(ハーレイが足りない…)
来てくれないよ、と小さなブルーは溜息をついた。
部屋を見渡し、空っぽの椅子をまじまじと見て。座る人のいない椅子を見詰めて。
そこはハーレイの指定席。
訪ねて来てくれたら、いつもハーレイが腰掛ける椅子。
前のハーレイのマントの色を淡くしたような座面、どっしりした木枠に籐を張った背もたれ。
二つある椅子の片方がハーレイ、片方がブルー。
どちらに座るかは自然と決まった、いつの間にか決まっていた指定席。
テーブルを挟んで向かい合わせで、こちらがハーレイ、こちらがブルー、と。
その指定席が空っぽのままで、もう何日が経っただろう。
この前の週末、土曜日はハーレイは其処に腰掛けていた。いつもの通りに。
他愛もないことを話して、甘えて、一日過ごして、それは満足したのだけれど。
次の日は会えずに終わってしまった、ハーレイに用事があったから。
柔道部の教え子たちを家に招くと言ったハーレイ、ブルーは混ぜては貰えない。
なにしろ柔道部員の集まり、まるで関係無いブルーが混ざれば親睦の会が台無しだから。
ハーレイの家で楽しくやろうと集まる部員に気を遣わせてしまうから。
(…ぼく一人では遊びに行かせて貰えないし…)
駄目だと禁じられてしまった訪問、キスと同じで大きくなるまで禁止になった。
だからブルーは待つ他は無くて、ハーレイが家に来てくれるのを待ち焦がれている日々なのに。
ハーレイの指定席は空っぽのままで、今日も空っぽ。
もう木曜日になるというのに、土曜日を最後に会っていないのに。
厳密に言えば、ハーレイとは会えているのだけれど。
学校で何度か立ち話をしたし、ハーレイが教える古典の授業も何回かあった。
けれども、それは学校でのこと。
ハーレイはあくまで「ハーレイ先生」、ブルーは生徒という関係。
いくらハーレイがブルーの守り役でも、そういうことになってはいても。
あまりに親しく口を利いては、それはマズイと思うから。
学校では敬語、必ず敬語。
話は出来ても、話す相手は「ハーレイ先生」。
穏やかな笑顔を向けてくれても、鳶色の瞳がいくら優しくても「ハーレイ先生」。
恋人とは違う、家で二人で話す時とは全く違う。
そんなハーレイにしか出会ってはいない、もう何日も。
ハーレイ先生としか話してはいない、恋人のハーレイとは先週の土曜日に話したきりで。
平日でも仕事が早く終わりさえすれば、ハーレイは訪ねて来てくれる。
いつもの指定席に座って、お茶とお菓子をお供に話せる。
それから両親も一緒の夕食、恋人同士の会話は無理でも一緒に食事を食べられる。
そういう時間がきっと取れると思っていたのに、月曜日にはと考えたのに。
日曜日が駄目になった分の埋め合わせに寄ってくれると期待したのに、外れた予想。
けれどハーレイにも都合があるから、火曜日には、と考え直した。
その火曜日が流れ去っても、水曜日には、と。
ところが水曜日も過ぎてしまって、木曜日の今日も鳴ってくれずに終わったチャイム。
ハーレイが来たら鳴る筈のチャイム。
もう五日にもなるんだけれど、とカレンダーを眺めたら溜息が漏れた。
五日も経ってしまったのかと、五日も会えていないのかと。
(…ハーレイが足りない…)
足りないんだけど、と呟いても椅子は空っぽのまま。
そこにハーレイの姿が足りないという意味で言っているのではなくて、足りないハーレイ。
自分にだけ向けてくれる笑顔も、恋人としての優しい言葉も、貰えないまま。
心がすっかり飢えてしまって、ハーレイが欲しいと訴える。
ずっとハーレイを食べていないと、お腹が空いて死にそうなのだ、と。
もちろん本当にハーレイを食べようと思いはしないし、また食べられる筈もない。
ハーレイはお菓子でも料理でもなくて、一人の人間なのだから。
ガブリと齧ってモグモグと噛んで、ゴクリと飲み下すようなことなど出来ない。
けれども飢えてしまった心。ハーレイが足りないと訴える心。
まるで食卓にパンだけしか載っていないかのように。
塗るためのバターもマーマレードも、喉を潤すミルクや紅茶も影も形も無いかのように。
とにかく足りない、こんなに会いたいと願っているのにハーレイが来ない。
ハーレイのための椅子は空っぽ、其処に座りに来てはくれない。
待って、待ち続けて、とうとう五日。
明日も駄目なら六日も会えない、一週間は七日なのに。
いつもだったら週末は二人で過ごすものだし、平日だって訪ねてくれる。
まるまる五日も会えずに過ごして、ハーレイの席は空っぽのまま。
ハーレイに会いたい気持ちが募って、心は飢える一方で。
(こんなにハーレイに会いたいのに…)
ホントのホントにハーレイ不足、と零れた溜息、もう幾つ目だか分からない。
昨日も一昨日も溜息をついた、今日もハーレイに会えなかったと。
それでも明日には会える筈だと思い直して、待ち続けたのに。
ハーレイは来ないままついに五日目、会えないままで五日も経った。
学校では会えているけれど。
立ち話だって、したのだけれど…。
(…お腹、減ったよ…)
本当にお腹が減ったわけではないけれど。
今日の夕食はちゃんと食べたし、学校から帰っておやつも食べた。
けれど満たされない心の空腹、お腹が減ったと訴える心。
ハーレイの優しい笑顔を食べたい、暖かい言葉をお腹一杯食べたいのだと。
どんなにお腹が減っていたって、どうすることも出来ないのに。
ハーレイが訪ねて来てくれない限り、飢えは決して満たされないのに。
ハーレイ不足だと、お腹が減ったと、寂しい気持ちで一杯だけれど。
明日は来てくれるかと望みを明日へと繋ぐけれども、金曜日。
金曜日の次の日はもう土曜日で、明日も駄目なら、丸一週間、会えないままで週末が来る。
この前の土曜日に会ったのが最後、それきりハーレイ不足なのに。
日に日に心の飢えが募って、もう本当に空腹なのに。
(…でも…)
こんな気持ちを抱えていたって、一層、飢えるだけだから。
ハーレイが足りないと椅子を眺めて、溜息を零すしか出来はしないから。
ここは気分を切り替えなくては、明日は無理でも明後日には、と。
土曜日には必ず会える筈だし、きっと空腹は癒されるから。
ハーレイの姿を思い描こう、あの椅子に腰掛ける恋人を。
すまなかったと、遅くなったと謝ってくれるに違いない人を。
そう、土曜日には、あの椅子にハーレイが座ってくれるのだから…。
ハーレイが足りない・了
※ブルー君がハーレイ欠乏症になると、こういう感じ。椅子を眺めて溜息の日々です。
早く来てくれないかと待ち焦がれてます、きっと感動の再会でしょうねv
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