(今日はあいつに会えなかったな…)
残念ながら、とハーレイがフウと零した溜息。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた、コーヒー片手に。
今日は会えずに終わったブルー。
前の生から愛した恋人、生まれ変わってまた巡り会えた、愛おしい人。
会えなかったことは残念だけれど、きっと明日には…。
(うん、学校で会えるだろうさ)
学校では駄目でも、家に行くって手もあるんだし、と大きく頷く。
明日は会議の予定は無いから、仕事の帰りに寄れるだろう。
ブルーが待っている家に。
生垣に囲まれた、すっかり見慣れてしまった家へと、帰り道に車を走らせる。
真っ直ぐ家に帰るのではなく、寄り道をしに。
愛おしい人の顔を眺めに、ゆっくりと話をするために。
(…お茶と夕食を御馳走になろう、というんだし…)
なんとも厚かましい限りだけれども、それにも今では慣れてしまった。
出迎えてくれるブルーの母にも、家族のような親しみを感じているのが今。
「お邪魔します」と挨拶はしても、気持ちの方は「ただいま」に近いかもしれない。
隣町の実家に帰るのと同じで、まるで遠慮はしていないから。
(…本当に、実に厚かましいな)
しかし、あちらも、そういう具合になっているし、と苦笑する。
十四歳にしかならないブルーは、「ハーレイ先生」が大のお気に入り。
訪ねてゆく度、大歓迎で、夕食の席でもはしゃぐほど。
(ご両親の方では、俺に気を遣って…)
子供の相手ばかりでは大変だろう、と色々な話題を持ち出すけれども…。
(あいつときたら、ろくに中身が分かってなくても…)
隙あらば会話に混ざり込もう、と虎視眈々と狙っている。
「パパとママに、ハーレイを盗られちゃった」と、子供らしい独占欲に駆られて。
自分だって話に混ざりたいのに、と内心、不満たらたらで。
そういうブルーに、明日になったら会える筈。
仕事の帰りに、寄り道をすれば。
家のガレージを目指す代わりに、別の方へとハンドルを切れば。
(もう少しばかり、寄り道ってのも…)
ひょっとしたら、あるかもしれないな、とコーヒーのカップを傾ける。
今の時点では、そんな予定は無いけれど…。
(なにしろ、明日まで、まだたっぷりと…)
時間があると来たもんだ、と時計を眺めて折ってゆく指。
明日の朝までには、まだ何時間、と。
ついでに仕事が終わるまでには、もう何時間ある勘定なのか、と。
(…丸一日とまでは、いかないんだが…)
半日以上は優にあるから、これから思い出すかもしれない。
前のブルーと過ごした時代の、とても懐かしい思い出を。
今は記憶の底に沈んで、すっかり忘れていることを。
(…そいつを、ヒョイと思い出したら…)
ブルーの家へと出掛ける前に、寄り道することもあるだろう。
ひょっこり戻った記憶の欠片に、何か食べ物でも絡んでいれば。
何処にでもある食料品店、其処で簡単に手に入る品が、それならば。
(こればっかりは、流石の俺にも…)
読めないんだよな、と思う、記憶の不意打ち。
今日までに何度も体験して来て、食料品店にも何度も寄った。
「こいつを買って行かないとな」と、お目当ての品を手に入れに。
小さなブルーに「懐かしいだろ?」と、思い出話をするために。
(はてさて、明日はどうなることやら…)
寄り道する先が一つ増えるのか、それとも真っ直ぐ、ブルーの家か。
それは全く読めないけれども、ブルーの家には行けるだろう。
会議の予定は無いのだから。
柔道部だって、余程でなければ、長引くことなど有り得ないから。
よし、と頭に思い描くのは「明日」のこと。
寄り道する先が一つ増えるか、あるいは真っ直ぐ、ブルーの家か、と。
(一つ増えれば、楽しいんだがな…)
あいつの喜ぶ顔も見られる、と思い出話の切っ掛けに期待するけれど。
何かを思い出しはしないか、胸を弾ませて考えるけれど…。
(そうそう上手くはいかないもんだ)
運なんだよな、と分かってはいる。
記憶の底に沈んだ欠片を、拾えるかどうかは運次第。
まるで川底の砂を掬い上げて、その中から砂金を探すみたいに。
(砂金もそうだし、宝石ってヤツも…)
場所によっては、そうやって探すモンらしいしな、と思うくらいに、本当に、運。
ツイていたなら、最初に掬った砂の中から、砂金の粒が採れるだろう。
宝石だって、コロンと混じっているのだと思う。
けれども、ツイていない時には、たとえ何日、掬い続けようと…。
(砂金も採れなきゃ、宝石だって…)
全く採れずに、ただ努力だけが空回り。
記憶の欠片を拾い上げるのも、そういう作業に何処か似ている。
だから、どんなに思い出そうとしてみても…。
(…俺には、どうにもならないってな)
お手上げなんだ、と軽く両手を広げた。
