出会えなくても
(今日は、あいつに会えなかったが…)
きっと明日には会える筈さ、とハーレイが思い浮かべた恋人の顔。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それをお供に。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が愛した人と、青い地球の上で、また巡り会えた。
今ではブルーと会うのは日常、会えない日の方が珍しい。
キスさえ交わすことが出来ない、十四歳にしかならないブルーだけれども、愛おしい。
(あいつに会えれば、もうそれだけで…)
俺は満足なんだよな、と心から思う。
ブルーの姿を、学校の中でチラリと遠くから眺めただけでも、それでいい。
それを「会えた」と言うかはともかく、ブルーが「其処にいれば」いい。
前の自分は、前のブルーを失くしてしまって、深い悲しみの底で生き続けた。
ブルーが残した言葉を守って、白いシャングリラを、仲間たちを地球まで運ばねば、と。
(あの頃に比べりゃ、あいつに会えない日があったって…)
文句なんかは言えやしないぞ、と分かっているから、今日も前向きに考える。
明日にはブルーに会えるだろうし、明日が駄目でも明後日がある、と。
(…しかしだな…)
すっかり習慣になっちまった、と自分でも少し可笑しくなる。
チビの恋人に「会う」というのが、今のハーレイの「日常」の一部。
ブルーに会えずに終わってしまえば、その日は「普通ではなかった」日になる。
「本当だったら、会えたんだがな」と考えて、惜しくなったりもする。
(…いったい、いつから、そうなったんだか…)
考えるまでもないんだがな、と答えは最初から明らかだった。
今のブルーと再会してから、こういう日々が始まった。
ブルーは、ハーレイが教師を務める学校の生徒で、職場でも会えるわけだから。
(俺の職場が違っていたなら、多少、事情は変わったろうが…)
それでも同じに「ブルーに会う」のが、普通になっていただろう。
毎日は無理な仕事だったら、休日は会いに出掛けてゆく、といった具合に。
週末だけしか会えないとしても、それは立派に「日常」と言える。
「週末は、ブルーに会いに行く」という習慣が出来て、それを実行してゆく暮らし。
貴重な週末が仕事で潰れてしまわないよう、きっと毎日、気を配る。
ブルーが夏休みなどの長期休暇に入れば、ハーレイも休みを取るかもしれない。
週末だけでは惜しいから、と週の半ばを休んでみるとか、連休を作って会いにゆくとか。
前の生で失くした筈のブルーに、会えるのが「普通」というのは嬉しい。
まだまだチビの子供とはいえ、同じブルーには違いない。
その魂は「ブルー」そのもの、前の生の記憶も持っているから、恋の続きをしてゆける。
青く蘇った水の星の上で、毎日のように顔を合わせて。
それは幸せな日々だけれども、もしも「出会えていなかったならば」どうだろう。
何かのはずみに「前の生での記憶」が戻って来たのに、其処にブルーが「いなかった」なら。
(…それだけは無いと思うんだがな…)
なんたって、聖痕のお蔭なんだし、とブルーとの出会いを思い返すけれど、違っていたら、と。
今のブルーと出会った途端に、前の記憶が戻って来たから、多分、そういうものだと思う。
ブルーと巡り会わない間は、記憶は戻りはしないのだろう。
(…だが、もしかしたら…)
万が一ってこともあるよな、と恐ろしい方へ考えが向く。
前の生の記憶が戻って来たのが、本当に「ただの、はずみ」だったら、ブルーは「いない」。
自分は「キャプテン・ハーレイ」だったのだ、と思い出しても、愛おしい人は「いはしない」。
単に記憶が戻っただけなら、そうなってしまう。
前の生の記憶が戻った理由が、「必然」ではなくて「偶然」だったら。
(…おいおいおい…)
それは困るぞ、と思うけれども、そうなったものは仕方ない。
いくら周りを見回してみても、「ブルー」は何処にも見当たりはしない。
(…俺だけなのか、と…)
驚き慌てて、懸命に探し回ってみたって、ブルーは「見付からない」だろう。
突然、記憶が戻って来たのが街だったなら、街中を走り回って探してみても無駄なだけ。
学校だったとしても同じで、やはりブルーは見付かりはしない。
ただの偶然で戻った記憶に、ブルーの方まで連動して来るわけはないから、当然の結果。
