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避けられたなら
「…ックション!」
 クシャン、とハーレイの口から、立て続けにクシャミが飛び出した。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で寛いでいた真っ最中。
 幸いなことに、コーヒーが零れはしなかった。
 丁度、机に置いた所で、いきなり揺れはしなかったから。
「おっと、危ない…」
 危うく零すトコだった、と愛用のマグカップを眺める間に、次のクシャミは出なかった。
 どうやら二つで収まったらしく、鼻や喉にも違和感は無い。
「よし、二つだったら大丈夫だな」
 三つ出たなら風邪だと言うが…、とハーレイはホッとした。
 そろそろ風邪の季節が近いし、気を付けないと、と気を引き締める。
 ウッカリ引いてしまおうものなら、何かと厄介になるのが風邪というもの。
(仕事だけなら、マスクで出掛けて、なんとかなるが…)
 そうそう熱は出ないからな、と体力には充分、自信があった。
 学生時代に風邪を引いても、自宅でトレーニングを欠かさなかったほど、丈夫ではある。
 しかし「自宅で」というのがポイント、いつものように練習に行けはしなかった。
 他の仲間に風邪をうつしたら、迷惑をかけてしまうことが確実なのだし、行ってはいけない。
 試合を控えている者もいれば、大事な試験や選考が近い者たちもいたのだから。
(風邪を引いたら、実力を発揮出来ない上に、場合によっては門前払いで…)
 試合とかに出られなくなっちまうんだ、と昔の自分を思い出す。
 そうした仲間にうつさないよう、トレーニング出来る体力はあっても、あくまで家で。
 家の中でストレッチや筋トレをしたり、外気に晒される広い公園まで走りに行ったり、と。
(…今でも、それでいけるんだがなあ…)
 柔道部の指導はマスクをつけて、生徒から距離を取りさえすれば、問題は無い。
 授業も同じで、教室の中ではマスクを外さず、クシャミの飛沫を飛ばさなければ、うつさない。
 今までの教師生活はずっと、それで乗り切って来たのだけれど…。
(問題は、あいつなんだよなあ…)
 うつしちまったら大惨事だぞ、と小さなブルーを頭の中に思い浮かべる。
 前の生でもブルーは身体が弱かったけれど、今度も虚弱に生まれてしまった。
 風邪など引いてしまったが最後、一週間ほどは学校を休まなければならないだろう。
(なんと言っても、この俺がだ…)
 引いちまうほどの風邪なんだしな、と考えただけで恐ろしい。
 生半可な風邪のウイルスではなく、相当、強いに違いない。
 元気な柔道部員が引いても、三日くらいは欠席しそうなほどに。


