(どうも慣れんな…)
軽すぎるからだな、とハーレイは右手のペンを眺めた。
白い羽根ペン、ブルーからの誕生日プレゼント。
小さなブルーはこれを贈りたいと思ったらしいけれども、買おうと出掛けたようだけれども。
生憎と子供には高すぎる値段、買えずに手ぶらで帰る羽目になった。
勇んで出掛けた百貨店から。羽根ペンを買おうと入って行った文具売り場から。
それでもブルーは諦め切れずに、夏休みの明るい日射しの中でも悩み続けて。
なんとか羽根ペンを買えないものかと考え続けて、とうとう瞳に憂いの色。
まさか羽根ペンのせいとは思わないから、ブルーも口にはしないから。
何の悩みかとこちらも悩んで、折を見て訊けば、理由は羽根ペン。
(恋の悩みなんだと思ってたがなあ…)
小さなブルーにありがちな悩み、本当の恋が出来ない自分自身への恨み節。
背丈が足りなくてキスも出来ないとか、本物の恋人同士になれないだとか。
その手の悩みなら切って捨てようと思っていたのが、なんと羽根ペン。
誕生日に贈りたいけれども予算が足りない、と悩み続けていたブルー。
お小遣いの一ヶ月分ではとても買えないと、貯金を使えば買えるけれど、と。
けれども、貯金を崩さねばならないような品は、子供が買うには高すぎるという意味だから。
それではハーレイも困るだろうと、贈られても困ってしまうだろうと。
頭では無理だと分かっているのに、羽根ペンを諦められなかったブルー。
贈りたいと思っていてくれたブルー。
いじらしくて、そして愛おしくて。
羽根ペンを贈らせてやりたくなった。ブルーから羽根ペンを貰いたくなった。
だからブルーの予算の分だけ、出して貰った羽根ペン代。
残りは自分で全部払った。買いに行くのも自分で出掛けた。
ギフト用にと包んで貰って、迎えた自分の誕生日。
羽根ペンの箱をブルーの家に持ってゆき、ブルーの手から贈って貰った。
「おめでとう」と、三十八歳の誕生日を祝う言葉と共に。
その日から、羽根ペンは書斎の机に置かれたけれど。
インク壺や吸い取り紙と一緒に並べて、前の自分の机の一部が其処に再現されたけれども。
(…どうにも扱いにくいんだ…)
羽根だからな、と呟いた。
なにしろ羽根ペン、羽根で出来たペン。軸の部分が丸ごと羽根。
「羽根のように軽い」と言うくらいだから、羽根ペンの軸も当然、軽い。
愛用していたペンとは重さがまるで違うし、感覚が狂うと言うべきか。
おまけに書くのにひと手間かかる。
ペンの先こそ万年筆と瓜二つの顔をしているけれども、そこからインクは出てこない。
ペン先をインクの壺に浸して、ようやく書くための準備が整う。
長い文を書くなら、途中で補給。インクに浸して足してやらねば書けない文字。
そういう仕組みになった羽根ペン、軽すぎる上に手間までかかる。
(前の俺はよっぽど慣れていたんだなあ…)
こんな厄介な代物に、と溜息をついてから気が付いた。
前の自分と羽根ペンの付き合いが長かったことに、百年ではとても足りないことに。
(石の上にも三年か…)
三年もかかりはしないだろう。この羽根ペンに慣れるまでには。
毎日せっせと使っていたなら、きっと早いに違いないから。
(まずは練習ありきだな)
千里の道も一歩からだ、と羽根ペンの先をインクに浸けた。
毎晩、日記をつける時には書く練習をしているから。
今夜も羽根ペンを使う練習、書く練習。
そうしてスラスラと書けるようになれば、日記も羽根ペンで書くつもり。
前の自分が航宙日誌を羽根ペンで書いていたように。
(…こんなもんかな)
今日はここまで、と練習を終えて結びの言葉の代わりに書いた。
「ブルー」と、小さなブルーの名前を。
この羽根ペンを贈りたいと願って、贈ってくれたブルーの名前を。
まだ扱いに慣れないペンでも、これだけは書ける。
誰よりも愛しい人の名前は、この名前だけは、まるで魔法の呪文のように…。
軽すぎるペン・了
※ハーレイ先生が貰った羽根ペン、きっと最初はこういう感じで使うのでしょう。
練習に何を書いているのか、ちょっと覗いてみたいですよねv