(第一、ブルーが同じ時代にいるのかどうかも…)
分からないぞ、と怖くなる。
同じ時代に「いない」のだったら、終生、探し続けていたって、会えないだろう。
ありとあらゆる手段を使って、どれほど「ブルー」を探しても。
「思い出してから」の生の全てを、「ブルーを探し出す」ことに費やしても。
(……うーむ……)
こいつはキツイ、とハーレイは肩を竦めてしまう。
そうした羽目に陥っていたら、どんな人生になったのだろう。
前の生での記憶が戻って、けれどブルーが「いなかった」なら。
(…忘れられれば、話は早いんだがな…)
サッサと忘れて「今の暮らし」に切り替えられれば、何もかも、きっと上手くゆく。
前の生にも、前のブルーにも「こだわらないまま」、今の生を生きてゆけたなら。
(俺はあくまで今の俺だし、前の俺なんぞは無関係だ、とバッサリと…)
切り捨てられたら、人生は楽に違いない。
平和な時代を満喫しながら、幸せに「今」を生きてゆく。
時の彼方で愛した「ブルー」を、遠い記憶の一コマに変えて、新しい人生を歩み続ける。
「ブルー」ではない人と出会って、まるで全く違う恋をして、その人と一緒に暮らし始めて。
(その内、子供が生まれて来たなら、もう、それっきり…)
ブルーなど思い出しもしなくて、前の生でのことも「忘れてゆく」のだろう。
確かに記憶が残ってはいても、他人事のように思い始めて。
「そういや、そういうこともあったな」と、ごくたまに、不意に気付く程度で。
(…そうやって生きてゆくっていうのも、アリではあるが…)
それに、その方がいいんだろうが…、とコーヒーを一口、喉の奥へと落とし込む。
今、考えたように「生きてゆく」のが、「正しい生き方」というものだろう。
ハーレイの「前の生」が誰であろうと、周りは誰も気付きはしない。
自分から「実は…」と名乗りを上げても、それが事実だと証明されても、それだけのこと。
歴史の舞台を「見て来た」存在として扱われるだけ、貴重な人材になるに過ぎない。
(インタビューやら、講演やらで忙しいだけで…)
其処に「ブルー」は「影も形も見えない」のだから、虚しく日々が過ぎてゆく。
「ブルーとの恋」も明かせはしなくて、自分の心の奥底に秘めて、きっと孤独な生涯だろう。
そうなるよりかは、いっそ「忘れた」方がいい。
「俺は、俺だ」と「今の自分」を楽しみ、新しい恋を見付ける方が。
恋の相手が女性だったなら、子供も生まれて来るだろうから、そうする方が断然、いい。
「ブルー」にこだわらないのだったら、恐らく、女性に恋をする。
前の生でも、今の生でも、「ブルー」でなければ、男性に恋はしないだろう。
好きになったのが「ブルー」だったから、恋の相手が「男性だった」という自覚はある。
だから女性と恋を始めて、前の生とは違った生を全うするのが「正しい」筈。
ブルーのことなど忘れてしまって、遠く遥かな時の彼方の「思い出」にしてしまうのが。
けれども、そうは出来ないだろう、という気がする。
たとえブルーと出会えなくても、ブルーを忘れて生きることなど出来はしない、と。
(…俺の記憶が戻って来た時、ブルーが其処にいなかったなら…)
きっと懸命に探し回って、夜遅くまで探して、探し続けるだろう。
足がすっかり棒になるまで、「もう歩けない」と思うくらいに疲れ果てるまで。
(流石に、あいつも起きちゃいないさ、っていう時間まで…)
探した後には家に帰って、次の手段を考える。
どうすれば「ブルー」を見付け出せるか、今のように熱いコーヒーを淹れて。
(尋ね人で、宇宙のあらゆる所に…)
広告を出すか、ツテを頼って「こういう人を見掛けなかったか」と、あらゆる星にばら撒くか。
どちらが人目に付き易いのか、どれが効率的なのか、と方法を幾つも考えてゆく。
夜が明けたら、端から実行に移してゆこう、と眠気覚ましに濃いコーヒーを淹れ直しもして。
(打てる手段は全部打つまで、きっと納得しやしないんだ…)
そして結果が出てくれなくても、諦めて忘れてしまいはしない。
今の生では出会えなくても、「ブルー」を忘れることなどしないで、想い続ける。
「ブルー探し」をしている間も、前のブルーを求め続けて、書店に出掛けてゆくのだろう。
今の時代は山と出ている、「前のブルー」の写真集を買い求めるために。
(最初の一冊は、きっとコレだな…)
でもって、うんと大事にするんだ、と机の引き出しを開けて視線を落とす。