 そういう風邪を引いた身体で、ブルーの家には、とても行けない。
 学生時代の比ではないほど、距離を取らねばならないだろう。
(ブルーのクラスで授業はしても、その後は…)
 長居をしないで、急いで廊下に出なければ。
 教室よりかは廊下の方が、空気の通りがいい場所ではある。
 学校の空調は万全とはいえ、やはり安心材料が欲しい。
 換気が出来ていればいるほど、感染のリスクは下がるのだから。
(でもって、廊下に出た後も…)
 質問をしたい生徒たちとの会話が済んだら、サッサと引き揚げてしまうのがいい。
 でないと、ついつい、他の生徒と話が弾んで、学校が終わってしまった後で…。
(家に帰ったブルーがションボリ、肩を落として泣きそうな顔で…)
 俺と話が出来なかったと嘆くんだ、と分かっているから、長居は禁物。
 他の生徒たちがハーレイを囲んでいる時、ブルーはいつでも、遠慮がちにしているものだから。
(俺が風邪さえ引いていなけりゃ、部活が終わった後でだな…)
 ブルーの家に寄れば問題無いのだけれども、風邪を引いた身では、そうはいかない。
 虚弱なブルーにうつさないよう、真っ直ぐ自分の家に帰って、風邪を治す努力を重ねるだけ。
(体力をつけて治すしかないのに、体力自慢の俺ではなあ…)
 これ以上、どうすればいいんだか、と溜息が零れそうになる。
 「風邪に効く」という食事や飲み物、それを取り入れて、自然に治ってくれる時まで…。
(待つしかないのが、辛いんだが…)
 ブルーの方は、もっと辛いな、と容易に想像がつく。
 「ハーレイが来ない」理由が何か、ブルーが気付かないわけがなくても、心は違う。
 頭では理解出来ていたって、気持ちは、そうそう、ついてゆかない。
(…今日はハーレイと話せてないよ、と落ち込んじまって、涙ぐんだりしそうだし…)
 他の生徒と歓談するのは禁止だ、禁止、と自分自身に言い聞かせる。
 「風邪を引いちまってマスクになったら、授業の後には、サッサと引き揚げて来るべきだ」と。
 ブルーにうつしてしまわないよう、距離を取るのが「ブルーのため」。
 それは間違いないのだけれども、きっと、ブルーは…。
(俺に避けられたような気分になってしまって、毎日、うんと落ち込んで…)
 ポロポロ泣いたりするんだろうな、と思うものだから、風邪を引くのは遠慮しておきたい。
 これからの季節は予防に努めて、柔道部の生徒や同僚が引いてしまった時にも、要注意。
(同じ空気を吸った以上は、食ったり、飲んだりする前に…)
 ウガイと手洗いは欠かせないな、と肝に銘じる。
 以前だったら、そこまで神経質になる必要は無かった暮らしだけれども、今では違う。
 虚弱なブルーに出会ったからには、全力でブルーを守らなければ。
 風邪のウイルスからはもちろん、ブルーの繊細な心の方も。


(迂闊に引いてしまおうモンなら、ブルーも気落ちしちまって…)
 気分が落ち込んでしまった時には、抵抗力なども落ちてしまって、ブルーの身まで危険になる。
 ハーレイが引いたのとは違うウイルスを、何処かで貰ってしまうとか。
(学校って所は、そういう意味では危ないからなあ…)
 まさにウイルス天国なんだ、と長い教師生活でよく知っている。
 風邪でなくても、「感染する」病気に誰かが罹れば、巻き添えの生徒が出たりする。
 最初に休んだ生徒の欠席届が出てから、一人、二人と休んだりして。
(机が隣り合わせだったとか、一緒に昼飯を食ったとか…)
 原因が「普段の学校生活」だけに、完全に防ぐ手立てなど無い。
 その学校に「虚弱なブルー」が通うのだから、抵抗力が落ちていたなら、ひとたまりもなく…。
(罹っちまって、欠席届で…)
 ハーレイの風邪が治った頃にも、ブルーは休んでいるかもしれない。
 学校に来られる体力は無くて、家のベッドで本を読んだりしているだけで。
(本を読める程度になっているなら、マスクにお別れした俺が…)
 見舞いに出掛けて、前のブルーの好物だった野菜スープを作ってやれるし、話も出来る。
 けれど、すっかり寝込んだままなら、それもままならないかもしれない。
(お母さんに見舞いの品を届けて、玄関先で失礼するしかないかもなあ…)
 そうなっちまったら、何日くらい会えないんだか…、と背筋が冷たくなりそう。
 ハーレイでさえも寂しくなるほど、長い間の「ブルーに会えない」期間。
 ブルーの方では、それどころではないだろう。
 目を覚ます度にキョロキョロ見回し、「ハーレイ先生、来てくれた?」と母に訊くのだろうか。
 「お見舞いを持って来てくれたんなら、どうして起こしてくれなかったの?」と。
 窓から顔を眺めるだけでも良かったのに、と残念そうなブルーの姿が見える気がする。
 ベッドから起きるのが精一杯の身体のくせに、貼ってでも窓辺に行きそうなブルー。
 「此処にいるよ」と、ハーレイに向かって手を振りたくて。
 見舞いの品が何か、まだブルーには分からなくても、「持って来てくれてありがとう」と。
(……そうなっちまうのは、勘弁願いたいからなあ……)
 ブルーも俺も、と肩を竦めて、「用心しろよ」と自分に言い聞かせる。
 「さっきのクシャミは違ったようだが、たまたま幸運だったに過ぎん」と。
 本当に風邪を貰っていたなら、明日からの日々は、今、考えていた通りになっていただろう。
 マスクをつけて学校に出掛けて、帰りもブルーの家には寄れない。
 ブルーの身体の安全のために、ブルーと暫く、距離を置く。
 そうする間のブルーの心は、寂しさ一杯、避けられたような気持ちになるだろうけれど。
 「ぼく、ハーレイに避けられちゃってるみたいな感じ…」と、毎日、溜息ばかりで。


