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カテゴリー「書き下ろし」の記事一覧
(…今日は、寄り損なっちまったなあ…)
 仕方ないんだが、とハーレイがフウと零した溜息。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それを片手に。
 今日はブルーの家に寄れる、と何時間か前までは考えていた。
 柔道部の部活が終わった後に、シャワーを浴びて、着替えをして、と普段通りに。
 ところが、狂ってしまった予定。
(こればっかりは、本当に仕方ないんだよなあ…)
 あいつにも悪気は無かったんだ、と部員の一人を思い出す。
 きちんと準備運動をして、それから練習を始めた彼。
 稽古の最中、捻挫をしたのは、彼にとっても災難以外の何物でもない。
 なんと言っても、当分の間、部活は禁止で、体育も同じ。
(自転車に乗るのも、暫くは駄目らしいしなあ…)
 登下校にも難儀するだろう、と彼の境遇を気の毒だと思う。
 ほんの一瞬、油断したのか、判断ミスをやらかしたのか、それが捻挫を連れて来た。
 ハーレイが「あっ」と息を飲んだ時には、彼は床の上に転がっていた。
 練習相手も顔色を変えて、「先生!」と悲鳴のように叫んだ。
 「先生、僕が悪かったんです」と練習相手は謝ったけれど、彼に非は無い。
 何の落ち度も無かったことは、練習を見ていたハーレイだからこそ、よく分かる。
(あいつがかけた技は正しくて、かけられた方も…)
 正しく対応したのだけれども、何処かで何かが間違っていた。
 ほんの僅かな気の緩みだとか、あるいは身体が少し違った動きをしたか。
(俺がマズイ、と思った時には、もう、ああなるのが…)
 見えていたよな、というのは「今だからこそ」言えること。
 彼が体勢を崩した瞬間、咄嗟に動いて支えるとかは、いくらハーレイでも出来ない。
 サイオンを使えば可能とはいえ、そういったサイオンの使い方は…。
(あいつのためには、ならないんだよな)
 ついでに社会のマナーに反する、と律儀に考え、可笑しくなった。
 「慣れないヤツなら、助けちまうかもな」と。
 柔道の指導を始めたばかりの、まだ新米の教師だったら、やるかもしれない。
 彼自身も経験が浅いものだから、何が後輩のためになるのか、冷静に判断出来なくて。


 人間が全てミュウになっている今の時代は、サイオンは「使わない」のがマナー。
 部活で怪我をしそうになっても、軽い怪我で済むなら「助けはしない」。
(その辺の判断をどうするか、ってうのもだな…)
 指導する教師の腕の見せ所で、今日の場合は「放っておく」方。
 怪我をした生徒は可哀相だけれど、今の内に懲りておく方がいい。
(怪我ってヤツを経験したら、だ…)
 次から彼は気を付けるのだし、怪我をしないよう、技を磨くのにも熱心になる。
 結果的に向上するわけだから、数日間のブランクなどは…。
(ご愛敬っていうヤツなんだ)
 また練習に復帰した時は、これまで以上に頑張ればいい。
 そう、怪我をした彼は、それで充分なのだけれども…。
(…ブルーは、ガッカリしたんだろうなあ…)
 俺が家に行かなかったから、とチビの恋人に心の中で謝る。
 「すまん」と、「仕方なかったんだ」と。
 家で待っているブルーよりかは、怪我をした生徒を優先するのが当たり前。
 車に乗せて、まず、病院へ。
 診察と治療が終わった後には、彼の家まで送り届けてやらなければ。
(なんたって、捻挫で歩き辛くて…)
 医者も「安静に」と言った以上は、家に送ってゆかねばならない。
 「一人で家まで帰れるな?」などと、バスに乗せたりしてはいけない。
(それが教師の役目ってモンで…)
 ブルーの家には、また明日にでも、と分かってはいても、ブルーの顔が目に浮かぶ。
 残念そうに溜息をついて、ベッドにチョコンと座っていそうな恋人が。
(生徒が怪我をしちまったんだ、と教えてやったら…)
 きっとブルーも「仕方ないよね」と、素直に納得するだろう。
 「怪我をした子は、大丈夫なの?」と、心配だってしてくれる筈。
 けれど生憎、そのことをブルーに伝えられてはいないから…。
(……膨れっ面って所かもなあ……)
 教師仲間と飯を食いに行ったと勘違いして…、と少し悔しい。
 濡れ衣な上に、ブルーの方も、後で事実を聞かされた時に恥ずかしくなることだろう。
 「ぼく、勘違いして膨れちゃってた」と、怪我をした生徒に申し訳ない気持ちになって。


 とはいえ、それも仕方ないこと。
 思念波を使わないのも社会のマナーで、ブルーに事実は伝えられない。
 明日か、それとも明後日になるか、会える時まで、何があったかは伝わらない。
(…膨れていなきゃいいんだが…)
 ガッカリ程度でいてくれよ、と思ったはずみに、フイと頭を掠めたこと。
 「怪我をするのは、生徒だけとは限らないぞ?」という考え。
(…うん、俺だって人間なんだしな?)
 頑丈とはいえ、怪我をしないというわけじゃない、と気が付いた。
 幸い、今日まで、大きな怪我はしていない。
 今では柔道も達人の域だし、これから先も、恐らく怪我はしないだろう。
(しかしだな…)
 怪我をするのは柔道に限ったことではなくて、部活だけにも限りはしない。
 日常生活から仕事の中まで、危険は何処にでも潜んでいる。
(学校行事で、遠足なんかに行った先で、だ…)
 生徒を庇って怪我をする教師は、実際、多い。
 日常の方も、家の手入れで屋根などに登っている時、ウッカリ足を滑らせたなら…。
(下まで落ちて、大怪我ってことは、まず無いだろうが…)
 サイオンで自分を助けるだろうし、そこまでの怪我はしないと思う。
 ただし、あくまで「そこまでの怪我」で、足を滑らせて落ちてゆく時に…。
(足を捻って、捻挫ってことは…)
 有り得るよな、とマグカップの縁を指で弾いた。
 きっと転がり落ちる時には、頭の中は「落ちたらマズイ」で一杯になっているだろう。
 落下を止めることが大事で、それしか考えていない筈。
(つまり、手足の方はお留守で…)
 落ちないためにと、無理な動きをしても全く不思議ではない。
 その結果として、「落ちて大怪我」は免れたものの、捻挫くらいはするかもしれない。
 「やれやれ、なんとか助かった」とホッとした途端、足首にズキンと痛みが走る。
 何処で捻ったか、引っ掛けたのか、心当たりさえ無い不幸な怪我。
 ズキンズキンと足が痛んで、立ち上がるのにも一苦労。
 「こりゃ、病院だな」と足を引き摺り、愛車のエンジンをかける代わりに…。
(タクシーを呼ぶしかなさそうだよな…)
 「捻挫じゃ運転出来やしないし、タクシーを呼んで病院行きだ」という結末。