其処にあるのは『追憶』というタイトルの、前のブルーの写真集。
いつも自分の日記の下に大事に仕舞って、何度も手に取り、眺めた一冊。
(…これを買っても、この一冊では終わらないんだろう…)
あいつに出会えない人生ならな、と確信に満ちた思いがある。
「ブルー」に出会えず、それでも「忘れられない」のならば、そうなるだろう。
書店にゆく度、まず向かうのは、前の自分たちが生きた時代を扱った本が並ぶ場所。
その前で長い時間を過ごして、気に入った本を買って帰ってゆく。
他に必要な本があっても、それは後回しで、まずは「ブルー」の欠片を探す。
写真集の中の「たった一枚」のために、買うことだって惜しくはない。
「ソルジャー・ブルー」の生涯を綴った本に見付けた、「たった一行」のためにでも。
何故なら、「ブルーが其処にいる」から。
探し続ける人の面影、かの人が生きた確かな証が、写真に、文の中にあるから。
(きっと一生、あいつを探して、探し続けて…)
出会えなくても、俺はあいつを忘れやしない、とコーヒーのカップを傾ける。
今の生に「ブルー」がいてくれなくても、愛おしい人は「ブルー」しかいない。
ブルー以外を愛せはしなくて、生涯、ブルーを愛し続ける。
いつかブルーに出会えはしないか、何処へ行っても、まずはブルーを探すことから。
「いない」と諦めてしまいはしないで、息を引き取る、その瞬間まで。
(…本当に、きっと、そうなんだろうな…)
幸い、あいつに会えたんだが、と思うものだから、今の幸せを噛み締めていたい。
今日のように会えない日もあるけれども、ブルーは確かに「いてくれる」から。
出会えないままで終わる生とは違って、いずれは一緒に暮らせるから。
(…そうさ、あいつに出会えなくても、俺はあいつを…)
愛し続けて終わるんだしな、と幸せが胸に満ちてゆく。
「ブルー」だけしか愛せないから、今の人生は、順風満帆。
たとえ会えない日が続いたって、生涯、ブルーを探し続けて終わる生ではないのだから…。
出会えなくても・了
※前の生の記憶が戻っても、ブルー君に出会えなかったら、と考えてみたハーレイ先生。
ブルー君以外は愛せそうになくて、生涯、探し続けていそう。出会えて良かったですよねv
きっと明日には会える筈さ、とハーレイが思い浮かべた恋人の顔。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それをお供に。
遠く遥かな時の彼方で、前の自分が愛した人と、青い地球の上で、また巡り会えた。
今ではブルーと会うのは日常、会えない日の方が珍しい。
キスさえ交わすことが出来ない、十四歳にしかならないブルーだけれども、愛おしい。
(あいつに会えれば、もうそれだけで…)
俺は満足なんだよな、と心から思う。
ブルーの姿を、学校の中でチラリと遠くから眺めただけでも、それでいい。
それを「会えた」と言うかはともかく、ブルーが「其処にいれば」いい。
前の自分は、前のブルーを失くしてしまって、深い悲しみの底で生き続けた。
ブルーが残した言葉を守って、白いシャングリラを、仲間たちを地球まで運ばねば、と。
(あの頃に比べりゃ、あいつに会えない日があったって…)
文句なんかは言えやしないぞ、と分かっているから、今日も前向きに考える。
明日にはブルーに会えるだろうし、明日が駄目でも明後日がある、と。
(…しかしだな…)
すっかり習慣になっちまった、と自分でも少し可笑しくなる。
チビの恋人に「会う」というのが、今のハーレイの「日常」の一部。
ブルーに会えずに終わってしまえば、その日は「普通ではなかった」日になる。
「本当だったら、会えたんだがな」と考えて、惜しくなったりもする。
(…いったい、いつから、そうなったんだか…)
考えるまでもないんだがな、と答えは最初から明らかだった。
今のブルーと再会してから、こういう日々が始まった。
ブルーは、ハーレイが教師を務める学校の生徒で、職場でも会えるわけだから。
(俺の職場が違っていたなら、多少、事情は変わったろうが…)
それでも同じに「ブルーに会う」のが、普通になっていただろう。
毎日は無理な仕事だったら、休日は会いに出掛けてゆく、といった具合に。
週末だけしか会えないとしても、それは立派に「日常」と言える。
「週末は、ブルーに会いに行く」という習慣が出来て、それを実行してゆく暮らし。
貴重な週末が仕事で潰れてしまわないよう、きっと毎日、気を配る。
