(地球なんだよね……)
ぼくがいるのは、と小さなブルーが、ふと思ったこと。
ハーレイが寄ってはくれなかった日の夜、自分の部屋で。
お風呂上がりにパジャマ姿で、ベッドにチョコンと腰を下ろして。
前の生で自分が焦がれた地球。
青く輝く母なる星。
遠く遥かな時の彼方で、何度夢見たことだろう。
その青い星に降りてゆく日を。
人類に追われる身ではなくなり、青い海や緑の山をこの目で見ることを。
(……フィシスの地球しか、ぼくは見たこと無かったけれど……)
それ以外には一つも無かった、地球の映像。
だから余計に憧れたろうか。
青い地球まで行かない限りは、海も山もじっくり見られないから。
フィシスが抱く幻だけしか、地球を見せてはくれないから。
(…もちろん、それだけじゃなかったけれど…)
地球への夢は、フィシスに出会うよりも前から心にあったもの。
人類の聖地とされた星だし、機械が刷り込んだのかもしれない。
地球に焦がれて「行きたくなる」よう、教え込んで。
そうでもしないと、無条件での「地球への忠誠」を抱かせることは難しいから。
(…成人検査でも、人体実験でも消えないレベルで…)
機械がそれをやったとしたなら、恐ろしいとしか言いようがない。
けれども、地球への想いが無ければ、前の自分は、あのように強く生きられたろうか。
ミュウを導き、「いつか地球へ」と願い続けて、三世紀以上もの長い歳月を。
座標さえも掴めないままの星を目指して、宇宙を流離っていた頃を。
(……無理だよね?)
とても無理だ、と分かっているから、機械が教えた感情でもいい。
前の自分が夢見た星。
全ての生命を其処で育み、ヒトを生み出した青い星への強い憧れは。
そうやって焦がれ続けた地球。
寿命が尽きると分かった後にも、とても諦め切れなかった。
この肉眼で一目見られたら、と叶わぬ夢を抱き続けて。
赤い星、ナスカで「死」を悟ってもなお、「見たかった」と涙したほどに。
(その星に、今、いるんだけれど…)
おまけに地球の子なんだけどな、と眺めた窓。
夜はカーテンを閉めているから、庭の景色も今は見えない。
それでも、窓の向こうは地球。
カーテンを開けるか、隙間から外を覗いたならば、きっと夜空が見えるだろう。
地球の星座が幾つも散らばる、秋の夜空が。
庭の向こうには、何処までも続く、地球の大地に建つ家などが。
(正真正銘、地球の子供で…)
地球で生まれて育ったけれども、残念なことに、青い水の星は見たことが無い。
前の生と同じに身体が弱くて、宇宙旅行に出掛ける機会が無かったから。
「地球は青い」と知っていたって、未だ一度も見ていない姿。
(……うーん……)
残念だよね、と思う気持ちは「贅沢な悩み」。
前の自分が最後まで夢見た、憧れの地球の上にいるのに。
「地球に着いたら…」と抱いていた夢、それの幾つかは叶ったのに。
(…今日の朝御飯だって…)
母が焼いてくれたホットケーキは、前の自分の夢だった。
地球で採れた本物のメープルシロップと、地球の草を食んで育った牛のミルクのバター。
それをたっぷりと添えたホットケーキを、朝食に食べてみたかった自分。
「ソルジャー・ブルー」と呼ばれていた頃に。
自給自足の白い箱舟で、ホットケーキを口にする度に。
今の自分なら、毎朝だって出来ること。
母に「焼いて」と頼みさえすれば。
ホットケーキの他にも沢山、地球の食べ物を並べたテーブルで。
(…ハーレイに貰ったマーマレードも…)
地球で育った夏ミカンだよね、と考える。
隣町に住むハーレイの両親、その家の庭で豊かに実った夏ミカン。
ハーレイの母が、その実で作るマーマレードも、青い地球の恵み。
毎朝、食卓に置かれているから、すっかり見慣れてしまったけれど。
(…ミルクも地球のだし、パパが食べてるソーセージも、卵も…)
何もかも全部、地球で出来た食べ物。
前の自分が夢見た以上に、素敵な世界に生きている自分。
(地球の子に生まれちゃったから…)
生まれながらに手にした特権、それは最高に素晴らしいもの。
宇宙から地球を見ていないことを、残念がってはいけないだろう。
もしも他の星に生まれていたなら、宇宙から地球を眺めるどころか…。
(今度もやっぱり、地球を目指して…)
旅をすることになったと思う。
前の自分の記憶が戻って、「青い地球がある」と知ったなら。
白いシャングリラの頃には何処にも無かった、青い水の星があると知ったら。
(…ハーレイには、ちゃんと巡り会えてる筈だから…)
いつか地球まで行ってみたくて、ハーレイに頼み込んだだろう。
「今度こそ、二人で地球に行こうよ」と。
地球からは遠く離れた星に生まれても、定期航路はある時代。
ハーレイと二人で宇宙船に乗って、青い星まで旅をしようと。
白いシャングリラで旅する代わりに、定期船で。
(……でも、やっぱり……)
今の自分はチビなのだろうし、すぐに地球には行けそうもない。