 もしも、そういう怪我をしたなら、ブルーとのことは、どうなるだろう。
 「すまん」と詫びて、平謝りになるのは間違いない。
 捻挫が治って車に乗れるようになるまで、ブルーの家には、そうそう行けない。
 休日くらいは、なんとかバス停まで行って…。
(バスに乗ったら、行けるんだがな…)
 それまでの間の平日は無理か、と思うと、溜息しか出ない。
 ブルーは膨れっ面になりはしないで、心配をしてくれるとは思う。
 「痛いんでしょ?」と、泣きそうな顔もするかもしれない。
 なのに、そういうブルーに「会えない」。
 休日はともかく、仕事のある日は、愛車で会いには行けないせいで。
(参ったな…)
 怪我しちまったら大変だぞ、と考えただけで冷汗が出そう。
 「気を付けないと」と、「今日の生徒に注意はしたが、俺もだよな」と。
 ブルーに会えなくなるのは困るし、悲しそうな顔もさせたくはない。
 つまり、「会えなくなる」のが嫌なら、怪我をしないよう、日頃から気を付けるしかない。
(そうは言っても、遠足とかで、だ…)
 生徒が怪我をしそうになったら、飛び出して行くことだろう。
 山道で足を滑らせた生徒を、飛び込んで抱えて、一緒に転がり落ちるとか。
(その時だって、止まることしか考えていないモンだから…)
 やっぱり足を捻るかもな、と溜息をついて、ハタと気付いた。
 「今ならマズイが、もっと先なら、そうじゃないぞ」と。
(…そうだ、今だと、ブルーに会えなくなっちまうんだが…)
 結婚した後なら、何も問題無いじゃないか、とポンと手を打つ。
 捻挫で足を引き摺っていても、ブルーがいるのが「同じ家」なら、いつでも会える。
(大丈夫なの、って…)
 心配する顔も、毎日見られることだろう。
 捻挫した足に湿布を貼るのも、ブルーがやってくれそうな感じ。
 「ホントに痛そう…」と湿布を貼り替え、色々と世話もしてくれそう。
 捻挫したのでは、出来ないことも出て来るだろう。
 そういったことをブルーが代わりにやってくれたり、手伝ったり、という毎日。
 今、怪我をしたら困るけれども、未来の場合は、どうやらそうではないらしい。


(ふむふむ…)
 未来の俺が怪我しちまったら…、と想像の翼を羽ばたかせてみることにした。
 ブルーとの日々はどうなるだろう、と二人で暮らす家での暮らしを思い描いてゆく方向へ。
(…最初は、俺が怪我したトコから始まるんだよな?)
 怪我は捻挫でいいだろう、と設定した。
 学校から遠足に出掛けた先で、生徒と一緒に山の斜面を転がり落ちての捻挫に決める。
 「生徒を庇って」というのがポイント、「自分の不注意」ではない所がいい。
 ブルーは「怪我をした」と知るなり、真っ青になることだろう。
 一番最初は、「あれ、車は?」と首を傾げる場面から始まりそうだけれども。
(車で出勤したんだろうが、捻挫した足じゃ運転出来んしなあ…)
 愛車は学校の駐車場に残して、タクシーか同僚の車で帰宅。
 見慣れた車が帰って来るのを待っていたブルーには、晴天の霹靂で、その上に…。
(…足を引き摺った俺が登場なんだ)
 恐らくブルーはビックリ仰天、悲鳴を上げるかもしれない。
 「ハーレイ、その足、どうしちゃったの!?」と、玄関先で。
(捻挫しちまった、と事情を説明してやったら…)
 ブルーは「生徒は怪我はしてないの?」と確かめ、怪我は無いと聞いて安心してから…。
(俺の心配をしてくれるんだ)
 まるで背丈が違うというのに、杖になろうとしてくれるだろうか。
 「歩きにくいでしょ」と、「ぼくに掴まって」と、並んで肩を差し出して。
(でもって、座れる所まで…)
 移動させた後は、コーヒーを淹れようとするかもしれない。
 「コーヒーでも飲んで、ゆっくり休んで」と、「御飯も、ぼくが作るから」と申し出て。
(どっちも、あいつに上手く出来るとは思えんが…)
 不味いコーヒーでも、焦げた料理でも、喜んで御馳走になることにする。
 こんなことでもなかったならば、けして味わえないだろうから。
(あいつはコーヒー、苦手なんだし、料理も俺が得意なんだし…)
 普段のブルーは、「作って貰う」方に決まっている。
 ついでに掃除や洗濯にしても、ブルーがするのは最低限で…。
(大部分は、俺が仕事に出掛ける前に…)
 張り切って片付けてゆきそうだから、それも「怪我をした」場合はブルーが請け負う。
 一度もやったことなどは無い、バスルームの掃除も「どうやればいいの?」と尋ねながら。


(怪我しちまったら、そうなるんだな?)
 うんと新鮮なブルーってヤツを見られるぞ、とハーレイは頬を緩ませた。
 掃除や洗濯、料理といった家事を頑張る、健気なブルー。
 捻挫した足の湿布を貼り替え、「痛そう…」と心配もしてくれる。
 それも素敵だ、と思うものだから、結婚したら、注意は「ほどほど」にしておこうか。
 怪我をしたら痛くて不自由だけれど、オマケがついて来そうだから。
 ブルーがせっせと世話してくれて、「掴まってね」と、肩まで貸してくれそうだから…。



           怪我しちまったら・了



※ブルー君と一緒に暮らし始めた後、怪我をしたらどうなるか、と考えてみたハーレイ先生。
 困る部分もありますけれど、なかなかに美味しそうな生活。怪我をするのも一興かもv









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(今日はハーレイ、来てくれなかったけれど…)
 お菓子があったから許しちゃおう、と小さなブルーが思ったこと。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
 今日は来てくれなかったハーレイ。
 前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた愛おしい人。
 毎日でも会っていたいけれども、今日は生憎、運が悪かったらしい。
 仕事帰りに家まで来てくれなかったばかりか、学校でも会えずに終わった一日。
 普段だったら、もう今頃は「どうして?」と膨れていたことだろう。
 「酷いよ」と「どうして会えなかったの?」と、神様に文句を言いたいほどに。
(でも、今日は…)
 ちょっぴり特別だったんだよ、と笑みまで零れてしまう。
 今日のおやつは、とても素敵なものだったから。
 母の友達が送って来てくれた、箱一杯のお菓子の詰め合わせ。
(学校から帰ったら、ママが「このお菓子、どれでも食べていいわよ」って…)
 テーブルの上に、お菓子の入った箱を笑顔で置いてくれた。
 「ちっとも遠慮しなくていいから、好きなのをどうぞ」と、紅茶を添えて。
(お腹一杯になっちゃダメよ、って注意されたけど…)
 夕食をきちんと食べられるのなら、幾つ食べても構わない、とお許しも出た。
 「ハーレイ先生がいらっしゃった時のためにも、お腹を空けておきなさいよ」という注意も。
(でも、ハーレイは来なかったから…)
 もうハーレイは来ない時間、と確信した後、またダイニングに出掛けて行った。
 階段を下りて、「ママ、あのお菓子、貰ってもいい?」と、おねだりをしに。
 ハーレイが来ないなら、ハーレイとのお茶の時間は無くなる。
 其処で出される筈だった菓子も、当然、部屋に運ばれては来ない。
(だから、その分、多めに食べても…)
 夕食の量に響きはしないし、胸を弾ませて、キッチンにいた母に尋ねた。
 「ねえ、お菓子、もう一個、食べていいでしょ?」と。
 「一個だけ食べて、それで終わりにしておくから」と。
 母は「いいわよ」と許してくれた。
 「ハーレイ先生と食べるおやつが無くなったんだし、一個だけね」と。


