(竜宮城かあ……)
今でも何処かにあるのかな、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
(…ずっと昔は、海の底に…)
竜宮城があったんだよね、と幼い頃に読んだ絵本が頭の中に蘇る。
苛められていた亀を助けた、心の優しい浦島太郎。
その彼の前に、再び亀が現れた。
(竜宮城にお連れします、って…)
助けて貰った恩返しにと、亀は浦島太郎を背中に乗せて、海の中へと。
普通だったら溺れるだろうに、大丈夫だった浦島太郎。
亀と一緒にどんどん潜って、深い海の底に辿り着いたら…。
(…とても立派なお城があって…)
それは美しい、乙姫様が迎えてくれた。
毎日、美味しい御馳走を食べて、鯛やヒラメの舞を眺めて楽しく暮らして…。
(素敵だよね?)
竜宮城が今もあるのなら、と海の底へと飛んでゆく思考。
一度は滅びた地球だけれども、今では青い海がある。
(人間が、二度と滅ぼしてしまわないように…)
色々な厳しい決まりがあるから、それは美しい、今の地球の海。
公害なんかはありもしなくて、水は綺麗に澄み切っている。
だから今なら、竜宮城も…。
(誰も知らない、海の底の何処かに…)
堂々と聳えているかもしれない。
なんと言っても、乙姫様が住むお城だから。
地球が死の星だった時代も、竜宮城は生き延びただろう。
魚たちが消えてしまった海から、遠く離れて。
お城ごと別の世界に避難し、何事も無かったかのように。
(うん、きっとそう…)
元から、別の世界だものね、と考える。
深い海の底にあるというのに、浦島太郎は溺れなかった。
亀の背中に乗っかっただけで、海の中でも呼吸が出来て、深く潜って行けた彼。
(…亀がシールドしていたのかも…)
ミュウなら簡単に出来るものね、と思うけれども、今の自分には出来ないシールド。
サイオンがすっかり不器用になって、思念波もろくに紡げないから。
(……亀にも負けちゃう……)
ちょっぴり悔しい、と瞬きをして、思考を竜宮城に戻した。
海というのは、深く潜るほど、水圧が上がってゆく所。
前の自分も、アルテメシアの海に潜る度、それを実感していたもの。
(おまけに、深くなってゆくほど、光が届かなくなって…)
海の中は暗くなるのだけれども、竜宮城は闇に紛れてはいなかった。
亀と出掛けた浦島太郎は、肉眼でそれを認識したから。
「なんと立派なお城だろう」と、感心しながら到着したのだから。
(…ライトアップをしてたにしたって、海の底だし…)
当時の人間が使用していた、灯りの類は使えない。
蝋燭も、油を使う灯りも、水の中では消えてしまうから。
(それに水圧も凄くって……)
昔の建築技術などでは、海底では、とても耐えられはしない。
一瞬の内にペシャンコになって、瓦礫の山になってしまうと思う。
(…だから絶対、別の世界にあったんだよ)
海の中で繋がっていただけで…、と考える竜宮城の在った場所。
それなら全ての謎が解けるし、時間の流れが違うのも分かる。
浦島太郎が竜宮城で過ごす間に、陸の上では、長い長い時が経っていた。
別の世界に行っていたなら、そういうこともあるだろう。
浦島太郎が知らなかっただけで、不思議でも何でもないことだから。
竜宮城が別の世界に在ったのならば、地球が滅びても無関係。
魚影が消えた海を切り離して、青い海が再び蘇る日まで、何処かに避難。
別の世界が亜空間なら、其処にしっかり留まって。
鯛もヒラメも、乙姫様も、違う時間の世界で暮らして…。
(…SD体制の時代が、六百年でも…)
竜宮城なら、一週間にも満たない時間だったのだろうか。
浦島太郎が戻って来た時、三百年経っていたのなら。
(…地球が滅び始めた頃から、避難してても…)
青く蘇った地球に戻るまでの間は、きっと一年も無かっただろう。
そして今では、海の底に深く潜って行ったら…。
(竜宮城に出会えるのかも…)
ちゃんと戻って来てそうだものね、と広がる夢。
運良く竜宮城に行けたら、乙姫様に会えるだろうか、と。
(……御馳走は、沢山食べられないから……)
鯛やヒラメの踊りを眺めて、お城の中を案内して貰う。
浦島太郎が生きた頃から、何処も変わらない、竜宮城を。
昔の人の夢の世界を、海の底にある夢のお城を。
(…楽しそうだよね…)
行ってみたいな、と膨らむ憧れ。
遠い昔から海の底にある、竜宮城を眺めてみたい、と。
(玉手箱さえ、開けなかったら…)
帰って来たって年は取らないし、要らない心配。
それにサイオンが不器用とはいえ、ミュウには違いないのだから…。
(うっかり玉手箱を開けても、年は取らないよね?)
