(神隠し、か……)
そういう言葉があったっけな、とハーレイが、ふと思い出したこと。
ブルーの家には寄れなかった日の夜、いつもの書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れたコーヒー、それを片手に。
(うんと昔の言葉だよなあ…)
前の俺が生きた頃よりもな、と「神隠し」という言葉を追ってゆく。
それは今よりずっとずっと昔、人間が地球しか知らなかった時代のもの。
地球が滅びる日が来るなどとは、誰も思いもしなかった昔。
この地球の上にあった小さな島国、日本で、いつしか生まれた言葉。
(…今の俺が、此処に生まれていなけりゃ…)
知らなかったかもしれない、昔の人たちが恐れた現象。
今の自分が住んでいる場所は、かつて日本が在った辺りに位置している。
だから日本の文化を色々と復活させて、日本を名乗ったりもする。
其処の学校で古典の教師をやっているから、自然と詳しくなる言葉。
(ついでに、俺の趣味もあるよな)
地球が滅びる前の文化を追うってのは、と眺める書斎の蔵書たち。
前の自分の地球への憧れが、そうさせたろうか。
記憶が戻ってもいない頃から、昔の文化が好きだった。
日本でなくても、他の地域の習慣などでも。
(……おっと、脱線しちまった)
神隠しだっけな、と元へと戻した思考。
前の自分が、聞いたことさえ無かった言葉。
(いつの間にか、人が消えちまうんだ)
何の前触れもなく、突然に。
消え失せた人が何処へ行ったか、手掛かりさえも見付からない。
どんなに懸命に探し回っても、まるで全く。
この地上から消えてしまって、天に昇ったかのように。
(…手掛かりは無いし、見付からないし…)
きっと神様が連れ去ったのだ、と昔の人々は考えた。
神と言っても、良い神かどうかは分からない。
(浦島太郎の竜宮城みたいに…)
素晴らしい所へ連れてゆかれても、残された人の目から見たなら「神隠し」。
浦島太郎は「戻って来るまで」、神隠しだと思われていただろう。
ある日、突然、消えてしまって、戻って来なかったのだから。
三百年もの長い年月、地上にいなかったのだから。
(…竜宮城なら、ラッキーなんだが…)
他にも色々、そういう素敵な場所はある。
招かれるままについて行ったら、人の世界とは違った所で、歓待される昔話。
其処へ出掛けて楽しんでいても、傍目には「神隠し」なのだけれども…。
(…鬼や天狗に攫われることも…)
あるんだよな、と「悪い神」の方を挙げてみる。
昔の人が恐れていたのも、そちらの方の「神隠し」。
悪い神の方に連れ去られたなら、どうなるか分からない運命。
二度と帰って来られない上、攫われた先で、どうされるかも分からない。
(……最悪、食われちまうってことも……)
相手が鬼なら、有り得るだろう。
見目良い女子供だったら、鬼の屋敷で使用人にされたり、妻になるということもある。
けれど、そうではなかったならば、攫われてすぐに食われてしまいかねない。
(でなけりゃ、美味いものを食わせて…)
太らせて美味しく育て上げてから、おもむろに包丁を研ぐだとか。
(…あるんだよなあ、そういう話も)
だから誰もが怖がったんだ、と昔の人の心を思う。
もしも神隠しに遭ってしまえば、もう戻っては来られない。
戻れないだけならば、まだマシだけれども、命が無いこともあるのだから。
幼い子供が神隠しに遭うことが無いよう、昔の人々は注意していた。
「あの山には、決して行かないように」といった具合に、言い聞かせて。
神隠しが多い場所を教えて、其処には決して近付くな、と。
(……だからだな……)
文明が進んだ後の時代は、神隠しは「事故だ」とされていた。
深い森や山に入った子供や、大人が道に迷って消える。
あちこちに「目に付きにくい」深い穴があるとか、崖から落ちてそのままだとか。
まるで痕跡が残らなければ、その人は「消えた」と思われるだろう。
実際は穴に落ちていたって、崖下に転落していたって。
(…それと、もう一つ…)
後の人々が考えたことは、「人攫い」というものだった。
攫ってゆくのは神ではなくて、同じ人間。
女性や子供を攫って行っては、遠い所で売り飛ばす。
なにしろ昔は、人権などは問題にされなかったから。
人権という概念さえもが、まだこの国には無かった時代。
其処では「人」も商品になった。
女性だったら女郎屋に売って、子供は金持ちの家などの使用人として売り渡す。
どちらも元手がかからない上に、上手く売れれば大金が入る。
(…人目に付かない場所を選んで…)
素早く攫って、後は遠くへ連れ去るだけ。
顔見知りの者が一人もいなくて、高い値段で売れる所へ。
(その頃に高く売れる場所なら、都とか…)
栄えている宿場町だとか。
「攫って来たのだ」と分かっていたって、それを承知で買う者はいる。
商品が、そう訴えたって。
涙を流して「家に帰りたい」と、家のある場所を告げたって。