 お許しが出たから、早速、棚に置いてあった箱をダイニングに運んで行った。
 大きなテーブルに箱を下ろすと、自分の椅子に腰掛ける。
 ワクワクしながら蓋を開けたら、ズラリと並んだお菓子たち。
(ぼくがおやつに食べた分だけ…)
 減っていたけれど、他のお菓子は揃っていた。
 母は食べてはいないらしくて、けれど「どれでも食べていいのよ」と聞こえて来た声。
 キッチンの方から、「ママはどれでも構わないから」と。
 残っているのがどれになっても、残念に思いはしないから、と。
(ふふっ…)
 全部、ぼくのになっちゃったみたい、と嬉しくなった。
 本当は母が貰ったものでも、優先権は自分にある。
 おやつの時間にそうだったように、夕食前に食べる「もう一個だけ」も。
(どれにしようかな…?)
 どのお菓子も美味しそうなんだよね、と箱の中身を眺め回した。
 幾つもの区画に区切られた箱の、四角い小さなスペースたち。
 其処に行儀良く収まったお菓子は、同じ種類のものが一つも無い。
 上に載っているドライフルーツやナッツが違うとか、種類からして別物だとか。
(うんと小さなブラウニーに、マカロンに…)
 他にも色々、と添えられた栞を広げて、箱のお菓子と照らし合わせる。
 「おやつの時間に食べたのがコレとコレとコレで、コレも美味しそうで…」と迷いながら。
 おやつの時にも悩んだけれども、今度の一個も悩ましい。
 明日、学校から帰るまでには、母もお菓子を食べるだろう。
 父もデザートに食べるだろうし、明日は間違いなく選べるお菓子が減っている。
 今なら全部「ブルーのもの」で、選択権を持っているのに。
 どれを食べても構わない上、おやつの時にも、その権利を行使出来たのに。
(…あと一個だけ…)
 明日には、どれかが無くなっちゃっているんだし…、と悩んだ末に、一個、選んだ。
 ピスタチオのクリームがサンドされている、可愛らしいのを。
 生地もピスタチオが練りこまれていて、綺麗な緑。
(ハーレイの車は緑色だし…)
 もっと濃いけど、というのが決め手。
 「ハーレイの車が来なかったんだし、その代わりだよ」と。


 今のハーレイの愛車は、濃い緑色。
 キャプテン・ハーレイのマントを思わせる色は、ブルーもとても気に入っている。
 残念なことに、乗せて貰ったことは殆ど無いけれど。
 ドライブに連れて行って貰える日だって、まだまだ先のことなのだけれど。
(…でも、緑色は…)
 特別だよね、と選んだお菓子は、ピスタチオの風味が口一杯に広がる素晴らしいもの。
 大満足で食べて部屋に帰って、それでも舌の上には、まだピスタチオの味わいがあった。
 「美味しかった」と頬が緩んでしまって、明日にも期待してしまう。
 「学校から帰ったら、どれが残っているのかな?」と。
 どのお菓子も美味しいに決まっているから、今度はどれを食べようか、と。
(ママたちが食べてしまっていなかったなら…)
 あれも良さそうだし、あれだって…、と食べたいお菓子の種類は沢山。
 箱の上にメモを置きたいほどに。
 「ぼく用に、これを残しておいてくれない?」と、お菓子の名前を並べて書いて。
(だけど、それだと欲張りすぎで…)
 きっと両親に笑われるから、此処は我慢をしておくしかない。
 自分の運と神様を信じて、「明日まで残っていますように」とお祈りをして。
(お菓子、欲しいのが残っていますように…)
 ママとパパが食べちゃっていませんように、と神様に我儘なお祈りをした。
 「お願いします」と、「ホントに美味しそうだったから」と。
 それからハタと気付いたのだけれど、そもそも、ハーレイが来ていたのなら…。
(おやつの後に、一個、余計に貰った分は…)
 自分の胃袋に入る代わりに、両親の前に顔を出していた筈。
 「如何ですか?」と、ピスタチオの鮮やかな緑色を纏って。
 「美味しいですよ」と、「私を選んでみませんか?」と。
(…お菓子の妖精がいるんなら…)
 言いそうだよね、と箱の中身たちを思い出す。
 どのお菓子にも、それぞれ住んでいそうな妖精。
 「自分が一番、素敵で美味しい」と、器量自慢な妖精たち。
 誰が最初に選ばれるのか、食べて貰えるのかと、箱が開けられる度に大騒ぎ。
 「私が一番美味しいですよ」と、「ほら、見た目だって素敵でしょう?」と。
 どうか私を選んで下さい、とピスタチオのお菓子の妖精だって主張するのに違いない。


(ぼくがピスタチオのを選んだのも…)
 そのせいかもね、という気がして来た。
 ハーレイの車の色だから、と選んだけれども、それも妖精の仕業かもしれない。
 「ねえ、綺麗な緑色でしょう?」と、箱の中から囁いた妖精。
 「恋人さんの車の色と色と同じで、マントの色も緑だったんですよね?」と。
 そう囁かれたら、選ぶ気になる。
 緑色を纏ったピスタチオのお菓子を。
 妖精に「如何ですか?」と誘われるままに、「これにしよう」と箱から取り出して。
(とっても美味しかったんだけど…)
 妖精の方も、鼻高々だったことだろう。
 箱に残された他のお菓子たちに、「ほらね、私が一番でしょう?」と。
 「おやつの時間に選ばれた仲間たちには、ちょっぴり敵いませんけどね」とも。
(…やられちゃったかな?)
 でもいいや、と満足出来る味わいだった、あのお菓子。
 ハーレイが来てしまっていたなら、両親が食べてしまっていたかも。
(そしたら、ぼくは食べられなくって…)
 あの味には出会えなかったから、とハーレイを許す気持ちが更に膨らむ。
 「来てくれなくって、ありがとう」と、「一個、余計に食べられたもの」と。
(今日は許してしまえちゃうよね、ハーレイが来てくれなかったこと)
 お菓子が美味しかったから、と思ったはずみに掠めた考え。
 「あれ?」と。
 「もしも、将来、こういうことがあったら、どうするの?」と。
(…今は、ハーレイと一緒に暮らしていないから…)
 二人で何かを分け合うという場面は無い。
 母が運んで来るお菓子や食事は、いつもきちんと二人分ある。
 食事の場合は、身体が大きいハーレイの分が多めに盛られていることも多い。
 だから「分け合って食べる」必要は無いし、した経験も無いのだけれど…。
(ぼくが育って、ハーレイと結婚した後だったら…)
 そういうことも起きそうだよね、と顎に手を当てた。
 今日、母の友達がお菓子を送って寄越したみたいに、ハーレイ宛に届くプレゼント。
 なにしろ友人が多いのだから、珍しいことでもないだろう。
 「美味しいですから、是非どうぞ」と、お菓子などの箱が家に届くことは。