チビのまんま、と考えたけれど、ほんの数年なら、年を取ってもいいかもしれない。
前の自分と、同じ背丈になれるまで。
そっくり同じ姿に育って、ハーレイとキスが出来る年まで。
(うん、いいかも…)
亀が迎えに来ないかな、と夢はますます膨らんだ。
竜宮城を眺めに出掛けて、ついでに、ちょっぴりズルをする。
お土産に貰った玉手箱を開けて、ほんの少しだけ大きく育って…。
(ハーレイにキスをして貰うんだよ)
まだ結婚は出来ないけれど、と指を折って自分の年を数えた。
結婚できる十八歳には、足りない年齢。
そうは言っても、ハーレイとの約束は約束だから…。
(唇にキスはして貰えるよね!)
キスのその先のことだって、とワクワクしてくる。
もしも竜宮城に行けたら、沢山の夢が叶いそう。
(…何処に行けば、亀に会えるかな?)
それに恩返しをして貰うには、亀を助けてやらないと駄目。
苛められている亀がいるとしたなら、夏休みの海水浴場だろうか。
(小さな子供は、苛めてるつもりがなくっても…)
亀にとっては迷惑なことをしそうなのだし、其処が可能性が高そうな感じ。
夏休みでなくても、遠足の子でもやるかもしれない。
(……海かあ……)
家からは少し遠いよね、と残念な気分。
歩いてすぐの所にあるなら、毎日だって通うのに。
苛められている亀を助けて、竜宮城に行きたいから。
(…うーん…)
当分、チャンスは来そうにない。
ずいぶん先になっちゃいそう、と溜息を零して、気が付いた。
竜宮城に出掛けたならば、時間の流れが変わるのだ、と。
ほんの数日過ごしただけでも、何百年と経ってしまうのだった、と。
浦島太郎が戻った時には、三百年も経っていた地上。
それなら、竜宮城まで行った自分が、すぐに地上に戻っても…。
(……何年も経ってしまってる?)
玉手箱を開けて、前の自分と同じ姿に育つ名案。
それは名案などではなくて、「本当に流れた時」を取り戻すだけかもしれない。
今の学校を卒業するのに、かかるだけの時間が流れた後で。
(…それだけで済めばいいんだけれど…)
何十年も経っていたなら、どうすればいいというのだろう。
その間、自分は、この世界から消えている。
竜宮城に行ったことなど、誰一人として知らないのだから…。
(行方不明になっちゃうわけ!?)
何処を探しても見付からないなら、そういう扱いになっている筈。
両親は懸命に探し続けて、ハーレイだって…。
(ブルーは何処に消えたんだ、って…)
休みになったら、手掛かりを求めて走るのだろう。
最後に海辺にいたのは確かで、其処から先が分からなくなった恋人の。
今のハーレイは泳ぎがとても得意なのだし、海に何度も潜ってゆきそう。
専門の人たちが探した後でも、何か見付かるかもしれないから。
前の生からの絆がある分、「もしかしたら」と望みをかけて。
(…本当に、ぼくが消えちゃったなら…)
ハーレイは、どんなに慌てるだろうか、最初の一報を聞いたなら。
「海に出掛けたまま、いなくなった」と、両親から知らせが行ったなら。
(……真っ青になって……)
ガレージに走って愛車に飛び乗り、真っ直ぐに海を目指すのだろう。
「ブルー」が最後に目撃された海岸まで。
其処に行ったら何かあるかと、捜索の人を手伝おうと。
きっと、学校には届けを出して。
「守り役をしている、ブルーが行方不明なので」と。
(…でも、そうやって探しても…)
竜宮城に行った「ブルー」は見付からない。
ハーレイが何度、海に潜っても、竜宮城に出会えはしない。
別の世界に聳えるお城は、其処への道が開かない限り、人間の目には見えないから。
もちろん、竜宮城で楽しんでいる「ブルー」の姿も。
(……ハーレイを置いて、消えちゃったなら……)
いつか自分が戻って来るまで、ハーレイは嘆き悲しむのだろう。
「ブルーは何処へ消えたんだ」と。
「どうして一緒に行かなかった」と、一人で海に行かせたことを悔やみ続けて。
竜宮城を目指した「ブルー」は、最初から「そのつもり」だったのに。
一人でコッソリ出掛けて行って、玉手箱でちょっぴりズルをしよう、と。
(…でも、ハーレイは、そんなこと…)
まるで全く知らないのだから、ただ泣き暮らすことしか出来ない。
前のハーレイが、そうだったように。
遠く遥かな時の彼方で、「前のブルー」を失くしてしまった時と同じに。
(……そうなっちゃうんだ……)
チビの自分が竜宮城に出掛けたら。
ハーレイの前から消えてしまって、何十年も経ってしまったならば。
(…ほんの数年だったとしても…)
学校を卒業できる年まで、上手い具合に経ったとしたって、陸では数年。
その間、ハーレイは「消えてしまったブルー」を探して、何度も何度も泣くのだろう。
「どうしてなんだ」と。
「今度もブルーを失くしちまった」と、前のハーレイの分までも。
(…消えちゃったなら…)
そうなっちゃうよね、と分かった以上は、竜宮城には、もう行けない。
運良く、亀に会えたって。
「背中にどうぞ」と言って貰えて、海の底にある、夢のお城に招待されたって…。
消えちゃったなら・了
※竜宮城に行ってみたいと考えたブルー君。玉手箱を使えば、大きく育つことも出来そう。
けれど、竜宮城に行っている間、地上では行方不明。ハーレイ先生が泣いちゃいます。