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秘密にするなら
(今日は、会えずに終わっちまったなあ…)
 お互い、運が無かったってな、とハーレイが思い浮かべた恋人の顔。
 ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
 愛用のマグカップに淹れた熱いコーヒー、それが温かな湯気を立てている。
 ゆったりと椅子に腰を下ろして、寛ぎの時間なのだけれども、ブルーの方はどうだろう。
 遅い時間になったとはいえ、今も膨れているかもしれない。
 「今日はハーレイに会えなかったよ」と、パジャマ姿でベッドの縁に座って。
(膨れていないで、早く寝ろよ?)
 寝ていてくれると嬉しいんだが、とブルーの弱い身体を気遣わずにはいられない。
 今のブルーも前と同じに、虚弱な身体に生まれてしまった。
 膨れっ面も、「会えなかったよ」とぼやく姿も可愛いとはいえ、夜更かしは良くない。
 身体を冷やせば風邪を引くだろうし、そうでなくても体力を削られてしまう。
(…なあ、そうだろう?)
 お前だって、そう思うよな、とハーレイは机の引き出しを開けた。
 其処には日記が入れてあるけれど、日記の下に、そっと仕舞ってある写真集。
(……お前も頑固だったんだがなあ……)
 今のお前も、負けていないな、と、その写真集を取り出した。
 『追憶』というタイトルがつけられた、それ。
 表紙に刷られた、前のブルーの一番有名な写真。
(これがお前の本当の顔で…)
 誰にも見せやしなかったが、と今も鮮やかに思い出すことが出来る。
 正面を向いたブルーの赤い瞳の奥には、憂いと悲しみの色が秘められていた。
 前のブルーが、前のハーレイの前でだけ見せた表情。
 遠く遥かな時の彼方で、こういう写真を必死に探した。
 前のブルーを失った後で、データベースを端から掘り返すようにして。
(…なのに、どうしても見付けられなくて…)
 断念せざるを得なかったのに、後世の誰かが「それ」を見付けた。
 恐らく、残されたブルーの映像の中から、この表情に気付いたのだろう。
 「これだ」と、前のブルーの心を見抜いて、その一瞬を切り取った。
 「これこそ、ソルジャー・ブルーなのだ」と、「ソルジャーの顔ではない」本当の顔を。


 今では一番有名になった、その写真。
 それが表紙になっている本も、また多い。
 『追憶』もそういう中の一冊だけれど、選んで買って来た写真集。
 すっかり宝物になっている本、毎晩、日記を布団代わりに掛けてやる。
 前のブルーが寂しくないよう、温かく包み込むように。
 日記の下なら、「ハーレイと一緒にいる」のと変わらないだろう、と思っているから。
(お前も、寂しがり屋だったんだが…)
 今のお前も同じだよな、と写真集を机に置いて、心の中で前のブルーに語り掛ける。
 表紙に刷られた写真と向き合い、まるでブルーがいるかのように。
(お前からも言ってやってくれよな、夜更かししないで寝ろ、ってな)
 でないと風邪を引いちまうから、と前のブルーに頼み込む。
 「俺には、どうにも出来やしないし」と、「お前は、お前なんだから」と。
 とはいえ、自分でも分かってはいる。
 「前のブルー」は、そっくりそのまま、「今のブルー」だという事実。
 いくら「前のブルー」に頼み込んでも、それは「今のブルー」に届きはしない。
 全く同じ魂なのだし、写真は「ただの写真」でしかなくて、言わば幻影のようなもの。
 無駄だと分かっているのだけれども、時々、こうして話し掛けてしまう。
 「前のブルー」が、此処にいるような気持ちになって。
 時の彼方で失くした恋人、その人が今も、写真を通して、こちらを見詰めているようで。
(…そうじゃないって、百も千も承知なんだがなあ…)
 どうにも駄目だ、とハーレイは苦笑し、コーヒーのカップを傾けた。
 「この癖は、治りそうもない」と。
 いつか治る日が来るのだろうか、それとも一生モノなのだろうか。
(……さてなあ……?)
 今のブルーが前のブルーと同じ姿になった時には、あるいは治るのかもしれない。
 失くしたブルーが、あの頃と全く同じ姿で、側にいるようになるわけだから。
(その時には、嫁に来てくれるわけで…)
 二度と失くしはしないわけだし、「前のブルー」の面影を探し求める必要は無くなる。
 いつでも同じ顔を見られて、同じ声を聞ける日々が来るのだから。
 そうなったならば、この写真集を引っ張り出さなくても…。