両親と一緒の旅ならともかく、ハーレイと旅に出るのは無理。
(…新婚旅行で行くしかないよね…)
何年も待たされちゃうんだけどな、と容易に想像がつく。
結婚できる年になるまで、地球は今度も夢の星のまま。
何処にあるのか分かっていたって、定期船が地球まで飛んでいたって。
(……それって、辛い……)
また何年も待つだなんて、と考えただけでも悲しい気分。
いくらハーレイと巡り会えても、心には穴がぽっかりと空いているのだろう。
青い水の星に行ける時まで、満たされないのに違いない。
ハーレイが「土産だ」と、地球産のお菓子などを買って来てくれたって。
父が「お前の欲しかった本だろ?」と、とても立派な地球の写真集をくれたって。
(…生まれた場所、地球じゃなかったら…)
そうなったよね、と零れる溜息。
幸いなことに、地球に生まれて、今も地球の上にいるけれど。
宇宙から見る地球の姿は、肉眼では見ていないけれども。
(……どんなに、ハーレイのことが好きでも……)
心の中には「青い地球」があって、新婚旅行で「地球に行く夢」が叶っても…。
(…帰りたくない、って思っちゃうんだよ…)
楽しかった地球での旅が終わって、帰るために宙港に着いたなら。
ハーレイと二人で暮らしてゆく家、それがある星に帰るのに。
(……ぼくの心は、地球に残ってしまいそう……)
そしてハーレイと過ごしていたって、きっと心から地球は消えない。
「また行きたいな」と夢を見ていたり、毎日が上の空だったり。
(……そうなっちゃうから、引越ししちゃう?)
生まれた星が地球じゃなかったら、と広げる空想の翼。
ハーレイに「行こうよ」と駄々をこねて。
どうしても地球で暮らしたいから、青い水の星に引越ししよう、と。
(…ハーレイ、なんて言うのかな?)
生まれた星を遠く離れて、地球に引越しするなんて。
もちろん仕事は、また地球で探すことになる。
ハーレイの腕なら、いくらでも見付かりそうだけれども。
柔道と水泳の腕はプロ級、そんな古典の教師だから。
学生時代は優秀な選手、きっと引っ張りだこだと思う。
地球に転職するとなったら、引く手あまたで。
そうして仕事が見付かったならば、家を探すのも簡単だろう。
ハーレイが移る学校がある町、その中の何処か。
(…何処になるのかな?)
この地域とは限らないよね、と傾げた首。
地球生まれではない「今の自分」とハーレイの場合、こだわりは無さそう。
何処の地域を指定されても、地球でさえあれば。
「憧れの地球だ」と喜び勇んで、其処を目指して旅立つだろう。
ただし、二人が生まれ育った星の上にも、心を残して。
ハーレイの両親が暮らす家やら、今の自分が両親と暮らした家やらに。
(…地球に行けるのは、嬉しいけれど…)
宙港まで見送りに来てくれるだろう、両親たち。
彼らに「さよなら」と手を振る時には、涙が零れてしまうのだろうか。
定期船で地球とは繋がっていても、間を宇宙が隔てるから。
突然、会いたくなってしまっても、今までのようにはいかないから。
(……ぼくの心は、今度は、半分……)
生まれ故郷の星に残って、地球から想うのかもしれない。
「パパとママ、どうしているのかな?」と、夜空を見上げた時などに。
何かのはずみに故郷と重ねて、「懐かしいな」と思った時に。
(…それも困るよ…)
せっかく地球に引越ししたのに、と辛くなるから、今の暮らしがいいのだろう。
青い水の星は、まだ肉眼では眺めたことが無いけれど。
ハーレイと新婚旅行に行くまで、見られる機会は無いのだけれど。
(だけど、心を生まれた星に…)
半分残して地球で暮らすよりかは、少しだけ我慢する方がいい。
十八歳になれば、ハーレイと結婚できるから。
新婚旅行で地球を眺めて、地球に帰って来られるから。
二人で引越す必要は無くて、二人の生まれ故郷の地球に。
青く輝く水の星の上に、前の自分が焦がれた星に。
(……生まれた星、地球じゃなかったら……)
ホントに色々、困っちゃうよね、と改めて気付かされた今。
今の自分は当たり前のように、地球の恵みを受けているけれど。
地球で生まれて地球で育った子で、今のハーレイも同じだけれど。
(…神様って、ホントに、ちゃんと考えて…)
生まれる場所を決めてくれたんだよね、と嬉しくなる。
ハーレイと地球まで旅してゆくのも、引越すのも悪くはないけれど…。
(心を半分、生まれた星に残しちゃうのは…)
きっとハーレイも同じだろうから、今の暮らしが断然、いい。
わざわざ旅をしてゆかなくても、地球なら、いつも此処にあるから。
青い姿を見られないだけで、青い海も、その広い大地も、全て周りにあるのだから…。
地球じゃなかったら・了
※ハーレイと生まれ変わった星が青い地球とは違ったら…、と考えてみたブルー君。
もちろん地球には行きたいのですが、引越ししたら辛いかも。地球生まれで良かったですねv