(今日は顔さえ見られなかったな…)
ツイてなかった、とハーレイがフウと零した溜息。
ブルーの家には寄れなかった日、夜の書斎で。
愛用のマグカップにたっぷりと淹れた、コーヒー片手に。
今日は無かった、ブルーのクラスでの古典の授業。
だから行っていない、ブルーがいる教室。
そういう日ならば珍しくないし、ツイていないというわけではない。
授業で顔を合わせなくても、学校の中では会えるチャンスは、いくらでも。
休み時間に廊下でバッタリ出くわすだとか、登下校の時に会うだとか。
けれども、今日は、それさえ無かった。
ブルーの姿は見かけないまま、終わってしまった「今日」という一日。
銀色の髪はよく目立つから、何処かにいれば一目で分かる。
なのに、月の光のような銀さえ…。
(見かけちゃいないと来たもんだ)
まったくもってツイていない、と思うけれども、ブルーの方も同じだろう。
もう眠ったかもしれないとはいえ、起きていたなら…。
(今日はハーレイに会えなかったよ、と…)
膨れているのに違いないな、と膨れっ面が目に見えるよう。
いつも「フグだ」とからかってやる、ブルーのプウッと膨れた頬っぺた。
唇も尖らせて不満たらたら、そんな具合に違いない。
この時間でも、起きているならば。
今日の出来事を思い返して、「会えなかった」と思っているならば。
(それとも、しょげている方か…)
どっちなんだか、と小さなブルーの心を思う。
立派な大人の自分でさえも、「ツイてなかった」と思うのだから。
たった一日、ブルーに会えずに終わっただけで。
多分、明日には会えるだろうし、家に寄れるかもしれないのに。
(……まったく、本当にいい年をした大人がだな……)
一日会えずに終わったくらいで何なんだ、と自分の額をコツンと小突く。
小さなブルーの方はまだしも、いい年をした大人なのに、と。
そうは思っても、やっぱり「ツイてなかった」ことは真実。
よっぽど運が悪い日だったか、あるいは神様の悪戯なのか。
(……前の俺なら……)
こんな日なんかは無かったんだが、と遠く遥かな時の彼方に思いを馳せる。
前のブルーと、シャングリラの中で生きていた頃。
いつかは青い地球へと夢見て、船の中だけが全ての世界で。
(恋人同士だった時には、あいつは、とっくにソルジャーで…)
前の自分はキャプテンだったし、顔を合わせない日など無かった。
シャングリラも、とうに改造を終えて、白い鯨になっていた時代。
前のブルーが暮らす青の間、其処を訪ねるのもキャプテンの大切な役目の一つ。
夜は、一日の報告に。
朝食の時間は、ブルーと食べながら、その日の色々な打ち合わせ。
(…いつも、あいつと朝飯で…)
必ず顔を合わせていたから、一度も無かった「会えなかった日」。
朝食の時間が取れないようなら、何処かで必要な「会いに行く時間」。
(…キャプテンは、どんなに多忙でも…)
一日に一度は、ソルジャーに会って、話さなければならなかった。
白いシャングリラの頂点に立つ、ソルジャーとキャプテンなのだから。
二人の息が合わなかったら、シャングリラは危機に瀕するから。
(周りのヤツらも、そう思ってたし…)
恋人同士だとは知らないままでも、ちゃんと時間を作ってくれた。
「今の間に、ちょっと行って来な」と、ブラウが肩を叩くとか。
「抜けていいぞ」と、ゼルが扉を指差すだとか。
たとえ会議の最中でも。
あるいは今後の航路を巡って、話をしているような時でも。
そういう日々を過ごしていたから、会えない日などは無かった「ブルー」。
「ツイていない」と感じたことなど、まるで無かった前の自分。
今の自分は、何度も経験しているのに。
「今日も、あいつに会えなかった」とガッカリした日は、少なくないのに。
(そう考えてみると、前の俺は、だ……)
うんと恵まれていたんだよな、と前の自分が羨ましい。
恋人に会えずに終わるような日は、一度も無かったのだから。
一日に一度は必ず会えて、言葉を交わしていたのだから。
(……恋人同士の甘い時間とは、いかなくてもだ……)
前のブルーの顔を見られて、声だって聞けた。
ついでに言うなら、前のブルーは…。
(今のあいつとは全く違って…)
最強のサイオンを誇っていたから、船の何処にでも思念を飛ばせた。
お蔭で、顔を合わせなくても、様々な言葉が飛んで来た。
「もう眠いから、先に寝るよ」といった調子で。
(…おまけに、出前の注文まで…)
やっていたのが前のブルーで、ブリッジにいたら飛んで来た思念。
「青の間に来る時、サンドイッチを持って来て」などと。
それが来た時は、仕事の後に寄った厨房。
「ソルジャーが夜食をご希望だから」と、クルーに頼んで作って貰った。
注文の品のサンドイッチや、フルーツをカットしたものなどを。
よく考えたらブルーはソルジャー、出前は頼み放題なのに。
直接、厨房に連絡したなら、担当の者が、すぐに届けに行く筈なのに。
(それをしないで、俺に注文…)
使い走りをさせてやがった、と思うけれども、あれもブルーの甘えの一つ。
恋人同士だったからこそ、我儘なことを言っていた。
皆の前では、決して誰にも甘えたりせずに。
もちろん我儘も言いはしないで、白いシャングリラを守り続けて。
(…それに比べりゃ、今のブルーは我儘で…)
甘え放題で自分勝手なガキってヤツだ、と苦笑する。
今のブルーが前と同じに、サイオンを使いこなせていたら…。
(今度も確実に使い走りをさせられてるな)
間違いないぞ、と大きく頷く。
きっと食べたいものが出来たら、思念波を投げて寄越すのだろう。
今の時代は「思念を飛ばす」のは、基本的にマナー違反なのに。
きちんと「声で」話すのがルール、通信を入れるべきなのに。
(そうは言っても、子供なんだし…)
通信機を使って「ハーレイ先生の家」に連絡、それがしょっちゅうだったなら…。
(いい加減にしなさい、と叱られるよな?)