(前のあいつに会えるんだしな?)
 きっと、この癖も治るだろう、と思う一方、治らないような気もしている。
 生まれ変わって来た今のブルーは、幸せ一杯に育ったブルー。
 『追憶』の表紙に刷られた表情、それと同じ瞳を見せる時など、永遠に来ない。
 悲しみも憂いも、前のブルーの味わったものとは、まるで全く違うから。
 せいぜい「ハーレイに会えなかったよ」程度で、前のブルーのそれとは重さが違いすぎる。
(…この表情を、俺が今のブルーで見ることは…)
 本当に永遠に無いんだよな、と思うからこそ、「この癖は治らないかもな」と感じている。
 前のブルーを想い続ける、この気持ちもまた、本物だから。
 どんなに「今のブルー」がいようと、この想いは消えてくれそうもない。
(…百年くらい、一緒に暮らせば…)
 治ってくれるかもしれないけれども、それまでは、きっと「前のブルー」を追い続ける。
 何かのはずみに、この写真集を取り出して。
 今夜みたいに、「お前だったら、どう思う?」などと「ブルー」に尋ねたりもして。
(例えば、あいつと喧嘩しちまって…)
 膨れっ面になったブルーが、「ぼくは一人で寝るからね!」とバンと扉を閉めたような夜。
 締め出しを食らって寝室に入れず、すごすごと書斎に来るしか道が無かった時。
 そうした夜には、この引き出しを開けることだろう。
 写真集を取り出し、前のブルーに向かって愚痴を零してしまうと思う。
 「流石、あいつもお前だよな」と、「今夜は放り出されちまった」と、コーヒー片手に。
(なんて頑固なヤツなんだ、と…)
 当の「ブルー」を相手に嘆いて、寝場所を失った惨めな自分の姿を披露して笑うことだろう。
 「見てくれ、俺はこのザマなんだ」と、「全部、お前がやったんだぞ?」と。
(お前からも、ちょっと、とりなしてくれ、と頼んだりして…)
 前のブルーに頭を下げたら、寝室の扉も開いてくれるかもしれない。
 なにしろ同じ「ブルー」なのだし、魂が何処かで共鳴して。
(…ところが、どっこい…)
 生憎と「ブルー」の魂は一つ、今のブルーが持っている以上、そんな救いは来はしない。
 哀れなハーレイの心の中では、「前のブルー」が同情をしてくれたって。
 「今夜は、ぼくと話して過ごそう」と、優しい言葉が聞こえたように思えたとしても。
 本物のブルーは寝室に籠って、プンスカと怒り続けたまま。
 「朝まで開けてやらないんだから」と、「今夜は、書斎かソファで寝たら?」と。


