突に。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ? 慎重って…」
この俺がか、とハーレイは自分の顔を指差した。
いきなりそんな風に言われても、心当たりが全く無い。
教師という職業柄、慎重な部分はあるのだけれど…。
(でないと、生徒を傷付けかねんし…)
理由も聞かずに叱り付けたりは、してはならない。
どう見ても生徒に非がある時でも、まず事情を聞く。
それから叱るか、厳重注意か、対処を考えて動かねば。
(悪く見えても、そうじゃないこともあるからなあ…)
その生徒なりの考えがあって、やった結果が裏目に出る。
実際、そうしたことも多いし、慎重にならざるを得ない。
けれど、ブルーが溜息を零すほどには…。
(慎重すぎないと思うんだがな?)
誤差の範囲ってトコだろうが、と不本意ではある。
どちらかと言えば大胆な方で、周りの評価もそうだから。
なんとも不当な、「慎重すぎだ」というブルーの評。
此処は否定をしておかねば、とハーレイは即、行動した。
真正面からブルーを見詰めて、「それは違うな」と。
「お前から見れば、そうなるのかもしれないが…」
俺の職業を考えてくれ、と順を追って話す。
教師なら誰でもそうあるべきだし、そう見えるだけ。
違う部分も多い筈だし、学校でも大胆な面があるぞ、と。
特に柔道部の指導などでは、そうなってるな、と笑う。
「お前は現場に来てはいないし、知らないだけだ」と。
「それにだ、他の先生方にも…」
大胆で豪胆だと言われているが、とブルーに説明する。
「教師仲間も、そう言うんだしな?」と、自信を持って。
ところがブルーは、「違うんだよね…」と更に溜息。
「なんで、そんなに慎重なわけ?」と、呆れたように。
「もう、キャプテンじゃないんだよ?」と。
「…キャプテンって…。お前、そうは言うがな…」
あの頃だって大胆だった、とハーレイは指を一本立てた。
「前のお前が知らないだけだ」と、自慢話をするために。
前のブルーが長い眠りに就いていた時、それは起こった。
人類軍の船に追われて、三連恒星に追い込まれて…。
「物凄い重力場の中で、ワープを敢行したんだぞ?」
重力の緩衝点からな、と誇らしげな顔で当時を語る。
「一歩間違えれば、宇宙の藻屑って局面だったが?」と。
今、思っても、前の自分の大胆さに感動してしまう。
「よくぞやった」と、手放しで褒めてやりたいほどに。
なのにブルーは、「知ってるってば」と溜息で応えた。
「その話だったら何度も聞いたよ」と、つまらなそうに。
「それにさ、前も大胆だったって言うのなら…」
ますます慎重すぎるってば、とブルーは頬を膨らませる。
「もっと大胆に動くべきだよ」と、不満に満ちた顔で。
(…なるほどな…)
こいつの考えが読めて来たぞ、とハーレはピンと閃いた。
もっと大胆に、今のブルーにキスをするとか…。
(押し倒すだとか、そういった、けしからぬことを…)
この俺にやれと言うんだな、とブルーを改めて観察する。
フグみたいに膨らんだ頬っぺたといい、顔付きといい…。
(うん、その方向で間違いないな)
こいつがそういう魂胆なら…、と取るべき策を弾き出す。
「大胆になれ」との注文なのだし、此処は早速…。
「そうか、分かった。なら、大胆に動くとするか」
俺は帰るぞ、とハーレイは椅子から立ち上がった。
「えっ、帰るって…。なんで?」
お茶の時間の途中なのに、とブルーの瞳が丸くなる。
「何か用事を思い出したの? 今の話で?」
それでも、お茶くらい飲んで行けば、とブルーは慌てた。
「そんなに急いで帰らなくても」と、引き留めるように。
「いや、大胆に、と言ったろう?」
俺は運動したいんだ、とハーレイはニヤリと笑った。
「朝から、ずっと座ってるしな」と、「運動不足だ」と。
じゃあな、とサッと踵を返して、扉に向かう。
「俺の性分じゃないんだよなあ、午後のお茶はな」
それより走って、走りながらの水分補給、と言い捨てる。
「そいつが性に合ってるんだ」と、ブルーに背を向けて。
「待ってよ、酷いよ!」
帰らないで、とブルーの泣きそうな声が追い掛けて来る。
「お願いだから、其処は慎重になって欲しいって!」と。
「ぼくの気持ちも考えてよ」と、「慎重でいい」と…。
慎重すぎだよ・了
慎重すぎだよ、と小さなブルーが零した溜息。
二人きりで過ごす午後のお茶の時間に、唐突に。
お茶とお菓子が置かれたテーブル、それを挟んで。
「はあ? 慎重って…」
この俺がか、とハーレイは自分の顔を指差した。
いきなりそんな風に言われても、心当たりが全く無い。
教師という職業柄、慎重な部分はあるのだけれど…。
(でないと、生徒を傷付けかねんし…)
理由も聞かずに叱り付けたりは、してはならない。
どう見ても生徒に非がある時でも、まず事情を聞く。
それから叱るか、厳重注意か、対処を考えて動かねば。
(悪く見えても、そうじゃないこともあるからなあ…)
その生徒なりの考えがあって、やった結果が裏目に出る。
実際、そうしたことも多いし、慎重にならざるを得ない。
けれど、ブルーが溜息を零すほどには…。
(慎重すぎないと思うんだがな?)