ブルーが夏休みなどの長期休暇に入れば、ハーレイも休みを取るかもしれない。
週末だけでは惜しいから、と週の半ばを休んでみるとか、連休を作って会いにゆくとか。
前の生で失くした筈のブルーに、会えるのが「普通」というのは嬉しい。
まだまだチビの子供とはいえ、同じブルーには違いない。
その魂は「ブルー」そのもの、前の生の記憶も持っているから、恋の続きをしてゆける。
青く蘇った水の星の上で、毎日のように顔を合わせて。
それは幸せな日々だけれども、もしも「出会えていなかったならば」どうだろう。
何かのはずみに「前の生での記憶」が戻って来たのに、其処にブルーが「いなかった」なら。
(…それだけは無いと思うんだがな…)
なんたって、聖痕のお蔭なんだし、とブルーとの出会いを思い返すけれど、違っていたら、と。
今のブルーと出会った途端に、前の記憶が戻って来たから、多分、そういうものだと思う。
ブルーと巡り会わない間は、記憶は戻りはしないのだろう。
(…だが、もしかしたら…)
万が一ってこともあるよな、と恐ろしい方へ考えが向く。
前の生の記憶が戻って来たのが、本当に「ただの、はずみ」だったら、ブルーは「いない」。
自分は「キャプテン・ハーレイ」だったのだ、と思い出しても、愛おしい人は「いはしない」。
単に記憶が戻っただけなら、そうなってしまう。
前の生の記憶が戻った理由が、「必然」ではなくて「偶然」だったら。
(…おいおいおい…)
それは困るぞ、と思うけれども、そうなったものは仕方ない。
いくら周りを見回してみても、「ブルー」は何処にも見当たりはしない。
(…俺だけなのか、と…)
驚き慌てて、懸命に探し回ってみたって、ブルーは「見付からない」だろう。
突然、記憶が戻って来たのが街だったなら、街中を走り回って探してみても無駄なだけ。
学校だったとしても同じで、やはりブルーは見付かりはしない。
ただの偶然で戻った記憶に、ブルーの方まで連動して来るわけはないから、当然の結果。
(第一、ブルーが同じ時代にいるのかどうかも…)
分からないぞ、と怖くなる。
同じ時代に「いない」のだったら、終生、探し続けていたって、会えないだろう。
ありとあらゆる手段を使って、どれほど「ブルー」を探しても。
「思い出してから」の生の全てを、「ブルーを探し出す」ことに費やしても。
(……うーむ……)
こいつはキツイ、とハーレイは肩を竦めてしまう。
そうした羽目に陥っていたら、どんな人生になったのだろう。
前の生での記憶が戻って、けれどブルーが「いなかった」なら。
(…忘れられれば、話は早いんだがな…)
サッサと忘れて「今の暮らし」に切り替えられれば、何もかも、きっと上手くゆく。
前の生にも、前のブルーにも「こだわらないまま」、今の生を生きてゆけたなら。
(俺はあくまで今の俺だし、前の俺なんぞは無関係だ、とバッサリと…)
切り捨てられたら、人生は楽に違いない。
平和な時代を満喫しながら、幸せに「今」を生きてゆく。
時の彼方で愛した「ブルー」を、遠い記憶の一コマに変えて、新しい人生を歩み続ける。
「ブルー」ではない人と出会って、まるで全く違う恋をして、その人と一緒に暮らし始めて。
(その内、子供が生まれて来たなら、もう、それっきり…)
ブルーなど思い出しもしなくて、前の生でのことも「忘れてゆく」のだろう。
確かに記憶が残ってはいても、他人事のように思い始めて。
「そういや、そういうこともあったな」と、ごくたまに、不意に気付く程度で。
(…そうやって生きてゆくっていうのも、アリではあるが…)
それに、その方がいいんだろうが…、とコーヒーを一口、喉の奥へと落とし込む。
今、考えたように「生きてゆく」のが、「正しい生き方」というものだろう。
ハーレイの「前の生」が誰であろうと、周りは誰も気付きはしない。
自分から「実は…」と名乗りを上げても、それが事実だと証明されても、それだけのこと。
歴史の舞台を「見て来た」存在として扱われるだけ、貴重な人材になるに過ぎない。
(インタビューやら、講演やらで忙しいだけで…)
其処に「ブルー」は「影も形も見えない」のだから、虚しく日々が過ぎてゆく。
「ブルーとの恋」も明かせはしなくて、自分の心の奥底に秘めて、きっと孤独な生涯だろう。
そうなるよりかは、いっそ「忘れた」方がいい。
「俺は、俺だ」と「今の自分」を楽しみ、新しい恋を見付ける方が。
