(…いいな…)
涼しそう、とブルーが眺めた新聞記事。
夏休みの朝に、朝食の後で。
今日は早くに目が覚めたから、朝食も早め。
トーストに卵一個のオムレツ、それが精一杯だけど。
背を伸ばそうと頑張って毎朝飲んでいるミルク、それだけでお腹一杯だけれど。
部屋の掃除に出掛けてゆくにはまだ早いから、と広げた新聞。
其処に載っていた川遊びの記事、夏に人気の川下り。
一年中やっているのだけれども、やっぱり夏が一番人気。
時には飛沫を浴びたりする船、急な流れを幾つも越えて川をゆく船。
下の学校に行っていた頃に、両親と一緒にこの船に乗った。
ドキドキしながら乗って下った、熟練の船頭が操る船に。
乗り場では緩やかだった川の流れは、進んでゆく内に早くなっていって。
逆に川幅はグンと狭くなった、乗った時には広かったのに。
ずいぶん大きな橋がかかっていると見上げて乗った筈なのに、ぐんぐん狭くなった川。
流石に自分は無理だけれども、泳ぎの上手な友達だったら渡れそうな幅に。
川の流れさえ早くなければ、如何にも危なそうな渦が無ければ。
そうして下っていった川。
みるみる早くなってゆく流れ、狭くなった川に幾つもの岩。
急流を一つ船が落ちる度に、そう、落ちたかのように流れ下る度に上がった飛沫。
頭の上から水が降って来た、キラキラと眩しく煌めきながら。
小さく砕けた水の雫が涼しい雨を降らせてくれた。
ほんの一瞬、降り注ぐ雨。
服が濡れても直ぐに乾く雨、パシャンと弾けた水飛沫。
船に乗っていた他の子たちも、自分も歓声を上げて下った。
もっと速くと、もっと先へと、大はしゃぎして。
「立たないで下さい」と注意されなければ、きっと立ち上がっていたくらいに。
涼しいんだよね、と思い出した夏の川下り。
今と同じに夏休みだった、父の車で出掛けて行った。
帰りの車は何処に停めたかと思ったけれども、記事を読んだら解けた謎。
車の客にはサービスがあった、頼めば運んで貰える車。
川をゆく船が辿り着く場所、其処の近くの駐車場まで。
父もそうしておいたのだろう、船に乗る前に車のキーを係に預けて。
(新聞に載ったし、今日は混むかな?)
川下りをしたくなった人たちがドッと出掛けて行って。
夏の暑い日はこれに限ると、涼を求めて殺到して。
きっとそうだと、今日は大人気、と閉じた新聞。
「御馳走様」と部屋に戻って、掃除してから勉強机の前に座って。
恋人が来るにはまだ早すぎると、もう少し後の時間だから、と大きな伸びを一つ。
今日も暑そうな日なのだけれども、ハーレイは歩いて来るのだろうと。
なんて元気な恋人だろうと、自分にはとても真似出来ないと。
(…暑い日は無理…)
照り付ける夏の日射しの下など、好き好んで出歩きたくもない。
母が被せてくれる日除けのつばの大きな帽子も、それほど役には立たないから。
暑い太陽に丸ごと焼かれて、ヘトヘトになってしまうのが自分。
涼しい風がいつも吹き付けてくれるならともかく、自然はそこまで優しくないから。
こんな真夏に外へ出るなら、日射しを浴びにゆくのなら。
さっき新聞で目にしたような川下り。
ただでも涼しい川をゆく船、風が水面を渡ってくる船。
それに乗って川を進むのがいい、どんどん流れが早くなる川を。
急流を下れば上がる水飛沫、夏の暑さも吹き飛ばすような冷たい飛沫が飛び散る川を。
(流石に今だと、立とうとしたりはしないけど…)
立ち上がったら危ないことを知っているから、ちゃんと座って乗ってゆく。
船頭に注意をされるまでもなく、割り当てられた場所に腰を下ろして。
(…川下り…)
行きたい気持ちになって来たけれど、両親に頼めば行けそうだけれど。
それもいいなと思ったけれども、頭に浮かんだ恋人の顔。
同じ乗るなら恋人と乗りたい、褐色の肌のハーレイと。
前の生から愛し続けて、この地球で会えた愛おしい人と。
(絶対、そっち…)
そっちがいい、という気がする。
暑い真夏に川をゆくなら、川を下りにゆくのなら。
ハーレイと二人、あの船に乗って。
穏やかな流れの船着き場を出て、早くなってゆく流れに乗って。
川幅がぐんと狭くなったら、急な段差を一つ、二つと落ちてゆく。
まるで落ちるように滑ってゆく船、急流を流れ下る船。
一つ落ちる度に上がる飛沫と、乗っている人たちが上げる歓声と。
大人だって歓声を上げていたのだし、自分も叫んでいいだろう。
ハーレイはきっと叫ばないけれど、穏やかな笑みを湛えて余裕たっぷりなのだろうけれど。
(はしゃいでるのは、きっとぼくだけ…)
水泳と柔道で鍛えた恋人、ハーレイはきっと、船が揺れても動じない。
早い流れを滑り落ちても、派手に水飛沫が上がっても。