 そいつはマズイ、と承知しているから、風邪に気を付けて過ごさねば、と心から思う。
 学生時代の自分以上に、「今の自分」は「風邪を引いたら、大変」らしい。
(…ブルーの心を傷付けちまって、抵抗力まで落としちまうし…)
 風邪など引くんじゃないぞ、ハーレイ、と自分自身を叱咤していて、ふと考えた。
 「これが逆だと、どうなんだかな?」と。
 自分が「ブルーを避ける」のではなく、ブルーの方が「ハーレイを避ける」。
 そんなことなど、まず有り得ないし、前の生でも一度も無かった。
 けれど、この先、長い長い時を、ブルーと一緒に生きてゆく。
 シャングリラという狭い世界とは違う、青く蘇った水の星の上で、二人で暮らす。
 前の生では思いもよらない、とんでもない事態に見舞われることもあるだろう。
 命が危ないわけではなくて、もっと平和なトラブルの類。
(…そういや、俺たちが住んでる地域には、いない動物で…)
 だが、当たり前にいる地域もある凄いのが…、とハーレイの頭に浮かんで来た。
 前の生でも耳にしていた、とても迷惑らしい生き物。
(…スカンクってヤツが、家の庭に住み着いちまってて…)
 此処は自分の縄張りなんだ、と主張することが頻繁にあるらしい。
 他人様の家の庭に住んでいるくせに、庭の持ち主が知らずに巣などに近付いたなら…。
(あっちに行け、と臭いオナラを…)
 遠慮なくお見舞いするらしいよな、と今の生でも聞いている。
 今の地球では、スカンクがいる地域だったら、その手の事件は珍しくもない。
 そしてスカンクに、一発、オナラをお見舞いされたら…。
(うんと臭くて、服を着替えても、風呂に入っても、まるで匂いが取れなくて…)
 ケチャップで洗うといいらしい、などのアイデアが披露されている。
 今の時代は、もっとよく効く消臭剤もあるのだけれども、使う人間は殆どいない。
 「スカンクに一発、お見舞いされる」のは、地球が昔の姿に戻った証拠。
 全身、臭くなってしまっていたって、庭の持ち主は許してしまう。
 「家の庭でスカンクが暮らしているのは、いい庭だからこそなんだ」と、自慢もして。
 そうは言っても、臭いことには違いないから、この家の庭に…。
(スカンクが住んでて、俺が一発お見舞いされたら、すっかり臭くなっちまって、だ…)
 流石のブルーも逃げるかもな、と愉快な気分になって来た。
 もしもスカンクにやられてしまって、ブルーに「臭い!」と避けられたなら…。
(追い掛けて行って、捕まえるのも素敵じゃないか)
 避けていないで、お前も仲間になろう、とスカンクの匂いを分けてやるために。
 「風邪のウイルスとかはダメだが、匂いは問題無いだろうが」と、ギュッと抱き締めて。
 ブルーが必死に逃げようとするのも、きっと最高に楽しいだろう。
 前の生では一度も無かった、「ブルーに避けられる」という事態も、きっと…。



            避けられたなら・了


※ハーレイ先生が風邪を引いたら、ブルー君とは距離を取るしかない現実。うつしたら大変。
 避けているように見えるのですけど、ブルー君の方が避ける事態も、今の地球ならありそうv









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