恋の相手が女性だったなら、子供も生まれて来るだろうから、そうする方が断然、いい。
「ブルー」にこだわらないのだったら、恐らく、女性に恋をする。
前の生でも、今の生でも、「ブルー」でなければ、男性に恋はしないだろう。
好きになったのが「ブルー」だったから、恋の相手が「男性だった」という自覚はある。
だから女性と恋を始めて、前の生とは違った生を全うするのが「正しい」筈。
ブルーのことなど忘れてしまって、遠く遥かな時の彼方の「思い出」にしてしまうのが。
けれども、そうは出来ないだろう、という気がする。
たとえブルーと出会えなくても、ブルーを忘れて生きることなど出来はしない、と。
(…俺の記憶が戻って来た時、ブルーが其処にいなかったなら…)
きっと懸命に探し回って、夜遅くまで探して、探し続けるだろう。
足がすっかり棒になるまで、「もう歩けない」と思うくらいに疲れ果てるまで。
(流石に、あいつも起きちゃいないさ、っていう時間まで…)
探した後には家に帰って、次の手段を考える。
どうすれば「ブルー」を見付け出せるか、今のように熱いコーヒーを淹れて。
(尋ね人で、宇宙のあらゆる所に…)
広告を出すか、ツテを頼って「こういう人を見掛けなかったか」と、あらゆる星にばら撒くか。
どちらが人目に付き易いのか、どれが効率的なのか、と方法を幾つも考えてゆく。
夜が明けたら、端から実行に移してゆこう、と眠気覚ましに濃いコーヒーを淹れ直しもして。
(打てる手段は全部打つまで、きっと納得しやしないんだ…)
そして結果が出てくれなくても、諦めて忘れてしまいはしない。
今の生では出会えなくても、「ブルー」を忘れることなどしないで、想い続ける。
「ブルー探し」をしている間も、前のブルーを求め続けて、書店に出掛けてゆくのだろう。
今の時代は山と出ている、「前のブルー」の写真集を買い求めるために。
(最初の一冊は、きっとコレだな…)
でもって、うんと大事にするんだ、と机の引き出しを開けて視線を落とす。
其処にあるのは『追憶』というタイトルの、前のブルーの写真集。
いつも自分の日記の下に大事に仕舞って、何度も手に取り、眺めた一冊。
(…これを買っても、この一冊では終わらないんだろう…)
あいつに出会えない人生ならな、と確信に満ちた思いがある。
「ブルー」に出会えず、それでも「忘れられない」のならば、そうなるだろう。
書店にゆく度、まず向かうのは、前の自分たちが生きた時代を扱った本が並ぶ場所。
その前で長い時間を過ごして、気に入った本を買って帰ってゆく。
他に必要な本があっても、それは後回しで、まずは「ブルー」の欠片を探す。
写真集の中の「たった一枚」のために、買うことだって惜しくはない。
「ソルジャー・ブルー」の生涯を綴った本に見付けた、「たった一行」のためにでも。
何故なら、「ブルーが其処にいる」から。
探し続ける人の面影、かの人が生きた確かな証が、写真に、文の中にあるから。
(きっと一生、あいつを探して、探し続けて…)
出会えなくても、俺はあいつを忘れやしない、とコーヒーのカップを傾ける。
今の生に「ブルー」がいてくれなくても、愛おしい人は「ブルー」しかいない。
ブルー以外を愛せはしなくて、生涯、ブルーを愛し続ける。
いつかブルーに出会えはしないか、何処へ行っても、まずはブルーを探すことから。
「いない」と諦めてしまいはしないで、息を引き取る、その瞬間まで。
(…本当に、きっと、そうなんだろうな…)
幸い、あいつに会えたんだが、と思うものだから、今の幸せを噛み締めていたい。
今日のように会えない日もあるけれども、ブルーは確かに「いてくれる」から。
出会えないままで終わる生とは違って、いずれは一緒に暮らせるから。
(…そうさ、あいつに出会えなくても、俺はあいつを…)
愛し続けて終わるんだしな、と幸せが胸に満ちてゆく。
「ブルー」だけしか愛せないから、今の人生は、順風満帆。
たとえ会えない日が続いたって、生涯、ブルーを探し続けて終わる生ではないのだから…。
出会えなくても・了
※前の生の記憶が戻っても、ブルー君に出会えなかったら、と考えてみたハーレイ先生。
ブルー君以外は愛せそうになくて、生涯、探し続けていそう。出会えて良かったですよねv
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