(平気な顔して乗ってるんだよ)
これくらいのことで騒いでどうする、と路線バスに乗っているかのように。
川をゆく船がいくら揺れても、投げ出されそうなほどに傾いても。
ハーレイならきっと、とクスッと笑った。
「お前、さっきから騒ぎすぎだぞ」と苦笑いしているのだろうと。
乗ろうと言うから乗りに来たのに、そんなに怖がるとは思わなかった、と。
スリル満点の川下り。
ハーレイと乗りに行きたいけれども、今は連れては貰えない。
頼んだとしても断られるオチ、「今は駄目だ」と顰めっ面が目に見えるよう。
(だって、ドライブ…)
川下りに行くなら、乗り場までの道はハーレイの車でドライブだから。
路線バスでも行けないことはないのだけれども、それで行くなら「デート」と言われる。
「どうしてお前とデートに行かねばならんのだ」と。
川下りに行くのは立派なデートで、チビのお前とはまだ行けないと。
頼むだけ無駄な川下り。
もっと大きく育たない限り、ハーレイと二人で行けはしなくて。
川をゆく船に乗り込めはしない、ハーレイと一緒に船には乗れない。
今の季節は楽しいだろうに、涼しさだって充分なのに。
川を渡る風も、水の飛沫も、スリルも涼をくれるのに。
おまけに泰然自若と構えたハーレイ、どっしり落ち着いた恋人の姿。
船がどんなに揺れていようが、他の人たちが声を上げようが、涼しい顔で。
こんな揺れなど物の数にも入りはしないと、船が本当に傾いたわけでもあるまいし、と。
(うん、きっとそう…)
ハーレイならば、と言い切れる。
船が本当に岩にぶつかるとか、船頭が持っている竿が流されて操船不能にならない限りは。
普通に川を下っているなら、どんなに揺れても悠然と乗っているのだろうと。
何故なら自分は知っているから。
白いシャングリラのブリッジに毅然と立っていた姿、それを今でも覚えているから。
前の自分がジョミーを救いに飛び出した後に、シャングリラの浮上を決めたハーレイ。
降り注ぐ幾つもの爆弾の中、揺れるシャングリラでハーレイは毅然と立ち続けた。
投げ出されて額に傷を負った後も、懸命に船を指揮し続けた。
もっとも、それは船に戻った自分が回復してから見た映像の中の姿だけれど。
記録されていた映像で初めて知ったハーレイの雄姿なのだけど。
だから今でも同じだと思う、あのシャングリラで立っていたのがハーレイだから。
皆が悲鳴を上げていた中、冷静に指揮を続けていたのがハーレイだから。
(きっと船くらい…)
なんでもないよ、と思った所で気が付いた。
川をゆく船も船だけれども、白いシャングリラも船だったと。
前の自分たちが「船」と言ったら、それはシャングリラのことだったと。
ミュウの箱舟だった船。
前の自分が守っていた船、ハーレイが舵を握った船。
あれの他には船は無かった、前の自分たちが乗ってゆける船は。
乗っていい船は他に無かった、シャングリラの他にはただの一つも。
(ギブリとかは載せていたけれど…)
シャトルは幾つもあったけれども、シャトルでは宇宙を越えてゆけない。
青い地球まではとても行けない、あんな小さな小型艇では。
前の自分たちが乗っていた船、世界の全てだった船。
そのシャングリラの舵を握っていたのがハーレイ、守ったのが自分。
途中で自分は力尽きたけれど、命も尽きてしまったけれど。
ハーレイはあれを運んだのだった、前の自分たちが目指した地球へ。
約束の場所だった青い地球まで、その地球は青くなかったけれど。
あれも船だと、シャングリラもまた船だったのだと気付いたら。
気付かされたら、もっと乗りたくなってきた。
ハーレイと二人で川をゆく船に、青い地球の川を下る川遊びのための小さな船に。
(ぼくとハーレイと、他のお客さんと…)
その船に乗って川を下ろうとやって来た人たち、川を下る間だけの仲間の人たち。
シャングリラの頃と違って遊びで乗る船、生き延びるための船ではない船。
それに乗りたい、乗ってゆきたい。
どんなに揺れても「大したことはないだろうが」と笑うのだろうハーレイと。
「もっと揺れるぞ」と、「その先でもっと揺れる筈だが」と笑っていそうなハーレイと。
今は頼んでも無駄だろうけれど、きっと「駄目だ」と言われるけれど。
いつか大きく育ったら。
デートに行ける年になったら、ハーレイに「乗ろう」と強請ってみたい。
川をゆく船、遊びで乗ってゆける船。
それに乗ろうと、二人で川を下りにゆこうと、水飛沫が涼しそうだからと…。
川をゆく船・了
※ブルー君も行きたい、ハーレイ先生との川下り。あれも船だ、と気付いたら。
早く大きくなって、「乗りに行こうよ」と強請れる日が来るといいですよねv