(……なんとも酷い話だよなあ……)
人攫いの方の神隠しはな、と竦めた肩。
事故なら諦めもつきそうだけれど、売られたのでは、たまるまい。
残された家族の方はともかく、売られてしまった本人が。
(今の時代じゃ、考えられんな)
人を攫って売るだなんて、と思った所で気が付いた。
「売られる」だけ、まだマシなのだ、と。
たとえ女郎屋に売られようとも、救いの道はゼロではない。
芸を磨いて売れっ子になれば、身請けして貰えることだってある。
そうなったならば、晴れて自由の身になれる上に、運が良ければ妻にもなれた。
使用人として売られた子供も、其処で自分を磨いたならば…。
(下っ端から、うんと出世して…)
店を任されたり、暖簾分けなどで独立できる道も開ける。
最初は「売られて来た」身の上でも、同じ人間なのだから。
キラリと光るものさえあったら、誰かの目にも留まるのだから。
(それに比べて、前の俺たちは…)
売られることさえ無かった、ミュウ。
もしもミュウだと判明したなら、待っていたものは「処分」だけ。
その場で撃たれておしまいになるか、研究施設に送られるか。
(…どっちにしたって、死ぬしかないんだ)
研究施設というのは名ばかり、人体実験をする場所だったから。
過酷な実験を繰り返されて、耐えられなくなれば死んでゆく。
ミュウは「人ではなかった」から。
人間扱いされていなくて、人権などあろう筈もない。
そして「処分」の道を歩んだミュウは、その存在を抹殺された。
あたかも「神隠し」のように。
育英都市から、ある日、ふっつり姿を消して。
機械が統治していた時代に、ひそかに起こった「神隠し」。
誰もそうとは気付いていなくて、消えたことさえ、誰も知らなかった。
処分されたら、周りの記憶は処理されるから。
機械に都合のいいように書き換え、「最初からいなかった」かのように。
(…本物の神隠しより、酷いってモンだ)
なんとも酷い時代だった、と今でも背筋が寒くなる。
前の自分は、よっぽど運が良かったのだ、と。
神隠しに遭って消えたけれども、生き延びて、最後は地球にまで行けた。
前のブルーに出会ったお蔭で、命拾いして。
星ごとメギドで燃える所を、宇宙船で辛くも脱出して。
(でもって、今では、もっと素敵で…)
最高の場所で暮らしてるんだ、と前の自分に教えたいような気持ち。
青い地球まで来たのだから。
前の自分が目にした時には、死の星だった地球が「青い」時代へ。
(しかも、あいつも一緒だってな)
ちゃんとブルーもいるんだぞ、と嬉しくなる。
十四歳の子供になってしまっても、ブルーはブルーに違いない。
それにいつかは大きく育って、前の自分が愛したブルーと…。
(瓜二つになって、俺の所へ嫁に来るんだ)
今の時代は、もう神隠しの心配も無いし、のんびりと待っていればいい。
小さなブルーが育つのを。
前のブルーと同じ背丈になるまで育って、プロポーズできる時が来るのを。
機械が治める歪んだ時代は、とうの昔に終わったから。
平和になった今の時代に、神隠しなどは、もう無いのだから。
(…うん、消えちまう心配は無いぞ)
安心だよな、と思ったけれども、どうだろう。
遥かな昔の神隠しの方は、本当に…。
(事故と人攫いだけ、だったのか…?)
浦島太郎の例もあるしな、と首を捻った。
他にも似たような話があるなら、神隠しの中には、ごく僅かだけ…。
(…別の世界に迷い込んだ、ってヤツがあるかも…)
何かのはずみに扉が開いて、と頭に浮かんだワープ航法。
あれは時空を飛び越える時に、亜空間へとジャンプしてゆく。
ついでに、前のブルーが得意としていた、瞬間移動というヤツも…。
(一種のワープみたいなものだ、と…)
ブルーが笑って言っていたから、船が無くても、別の世界への扉は開く。
そうなると、今のサイオンが不器用なブルーでも…。
(運が悪けりゃ、消えちまうってか!?)
別の世界に落っこちて。
竜宮城に行ってしまって、帰れなくなってしまうとか。
前のブルーなら、其処から戻って来られるのに。
比類なき強さを誇ったサイオン、それを使って、一瞬の内に。
(…えらいことだぞ…)
今のあいつが消えちまったら、と考えただけで寒くなるから、神隠しは無いと思いたい。
竜宮城があるとしたって、ブルーの前には現れない、と。
どんなに素敵な場所であろうと、ブルーを招いてくれるな、と。
今のブルーは自力で帰って来られないから、消えてしまったら、それきりだから。
神隠しに遭って生き別れなんて、お互い、泣くに泣けないのだから…。
消えちまったら・了
※ハーレイ先生が考えてみた、神隠しのこと。SD体制の時代にもあった、一種の神隠し。
今は神隠しはありませんけど、万一ということがあるかも。ブルー君が消えませんようにv
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