(……聖痕かあ……)
ハーレイをビックリさせちゃったよね、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
そのハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
忘れもしない五月の三日に、自分の身の上に起こった事件。
少し前から、その兆候はあったのだけれど…。
(ソルジャー・ブルーの名前を聞いたら、右目の奥が…)
ツキンと痛む感じを受けた、今の学校に入学した日。
校長先生の話に出て来た、「ソルジャー・ブルーに感謝しましょう」という言葉。
今の時代では決まり文句で、そういった時には必ず出て来る。
人間が全てミュウになった時代、SD体制が崩れた後の平和な世界。
それを築くための礎になった、大英雄が「ソルジャー・ブルー」だから。
彼の存在が無かったならば、ミュウの時代が来るのは遅れて…。
(…青い地球だって、蘇ったかどうか分からないから…)
全ての始まりになった英雄なのだ、と讃えられているソルジャー・ブルー。
(学校で勉強できるのだって、ソルジャー・ブルーのお蔭なんだ、って…)
入学式などではお決まりの挨拶、だから不思議に思わなかった。
下の学校でも何度も聞いたし、珍しくもない言葉だから。
(…だけど、ぼくには…)
自分では全く知らなかっただけで、「ソルジャー・ブルー」の魂が中に入っていた。
その魂が目覚める兆候、それが右目の奥で起こった痛み。
じきに痛みでは済まなくなって、家で勉強していた時に…。
(…ソルジャー・ブルーの名前を見たら、ズキンと痛んで…)
右目から真っ赤な涙が零れて、ノートに血の色の染みを作った。
もちろん自分も仰天したし、両親の所へ言いに行ったら、二人とも慌てふためいて…。
(…病院に連れていかれて、検査…)
なのに、異常は何処にも無かった。
それまでの経緯を聞かされた医者が、口にしたのが「聖痕」と呼ばれている現象。
あるいは、それが起こったのかも、と。
ソルジャー・ブルーが最期に受けたという傷、その傷跡が現れたのかも、と。
もしも聖痕が本物だったら、今の自分は「ソルジャー・ブルー」なのかもしれない。
生まれ変わって来た彼の魂が、身体の中に入っていて。
何かのはずみで目覚めた「それ」が、聖痕を引き起こしているのかも、と話した医者。
病院でそう聞かされた後は、とても怖くて堪らなかった。
自分が自分でなくなるようで。
「ソルジャー・ブルー」の魂が目を覚ましたならば、「自分」がいなくなるようで。
(…今のぼくは、すっかり消えてしまって…)
元はソルジャー・ブルーだった魂、それだけが残るのかもしれない。
そうなったならば、今の自分が生きた記憶も、大切なものも…。
(何もかも、全部なくなっちゃう…)
そんなの怖い、と怯えていたのに、本当に現れてしまった聖痕。
いつもと同じに学校に行った、今は記念日になった日に。
前の生から愛し続けたハーレイと、再会を遂げた五月の三日に。
(…ハーレイそっくりの先生がいるんだ、って…)
病院の医者から聞かされたけれど、まるで繋がってはいなかった。
クラスメイトが噂していた、新しく来たという古典の教師。
(前の学校で、急な欠員が出ちゃったから…)
新学期の開始より少し遅れて、赴任して来た教師がハーレイ。
けれども、クラスメイトの噂話に「ハーレイ」の名前は欠片も入っていなかったから…。
(ふうん、って思っただけだったんだよ)
新しい先生が来るんだな、と考えただけ。
まさか「ハーレイ」がやって来るとは、夢にも思っていなかった自分。
目覚めかけていた魂の方も、特に反応しなかった。
右目の奥は少しも痛まなかったし、「聖痕」なんかも忘れていた。
それなのに…。
(ハーレイが、教室に入って来た瞬間に…)
聖痕は一気に、その全貌を現した。
兆候があった右目どころか、両方の肩と左の脇腹に。
「前の自分」がメギドでキースに撃たれた、全ての箇所に。
(…誰が見たって、大怪我だよね…)
教室中に上がった悲鳴を覚えている。
ハーレイが慌てて、駆け寄って来た時の表情も。
(聖痕、とっても痛かったけど…)
痛みで意識が飛びそうだったけれど、その最中に思い出したこと。
「ハーレイなんだ」と。
倒れた自分を抱き起こしてくれた、今のハーレイの逞しい腕。
自分の中から鮮血と一緒に溢れ出して来た、前の自分の膨大な記憶。
それが「ハーレイだ」と告げていた。
またハーレイに巡り会えたと、愛おしい人と再び出会えのだ、と。
同時にハーレイの記憶も戻って、二人分の記憶が絡み合った。
「やっと会えた」と。
遠く遥かな時の彼方で引き裂かれてしまった、誰よりも大切に思った人と。
(…ハーレイも、学校の先生も、クラスのみんなも…)
うんとビックリさせちゃったけど、と自分の身体を眺めてみる。
あれきり聖痕は現れないから、その役目はもう、終わったのだろう。
今の自分と、今のハーレイとを、無事に再会させられたから。
もうお互いに離れはしなくて、何処までも一緒に生きてゆけるから。
(…ホントはちょっぴり、足りないんだけどね…)
今のぼくの背丈と、それから年が、と零した溜息。
結婚するには幼すぎる年で、前の自分より小さな身体。
お蔭で、せっかく巡り会えても、まだ二人では暮らせない。
暮らすどころか、唇へのキスもして貰えなくて、デートも断わられる始末。
なんとも悲しくて情けないけれど、我慢するしかないのだろう。
神様がくれた不思議な聖痕、それでハーレイと巡り会うことが出来たから。