あいつの親に、と容易に想像がつく。
だから代わりに思念を飛ばして、「あれを買って来てよ」と出前の注文。
柔道部員たちによく出す、近所の店のクッキーだとか。
あるいは前の生での記憶の欠片を、ふと運んで来る食べ物だとか。
(思い付いたら、俺に出前の注文で…)
きっとうるさいに違いないんだ、と思い浮かべる小さなブルー。
前のブルーとは似ても似つかない、甘えてばかりの我儘なチビ。
そのくせに、一人前の恋人気取りで、何かと言ったらキスを欲しがる。
前と同じに育つまでは駄目だ、と言ってあるのに。
何度も叱って、頭をコツンとやったのに。
(前のあいつとは、大違いだな)
いろんなトコが、と可笑しくなる。
前のブルーは、けして、ませてはいなかった。
「ぼくにキスして」と言わなかったとまでは、言わないけれど…。
(…そいつは、いい雰囲気になった時にだ…)
ごくごく自然に出て来た言葉で、今のブルーのそれとは違う。
チビのブルーがそれを言うのは、出前の注文と変わらないから。
「あれを買って来て」と同じレベルで、欲しがっているだけだから。
(…まるで分かっちゃいないんだしな?)
キスの重さも、大人の恋というヤツも…、と前のブルーと比べれば分かる。
今のブルーが幼いことも、前とは違うということも。
本物の両親に可愛がられて育ったブルーは、前のブルーとは違って当然。
中身は同じ魂でも。
前のブルーの記憶を引き継ぎ、様々なことを知ってはいても。
(……前と今では、違うんだよなあ……)
毎日の暮らしだけじゃなくてな、と前と今との違いを思う。
「ブルーに会えない日」が何度もあったり、ブルーがサイオンを使えなかったり。
我儘放題なチビの子供で、甘えるのが当たり前だったり。
(……どっちがいいかと訊かれたら、だ……)
判断に困っちまうんだよな、とコーヒーのカップを傾ける。
前のブルーと今のブルーでは、どちらの方が好きなのか。
どちらか一人を選ぶのだったら、自分は、どちらの手を取るのか。
(…とても選べやしないんだが…)
取るべき手なら分かっているな、と小さなブルーの右手を頭の中に描いた。
前の生の最後に、メギドで冷たく凍えてしまった、ブルーの右手。
それを包んで温めてやれるのは、今の自分の両手だけ。
だから自分は、チビのブルーの手を取るだろう。
どちらかの手を取れと言われたら。
前と今では違っていたって、ブルーは確かにブルーだから。
(本当を言えば、もう少し育ってくれてだな…)
前のあいつと同じ姿がいいんだがな、と思うけれども、そこは辛抱すべきだろう。
チビのブルーもいつかは育つし、その日を待っていればいい。
甘え放題、我儘放題のままで、ブルーが大きくなったって。
前のブルーからは全く想像できないくらいに、甘えん坊の弱虫になったって。
(……前と今では違うんだしな?)
そいつが今の俺のブルーだ、と心はブルーの許へ飛ぶ。
出来れば、明日は会いたいものだ、と。
ブルーの家に寄れればいいなと、それが無理でも顔を見られる日だといいな、と…。
前と今では・了
※ブルー君に会えなかった日の、ハーレイ先生。ツイてなかった、と比べてみた前の生。
そして思った、どちらのブルーを選ぶのか。やっぱり今のブルーなのですv