 ハーレイの家に送られて来た、食べ物が入った贈り物の箱。
 それをハーレイと一緒に開けたら、中身が今日のお菓子みたいになっているかもしれない。
 様々な種類が入った詰め合わせセット、重なるものは一つも無い。
 お菓子にしても、他の食べ物だったとしても。
(そんな箱が、家に届いちゃったら…)
 どう考えても、分けて食べるしかないだろう。
 ハーレイが自分の分を選んで、「ブルー」も同じに選んで食べる。
 けれども、選ぶ時が問題。
(ぼくとハーレイが、分けて食べるんなら…)
 届いたのが今日のお菓子だったら、どうやって分ければいいのだろう。
 困ったことに、二人とも無いのが「好き嫌い」。
 苦手な食材があるというなら、分ける時、少し助かるのに。
 「俺はピスタチオは好きじゃなくてな」と、ハーレイが選択肢から緑のお菓子を外すとか。
(…ぼくはバタークリームが好きじゃないとか…)
 そういうことなら、バタークリームを使ったお菓子は、ハーレイに譲ることになる。
 他にもシナモンやらレーズンやらと、好き嫌いの分かれる食材は幾つも。
 なのに、二人とも、好き嫌いが無い。
 ついでに言うなら、「ブルー」は苦手なコーヒーでさえも…。
(お菓子になってるとか、コーヒー牛乳とかになったら、ぼくはちっとも…)
 気にならなくて、美味しく味わってしまう。
 同じコーヒーとは思えないほど、「コーヒー味」や風味は別物。
(これはハーレイにあげるからね、って言えちゃうお菓子が…)
 一つも無いよ、とブルーは頭を抱えてしまうしかない。
 ハーレイの方も事情は変わらないのだと知っているから、余計に困る。
(お前が先に選んでいいぞ、って、ハーレイ、きっと言うんだよ…)
 前のハーレイの頃からそうだったもの、と遥かな時の彼方を思う。
 厨房時代のハーレイがくれた、試作品だったお菓子や料理。
 美味しく出来上がった自信作たちを、ハーレイは惜しげもなくくれた。
 失敗作を寄越したことなど、ただの一度も無かったハーレイ。
 くれたのは、自信作ばかり。
 「美味いんだぞ」と、「好きなだけ食っていいからな」と。


(ハーレイは昔から、そういうタイプで…)
 今だって、きっと全く同じ。
 色々なお菓子を詰め合わせた箱を貰った時には、「先に選べよ」と言うのだろう。
 「俺は残ったヤツでいいから」と、「なんせ、好き嫌いが無いんだからな」と。
 それはとっても嬉しいけれども、「じゃあ、お先に!」なんて言えるだろうか。
 ハーレイにも、食べて欲しいのに。
 自分の好きなものを選んで、「美味いな」と微笑んで欲しいのに。
(だけど、ハーレイ、絶対、ぼくに先に選べって言いそうだから…)
 ハーレイに先に選んで貰うためにはどうすればいいの、と頭が痛い。
 「分けて食べるんなら、そうしたいのに」と。
 公平に分けることが出来ない品なら、優先権をハーレイに渡したいのに。
(……うーん……)
 困っちゃった、と思うけれども、答えが出ない。
 お互い、相手が一番だから。
 何かを分けて食べるのだったら、相手の喜ぶ顔を見たいと思うのだから…。



         分けて食べるんなら・了


※ハーレイ先生が来なかったお蔭で、多めにお菓子を食べられて大満足なブルー君。
 けれど二人で暮らすようになったら、分け合う場面が出て来る筈。お互い、譲り合いかもv









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(ふむ、なかなかに…)
 美味しそうだぞ、とハーレイは皿の上に載った菓子を眺めた。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それも菓子の皿の横にある。
 これが無ければ、寛ぎの時間は始まらないと言ってもいい。
(何処で飲もうかと、少し迷ったが…)
 菓子があるからリビングで、とか、ダイニングで、とかも考えた。
 コーヒーを淹れる間も悩んで、結局、来たのは気に入りの書斎。
 専用の紙箱から出して来た菓子を、菓子皿に載せて「あそこで食うか」と。
(期間限定だと書いてあったが…)
 菓子を買った場所は、帰りに寄った馴染みの食料品店だった。
 特設コーナーが設けられていて、並んでいたのはシュークリームたち。
(味が色々、ってわけじゃなくてだ…)
 ごくごく普通のカスタード入りで、それがケースの中に沢山。
 見れば地元の店ではなくて、酪農で有名な地方から来た店らしい。
 その地方では、名前を知られた人気の店。
 旅行で出掛けた観光客たちも、買いに行ったりするのだという。
(一週間は出店してると言うから…)
 ブルーへの手土産にいいだろう、と思ったけれども、自分が食べたい気持ちもあった。
 ズラリと並んだシュークリームを目にした途端に、胃袋を掴まれてしまったらしい。
(…シュークリームの精ってヤツに捕まったかもな?)
 買って下さい、食べて下さい、と服の袖を掴んで離さない、シュークリームに宿る妖精。
 「美味しいですよ」と、「今日のところは味見に一個、如何ですか?」と。
 愛らしい声が耳に届いたのか、ついつい、一個、買ってしまった。
 「今晩、食って、試食ってことで」と、店員に「一個下さい」と指差して。
 ブルーの家に持って行く時には、一個ではなくて、二個に増えるだろうけれど。
(…そいつは明日に取っておいて、と…)
 今日は一個で、自分用。
 「試食」というのは、言い訳と言えるかもしれない。
 自分が食べたくて買った以上は、純粋な「試食」とは言い難いから。


 たまには、そういう日だってあるさ、とハーレイはシュークリームをつついた。
 添えて来たフォークで、チョン、と悪戯するかのように。
 自分の胃袋を捕まえた妖精、シュークリームの精に「お前さんのせいだからな?」と。
(俺だけ、一人で食ってるだなんて…)
 ブルーが知ったら、間違いなくプウッと膨れるだろう。
 「ハーレイ、一人で食べてるわけ?」と、「ぼくの分は?」と、フグみたいに。
(…こんな夜遅くに、シュークリームなんぞを喰っちまったら…)
 食の細いブルーはお腹が一杯になって、夢見も悪くなってしまいそう。
 それでも、きっとブルーなら…。
(狡い、酷い、と膨れっ面で…)
 後々まで言うに違いない。
 「どうして一人で食べていたの」と、「ぼくにも分けて欲しかったのに」と。
(ほんの一口くらいだったら、胃にもたれたりもしないしなあ…)
 とうに歯を磨いた後だったとしても、また磨いたら済むだけのこと。
 「ぼくの分は?」と、ブルーの声が聞こえるような気がしてくる。
 「分けてくれてもいいでしょ、ケチ!」と。
 此処の様子を覗き見ていて、「狡いんだから!」と詰る声が。
(…あいつには、見えやしないんだがなあ…)
 サイオンが不器用になっちまったし、と分かってはいても、少し後ろめたい。
 明日には、ブルーの分も買って持って行くつもりでも。
 「分けて食べる」とか「一口」ではなく、丸ごと一個をプレゼントでも。
(あいつがまるで知らない間に、俺だけ食おうとしてるのがだな…)
 どうやら原因らしいよな、と自分でも苦笑するしかない。
 悪戯な妖精のせいなのだろうか、こういう気分になったのも。
 シュークリームに宿る妖精、それをフォークでチョンとつついて、からかったから。
 「お前さんのせいだからな」と心で言ったばかりに、仕返しをされたかもしれない。
 妖精が持っている魔法の粉を、パラリと頭に振り掛けられて。
 「食べたかったのは、あなたですよね?」と、「私のせいじゃありませんよ」と。
 食べたいと思った欲張りな胃袋、それは「あなたの責任でしょう?」と機嫌を損ねた妖精。
 「充分、反省して下さいね」と、「恋人さんの分も買いに来てくれるまで」と。