(…そんな夜には、やっぱり、こいつに…)
 愚痴を聞いて貰うのが一番だよな、とハーレイは『追憶』の表紙を指でトントンと叩く。
 「お前は、俺といてくれるしな」と、「いつまでも、俺と一緒なんだ」と、微笑み掛けて。
 ただの写真で幻影だろうと、「前のブルー」は何処へも行かない。
 本は歩いて逃げたりしないし、ハーレイを締め出すことだってしない。
 「いつだって、俺が望みさえすれば会えるんだしな」と、思った所でハタと気付いた。
 寝室から「ハーレイ」を締め出しそうな、前と同じに頑固なブルー。
 今のブルーと結婚したなら、ブルーは書斎にも出入りする。
 「ねえ、何の本を読んでいるの?」と、背後から覗きもすることだろう。
 そうなった時は、今、机の上に置いている『追憶』も…。
(どうして、こんな写真集なんかを持ってるの、って…)
 今のブルーは興味津々、ブルーがそれを見付けた途端に、質問攻めに遭うに違いない。
 何故、買ったのか、いつからあるのか、どうして普段は出ていないのか、と。
(…俺の愛読書は多いとはいえ、どれも本棚に並んでて…)
 引き出しの中が定位置の本など、一冊も無いという現実がある。
 気が向いた時に本棚からヒョイと手に取り、机に持って行って読むのが「ハーレイ流」。
 それが気に入りの読書のスタイル、ブルーも、じきに覚えるだろう。
 「また、その本? それって、そんなに面白い?」などと笑って、肩越しに読んでみたりして。
 時には、読書の邪魔をしないようにと、コーヒーだけ置いて去ってゆくことも。
(そんな具合に、俺のスタイルを覚えられちまった後にだな…)
 この『追憶』がブルーに見付かったならば、大変なことになるかもしれない。
 「どうして、これだけ」と、「引き出しの中って、宝物なの?」とブルーが怒り始めて。
 必死に言い訳してみたところで、ブルーが聞く耳を持つ筈もない。
 何故なら、今のブルーときたら…。
(…前の自分に嫉妬するんだ…)
 まるで銀色の子猫みたいに、鏡に映った自分に向かって、フーフーと毛を逆立てて。
 「こいつなんかは、大っ嫌いだ!」と、膨れっ面になって、プンスカ怒って。
 そうやって嫉妬していた日々が、ブルーの中で蘇ることは間違いない。
 「ハーレイ、やっぱり、前のぼくの方が好きだったんだ!」と、チビだった頃を蒸し返す。
 おまけに、今でも写真集を大切に持って、隠しているとなったら、怒り心頭。
 「あんまりだよ!」と、「今でも、前のぼくの方が好きで大事にしているなんて!」と。


 もう確実に、「バン!」と閉まるだろう、寝室の扉。
 ブルーは其処に立て籠ったまま、何日経っても、怒りっ放しで怒りは解けない。
 御機嫌伺いにノックしたって、食事やおやつを持って行っても、扉は固く閉まったまま。
 「食事なら、其処に置いておけば?」と、不機嫌な声が投げ掛けられて。
 「お皿が空いたら出しておくから、適当な時に持ってってよ」と、取りつく島も無い有様で。
 懸命に詫びて詫び続けたって、最後には、きっとこう言われる。
 「本当に悪いと思ってるんなら、あの本、捨ててしまってよ!」と閉じた扉の向こうから。
 「ぼくなら、此処にちゃんといるでしょ」と、「あんな写真は要らないんだから!」と。
(…そう言われてもだな…!)
 前のあいつを捨てたりなんか出来るもんか、と分かっているから、溜息と共に眉間を揉んだ。
 「どうしたもんか」と、未来の自分を思い描いて。
 この本を大切に持っておきたいなら、今のブルーに見付からないよう、隠すしかない。
 隠し事などしたくないのに、そうしない限り、大戦争が勃発しそう。
(弱ったな…)
 秘密にするなら、何処に隠せばいいんだか、と書斎を見回し、とても大きな溜息をつく。
 「簡単に思い付くような場所なら、ブルーも簡単に気付くってことだぞ」と、天井を仰いで。
 「何処に秘密の場所があるんだ」と、「まあ、もっと先になってからでいいか」と。
 恋人に隠し事をするなど、考えたことも無かったから。
 どう考えても出来そうになくて、けれど、バレたら大惨事だから…。



            秘密にするなら・了


※ハーレイ先生が大切にしている、前のブルーの写真集。一人暮らしの今はいいんですけど…。
 ブルー君と一緒に暮らす時が来たら、困ってしまうことになりそう。見付かったら大変。











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