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壊しちまったら
(さっきは、危なかったよな…)
 ちっとばかり、とハーレイが浮かべた苦笑い。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 愛用のマグカップに淹れたコーヒー、それをお供に。
(…危うく、大事な、こいつとだ…)
 サヨナラしちまう所だった、と湯気を立てているマグカップを眺める。
(いつものことだ、と思ってるから…)
 食事の後に、コーヒーを淹れる時には、特に注意はしていない。
 手順通りの作業をこなせば、熱いコーヒーが出来るけれども…。
(ついつい、ウッカリ…)
 マグカップの何処かに、手が引っ掛かった。
 カップはコロンと倒れてしまって、テーブルの上で一回転して…。
(その角度がまた、悪かったってな…)
 持ち手の部分に近い所が、転がり始めた最初だったのだろう。
 文字通り、クルンと一回転の末に、テーブルの縁に着いていた。
(うわっ、落ちるぞ、と…)
 慌ててカップをグイと掴んで、転落事故は防いだのだけれど…。
(あそこで上手く掴めていなけりゃ、今頃は…)
 大事なカップは木っ端微塵で、ゴミ箱の中に行っていた筈。
 破片で怪我をする人が無いよう、不要な紙か何かで包み込まれて、紐も掛かって。
(……危なかった……)
 まだまだオサラバしたくはないし、と「コーヒーの友」を、まじまじと見る。
 こだわりの品と言っていいのか、このカップには愛着がある。
(なんてことないカップなんだが…)
 買った店さえ、「あそこだったな」と思う程度で、わざわざ選んだ店ではない。
 普段出掛ける店の一つで、「これにしよう」と買って来ただけ。
(そりゃまあ、決める前にだな…)
 重さやサイズを、手に取って確かめてはみた。
 幾つか候補のカップを「並べて、比べて」、「これがいいな」とレジに運んだ。
 ただ、それだけの「出会い」だけれども、今やすっかり、毎日の「友」になっている。
 コーヒーを飲むには「コレだ」と、迷いもしないで、出して来るカップ。
 もしも、あそこで割れていたなら…。
(ガッカリだよな…)
 立ち直れないような気がするぞ、と可笑しくなる。
 「たかがカップで、きっと同じの、売っているよな」とも、思えるから。


 そう、いくら大事に思っていたって、相手は「ただのマグカップ」。
 手に馴染むサイズで、いつも使うというだけのこと。
(前のあいつを、失くしたような時と違って…)
 代わりのカップを「買えばいいだけ」、それなのに、「立ち直れない」気がするなんて。
(…平和ボケとでもいうべきかな…)
 前の俺なら、有り得ないぞ、と時の彼方に思いを馳せる。
 毎日が死と隣り合わせの船だったから、カップくらいで「立ち直れない」などは言えない。
(そうは言っても、それなりにだ…)
 愛用の品はあったっけな、と思い出すのは、部屋にあった机。
(シャングリラが改造されるよりも、ずっと前から…)
 あいつとは長い付き合いだった、と今も鮮やかに覚えている。
 木で作られた、とてもレトロな品だったけれど、前の自分は好きだった。
(なにしろ素材が、本物の木だし…)
 磨けば磨くほど味わいが出る、と暇な時には、せっせと磨いた。
 お蔭で、とても深い色合い、そういう机になったのだけれど…。
(…壊れちまう前に、俺がサヨナラ…)
 地球の地の底で死んじまったし、と今では懐かしくもある。
 あの机はもう、残ってはいない。
(…シャングリラにあった備品は、トォニィが…)
 処分させてしまったと伝えられていて、実際、机も、前のブルーのベッドも、もう無い。
(…あったら、会いに行くかもなあ…)
 俺の机、と惜しくなるから、あの机もまた「愛用の品」では、あったのだろう。
 生きていた時には、気付いていなかっただけで。
(アレが突然、無くなっていても…)
 仕方ないな、と切り替えるしか無かった時代なのだし、気付かなくても不思議ではない。
 もっと遥かに「大切なもの」を、前の自分は背負っていた。
 船の仲間の命の前には、何もかもが霞む。
(…それに、ブルーだ…)
 前のブルーの「命」を守っていたのも、シャングリラだった。
 ブルーだけでも、きっと生きてはゆけたろうけど、それは寂しすぎる。
 ミュウの仲間の命を背負う「ソルジャー」とはいえ、責任よりも喜びが大きかった筈。
 「今日も、みんなが無事だった」と、安堵出来るのは、最高の気分だったから。