(…妖精に、やられちまったってか?)
 そうだとしたなら、明日、二個買うまで、許して貰えないかもしれない。
 美味しく一人で食べるつもりが、ブルーで心が占められて。
 「狡いってば!」と、「ぼくの分は?」と、責める声が頭から離れなくなって。
(……参ったな……)
 どうすりゃいいんだ、とフォークを手にして、シュークリームをまじまじと見る。
 ブルーは此処にいないのだから、お裾分けなど出来るわけがない。
 シュークリームの妖精がなんと言おうが、ブルーに届けることは不可能。
(ほんの一口、って言われてもだ…)
 どうすることも出来ないんだが、とシュークリームを凝視する間に、浮かんだ考え。
 「分けて食べるなら、どうなるだろうな?」と。
 此処にブルーがいたとしたなら、一個だけのを、どう分けるか、と。
(…俺が一個しか買わずに帰って来るなんてことは…)
 ブルーと暮らし始めた後には、絶対に無い、と言い切れる。
 必ず「二つ」と注文するし、最後の一個しか店に無ければ、最後の一個はブルー用。
(あいつが喜びそうだから、と…)
 その一個を箱に入れて貰って、大切に持って帰るだろう。
 「特設コーナーで売ってたんだ」と、「期間限定で、今日までらしい」と。
(次の日も売られているんだったら、その日は買わずに帰って、だ…)
 ブルーには欠片も話しはしないで、翌日、急いで買いに出掛ける。
 「最後の一個」になってしまわないよう、早めに店に着けるように、と。
 ブルーが遠慮しないで済むよう、二つ買うのが一番だから。
(最後の一個だったんだ、って、あいつ用に買って帰っても…)
 きっとブルーは、何も考えずに一人で食べてしまいはしない。
 「ありがとう!」と嬉しそうな顔をしたって、箱の中身が一個だけだと知ったなら…。
(ハーレイの分は、って…)
 尋ねて、顔を曇らせるだろう。
 「一個だけしか、もう無かったの?」と。
(俺はいいから、お前が食べろ、と言ったって…)
 ブルーは、納得したりはしない。
 そういうところが「ブルー」だから。
 前のブルーだった頃からそうで、今も魂は全く同じに「ブルー」なのだから。


 「独り占めする」という考え方とは、まるで無縁な人間が「ブルー」。
 遠く遥かな時の彼方で、ソルジャーだった頃から変わりはしない。
 そう、ソルジャーになるよりも前に、既にブルーは「そう」だった。
 「自分さえ良ければそれでいい」とは、ブルーは決して考えはしない。
 たとえ、相手がシュークリームでも。
 たった一個のシュークリームでも、ブルーは独占したりはしない。
 「お前の分だ」と手渡されても、「でも…」と食べずにいるのだろう。
 「でも、ハーレイの分が無いよ」と、「ぼくだけ一人で食べるなんて」と。
 ブルーの悩みを解決するには、分けて食べるしかないだろう。
 取り分は減ってしまうけれども、二つに切って。
 どうせ食べれば形は崩れてしまうのだから、真っ二つに切っても味わいは同じ。
(皮も中身も、変わりゃしないし…)
 二つに切ったシュークリームでも、ブルーは満足に違いない。
 「美味しいね」と、フォークを手にして、頬張って。
 「ハーレイもそう思うでしょ?」と、「やっぱり食べてみなくっちゃ」と。
 一人で食べてもつまらないから、と微笑む姿が目に浮かぶよう。
 「こういうのは、分けて食べなくちゃね」と。
 そうなるだろうな、と思うけれども、その分け方はどうなるだろう。
 なにしろ相手はシュークリームで、パウンドケーキなどとは、かなり異なる。
 見た目も、それに構造も。
 半分ずつに切ろうとしたって、上手く半分に切れるかどうか。
(…現に、こうしてだな…)
 フォークで切ろうとすると、こうだ、と頑固な皮の抵抗に遭った。
 ふわふわの雲を思わせる形のくせに、シュークリームの皮は意外に手強い。
 綿菓子のように簡単に切れはしなくて、フォークでは、とても歯が立たない。
 いや、切ることは出来るけれども、切るというより「引き千切る」感じ。
 ギザギザになってしまう断面、綺麗に二つに切るなどは無理。
(でもって、中身もはみ出しちまって…)
 フォークや皿にくっついたりして、プリンのようにはいかないカスタードクリーム。
 プリンだったら、スプーンで掬えば潰れはしないし、くっつかないのに。
 当然、ナイフで切ってやったら、真っ二つにだって出来るのに。


 皮も中身も、ちょうど半分に分けて切るのが難しい相手。
 シュークリームというお菓子。
(よし、切るぞ、とナイフを手にして挑んでみたって…)
 パティシエの技術は持っていないし、真っ二つに切れはしないだろう。
 プロのパティシエが挑戦したって、果たして上手くいくのかどうか。
(…そういう菓子を、ブルーと分けて食べるなら…)
 大きさが不揃いになってしまうとか、中身が等分にならなかったとか。
 そうなる結果が見えているから、どうなるのかが気になるところ。
 ハーレイとしては、ブルーに多めに分けてやりたい。
 明らかに大きさが違っていたなら、大きい方をブルーに渡す。
 皿に乗っけて、「お前は、こっちだ」とフォークを添えて。
 「美味そうなんだし、沢山食えよ」と。
(しかしだな…)
 ブルーは、その皿を押し返しそう。
 「こんなに沢山、貰わなくっても」と、「ぼくはもう、大きくなったんだから」と。
 背を伸ばそうとしていた頃と違って、前のブルーと同じ背丈に育ったブルー。
 「沢山食べて、大きくなる必要、もう無いんだもの」と、ブルーが口にしそうな正論。
 「だから、大きい方はハーレイが食べて」と、「ぼくより身体が大きいものね」と。
(そう言われたって、俺はブルーに…)
 せっかくの菓子を多めに食べて欲しいと思うし、ブルーも同じ気持ちだろう。
 「ハーレイが買って来たんだから」とも、ブルーは言いそう。
 「家まで持って帰って来た分、運んだ御褒美、貰わなくっちゃ」と。
 ブルーは家で待っていただけ、シュークリームを多めに貰える理由など無い、と。
(こりゃ困ったぞ…)
 大きい方の押し付け合いになっちまうな、と可笑しくなる。
 「いっそ量るか」と、「秤で、グラム単位でな」と。
 皮も、中身のカスタードクリームも、重さだけなら半分ずつになるように。
 たとえ見た目がどうであろうと、皿の上にある量は同じであるように。
(…そうなるかもなあ…)
 あいつと分けて食べるなら、とシュークリームにフォークを入れた。
 「半分になんか切れやしないし」と、「崩れちまっても、きっちり半分ずつだな」と…。



          分けて食べるなら・了


※ブルー君へのお土産にする前に試食、とシュークリームを買ったハーレイ先生。
 いつか二人で半分ずつ、ということになったら、本当に秤で量って分けることになりそうv








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(…今日は、ハーレイに会えなかったけれど…)
 今頃は何をしているのかな、と小さなブルーが思い浮かべた恋人の顔。
 ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
 お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(多分、書斎でコーヒーだよね?)
 この時間なら、と壁の時計を眺める。
 他の先生たちと食事に出掛けていない限りは、とうに帰宅しているだろう。
 会議の帰りにハーレイが寄り道するとしたって、書店か食料品店くらいだと思う。
(…帰って、ご飯を作って、食べて…)
 片付けを済ませて、コーヒーを淹れて、書斎でゆっくり寛ぐ時間が、きっと今頃。
(熱いコーヒーを飲みながら、読書…)
 お気に入りの本か、買ったばかりの本なのだろうか、と想像してみる。
 本のタイトルは何だろうかと、チビの自分でも読めそうな中身の本かどうか、と。
(難しい、先生向けの本かも…)
 それだと、ぼくには分かんないや、とガックリ肩を落とした。
 ハーレイと時間を共有出来ない、そういった本は歓迎出来ない、と。
(…シャングリラの写真集だったらいいのにね…)
 ぼくとお揃い、と本棚の方に目を遣る。
 其処に置かれた、白いシャングリラの写真集。
 今のハーレイに教えて貰って、父に強請って買って貰った。
 遠く遥かな時の彼方で、前のハーレイと共に暮らした、懐かしい白いシャングリラ。
 解体されてしまったけれども、トォニィが沢山写真を撮らせて、写真集を残してくれた。
 ハーレイもそれを広げているといいな、と考える。
 「それなら、ぼくも見るんだけれど」と、「同じ時間を過ごせるよね」と。
 けれど、ハーレイが写真集を眺めているとは限らない。
 全く別の子供が読むには難しい本を、ワクワクと読んでいるかもしれない。
 ハーレイは立派な大人なのだし、知識も充分、持っているから。
(…つまんない…)
 それは嫌だよ、と膨れてみたって、我儘な気持ちは届きはしない。
 ハーレイの家は何ブロックも離れた所で、今のブルーはサイオンが不器用すぎるのだから。