誤差の範囲ってトコだろうが、と不本意ではある。
どちらかと言えば大胆な方で、周りの評価もそうだから。
なんとも不当な、「慎重すぎだ」というブルーの評。
此処は否定をしておかねば、とハーレイは即、行動した。
真正面からブルーを見詰めて、「それは違うな」と。
「お前から見れば、そうなるのかもしれないが…」
俺の職業を考えてくれ、と順を追って話す。
教師なら誰でもそうあるべきだし、そう見えるだけ。
違う部分も多い筈だし、学校でも大胆な面があるぞ、と。
特に柔道部の指導などでは、そうなってるな、と笑う。
「お前は現場に来てはいないし、知らないだけだ」と。
「それにだ、他の先生方にも…」
大胆で豪胆だと言われているが、とブルーに説明する。
「教師仲間も、そう言うんだしな?」と、自信を持って。
ところがブルーは、「違うんだよね…」と更に溜息。
「なんで、そんなに慎重なわけ?」と、呆れたように。
「もう、キャプテンじゃないんだよ?」と。
「…キャプテンって…。お前、そうは言うがな…」
あの頃だって大胆だった、とハーレイは指を一本立てた。
「前のお前が知らないだけだ」と、自慢話をするために。
前のブルーが長い眠りに就いていた時、それは起こった。
人類軍の船に追われて、三連恒星に追い込まれて…。
「物凄い重力場の中で、ワープを敢行したんだぞ?」
重力の緩衝点からな、と誇らしげな顔で当時を語る。
「一歩間違えれば、宇宙の藻屑って局面だったが?」と。
今、思っても、前の自分の大胆さに感動してしまう。
「よくぞやった」と、手放しで褒めてやりたいほどに。
なのにブルーは、「知ってるってば」と溜息で応えた。
「その話だったら何度も聞いたよ」と、つまらなそうに。
「それにさ、前も大胆だったって言うのなら…」
ますます慎重すぎるってば、とブルーは頬を膨らませる。
「もっと大胆に動くべきだよ」と、不満に満ちた顔で。
(…なるほどな…)
こいつの考えが読めて来たぞ、とハーレはピンと閃いた。
もっと大胆に、今のブルーにキスをするとか…。
(押し倒すだとか、そういった、けしからぬことを…)
この俺にやれと言うんだな、とブルーを改めて観察する。
フグみたいに膨らんだ頬っぺたといい、顔付きといい…。
(うん、その方向で間違いないな)
こいつがそういう魂胆なら…、と取るべき策を弾き出す。
「大胆になれ」との注文なのだし、此処は早速…。
「そうか、分かった。なら、大胆に動くとするか」
俺は帰るぞ、とハーレイは椅子から立ち上がった。
「えっ、帰るって…。なんで?」
お茶の時間の途中なのに、とブルーの瞳が丸くなる。
「何か用事を思い出したの? 今の話で?」
それでも、お茶くらい飲んで行けば、とブルーは慌てた。
「そんなに急いで帰らなくても」と、引き留めるように。
「いや、大胆に、と言ったろう?」
俺は運動したいんだ、とハーレイはニヤリと笑った。
「朝から、ずっと座ってるしな」と、「運動不足だ」と。
じゃあな、とサッと踵を返して、扉に向かう。
「俺の性分じゃないんだよなあ、午後のお茶はな」
それより走って、走りながらの水分補給、と言い捨てる。
「そいつが性に合ってるんだ」と、ブルーに背を向けて。
「待ってよ、酷いよ!」
帰らないで、とブルーの泣きそうな声が追い掛けて来る。
「お願いだから、其処は慎重になって欲しいって!」と。
「ぼくの気持ちも考えてよ」と、「慎重でいい」と…。
慎重すぎだよ・了