 そんなシャングリラで生きていたなら、「愛用の品」への愛は薄れる。
 正確に言えば、影が薄くなる。
(だから、机を失くしちまっても…)
 クヨクヨ引き摺ったりはしないし、新しい机にも、じきに馴染んだだろう。
(幸いなことに、俺の方からサヨナラで…)
 そういうシーンは無かったけれども、今、思い出すと「会いたくなる」のが面白い。
 時の彼方に消えた机が「今もあったら、会いに行くのに」と。
(…残っていたって、例の木彫りのウサギと一緒でだな…)
 博物館のケースの向こうで、一般人では、触ることなど出来ない。
 「世話になったな」と磨きたくても、それも出来ない。
(…そうなっちまえば、残念で…)
 ケースの前から離れ難いし、前の自分にも「愛用の品」への愛は、確かにあった。
 それと気付かず「生きていた」わけで、そうなると…。
(カップ一つで、立ち直れないような気がする、今の俺は、だ…)
 平和ボケしたとも言えるだろう。
 前の自分とは違う人生、青く蘇った地球に生まれて、自由気ままに生きて来たから。
(…たかが、カップで…)
 しかし、割れたら、ショックだよな、と「今の自分」だからこそ、分かる。
 カップ一つが割れた結果は、失われるものは「カップ」だけ。
 運が悪いと、絨毯に「コーヒーの染みが残ってしまって」、巻き添えが増えるくらいのこと。
(服も巻き添えにしたとしたって、絨毯も服も…)
 惜しいことをした、と悔やみはしても、誰の命も消えたりはしない。
 怪我人さえも出ないわけだし、「カップが一つ、消えて無くなる」だけなのだけれど…。
(…そいつが、なんとも…)
 寂しい気分になるんだよな、と今の自分は「よく知っている」。
 今日までの「新しい人生」の中で、何度か、そういう「悲しい別れ」を経験して来た。
(大事にしていた、鞄とかがだ…)
 ある日、不注意で破れたりして、お別れになる。
 ご飯茶碗や、カップなどでも、そういう「サヨナラ」があった。
 代わりの品は「ちゃんと、来てくれる」けれど、前の品物が忘れられない。
(あっちの方が、使いやすかったよなあ…、なんて…)
 思うものだから、惜しくて、寂しい。
 「もう少し、気を付けていたなら、失くさなかった」と。


 今日のカップは、まさに「その危機」。
 割れずに残ってくれたお蔭で、前の生まで思い返せて、有難いと思う。
(…割れちまってたら、今頃は…)
 気分ドン底だったかもな、とカップの縁を指で弾いて、ハタと気付いた。
(…待てよ?)
 今の自分に「愛用の品」があるなら、「今のブルー」も同じだろう。
 大事にしているカップにしても、きっと…。
(あいつの家には、ある…んだよな…?)
 俺といる時は、見ないだけで…、と顎に手を当てて記憶を探ってみる。
 ティータイムには、いつも、お揃いのカップ。
 けれど、夕食を一緒に食べる時には、どうだったろう。
(…俺がお客で、お邪魔してるし…)
 食後のお茶には、来客用のものが並んでいる覚えしかない。
(…しかしだな…)
 普段の「ブルー」の食事の席には、違うカップが置かれていそう。
 今のブルーが愛用している、お馴染みのものが。
(…子供によっては、幼稚園とかで…)
 クリスマスなどの機会に、プレゼントにカップを貰ったりする。
 「大きくなっても使えるように」と、大きめのカップ。
(…俺も貰って、使ってたっけな…)
 柔道と水泳に夢中になった頃には、仕舞われていたが…、と懐かしい。
 運動をするような子供は、マグカップなどで「ちびちび」飲んだりはしない。
 「喉が渇いた!」と、容器を掴んで、喉へと流し込む勢い。
(…そんな具合になったわけだし、もう使わない、と…)
 母が何処かに片付けただけで、「サヨナラ」はしていなかった。
 今でも、隣町の家に帰れば、納戸の奥に仕舞われている。
 母に在り処を聞きさえしたなら、会えるけれども…。
(…割っちまっていたら、サヨナラで…)
 寂しい記憶が残ってたよな、と思うものだから、「ブルー」が気になる。


(…今のあいつも、幼稚園で貰ったようなカップとかを…)
 とても大事に使っているなら、いつか一緒に暮らす時には…。
(引っ越し用の荷物の中に、ちゃんと包んで…)
 入れて運んで、この家に持って来ることだろう。
 そして毎日、馴染んだカップで、お茶を飲んだりするわけだけれど…。
(…その大切なカップを、俺がだな…)
 壊しちまったら、どうなるんだ、と背筋が一瞬、ゾクリとした。
(…あいつの目の前で、壊しちまったら…)
 赤い瞳が、真ん丸になるのを、スローモーションで「見る」ことになりそう。
 たちまち涙が盛り上がって来て、頬を伝ってゆく瞬間も。
(…マズいんだが…!)
 俺のを壊しちまうよりも、遥かにマズイ、と考えるまでもない。
 ブルーは、床に座り込んでしまって…。
(割れたカップを、じっと眺めて…)
 涙をポロポロ零し続けて、カップとの長い付き合いを思い出すのに違いない。
 何処で出会って、どんな具合に、今まで「一緒に」生きて来たのか、片っ端から。
(…謝ったくらいで済むようなことじゃ…)
 無さそうだぞ、と嫌というほど分かってしまう。
 ブルーは「許してくれそう」だけれど、寂しさも辛さも、分かるものだから…。
(今日の反省、未来に活かすしか…)
 俺のカップは割れちゃいないが…、と「割れそうになったカップ」に頭を下げた。
 「すまん」と、「お前のお蔭で、未来の俺が助かりそうだ」と。
(…ブルーのカップを壊しちまったら、もう取り返しがつかなくて…)
 それ以外の「大事なもの」も同じなんだ、と痛感する。
 遠く遥かな時の彼方と違って、今は「愛着のある品」を、お互い、持っている世界。
(…うんと注意して、扱わないと…)
 壊しちまったら、悲劇だしな、と自分自身に言い聞かせる。
 「いいか、しっかり覚えとけよ」と、何回も。
 「壊しちまったら、自分の大事なものも辛いが、壊された方は、もっと辛いんだ」と。
 今のブルーと暮らし始めた時には、注意するべき。
「 今のブルー」の大切なものを、ウッカリ壊さないように。
 赤い瞳から落ちる涙を、見るような羽目になってしまったら、お互い、悲しすぎるから…。



         壊しちまったら・了


※愛用のカップを壊しそうになった、ハーレイ先生。割れずに済んで、コーヒーの時間。
 けれど、将来、一緒に暮らすブルー君にも、大切なカップとかがありそう。注意しないとv






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