 お揃いの本を広げたくても、そう伝えるために思念を紡ぐことも出来ない現実。
 なんとも悔しい限りだけれども、こればかりは、どうしようもない。
(…だから、覗き見だって無理…)
 ハーレイが今、何をしているか、それを知ることさえも出来ない。
(…前のぼくなら、全部お見通しで…)
 前のハーレイが何処にいようと、青の間から簡単に見ることが出来た。
 ブリッジだろうが、機関部だろうが、食堂で食事の最中だろうと。
(何を食べてるのかも、よく見えたから…)
 同じメニューを「今日の夜食に持って来て」などと、出前を頼んだことだって多い。
 「仕事が終わってからでいいよ」と、「ぼくも食べたくなったから」と。
 いとも容易いことだったけれど、今の自分には不可能なこと。
 逆立ちしたって出来はしなくて、ハーレイが読んでいる本さえも…。
(分からない上に、今、書斎にいるかどうかも謎なんだってば!)
 あんまりだよ、と神様を恨みたい気分になってくる。
 どうしてサイオンが不器用な身体なんかを、今の自分に寄越したのか、と。
(でも、神様に文句なんかを…)
 言おうものなら、「要らないのなら、返して貰う」と、身体を消されてしまいそう。
 後には魂だけが残って、もうハーレイの側にいたくても…。
(声も届かなくて、話し掛けても返事は無くて…)
 独りぼっちと変わらないような、辛い毎日になりそうな感じ。
 それが嫌なら、我慢するしかないだろう。
 サイオンがとても不器用だろうが、それが「神様がくれた、新しい身体」なのだから。
(仕方ないけど、ハーレイが何をしてるかは…)
 知りたいよね、と前の自分が羨ましい。
 前のハーレイをいつも見ていて、何もかも知ることが出来たのだから。
(ホントに羨ましいってば…!)
 そういう意味でも嫉妬しそう、と前の自分に喧嘩を売りたい気分。
 大人の身体を持っていただけでも羨ましくてたまらないのに、サイオンまで、と。
(ハーレイには、笑われちゃうけれど…)
 鏡に映った自分に向かって喧嘩を売っている子猫みたいだ、と今のハーレイは評してくれた。
 銀色の毛を逆立てて、尻尾を膨らませる子猫。
 鏡の中の自分を相手に、フーフーと怒り続けてるんだ、と。


 なんとも酷い言い様だけれど、今の自分は、まさにそれ。
 前の自分に向かって嫉妬で、強いサイオンを持っていたのが羨ましくて怒っている。
 神様に文句を言えない分まで、前の自分に向かってぶつけて。
(…前のぼくなら、良かったのにね…)
 ハーレイが読んでる本も分かるし、中身だって、と思ったけれど。
 「この部屋にいても、読めてしまうよ」と、それが出来た時代が懐かしいけれど…。
(……そういえば……)
 前のぼくでも、知らないことがあったっけ、と気が付いた。
 白いシャングリラの中なら何処でも、どんなことでも、手に取るように分かったのに。
 前のハーレイの居場所はもちろん、他の仲間たちのことだって。
(…でも、前のハーレイの航宙日誌…)
 あれだけは読んだことが無かった、とキャプテンの部屋を頭に描いた。
 本物の木で作られた大きな机と、白い羽根ペンがあった其処。
 壁には立派な本棚があって、沢山の本が並べられていて、その中に…。
(前のハーレイが、ずっと書き続けていた航宙日誌も…)
 専用の装丁を施された姿で、ズラリと背表紙を見せていた。
 いつだって勝手に抜き出せそうで、手に取って読むことも出来そうだった。
 机の上には、今、書いている航宙日誌が常にあった筈。
 普段は、閉じて置かれていた「それ」。
 前のハーレイが羽根ペンを持って、書き込む時に広げていた。
(読み返していたことも、よくあったけど…)
 それを横から覗こうとしたら、前のハーレイは、サッと素早く閉じてしまった。
 「読むなよ」と、「俺の日記だからな」と。
 「俺の留守に入って読むのも駄目だ」と、「持ち出しだって、お断りだぞ」と念を押して。
(…そう言われたから、前のぼくは…)
 ハーレイの言いつけを素直に守って、一度たりとも覗かなかった。
 サイオンを使えば、簡単に覗き込めたのに。
 書棚から黙って持ち出すことも、こっそり入って手に取ることもしなかった。
 前の自分には容易いことで、しようと思えば出来たのに。
 実際、中身が気になっていたのに、前の自分は、最後まで約束を守り続けた。
 ただの一度も、読まないで。
 ハーレイが何を書いているのか、知りたくてたまらなかった時でも。


(そうだったっけ…)
 航宙日誌の中身は秘密だったんだ、大きく頷き、今のハーレイに思考を向けた。
 「今も、日記を書いてるかもね」と、考えもしなかった行動へと。
 本を読んでいるとばかり思っていたけれど、日記を書く時間かもしれない。
(…ぼくのこと、書いてくれてるのかな?)
 今日は会えずに終わったとか…、と頬を緩ませ、其処で愕然としてしまった。
 「今度のぼくも、ハーレイの日記は読めないんじゃないの?」と。
(…前のハーレイのは航宙日誌で、シャングリラの記録だったけど…)
 個人的な内容は何も書かれていなかった、と今のハーレイが証言している。
 前の「ブルー」との恋のことなど、それこそ欠片もありはしない、と。
(元から何も書かれてないから、研究者たちが読んだって…)
 ソルジャー・ブルーとキャプテン・ハーレイの恋物語は、読み取れない。
 書いた本人の「今のハーレイ」だけが、それをすることが出来ると聞いた。
 「前のハーレイ」が記した筆跡、文字をそのまま復刻している航宙日誌を目にしたならば。
(…自分の字から、書いた時の気持ちが分かるんだ、って…)
 今のハーレイは言っていたけれど、書いてあることは単なる「シャングリラの記録」。
 その日付の日に何があったか、前のハーレイがどう対処したか、といったようなことばかり。
(…そんな中身でも、前のぼくには「俺の日記だ」って…)
 秘密にして読ませてくれなかったのが、キャプテン・ハーレイだった「ハーレイ」。
 航宙日誌は、今の時代はベストセラーになってしまって、誰でも読める。
 「今のブルー」がお小遣いで買える、安価な文庫版だってあるのだけれど…。
(今のハーレイが書いてる日記は、ホントのホントに、普通の日記で…)
 日々の出来事や思いを綴った、本当に個人的なもの。
 航宙日誌の頃と違って、何もかも隠してしまうことなく、率直に書いているだろう。
 「今のブルー」と再会した日の感動なんかも、溢れる想いをそのまま、全部。
 それからの日々も、一日たりとも欠かすことなく書いているのに違いない。
(またキスを強請って来やがった、とか…)
 忌々しそうに書いてあるのか、あるいはハーレイの揺れる気持ちが其処にあるのか。
 「頭をコツンとやってやったが、俺の気持ちも考えてくれ」と、キスを我慢する辛さとか。
 そうだといいな、と思うけれども、今の自分が、そういう日記を読めるチャンスは…。
(前と同じで、無いのかも…)
 航宙日誌でさえ読むのは駄目だと言われたのだし、もっと個人的な日記の方も門前払いで。