今夜は思い出せそうにない、と記憶の欠片は諦めて。
明日の寄り道はブルーの家だけ、きっとそうなるに違いない、と。
(だがまあ、あいつの家には行けるし…)
小さなブルーの顔を見られれば、もうそれだけで充分ではある。
思い出話の欠片は無しでも、愛おしい人に会えるから。
今日は会えずに終わった恋人、その人と話が出来るのだから。
(厚かましく、お邪魔しちまって…)
ブルーの部屋で、お茶とお菓子を御馳走になって。
二人きりでゆっくり話した後には、両親も交えた夕食の席で。
きっと会話が弾むだろうから、それだけでいい。
記憶の欠片は拾えなくても、寄り道する先が増えなくても。
(うん、充分に幸せだってな)
明日になるのが楽しみだ、とカチンと弾いたマグカップの縁。
あと何時間か過ぎた後には、明日という日がやって来る。
コーヒーを飲み終えて、片付けしてから、ベッドに入って、ぐっすり寝れば。
夜が明けたら、明日が来るから、ブルーの家に出掛けるまでに…。
(運が良ければ、何かを思い出すかもなあ…)
ツイていればな、と白いシャングリラを思い浮かべる。
あの船で起こったことでもいいし、改造する前の船でもいい、と。
何か記憶の欠片を拾って、寄り道の先が一つ増えればいいんだが、と。
(…そうすりゃ、明日は、もっといい日に…)
なるんだがな、と思った所で気が付いた。
「明日」という日の存在に。
さっきからずっと、当たり前のように想像していた、「明日」の重みに。
(…俺がシャングリラにいた頃は…)
改造前の船はもちろん、白い鯨になった船でも、「明日」が来るとは限らなかった。
暗い宇宙を旅した時代は、朝日は昇らなかったのだけれど。
いつでも外は暗かったけれど、それでも「明日」の概念はあった。
船の中だけが世界の全てで、外の世界は無かったから。
たとえ夜明けは来なかろうとも、一日の始めと終わりは必要。
そうでなければ、人は健康に暮らせはしない。
夜勤に入った者はともかく、そうでない者は…。
(夜になったら、寝るモンで…)
次の日の朝を知らせる合図で、ベッドから起きて活動を始める。
まずは洗顔、それから着替えで、支度が出来たら食堂に行って…。
(朝飯を食ったら、持ち場に出掛けて…)
その日の仕事に取り掛かっていた。
外は真っ暗な宇宙であろうと、「朝が来たから」と。
「今日も一日、しっかりやろう」と、それぞれの持ち場で気を引き締めて。
けれど、何処にも保証は無かった。
次の日の朝が、やって来るとは。
夜を迎えたシャングリラという船、その船に「明日」があるかどうかは。
人類に追われるミュウの箱舟、いつ襲われるか分からない船。
夜の間に沈められたら、次の日などはあるわけが無い。
いくら準備をしていても。
「明日の作業は、これとこれだ」と、皆が段取りしていたとしても。
(前の俺は、その船のキャプテンで…)
シャングリラの全てを背負っていたから、何度、不安を覚えたろうか。
「もしも」と、「明日が来なかったら」と。
人類軍の船が近くを飛んでゆく度、恐れを抱いて夜を迎えた。
そうでない時も、常に何処かで思っていた。
「無事に、明日の朝を迎えられればいいが」と。
シャングリラに、夜が訪れる度。
夜も昼も無い宇宙を旅していた時も、アルテメシアの雲海に潜んでいた時も。
(…その筈だったが、今の俺は、だ…)
実に気楽に暮らしているな、と愛用のマグカップを、しみじみと見る。
ついさっきまで、当たり前のように夢を見ていたのが「明日」。
「記憶の欠片が拾えるといいが」と、更に欲張りな夢を描いて。
ブルーに会えることは確実なのだし、どうせなら、もっと、と寄り道をしたくて。
前の生での記憶の欠片を、運良く、拾えたらいい、と。
もし拾えたら、それに纏わる「何か」を買いに行けたらいい、と。
(…前の俺だと、夜は不安になったモンだが…)
今では夢見る時間らしいな、と見回した書斎。
此処で寛ぐ安らぎの時間、それが今では「夜」のようだ、と。
今の時代は明日は必ず訪れるもので、夜は、それまでの待ち時間。
何も不安になることは無くて、ただのんびりと明日を待つだけ。
コーヒーを飲んで、後は片付け、それからベッドに潜り込んで。
「明日はブルーに会えるんだしな」と、沢山の夢まで思い描いて。
(うんと贅沢になったモンだな、今の俺はな)
夜になっても、自分の時間をゆっくり楽しむだけなんだしな、と浮かべた笑み。
「本当に、俺は幸せ者だ」と。
明日は必ずやって来る上、明日はブルーに会えるのだから…。
夜になっても・了
※明日はブルー君に会いに行ける、とハーレイ先生が夢見る明日。寄り道もしたい、と。
寛ぎの時間が夜ですけれども、前の生では違ったのです。今の世界は、幸せな世界v