今のハーレイを驚かせてしまって、学校にも迷惑をかけたけれども。
(でも、聖痕が現れたから…)
ハーレイと再会出来たんだよ、と嬉しくなる。
「神様が奇跡を起こしてくれた」と、「神様からの贈り物なんだ」と。
身体中が血に染まるだなんて、とても傍迷惑な聖痕。
それに自分も痛かった。
おまけに、聖痕を目にしたハーレイときたら…。
(キースを絶対、許さない、って…)
心の底から怒り狂っていて、今は何処にもいないキースを、今も激しく憎んでいる。
本物のキースがいないものだから、朝顔のキースに八つ当たりするほど。
(…秋朝顔の、キース・アニアン…)
ご近所さんが育てている、秋に花を咲かせる種類の朝顔。
幾つも品種があるのだけれど、ご近所さんのは「キース・アニアン」。
その花の名前を知ったハーレイは、朝顔の「キース」に復讐する気満々で…。
(…もしも垣根から顔を出したら、毟ってやる、って…)
本気かどうかは謎だけれども、ハーレイならばやりかねない。
朝顔の花をブツッと毟って、指で八つ裂きにするくらいは。
引き裂いた後はグチャグチャに潰して丸めてしまって、ポイとゴミ箱に捨てるくらいは。
(……本物のキースに、地球で会った時……)
ハーレイは何も知らなかったから、キースに挨拶したという。
メギドの中で何があったか知っていたなら、一発、お見舞いすべき所で。
(だから、ホントに憎んでて…)
復讐を果たし損ねた恨みの分まで、余計に憎くて堪らないらしい。
キースに撃たれた「ソルジャー・ブルー」は、キースを憎んでいないのに。
むしろ、キースに会えたなら…。
(話したいことが、一杯あるのに…)
それをハーレイに何度言っても、ハーレイの怒りは消えてくれない。
「あいつは、お前を撃ったんだぞ」と言うだけで。
「俺は、絶対、あいつを許さん」と、憎しみを引き摺り続けるだけで。
(……いつかは、消えると思うんだけど……)
その時が来るまで、ハーレイはキースを憎み続けて、自分自身にも怒りを向ける。
「どうして、気付かなかったんだ」と。
キースが「ブルー」に何をしたのか、知らないままで死んだ前のハーレイ。
そんな自分を「間抜けだった」と、その愚かしさを呪い続けて。
(ハーレイ、聖痕を見てしまったから…)
時の彼方で何が起きたか、今頃になって知ることになった。
メギドに飛び去った「ソルジャー・ブルー」が、どんな風に死んでいったのか。
もしも聖痕を見なかったならば、ハーレイは知らないままだったろう。
そうなればキースを憎みはしないし、自分自身に怒りを覚えることだって無い。
ソルジャー・ブルーが受けた傷跡、それを知ることは無いのだから。
「前のブルーは、メギドを沈めて死んだんだ」としか、思ってはいないわけだから。
(…ごめんね、ハーレイ…)
聖痕なんかは、無かった方が良かったのかな、と傾げた首。
あの聖痕があったからこそ、ハーレイと巡り会えたのだけれど…。
(…もしも、聖痕が無くっても…)
ちゃんと出会えていた気がするよ、と溢れる自信。
なんと言っても、ハーレイと自分なのだから。
気が遠くなるほどの時が流れても、地球の上で再会出来たのだから。
(…前のハーレイと、ぼくとの絆…)
二人の間を結ぶ絆は、とても強くて確かなもの。
たとえ聖痕が無かったとしても、お互いに巡り会えたと思う。
何処かの街角でバッタリ会うとか、公園で偶然、出会うだとか。
その瞬間に、ハーレイも自分も、互いを見付けて、互いに思い出すことだろう。
「前の自分」が何者だったか、目の前にいるのは誰なのかを。
きっと互いに、見詰め合わずにはいられない。
「本物なのか?」と。
本当に再び出会えたのかと、今度こそ、共に生きられるのかと。
(…前のぼくは、メギドで泣きじゃくったけど…)
ハーレイの温もりを失くしてしまって、右手が凍えて冷たくて泣いた。
「ハーレイとの絆が切れてしまった」と、「二度と会えない」と。
それでもこうして巡り会えたし、聖痕が無くても、何処かで必ず出会えただろう。
ならば、ハーレイにキースを憎ませ、自分自身を責めさせるような聖痕は…。
(…無かった方が良かったのかも…)
聖痕が無くっても、ぼくたちは、きっと出会えるものね、と思ったけれど。
あんな無残な傷の跡など、現れない方が平和だよね、と考えたけれど…。
(…それだと、右手が冷たくなっても…)
前の自分の悲しい最期を夢に見たりして辛くなっても、ハーレイに甘えることは出来ない。
何があったか語らなければ、ハーレイには通じないのだから。
「右手が冷たい、って…。冷やしたんだろ?」と言われるだけで、何も分かって貰えない。
前の自分の悲しい最期も、思い出すと辛くなることも。
右手が冷えてしまった時には、嫌でも蘇る悲しみのことも。
(…聖痕が無くっても、出会えそうだけど…)
やっぱり、あって正解だよね、とコクリと頷く。
今のハーレイには気の毒だけれど、今の自分は強くないから。
ソルジャー・ブルーと同じ強さを持っていたなら、一生、黙っていられたとしても。
(…ごめんね、ハーレイ…)
弱虫なぼくで、と思うけれども、ハーレイなら許してくれるだろう。
聖痕が現れなかったとしても、出会えただろう恋人だから。
二人で青い地球に生まれて、今度こそ、共に生きるのだから…。
聖痕がなくっても・了
※もしも聖痕が無かったとしても、ハーレイ先生とは出会えそうだ、と思うブルー君。
でも、前の自分の悲しかった最期は知って欲しいし、やっぱり必要。弱虫ですものねv