 その可能性はかなり高い、と考えると涙が出て来そう。
 航宙日誌は「結婚したら、復刻版を買って読もうよ」と約束したから、今度は読める。
 「前のハーレイ」の秘めた気持ちも、きっと教えて貰える筈。
 それなのに、今のハーレイが毎日綴り続ける日記は…。
(ぼくには秘密で、絶対、読ませてくれなくって…)
 書いている時に書斎に行ったら、前の生と同じにサッと閉じられておしまいだろう。
 「見るなよ」と、「俺の日記だしな?」と。
 ハーレイの留守に読んでみたくても、隠し場所が秘密か、しっかりと鍵がかかっているか。
(机の引き出しに入れて鍵をかけてて、仕事に出掛けて行く時は…)
 ブルーが勝手に開けないように、忘れずに鍵も持って出る。
 こっそり書斎に忍び込んでも、手も足も出ない、秘密の日記。
(ちょっとくらい、読ませてくれたって…!)
 いいじゃない、と膨れっ面になってみたって、無駄だろう。
 「前のお前も、読まずに我慢してたんだしな?」と、パチンとウインクされたりもして。
(……うー……)
 ハーレイが秘密にするんなら、ぼくもやり返してやるんだから、と唸りながらも決心した。
 前の自分は何も秘密を持たなかったけれど、今度は秘密を持てばいい。
 ハーレイみたいに日記を書くとか、「ぼくの秘密だから」と言える何かを。
(そしたら、ハーレイが日記を読ませてくれなかった時には…)
 ぼくの日記も読んじゃ駄目、と言い返してやって、降参させられるかもしれない。
 「それなら、俺のも見せてやるから」と、交換条件が出て来るだとか。
(うん、いいかも…!)
 秘密にするんなら、何がいいかな、と思ったけれど。
 日記なんかが良さそうだけれど、生憎と、今の自分はといえば…。
(サイオンがうんと不器用だから、心の中身が零れ放題で…)
 隠し事なんか出来やしない、と頭を抱えて泣きそうになった。
 「無理だよ」と、「とても隠せやしない」と。
 その上、結婚した後に住むのは、今のハーレイの家なのだから…。
(どんなに隠し場所を工夫したって、すぐにバレるに決まってるよ…!)
 やり返してやりたくても、全然駄目、と悔しくて歯ぎしりするしかない。
 「今度も秘密にするんなら、ぼくも秘密を持ちたいのに」と。
 交換条件に使いたいのに、秘密なんかは、とても持てそうにないんだけれど、と…。



           秘密にするんなら・了


※前のハーレイが秘密にしていた日記が、航宙日誌。前のブルーにも読めなかったもの。
 ハーレイ先生の日記が気になるブルー君ですけれど、今のも、読ませて貰えないのでは…?








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(今日は、会えずに終わっちまったなあ…)
 お互い、運が無かったってな、とハーレイが思い浮かべた恋人の顔。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それが温かな湯気を立てている。
 ゆったりと椅子に腰を下ろして、寛ぎの時間なのだけれども、ブルーの方はどうだろう。
 遅い時間になったとはいえ、今も膨れているかもしれない。
 「今日はハーレイに会えなかったよ」と、パジャマ姿でベッドの縁に座って。
(膨れていないで、早く寝ろよ?)
 寝ていてくれると嬉しいんだが、とブルーの弱い身体を気遣わずにはいられない。
 今のブルーも前と同じに、虚弱な身体に生まれてしまった。
 膨れっ面も、「会えなかったよ」とぼやく姿も可愛いとはいえ、夜更かしは良くない。
 身体を冷やせば風邪を引くだろうし、そうでなくても体力を削られてしまう。
(…なあ、そうだろう?)
 お前だって、そう思うよな、とハーレイは机の引き出しを開けた。
 其処には日記が入れてあるけれど、日記の下に、そっと仕舞ってある写真集。
(……お前も頑固だったんだがなあ……)
 今のお前も、負けていないな、と、その写真集を取り出した。
 『追憶』というタイトルがつけられた、それ。
 表紙に刷られた、前のブルーの一番有名な写真。
(これがお前の本当の顔で…)
 誰にも見せやしなかったが、と今も鮮やかに思い出すことが出来る。
 正面を向いたブルーの赤い瞳の奥には、憂いと悲しみの色が秘められていた。
 前のブルーが、前のハーレイの前でだけ見せた表情。
 遠く遥かな時の彼方で、こういう写真を必死に探した。
 前のブルーを失った後で、データベースを端から掘り返すようにして。
(…なのに、どうしても見付けられなくて…)
 断念せざるを得なかったのに、後世の誰かが「それ」を見付けた。
 恐らく、残されたブルーの映像の中から、この表情に気付いたのだろう。
 「これだ」と、前のブルーの心を見抜いて、その一瞬を切り取った。
 「これこそ、ソルジャー・ブルーなのだ」と、「ソルジャーの顔ではない」本当の顔を。


 今では一番有名になった、その写真。
 それが表紙になっている本も、また多い。
 『追憶』もそういう中の一冊だけれど、選んで買って来た写真集。
 すっかり宝物になっている本、毎晩、日記を布団代わりに掛けてやる。
 前のブルーが寂しくないよう、温かく包み込むように。
 日記の下なら、「ハーレイと一緒にいる」のと変わらないだろう、と思っているから。
(お前も、寂しがり屋だったんだが…)
 今のお前も同じだよな、と写真集を机に置いて、心の中で前のブルーに語り掛ける。
 表紙に刷られた写真と向き合い、まるでブルーがいるかのように。
(お前からも言ってやってくれよな、夜更かししないで寝ろ、ってな)
 でないと風邪を引いちまうから、と前のブルーに頼み込む。
 「俺には、どうにも出来やしないし」と、「お前は、お前なんだから」と。
 とはいえ、自分でも分かってはいる。
 「前のブルー」は、そっくりそのまま、「今のブルー」だという事実。
 いくら「前のブルー」に頼み込んでも、それは「今のブルー」に届きはしない。
 全く同じ魂なのだし、写真は「ただの写真」でしかなくて、言わば幻影のようなもの。
 無駄だと分かっているのだけれども、時々、こうして話し掛けてしまう。
 「前のブルー」が、此処にいるような気持ちになって。
 時の彼方で失くした恋人、その人が今も、写真を通して、こちらを見詰めているようで。
(…そうじゃないって、百も千も承知なんだがなあ…)
 どうにも駄目だ、とハーレイは苦笑し、コーヒーのカップを傾けた。
 「この癖は、治りそうもない」と。
 いつか治る日が来るのだろうか、それとも一生モノなのだろうか。
(……さてなあ……?)
 今のブルーが前のブルーと同じ姿になった時には、あるいは治るのかもしれない。
 失くしたブルーが、あの頃と全く同じ姿で、側にいるようになるわけだから。
(その時には、嫁に来てくれるわけで…)
 二度と失くしはしないわけだし、「前のブルー」の面影を探し求める必要は無くなる。
 いつでも同じ顔を見られて、同じ声を聞ける日々が来るのだから。
 そうなったならば、この写真集を引っ張り出さなくても…。


(前のあいつに会えるんだしな?)
 きっと、この癖も治るだろう、と思う一方、治らないような気もしている。
 生まれ変わって来た今のブルーは、幸せ一杯に育ったブルー。
 『追憶』の表紙に刷られた表情、それと同じ瞳を見せる時など、永遠に来ない。
 悲しみも憂いも、前のブルーの味わったものとは、まるで全く違うから。
 せいぜい「ハーレイに会えなかったよ」程度で、前のブルーのそれとは重さが違いすぎる。
(…この表情を、俺が今のブルーで見ることは…)
 本当に永遠に無いんだよな、と思うからこそ、「この癖は治らないかもな」と感じている。
 前のブルーを想い続ける、この気持ちもまた、本物だから。
 どんなに「今のブルー」がいようと、この想いは消えてくれそうもない。
(…百年くらい、一緒に暮らせば…)
 治ってくれるかもしれないけれども、それまでは、きっと「前のブルー」を追い続ける。
 何かのはずみに、この写真集を取り出して。
 今夜みたいに、「お前だったら、どう思う?」などと「ブルー」に尋ねたりもして。
(例えば、あいつと喧嘩しちまって…)
 膨れっ面になったブルーが、「ぼくは一人で寝るからね!」とバンと扉を閉めたような夜。
 締め出しを食らって寝室に入れず、すごすごと書斎に来るしか道が無かった時。
 そうした夜には、この引き出しを開けることだろう。
 写真集を取り出し、前のブルーに向かって愚痴を零してしまうと思う。
 「流石、あいつもお前だよな」と、「今夜は放り出されちまった」と、コーヒー片手に。
(なんて頑固なヤツなんだ、と…)
 当の「ブルー」を相手に嘆いて、寝場所を失った惨めな自分の姿を披露して笑うことだろう。
 「見てくれ、俺はこのザマなんだ」と、「全部、お前がやったんだぞ?」と。
(お前からも、ちょっと、とりなしてくれ、と頼んだりして…)
 前のブルーに頭を下げたら、寝室の扉も開いてくれるかもしれない。
 なにしろ同じ「ブルー」なのだし、魂が何処かで共鳴して。
(…ところが、どっこい…)
 生憎と「ブルー」の魂は一つ、今のブルーが持っている以上、そんな救いは来はしない。
 哀れなハーレイの心の中では、「前のブルー」が同情をしてくれたって。
 「今夜は、ぼくと話して過ごそう」と、優しい言葉が聞こえたように思えたとしても。
 本物のブルーは寝室に籠って、プンスカと怒り続けたまま。
 「朝まで開けてやらないんだから」と、「今夜は、書斎かソファで寝たら?」と。


(…そんな夜には、やっぱり、こいつに…)
 愚痴を聞いて貰うのが一番だよな、とハーレイは『追憶』の表紙を指でトントンと叩く。
 「お前は、俺といてくれるしな」と、「いつまでも、俺と一緒なんだ」と、微笑み掛けて。
 ただの写真で幻影だろうと、「前のブルー」は何処へも行かない。
 本は歩いて逃げたりしないし、ハーレイを締め出すことだってしない。
 「いつだって、俺が望みさえすれば会えるんだしな」と、思った所でハタと気付いた。
 寝室から「ハーレイ」を締め出しそうな、前と同じに頑固なブルー。
 今のブルーと結婚したなら、ブルーは書斎にも出入りする。
 「ねえ、何の本を読んでいるの?」と、背後から覗きもすることだろう。
 そうなった時は、今、机の上に置いている『追憶』も…。
(どうして、こんな写真集なんかを持ってるの、って…)
 今のブルーは興味津々、ブルーがそれを見付けた途端に、質問攻めに遭うに違いない。
 何故、買ったのか、いつからあるのか、どうして普段は出ていないのか、と。
(…俺の愛読書は多いとはいえ、どれも本棚に並んでて…)
 引き出しの中が定位置の本など、一冊も無いという現実がある。
 気が向いた時に本棚からヒョイと手に取り、机に持って行って読むのが「ハーレイ流」。
 それが気に入りの読書のスタイル、ブルーも、じきに覚えるだろう。
 「また、その本? それって、そんなに面白い?」などと笑って、肩越しに読んでみたりして。
 時には、読書の邪魔をしないようにと、コーヒーだけ置いて去ってゆくことも。
(そんな具合に、俺のスタイルを覚えられちまった後にだな…)
 この『追憶』がブルーに見付かったならば、大変なことになるかもしれない。
 「どうして、これだけ」と、「引き出しの中って、宝物なの?」とブルーが怒り始めて。
 必死に言い訳してみたところで、ブルーが聞く耳を持つ筈もない。
 何故なら、今のブルーときたら…。
(…前の自分に嫉妬するんだ…)
 まるで銀色の子猫みたいに、鏡に映った自分に向かって、フーフーと毛を逆立てて。
 「こいつなんかは、大っ嫌いだ!」と、膨れっ面になって、プンスカ怒って。
 そうやって嫉妬していた日々が、ブルーの中で蘇ることは間違いない。
 「ハーレイ、やっぱり、前のぼくの方が好きだったんだ!」と、チビだった頃を蒸し返す。
 おまけに、今でも写真集を大切に持って、隠しているとなったら、怒り心頭。
 「あんまりだよ!」と、「今でも、前のぼくの方が好きで大事にしているなんて!」と。


 もう確実に、「バン!」と閉まるだろう、寝室の扉。
 ブルーは其処に立て籠ったまま、何日経っても、怒りっ放しで怒りは解けない。
 御機嫌伺いにノックしたって、食事やおやつを持って行っても、扉は固く閉まったまま。
 「食事なら、其処に置いておけば?」と、不機嫌な声が投げ掛けられて。
 「お皿が空いたら出しておくから、適当な時に持ってってよ」と、取りつく島も無い有様で。
 懸命に詫びて詫び続けたって、最後には、きっとこう言われる。
 「本当に悪いと思ってるんなら、あの本、捨ててしまってよ!」と閉じた扉の向こうから。
 「ぼくなら、此処にちゃんといるでしょ」と、「あんな写真は要らないんだから!」と。
(…そう言われてもだな…!)
 前のあいつを捨てたりなんか出来るもんか、と分かっているから、溜息と共に眉間を揉んだ。
 「どうしたもんか」と、未来の自分を思い描いて。
 この本を大切に持っておきたいなら、今のブルーに見付からないよう、隠すしかない。
 隠し事などしたくないのに、そうしない限り、大戦争が勃発しそう。
(弱ったな…)
 秘密にするなら、何処に隠せばいいんだか、と書斎を見回し、とても大きな溜息をつく。
 「簡単に思い付くような場所なら、ブルーも簡単に気付くってことだぞ」と、天井を仰いで。
 「何処に秘密の場所があるんだ」と、「まあ、もっと先になってからでいいか」と。
 恋人に隠し事をするなど、考えたことも無かったから。
 どう考えても出来そうになくて、けれど、バレたら大惨事だから…。



            秘密にするなら・了


※ハーレイ先生が大切にしている、前のブルーの写真集。一人暮らしの今はいいんですけど…。
 ブルー君と一緒に暮らす時が来たら、困ってしまうことになりそう。見付かったら大変。











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